オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

早いものだ・・・

2016-11-30 | Weblog

11/30(水) 11月も今日で終わり、明日から師走となる。一年の速さを、相席した「ちょっぷく」の常連から昨晩も聞かされたところだが、本当に早いと実感する。

11月の半ばに、BLOGを始めてから丸八年を迎えた。従って弁当の方は八年半となるか。父親が亡くなって四年、五百円玉貯金の方は、スタートしてから丁度一年を経過したところで1200枚程は貯まったか(このペースなら、来年中には目標の二千枚を達成できそうだ)。サラリーマンを辞めてから十四年と半年、生涯現役と思ってスタートしたが、こう歳月の流れが速いなら早目に一区切りし、次のステージを考えなくちゃならない。田舎で遊び半分の飯屋でもやるのも面白いか?

年の瀬が近くなると、来し方行く末が浮かんでくるが、明暗はあるが、名案はない。これも致し方なしか・・・・。

移転した事務所は窓が広いので日当りだけはいい。その窓側に移転祝いで頂いた花を置いたが、暖か過ぎて管理が難しい。尤も管理らしきことをやっておればのことだが。頂戴した先へは、取り敢えず礼状だけは出したが、お目に掛かって礼を言うべきだが腰が重い、頭ならぬ足が痛いのだ。

                       

 

さて、今朝の弁当は「肉じゃが」であった。脇固めは「ブリ漬け焼き」と冷凍コロッケを揚げ、小松菜の胡麻油炒めであった。

昨日の午後、書店に行ったが、その帰りに「日山」に寄り牛小間と豚ロースカットを買ったのだ。そんな次第で、今朝は肉じゃがにすると決めた。明日は、トンカツかも?

そして、駅前の東急ストアにてシラタキとブリ切り身を買ってからの帰宅。折角メニューが固まっていながら、今日の弁当は一つだけだった。

                      

因みに、肉じゃがにはトロミを付けています。ブリ焼きは、酒・醤油・味醂に千切り生姜で漬けに、衣を付けてソテーしている。

                           

余談ながら、長女は来年の三月末で仕事を辞めると言っている。大切な時期だから、子供の傍に居てやりたいそうだ。そうなれば、弁当は要らないだろうな、晩飯を食べにくる機会が更に増えそうだが。

俺の弁当作りも来春で九年となるし、小僧も家を出るので残り菜を喰うやつもいなくなる。弁当作りも潮時を迎えるかな・・・・・。

 

 

 

 

 

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胃薬

2016-11-29 | Weblog

11/29(火) 二週間ほど前から胃と云うか、食道の下部が痛むようになっていた。飲食をするとてき面だが、してなくとも痛むようになっていた。家人に訊くと「逆流性胃炎」じゃないのと、軽くいなされた挙句「年寄りに多いのよ」とまでつれない言葉がつづいた。これまで胃や食道が痛くなったことは皆無。鉄の胃、無神経の胃を誇っていたのに・・・・・。

『ばかやろう・・・』と内心毒づきながらほっといた。が、先週の祝日の前夜の大虎で翌日から猛烈に痛み出した。飯も飲み物も口にしたくないほどになっていた。祝日明けにそれをYOSHIOに話した。彼も逆流性胃炎で胃酸が原因じゃないかという。そして薬をあげるよと、翌日自分が服用している胃酸を抑える錠剤を六錠くれた。

YOSHIOは三・四年前になるが、胃の大出血で死にかかったことがある。それ以来、この薬を処方されて服用しているとのこと。プラシーボ効果と云うやつもある。俺のようなシンプルセルにはピッタリだと、YOSHIOとのコーヒータイムの時に早速飲んだ。

処が一時間もしないうちにミゾオチ辺りの不快感が取れてきたのだ・・・・。以来、あの痛みは無くなった。薬の方も今朝で無くなった。YOSHIO曰く「胃の粘膜は回復力が早く、すぐに新しい粘膜ができてよくなるんだ」と、利いた風なことを言いやがった。医者からの受け売りだろうが、これで完全回復となるか、或いは更なる試練が待っているか楽しみである。

序でにYOSHIOに言ったのは『足の甲の痛いのと、関節の痛みを取る薬も頼むよ。それにゃ、お前さんも同じように痛くなって医者にいきな』と。やつは「バカヤロ~・・・」と言っていたが、あいつのことだ、きっとやってくれるだろう・・・・。YOSHIO診断によると、足の甲の痛みは痛風だという。ならば、そろそろ治る頃合いだが。

