オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

イージー弁当

2014-05-30 | Weblog

5/30(金) 早や週末で、なおかつ月末となった。月日の流れは速い、早いと実感する。この調子じゃ、あっち側からお迎えが直ぐにも来そうだぜ。今日は東京地区のOB会総会があり、10時前にホテルグランドパレスに入った。先輩の思召しで、OB会の理事とやらに指名されたのだ。なんでもやれと云われたらやるしかない・・・。

総会の後は講演会がありり、その後は懇親会となる。年々に参加者が少なくなっているが、これはどんな会にもあてはまる。高齢化と価値観の変化によるものだろうが、会員拡大が喫緊の課題でもある。

何時もなら、何人かの知り合いに挨拶の後は懇親会を抜けるのだが、今回からはそうもできない。挙句に、散会後の関係者の食事会にも付き合いビールだ酒だと飲んでしまった。前会長のUDAさんから後の予定を訊かれたが、今夜は予定ありとお断りした。五時から社内の打ち合わせ、その後に飲みニュケーションとつづく。

今日は朝から暑い、蒸せるような気温である。昼酒の後は、余計に暑い。飲まなきゃいいのだが、そうはいかんのが人生と云うやつだ。因果なものである。

 

さて、今朝の弁当は「牛煮」と海鮮(イカゲソと小エビ)のバター焼き。付きあわせの野菜(アスパラ・人参・オクラ)はオリーブオイル炒め、定番の卵焼きであった。

              

牛煮は、蒟蒻と椎茸・タマネギを一緒に煮る。何ともイージーな菜だが、出来上がりは早い。昨夜の酒が抜ける頃合いに仕上がった。拙かったのは、今日は二人分の弁当でよかったが、三人分も作ってしまった。かといって、私は食べない。朝の食事は、昨夜の残り物のサラダで済ませた。これって二日酔か?

                    

梅干し入りの「日の丸弁当」だぜ。暑い日には、梅干しで食が進むだろう・・・・。

 

 

 

 

 

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佐賀・水神・高知

2014-05-28 | Weblog

5/29(木) 昨日の午後便で高知から帰京。土曜日、佐賀市での地球市民の会・総会と講演会に出席。夜の懇親会にも参加して佐賀の夜は更ける。二次会は何時もの「寄ん処」である。最後は眠くなって店を後にした。女将からお土産にと酒を頂いたので、酒好きだった亡父の霊前に供えた。

地球市民の会・総会に引き続き記念イベントの講演がある。今年はあの「くまモン」の育ての親ともいうべき、くまもとブランド推進課長NARUO氏による「くまモン誕生秘話」であった。NARUO氏は会のメンバーでもあり、以前から知っている。が、今回はあの「くまモン」まで登場した。

            

講演が終わり、感じたのは「くまモン」は成長したと云うことである。人気とともに成長、成長するからこそ人気が広がる。「成長ってどう云うこと?」かって。そんなことは勝手に想像してよ!私自身はゆるキャラとか、B級グルメとかに関心は薄いし、そういう時流がそもそも嫌いなんだ・・・ヒネクレものめ。

帰京した昨夜、地球市民の会・副会長のYAMAGUCHI氏が熊本から上京。『ここらで一番人気があって高級じゃない店に案内する』と、人形町「ちょっぷく」で一献交わした。繰り言かもしれんが、一言忠告したのは、昨年5月に募金が終わりミャンマーの学校建設(カンカウン準中学校)が始まっていた。その後の状況、情報・報告がなかったことについてである。

学校は今年3月5日に落成式が行われていたことを、佐賀で知った。『例えば、今飲んでいるこの店にも募金箱を置かせて貰った。色んな方の協力を頂いたお金なんだよ。その方々への報告や御礼を申し上げなくちゃ。僕らはそれが済んで、はじめて終わる。そして次のプログラムへとスタートできる』と。

そんなことが、けじめが付いてこそ、NPO活動の支持や支援は継続さるはずだ。私が推進しようとしている、故・古賀武夫会長の物語の果たす意義と必要性についても改めて話をした。漸く腑に落ちたようだ。が、私からすれば何を今更と云う気分であった。「出版を実行すると理事会で決まった」と、事務局長から昨年末に聞いたが、いったい理事会でどんな議論をしたのかと・・・。

