オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

帰京

2018-08-29 | Weblog

8/29(水) 今日、一週間ぶりに帰京した。先週の火曜日に東京に戻り、一日置いた朝、妹からの電話で母の容態がよくないとの連絡。20号台風襲来であったが、昼前の便に搭乗できたので帰郷した。そして一週間、母の容態は悪くなるばかりであるが、これも致し方ない。ただ、一進一退ながらこの状態が暫らくつづくのではと思い、帰京した。

と云うのも、今月中に片付けたい案件があったので、思い切って帰京した。そして、当日ながら二件のアポをとり、なんとか済ませることができた。これで帰京した目的は概ね片付いたといえる。後は、久々の人形町パトロールを実施すれば何時でも帰郷できようと云うものだ。

と云うことで、田舎での一週間を振り返れば病院との行き帰り、そして朝晩の一人飯を作るだけのことである。少しばかりの草刈、洗濯に赤い金魚の餌やりと云う優雅さであった。

             

台風の洪水、強風があれども、なんと麗しき田舎生活であろうか・・・・。然し、これに馴染んじゃったら・・・社会復帰(私の場合い、酒場村であるが)出来ないな

                        

何時まで東京に居るかと訊かれれば、田舎からの呼び出し次第と云うしかない。今週、三件予定されていた夜の部は、先週末に全てキャンセルさせて頂いたし、暫く約束事は出来ない、しないつもりである。

帰京便からの大空は、薄雲と碧空で気持ちがよかったヨ

                             

 

 

 

 

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休み明けて・・・

2018-08-22 | Weblog

8/22(水) 先週の14日から休み ―とは云いながら、八月からずーっと休みのようなものだが― を取り帰省していた。昨日の午後便で帰京、夕方に会社に顔出しした。早速、一週間ぶりの人形町パトロ―ルとなったのは自然の成り行きか。悪徳不動産のマッチャンと、飛ぶ鳥を落とす勢いの某社YAMAGUCHI社長で「高松」にて落ち合った。

飲んでいる最中に「、友人のテレビ屋、HOSOKAWAから連絡があり、彼が参画しているBS番組で「人形町」を取り上げることになった。ついては、これまで案内した居酒屋を候補に挙げたいが、とのこと。『ならばおいでよ』になった。そんな次第で、二軒目は貧乏オヤジと庶民の味方、なんでも300円の「ちょっぷく」で合流した。

                         

YMAKEN店長に番組の話をすると、なにやら事情があって取材は難しい状況であった。ならば「うまし」か、となったが、この夜は「セイジュ」でカラオケ三昧でお開きとなった。尤も、学芸大学駅に着いたのは零時前と。暫くの空白を埋めるに相応しいパトロールであった。

今朝の目覚めは五時半頃か、六時から台所に入り「弁当」作りを再開した次第。冷凍の「味付き豚肩ロース焼」と「小松菜&オクラの煮浸し」「ホタテ粕漬け焼き」、お土産で頂いた香川県の「豆醤油煮」、蒲鉾に卵焼きである。なにほどのこともない弁当作りである。

               

 

かくして休み明けがスタートしたが、会社には「席はあっても籍はない」風来坊のような身である。とはいいながら、まだ数件のクライアント対応などが残っている。これを済ませ、新しい体制が出来上がれば粗粗、お役御免となろうが・・・・。一方で、私的な会合などはこれからも・・・・。ながら、郷里の母親の状態が芳しくないのだ。

以前からの昼・夜の約束が何件かあるので帰京したが、いつ何時、帰郷せざるを得なくなるか・・・、そんな思いの日々刻々。九月十日を過ぎれば東京の方も一区切り付くので、それまで母の体がもってくれることを祈るばかりだ。

暫く家を空けている間に、かつての上司や先輩方から労いの便りを頂いていた。身に余る労いの言葉に恐縮するばかりである。そんなお便りを読みながら、次に向けての考えを纏めようとしているが・・・・。何れにせよ、母のことが片付いてからのことである。

 