 

昨夜は七時前に会社を出た。「ちょっぷく」で軽く一杯だけやって帰ろうと思っていた。風邪が完治してないし、痛風の気もあるので自粛しようと思っていたのだが・・・。会社を出て右折して直ぐが焼き鳥の「こま吉」 -事務所の移転で目茶近くになったのだ- なのだ。チラリと横目を使うと、なんと悪徳不動産のマッチャンがカウンターに独りで居た。

これじゃ素通りができない、と店に入って合流した。彼が飲んでいたのと同じホッピーをオイラもオーダーした。四方山話を少しして、二杯のホッピーで切り上げて、10m先の「ローカーボ」へ。先に居た常連二人を出汁にしてハイボールを二杯。NAKAMURA大将と相棒のONODERA御大が姿をみせ「さっきまで、ちょっぷくに居たんだ」とのこと。またしても、大将から佐賀土産の酢昆布を頂いた。『私の毛にご配慮を賜り忝い』と、丁重な礼を。笑ってたよ・・・・。

最後に独り「ちょっぷく」に寄る。白ワインを飲みながらYAMAちゃん店長と雑談。どんな話をしていたのか、早や記憶にない。それぐらい軽い話と云うことだ。助っ人隊のミムラッチが来たので、バトンタッチをしてメトロ駅へ。時刻は、九時を二十分ほど過ぎたところであった。

学芸大学駅の改札を出ると十時と早かった。駅を出る直ぐ左手に在る「サボテン」が店仕舞い前の30%引きの札が下がっていた。貧乏人の性を発揮し、明日の弁当用にとトンカツを・・・、売り切れでメンチとエビ&イカフライが一っづつ。行きがかりで、仕方なしにこれを買っての帰宅となった。

 

で、今朝は四時前に目が開いたのだ。早くから蒲団に入るとこれだから困る。勤勉の欠片もないOYAJIは、ラジオ深夜便を聴いて時間を潰すのであった。六時半に台所に入り、今日の弁当事始めとなった。

昨晩買ってきたフライ物で「カツ煮」を、「ピーマン肉詰め焼き」「根菜煮物」、最後にオムレツ風卵焼きでお仕舞。根菜煮は、大根・人参・蓮根・薄揚げに竹輪が入った、出汁は日曜日に採った二番出汁を使用。

                          

カツ煮は正直なとこ、駄目だネ。メンチをカツ煮にしちゃイカンザキだったよ。菜の方は、何れもタップリと出来た。家人からは「来週から沢山作らないでよ!」と、釘を射された。が、これは、残りの菜で朝飯を喰ってる小僧が、週末から家を出る(漸くにして)のだ。そのことに起因している。

のんびり、チンタラと菜を作っていると「お弁当!有るの」と、長女が姿をみせた。何時の間にや七時半を廻っていた。明け方前に目覚めているので、時間の感覚をなくしていた。大急ぎで弁当箱に詰め込んだのである。

                             

何となく胃もたれをしていた、アイスコヒーで飲もうとして。ハタッと思い出した。サイダーが昨日届いていたのだ。金曜日の物産展で注文した能勢酒造の桜川サイダー&ジンジャーエルが一箱。これだ、これだとコーヒーを止めてサイダーに・・・。

                             

口当たりと喉越しのまろやかさが良い、炭酸のあたりも柔らかで優しい。優しいながらもほど良い刺激が、仄かな甘味とともに喉を越していった。美味いね~、これだと孫の“空”にみんな飲まれちゃいそうだ・・・。となれば、また注文するか・・・・・・。

 

 

 

 

 

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四十年前の・・・

2016-11-28 | Weblog

11/28(月) 先週金曜日の午後は池袋サンシャインで開催が始まった「ニッポン全国物産展」を覗き、知り合いの能勢酒造・桜川サイダーさんの店に寄り注文。それから出店の全国の産品を見て廻った。これといった物や、欲しいと思う品は少なかった。が、利尻昆布と徳島・板野郡の漬物だけを買った。

利尻昆布は出汁昆布の王様だ。師走、TUGAWAさん宅を訪問した際に「鮎飯」を作ると大言壮語したので、その時に備えて出汁を採るために買った。鰹節は、先般ニンベンで贖ったものがある。漬物の方は、板野郡上板町に先輩のOBOSHIさんが居られるので敬意を表した次第だ。

