オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

桜の弘前

2016-04-26 | Weblog

4/26(火) 満開の弘前公園の桜の下で取材も順調に行った、行ったはずだ。原稿の上りがこれからなので、敢えてそう云おう。日曜日は午後から平和島にて半日遊び、充実の休日。と、これもそういうことにして、月曜日は弁当を手早く用意してから、羽田空港に向かった。

                         

青森空港には着いたのは11:45分で少し遅れた。途中の天候もよく、十和田湖や八甲田山が機窓からよく見えた。飛行機は珍しく陸奥湾上空から廻り込んで着陸した。何度も来ているが、記憶にある限り初めてのルートだ。

                        

空港バスにて弘前に着いたのは予定通りの13時。そこから弘前城跡の公園、桜の名所へと向かった。折足よく、気温も上がり満開だとか。待ち合わせ時間の13時半に大手門を潜って観光ガイドボランティアのブースに着いた。

                     

                        追手門   移設の天守 桜のトンネル   西濠

ライター、カメラマンはもとより、取材相手のNISHIZAWAさんとの対面・ご挨拶。早速城内を案内頂きながらの取材がスタートする。月曜日にも関らず人出が多い。前日の日曜日は、大手門前は車が渋滞して大変だったようだ。

今年の桜祭りは16日から始まったとか。例年は、23日からだそうで今年は一週間も早まったことになる。お蔭で、ギリギリのスケジュールで動いているこっちは助かったが。

ここの公園に来るのは十回近くなるが、そのうちで満開にあたったのは三・四回か。早かったり遅かったりとままあるのだが、桜は十分に見たとの思いがある。それでも取材だからね・・・・。

最古の染井吉野(明治15年)だとか、将軍吉宗の時代、正徳五年に京都から取り寄せたというカスミ桜(樹齢三百年?)や、園内2600本、五十種の桜が咲き誇っていた。

                        

                  最古の染井吉野               桜見へず

そして、石垣修理の為に77m動かした天守、その向こう遥かに雪を頂いた岩木山を望む。云うことなしの名所である。

                           

                                これはホテルから

そして夜は、かつての芝居サークル「ばっけ」のメンバー有志との懇談とつづき、弘前の昼も夜も満開。それにしても、二十年余の年月の流れは重いか。其々に齢を重ねたことを実感するのであった・・・・・。

                           

                           嘗ての女優陣

今夕に帰京したが、流石に弘前と違って江戸は違う暑さを感じた。

明日は高知だが、お土産の用意を忘れている・・・・。帰京は五月二日の夕となる。それでは、ご機嫌ように

 

 

 

 

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SAKIMAさん

2016-04-23 | Weblog

4/23(土) 昨夕、信濃町の慶応病院のエントランスの木陰にある休憩所でSAKIMAさんの打ち合わせが終わるのを待った。この日、SAKIMAさんは沖縄から上京し、慶応大学のスポーツ医学の先生と打ち合わせだった。それが終わった後で、数枚の写真撮影をお願いしていた。今月の初旬に沖縄を訪れて取材をした。

                               

その関係で撮影の追加と、その後にSAKIMAさんの慶応大学の先生との懇談に、私とHIROさんも加わるようになっていた。人どうしを繋ぐのが好きなSAKIMAさんらしい企てである。

小さな体のSAKIMAさんが大きなカバンを引いてでてきた。夕暮れが迫る中で大急ぎの撮影。暫くして先生方も出て来、急遽予約をしたという新宿の店に移動。西新宿の高層ビルが立ち並ぶ中にその店はあった。今夜は、予約で満席だとか。世の中景気がいいんだ?俺にゃ関係がない話だが・・・。

先生方とは初対面ながら、アルコールが進むうちにすっかり打ち解けていった。ここでの懇談は、三時間ほどに及んだか。HIROさんと慶応の先生が引き揚げ、残った上智大学の先生とSAKIMAさんを誘って渋谷へ。

                              

                            新宿センタービル別館「音音」にて

渋谷と云えば「奈加野」だ。当初、この店を予約しておいたのだが、SAKIAMさんが気を利かしたのか、先生の秘書に新宿の店を探して貰ったのだ。奈加野の座敷に上がって三人で焼酎を飲む。さっきの新宿では、地ビールからギネス、ハイボール、泡盛からワインと忙しかった。SAKIAMさんは泡盛を飲まないと落ち着かないようだが、奈加野では焼酎だ。

