オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

2017・最後の弁当&酒場

2017-12-28 | Weblog

12/28(木) とうとう今年も仕事納めの日となった。六時起床、今日の弁当は一つ。それも残りご飯で鮭まぶしにするのだ。

菜は、アジフライと里芋の煮物、炒り卵にチジミ風焼となった。簡単なもので、今年の〆の弁当とは淋しい限りであるが・・・・。

会社は五時で仕舞うことにしていたが、スタッフはまだまだ仕事があるようながら、一先ず缶ビールなどで乾杯して雑談をして盛りあがった。来年も、皆元気な姿をみせてくれることだろう。

                              

今宵は、USUI老が「高松」でスタンバイしている。今や酔っ払い爺を演じていることだろう。これから合流して今年最後の酒場巡りとなろう。HOYA兄貴に、スタッフのFUJIKURA(明日が誕生日)にAOKIも姿をみせるだろう。

明日の午後便にて帰省する。畑仕事はないので、墓掃除と焚火で焼きもかな?・・・・。帰京は一月の三日の予定。

それでは、さん、チョット早いが一年間ありがとうございました。良き新年をお迎え下さい。

 

 

 

 

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今年も・・・

2017-12-27 | Weblog

12/27(水) 今年も残り五日、時の流れと云うやつの早さに流されつづけて、あとわずかで新しい年となる。齢を重ねれば友達も出来なくなる、或いは減っていく、年寄りというものは面白くないだろうと若い頃は思っていた。

確かに、これまで両指に余る先輩や友人が冥界へと旅立ったし、退職や遠方と云うことで会うことがなくなつた友人たちも数多である。そう云う意味では、友人といえる人数は少なくなってきた。

一方で、新たな出会いが生まれて友人と呼べる人々もできた。歳をとっちゃ面白くなかろうと思っていたのは大きな間違い、引きこもりさえしなければ友達はできる。胸を開いてさえいれば人との輪は広がると実感する、年の瀬。

私人としての年賀状の発送が二日前に済んだ。この枚数は何年も変わっていない。この十年、家族のことを中心にした賀状にしており、余白が僅かなこともあり裏書は殆どしない。「この年賀状が面白い、楽しみにしてる」と、何人かから言われて、止めるに止めれないことも確かだ。

一方、先週にポストに入れた社用の年賀状には、珍しく裏書をした。と云うのも、業務で訪問する機会がめっきり減ったし、敢えて訪問しないようにしてきた。若い人たちの時代、何時までもうろうろしちゃ邪魔だろうと。そんなことから、平素の欠礼を詫びる意味合いで・・・・。

私・公、併せても千枚に届かない年賀状だが、双方に込めているのは「不肖ARISAWA・MASANORI、なんとか生きております。皆さまもお元気で」と云う思いである。新年、小生からの賀状が届きましたら、この意を汲んでやってください。

なんだかんだと言いながら、今年の幕を下ろし、新しい年を迎えるために最低限の準備をしている処である。

 

今朝の弁当は三っであった。冬休みになり、学童保育園に行く孫娘SORAの弁当を頼まれたのだ。その理由がふるっている。長女は前夜に忘年会があるとのことで、ついては飲み過ぎて弁当を作れないだろうから。であった。

SORAの好物は「唐揚げ」と、人参・胡瓜を塩で食べること。ご飯は「塩オムスビ」なのだ。結構、好き嫌いがあるのだ。

従って「鶏唐揚げ」と、大人用に「ホタテ&椎茸フライ」を加えてメインにした。そして、ウインナーと安納芋も揚げた。朝から揚げ物をやる、妙なオッサンなのだ。

                   

胡瓜と人参を塩揉みし、卵焼きを作る。塩秋刀魚を焼いてお仕舞だ。変り映えしない弁当であるが、思いだけはタップリと詰まっている。はずだが?。

                       

 

― ラーメンを喰う!―

昨夕、仲間のHAMANO君が仕事帰りに人形町に寄ってくれた。彼によると、一年ぶりとのことである。一日の出銭が500円(食事・タバコ・酒も込みだ)と云う、大した暮らしをしているHAMANOである。