池袋から錦糸町へと移動。錦糸町のホテルで恒例開催の「関東大高知県人会」なる郷里の会に参加。出身町の関係者、出身高校の関係とかあって、可能な限り出席するようにしてきた。今回は、町長が初夏の選挙で交代し、初めて顔を合せた。町長・副町長に議会の副議長の三人が上京していた。

副議長の方は私の同級生の弟であり、何度も顔を合わせているが、町長・副町長とは初めて会った。とはいいながら、今や人口三千人をきった田舎町のことだ。何処かで繋がりがあるのだ・・・。話をしていると、ホテルは渋谷、挙句に「奈加野」に寄りたいとのことだった。居合せた在京・安田会NISHIOKA会長に予約をしてもらった。

県人会の方は例年どおり、よさこい踊りがあり、県出身のミュージシャンが出演し、福引があって、飲み食いしてお仕舞だ。何しろ参加者が多いので、てんやわんやなのだ。そんなことで、ひと足先に渋谷へと抜け出した。こうしないと、クロークで「わたし待っ~わ !」になるのだ。

「奈加野」の賑わい・大入り状況を久しぶりに目の当たりにした。つい先日の祝日には閑古鳥が鳴き、オヤジは泣いていたのが嘘のような賑わい!。予約を入れて貰ってよかった。待つこと暫し、総勢七名となり、奥の入り座に落ち着くことができた。生ビール・焼酎と飲りながら故郷の再生、活性について余計なことを口走るのであった。

加えて、オヤジが座り込んでああでもない、こうでもないと半惚け話を延々とするのだ。これじゃ時の過ぎ行く速さに夜も更けようと云うものだ。酔っ払ったら、口煩さにかけては負けちゃいねぇが・・・・。

と云う週末の夜であった。風邪の方も良くなったかと思いきや、これが駄目。咳・痰・洟垂れと、治っちゃいない。と云うより、夏場の台風のように、ひと回りして戻ってきやがったか・・・。そんな状態だったが、和風の朝食を作り缶ビールを一つ。

そして昼前に新橋へと出掛けた。新橋「美々卯」にて、三年ぶりに昔の上司・先輩方との懇談会である。事務所の移転を、当初はこの日に予定していた。が、一週間早めたのでゆっくり出席することができたのだ。

「四十年前」、二十代も最後の頃の職場。電気通信が独占・半官半民と云う時代のことだ。そりゃいい時代さ、過去りしものが全てそうであるよりも、更にいい時代であったのは間違いない。但し、これは時代と云う流れの緩やかさのことで、その流れの中でさえも厳しいことや難しいこと、大変なことは当然あったろう。

然し僕らが居たそこは、殊の外流れがゆったりとしていた。と、僕は思うのだが・・・・、世間知らず由へか ?。個人的な見地で云えば、楽をさせて貰っていた、楽をしていたんだな。その分、夜な夜な酒場で武者修行に励めたと云うことだが。

前置きが長くなったが、四十年前の課長を囲んでの会が三年ぶりにあったのだ。一口で課長と云うが、公社時代の本社の課長様だ。今の、各省庁の課長と同じ偉さですよ。三年前の米寿祝い、その数年前の叙勲祝いと、数年に一度の顔合せだが、年々参会者が少なくなるのは致し方ないか。大半が地方に、近郊の皆さんも高齢や病気、はたまた物故者も多くなっている。

土曜日に集まったのは総勢七名と淋しい限り。ながら、「来れる方が、来られればいいんじゃないですか」と、NAGAO元課長さんは喜んで下さった。元課長の近況、そして全員の近況。四十年前の思い出話と尽きない。

当時の課長補佐MORIさんは、リタイしてからネットで株取引を継続している。子息は某メガバンクの常務取締役とかである。そのMORIさんが、「ARIさんと、;北海道に出張したよな」と、昔話を。すかさず『オホーツクカントリークラブっていう、9ホールのゴルフ場でゴルフやりましたネ』とバラスも『あれは土曜日でしたよね』とフォローも忘れない。

当時の北見通信部長がMORIさんのかつての上司だった、そんなこともあって北海道の製紙工場視察後に北見に行った。それも、札幌であった通信部長会議後の、通信部長の車に同乗して延々と北見まで走ったのだ。助手席に座っていたけど、肩が凝ったのを今でも覚えている。