帰省中は午前、午後と母の病室を訪ねた。少し調子がいい時は、かすれ声ながら話をしようとする。稀なことながら。「神仏への供えを、氏神を大事にしなさい」そんなことを言うのだが、大半は眠っている、起こして話しかけても、応えることは稀である。肺炎を併発しているとのことで微熱がつづき、手足が腫れている。食事も殆ど取れてない。今月いっぱい持ってくれたら、さすればまた、一週間ほど帰ることを考えるか・・・・。

長女一家が来たので、母を見舞ってから地元の27番札所「神峯寺」に寄った。ここには神社と、27番札所真言宗豊山派の竹林山神峯寺(こうのみね)が在る。「困ったら頼めよ安田の神峯」と言われ、霊験とご利益があるそうだ。心ばかりのお布施をし、母の安寧を祈る。

                 

 日曜日は、高知市内の「日曜市」に行きたいと言うので午前中に市場を歩き、午後一番の便で来る三女を空港に迎えた。その足で母を見舞い、夕方には従姉が用意してくれた鮎などで、自宅傍の橋の下でバーベキューとなった。従姉の旦那が鮎を獲り、それを焼く。ビールが美味い。橋の上に・・・・、大学生の姿が。なんと、昨年と同じシーンが・・・。

                 

高知大学とインドネシア・マレーシアの学生の国際交流プログラムがこの日から始まり、地元の地域活動センターでの合宿のようだ。昨年、会社のメンバーが来高し、丁度のこの河原でバーベキューの最中に出くわした。外国人のメンバーは異なるが、高知大学のリーダは昨年と同じであった。

即製の国際交流が、安田川の河原で展開されたのである。奇遇と云えば奇遇、こんなこともあるんだと面白かった。

               

 

 

 

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残暑・・・

2018-08-13 | Weblog

8/13(月) 残暑の日差しが照りつけ、街は閑である。行きつけの店も大半がお盆の休みに入っている。そんな時期なれど、ローカーボだけは休むことなく開けていた。今夕の帰りは「ローカーボ」に寄って、暫し離れる東京の夜を過ごすことになりそうだ。

明日、昼の便で高知へと発つ。老母を見舞い、墓前に花を飾り、仏壇に線香を灯して膳を供える。この時期に繰り返す日々の行いである。帰京は21日の夕刻を予定している。

今月から会社に籍はないが、席はるので暇にあかせて毎日顔を出している。そのうちに、顔を出すことが少なくなり徐々に足は遠くなるだろうが。それは長くても10月下旬であろうと踏んでいる。そして郷里に居る時間が長くなることだろう。我が酒とバラの日々もそこで終わる。

先週末の金曜日は、三十年前の上司で軽井沢に暮らすKIYOTA大兄とTAKAHASHI君が来てくれた。土曜日は、久々に家族全員が揃っての食事会を焼肉店で行った。こっちの方は、家人の母に加えて妹二人がそれぞれ息子を連れてきた。大人十四人と、予定外の人数となりギュウギュウ詰となった。

              

小僧なんかはやたら高い肉を頼みやがって、こっちの小さな胸と財布は痛む一方であった。親を労うなんて殊勝な心掛けは、持ち合わせていない立派な子供達である。まったく、親の顔が見たいぜ

こんなイベントめいたことは徐々に少なくなろうが・・・・。九月になれば、会社の引き継ぎも目途が立つだろうから、これからの計画を立てねばならない。

 

今日の弁当だが、朝から揚げ物だった。トンカツに茄子・椎茸のフライをした。魚は鮭の切り身を焼き、卵はネギ入りの出汁巻卵にした。野菜系は、昨夜に初めて使うSTAUB(無水鍋)で煮た、鶏・タマネギ・人参・キャベツ・シメジを使ったが少ししか入らない。

              

STAUBは、「ちょっぷく」のメンバーが贈ってくれた代物だ。折角の好意を使わねばと、このフランス製の重い鍋を初めて使ったが、鶏肉も使ったので煮る時間が長くなった。夕食の時間に間に合わず、今朝から食すことになった。鍋で煮込んだままの写真を撮らなかったので、せめて鍋の姿だけでも紹介する次第。

                  

何れも量はタップリ、義母と義妹が居るので大目にしている。  

弁当の準備が出来た後は、自分の食事だ。今朝はキリギリスはよしにして「スムージー」(バナナ・キャベツ・レタス・牛乳)にした。減量作戦は初期の目標値に達した。一月半での快挙、我が精神力も捨てたもんじゃないな!。