この焼酎「伊佐美」を、上智の先生は大いに気に入ったようだ。「最初からこの店にすれば良かったネ」なんて云う。そうさ、気を利かして俺は席を取っていたんだ・・・。と、言いたかったよ。

座敷で飲んでいたので気が付かなかったが、引き揚げようと座敷を出ると、店内の灯りが落とされていた。そんな時間までいたのだ。どんな話をしたか覚えちゃいないが、盛りあがっていたのは間違いない。それと、関節の具合が良くない店主が、SAKIAMさんが開発したCBプレイスを試着させてもらって「楽だ・・・、ほしいな」と喜んだ。

そんなことも含めて、この店を考えていたのだ。まあ、二次会でこれて良かった。SAKIMAさんを五反田のホテルまで車で送り、帰宅すると丁度零時であった。とても気分のいい酒だった。

 

今夕は北千住で昔の仲間との懇談、その帰りは人形町「ちょっぷく」に寄って競馬談義の拝聴か、或いは昼に駅のホームで出あった「こんぺいとお(祐天寺)」に義理の顔出しか?祐天寺に店を移って、今日が二周年と聞いてしまったからな・・・・。

明日は平和島で舟遊び、月・火曜日は弘前で満開の桜の下で取材だ。そして、水曜日から一週間帰省する。仕事をしている暇がねえゃ?

 

 

 

 

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オムスビ・・・

2016-04-22 | Weblog

4/22(金) 昨夕は20時に会社を出、小雨の中を「ローカーボ」に向かった。途中の「こま吉」に悪徳チャンの姿を発見し、手真似でローカーボの方向を示してから通過した。

「ローカーボ」にはHOYA兄いが一人、カウンターでマスターと雑談をしていた。雨の夜、こんな夜は人の足も止まらないのか。遅れてスタッフのAOKI君が加わった。更に、こま吉で小腹を満たしたであろう悪徳チャンが姿を見せた。オヤジ連は、腹の足しにもならぬ無駄話で盛り上がる。何時もの景色であった。

暫くして姿を見せたのは、秋にシンガポールへと赴任予定のMIYAKEっち。皆から向こうの情勢など訊かれて「まだ早い!」と云う塩梅だった。下見で行って来たのは承知しているが、そうそう事情に通じたわけじゃないだろう。赴任前に「皆さん、遊びに来て下さい。案内しますから」ぐらいのことを言う、芸ができればいいのだが・・・・・。

                            

悪徳ちゃんとMIYAKEっちを残して、ローカーボから「ちょっぷく」へと移動。安い白ワインを飲みながら競馬談義。だが調子が上がらない、前夜の深夜二時の目覚めが災いしているか。体調が芳しくない。隊長が、隊長不良とはオイラのことか・・・・。早や上がりで、23時40分の帰宅となった。

今朝の弁当は二つだが、長女は研修だという。それじゃ「オムスビ」にしようと、気を利かしたが・・・・。オムスビには定番の、鮭もタラコもなかった。それじゃと、挽肉で「肉味噌」と「鶏唐揚げ」「エビ天」を作り、ゆで卵を作る。後は、梅干しだ。

                             

炊き立てのご飯が余っていたので、瓶詰の五目寿司の素で五目御飯を少々作る。これもオムスビにし、肉味噌と梅干し、天ムスのオムスビを用意した。菜は、鶏唐揚げとゆで卵だ。

                                  

家人が菜のメニューを見て、「普通のお弁当がいいわ」なんて言った。仰せのとおりさ、所詮はしがない弁当オヤジだ。

                               

今朝の揚げ物はなかなか良かった。火を通し過ぎないのがポイントだな!