今、思いだしたが、帰りの便は当時あった東亜国内航空だった。その便にフライトしていたスチュアーデス(当時はそう呼んだのよ、CAと呼ばなかった)が、後輩と一緒になったEIKOちゃんだった。羽田到着前に、キャンディを袋一杯にお土産で貰ったのだ。

後日、MORIさんは、「スチュアーデスさんからお土産を貰った、と息子に自慢したんだ」と言っていた。羨ましがったその息子が、東大を出てメガバンクの常務と云うことか・・・・。四十年と云うのはアッと云う間ながら、結構長い年月なんだ。

さりげない中での息子や孫の自慢、大いに結構だ。そういう立派な子供達を育て、孫の成長を見守ってきたと云うことだ。他人の幸せと喜びは、我が喜びだ。豊かに老後を送れるだけの人生を、拓き歩んで来られた方々である。引き換え僕の場合は、ささやかに生きるのみだが。

幹事役のEGAWAさんが、際限もなく酒を頼む。NAGAOさんから大枚の御芳志を頂戴しているので、ドンドン使ちゃおうと云うことか?昼間からそんなに飲ましてどうすんのよ?と言いたいぐらい酒がでた。酔っちまったょ! 三時過ぎに散会となり、SHOUDA補佐(当時)とAOKI先輩の三人でお茶をして暫し休憩。帰宅は五時前であった。この間、ず~っと洟垂れがつづいた・・・。

日曜日、症状は前日と同じ。一日、部屋に垂れ込めることにした。やったことは一つ、夕方になって「出汁」を採って鮎飯を炊いた。TUGAWAさん訪問の練習である。沢山採った出汁は、冷凍にして保管し料理に使うのだ。

 

そして今朝、相変わらずスッキリしない風邪さんながら、弁当を作ることに。味付けロースカツを焼く。もう一つは「アスパラ&人参の豚バラ巻フライ」、そして「焼き鮭」と、シンプルな弁当である。何んの創造性もない、焼いて揚げて詰めて、お仕舞である。

                     

 

今週の後半は、オフィシャルの飲み会がつづく。前半でスッキリとしたいものだが・・・・・。

 

 

 

 

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2016-11-25 | Weblog

11/25(金) 昨晩は悪徳不動産マッチャンからの招待で「高嶋家」で鰻のコース料理を馳走になった。HOYA兄いとNAKAMURA大将の四人でタップリと頂いた。焼き鳥や甘鯛・百合根の茶碗蒸しなどもあり満腹満タンで苦しかったねぇ~。此の夜の会食趣旨は、これまで散々パトロール隊に世話になったことへの恩返しだとか?

前半戦の売り上げが思わしくなかったのが原因のようだが、ここにきて一挙に挽回で懐が暖かくなったようだ。まずはめでたい限り・・・。然し、コース料理は胃に重かった。

その後の二次会「ローカーボ」へは、仕事のこともあったので辞退した。マッチャンからのメールだと、皆さん満腹で早々にお開きになったとのこと。私の帰宅も、胃もたれと風邪の疲れもあり22時30分と早かった。

早くから蒲団に潜り込み、アダモを聴きながら眠りに就いた。お蔭で深夜3時半に目が覚めてしまった。ラジオ深夜便を聞きながら、リタイア後の構想などを思い浮かべていた。田舎の産物で『飯屋』でも遊びにやるのもいいか、などと。ジビエや鮎、軍鶏にイタドリなどを提供する店を週の半分、完全予約制でやるのはどうかなどと、しようもないことを思い浮かべて時の過ぎ行くのを待った。

 

頃合いを見計らって弁当作りに入る。今日は残りご飯で「炒飯」となる。菜の方は、これも半端な食材の整理で「アスパラ・インゲンの豚巻焼き」「人参・筍・水餃子の煮物」「メカジキ焼き」「茄子と挽肉の味噌炒め」「小松菜の卵とじ」、以上となった。

                          

マスクをしたままで調理をしていたら、味付けの方がいい加減になってきた。途中からマスクを取っての弁当作りに・・・・。どうも、今日の味付けはいま一つのようだ。

                             

弁当は家人用の一つだけ、長女は深夜勤務明けとのことだ。

 

今夕は「関東大高知県人会」とか云う郷里の会が錦糸町のホテルである。大仰なネーミングと、錦糸町のホテルという処が田舎臭くていいね?先輩が何人か姿をみせるだろうし、郷里の町の関係者もやってくる。義理固く顔をだすのも一興と思っている。その前に、池袋サンシャインで開催が始まる「ニッポン全国物産展」に顔を出す予定だが、これも義理を果たすためだ。

