オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

九人の乙女の碑

2012-10-31 | Weblog

10/31 10月最後の日なので、10月に在ったことにはけりをつけておこう・・・。と云うわけで、稚内でのことなどもう少し記す。

               

                宗谷岬・最北端の碑と「宗谷岬の歌碑」、間宮林蔵の像

10月4日、この日は木曜日となるので本来であれボランティアの皆さんは休みとなる(木・日が休み)が、明日から天候が崩れそうだということで、急きょジャガイモの収穫を行うことになった。朝、VP用のインタビューを済ませて、渡部さんが借りている農園へと作業に向かった。農園の周りはぐるりと電線が巡らせてあった。エゾシカとアライグマ除けに電気を流すそうだ。

農薬を使わない農園で、大根畑も草が延びていた。これをボランティアメンバーが手作業で引いていく。「草が伸びると日当たりが悪くなる、風通しが悪い。少し周りにな除草剤を使えばいいのに」と、あるメンバーは云う。それでも渡部さんには拘りがあるようで、首を縦に振らないそうだ。

                          

広い農園には一万本の大根、収穫が済んだ南瓜、まだ残っているジャガイモ。渡部さんは大型のトラックターでジャガイモを掘り起こす。草取りを一段落させて、皆で拾い集めるのであろう。農園の向こうに広がるのは牧草地、延々とつづいている。

                      

そんな風景を撮影し、次の場所へと私とカメラマンは移動した。ノシャップ岬と”九人の乙女の碑”がある稚内公園へと向かった。前日、空港に到着してから宗谷岬の撮影だけは駆け足で済ましておいたので、夕方までには残りの取材は片付く予定。

ノシャップ岬は特に記すほどのこともない、印象が薄かった。遥か北の海から寄せる波だけが瞼に焼きついた。稚内公園へと向かった。小高い山、丘と云うよりは高い。幾曲がりかして坂を上った頂上に稚内開基100年を記念した記念館と塔が建っていた。ここの展望台から市内を一望できるので写真を撮る。

                        

                    ノシャップ岬のイルカ、稚内公園から市内遠望

稚内・宗谷岬とサハリンの間は43Kmとのこと、現在の市内の人口は4万人に足りない。水産業の衰退が市の経済の縮小に繋がっているのか、アーケード街にはシャッターを下ろしたままの店が散見された。

                       

さて肝心の「九人の乙女の碑」は、頂上から少し下った展望台や売店がある広場の奥にあった。すぐそばに氷雪の門の記念碑もあるが、私にとっての大事なモニュメントは『九人の乙女の碑』である。 

                           

終戦五日後、ソ連が侵攻した。カラフトの真岡郵便局の電話交換手であった九人の乙女は侵攻直前まで通信を守り、最後の言葉を残して毒を呷った。身を呈して通信を守ったこの悲劇を、彼女たちの思い・無念を忘れることなく後世に残すために建てられた碑。

                           

かつて電信電話会社に勤めた身として、この哀しい出来事を知る一人として、「九人の乙女の碑」の前にかしずき、黙祷を奉げることは責務であった。
この出来事を耳に、目で文字を追う度、目頭が熱くなる・・・。強い風の中、碑に頭を垂れた。

 

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昨夜は、四軒だぜ・・・

2012-10-31 | Weblog

10/31(水) 今朝は目覚まし時計に起こされる始末、珍しいといえる。大概は、5時45分にセットしてある時計が鳴る前に目覚めているのだが・・・。昨夜のご帰還は、日付変更線を越えたばかりの時間。それほど遅くはないが、滞留時間は長・短とさまざまなれど、タイプの異なる店を四軒こなしたので疲れがでたか?