 

今夕は、先般取材で訪れた沖縄・金武町の佐喜眞さんが上京されるとのことで、お会いすることになった。HIROさんと、カメラマンのSUGITAも同道する。現地で摂った写真が不足している、ちょっと違ったアングルのが欲しかったので、助かる。

慶応大学で先生と打ち合わせがあるとのこと、その先生とも一緒に「一杯やりましょう」と云うのが佐喜眞さんからの連絡だった。サービス精神の旺盛な方である。ウチナンチューの気質であろうか、或いは佐喜眞さんが格別なのか。何れにせよ嬉しい限りだ。

 

 

 

 

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一人分だ・・・

2016-04-21 | Weblog

4/21(木) 今日の弁当は一人分、長女は夜勤明けだとか。こうなるとメニューに困るのだ。とは云いながら、2~3人分の量を作るのが常だ・・・。

冷凍のコロッケを揚げ、鶏肉と人参・蒟蒻の煮物を餡かけ風に。卵焼きはjジャガイモの千切をアンコにしたオムレツ風。鮭を焼いて、素麺を茹でてレタス・胡瓜で和えたサラダ風にする。

                                

どうってことのない弁当であるが、見た目は美味そうだ?と、自画自賛であった。

                             

昨夜は深夜二時に目覚め、明け方まで眠れなかった。あれこれと、人生の為になることが雲霞の如くに湧いてきたが、弁当を作っている内に胡散霧消していた。木瓜の考えにゃ棘も残らぬ、という処だ。中々いい例えじゃないか?

今夜は、これから雨も本降りになるとのことだ。水に流されぬうちに、早々に酒精に溺れにいこう!

 

 

 

 

 

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炒飯&トンカツ

2016-04-20 | Weblog

4/20(水) 昨夕は品川にてOB会の理事会に出席。定例の懇親会の後は、四人組で恒例の二次会へ。港南口の路地に在る居酒屋にて、あれこれと会議のことなどを話しながら二時間ほどの懇談。帰宅は、22時と色々飲んだ割には早かった。

帰宅前、卵が切れていたのを思い出し、駅前の東急ストアで買い物をした。酒酔いでも弁当のことは忘れない、見上げた心構えだ。仕事の方も、こうあってほしいものだが・・・・。

さて今朝の弁当だが、昨日からの残り飯がたっぷり。こいつを始末するために先ずは「炒飯」を作ることにした。空いた釜で、あらためて飯を炊いたが、これは白飯を好む家人用だ。弁当用人も何かと気を使うのだ。

菜の方は、豚ヒレ肉の小塊が転がっていたので、こいつでトンカツだ。併せて茄子も揚げる。他には、「小松菜のお浸し」と「アスパラとイカゲソのバター炒め」、明太子焼きとチジミ風焼がおまけでついた。

                              

今朝も二人分の弁当。菜は当然余るので、私と小僧の朝飯となる。朝飯を抜けばいいのだが、炊き立ての芳しき飯と、作りたての菜の味見ともなれば、箸が延びようと云うものだ・・・・。

                              

 

10Kg減ならぬ増を目指しているのがYOSHIOだが、こっちは減の方だが。二人でベローチェの安コヒー&サンドイッチを摘みながらするのが、『俺のこの高級脂身を、あんたの体に移動できれば一番手っ取り早くていいのになあ・・・』だ。二枚入り210円のサンドを一つづつ分け合う、遅いランチタイムの常だ。

 

 

 

 

 

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鶏飯

2016-04-19 | Weblog

4/19(火) 今朝は久々に「鶏飯弁当」を思いついた。冷蔵庫の中には大した食材が無いが、冷凍の鶏肉が転がっていた。鶏と大根の煮物なんてイージーなものが浮かんだが、ここは趣向を変えて鶏混ぜご飯と云うことに相成った。

炊き込みにせず、鶏肉を別に煮てから炊き立てのご飯と混ぜる方式にした。鶏肉を小口切りにして、人参と薄揚げの刻みだけで甘辛煮にした。簡単と云えは簡単な代物だ。他の菜は、「牛小間と野菜の炒め物」「卵焼き」だけというシンプルさである。

                             

針生姜をご飯の上にチラして出来上がった。今朝は二人分の弁当である。

                           

 

昨夜の帰宅は23:20分であったか。七時半過ぎに会社を出た時点では小雨がぱらついていた。朝の陽気とは裏腹に、肌寒いくらいに感じた。そんな中を、ローカーボで喉を湿してから帰ろうと、店に向かった。

と、ローカーボの手前にある焼き鳥「こま吉」に、悪徳チャンの巨体がガラス戸越しに見えた。誰かと向かい合わせて談笑していた。この関門を素通りする訳にゃいかんと、店に入った。相方はNKAMURAの御大将だった。先日聖路加病院の教育的入院から無事に帰還し、佐賀の本拠に帰ったばかりんなのだが・・・・。