 

 

 

 

 

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雪が・・・

2016-11-24 | Weblog

11/24(木) 11月に降る雪は54年ぶりとかで、TVの天気予報士たちは大はしゃぎで喋っている。雪といっても大したもんじゃない、北国の人は鼻先で笑わうだろうのものだ。南の国に生まれた小生には、それでも何となく気分が高揚するのだ。

例えば、アダモの「雪が降る」でも口ずさみたくなるような、そんな気分になる。今夜はアダモのCDでも聴くことになりそうだが、正気で家路を辿れればの話。

火曜日の夕、古くからの知り合いのM氏が人形町まで来てくれた。M氏は、サラリーマン時代の系列の印刷会社の出先で営業をしていた。そこに、私の大先輩が再就職をした。そんなご縁で、親しく話をするようになったが、杯を交わしたことはなかった。その後、M氏は転職したが、営業先がNグループと云うことで、間々顔を合わす機会がある。

前々から人形町に誘っていたのが、火曜日と云うことになった次第。生憎風邪で鼻水を垂らしていたのだが、初見でドタキャンするも申し訳ない。ドリンク剤や風邪薬を飲み、後はやけくそだった。飲めゃあ治るだろうと・・・。

M氏は五時に登場、先ずは「うまし」へと案内した。店には客の姿が一人、これが悪徳屋のマッチャンだった。五時から一人酒とは余裕と云うか、駄目オヤジと云ううべきか・・・。僕らも駄目オヤジの仲間入りで、隣に座った次第。日本酒や焼酎を飲り、二軒目は路地の100m先の突き当りに在る「ちょっぷく」へ。

この辺りから風邪のことなんぞは、すっかり忘れていたようだ。YAMAちゃん店長を相手に白ワイン何ぞを、超デカグラスでやっていた。ここで小一時間やって、M氏とは別れた。ここから独りで「ローカーボ」へと散歩。悪徳屋のマッチャンが、何時の間にか姿を見せた。暫くして「SEIJU]へと流れ、悪徳商店の下手な唄を聞いていたが・・・、この後の記憶は定かでない。気が付いた時は「お客さん電車はおわりましたよ」の駅員の声だった。

                            

人形町駅のホームに在るベンチで瞑想に浸っていたようだ。『何で早く起こさないんだ  」と文句を言うと、「おこしましたが、いんだいいんだ。と応えました」などといい加減な返事が返ってきた。バカヤロー電車意に乗るからホーム―に居るんだ、と云った処で後の祭り。ヒバリのお祭りマンボだぜ(意味わかる人は何人いるかだが)。

そんなことが在って、昨日は体調悪し。風邪の方は小康状態となったが、胃と云うか食道と云うべきか、その辺りが痛む。ここ二週間ほどそんな状態が続いているが、この日は殊の外酷い。食べると痛い、食べなくても痛いのである。吾輩は痛いのである、猫でなくてよかったが・・・・。

元気に過ごした翌日は、元気がない。前の日に、今日の分の元気を使っちゃってるからネ。こればかしは、しょうがねぇか。で、一日中我が陋屋に立てこもった次第。

そんな一日でありながらも、家人が仕事だと聞き「オムスビ」弁当の用意をした。鮭を焼き、梅干しをほぐして二種のオムスビ。これに「牛小間炒め&インゲン・ピーマン・タマネギ添え」「小松菜・インゲンと厚揚げ煮」「卵焼き」を用意したのである。

                       

 

今朝になって、外を見ると小雪交じりの雨が・・・・。予報より雪の舞うのが早いが、冷え込んできたと云うことか。私の方は寒さを感じない、まったく寒くなかった。そんな中で今日の弁当だ・・・。台所に入って、先ずは予定メニューの食材を並べてみた。

                            

メヌーは、 「 チンジャオロ-ス 」と「鰤焼き」「出汁巻卵」に「シシトウ&シメジ炒め」である。ブリは昨晩に駅前のスーパーで買った切り身だが、大きいが脂が載ってない。塩焼きと、漬けの衣焼きの二種にした。

                    

今日の弁当は、家人と長女の二人分であった。

                      

 

 

 

 

 

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風邪・・・

2016-11-22 | Weblog

11/22(火) 愈々、風邪が本格的に侵攻を始めた。昨日の午後から鼻水が止まらない、今朝になって喉がガラガラし始めておまけに咳までするようになった。この程度で終わってくれればいいのだが、さてどうなることやら。今夕から週末にかけて、夜の部の予定が埋まっていると云うに・・・・。

