オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

命日

2021-08-30 | 弁当

8/30(月)今日は母の命日、平成30年八月三十日に母は亡くなった。丸三年となるが・・・、未だそんなものかと云うのが実感である。

丸三年と云うことは、私が仕事を辞めて三年と云うことでもある。全てを引き渡して一月後に母は亡くなった。もう少し長生きをしてくれるだろうと思っていただけに残念であった。

命日と云うことで仏前に供える仏用のお膳を用意した。ご飯を炊いて、煮物や酢の物などを作っただけのことであるが。そして、昼前にお墓に詣でた。残暑が厳しかった。

                 

 

偶然であるが、橋本葉子さんが今日荼毘に付されたはずである。先夜のダーナからの電話でそう聞いてる。ダーナは嗚咽と涙にくれたであろう。

最後に会った「メグスタ」での写真は前にも載せたはずだが、ピンボケながら七月八日の午後三時過ぎに撮った写真を掲載して葉子さんの冥福を祈る。

               

もうこの姿を見ることは叶わない!。

 

先週の金曜日、仕掛けたおいたウナギ箱を上げたら小さな、親指程のウナギが一匹捕れた。偶然のようなものであるが。長さは40㎝であった。

               

今日の夕も川に行ってエビ箱とウナギの仕掛けをしてきたが、柳の下に二匹目はでないだろう。手長エビ漁は明日で終わる、ウナギ漁は九月末までできるのだが、いい加減に飽きてくるね。労多くして獲物は捕れず。

 

某日の夕、久々に庭でコロナビールを飲みながらひと時を楽しんだ。

                  

昨夜はOOBOSHIさんから届いたソバとスダチを活かすための夕食。今夜は朝の煮物・酢物などを中心にした。

             

日々は流れいくとも、我が暮らしに変化なし・・・。

 

 

 

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御霊よ、やすかれ・・・

2021-08-27 | 弁当

8/26(木)既に日付は変わった時刻になったが・・・。短いながらも、仏壇の前に座り御霊よやすかれと祈りを捧げていた。

三十分ほど前にダーナから連絡があった。度々我が歌姫と記したことがある橋本葉子さん(本名 東郷典子)さんが一昨日、八月二十四に逝去したとの連絡であった。思いもよらぬ知らせであった。

帰郷前の七月八日午後、馬車道にあるダーナの店に出るとの連絡をもらい顔を出した。私の他には、唄を歌う常連客が一人だけいる店で、葉子さんのピアノ、ダーナとの唄を聴きお喋りをして別れたが・・・。

七月の下旬には秋田に戻り、一月ほど過ごしてから上京すると聞いた。秋にはまたお会いすると約して雨の馬車道を後にした。

あれが最後になるとは、余りにもあっけないサヨナラである。

電話の向こうのダーナは涙声で「妹分だと葉子さのお姉さんと二人で死に化粧をしてお気に入りのドレスを着せた」とのこと。

何処で罹患したか定かでないが、メグスタの翌日は青山のレストランクラブ、その後に新宿での仕事があったとか。

秋田に帰る前に微熱が出て帰るのを控え、受診すると新型コロナと診断された。すぐに入院ができないので何日か自宅で過ごしているうちに体調が悪化。聖マリアンナ病院に入院できたそうだが・・・。

三十五日にわたる闘病中、一時は元気になりメールや電話のやりとりをしたと云う。それが急に悪化して酸素吸入ではすまず気管支切開を進められと云う。が、唄が仕事と拒否したとのことである。

ダーナは青山と新宿の店の仕事が気になり、キャンセルするように勧めたそうだが「四十度の熱がでても仕事をキャンセルしたことがない」と応じたそうだ。ピアノと唄を命としていた。

葉子さんの唄とピアノを始めて聴いてから五十年近くなるか。赤坂東急ホテル十四階に「マルコポーロ」云うBARがあった。そこで彼女はピアノの弾き語りをしており人気であった。

その後、東郷好彦氏と結婚して六本木・麻布警察署の裏手で「禅」と云う店を開いた。夫妻と親しく付き合うようになったのは禅の時代からである。勤務していた東京通信局が六本木二丁目にあり、長い勤務が終った遅い時間に駅に向かう坂道を上がり顔を出した。電電公社が民営化する前の頃のことである。