彼の生活を真似たいものだが、今はとてもできそうにない。残念ながら・・・、彼の二十倍以上が出て行く日々なのだ。だから私はHAMANO君を尊敬している。

彼とは、津田沼にあった前原独身寮で一緒だった。四十数年前の夏、江の島であったヨット部主催のヨット教室に参加したら、彼も来ていた。その時、同じ寮であることが分った。職場も仕事も違っていたが、それ以来の付き合いである。

彼と「ちょっぷく」で飲み始めて、「ローカーボ」へと移動。独身寮時代の仲間のことや、彼も近況などを聞いて時を過ごした。HOYA兄いが加わり、古くからの友人、そして人形町酒場で出会ってからの友人、と新旧の友人が交わった。そこに人生の面白がある。

最後に、三人でラーメンを喰うこことになった。人形町交差点の近くに在る「由丸ラーメン」で、生ビールと坦々ラーメンを喰っちまった。このパターンは数ヵ月も止していたのだが・・・・。

古くからの友人に会ったので気が緩んだか?。誘ったのは、なんと!私だ。HAMANOが腹を減らしてないかと、気遣いもあったろうが。

 

 

 

 

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焼飯

2017-12-26 | Weblog

12/26(火) 今日の弁当は炒飯ならぬ「焼き飯」となった。昨日の残りご飯があったので、チキンライスor炒飯かと家人に訊くと返ってきたのが焼き飯と云うリクエストであった。何故?かと自問すると、油を使うのを嫌ったことに行きついた。

リクエストどおりに、焼き飯を作ることになった。菜の方は、昨夜の帰りに買ったステーキ肉(アメリカンの安いやつだ)と、パスタサラダ、キャベツの塩昆布和え、定番の卵焼きと云うことになった。

焼き飯はいいのだが、ご飯がコシヒカリなのでモチモチしている。焼き飯には向かないが、リクエストとあらば致し方ない。ソーセージと人参・タマネギを少々加えた焼き飯となった。

安いステーキ肉だが、取って置きの「根コブだ出汁」を使うと旨さ倍増、美味しくなるのだ。パスタサラダにブロッコリやゆで卵などを加えてマヨネーズで和えた。キャベツは塩揉みしてから塩昆布と混ぜるだけのことだ。

               

そんな次第で、二人分の弁当が出来上がった。パスタサラダもキャベツの塩昆布和えもどうと云う代物でない。なんだか手抜きのオンパレードと云う感じだねぇ~。

                            

 

昨日は午後八時頃に会社出た。何時ものように「ローカーボ」に寄ってハイボール飲む。店には未だ客の姿がなかったが、三十分もしないうちにNAKAMURA王子とIMAEの兄さんが姿をみせた。

二人を相手にバカ話をしているうち、表情豊かなIMAEのことを肴にした。何時もと違うヘヤ―スタイルで、髪を前の方に垂らしている顔が、芸人のアズマッチ(東)に似ていることに気付いた。それを言うと、マスターも王子も「そうだね…よく似てる」となった。

                         

                           王子とアズマッチ

そこで、IMAEのあだ名を「アズマッチ」にすることにした。或いは、アズマッチIMAEかな・・・・・。年の瀬、と云うにこんなことをして遊んでいるのだ。

 

 

 

 

 

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2017年ゴール目前・・・

2017-12-25 | Weblog

12/25(月) 今年のゴールが目前に迫った。何をしようがしまいが、時間だけは勝手に経って行く。ぐるぐる回っている中の一コマと思えばさしたることもないが、人間って云うやつは何かと節目を付けたがる。その方がメリハリがあって生きやすいのだろう。

そなんことで祝日の23日(土)、我が家では恒例の家族揃って歌合戦ならぬ「クリスマス会」が開かれた。夕方から始まるのだが、休みの予定だった長女が急に出勤となって準備の手伝い方がいなくなった。上手い具合に、家人は訪問予定がキャンセルとなって昼前から準備に入れた。

木偶の坊のOYAJIは、暇にあかせて寝れぬ競馬『「馬記念」の馬券検討をして部屋で一人遊び・・・・・。そんな処へ、早くから来ていた孫のSORAが「ニイサン早く来て~、ババが手を切っちゃった」と呼ぶ。やおら立ち上がって隣の部屋に行くと、家人は指に巻き付けたティッシュを血に染めていた。