  -水神-

話を戻すが、日曜日は福岡から高知行きの飛行機に搭乗した。福岡空港で時間があったので、空港内の小さな本屋の棚で庫本を物色した。神の啓示か「水神」(帚木蓬生著・新潮文庫)と云う本に出会うことができた。。昨年の9月に訪れた、筑後川・山田堰の堰堤と水路を発案し、身命を賭けて造成工事に携わった五人の庄屋と水不足に喘ぐ農民の悲惨さ、不撓不屈の人間の姿を描いた物語であった。

昨年、山田堰を訪れたのは、旱魃で農地を離れて難民となる農民を救うため、アフガンの地で大河から水路を開き農業の再生に奮闘する「ペシャワール会・現地代表 中村 哲」さんが、筑後川の山田堰の工法も参考にした、とのことによる。中村医師の取材前、どんなものかと見学した。

この折に、五人の庄屋の偉業を讃える記念碑を目にしていた。その時のことが思い出されて、この上下巻の文庫本を手にした。

帚木氏の本は、「三たびの海峡」と「国銅」の二冊しか読んでいないが、何れも感銘を受けた覚えがある。迷わずに、この「水神」を購入した。もっと早くに知り読んでいれば、あの筑後川の畔に立ち堰堤や水路を見た時の感慨もひとしおであったろうし、中村 哲氏と五人の庄屋の思ひを更に噛みしめることができたろうに。

  -高知-

月曜日は朝から強い風雨の為に仕事にならず。叔父が来て「アジサイを見に行こう。前に兄貴(父のこと)と行ったが綺麗だったぞ」との誘い。幾らなんでも早いだろうし、この風雨ではと思ったが、一人暮らしの叔父の誘い故、付き合って一時間の道のりを車を走らせた。

案の定、青く小さいアジサイの硬い蕾が土手沿いにつづき、車の一台も人ひとりの姿もなしだった。風雨ますます強し。まあ久々の叔父とのドライブ、会話かと思えば、それも由。帰宅してから、早々に叔父や従姉たちとビール。土佐沖で獲れたと云う初カツオが肴であった。

翌、火曜日には雨も上がった。畑に出てミカン畑の草刈と日曜に買ってきた野菜の苗を植える。畑に置いた「ミツバチの巣」に蜂が入った。正確には、HIROKATUが分蜂した蜂を捕まえて入れた。巣箱に蜂が出入りするのが嬉しい限りだ。先月播いた大豆も発芽し、10㎝程に伸びていた。夕方には青梅を5Kgほど採って畑から引き上げた。

                   

蜜柑の花は盛りを過ぎ、花の終わった枝先には米粒や豆粒ほどの実を付けている。今年の秋には相当な収穫が期待できそうだが・・・味が問題だが。

焚火をしながら草を刈り、ちっちゃな実を付けた柿やイクリ、ミカンの木々を見てのんびりと、ゆったりとした時間を過ごす。後は晩飯を作り、ビールを飲む。なんと、贅沢な時を過ごすことか・・・・。

      

        晩白柚の花             柚の花              八朔の花            小夏の花

畑での最後は、青梅を採った。少しだけ5~6 ㎏ぐらいか。半分ほど従姉に分けてやり残りは自宅で漬ける予定。残っている木から、未だ20~30㎏は採れるだろう。

                 

前日の雨で川の水量も増えている。小さな川ながら水は滔々と流れ、蒼い。この川の鮎漁は、6月1日から始まるそうだが魚影が薄いとか。然し、来月の帰郷では鮎を口にできるだろう。そういやぁ、帰省した夜に肉厚の鰻を喰った。HIROKATUが前日、初のはえ縄を仕掛けたのに三匹掛かったとのこと。今年は出だしからツイテいるようだ。

                 

 

 

 

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サンドイッチ

2014-05-23 | Weblog

5/23(金) 早くも週末を迎えた。明日は「地球市民の会」総会があるので佐賀へ行く予定。併せて故古賀会長の自伝出版の件について打ち合わせなどしたいのだが、・・・・積極性に欠ける。夜には懇親会もあるので、酔っぱらいついでに気合を入れるか。

気合と云えば、昨晩は郷里の母校の同窓会、気合を入れて飲み過ぎた感あり。新旧の校長先生も出席してくれたので、二次会に誘った。高知の田舎には絶対存在しない飲み屋、缶詰BARの「mr.Kanso」に案内した。案内したはいいが、此処で些かハイボールを飲み過ぎたようだ。