ダーナはその頃からのスタッフ、未だ初々しいさが残っていたか?。店に出ていたミュージシャンとも親しく会話をしたものである。

そして、葉子さんと生年月日が同じと判明した。更に、夫妻が住んでいたマンションが学芸大学駅で近隣であった。思い返せば長い。

店は六本木から乃木坂、一ッ木通りと変わり、一ッ木通りの店の時代に東郷さんが胃がんで亡くなられた。葉子さんは、数年後に店を閉めてフリーで歌うようになった。そんなこともあり、顔を合すのは年に数度になっていた。

葉子さんが歌う「あなたは旅人」(東宝映画。東京湾炎上の主題歌)が好きで、よくリクエストをしたものだが、最近は高音が辛いと応じてくれなくなった。「愛してます青森」は彼女の出身地(弘前)でもあり、六本木・禅時代のギタリスト福家チャンの曲で歌い継がれている。

東郷夫妻との思い出は数多あるが、二人とも逝ってしまった。葉子さんが荼毘に付されるのは三十日とか、安置されているのは偶々であろうか、因縁なのか、ダーナの住まいの直ぐそばと云う。ダーナな深夜その建物の前で「葉子さん一人じゃないよ」と声を掛けると云う。

橋本葉子さんの御霊よ、安らかに。サヨナラ葉子さん、僕は死ぬまで生きます。そして貴女の残した歌声をCDで聴いています。

 

 

 

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漸く雨上がる・・・

2021-08-23 | 弁当

8/23(月)今日の天気予報では昼頃に雨のマークが付いていたが、雲が広がり厚くなっただけで雨粒が落ちることはなかった。

久々に青い空がのぞく時間もあり、漸く長雨が終わったと一安心した。

然し酷い雨空がつづいたものである。一昨日は我が家から上流で土砂崩れがあり馬路村への道路が寸断、復旧の目途が立っていないとのことだ。

八月八日の夕から降り出した雨は翌日の朝にあがり、11日から再び雨となり昨日まで降りいつづいた。強弱を繰り返して、なんと十二日も降ったのだ。

野菜畑の畝の溝も水浸しで雨水が溜まっていた。日照りも辛いが水浸しも可哀そうである。蒔いた種も流れてしまった。

                       

安田川は洪水から大洪水になり、少しお落ち着いてきたかと思えば大雨で洪水の泥濁り。その濁りも今朝になり再び落ち着いてきた。

              

朝、従兄がきて鮎釣りができそうだと云う。従兄は母の実家の長男で、今年で九十歳になるかな?。酸素ボンベが手放せなくなり、数年前からは電動車椅子ながら、鮎の餌釣りをやる気満々だった。要は、町まで行って釣り用の餌とコマセを買ってきてくれとのことだ。

顔を合すたびに「しんどうていかん、もう長うない」が口癖で、救急車のお世話にも何度かなっている。が、田圃の見回りにはいくし、田植え時期にはトラクターを運転して田起こしをする。

子供の頃から親しんだ釣りの血が騒ぐと云うことだ。友釣りは川に入らなければできないが、餌釣りなら岸辺から竿を出せばできるのだ。ご希望に応えて餌を買ってきて渡した。

後で川岸まで様子を見に行った。酸素ボンベを脇に置いて一生懸命仕掛けを用意していたが・・・。

                

一時間ほどして我が家に来て「いかん、まだ水が太い。釣れざった!」とのことであった。

今の鮎は美味しくない。餌を食べていないので痩せているし、泥水で腹も汚れているのだから。それでも獲物を追いたいのは長年親しんだ性であろう。

 

雨の間、買い物に出るときと、姪の店でのコヒータイム以外は家に垂れ込めて過ごした。少ない脳みそにも黴が・・・。これからは外仕事が待っている!。

 

 

 

 

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安田川、水高し・・・

2021-08-17 | 弁当

8/17(火)いやぁ~本当によく降ります。日照りがつづいたと思ったら、今度は雨、雨の連続でうんざりの日々です。

昨夕はお盆の送り火を焚いてから夕食と云いたいのだが、実は夕餉の席に着いてから送り火を焚いてないことに気付いた次第。

                  

大慌てで雨と暗くなった軒下で焚いた次第です。昼間、雨が上がった時刻にお墓に行って供えてあった花の水を換えてきたのだが・・・。

深夜からまた雨となり、雨は今日になって更に激しくなった。台風の時のように激しく降ったり一時止んだりを繰り返している。

午後には大雨警報と、土砂崩れ注意報まで発出された。川の様子が気になり、橋の近くまで行った途端に土砂降りになった。

              