                        

 

では、来週の水曜日まで さよなら・サヨナラ・・・・、善きお休みになりますように!。

 

 

 

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夏休み前に・・・

2018-08-10 | Weblog

8/10(金) 来週はお盆の週となる。世間では夏休み真っ盛りとなろうが、こっちは八月に入ってから、ず~っと休み気分である。これが何時までつづくかは?ながら、今年いっぱい続くのは間違いない。

会社のスタッフが夏休みに入る前のギリギリの昨夜、これまでの御礼の意味を込めて食事&飲み会をセットした。店は十五年に渡りお世話になってきた蕎麦店「高松」である。お盆前の忙しい時期にご無理をいって貸切にしてもらった。席数は24席なのでこの人数にしたかったが、補助椅子を使って25人が勢揃いした。

                  

この中には、かつて一緒に仕事したメンバ―も数人加わって和気あいあいと、高松の料理を堪能したようだ。かく云う私が食したのは枝豆と仕上げの蕎麦を二掬いだが。花束や、なにやかやと記念の品らしきものを頂いたが省略する。私が用意したお土産は、清寿軒の小判どら焼き5個入りだった。

二次会の席は「ローカーボ」にお願いしていた。十数人が姿を見せて、ハイボールなどを飲んでいた。この日も、最終電車となった。時間の経つのが早いようだ。

                    

午前様、1時の帰宅であったが、今朝の目覚めも悪くない。が、目覚めたのは七時になっていた。

今朝の弁当は「トンカツ」がメイン。「小松菜の煮浸し」これに鮭を焼き、ウインナーとピーマンを炒めた。卵はオムレツ風に。ご飯に焼き鮭をほぐして「鮭ご飯」にしてみた。

                   

今夕は、軽井沢の仙人、ことKIYOTA大兄とTAKAHSHI君が見え、またしても「高松」へ。高松に三連続登板である。

 

 

 

 

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何故か鯛・・・

2018-08-09 | Weblog

8/9(木) 昨夕は台風の関係でスタッフが早帰りに・・・。こっちは、かつて台風銀座と呼ばれた高知の産だ。少々の雨風には驚かぬが、江戸の交通網は意外に軟弱な処が有る。事故防止が最優先なことは判るが、公共交通網をこうも心配しなくちゃやならいとは・・・、今風の言葉で云えば「バカっじゃない!」と言うのか。

そんな次第で大半のスタッフが去った社内で考えたことは『今夜は店も空いている、ちょっくら飲みに行くか!』であった。こんな日に元気に飲もうと言うのはHOYA兄貴だろうと、誘った次第。案の定、直ぐに乗って来た。

五時半前、待ち合わせの「高松」で合流し、金魚ソーダ割りを飲む。実は「高松」に来た訳がある。今夜、高松にて会社のスタッフやOBの何人かを招き、御礼の食事会をやる。この会のメニューや人数の打ち合わせをしたかったのだ。頃合いを計って店主のミっちゃんに確認すると、凡そのプランができていた。

困ったのは、ミッチャンが格安の料金を言い出したことだ。『それだけは勘弁してくんな 、正規料金で勘定してくんねぇと次から頼めなくなる』と願った。財布と頭髪は薄いが、腹だけは太っ腹さ! ― 最近ちょっとへっこんだが ― 。前々の事務所が隣り合わせだったことや、気の利いた素敵な女将がいることもあり、高松には正味十五年、世話になってきた。ここで出血サービスをされたとあっちゃ末代までの恥じ、土佐の田舎出の名が廃ると云うもんだ。

すっかり余計なことを書いちまったが・・・・。「高松」も、次に行った「ローカーボ」も、最後に入った「ちょっぷく」も、ガラ空きだった。外の雨風は大したことはないが、早帰りをした勤め人が圧倒的の様子。多分、四時~五時頃の電車が一番混雑したに違いない。

                          

「ちょっぷく」と云えば、ここのメンバーからフランス製の鍋を頂いたが、これが滅茶重い4㎏もあるそうだ。乗っけると、うちのガスレンジ壊れんじゃないか?と、思うぐらい重い。