奥方と反りが合わなくなったか、はたまたあの地震騒動で逃げ出してきたのか?或いは両方かな?そんな馬鹿なことを考えながら、座に加わったのだ。

先ずは二人が飲んでいたホッピーを私も飲むことにした。ホッピーに口をつけた処で携帯の呼び出し音。誰かと思いきや、着信ネームを見るとKIYOTA大兄だ。「ヤッホー、何処に居るんだ。わしゃ渋谷でカゴウマもんと一緒にのんどるんじゃ」と、ノー天気な大声が響いてきた。

『人形町で飲み始めたとこざんすよ。渋谷なら今から行きますよ』と云うと、「いや、もう帰るからいいよ」と言う。『相手はだれなんすか?問題ないようなら直ぐに行きますよ』「いや、もう帰るから。明日あらためてメールするよ。電話変わるから」と、代わった相手は、三十余年前、一緒に仕事をしたKAKIさん(鹿児島出身)だった。

『これから行くよ、奈加野へでも行ってくれよ』「いや、さっきから帰るかえると言うんです」とのこと。「状況次第で、後から電話します」と言うことになって、ひと段落した。連絡待ちだ、飲んで待つしかない。ではでは、人形町パトロール隊メンバーとじっくりやりますか・・・・。

NKAMURAさんは震源地のお隣、佐賀が本拠地だが地震の揺れで気が休まる間がなかったと言う。震源地の皆さんの心労・ご苦労が忍ばれ様。昼過ぎに阿蘇の外輪山、宮崎より住まうSATOU会長(地球市民の会)と話したが、落ち着きつつあるとのことであったが・・・・、会長は大人だから。

そんな会話し、未だつづく小雨の中をローカーボへ移動となった。処が、店の灯りは微かに点いているが、ドアが閉まっていた。「マスターが倒れていねえだろうな?」と、窓越しに覗きこんでも姿なし。そのまま「ちょっぷく」へと向かった。

店は、先週末の大混雑ぶりと打って変わり閑散としていた。『どうしたんだい?金曜日とは大違いじゃねえか』と言うと「雨が降ったからネ、いいんじゃないの」と、余裕の構えのYAMAちゃん店長。日曜日の「皐月賞」は、三連複は取ったそうだが、買う種類が多いので大した上りにはなってないとか。一応当たったので、鼻息は荒かった。

と其処へ、HOYA兄いが現れた。「こま吉」で我らが一緒だったことを聞いたとのことだ。ここでまた、駄法螺や無駄話で盛り上がってから解散となった。

NAKAMURAさんは、今朝の新幹線で熱海へ向かう。仕事関係者とのゴルフだそうだ。今度、顔を合せてもスコアのことは訊かぬようにしようぜ…、武士の情けとやらだ。然し、熱海駅から車で一時間も掛かるコースだそうだが、どこまで行くのやら?帰りは熱海の寿司屋で一杯だそうだ。美味い酒が飲めるといいのだが?

渋谷からの電話は届かず、23時過ぎにショートメーが入ってい・・・・。

 

 

 

 

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手抜きだね~&江の島にて

2016-04-18 | Weblog

4/18(月) 今日は初夏の陽気、午前中の日差しの強さには閉口したが・・・、今は曇り空かも?私の席から、空が見えないのだ。今朝の弁当は、家人の分だけだった。一つしか作らないとなると、何故か力が入らないのである。

そんなことで、飯は昨夜の残り、菜の方も昨夜の「鯖味噌煮」を使うことになった。それだけじゃ、あんまりだ差別だと抗議が出そうなので、若干は作ることにした。その一つが「絹ザヤの卵とじ」だったが、これが大失敗作だった。手抜きをして作るとこうなるの見本のようなもの。そしてもう一品は、小松菜の胡麻炒めだが、失敗作の卵とじの卵を一部借用し、小松菜の卵とじ風となった。

                           

上手く行かん時は、術からず斯様な仕儀となる。まるで俺の人生のようなもんだ。最後の一品は牛煮」となった。タマネギや九条ネギ・シメジなどを放り込んで安い牛肉と煮る。と云う、これもお手軽な一品である。そんなことで、たった一つの弁当が出来上がった。