この程度で疲れるようじゃ、どうしようもないぜ・・・。訪れようとする、冬の荒波さえも乗りきれない、もっと鍛えなくては。

さて、今朝のお弁当だが「煮物」「焼き物」「炒め物」のセオリーには変わりなし。昨夜も帰宅のすがら、東急ストアにて弁当用の「厚揚げ」と「牛小間」を贖い準備を整えてあった。大したものさ・・・。

煮物は、豚肉の白菜巻きと厚揚げ・シシトウの合わせ煮であった。焼き物は、自家製の鮭の粕漬け。

                   

炒めものは、牛小間と舞茸・キャベツ・タマネギ・ピーマンの野菜炒め。肉と野菜は別々に炒めたうえで、最後にドッキングする方式を採用。中華系の味付けを目指したが・・・。

                        

以上なので、調理時間も早かった。万端で三人の弁当が完成となった。

                   

 

   「奈 加 野」

この店のオヤジ(先輩であり、友達ともいえ、知り合いと云うこともある)は、昨晩はかなり酔っていた。私が三軒目となるスナックから呼び出し、店に来た時はヘロヘロの様子。それでもマイクを握ると元気になった。店仕舞いがあるからと、一時間ほどで帰ったが、寄る年波なのか、過労なのか、酔いが早い。

誰かと会う時は、概ね「奈加野」となる。それだけお気に入り、お奨めの店である。若者が多い渋谷、若者向けの店が氾濫する中で大人の店である。魚の目利きと出汁の味は、さすがに長年にわたり商売をしているだけのことがある。と、云うことで奈加野の紹介である。

                           

渋谷・宇田川町交番を東急ハンズの方向に50mほど行った左側に入り口がある。丁度、スペイン坂を下った突き当りとなる。一階はキリンシティで、その二階に在る。板場をL字に囲むカウンター、四人から8人ほどまで座れるテーブルが6卓、掘りごたつ形式の座敷は、入り座が10人、奥の座敷は20~24人までは入るか。昔は、席待ちの客が並んだ時代もあったが・・・。

                            

店への階段を上がると、お地蔵さんのような置物。これは、薩摩の「田圃の神様」を据えたものだそうな。これの小さな置物が店内にもあったが、何時の間にや消えた。その一つは、遥か以前に私が持ち帰ったが、我が家からも消えた。生まれた薩摩に帰ったか?

一番高い一升瓶のボトル焼酎は「伊佐美」で、8000円である。一番安い「いいちこ」で2500円かな?私は伊佐美しか飲まないので、他の値段は?である。勿論他にも720mlもあるし、日本酒も各種そろっている。この店の味が確かなことは、美食家でもある醸造学の大家「小泉武夫先生」が贔屓にされていることからも頷けよう。

 後は、自分の舌で確かめようではないか、各々方。          

     

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稚内は雪か・・・

2012-10-30 | Weblog

某月某日 今月初旬、稚内で取材した校正が上がったので取材先に確認をしてもらうために送付した。取材先の『悠遊ファーム』オーナーの渡部さんと電話でも話をしたが、雪は未だとのことだった。が、雪虫が飛んだので一週間もしないうちに雪になるだろうとのこと。

北国ではこれから、本格的な冬、雪の季節となる。南の国に育った私には分からぬ世界である。取材時は暖かで穏やかな天候、ファーム向かう途中『夕日が丘」』という見晴らしポイントに寄った。残念ながら利尻富士の半分から上は雲に覆われていた。

                     

悠遊ファームは、200坪のメインハウス、35坪の宿泊用の別棟、バーベキューハウス、野菜栽培のビニールハウス5棟、農園、これらが7000坪土地に在る。このほかに、約2ヘクタールの畑を借りているそうだ。これを、常時応援してくれる6人のシニアボランティアのメンバーとともに手入れをしている。ボランティアの年齢は70歳~80歳。高齢なので病気が心配だとか、現にお一人入院中とのことだった。

                            

             ジャガイモを掘る          大根畑で草取り              ジャガイモさん

そういえば、取材時に冬の間は暇ではないですか?と訊くと。「いえいえ、やることはたくさんあります。屋内の修繕、改修と大工仕事をします」とのことである。働くことが苦にならない、好きなんだろうな・・・。

そうでなければ「農業なら生涯現役で働きつづけられる。生涯を現役で生きるために農業を選択した」とは、云わないし、思わないだろう。ここ悠遊ファームでは、野菜類の生産の他に力を入れたいのが宿泊者の増と、加工品の販売だという。客室は、メインハウスに5部屋、別棟は2LDKが二室である。

ここでは、野菜の販売のほか初夏から夏にかけてはイチゴ狩りが楽しめる。またバーベキューハウス(この建物も自分たちで建設)で、バーベキューも楽しめる。メインハウス内の”キッチンゆうゆう”(妹夫妻が運営)では、特産の勇知イモ(ジャガイモ)を使った手作りのパン・ドーナツや食事ができる。加工品の南蛮味噌・ヨーグルトケーキも楽しよう。

