9/30(水) 今日で9月も店仕舞いだ、早いね~。暑さでフーフー言ってた夏から、あっと云う間に秋風がそよぎ、今年も余すところ三月だぜ。こうも早く月日が経つんじゃ、爺になるもしょうがねえ・・・。酒を飲んで酔うのが早い、これもお齢の所為か?
昨夜は思いがけずに乱れ酒になったようだ? 19:30に会社を出て「ローカーボ」へ。酒場仲間の悪徳ちゃんが、既に飲んでいた。隣に座り、我が入居ビルの競売の話や、先週末の三浦屋{ラーメン店)での一件など喋りながら飲んだ。暫くしてTOKIOがやってきた。珍しく、HOYA兄さんの姿が見えない。
あれこれ喋っているうちに、「ちょっぷく」に流れることになった。悪徳チャンこと不動産業のマッチャンが言うには、「ちょっぷくは、一人で入れないんですよ」とのことだ。私とTOKIOは、介添人と云うとか?確か先週も一緒に入っ覚えがある。そろそろ独り立ちが出来る頃合いか?
「ちょっぷく」は、丁度団体客が引けた後とのことで、静かになっていたが、店主のYAMAちゃんはルンルンしていた。客の入りが良ければ、経営者は笑顔になる。典型だな!ここじゃ最近赤ワインにしている。美味くもない安ワインをグビグビやりながら・・・・、なにを喋ったの記憶にない。
記憶にあるのは、「SEIJU]の婆さんの顔を見に行こうと、悪徳チャンと店を出る時に、入り口に急拵えで置いた席に居た中年の二人連れ。初めて見る顔と目があった。その瞬間『これからカラオケにいくぜ、一緒に行こうぜ』と、誘っていた。
乗りのいい二人連れ(所謂アベックと云うやつか)が、ホイホイと付いてきた。誘う方も誘う方だが、付いてくる方も、くる方だ。酔っぱらいのやることは、訳が分からん・・・。SEIJUに入る前に、その二人に釘を刺した・・・・銭は持ってるか?そんなことは言わん。もっと大事な、大切なオイラが決めたルール、お店での規則と云うやつだ。
『歌はな!なにを唄ってもいいが、昭和五十年代までの唄だぜ。それ以外はダメだからな!」と、厳しく念押しをしたのである。店内に客の姿はなし、急編成の我等四人組が、今宵の客だったようだ。何かを唄ったんだろうが、覚えなし。初見の二人も気を遣いながら古い歌を唄ったようだ。デュエット、とか言われたような朧な記憶があるが、唄った覚えはない・・・・。
SEIJUのマッチャン
何時の間にや23時を過ぎ、婆さんは魔法が解けぬうちに箒ならぬ電車に乗る時間が迫った。そこをグズグズと二・三曲マイクを放さず(オイラじゃないよ)粘った末に、お開きとなった。そのまま駅に向えばいいものを、一人でまたしても「ちょっぷく」の前に居た。家に帰りたくない病か?
既に片付けも終わった店内には、YAMAちゃん店長と助っ人隊長のミムラッチだけが残っていた。『早く帰れよ、電車亡くなるぜ! 』と、いうと「もう泊まりだよ、その方が体が楽だ」と返ってきた。『そんなことしてると、死ぬぞ』といいながら、『じゃ、赤ワインだ』と云いながら、北原健司の”故郷の話・・・・”を口ずさんだ・・・、脳梗塞や脳出血で酒が飲めなくなったにも関らずこの歌が出ると俄然ノリノリのYAMAちゃんが、後を引き取って唄い始める・・・・。
ミムラッチ ゴールドカード
またしても、閉店後のカラオケ居酒屋になっちまった。そのうち「ちょっと、あの特効薬をくれよ」と、YAMAちゃんが煩い。この前から、顔見るとこればっかだ。こっちも酔ってるもんだから『判ったよ、やるよ』と、取って置きのドイツはバイエルン社製の黄色の妙薬を渡した。お礼だと、ゴールドチケット二枚をくれながら嬉しそうな顔をしてたが・・・どうするんだろうね?
気分は歌い手?のYAMAちゃん
それにしても、酔っちまった。家に辿り着いたのは25時過ぎ。そこからが大変だった。気が付くと、リビングの椅子に座って寝ていた。午前5時だった・・・。おまけにバナナを二本喰っていた。
そんな次第で、今朝は完全な二日酔いであった。弁当作りも七時からとなり大慌てだ・・・。米を磨ぎ、ガスで炊く、菜の方は鶏肉と大根・人参・オクラの煮物。
生鮭のバター焼き、豚小間と野菜(ピーマン・モヤシ・アスパラ)の炒め、卵焼きを手早く?作ったのである。
二日酔でぼやけた頭にも、時期遅れの朝顔の鮮やかさは新鮮に映る。