訊くと、研いだばかりの包丁で大根を切っていて指を切ったとのこと。大きな大根なので力を入れていたのだろう、傷はかなり深いとのことだ。縫った方が治りが早いだろうが・・・・。取り敢えず身をくっけて血止めと傷口をくっけるつもりのようだ・・・・。御気の毒に・・・・。指先は痛いし、生活に支障が多いのだ。

ドジな奴め、と言ってやりたいがそこは大人だ。余計なことは云わず、台所仕事のつづきを引き受けることにした。ここらが、日頃から台ドコに立ちなれてる人間は便利だ。牛筋煮やサラダ、焼き豚の盛り付け等々。幸いにも粗方の料理の下拵え、味付けが済んでいたのだ・・・・・。

日暮れ頃になって、長男夫妻、次女一家が来、長女一家が揃い、末娘も遅くにやったきた。家人の妹とその次男も来て、狭い上に獺祭のあばら家は満杯になった。その頃には、賢人は部屋に逃れて馬券の検討を続行していたが・・・・・。

自分で馬券を買うことは稀、と云うか誰かが買う時に遊びに付き合うことあるが。「ちょっぷく」で一杯やりながらYAMAちゃんに一緒に買ってもらうとか、YOSHIOにお任せの相乗りはするが、当たるのも稀である。それなのに、TVのCMに踊らされて今回は、二度目の渋谷馬券売り場に寄る気になっていた。

                            

日曜日、多摩川のボートレースにNAKANOオヤジから行こうと誘われていたので、渋谷まで出る必要があったのだ。そのついでに渋谷の場外馬券売り場に寄っていこうと考えていた。そんな次第で、三連複を中心に十点ほど買う心算で萎んり込んだ。

日曜日の昼前、曇り空の下を渋谷で一万数千円をはたいて馬券を買った。NAKANOオヤジに電話をすると、「今日は疲れたのでボートへは行かない」と、軟弱な応えが・・・・。ここまで来て、家に引き換えすのもしゃくなので、電車を乗り継いで多摩川の競艇場まで独行した。七レースから十レースまで遊んだが、安めの二レースを取っただけで嫌になって帰ることにした。

一人、電車乗り場へとつづいている架橋を登っていると、四十見頃の男がブツブツ言いながら降りてきた。「やっぱりキタサンは強いな・・」などと独り言を吐きながら。それで思い出した、有馬記念のレースが終わったことを・・・・。

なに?、キタサンだ、じゃ頭は2番か。ホームに入り、電車を待つ間にスマホでレース結果を見た。すると、2-3-10で一着から三着だ。となれば・・・、馬券を取りだして確認すると当っていた。これで、残り物のクリスマスケーキぐらいは買えるな・・・・・。加えてボートの負け分も帳消しだぜ!。少額であれ、馬券が当たるのは年に一度か?二年に一度かもしれない。要は、馬券を買う頻度が少ないのだ。ヒヒーンがネ。

そんな一人遊びで、日曜日は暮れていった。菜を買って帰宅し、指を怪我している家人に変って晩飯の用意をした・・・・・。

 

そして今朝、何時ものように弁当を作る。今日は一人分の弁当で、更に「軽めにして頂戴」の仰せがあった。

軽めねぇ~、ご飯軽め、菜も軽め。OYAJIの頭も(内・外)軽めときたもんだ。おまけに財布も軽めとくりゃ、云うことなしだが・・・。今週位は財布の方は持ちそうだネ、昨日の馬券のお蔭で・・・・。

「茄子・茗荷と豚小間の味噌炒め」「ポテトサラダ」「炒り卵」、家人が作った「焼き豚レタス挟み」、以上が今日の弁当である。

                 

弁当とは別に、大根煮を準備した。MITUHAHSI君から大根(家人が指を切ったやつ)を煮ることにした。昨夜、真昆布を鍋に入れて出汁をとっていた。それに、マグロ節を加えて出汁を朝になって作った。大根の面取りをし、あとはじっくりと煮込むだけだ。美味しくなってくれればいいのだが・・・・。

そうそう、出汁をとった昆布を刻んで、ゴマ・醤油・砂糖で炒り煮した。これも弁当に加えたのだった。

 