                            

残念ながら、今年の営業は今日でお仕舞となり、来春のゴールデンウィークまで休業となる。メインハウスに設えた、薪で沸かす五右衛門風呂やロシアサウナは、冬季オーナーだけの占有か。テラスの五右衛門風呂に浸かり、雪を見るのは格別、と渡部さんが云ったのが思い出される。

                       

取材で宿泊した私は、勇知イモ三種(農林1号、きたあかり、メークイン)を茹でてもらい食した。正直、違いは分からなかった。が、全部美味かった。ファームのすぐそばに勇知スキー場があるが、冬場はファームの営業をしていないのが残念だ。

                       

                          これは朝食です

稚内の農業は酪農が中心、勇知も牧草地が広がりサイロが点在していた。それでも文化的な取り組みにも力を入れているそうだ。窯元が四軒あるというが、その中の一つがファームの隣に在った。

JR宗谷本線勇知駅は、古い貨車が一両ぽつんと置かれた無人駅。単線の線路が延びているが、電車は一日五本しかない。この駅からファームまで、徒歩10分であるが、人家や店はまばらであった。

                            

夕方、インタビューの途中であったが渡部さんから「夕日を見に行きましょう」と提案された。迫る夕闇と競争するように車を飛ばして10分ほど、海岸に着いた。海の彼方に浮かぶ島、利尻富士には雲がかかっていた。島の東端と海にかかる雲を朱に染めて、夕日は海に没すところだった。浜辺の浜木綿の真っ赤な実が印象的だった。浜に沿ってコウホネ草(見たことはない)の咲く小さな池があるのだが・・・。

                    

10月3日、稚内市上勇知を訪れた時の光景である。

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今日も鶏で・・・

2012-10-30 | Weblog

10/30(火) 今日も鶏肉をメインにした。昨日はカレー味だったので、今朝は「トマトソース煮」にする。昨夜、帰宅時に駅前の東急ストアにてトマトと鮭を贖っておいたのだ。準備は万端、東急ストアが終電まで開いているので大助かり。骨付きの鶏肉なので、煮上がったところで骨をはづしてひと煮立て。

                       

鮭はバターソテーにした。昨日も、鮭料理を考えたのだが、二枚しかなかったので鯖の竜田揚げにした。今朝は、昨日のリベンジと云うところか。この付け合せに、シシトウと南瓜を薄く切って焼いたが・・・。

                           

後の菜は定番の卵焼きだが、小松菜のお浸しをスリ胡麻で和えて巻き、ちょっと目先を変えてみた。

                           

以上が、今日の弁当。何時もどおりの三人前であった。

 

                       

 

昨夜は、会社帰りの7時半ごろから近場のローカーボでハイボールを飲む。店内のTVでは、ニュースの後に『家族に乾杯』という番組が流れた。場所は、高知県の須崎市であった。

ここでは、鍋焼きラーメンをB級グルメとしてPRしており、市内では40軒もの店がメニューとしているとか。これを見ながら、マスターに「大して旨いとは思わんがね~」などと話した。が、これには訳がある。以前に高知空港のレストランで「鍋焼きラーメン」を食したことがある、これがひどかった。その時のイメージが強すぎたのだ・・・、美味い鍋焼きラーメンを食して悪いイメージを払しょくしたいものだが。

同じような例えで云えば、スターバックスのことがある。6~7年も前のこととなるが、非常に不愉快な思いをして以来、スタバは利用しない。友人に誘われても、あの時のことを伝えて断固として余所にする。仕事であれ、何であれ、一度悪いイメージを持たれると全てがそうだと思われる。気を付けねばならぬ、自戒せねばならぬ。

暫くするうち、常連らしき女性が隣のスツールに腰を下ろした。TVを見て「高知っていい処よね、また行きたいな」などと話した。斜に座り背を向けていたが、何時の間にや背越しに話していた。『いったい高知の何処がいいのよ、いまだに半分ぐらいの人が腰蓑で歩いてるらしいぜ・・・』と悪いギャグを飛ばした。「腰蓑ってなんなの?どんなもの」とまじに訊かれたのであった。『ハワイアンで腰に巻いてるでしょうが、太田道灌って江戸城を作った人の古事にもあろだろう・・・みのひとつだになきぞ云々って』と云ったが・・・。何れも知らないときたのだ・・・。