零時前に帰宅して、こともあろうに飯とパン2個を喰ってしまった。脳回線がショートして、全ての感覚が狂っていたようだ。一方で、吾ながら最近立派だと思えるのは、酔ってもタクシーを使わなくなった。貧乏オヤジぶりがすっかり板についたようだ。酔っぱらいOYAJIが居たんじゃ、周りの乗客は迷惑だろうが・・・。

実は今朝も起床は7時前と遅かった。脳内は6時には目覚めていたが、体の方が動けなかった、動かなかったのだ。弁当の方は、昨晩帰宅時に買ってきた食パンで、サンドイッチにした。サンドイッチの登場は久しい。

作ったのは、スクランブルエッグのサンド、ツナとタマネギのサンド、ポテトサンドの三種である。今朝、我が家の弁当持参は二人だったので余った。貧乏コンビのYOSHIOに持って行くこにした。

                   

仕上はスムージーだが、バナナ・キューイ・キャベツ・ブロッコリのスムージーである。ミルクを少々いれた。旨くはなかったが、健康的な色合いで綺麗だ

                     

 

今夕、U老が会社に来るとのこと。隣の「高松」で一杯やり、そこから何処へ流れるか?今夜も酒が待っている。

日曜日には高知へ、水曜日の昼まで滞在し草刈だ。一週間ぐらいは居たいのだが・・・、それは来月にしよう。そう云や、来月の中旬には、鮎漁が始まる。未だ小さいだろうが、新鮎を喰えそうだな・・・。

下の鉢は、5月5日にYOSHIOが種を播いた朝顔だ。三年前の種を18粒播いて半分芽を出した。双葉の小さい芽は昨夏に喰ったスイカの種が勝手に出てきたものだ。スイカの芽は成長できんだろうが、朝顔は花を見せてほしいな~。

                        

 

 

 

 

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今朝も寝坊

2014-05-22 | Weblog

5/22(木) 何と云うことか、今朝も寝坊をしてしまった。まだまだ成長途上ということか?目覚めた時は7時10分になっていた。これじゃ弁当が間に合わぬ・・・、がここから猛ダッシュだ。

ご飯は電気釜では間に合わぬので、鍋でガス炊飯。これなら20分ほどで出来上がる。菜の方は手抜き&手抜きで作る。要は冷凍ものでお茶を濁そうということだ。揚げるだけでいい冷凍牡蠣フライ、油で炒めるだけのエビシューマイとやら、豚小間はタマネギ・シメジ・茗荷の甘味噌炒め、小ヤリイカはオリーブオイルとバターでソテー。

                

以上を30分ほどで仕上げた。何とかなるものだ・・・。弁当の支度が終わって、スムージーを作る。これは、凸ポンと小夏、小松菜にミニトマトであった。

                

そんな訳で、何とも小忙しい朝であった。昨夜の帰宅は23時頃と、遅いわけでもないのに寝坊。今夜も帰宅は同じ時間かな…、明日は寝坊をしないようにしよう。

今日の出来事で一つ、面白いことがあった。面白いと云うのは語弊があろうが、96歳の現役社長さんと会った。これが面談なんだよ。今度、事務所を移転するのだが、このビル会社が面談に来いとの由。今時に何を寝ぼけたことを、と思ったが出掛けた次第。

そのビル会社は、中央区を中心に50棟ほどのビルを所有している。その中の、今の事務所に近いビルに入居を検討していたのだ。ほぼ方針を固め、諸般の条件も詰まったので、面談に来いとなったのだ。

戦後に都内に50棟の賃貸ビルを創ったぐらいなので、それはそれで大したものだ。その創業者が現役で社長、御年96歳と云う次第だった。足腰が弱ったとのことだが、眼も耳も口も問題ない。感心・敬服の至りだ。

成功の秘訣を伺うと「人に恵まれること、それも一流の人に出会い、その引きで成功した」とのことだ。戦後、間もない頃に銀行の大立者の知遇を得、草履取りに近い献身で一流の人を知った。いわば、間違いのない人との交流や紹介で成功できたとのこと。出身の田舎の町役場には胸像が建っているとのことだ。篤志家に違いない。

『私も若い頃に、社長のような方の薫陶を受けていれば・・・。商売も成功したんでしょうが、遅かった』と。『あと十年、二十年現役でやられて、世の手本となるようにお元気で過ごされますよう』と、言って辞した。行くまでは、冗談じゃないよと思っていたが、お会いできて良かった。風雪を耐えて大きくなった人に会った。そう云う感あり。