 

 

 

 

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柚子湯

2017-12-22 | Weblog

12/22(金) 昨夕、来てくれた、MITUHASHI君が何時ものように野菜(根菜)を沢山持ってきた。平塚で一反の畑で野菜を栽培しているとのことで、冬場なので根菜の大根・里芋・安納芋をリュック一杯に背負ってきたのだ。

一緒に飲んだKAKINUMA君は重いので要らないと云う。二次会の「ローカーボ」まで、AOKIに取にきてもらった。持参した中に小さな柚子があり「明日は冬至なので持ってきました」とのこと。折角なので、里芋・大根にそれを二~三個持って帰った。

朝の出勤前に畑から採ったと云うだけあり、泥だらけの根菜たちであった。重い思いをして持ってきた野菜だ。感謝して頂かなくてはと、里芋は今日の弁当用に早速使った。

夫々に仕事がらみの話もあり、伝えることは伝え、言いたいことは云い、年末を飾るに相応しい懇談であった。

二次会の「ローカーボ」まで行ったのはMITUHASHI君だけだった。店に客の姿は無かったが、三十分も経たないうちに、混んできた。HOYA兄い一行や常連達で賑やかになってきたが・・・・。

体が痒くなってきたのだ、首周りから胸と痒みが増してきた。どうにも我慢できず、先に席を立って失礼をした。駅に向かいながら「、どうしのかと考え・・・・ハタッと、行き当たったのが〆サバだった。

一軒目の店で、刺し盛りを頼んだ。刺身に箸をつけるのは稀だが、鯛と〆サバを一切れづつ食したのだ。あの〆サバに違いない。ここん処、酒場疲れに加え、眼まで痛くなった。体調が良くないとこへ、〆サバを喰ったのがいけなかったに違いない。こんなことは、初めてだが・・・・・。

幸いにして軽かった。家に着く頃には楽になっていたから。我が家の専従医療担当に話をすると「サバね」と、軽く言われ「それが原因で、心臓にきて亡くなることもあるから」と、つづいた。

更に、今朝方は、起きてきた家人が「死んでんじゃないかと思ったわ」なんて、ぬかしやがった。こっちはせっせと弁当を作り、コーヒーまで淹れてやってると云うのにだ。

話が支離滅裂になってきた・・・・。

要は、意義深い前夜であったが、最後に蕁麻疹に往生したということだ。

で今朝は、六時半から弁当作りに入った。MITUHASHI君に頂いた里芋を茹で、筍と煮た。そして、チンジャオロースを作り、冷凍庫のそこで眠ったいたタラ味噌漬けを焼き、炒り卵でお仕舞にした。

                   

弁当事を終え、風呂に入る・・・。今日は冬至だ、柚子湯に浸かろうと、M君に頂いた可愛い柚子(花柚子というそうだ)と、我が畑に成った柚子を風呂に入れた。柚子風呂に浸かりながら、そんなに長寿は要らないので平穏な日々を願った。

                   

今夕は、会社の忘年会である。社内で行う「乞食の酒盛り」だが、最近は酒飲みのスタッフが激減。大人しい忘年会であろう・・・・。

 午後六時過ぎ「乞食の酒盛り」がスタートした。例年と違い、今年の酒盛りはシャンパンで乾杯、そして料理はスペイン料理ときたんもんだ。姐さん方の趣向であろうが・・・・。

料理は今年隣にオープンしたスペイン料理店からの仕出し?デリヘル?・・・デリバリか?。料理の方は中々美味しかった。USUI老が先般もってきたオーガニックの赤ワインも開けたが、誰もコメントしなかった。美味い赤ワインであったのに・・・・。乞食には味が判らんだろうなぁ~。

                    

 

 

 

 

 

 

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トラウトのバター焼き

2017-12-21 | Weblog

12/21(木) 昨夕は、京王プラザホテルの日本酒BAR「天の川」にて、AD時代のメンバー、KIYOTA大兄、TAKAHASHI君との懇談であった。この店を使っているT君が予約したが、『京王プラザは遠いね』と、難色したが無駄な抵抗だった。