                          

この弁当に比べて、今日の私のランチが右側の「牛タンシチュー」。昼飯は概ね抜くのだが、今日はやむを得ず摂った。それが、これである。美味かったよ!お値段なりの価値はあった。ランチビールは、小さいグラスだった・・・。

 

昨日の日曜日、久々にNAKANOオヤジと競艇に行くことになったが天候が悪い。強風注意報が出てたんじゃないかな。そんな中でレースがあるんか?と気になった。ネットで平和島競艇を検索したが、レース中止のような表示は出てない。オヤジはオヤジで「大丈夫だよ、これくらいなレースやると」と云う。

それじゃ行こうぜ『この天気ならレースが荒れて、大穴が出るかも知れないよ』と、いっちょ前の口を利いて同乗した。向かうすがら、久々に顔を合わすので、最近の情勢など訊く・・・・。と、今月は良くないとボヤキ節だ。沖縄や熊本辺りまで遊びに行ったツケが廻ったんじゃねえか?と、言ってやりたかったが、先輩だからな。親しき仲にも、武士の情けと、そこまでは言わなかった。

オヤジは、先週の月・火と熊本でゴルフ。ひと月前には沖縄でゴルフをやってきているんだ。木曜日の熊本地震発生の折に、店に電話を入れた。『熊本で大地震とのことだが・・』と云うと、「俺は運がいいな」と返った。『あんたのことじゃねえよ、MATUSHITAの実家だよ。今しがたの地震だ、MATUは知らねえだろうと思って電話したんだ』と告げると、「あっそうなの、今、便所に行こうと思って上にあがってきたんだ。マツには伝えとくよ」だった。

てめぇのことしか頭にないと云うのは、いいねぇ。実にシンプルでいいよ。俺もオヤジぐらいシンプルに生きたいものだ。

そのシンプルさが仇で、平和島に着くと案に相違して閉鎖になっていた。ガードマンが、「中止になりました」と無情にも云う。バカヤロー「儲け損ねた」と怒るべきか、「無駄な出費がなくて良かったね」と思うべきか、この判断は難しいが・・・・。然し、気分的には前者だな。

 

そんなことで、日曜日の舟遊びはできなかったが、土曜日は十分に楽しんできた。それも、あの東京オリンピックの舞台となった「江の島ヨットハーバー」でだ。朝七時半にカメラマンのSUGITAに迎えに来て貰い、ハーバーに着いたのは9時20分であった。

曇り空ながら、まずまずの撮影日和。風もほとんどなく、海は凪いでいた。江の島は何年ぶりであろうか、覚えていないぐらい前のことだ。この日、前に居た会社の、ヨット部のOBに情報誌の対談をお願いしていた。

対談のお一人は、ヨット部の生え抜きで旧知の方。もう一人は初めてお会いするが、知り合いが選んでくれたOBである。同じヨット仲間で、今使っているクルーザーの共同所有者だとか。

先ずは、東京オリンピックの時に出来たと云うクラブでの撮影。それから、クルーザーに移動して対談と撮影となった。

艇は懐かしきヨットで、かつての船名は「テレマティーク」(34フィート)だった。この艇は会社が購入してヨット部が使用していたが、会社の変遷とヨット部のあり様が変わったこと、艇が古くなったことから処分となり、ヨット部仲間が譲り受けて共同所有しているとのことであった。

                           

現役時代、ヨット部のメンバーがクルーとして乗りこむこの艇に何度か載せてもらった。ヨット部の合宿にも顔を出した時代があった。在籍した部がヨット部の事務局になっていたことによるが。もっと若い頃、ヨット部主催の教室が、ここ江の島で開かれた。その折、二泊三日の教室に遊びがてらに参加したこともあった

そのヨット教室の時に見かけたのが、今日の取材の主役であるTAKAGIさんである。クルーザーの舵を握る姿が格好よかったねぇ~、。その後、十数年を経て、TAKAGIさんとは通信局の同じ部で一緒になった。何処かで縁が繋がっていたと云うことだろう。

                           

お二人のヨットとの出会いやレースのこと、そして仕事のことなど対談、インタビューし、海へと走らせてもらった。四半世紀ぶりに乗った旧船名テレマティーク号は懐かしかった。海から臨む江の島、腰越の港、稲村ケ崎から材木座、三浦半島三崎へとつづく海岸線。薄日が差してきた船上で仕事であることなど忘れていた。