人には会って、見るものだと。実感したのであった。

 

 

 

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海苔弁

2014-05-21 | Weblog

5/21(水) 朝から雨が、強い雨が降っている。降り出したのは昨晩の零時前ごろであったか。昨夜の帰宅は23時頃、雨が降り出す前であったのが幸いである。

昨夕、スタッフとして丁度七年在籍したAKAGI君が、この日で退社したので軽く一杯やった。何時もの安酒場「ちょっぷく」でハイボールをやりながら諸々の話をしながら、これからの計画などを訊く。が、特に計画や予定も、やりたいことも無いとのこと、私より一回り歳下にしては余裕がある・・・。

私から語るべきものもないが『君も世渡り下手だな~』の一言だけを伝えた。いつ何処で、誰と出会うことがあっても元気に挨拶をかわせる人生・生き方であって欲しいと願う。

そうこうすうるちに、後輩のIMAI君からの連絡が入った。人形町に着いたとのこと。夕方、彼から連絡があり近々に会いたいとのことであった。今週と来週の前半の私の予定は詰まっており、急遽この夜に会うこととしたのだ。

AKAGI君との懇談を切り上げ、IMAI君を誘って蕎麦屋「高松」に入った。引き続きハイボールをやりながら彼の話を聞いた。会社を辞める、なんていう話じゃないかと内心心配をしていたが違った。先ずは良かった。酒が進むうちに、昔の仲間のことが話題となり、富山に蟄居したMURAI君に電話を入れた。

富山の田舎暮らしだ、もう寝てんだろうと言いながらであったが、電話は通じた。既に田植えも終わったとのこと、のんびりと骨休めの時期か。湯治に行ってもおかしくはないな・・・なんてことが浮かんだ。昨年の四月だったか、取材で金沢に赴いたおりに、MURAI君のセッチングで昔の仕事仲間数人と会ったのは・・・もう一年経つか。

今夜は娘たちの処に泊まるというIMAI君と日比谷駅で別れ、帰宅した。終電まで開いている東急ストアで、翌日の菜でも見繕うかと過ぎったがやめにした。明日の弁当は簡素に「海苔弁」と、瞬時に決めたのであった。

 

と云うことで、今朝の弁当は「海苔弁当」である。先ずは飯を炊く。そして紅鮭を焼き、卵焼きの準備をした。海苔の下にチリメンジャコでもパラつかそうと、安芸の浜で揚ったチリメンジャコを取り出す。三年ものの自家製梅干し、これに海苔さえあればいいようなものだが・・・。何故かもの足りなさを感じる。

                

そこで、鶏の唐揚げを作ることにしたのだ。生姜・ニンニクを刻み、酒・出汁・醤油で鶏肉に漬け込む。先ずは、人参・ジャガイモ・薩摩芋を乱切りにしたものを素揚げ。色っ気が足りないと、ブロッコリも素揚げに。

炊きあがった飯が、なんとも美味そうである。香りがいい・・・ホッカホッカがいい、炊き上がりご飯のムワーッとくる匂いがいい。となれば、禁を破って喰いたくなるが人情と云うもの。揚げたての鶏唐揚げを一口味見すると・・・これがまた絶品。こんなに上手く唐揚げが揚ったのは、奇跡・晴天の霹靂、お釈迦様もビックらだ。

                     

そんな分けで余りの美味さに、飯に鮭・ジャコを乗せ海苔で包んでパクついてしまった。高級レストランより、次郎の寿司より旨かったよ!多分。なんと言っても、従兄弟が丹精した清流育ちの米、水は九重連山黒岳の麓に湧く白水鉱泉の「微炭酸水」、炊き手の水の塩梅が抜群ときてるからね・・・。

 

 

 

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寝坊

2014-05-20 | Weblog

5/20(火) 今朝は寝坊をしてしまった・・・。昨晩、飲み屋にもよらずに真直ぐに帰宅るという珍事が勃発。こんなことだから寝坊してしまったのかもしれない。

起床時間はなんと、午前七時に五分前であった。しかし、これくらいのことで弁当作りを諦めることはできない。すぐさま台所に向かったが、餌を未だもらっていない猫のミーコが、ニャゴニャゴと纏わりついて煩い。しょうねえや、猫の餌やりが最初の仕事となった。