ゆったりとしたカウンター席に陣取り、大兄を中にして懇談。大兄は頸椎損傷で長く苦しんでいたが、根気よくリハビリした成果で杖なしで歩けるようになっていた。

朝から眼の具合がよくないので、酒も控えめにして三種の酒を、一合半程度に抑えた。二次会は45階にあるラウンジに席を移し、ウイスキーを軽く飲んだだけである。そんなことで、帰宅は午後九時と、超早であった。

駅前の東急ストアで弁当の菜を買った。それが、鱒の切り身である。もう一品は、オージービーフの切落としで、〆て1100円と安い買い物だった。

眼科医から、酒は控えめに、睡眠は十分にとか言われたので、この夜ぐらいはと戒めた。蒲団に入ったのは十時過ぎと、滅茶滅茶なお利口ぶりだ。そんなに早く寝た所為であろう、よく眠ったと、目覚めた時刻は午前一時半!。

こんなに早いと参るよねぇ~、かといって眠くはなし、本を読むには目が・・・・。困ったねぇ・・・・。ラジオを点けたり消したり、CDを聞いてみたりして時の過ぎるのを待った。五時を過ぎた頃から少し眠気がやってき、六時になると本格的に眠くなったが・・・。弁当作りに入る時刻だ・・・・。

メニューが決まっているので、弁当作りも楽ちんだ。

米を洗い電気釜のスイッチを入れる。鱒の切り身を酒・出汁を掛け、ローズマリーを重ねた。チリ辺りの養殖ものだろうから臭みがあるかもと。

                   

牛小間の方は、シメジと炒めて取っておきの焼肉タレ「プルコギジャン」で味を付けた。卵は「オムレツ」にしたが、具はエノキとジャガイモの千切りである。モヤシがあったので、茹でてドレッシング和えにする。

                   

寒いので残り物の「モヤシ」で卵スープを作って家人に飲ませた。親切なオジサンだねぇ~。

 

今夕は、近場のビルに勤務している後輩二人、KAKINUMA君とMITUHASHI君の両名が来ることになっている。人形町の安酒場を散歩することになろう・・・・・。

 

 

 

 

 

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目・眼・メ・・・

2017-12-20 | Weblog

12/20(水) 今日は先ず、目にまつわる話からスタートしよう・・・・。昨夕、後輩のYOSHINO君から電話が有り「年末の挨拶ぬ伺いたい」との話。挨拶と云うよりは、年末の一献と云う処が正解だろうが。

上手い具合に、今週はこの夜だけスケジュールが空いていた。で「ちょっぷく」で合流し、ビール・ワイン・ハイボールに日本酒と、珍しく日本酒まで飲んだ。諸々の話の序に、白内障の手術のことまで聞いた。彼は数年前に両目を手術しているのだ。

『俺も最近、目が霞むのよ。年が明けたら眼科で診てもらい手術しようと…』なんてことを話した。その後、「ローカーボ」でNAKAMURA王子やマッチャン、更にIMAEの兄さんまで来て賑やかにしていた。

                 

               眉毛と顔芸のIMAE兄さん

人形町を出たのは23時を過ぎていたろう。マッチャンが交差点まで送ってきたようにも思うが、そこは靄に霞んでいる。メトロに乗り、何時の青いシートの端っこに座って眠り込んでいた。終点の乗換駅、中目黒について、目覚めた。

席を立とうとしていたら、前の席の人が「メガネが落ちてますよ」と親切な声を掛けてくれた。足元を見ると、確かにメガネがあった。ボヤケ眼ながらも自分のだろうと、拾って掛けた。目の前が少しはっきりとした・・・・。

乗り換えた東急電車の中で、胸の辺り手をやると・・・?、なにやら入っている。なんと、自分のメガネであったのだ。じゃあ今掛けてるのなんなんだ?。恐れ入ったね~、人形町駅で乗った時は、足元にそんなものは無かったはずだが・・・・。誰が落としたのか、置いたのか・・・。

それにしても、他人のメガネを掛けて違和感なかったとは・・・。酔っ払ってたんか、相当ボケがすすんだかだな・・・。何れにせよ、お粗末な話である。

                        