その時に辛うじて撮ったのが上の写真。傘をさしていたがびしょ濡れになり、ほうほうの体で引き返した。

着替えをして暫くすると小止みになった。再度川の様子を見に行って写真を撮っていたら脇に置いた傘が風で飛んだ!抑える間もなく川に・・・。

私の代わりに濁流に呑まれていった!。「お母さん、僕のあの傘はどこえ行ったのですか」、麦藁帽子じゃなくてよかった。

              

大洪水には違いないが、数年前の洪水ほどではない。橋げたに届くほど高くないし、田んぼにまで届いていない。この程度で治まってほしいが、予報は日曜日まで雨マークで、明日も相当降る予報である。

                  

暫くは部屋に垂れ込めて過ごすことになりそうだ・・・。

 

 

 

 

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雨つづく・・・

2021-08-15 | 弁当

8/15(日)相変わらず雨が続いている。今日の昼間は降ったり止んだりだったが、深夜はざあざあ降り。ガラス戸を閉めても雨音は耳に響いた。

川の様子を見ると、昨日よりは水嵩は低くなっていた。思ったより雨量は多くなかったようだ。

                

雨続きなのでやることもなし。「いなかじかん」が開いている日はコーヒーを飲みに行き、時々町まで買い出しに出るくらいである。そして飯つくりと、単純な営みである。

そして、雨の合間をみて畑の野菜を採って食卓に乗せるが、最後のスイカとカボチャも。小さいながらも熟れてはいた。

         

昨日は従姉を病院まで送ってから、スーパーまで行って夕食用に餃子の皮や挽肉などを買った。久しぶりに餃子を作ったが、残念ながら満足できる出来栄えでなかった。  

                   

 今日と云えば、風雨で庭を汚している落ち葉が気になり雨の小止みに庭に出た。散乱した落ち葉を拾い、箒で掃きしているうちにまたしても小雨に・・・。

済めばシャワーだと、少々の濡れを耐えて庭先の単純作業を続けた。赤いハイビスカスが咲き始めた。先月の初めか、メリーガーデンで買ってきたものだ。

             

こうして庭先で遊んで?いると時間が経つのが早い。夕食に姪の亭主RYOが来ると云うので適当なところで切り上げる。そしてシャワーを浴びた。

RYOのリクエストで「鮎すし」を作る。硬めにご飯を炊いて、鮎の仕込みをする。姿寿司なので開いて中骨をとる。それに塩をして30分ほど酢で締めた。最後に柚子酢掛けた。柚子酢を使うのは土佐風であろう。

酢飯にも柚子酢を使う。砂糖に塩、胡麻・刻みショウガ・刻み大葉で酢飯を作った。このご飯を鮎に詰めて「鮎姿寿司」の完成であるが、ラップに包んで暫く馴染ませた。

           

完成品を撮ってなかったのは残念である。

出来栄えは満足しなかったが、食事に来たRYOと妹夫妻は「旨い!」とは言ってくれた。世辞かな・・・。

他には、焼き肉・手羽元の漬け焼、軍鶏鍋にナスの煮物などであった。以上で二時間ほどの歓談。

 

今日、八月十五日は終戦記念日。毎年のように靖国神社参拝への論議が左右ばかりか、隣国からも寄せられる。

このBLOGを記している今、この時間、BS1で「特攻 知らざれる真実」という番組が流れている。八月十五日ならではである

亡父も終戦前の三か月、特攻要員として串良基地にいたと聞いている。江田島も知覧も行ったことがある。特攻で亡くなった方々の遺書の数々も拝見した。痛切な思いであった。

戦争はいけない、当たり前のことが世界から無くならない。人間は何故、何のために戦争をするのか?。矮小なことに置き換えれば、一人ひとりの人間においても、何故喧嘩をするのか?。

TVで戦争末期において、それまで特攻に遠いところにいた飛行学校の教官たちも特攻に駆り出されるようになったと流れている。

亡父から聞いたのは「教える飛行機もなくなり、教官たちも特攻に志願することにした」であった。そうせざるを得ない状況になっていたのであろう。

その亡父も、上京し機会があると靖国神社に詣でていた。その時に、合祀されているあの戦争を指導した戦犯に対して何を思っていたかは知らない。

それぞれに思いや考えがあろう。それぞれが考え、行動することを否定はできない。犯罪でない以上。

勝者から戦犯とされた、なった人々は死をもって償い、償わされた。何時までも死者を鞭打つことなかれと思いたいのだが・・・。否定か、傍観か、無視か、それも、人それぞれの考えであろう。それが可能な時代である。

 

 

 

 

 

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戻り梅雨?