飯を炊いてちゃ間に合わない、昨夜の残りご飯は少ししかない。冷凍のご飯を取り出して「炒飯」を作るこにした。菜の方と云えば、食材は少ないし手間暇を掛ける余裕もない。パスタ、パスタサラダの菜にしよう・・・。そして冷凍のホタテステーキが二枚残っているのでこれを焼けばいい・・・。

パスタを茹で、頃合いにスライスした人参を、さらにキャベツを放り込んでサラダ用の具材を一緒に仕上げる。乱暴ではあるが合理的、かつ味付けも同じなので一挙両得・一石三鳥と云う分けだ。

                          

幸いなことに、家人は外出するので弁当は要らないとのこと。長女と三女の二人分で事が足りる。時間がない中、これも大いに助かった。

ホタテステーキ、人参&キャベツ&小イカのパスタサラダが菜で、シメジ・人参・タマネギにウインナーのチャーハンがご飯と云う、手抜きながらも美味さ抜群?の弁当が時間どおりに出来上がったのである。

                       

生野菜は、菜とご飯の間仕切りにレタスをバサッと入れて代用。唐辛子やニンニクも使っているので、食事の後は歯磨きを!

                       

弁当を取りに来た長女曰く「なに!炭水化物ばっかじゃない!」だって。ご指摘のとおり・・・反省です

 

不良OYAJIとしては、昨夜は祐天寺に最近オープンしたと連絡を貰った「こんぺえとお」となる店に立ち寄る予定だった。四月の下旬に連絡を貰い、顔出しの機会がなかった。ゴールデンウィークも明けたので、時間の都合がつくだろうと何日か立ち寄りの心算をしていたが、いずれも果たせず。

昨晩は夜の予定もなかったので、今夜は大丈夫と思っていたのだが・・・。20時前には退社のつもりでいたのが、思い掛けない業務が発生して退社が22時になった。それでも、中目黒の駅に着くまでは顔出しのつもりでいたのだが・・・。

店のある祐天寺駅は、中目黒と学芸大学の間に在る駅。一駅だが急行電車は停車しない駅なのだ、翻って我が学芸大学は急行が停まる。この違いが仇となった。

『時間も早いわけじゃない、乗換駅の中目黒で、来た電車次第で今夜の行方は決めよう』と、メトロが中目黒に着く寸前に日よった。ホームに入ってきた東横線は急行であった。そんな分けで、久々の真っ直ぐなご帰還となったのだ。

今夜は、と思っていたら。なんと二件も夜の部の予定が入っちまった。祐天寺に辿り着くのは何時になるやら・・・。

いい大人が酒も飲まないで帰るようじゃ、世の中のためにならんわ。景気も良くならん・・・。心がけが悪いばかりに、今朝の寝坊と思うしかない。今夜はその分を取り返すか?なんちゃって・・・このボケ・アホ・おたんこな~す!

 

 

 

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大活躍の後は・・・

2014-05-19 | Weblog

5/19(月) 今朝の起床時間は6時と普通かな?昨晩は22時に蒲団に入り、零時に寝ぼけて起き出したが、また眠りに入ったようだ。20:30分に会社から戻り、駅前の二葉(これが昔風のラーメン屋だが、地元ではファンが多い)で、餃子とオムライスに生ビールを二杯で帰宅。本を読んでいる内に、歯磨きをしようと思っているうちに、寝てしまったのだ。

今朝は睡眠十分のような不足のような・・どっちつかずの半端な気分であった。まあ~、金曜日の帰還が25時、土曜日の帰還が25時30分と大活躍だったので、その反動かもしれない。連投をすると流石に疲れを覚えるのだ・・・。

 

金曜日は最後が赤坂「禅」で歌姫のピアノとボーカルを聴き、亡きオーナー・東郷好彦さんを偲んだと云う次第。MCで出演していた島さん(著名な作曲家の息子と聞いたが覚えちゃいない)が連れてきた歌手の唄などもあったが・・・売れそうな雰囲気はなかった。やはり大年増(?お怒りだ)のダーナや葉子さんの唄が一番素敵だった。

              

久しぶりの「禅」だったが、昔馴染には居心地がいい。すっかり長居をしちまった。禅に来る前が、久々に酒が飲めそうだと云う病み上がり(病み最中か)のHIROさんと二人して、ローカーボではんなりと飲んだのが効いてきたようだった。

そして土曜日は出勤の予定が、体調不良などなどで断念して夜の部に備えたと云う次第。その夜は、郷里からの客人を迎えて六本木の夜となった。が、昔のようにクラブを梯子する元気も現金もない。ましてや、店は様変わりをしているので馴染もなし…だらしないこった。結局、ニューハーフとやらの種族が踊るショーパブ「六本木金魚」でお茶を濁した。