背越しの会話だったが、私は顔も見ないで席を立ってしまった。飲み直しだとばかりに、店を変えた。その結果、辛うじて日付変更線を越える寸前での帰還となった。

今振り返れば、折角我が郷里が好きだ仰る方に出会えたのだ。感謝・御礼の真心を込めて、故郷の紹介・PRに努めた上で、一杯の酒でも勧めるべきであったかと・・・。

 

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鶏カレー煮など

2012-10-29 | Weblog

10/29(月) 月曜日、昨日の雨が上がり上々の天気となった。暖かな一日となりそうなので、最後に夏着のスーツを身につけた、これも今日が今年の着納めだ。

さて、今朝の弁当だが・・・。台所で食材を取り出しながらも調理方法が二転三転した。先ず、生鯖の冷凍は味噌煮の予定が「竜田揚げ」に変わった。メインの鶏は唐揚げからジャガイモと一緒に煮る「カレー風味煮」となった。豚肉とシメジの炒めものは「アスパラ巻き」になった。最後に冷凍シューマイをレンジで温めて今日の菜が整った。

           

揚げ物ついでに、ジャガイモの素揚げが加わった。昨夜の煮物に入っていた栗も一切れづつ入り、盛り沢山風な三人分の弁当が仕上がった。所要時間を40分で上げようと思っていたが、50分を要してしまう。

                     

炊きたての飯が旨そうな香り、弁当に使った残りの菜もあるので一膳飯を食した。これでは「ローフード食の体験講座」に参加しようとしている意味もなしか・・・。

                         

 

 

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朝からチャーハン・・・

2012-10-28 | Weblog

10/28(日) 日曜日、朝から今にも降りそうな天気。昨夕は、地元学芸大学のメンバーなどとの懇親会あり。末娘がジュニアバレーボールチーム「鷹番JVC」に在籍したころの父母たちと、久々の飲み会であった。店は「天国」、ここの入り座敷で10人ほどが集まった。

この日、ジュニアの大会「東京新聞杯」があり、チームは久々にベスト8に勝ち上がったとの報告が、応援に行ったNAKAYAMAさんからあった。次週に三位までに入れば、関東大会への出場が叶う。娘たちの時は、全国大会、関東大会ともに出場できたが、そのご機会を得てないのでそろそろ勝ち抜いてほしいところだ・・・。

そんな話題などで、店に四時間程も居座ったわけだ。が、アルコールの方は、抑え目に飲んだ。前夜の金曜日は、某社の四国会に一時間半ほど出席、途中退席して、JICA地球ひろばの会議室で行われた「ミャンマー現地報告会」がお仕舞の頃に到着。終わった後、市ヶ谷駅横の店で打ち上げ。

その後、会に参加していた会社のスタッフAOKIと、方向が同じことからと一緒に帰路についた。東横線に乗ってAOKI曰く、「僕まだ飲み足りないので、飲ませてくださいよ。ミャンマーから来ている、アウンサンの相手していたので、あまり飲んでないんです」とのこと。サービス精神が旺盛なAOKIらしく、異国の客人の相手を拙い英語でしていたのは確かである。

彼の要望に応え「店がやってるかどうか分からんが、いいのか?」と、地元の学芸大学の店に向かった。既に11時は過ぎていたが「こんぺいとお」の灯は消えていなかった。(ここで、気付いた。AOKIの同居している母が、明日まで不在と言っていたのを。親思いの彼らしく、母がいないのでゆっくりできる、したいのであろうと)

店は、6時から飲んでいると云う酔っぱらいオヤジ家、常連らしき二人連れが居た。酔っていることにかけては遅れをとらない、ぐだぐだとハイボールのグラスを重ねた。「おい、もう一時だぜ、電車ないぜ」と急かすが、猶予迫らずのんびりとしている。結局、最後は学大でNO1と思っているモンゴメリーのラーメンを食して別れたのであった。

とまあ、酒精を抑えるに至った途中経過話がすっかり長くなってしまった。そんなことで「天国」では抑えて飲んだが、娘の同級生の夫妻が我が家に立ち寄った。娘たちはアタッカーとセッターのコンビだったし、父親が私と同じ高知出身なこともある・・・。