                          左が自分のメガネ

帰宅は零時頃であったか。起きていた家人にその話をして笑われた。

そして今朝、目覚めが良くなかったが弁当を作るべく体を起こした。そして眼をこすった。痛い、猛烈に痛かった。手鏡で目を眼を見たが、何の変化も変調も見当たらない。それで痛くて涙がこぼれる、鼻水もでる・・・。

家人にも診てもらったが、分からない。眼球に傷がついたのか・・・・。痛い目を我慢し、弁当を作った。使命感に燃えているではないか・・・眼がメラメラと燃えるように!。否、痛いのだ。

年明けに眼科を訪ねる予定が、一月も早まって近所の眼科に行く羽目になった。一時間以上も待たされ、診察を受けた。最初は判らなかったようだが、よくよく診察をすると眼球の黒点に傷がついているとの診断。

左目の視力は殆ど無いに等しく、ぼやけて見える。白内障の方は、手術の必要なしとのことで、これだけが不幸中の幸いだった。それにしても、なぜ、どうして目玉に傷が・・・・?。点眼薬を処方してもらい、注すだけのことだが。

お酒は控え、睡眠を取りなさい、とのことだが・・・。この時期にそんなことを言われてねぇ~。今夜も明日も、明後日、夜の予定だけは一杯なのだから・・・・・。

以上、メガネと目と眼の、お粗末な出来事である。

そしてお弁当だが、眼が開かない状況なので気合が入らない。が、鶏唐揚げと牛蒡&人参の掻揚げ。白菜の豚バラ巻煮、塩秋刀魚焼き、卵焼き、以上を辛うじて作ることができた。

                     

 

 

 

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サンドイッチ

2017-12-19 | Weblog

12/19(火) 数日前、一冊の新書版サイズの本を買った。買い物にでたついでにブラリと書店に寄り、読み物を探した。そこで目に入ったのが「リンゴの花が咲いたあと」という、木村秋則さんの新刊であった。日経新聞社出版局が版元で、2017年12月8日が初版である。

この本をカバンに入れ、出勤時の車中で読んでいるがそろそろ読了する。当社が受託した某社の情報誌の取材で、木村さんのインタビュー記事を掲載したのは、確認したところ2010年9月1日号であった。書き手は、メインライターであり当社の創業者のさんである。取材は夏の盛りであったが、残念なことに私はこれに立ち会へなかった。

「リンゴの花が咲いたあと」には、自然栽培でご苦労された下りから、艱難辛苦の末にリンゴが実を付けたこと、米・野菜・果樹に至る自然栽培の実践と、自然栽培法の国内はおろか海外に至る普及と、無理解・困難。そして、志を同じくする人々との出会いと希望が記されている。

TUGAWAさんがインタビューしてから後のことを垣間見ることができる。如何にも木村さんらしい(お会いしたことすらないが)優しさと信念、一徹さが滲み出た内容で興味が尽きない。

今日の冒頭を何故こんな話から始めたか、と云うと残り数ページで読了し、手元を離れるからだ。忘れないように記したと云う次第である。農業の、自然栽培の教材・参考書としてではない。一人の人間の信念が世の中を拓き、希望の輪を無限に広げる、その可能性に満ち満ちていると云うことだ。

余談ついでに、津川さんがインタビューした翌年であったろう。岩木山の麓にある木村さんのリンゴ畑を、リンゴが赤くなった秋深まる頃に訪れた。微かなTUGAWAさんの記憶を頼りに・・・・。広域農道沿いにリンゴ直売点があった。立ち寄って木村さんのリンゴについて訊いた・・・。如何にも迷惑そうな顔で「ああんなものが・・・」と云うような言葉が出た。先人とはそう云うものであろう、ガリレオも然りだ。

この時は「森のイスキヤ」に、佐藤初女さんを訪ねる取材であったはず。初女さんが亡くなられたのは昨年の2月加・・・・。津軽の思い出は尽きない。

 

さて、本題の「サンドイッチ」に入ろうじゃないか・・・。

昨夕は、友人でT物産社長のO氏と二人だけの忘年会。今年最後になるかもしれないと、共通の場である「奈加野」になった。人形町で買った鯛焼きを、店の手土産にしたが、この匂いがメトロの中に漂い往生したのは、ご愛嬌と云うことで・・・・。