拙かったのは、その後の遅い時間に焼肉屋でマッコリやビールに冷麺、当然の焼肉となったことだ。これじゃ翌日に応える、応えました。そんな不良な週末を過ごしたのであります。

 

そんな訳で、今朝は真面目に飯を炊き、菜作りに励んだと云う次第さ。今日のメニューは「牛薄肉のピーマン巻」と「味付け豚ロース焼き」、ホウレンソウの胡麻和え、「ジャガイモのバターベーコン炒め」「ブロッコリ」「スクランブル風エッグ」となった。

                             

毎度同じようなもので恐縮だが、OYAJIの弁当なんぞは所詮こんなもんだ。味付けは濃いので、少量でも満足すると云う目論見だが・・・。

                         

昨晩も大いに喰ったので、自分の朝飯はジュースとミルク。ジュースは小夏を二個絞り、フレッシュジュースと云う次第。ミルクは彼の有名な想いやりファームのバカ高い生ミルクなのだ。参ったか?てな塩梅さ・・・。

                         

 

 

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鶏肉&蒟蒻の旨煮

2014-05-16 | Weblog

5/16(金) 今朝は頃合いよく目覚めた、午前五時であった。昨夜も22時頃と早目の帰宅、これがよかったか。されど昨夜は一つ失敗があった。

何年ぶりかで六本木の酒場へと出掛けた。ショーパブだったが、ここの大して面白くもないニューハーフのショーを見た帰り、店名が気になっったラーメン店にふらふらと入り、ラーメンを喰うという失態をしでかしてしまったのだ。竹虎という店名、同じ名前で高知に竹商いで有名な会社があり、そことなにか繋がりがあるかと・・・。

昨日の午後、某税理法人が主催するセミナーがあり聴きに行った。少しは世間の風を、刺激を貰おうかと出掛けた次第。内容的には、ご尤も、仰るとおり、異論なし、文句なしである。されど、実行するのが至難なのだ・・・。

と云う、結構なセミナーの後、久しぶりに渋谷「奈加野」へと出向いた。一ヶ月ぶりの顔出しで、ミャンマーから来ているTete嬢が居たので『就職先は決まったか?』と訊いた。彼女は来日六年、三月に日本語学校を卒業して就活中であった。「決まりました、ミャンマーのユニ・チャームに決まりました」と、返事が却ってきた。ミャンマー人従業員と日本人マネージャの間の通訳などをするようだ。

『そりゃよかった。いつ帰国するんだ』と、「7/1から採用なので、6月の下旬には帰ります」とのこと。この娘がいなくなると淋しくなるが、一番困っているのは店主だろう。優しい、よく働く、気が廻るのだ。よく働くバイトは数多いるだろうが、この娘のように自主的に、細かなところまで気を廻して動くのは稀である。残念だが、本人のことを思うと致しかたない。お祝いをしてやらんといかんな・・・。

私がミャンマーで事業をする機会でもあれば、この娘は絶対に使いたいね。そんな機会があればいいのだが・・・。

奈加野で知人と三人で会食後、六本木へと向かった次第。悔まれるのは「ラーメン」を喰っちまったことだ・・・。

 

さて、今朝の弁当だが、「鶏肉と蒟蒻の旨煮」「ピーマンの挽肉詰め」「ブリ照り焼き」「アスパラ・シメジ炒め」「出汁巻卵」である。昨朝までと違い、時間は十分あり、弁当作りを堪能した次第。食材が乏しいのが残念ではあったが、これもまた楽しか。

               

ピーマン肉詰め用の挽肉が少し余った、肉味噌にして弁当の上に載せたが・・・。

                   

そして、スムジーを作る。冷蔵庫の中で長い間忘れられていた「キューイ」とグァバ・メロン・水菜・キャベツにプチトマト2個であった。

                   

色合いも悪ければ、味の方もいまいち。キューイが古くなりすぎたか、グァバが熟しすぎ?美味くないスムージーでした。

 

 

 

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目覚めは・・・

2014-05-15 | Weblog

5/15(木) 深夜の3時過ぎに目覚めて咳・咳・セキ・せき・・・、このまま起きていちゃ拙いと無理に目を瞑ったが・・・。眠りに」就けたのは5時過ぎか。お蔭で起床は7時になっていた。大急ぎで弁当の準備に・・・。