2021-08-11 | 弁当

8/11(水)昨日は朝のうちは晴れていたが、お墓掃除を終えて戻った午後遅くから雲行きが怪しくなった。今日の予報は午後遅くからの雨だった。が、昼過ぎから雨が・・・、丁度お盆用の買い物を終えて帰る時間であった。

明日からも一週間続けて雨マークが付いている。梅雨時そのもの天候である。戻り梅雨かと思えるが、正しくは秋雨前線による秋の長雨が正しいか?。

秋の長雨と云えば九月が相場だったが、ここ数年季節の巡りが一月ばかり早くなっているように思える。

カンカン照りが三週間近くも続いて雨を切望していたが、この時期に長雨がやってくるとは!。

降ろうが止もうが、暑かろうが寒かろうが?こちとらは天下の素浪人!。どうでもいいじゃないかと思えるが・・・、そうはいかんのが人生?いや、気分と云うやつだねぇ~。天気が良くないと出来ないことが多いのだ。

お墓掃除に部屋掃除、仏壇とお墓にシキビと花を供えてお盆を迎える準備は万端。後は、迎え火と送り火を焚くだけ。

朝夕、鱈腹飯を食らってビールを飲んで惰眠を貪る。優雅なようで物足りなさは拭えない。なんの生産性もない暮らしほどつまらないものないが・・・。これが現実と云うものだ。

 

田舎暮らしの貧乏所帯ながら、食い物だけは不足ない。かと云っても食える量も知れている。同じものを二夜続けて食すことは日常だ。

昨夜は自家生産の野菜&チキンでカレー、と野菜の煮物。鮎は作ったばかりの開き&丸干と塩焼きでビール。

         

今夜は昼に町まで買い物に出掛けたので、鯛の刺身と鰻蒲焼を購ってきた。加えて前夜の残り物が。そして、久々にご飯を炊いた。

             

姪の店が開いている曜日(水・木・土と祝日)は、ランチ客がはねた頃合いに概ね顔を出すようにしている。ランチは摂らない主義?なので、オーダーするのはコーヒーだが、最近自家製パウンドケーキを始めたのでそれも注文する。

              

今日は枇杷のパウンドケーキだった。使用してる枇杷は我が家の畑のものだそうだ。

 

斯様な日々・・・、これじゃ長生きするか早死にかだねぇ~。困ったものさ。

 

 

 

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台風一過?

2021-08-09 | 弁当

8/9(月・祝日) 昨夜ハ時前から降り出した雨、途中から急に風雨強くなった。台風の影響であろう。慌てて庭先に開いたままであったパラソルを仕舞った。濡れたが正解である。

台風九号は直撃こそしなかったが、それなりに風雨は強かった。

今朝になっても雨が続き、昼になって止んだ。庭に出てみると落ち葉が散乱していた。畑のピーマンやしし唐、ナスも倒れており後に添え木をして起こした。

従兄の次男坊が頼んであった網戸を直しに来てくれた。そばで見ていると、これがいとも簡単である。次から自分でやれるな?、でも大助かりであった。

昨夕は従姉夫妻に従兄の孫娘の養子HIROSHI君が来て四人でバーベキュー。雨の予報だったのでベランでやったが、雨は片付けが終わった後からであった。

夜中に雨が相当降ったようなので洪水かと、橋の上まで見に行った。さにあらず、増水はしていたが洪水と云うほどではなかった。

             

午後の何時もの時間、とは二時頃のことだがランチ客が一段落する頃合いに姪の店「いなかじかん」でコーヒータイム。ここの処、自家製のパウンドケーキも頂くことにしている。今日はドライフルーツ入りにした。

             

家に戻り庭の落ち葉掃除と畑からピーマン・パプリカやナスなどを収穫。児玉スイカを手にしてみると・・・なんと、裏側は割れて小さな蟻が群れていた。既に完熟していたのだ。もう一つも手にすると、これも完熟して半分しか食せなかった。最後に残った黒皮のスイカも収穫した。

            

畑に行くと足元の雑草が気になる・・・、ついつい草引き行動になる。こう云うのは貧乏性なる故か?それともほんま物の貧乏なる故か。そんなことで、引き揚げたら五時になっていた。

ベランダに腰を下ろして少しは綺麗になった庭を眺めて一服。クーラーボックスの中に、昨夕の缶ビールが冷えたままで入っている。缶を開けて冷えたビールで喉を潤した。

ここまではよかったが・・・、部屋に入って電気のスイッチを入れたら点かない、TVも点かない!。なんとなんと、停電していたのだ。

回復したのは一時間後。日暮れ前にとローソクを漸く探し出したところで明かりが点いた。間が悪いというか、良いというべきか?。

 