昨夜は早い時間に帰宅し、早くに床に就いた。全ては風邪さん退治の為であるが、効果は表れない。尤もと、深夜の三時半に目が覚めてから眠れなかった所為もあろう。

されど、風邪はひいても弁当は作る。「OYAJIの一徹、風邪をも忘るる」と言いたい処だが、ヨタヨタしながら弁当を作っていたのだ。昨日紹介したあの杓子は、無残にも二つに千切れてキッチン台の上に転がり、侘びしさを誘った・・・。

そんな思いを振り切って、弁当だ!と、今日のメニューを検討する。

浮かんできた一つ目は「蒟蒻と万願寺&油揚げの煮物」、ついで「パスタサラダ」であった。パスサラは、キャベツ&人参にゆで卵を加えたものになった。焼き魚は「鯖の文化干し」、美味くもないがこれも賑わかしだ。

                           

最後に着手したのは「ピーマンの肉詰め」だが、これはスープ煮にした。

                             

今日も弁当は一つであった。

 

 

 

 

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移転終了

2016-11-21 | Weblog

11/21(月) 事務所の移転もこの土日でなんとか終わった。土曜日の雨が、幸いにも大雨にもならず昼前には上ってくれたのが幸いであった。然し、引っ越し疲れか、はたまた段ボール箱を抱えてかいた汗で冷えたのか風邪引きになってしまった。今日になって鼻水が止まらない・・・。

                     

「目ヤニ女に風邪ひき男」というのが色っぽいとされているようだが、そのうちに小鼻が赤くなり皮が剥けてくるぜ! そうならないうちに治したいところだ。それには家の中に垂れ込めて、外のばい菌から謝絶するが一番。が、午後にはUDAさんが訪ねてくれると云うし、夕方には「高松」から祝いソバが届くと云う。

                          

                            あっと云う間に狭くなった

枯れ木のような洟垂れオヤジでも居ないわけにはいかんのだ。となると、明日あたりが危ないのだが、明日の夕には知り合いが来て一献の予定。今夜中に風邪を治すしかない。ユンケルの一番高いやつでも飲むか!・・・・。

結果は、ユンケルの高いやつならぬ、薬局が勧めてくれた三本820円(税込)のドリンクに落ち着いたのである。駅前のあの薬屋は、俺の財布の中が読めたようだ。

移転した事務所でいいとこが一つ。長いベランダにそって全面ガラス窓で明るい(但し、夏場は暑いだろうが)。その窓の外は、100mほど先まで開けている。二階建ての仕舞屋が僅かに残っているのだ。いつまでこのままなのか判らぬが、見通しが利いて明るい。

                          

移転後の片づけが早く終わって、落ち着きたいものだが…。暫くは掛かるだろうね、仕事と一緒で切れもなければスピードもないのが特徴だから?

 

引っ越しや仕事と違って、切れもスピードもあるのがオイラの弁当作りだ。今朝は六時前に着手した。と云うのも、九時前に前の事務所の電気コードの撤去を依頼していたのだ。その立会があり早目の弁当作りなのだ。

メニューの方はシンプル。スピード第一に考えて「鶏肉と大根の煮物」。これは組み合わせとしては例外だが、大根の味がよかったので鶏肉とで炊き合わせてみたのだ。他には、「メカジキのソテー」と「インゲン・ピーマン&ネギのオリ-ブ炒め」「豚小間炒め」であった。

長女は風邪で熱が出たとのことで弁当不要。今日も一人ぼっちの弁当となった。人生とは、孤独というものさ。

                            

その孤独な人生の大半を共に歩み、朝な夕なに支えてくれた杓子が愈々だめになった。独身時代から台所で汁や鍋の友としてなくてはならぬ存在でありながらも、ひと言発せず、何も語らずにきたアルミの杓子。

今や民族博物館に鎮座していてもおかしくない、存在だけで歴史を物語、伝えることができる。そんな杓子である。長いながいあいだ傍にいたことになるが『愈々駄目だな』と言った今朝のこと、「それは、あなたが独身の時に使っていたのを持ってきたのよ」と言ったのだ。道理で手に馴染み、何の違和感もなくこれまできたのだ。