何時もとは大違いに、空いた電車で学芸大駅に着いたのは22時ごろか。目の前に在る東急ストアで弁当食材を見繕ってから帰宅した。今朝の弁当は、その中から三品ほどを使うことにした。

メインは、なんと言っても姿容から「鯛」だよね。さして大きくもないが、タイは鯛である。こいつは「鯛飯」にしたが、鱗と骨の処理には手間が要った。土釜の寸法に合わないので半分に断ちきった次第。炊きこみのポイントと云うか、心掛けているのは出汁とご飯の硬さとオコゲの塩梅である。

                     

具は、薄揚げと人参の細切だけである。鯛の下には一応昆布は敷いたが・・・・。何度か記したが、義母は炊きこみご飯が好きのようなのだ。義妹も来てるので、値段よりも見た目の豪華さとお味で勝負、とオイラも気遣う分けさ?。

他には「ブリの照り焼き」「アスパラの豚肉巻ソテー」「炒り卵」となった。タイメシの塩梅?わって。そそりゃ上々さ・・・多分。自分じゃあまり食べないんでネ

                     

 

と云うことで、今夜の一次会は「高松」、二次会は「ローカーボ」、〆に「ちょっぷく」と云うことになりそうだ。な~んだ、前夜と、何時もと同じパターンじゃないか 

 

 

 

 

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台風が・・・

2018-08-08 | Weblog

8/8(水) 台風13号とかが首都圏に近づいているそうだ。少し風雨がつよくなりつつあるようだ。台風銀座で育ってオイラとしては、こんなのへっちゃらさと言いたいところだが・・・、電車などの交通機関が根性なしですぐにへたっちまうのが難だ。

折角の天候なので、予定がキャンセルになったことを幸いに、ゆっくりと飲めるというものだ。飲むといえば、昨夜は横浜まで遠征となった。佐賀のNAKAMIZOさんが上京中、そして我が歌姫「橋本葉子」さんが、馬車道のライブハウス「メグスタ」に出演とのメールを貰っていた。両方の義理を果たすため、NAKAMIZOママを伴って一路、横浜へとなった。

馬車道の名ばかりの寿司店で摘みながら、ビールと日本酒。験直しに入ったのはホルモン焼きと云う、典型的なマルビ、オヤジだったが・・・・。メグスタで姫とダーナの歌を聴きながらジンライムを飲み、オヤジギャグを云う。典型的な酔っぱらいオヤジぶり発揮し、帰りの電車では眠り込み、隣のサラリーマンオヤジにもたれ掛るという見事さであった。NAKAMIZOママに笑われてしまったのは、云うまでもない。

                        

昨晩はそんなオヤジぶり爆裂だったが、今朝の目覚めは爽やかであった。最後に飲んだ、ジンライムが良かったか・・・。

で、今朝の弁当になるが、昨夜帰宅すると金沢の義妹が来ていた。東京に居る娘が二度目の手術とのこと。何を言いたいかというとだ。菜をその分も作るということだ。

そんな次第で今朝は、味噌汁も菜も何時もより多めにした。メイン「牛小間と野菜の漬け炒め」、魚は「粕漬けの鮭」、油ものは「小エビの掻揚げ」、卵は出汁巻のエビ入りと云う次第。

            

 

では、台風が来ないうちに酒場に避難することとしよう・・・・。

 

 

 

 

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穏やかな午後

2018-08-07 | Weblog

8/7(火) 昨日の午後、ドトールでのYOSHIOとのコヒータイムを終えてから武蔵小金井に向かった。この午後、TUGAWA&HANAOKAさん宅を訪れ、酒を飲みながら過ぎ去りし日々を振り返へる、と云うことになっていた。

武蔵小金井駅に着いたのは、コーヒータイムが長引き、約束の時間を40分も過ぎていた。駅前からビル陰になる狭い裏道を辿って行ったが、それでも着いた時には汗でびっしょりになっていた。部屋に上がるとテーブールの位置が変っていた。

『どうしたの?位置が変わっているね』と、訊くいた。「オヤジの席から庭が眺められるようにしたんどよ」と、気配りの応えが・・・・。そうなんだよ、二人のお宅を訪ねると、暮れなずみゆく庭を見ながら飲み、CDを聞いいているのが一番リラックスできる、好きなのだ。遠慮のない、そんなことを言うので、HIROさんは気を利かしたのだ。