明日の天気予報は晴天、暑くなりそうだがお盆前なのでお墓掃除になるかな。それとも曇り&雨マークの明後日にするか?。明日になって決めればいいか・・・。

 

 

 

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待望の雨に・・・

2021-08-06 | 弁当

8/6(金)朝から蒸し暑かったが、午後三時ごろになってパラパラと降り出していた雨が五時前になって本格的な雨となった。

              

待ちに待っていた雨だ!。が、心配もある。エビ箱を川に仕掛けたままである。想定外の雨になって川が増水するとエビ箱が流されてしまうのだ。

昨年の夏、そんなことがあって流されている。二箱仕掛けてあったが、一つは行方不明に、もう一っは4km程下流の中州に流れ着いていたのを拾ってくれた老人がおり助かった。すっかり傷んでいたが。

この先一週間ほど天気が良くないとの予報もあり、そんなことが過ぎった。雨の合間をみてエビ箱を回収した方が無難か・・・。

今日は何もしないで過ごそうと朝からTVでオリンピックを見、朝食は昼前のブランチと云うことになった。

鯵の開きを焼き、冷奴に糠漬け、卵焼きはチーズ入りのオムレツスタイルに。昨夕の残り物、かき揚げとカボチャの煮物。野菜サラダであった。車の運転もしないのでビールを飲むことにした。

               

ビールは「コロナ」である。新型コロナ菌の代わりと洒落たのであろうが、佐賀のNAKAMURAさんがアマゾンから届けてくれた品である。

そんな一日も漸く雨になり、夕暮れを迎えようとしている。雨空でいつもより日暮れが近いのだ。

ここ数日従姉の体調が良さそうで、今夜も食事に来る予定だ。かといっても、さしたる菜があるわけじゃないが・・・。

 

 

 

 

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誕生日

2021-08-05 | 弁当

8/4(水)八月四日といっても、既に日付変更線をまたいだ深夜。と云うことは、五日になっている。が、眠れぬままに起きているので気分は四日である。

タイトルを「誕生日」としたのは亡母の誕生日が八月四日だったことに因む。

亡くなって丸三年を月末に迎えるが、存命であれば九十八歳を迎えた。「百までは生きろよと」言ってきたが・・・。

仏壇に朝のお供えをし、母の誕生日を思いながら「母はありて子あり、父ありて我あり」か!。などと当たり前のことを思いながら不出来な子を育んでくれたことに感謝の念を強くした。

生前にはそんなこと思いも考えもしなかったのに不思議なものである。それだけこっちも老いたのか、彼岸に渡る日が近づいたと云うことかもしれないな。

ここ数日、その両親が残した古家の掃除や庭の樹木の手入れに汗を流している。普段使わない二階も掃除機をかけ雑巾がけまでした。のろのろとやるんで時間ばかりを要したが。布団を干し、窓ガラス・テラス・網戸も綺麗にしたので、いつ来客があっても大丈夫だ。

中庭の樹木の剪定は庭師を頼んだが、これが多忙でお盆過ぎにならないとこれないとのこと。

致し方ないので気になった枝だけ応急措置で自分で刈ったが、これが大事だった。脚立・長梯子をかけての作業になるのだから。へっぴり腰で脚立や梯子に載り二日がかりで一本だけ剪定らしきことをやった。お陰で庭師のありがたさ、時間の掛かりようと手間賃の高さにも納得した。

両親が残した家なので私は疎かに出来ない。捨てるわけにはいかないが、何れは負の遺産である。実家が残っているので帰ってくる、来ざるを得ない。

何も持たない、これが一番いいのかも知れない。在るが故に捨てられず、縛られている。田舎者の宿命か?。自縄自縛と云うやつだねぇ~。

然し、物事を否定的に考えても仕方ない。有るがままを受け入れて楽しむ!。掃除も剪定も、田舎暮らしも、全てを受け入れて楽しむに如かず、か!。

と云うことで、一昨日は自家製の「塩漬け筍と切り干し大根の煮物」自分で捕った川海老のから揚げ、糠漬け、妹が届けてきた鮎の塩焼きなどと田舎ならではの食生活。十二分に楽しんでいるか・・・。

               

話が母の誕生日から思わぬ方向に行ってしまったが・・・。

今一番の困りごとは雨が、雨が降らないこと。梅雨明け前、雨雨雨で参ったのに、その雨が待ち遠しいのは植物たちのためだが。こちらは二週間以上もカンカン照りです。

今度、雨が降ったら報告します・・・・。

 

 

 

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