随分と古くさい代物だとは思ってはいたさ、それでも捨てがたかった。替えろとは家人に言わなかった。それが、今朝の弁当事の始末で洗い物をしていると、細くなっている中ほどがクニャリとなったのだ。前々から傷んではいたのだが、洗っている最中に曲がった。元に戻したが、もう半分ほどが千切れていいるのだ・・・・。

                             

本当にご苦労様でした、お疲れ様でした。そんな思いで、多分四十数年に渡って役立ってくれた杓子を紹介・公開してお別れを告げる。 - サヨナラ!杓子さん!- 。

 

 

 

 

 

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トンカツ

2016-11-18 | Weblog

11/18(金) 事務所の移転を明日に控え大わらわの今日。明日の天気がよくないようなので、それが気掛かりなところだ。先日、移転をお願いした引っ越し業者の社長と「天気がもつことを祈りましょう」と、誓いを交わしたのだが・・・・。

細かい処はスタッフ任せなのだが、気にはなる。気にはなるが、自主性に任そうと見ぬふりをするばかり。土・日と早くに会社に出ないといけないが、この鈍った体と頭では心もとないな。かといって、泊まり込むほどのことでもない。明日は明日の風が吹く、雨でなければ幸いだ。

 

さて、今朝の弁当は「トンカツ」だった。昨日は「ピーマン肉詰め」と「エビフライ。揚げ物が好きなコッテリオヤジの本領を発揮しつづけている。

先ずは今朝の弁当だが、トンカツとインゲンのフライ、大根と薄揚げの煮物、焼き鮭と卵焼きであった。中でも大根の煮物が絶品であった。

                         

昨日は「エビ&タマネギのフライ」と「ピーマン肉詰め」「小松菜の油揚煮」、卵焼きであった。

                      

こうして並べて見ると、変わり映えもない同じような物のオンパレードだ。もっと弁当作りを遊ばなくちゃ駄目だなぁ~。

 

昨夜は「松茸ご飯」「松茸の吸い物」「松茸のスキ焼」と、あの超デカと傘の開いた香り上々の松茸を食した。松茸ご飯は土釜で炊き上げた甲斐があって上々の出来であった。引っ越し準備の合間に、YOSHIOの耳元でこのことを吹き込む。と、実に嫌な顔したぜ

 

 

 

 

 

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こってり弁当

2016-11-16 | Weblog

11/16(水) 昨夕はサラリーマン時代のOB会理事会で、N社品川ビルのOBサロンへ。議題らしきものは少なく、雑談的なことで一時間の会が終わった。その後は、恒例の懇談会がラウンジであった。今年最後の理事会なので、早々と忘年会を兼ねての懇談会。二時間強の間、雑談会がつづいた。

このビルには、二年程新任課長の頃に勤務した。四半世紀以上も前のこととなったが、当時の思い出が詰まっている建物である。懇談会の折にも話題になったが、今思うといい時代であった。過ぎ去った時代と云うものは、そう云うものなのだろう。帰りのエレベーターに乗って来た現役に、「ご苦労様」と声を掛けたい思いであった。

何時もの二次会への流れもなく帰宅となったが、前夜の睡眠不足もあったので助かった。学芸大駅に降り立ったのは20時を廻った頃合い。目の前の東急ストアにて今日の弁当食材を二品ほど漁ってから帰宅した。生鮭の切身と豚小間肉であるが、これで今日の弁当の二品が決まったも同然・・・。

今朝も深夜に目覚めた、どうやら酒精が抜ける頃に目が覚めるようだ。それから二時間ほど本を読みながら眠りを待った。五時に近づいて漸く眠くなった。コの時間からの眠りはやばいが・・・、目を覚ましたのは六時過ぎ。目覚ましをセットしていたのだ。転ばぬ先の杖と云う次第。

 

米を炊き、菜を作る。何時もの作業ながらメインは決まっているので余裕である。生鮭は、塩胡椒をし衣に軽くまぶしてからオリーブオイル&バターでソテー。皮の部分は焦げ目が付くまで焼いた。

豚小間は、焼き肉のタレで炒め焼き。タマネギとシシトウを添える。もう一品、鶏肉の出番だが、大根と一緒に煮るか?唐揚げか?と、迷った末に「親子煮」にした。長女は「親子丼弁当」だ。最後の一品は「卵焼き」だが、小ネギを刻んで入れた、ネギ卵焼きとなった。

                            

以上で今日の弁当の完成である。が、いづれの品もコッテリとている。こってりオヤジのコッテリ弁当だ。作りに凝ってないのが、味噌か

                              