これがまあ~夫婦してよく飲む。郷里の土佐鶴の冷酒を出し、とっておきの鮎の開きと最後に佐賀で貰っていた「絆のさけ」(津波で流された東北の酒米を佐賀で醸造、その酒粕で作った限定品の粕取り焼酎)を出した。美味い美味いと飲んでいったが、奥さんの足取りは危うかった・・・。酒精度は37度なので美味いことは確かである。

元の木阿弥で今朝を迎えたが、深夜に本を読んだ。土曜日の昼前、アマゾンに注文した本が届いていたのだ。前の会社の剣道部の後輩、斉藤光顕氏の三作目となる著書『細川忠利兵法異聞」(郁朋社)が、出版されたとメールが届き、注文した次第。これが、なかなかしっかりした筋立てで、歴史剣法小説としては中々のものであった。彼も物書きとして成長したようで、嬉しい限り。

今朝は、そんなすっきりしない体調での朝だが、朝飯にチャーハンを食べたくなった。食いしん坊だ・・・、自分用の朝飯を作った。小エビとベーコン入り、刻みピーマンとタマネギに卵二個、それでも油はオリーブオイルにして気を使った。これだけでは、淋しいので鮎を焼いた。完璧なお膳立てができ、当然の如くにビールが供されての朝飯となった。秋の鮎は脂が乗り子持ちであった。

                     

朝からやり過ぎだが、深酒や長酒が続くとこんな塩梅となるのであった・・・。

 

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テンコ盛り弁当

2012-10-26 | Weblog

10/26(金) 早や週末となった。今夕は、最後にいた会社の四国会があり鎌倉河岸のうどん店「のらぼう」とかで懇親会。ここを程々に切り上げて、市ヶ谷のJICA地球ひろばの大会議室で開催されている「地球市民の会東京・ミャンマー現地報告会」に顔を出す。相変わらず、勤務時間外は忙しいが、いずれも大事な会である。

ミャンマー駐在のSuzuki嬢が、彼の地の状況を話してくれる。それに、カンカウン準中学校建設支援プロジェクトの中心メンバーからのスタディツアーや支援活動の報告、終了後に博多もつ鍋の店での意見交換会と盛り沢山なのだ。会場の余裕はあるはず、折角の機会なので多数に参加してほしいのだが・・・。

今夜の心配を朝からしても始まらぬ。先ずは、今朝の弁当報告をしよう。今朝は、豚肉&牛肉、小エビなどを使った。豚は、佐賀の酵素豚肉の残りをかっさらえて使用。牛肉は昨日の弁当の残りを使った。

                         

牛肉は、簡単にタマネギ&蒟蒻で牛煮にする。昨日の焼肉とは趣向を替えたわけだ。豚肉は、生姜焼きとトンカツに。生姜焼き用と肩ロースが少しづつ残っているので、二種となった。揚げ物をするので、序でに小エビと牛蒡・人参・タマネギを細切にして「掻揚げ」を作る。

                          

野菜系はと云えば、ホーレンソウのお浸し、キャベツの千切が少々。卵焼きも作ってみたが、こんなに盛り沢山じゃ、小さな弁当箱に収まらんな~である。

                          

それでも、詰める・詰める、詰め込む・・・、K用は、掻揚げ丼風弁当となった。以上、三人前弁当が完成。

                      

 

 「カラオケ・・・」

昨夕は、三十年余も前にお世話になった本社時代の係長・MANOさんと、同僚だったA氏とI氏との久々の懇談。場所は、渋谷「奈加野」であった。MANOさんに会うのは、十年ぶりとなろうか。頭髪は白くなったが、それ以外は全く変わりなし、元気な様子であった。この方の下に三年間いたことになる。気取らない、柔軟、楽しい方で、その後のサラリーマン生活では手本とさせてもらった。

毎年頂戴する年賀状は、自作の絵を印刷されている。訊くと、若い時から描いてはいたが、第二の職場に勤めてから本格的に絵画の指導を受けたとのこと。今では、地元で絵画教室開き四十名からの指導をされているとか。また一緒の当時から、カラオケが上手だったが、こっちの方も本格的に始めて、コンテストではトロフィーを貰い地元代表で、中野サンプラザホールの舞台にも立ったとのこと。百人以上の同好会では指導者の立場とか・・・多彩である。

                     

すっかり趣味の世界に生きる達人ぶりを発揮されていた。A氏は完全リタイアをして四年となるか、自転車とフィットネスクラブ通い、山歩きを楽しみ自由人を謳歌している。そして一番若いI氏は、現役で某社の取締役であるが、ご苦労もあろうと推察する。昔話に花が咲き、最後はカラオケに行くこととなった。

                           

                          こんな歌も出たのだ!          