                          

舟から上がった時は午後二時を過ぎていた。ヨット部が使うと云う路地の食堂で遅いランチを摂った。ビールを飲みながら、船のあれこれ、遠い昔の出来事や思い出を話し込んだ。

三時半、解散。SUGITAに鎌倉廻りで帰るように頼み、海岸沿いを走った。これまた懐かしい江ノ電がくる、この海岸を走ると寄ったレストラン「珊瑚礁」があり、遥か過ぎし時代を懐かしく思った。

 

取材が土曜日で良かった。これが日曜日だったら悲惨、日程再調整だったろう。もう日程が取れないのだから・・・・。天は自ら助けるものは、救うようだな?

 

 

 

 

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朝が早くて・・・

2016-04-15 | Weblog

4/15(金) 今週は夜が明けるのが早い、連日五時前には目が覚めている。その反動で、出勤途上の電車に腰を下ろして本を手に揺られていると眠くなってくるのだ・・・。脳味噌の方も酸欠のようで、ぼんやりしているぜ!

そんな訳で、今朝も五時過ぎから台所で遊んでしまった。筍は、昨夜に家人が若筍煮を作り、これが鍋に沢山あった。オイラの出番はなし。

今日のメニューは「コロッケ」だが、これは冷凍コロッケを揚げるだけのこと。揚げ物ついでに、イカをほんの少しだけ揚げた。そして、小松菜と素麺を茹でて、パスタ風のサラダにしてみた。魚は、昨晩買って帰った「赤カレイ」の煮付だ。なんでこんなのを買ったかと云うと、安かった。一切れが300円ぐらいだった。

                           

この安い肴を、酒・醤油・味醂に生姜を入れて煮付けにした。絹ザヤを最後に放り込んで色合いを出した。卵焼は、オムレツ風に仕上た。そんな具合で、今日も弁当が出来上がった。弁当ご飯の上に、鰹振り掛けを散らして完成である。

                            

昨晩は品川にて、某社の監査役と某社の不良との一献であった。何時もながらの与太話に近況などで盛り上がり、お開きになったのが八時半と早い。スタートが早ければお開きも早い。二次会・三次会と云うのがないメンバーなので、真っ直ぐに帰宅。

帰宅してすぐに、熊本の震度7の地震のニュースが流れた。びっくりしたが、夜のことで詳しいことが見えない。熊本には友人が数人いるので気にはなるが、混乱のさなかに電話を掛けるのは拙いと控えた。今朝になって、ショートメールでお見舞いと安否を尋ねた。

五人ちゅう四人から直ぐに返信があった。皆、怪我もないとのことだったが、阿蘇のSATO会長は一晩中外で過ごしたとのことであった。友人たちも、友人の関係者も無事だとのことで一安心した。然し、一様に怖い思いをしたようだ。

あらためて、被災地の皆様に地震お見舞いを申し上げる。

 

明日は江の島のヨットハーバーで取材だが、朝が早い。今夜の酒精は控え目にし、体調を整えないと江の島の海にコマセを撒く羽目になるな・・・。自重します  。

 

 

 

 

 

 

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筍尽くし

2016-04-14 | Weblog

4/14(木) 弁当は、 昨日から「筍・タケノコ・竹の子」のオンパレードだ。と云うのも、一昨日の晩に従姉から沢山届いた。大きな筍の灰汁抜きをしたのが四本分もあった。冷蔵庫に置いてもそう長くは持たない、せっせと食べるに如かず。

昨日は「筍天麩羅」、細切のタケノコと鶏肉の炒め物、土佐煮である。今朝は、「タケノコの豚肉巻き揚げ」と、タケノコと絹ザヤの中華味炒め、タケノコご飯である。

他には、天麩羅ついでにタラの芽を揚げや、ホウレン草、鶏肉と小松菜煮、定番の卵焼きと云う次第。連日、早朝の目覚めで弁当事に勤しんだ成果と云えよう。

老人閑居して、弁当に戯れると云う図式だ。

                    

                 これは、昨日の弁当。               そして、今朝はこうなった。

未だ暫くは、タケノコ三昧がつづく。つづけるしかないのだ!