                         

ナチュラル社創業以来の34年に、終わってしまった、過ぎていった時間に、三人で乾杯した。これまでの経緯、これからのナチュラルについて雑談しながら白ワインが空、次いで赤ワインが空いた。女史の手料理を頂きながら我等の時間は過ぎていった。HIROさんと出会ってから二十七~八年か。仕事をするようになってから二十五年ほどが経つ。

一番一緒に酒を飲み、一番一緒に旅をしている。仕事であれ、遊びであれ。女史を紹介されたのは、HIROさんと知り合った一~二年後のことか。今はもうない、銀座の「秋田家」の座敷だった。ナタ大根に大きなハタハタを馳走になった。酒も美味かった。場繋ぎに「わぁ~おしゃれな靴下」と、スーツ姿にチグハグな派手な私の靴下に目をやり言った。『下らないこと言うなよ』と、無愛想に応えた。そんなことだけはお互いに覚えているのだ。

飲み食べ、共通の人たちのことに触れる。最後に佐賀のJOUJIMAに会っておきたい。弘前のKAWASAKIさんにも会わなきゃね・・・と。沖縄の、札幌の、稚内の、旭川のと、これまで触れ合った人のことが・・・・。み~んな、仕事で知り合った人々。

されど、もう会えない人もいる。お盆の帰省前、そんな何人かの墓参が叶えば・・・・。今年は、14日~21日まで帰省予定だが、その前日なら行けそうだ。狛江、東戸塚、横須賀と仕事が終わった旨を、墓前に報告しなければ・・・、お世話になった皆さんだ。

 

黄昏から夕闇となり、気が付けば四時間以上も経過していた。幸いに、雨はまだ落ちてきてない。長居した宅を辞去し、帰路に就いた。今日もまたリラックスのひと時を過ごさせて貰った。

そして、朝を迎えた。弁当作りの時間だ。今朝も有り合わせの食材で間に合わす。豚バラとタマネギの炒め物、ナスとひき肉の味噌炒め、ジャーマンポテト、炒り卵であった。

                    

義母の野菜スープを作り、自分用に桃と人参のスムージーを。かくして今朝のお仕事が済んだのである。

                       

 

 

 

 

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酒盛り

2018-08-06 | Weblog

8/6(月) 土曜日の夕、「うまし」にて私が主催して酒盛りを開いた。メンバーは人形町でお世話になっている酒場のメンバーがメインだが、オヤジの料理教室でお世話になっているJIN先生夫妻と友人のHOSOKAWAが来てくれた。総勢で十六名の参加であった。

酒場「ちょっぷく」の店長YAMAKAGE氏にチーフのヨッチャン、助っ人隊のミムラッチにフナッシ―にマッチャン、酒場巡りを共にするHOYA兄いと悪徳不動産にベリーダンサー等々多彩な面々であった。

                 

二次会は「セイジュ」でカラオケだが、セイジュのママさんは来ないでマッチャンとヨッチャンがカウンターの中で頑張ってくれた。YAMAKAGE店長は、ここぞとばかりに唄いまくっていた。こっちは焼酎・酒・ハイボールと飲み継ぎ、ヘロヘロに・・・・。

                  

最後は「ローカーボ」でハイボールと、お決まりのコースとなったが、最後まで残っていたのは十人程か。RYOUKO姫がベリーダンスを披露する辺りでは、ヘロヘロからグテングテンになっていたかも・・・。最後はベリーダンスに合わせて、恒例ともいえる野郎ーどもの裸踊りの乱舞となっていた。

それほど酔っていても、終電車の時刻は忘れてなかった。大したものである・・・・。メトロ~東横線と終電を乗り継ぎ、25時の帰宅であった。金曜の晩も終電前の電車であったが、暫くの間は退職セレモニ―だと大目に見よう?。然し、調子に乗って深酒すると堪える

 

今朝の弁当は「プルコギ」に「サワラの粕漬け焼」「蒲鉾&卵焼き」となった。連日の暑さにかこつけて、手抜き弁当がつづく・・・・。

              

 