MANOさんの唄を聴かないことには治まらん、と四人で奈加野側にあるカラオケBOX に入った。流石に新しい歌手・歌まで幅が広く、声も良く出るのだ。Mさん、I氏ともに遠方なので、十分とまではいかないが、唄声を堪能してお開きとした。そんな渋谷の夜であった。

 

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またしても栗ご飯

2012-10-25 | Weblog

10/25(木) 昨日の栗ご飯弁当の折、長女の弁当に間に合わなかったので彼女だけ焼き飯となった。そんな出来事を思い出し、今朝も栗ご飯が再登場となった。昨日の栗は、我が畑の栗でなかった、その所為か味も今一つの感であったが、今朝は、我が畑で採れた栗を使う。ご飯は二合しか炊かないので使う栗も少しだけ。

                       

菜の方は、佐賀豚も残っているが連日では飽きるだろうと、今朝の肉は牛肉とした。昨日贖って今朝に備えた、天晴れな心がけであろう・・・。この肉をすき焼き風か、焼き肉かと迷ったが「焼き肉」となった。これに、ピーマン・タマネギ・シメジ・九条ネギの野菜炒め、焼き肉風味が加わる。

                       

煮物は、万願寺と茄子の残り物を油揚げとウィンナーを加えて煮る。もは一品を迷った末に、ジャガイモと人参の千切りと、出汁に使った利尻昆布の千切りを炒めた卵とじ。以上で今朝の四十分のお仕事を終えたのであった。

                   

炊き上がった栗飯の味は上々、栗が違うとこうまで味がちがってくる。美味い栗を使うに限る・・・。

                   

そう云えば、ベッタラ市の二日目、土曜日にも会社で「栗ご飯弁当」を作った。屋台の売り物が少ないとのことで、これも300円で販売したが、築地で贖ってきたこの栗も美味くなかった。この弁当を買った方には気の毒なことをした。

 余談ながら、昨晩は零時前に家に帰り着いた・・・10分程前であったが。

 

 

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栗ごはん

2012-10-24 | Weblog

10/24(水) 今朝も起きられずに、弁当作りの時間ギリギリであった。尤もご飯の炊き上がりが間に合わず、長女には冷や飯を使った。昨夜の帰宅は25時すぎ、最終電車にようよう間に合ってのご帰還。挙句、食卓の椅子に倒れこんで一時間以上寝ていたのであった・・・。

時間がない、と手際よく作ればいいのだが・・・、何時もの如くに愚図愚図と米を研ぎ、剥き栗を加えて炊飯。菜は、三日続けて佐賀の酵素豚。肩ロースをソテー、煮物は大根と蒟蒻・鶏肉を和風味で煮る。後は卵焼きである。

              

長女用の冷や飯は焼き飯にして、ガーリック味に仕上げる。ここまでで約30分、丁度仕上がったところに長女が弁当を取りに来た。間に合ってよかった。

                    

そんなことで、朝からバタバタとしていたが、昨夜の酒をまだ引きずっていた・・・。

昨夜、会社を出たのが9時前、隣の蕎麦店「高松」には客が一組だけで随分と静かな雰囲気。今夜は珍しく客が少ないようだ、一杯だけ飲んで帰るつもりでドアの前に立った。なんと「本日は終了しました」の札が下がっている。「札が間違っているぜ」と、店に入ると『もうお仕舞ですよ』と、アルバイトのTagoサンの返答。

こっちのスタートが遅いので、未だ宵の口と勝手に思い込んでいたのだ。折角入ったので、Tagoを相手に一杯、また一杯と重ねた。若いTagoに、酔っぱらいOyajiの人生訓などを垂れながら飲む、素直に聞くものだから結婚から仕事の選び方にまで話が及んでしまった。(こりゃジジイの典型だな)。