大根・人参・鶏肉の煮物を予定していたが、何と大根が不在。急遽予定変更で、豚肉のキャベツ巻煮・蒟蒻を併せ煮する、格好よくロールキャベツと行きたいが時間がない。後は押しなべて出来合の菜でとおした。チキンカツ・ブリ唐揚げ・牡蠣フライであったが、電子レンジで温めるだけ。牡蠣フライだけは油で揚げた。

                    

飯の方も残り飯、量が少ないので「チキンライス」にして増量と、味の向上を目論んだ。鶏肉とピーマン・人参・タマネギ、塩胡椒とケチャップで炒めて完成。一応、卵焼きをのっけてオムレツ風?昨朝につづいて30分で完成となった。

                         

 

昨夕、後輩のKEIJIROU君から連絡を貰い急遽一献交わすことになった。彼の勤務する大手町のビルの地下、昼間はランチ・夜は大衆居酒屋となる「杵屋」で待ち合わせた。

安酒場で安い摘みを肴に焼酎を飲みながら、昨今の状況などを聞いた。膵臓がんの手術をして休んでいた、彼と同じ会社に勤務する後輩のTUCHIDA君が仕事に復帰したと聞き、一安心した。

河岸を代えようと、大手町から久々に銀座へと足を運ぶ。並木通りに在る「順」に行ったが、時間が早かったので店には未だ客の姿なし。KEIJIROUと二人でウイスキーを飲みながら四方山話。私がいると必ず客が入る、そんなことを店の娘に云っていると・・・、二組・六人が入ってきた。OYAJIのご利益は衰えてなかった。

                           

                      K君          ママは佐賀の出身 

私が持っているボロゴルフコースの会員権をKEIJIROUに譲ることになった。クラブを手にしなくなって三年以上経つ、私には何の意味もないゴルフ場なのだ。機会をみて御殿場のコースに案内することにした。新幹線通勤で静岡から通う彼の時間が近づき、九時にはお開き。この夜も、早い帰宅となった。

 

 今日、五月十五日は入社以来の友人である大石君の誕生日日のはずだ。もう一年以上ご無沙汰だが、元気であろうか。彼にとっては41回目の結婚記念日が明後日のはず、あの日の天気は良かったと記憶するが・・・私の記憶もだんだんとぼやけてきたようだ。

 

 

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スムージーは「グァバ」

2014-05-14 | Weblog

5/14(水) 昼間に眠くなる、今週になって顕著だ。尤も夜中に咳き込んで眠れないとか、明け方に目覚めているとか、それらを考えると、昼間に眠くなるのも頷けるが・・・。原因は、それではなくて薬の所為じゃないか?風邪薬を生真面目に服用しているので、その所為だろうと思いあたった。

ついては、今朝から風邪薬を服むのは止した・・・。が、依然として眠気は去らない。今朝の電車の中でも、途中から本を広げたままで居眠りだった。昨夜も四時前に目覚め、再度眠れたのが6時前では致し方ないか。

然し、6時に寝ちゃったんでは拙いよ、弁当はどうなるんだ?これが何とかなる、なせば成るのである。次に目覚めたのは7時前、大急ぎで台所へ。幸いにも飯は昨晩のものがたっぷりとある。菜の方は、昨夜の帰りしなに駅前のスーパーで買ってきた。メニューも既に決めてある。と云うことでサクサクと30分で仕上げた。

と云うことで、今朝は「牛煮」とズッキーニとピーマンのオリーブ炒め、焼き鮭に卵焼き、冷凍物で出来合のチキンカツを一切れ、以上である。

              

弁当を仕上げた後、妙に空腹感を覚え、残った菜でご飯を軽く一杯掻き込んだ。次いで、スムージを作る。那覇空港で買った「グァバ」が色付いたのでこれと、小夏のスムージーとなった。レタスと水菜も少し入った。さて、どんな味になったんだ?