弁当と云えば、土曜日の会でJIN先生から立派な弁当箱を頂戴した。秋田は大館の曲げワッパの弁当箱であった。先生の弟子の身でありながら過分な品を頂戴し、恐縮するばかりである。助手のJINNOさんからだと、これもまた立派な花束が・・・・、皆様に謝謝

 

 

 

 

 

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隅に移動・・・・

2018-08-03 | Weblog

8/3(金) 7月31日に席を移動した。広いデスクから隅に置いた小さな机が暫しの居場所となる。明けた8月1日から席はあれども籍はなしの状況となった。一応「顧問」などと云う名刺を頂いたが校門若しくは肛門程度であろう。どうせなら黄門様と呼ばれるぐらいがいいのだが、それは高望みと云うものだ。

7月末に、年賀状をお出ししている皆様に『暑中お見舞い』の葉書にそえて、会社退任のご挨拶を書き添えた。思いがけずに若かりし頃の上司や、先輩・友人・知人から電話やメール、お便りを頂いている。こんなバカヤローの罰当たり野郎に親切な言葉を下さる。感謝に堪えない。

何れ忘れ去られる身ながら、今一度お世話になった皆様にご挨拶が叶えば嬉しい。その最初の旅は、金沢になりそうだ。昨夜のメールの中に、長い付き合いのIMAI氏からのものがあった。それを読み、故大澤重樹さんの墓参が浮かんだ。昭和59年5月、金沢電話局長に赴任されて間もなかったが亡くなられた。膵臓癌だったように記憶する。

IMAI氏の仲人が大澤さんだった。本社資材局用品課に在職した当時、課長として大澤さんの下で二年間仕えた。その後、大澤さんは業務管理局管理課長を経て、59年1月の半ばであったろうか、金沢電話局長として錦を飾られた。早朝の羽田空港に、IMAI氏と一緒に見送りに行った時のことうを鮮明に覚えている。

その3月下旬、義妹の結婚式で金沢に行った。金大病院に入院されていた大澤さんを見舞いに訪れたが、外泊で自宅に戻られていた。その晩に電話で「アリサン、スマンナ」の声を聞いたのが最後となった。大澤さんが発たれる時に『三月に義妹の結婚式があるので、お伺いします』と伝えてあった。

亡くなれた後の数年、IMAI氏と金沢に墓参した。車を出してくれるの北陸通信局で係長、課長を務めた仲間のMURAI氏だった。そのMURAI氏は、胃癌で手術をしたとのことだが、予後はよさそうだ。

また三人で墓参しよう、奥様も随分御歳を召された。これが最後になるかもしれないから。退職祝いに一杯やろうの誘いから、そんなメールのやり取りになっていた。

用品課に赴任した最初の課長はNAGAOさんだった。もうすぐ93歳になられると、昨日届いた毛筆の便りにあった。丁重にも、私の挨拶状に労いの返事を下さった。立派な上司と先輩達がいた時代のことである。

不思議でならないのは・・・、こんな立派な上司や先輩に恵まれながら、なんでオイラは駄目野郎かと云うことだ。世の中、上手くいかんもんだ

ついつい昨夜のメールなどからこんな話になったが、記しておきたいことは未だまだある。後日、わが反省の半生にも触れてみたい。

 

弁当が三日分も溜まったが、昨日や一昨日のことなど忘れてしまった・・・・。写真だけは撮ってあるので紹介する。

8月1日、「豚肉と野菜の炒め物」「竹輪胡瓜にオクラ」「蕪&胡瓜の塩麹和え」「鮭焼き」「卵焼きと糠漬け」であった。

                    

8月2日、残りご飯があったので「海老炒飯」となった。菜は「小松菜&オクラに薄揚げの煮浸し」「塩鯖焼き」「蒲鉾&炒り卵」、以上である。

                 

 

そして今日、8月3日(金)であるが「五目炊き込みご飯」に「豚バラと野菜の炒め物」「胡瓜&茗荷の塩麹揉み」「鮭焼き」「竹輪胡瓜」「小松菜の卵炒め」「卵焼き」、以上である。義母は、炊き込みご飯や炒飯などの加工したご飯が好みのようである。家人は違うが・・・・。

        

 

 

 

 

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