ほどよく酔い、店をでた。駅までのすがら、何となく”上海がえりのリル”を口ずさんでいた。そうだ、どうせ客のいない「Seiju」で一曲唄って酔い覚ましと、途中下車ならぬ、寄り道。すると、なんと客が一人いた。おまけに中国語で唄っている、それも女性だ。離れた席に陣取り、またまたハイボール。ママさんを挟んで、唄の終わった女性と会話する。

話によると、中国に長い間留学、北京で勤めていたが、最近帰国して東京で会社勤め、やはり中国関係のセクションで働いていることが分かった。長崎の出身で、店の隣のマンション住まいまで判明した。ここで、高松のみっちゃん(店主)にTel、早く来いよ、女将さんは連れてくるなと伝えた。みっちゃんが、おっとり刀で来た。そこで、さも知り合いの如くに紹介し、カラオケとなったのであった。

ママさんが、電車の時間があるのでと閉店を宣言し、お開きとなった。俺は何か唄ったのか覚えてないが、なにか唄っているだろうな・・・。このまま、メトロに乗ればいいのだが、駅の手前に関所がもう一つあった。

「ちょっぷく」の前を通ると、何とまだ明かり見える。店長のYamakageと2・3人が居残って飲んでいた。またフラリとそこに寄った。「君たちは飲み過ぎじゃないか・・・」と、注意を与えながら、ここでまた飲む。何でも、Yamaちゃんのレコの誕生日とかで騒いでいたようだ。取り敢えず「おめでとう」と云うが、「あと30分で日付が変わるので、それまでの間オメデトウ」なんて、分けのわからんこと言ったのであった。

人形町、零時17分発のメトロ終電にようよう間に合った。東横線の連絡は、これも終電の元住吉止まり。すっかり疲れてしまった・・・。

今日の昼、ミャンマーから一時帰国の、地球市民の会駐在スタッフの鈴木さんが見える予定。26日の夜、JYICA地球広場で開催する現地報告会の打ち合わせなどの予定。沢山、参会者があるといいのだが。

 

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・・・記念日

2012-10-23 | Weblog

10/23(火) BOLGの日付を入れて、はたと思いだした。今日、10月23日は、一昔も前に所属した会社の記念日だ「電信電話記念日」というやつなのだ。何だか遠い日の思い出になっちまったな。社内でそんなことを呟いたが、何の反応もなかった。これもまた淋しいものだ・・・。

昨夜も、ローカーボでハイボールの飲む羽目になった。U老からお誘いの電話受けて、のこのこと参上した。遅れてAokiも姿をみせて三人酒となった。ここで終わればいいものを、U老の「Seijuの婆さんが淋しがってるぜ」の誘いで寄り道となってしまい、下手なカラオケを三人で唄う羽目となった。

そんなことで、今朝の体調も優れないのであるが弁当の準備にかかった。今朝はトンカツ」と「生姜焼き」がメインで、佐賀豚が連日の登場。そして、四方竹(今採れる土佐のタケノコ)と万願寺の野菜煮、ホタテのバター焼き、以上である。

                       

調理は何時もどおりのことで、何の工夫も新味もない。淡々と作るだけであるのだ。かくして、今朝も三人分の弁当が出来上がった。

                   

 

ベッタラ市での、ミャンマー学校建設支援の募金や小物販売などの総額が7万円近集まったとの報告があった。これに屋台の売り上げ20%を寄付金とするので、10万円を越して支援金となる。ご協力を頂いた皆様に感謝である。

                         

屋台の方は、分担金や仕入れを考えると相変わらずの赤字であるが、楽しんでもらうことが主眼なので致し方なし。土曜日には、久しく会ってなかったShimadaさんが、通営時代のメンバーと来てくれた。その上、大枚の募金までして頂いた。嬉しい限りであった。

mr.kansoのオーナー二人、LAのお嬢さん、清田・大谷の長老、元のスタッたちと、お祭りのおかげで顔を合わせることができた。祭り万歳と云いたいところ。少々の疲れ何ぞは、へっちゃらさと言いたいが・・・。来年は、土曜・日曜の二日間となる、今から要員の確保が心配なところだが、それまで会社が残っているか?これも心配か・・・。

 

コメント
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