 

 

 

 

 

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柿&松茸

2016-11-15 | Weblog

11/15(火) 昨日の午後便にて高知から帰京。日が暮れる前に会社に入った。東京も汗をかくような気温であったが、郷里と同じく小雨が降っていた。

今週の終末には事務所の移転がある。その準備などで落ち着かないが、不在中にも予定とおりにスケジュールは進んでいた。六時半過ぎに何時ものメンバー、人形町パトロール隊のHOYA兄い、悪徳不動産マッチャンと「高松」で懇談。マッチャンとは移転のことで話もあった。今度移る事務所は、西へ200m程のとこだが、仲介はマッチャンである。

「高松」の後は「ちょっぷく」で安ワインを飲り、所定時刻の22時を廻ったところでお開きにした。時間厳守はオトコのけじめさ?

蒲団に入ったのは零時前であったが、夜中に汗をかいて目が覚めた。電気もラジオも点いたままであった。それから眠れなくなってしまった。電気もラジオも消したのだが・・・・。眠れそうで眠れない、朦朧としたまま時だけが進んでいた。

六時半、蒲団を抜け出して弁当作りに入った。今日のメニューは「松茸ご飯」と「牛焼肉」と、前夜に決めておいた。脇を固めるにはもう少し菜が欲しい。其処で、野菜煮と小松菜の卵とじ、鯖文化干し焼を加えた次第。

                       

残念なのは、今日も家人一人の弁当であること。長女は今日は休みとのことだが、折角の「松茸ご飯」だ。後で食べに来るようにと、メールを送って貰った。

                       

 

「松茸」を東京で捌いてほしいと、田舎にいるKATUOが送ってきたのは今月の初旬だった。あれからまた、KATUOは山に入っていた。それも二度三度と通ったようだ。帰郷した翌日の晩飯会に、kATUOは松茸ご飯を持参したのだ。そして、帰京の前夜の晩飯会に、これみよがしに持ってきたのが、写真の松茸だった。

傘が大きく開いたのが二本と、これまでお目に掛かったことのない超デカの松茸が一つ。こいつの大きさにはビックらこんだった。築地の市場でも、こんな大きいのは見かけなかった。傘が開いた松茸は香りがいい、超デカは300gの重さだとか。

                          

『持ってきたと云うことは、俺に渡そうと思ってのことだろう』と、若干の惜しそうな表情もあったが、頂戴してきた。それと、冷凍して大事にとってあった「天然うなぎ」もゲットしたのである。KATUOのお蔭で、山・川(昔の映画にでる合言葉みたいだが)の珍味を味わえる次第だ。

帰省した翌日は、従兄の家に甘柿(次郎)を採りに行き、山のようにもいできた。土曜日は柚子の収穫、併せて畑の渋柿を取って干し柿にしたのだが、これがひと苦労さ。百個ばかりの柿の皮をむくのに三時間ばかり要し、紐で縛って振り分けて吊るした。

               

                        庭先の次郎柿  と   干し柿

 日曜日は昼前から前日に収穫した柚子搾ったが、十ケースの柚子を手作業で搾るので五時間も掛かってしまった。大凡、40リットル程の柚子酢が採れた。

 土曜日の夜、従姉達との食事が終わった後の独り柿の皮を剥いた。 ― そう云えば、四年前のこの頃。親父の手術に立ち会あってから実家に戻り、今夜と同じように渋柿を採ってきて皮を剥いて干し柿にした。そんなことを思い出した ― 。親父の入院で畑の渋柿を採る者がいなくなった。代わりに私が皮を剥いて干し柿にしたのは、手術に立ち会って戻った十五日の夜、丁度今日の日だった。

それから三日後に親父は急逝した。あっけない、死の訪れであった。柿の季節になると、あの時のことが甦る。

郷里では連日従姉達との晩飯会だが、今回も同じよな物ばかり作った。野菜(茄子・カボチャ等と厚揚げ・薄揚げ)の煮物、ピーマン肉詰め・ロールキャベツ、トンカツにカツ丼、銀フグのナベ、刺身、鮎飯などであった。これでまた、過食となった!

                            

月一度、束の間ではあるがリフレッシュと大食。採れたての野菜に天然新鮮の魚、時には猪・軍鶏・鰻と珍味が加わる。空気と米は美味い。贅沢な時間と云えよう・・・・・。田舎に感謝だよ  。

 

 

 

 

 

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