 今週の人形町パトロールは自粛し、品川や渋谷方面で憩うことになりそうだ。HOYA兄いや、悪徳チャンの所業が気に掛かるところではあるが・・・・。

 

NPO法人地球市民の会を創立創立した「故 古賀武夫」の伝記を執筆していたHASHIMOTOさんから、一稿が一昨日届いた。27万文字余に及ぶ労作であった。これから推敲を重ね、どんな物語になるか大いに期待するところでる。HASHIMOTOさんの、一年に渡る取材と執筆を労うとともに、ゴールに向けた仕上に期待するところである。

一稿を読み込んで、私なりの意見が言えればいいのだが・・・・・。出版は夏になるかな?

 

 

 

 

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鉄塔のある街

2016-04-12 | Weblog

4/12(火) 昨夜の帰宅が早かった所為か、またしても夜中に目覚めてしまった。目が覚めて暫くは眠ろうと試みたが、眠れない。堪えきれずに時計を見ると、未だ四時であった。これじゃ起きる分けにイカンザキと、蒲団の中であれこれ思案して時を刻むうちに、また眠りに就いたようだ。次に気付いた時は、六時半であった。

さて、今日の午前は「鉄塔のある街」の取材に付き合うことになっている。駅前で本件担当のTOKIOと落ち合い、鉄塔の在るビルに向かうのだ。駅前?何処の?勿論、鉄塔の在る街のことさ。「だから何処なんだ、そこは?」と問われるだろう・・・、下の写真を見ても判らんだろうな?

                            

このような鉄塔なら、そこ彼処で見かけたことがあろう。右の写真はその鉄塔の在るビルの屋上から西側を撮ったものだが、左手前は小学校の屋上が写っている。この小学校は「鷹番小学校」といいます。そう、鷹番と云う地名は、江戸期の鷹狩場やその鷹匠が住んだことに由来する。と云うことは、ここは目黒区で、駅名は学芸大学なのだ。

地元の取材と云う次第だ。この無線中継の鉄塔が建ったのは昭和41年だとか。と云うことは、半世紀の歴史になる。これだけ長くなると、街に溶け込んだようなものだ。そなことで鉄塔の在る街と、鉄塔の今を(すっかり役割を終えようとしているようだが)取材するため「唐ヶ崎無線中継所」を訪ねる。

詳しいことは、いずれ出版の情報誌に掲載されるので割愛。東横線の祐天寺~学芸大学の間で、家並の上にぽっかりと浮いたように見えるこの鉄塔の風景と、学大駅のガード下から覗けるように見える鉄塔の風景が気に入っている。そんなことから実現したのだが、取材対応をしてくれた方が「祐天寺から学芸大学に入る前に見える電車からのシーンが一番気に入ってます」と、同じことを言われた。

 

この取材に入る前の「弁当事」について伝えよう。六時半に台所に入り、先ずは炊飯。それから、先日の作り置き「冷凍ハンバーグ&ピーマン肉詰め」を解凍。次いで、豚ばら肉とシメジ・ピーマン・絹ザヤの炒め物を生姜味で作る。

そして、胡瓜&タマネギをスライスして晒し、ジャガイモ・人参にゆで卵とペンネを茹でる=ポテトサラダとなる。鮭を一切れ焼く。小松菜を薄揚げと一緒に煮る。スライスした胡瓜をツナ缶で和える(これは初めてかな)。これしきのことで、弁当箱が一杯となるのだ。

                            

そして長女が弁当を受け取りに来たのが、丁度弁当箱に詰めはじめた時だった。『菜が全部入らんな』と言うと、「今日は日勤、深夜勤務だからもう一つ作ってくれてもいいよ」と言う。日勤深夜と云うのは、日勤を終えて帰宅し、零時前に再び出勤して朝までの勤務だとか。要は、晩飯用か深夜用にもう一つと云うことだ。

                            

菜もご飯も余る、一つや二つ増えようが何の問題もない。二つ返事でOKした。作って冷蔵庫に入れておけばいいのだから。菜の方は、オムレツ風の卵焼きを追加し、長女の夜勤用弁当に加えた。そして、ご飯の上に牛味噌を載せた。

                            

以上、今日の弁当事を無事に終えた。

 

 

 

 

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