時間が早く、客は我等二人だけだった。O氏から公取の顛末を聞きくと ― ある事案で、1年近くも公取から調査をされていた。が、氏の会社は本筋ではなかったが、とばっちりを受けたようなことらしい ― 「改善命令が出たので、回答に不満を書きたかったが、弁護士から、命令の撤回例はこれまでなく時間が無駄になる。と言われて、矛盾点だけは書いて、受け入れることにした」とのことであった。

ご苦労なことであるが、つい最近では建設業界のことが紙上を賑わしているが談合体質と云うの、互助会組織のようなもので根絶しがたいのかも・・・。先行開拓=巨大化=大手=利権化&談合(分配システム)と、こんな図式になろうが、既存のビジネス分野において顕著になることは推測できる。ただ、O氏の会社は新参だろうに・・・・。

そんな話が済んだ頃に、店主が登場。ゴルフの話などに花が咲いた。ドライバーの距離が落ちた、二〇〇ヤードしか飛ばないとか・・・。こっちはゴルフを止めて長いので、ただただ頷くだけであるが、その昔、三人でバンコクまでゴルフやりに行ったのだ。確か、二度一緒に行っている。30年も昔のことだが、珍旅行だった・・・・。

またしても余談に・・・。O氏はよく食べるが、アルコールはビールをグラス3杯で打ち止めの下戸。食べるものを食べ、話すことを話せばお開きだ。7時半前に、店を出た。学芸大学に着いたのは8時前と、超早の帰還であった。

店仕舞い中の、高架下のパン屋の食パンが目についたのでサンドイッチ用に贖った。この時点で、今日の弁当が「サンドイッチ」と決定した・・・・。

食パンを目にするまで、弁当は「トンカツ」をメインにするつもりであった。食パンを目にした瞬間に「カツサンド」の文字が点滅したのである。単純明快、オヤジと云うやつは、こうでなくちゃならぬ

てなことで、今朝は7時からサンドイッチ作りとなった。メインのカツサンドの他に「ハム入り野菜サンド」「卵サンド」の3種を作る。面白くも可笑しくもない「サンドイッチ」が出来上がった次第。

                 

残っていた手羽元を唐揚げにし、椎茸カツも付け足した。朝から揚げ物とはねぇ~だ。因みに、今日の弁当は二人分。余ったのは会社に持参か・・・・・。

 

 

 

 

 

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料理教室忘年会

2017-12-18 | Weblog

12/18(月) 16日の土曜日、高輪台のJIN先生宅に人形町を根城にするオヤジたちが参集して今年最後の料理教室が開催された。

この会は、パトロール隊(近隣の酒場の)を自認するオヤジ達が、酒場巡りの他にも遊びと刺激の場を広げようと云うことから始まった。

今年の一月二十一日(土)が第一回で、今月で第八回となる。厳寒からスタートし、長雨、猛暑を乗り越えて、一年の締めくくりができることになった次第。其処で、年末の会では教わった中から自分たちで料理を作って披露することと、出来上がった後は忘年会と称することにした(勝手にだが)。

今年を締めくくる教室だが、若手のIMAE君とFUJIKURA君の両人は所用の為に欠席し、HOYA、NAKAMURA、MATUOKA、AOKIに小生のオヤジ組と、ロンドン旅行から帰ったばかりと云う写真家のHANADA女史が加わった。

自分たちで作るメニューは「春巻き」「タコの酢物」「牛蒡唐揚げ」に「鶏つみれ鍋」と云うことだが、鶏つみれは、出来合のツミレを「日山」から調達したし、白菜をカットしただけで後は先生にお任せとなった。

                     

レシピを横目にして、用意してもらった食材をカットし、調味料を準備して混ぜ合わせ、炒め、揚げてとなれぬ手つきでオヤジ達は頑張った。概ね二時間半ごの午後五時に乾杯のグラスを掲げることができた。

             

私は郷里の酒「南 大吟醸」と缶ビール、他のメンバーも焼酎・濁酒・ハイボール・紹興酒を持参した。この会では、飲み物持参が原則。SEIJU会と同じようなシステムなのだ。

JINN先生と助手のJINNOさん、監督官の役目のJINパパと、総勢九人で今年最後の宴を楽しんだのであった。一人づつ、感想や御礼を述べて和やかなうちに高輪台の夜は更けるのであった。

翌、日曜日は奈加野のオヤジと昼過ぎに平和島に出撃したが完敗。店があると云うオヤジの言葉に乗り早々に撤退した。反省は後の祭り、先に読みを深くしなきゃ・・・・。そんなものが判りゃ、面白くねぇだろう・・・な

 

そして月曜日の今朝を迎えた。深夜、二時半に間が覚め、暫くTVを見ていた。寿司職人を養成する、それも二ヶ月のコースであるが、海外からの求人が沢山あった。レポーターは、タケシ軍団の玉袋スジタロウと水道橋博士に女性だが名前知らず。なかなか面白かった、最後に水道橋が新刊のPRをしたが「芸人春秋2」と云う自著。芸人春秋は読んで面白かった、新刊の方も買う気になった。そして何時の間にや寝ていた・・・・・・。

起床はなんと! 七時半であった。だが、今日の弁当は家人だけである。家人が出掛ける時間まで一時間はあるので、慌てることもない。加えて、昨晩家人が作ったハンバーグを弁当用に取ってあるのだ。

飯を炊き、菜を考えるが・・・浮かばない。前日に買った「鯖文化干し」と「鶏手羽」を焼くことにした。ついでに椎茸もソテー。最後の一品は「卵焼き」だが、ホタテ入りの出汁巻卵にした。

                   

鶏手羽は骨付きなので弁当にそぐわない。と判りつつも焼いたが、一つ入れるのがやっとだった。

                   

 

 

 

 

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お鍋会&煮物

2017-12-15 | Weblog

12/15(金) 早や週末を迎え、今年も余すところ二週間余。只々息をしているだけなのに、暦は捲られて日々を更新する。今年も年末始休暇が始まる29日~正月3日まで帰省となる。独居老母を抱えた田舎出の宿命である。

師走の飲み会も、来週は辛うじて火曜日だけが空いているが、これも埋まることだろう。酒を飲んでりゃ何時のまにやら大晦日、そんな気配がする。毎年のこととはいえ、草臥れてくるのは齢ゆえか。なるべく早目の切り上げに努めているが・・・・。不義理を重ね、顔を出さねばならぬ店も何軒かあるが・・・・。

そんな気忙しい年末であるが、昨晩は人形町パトロール&オヤジの料理教室の面々で鍋やこれまでに習ったメニューから「春巻き」などを作り、懇談となった。暇なオイラが食材の手配をして、マッチャンの事務所で腕前?を披露となった。

マッチャンは洗い方や食器揃えで活躍した。遅れてやってきたHOYA兄いがマッチャン委教えながら春巻きを巻いた。これで、明日の料理教室は万全か?。

タコと胡瓜の酢物、牛蒡の唐揚げ、春巻きにメインの鶏団子鍋を肴に、NAKAMURA大将、HOYA兄い、マッチャンにAOKI、佐賀から出張の地球市民の会・OONO副理事長も加わって山賊の酒盛りであった。買い物で手間を掛けさせたYOSHIOも仕事帰りに顔を出してくれた。まさに人形町オヤジ会であった。

二次会は「ローカーボ」へ。調理中にマスターが顔を出してくれたが、準備の最中だった。残り物の鍋と酢の物がお土産になった。客足が途絶えていた店が急に賑やかになり、何時もの夜が戻った。

十時半になり、体調管理に気を使うオイラは「お先に」と席を立った。帰宅は23時40分であったか。今朝は四時半起きと言ってたHOYA兄いは、未だ残っていたが・・・・。

 

健全指向のオイラは、六時半に蒲団からでて台所へ。今日の弁当は二つ、家人と長女の為に飯を炊き、菜を作る。といっても、変り映えがしない何時ものメニューだ。

先ずは「鶏肉と根菜の煮物」「チンジャロース」「塩秋刀魚焼き」「小松菜の炒り卵」「小松菜煮浸し」と、面白味のないメニューが出来上がった。小松菜は、葉色が変わりかけていたので二種となった次第。

                        

来年はもう少しレパートリーを増やして、面白くしなくちゃなんないな。弁当作りも十年になるからね・・・・・。

                              

 

 

 

 

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