グァバが二個、小夏が一個であるが・・・・。グァバに付いていた説明書では「甘い香りと甘酸っぱさ」とあるが・・・。処が・・・あまずっぱさもなければ、芳香も感じない。ピンク色のドロドロだけであった。不味いと言わないにしても、美味しくなかったのは確かである。

                        

沖縄・北海道と何を喰っても、飲んでも美味いと思わなかったのは風邪の所為だろうが、これが未だ尾を引いているのかな・・・。そんな朝であった。

    

  -苫小牧にて-

さて先週の土曜日、取材のため札幌から苫小牧へと向かった。札幌在住の友人、或いは同志と云うべき、T女史が同行してくれた。流石に札幌、肌寒かったがコートなし、寒がる小生を見かねたか、女史がウィンドブレーカを貸してくれた。北国ではおさおさ怠りがないようだ。

苫小牧~札幌間は、あの優秀なJRで一時間弱の行程であった。車窓から眺めるとピンク色の桜がちらほらと見えた。札幌の桜は終わったそうだが、寒い苫小牧では丁度の頃合いだとか。それにしても色いあが濃い、ソメイヨシノとは大違い、枝振りは山桜のようだ。

道中、苫小牧時代のことなど訊かせてもらう。「子供の頃、カレーライスといえば、具はホッキ貝だっよ。苫小牧はホッキが沢山採れ、大風が吹いた翌日は、浜に行ってバケッ一杯拾った」と云う。肉の代わりにホッキ貝か?カレーライスが嫌いだった私には想像もつかん話だだ。

女史は、子供時代、青春、仕事と、向かいつつある苫小牧で過ごしてきたのだ。彼女の少女時代や可憐?だったであろう娘時代のことは浮かびようもない。窓越しに見える街も随分変わったという。

「はすかっの実の話を教えてもらったが、朦朧とした頭では把握しきれてなかった。なんでも、小さな木の実だという、熟すと甘酸っぱくなりジャムにしたり、生でも食べると云う。また、酸っぱいので梅干しの代用としても使うと言った。ひょっとすると子供時代、オムスビの具にハスカップの実が入っていることも・・・これは訊けなかった。

苫小牧に着いて分かったのは、ここは王子製紙の町だと云うことを認識した。私の印象では西部劇に出てくる町、広い原野にぽつりと或る町、そんな感じを受けた。現実の苫小牧はそんな町と違うのは勿論だが、広大な大地と密度を感じない街並みからそう思ったか。

途中、桜並木の街路を通ると満開と思える桜が、折からの強い風に揺れていた。寒さの所為か、幹は大きくない。枝は上方に伸びて、広がりを感じない。南の桜、沖縄の桜と色あいもよく似ている。「えぞ山桜」と、標識に記されている。

                        

                          北国の蒼空に・・・

11時、NTTの建物からもほど近い「苫小牧市文化会館ホール」に入った。13:30分開演の「第14回ふれあいコンサート」に出演する障がい者バンド『スマイル4Beat」をサポートしている「夢(ドリーム212」の代表、TAKAHASHI ・MARIKOさんの取材である。尤も今回はライターとして、函館からK・HASHIMOTO君を呼んでいるので気楽ではあった。

T女史の紹介でTAKAHASHIさんに挨拶、今日の予定や取材・撮影の許可の件などを確認する。スマイル4Beatとの出会い、応援団結成に至る経緯などを聞く。そしてリハーサルの様子や、開演後の演奏とサポートぶりを見せて貰う。この辺りのことは、HASHIMOTO君の原稿を待とう・・・。

「スマイル4Beat」は、勇払郡安平町早来にある社会福祉法人富門華会(ふもんけかい)に入所している障がい者四人のバンドである。全盲と知的障害の重複障がいを持っ四人。現役で仕事していた十数年前、彼らの演奏を聴いたTAKAHAHSIさんは、物凄く感動し、心を動かされる。それがきっかけとなり、有志により演奏活動の支援チーム、「夢ドリーム212」が結成され、その代表となった。

212とは、当時全道に在った市町村数だそうだ。“全道を演奏活動で制覇”の夢を描いて名付けた。それから13年、現在80弱の市町村に呼ばれたが、未だ夢は実現に至ってない。市町村の合併、メンバーの体調・資金、それに加えてメンバーの加齢もあるとか。始めて演奏を聴いてから16年、今やメンバーも四十代二人、五十代二人となった。

施設に新人が入るのは稀なこと、一旦入所した障がい者が退寮するのは仏になる時なのだ。音楽と云う才能を持った者が、同じ場で出会うのは奇跡的なこと。その奇跡が今はある、その今を大事にして育てるしかないのであろう。残された、限定された時間の中で精一杯に”羽ばたけ”と願うしかない。

ふれあいコンサートは、女子高生の吹奏楽、シニア(オバサン・オバアサン)のフォークダンス、社協メンバーの演劇・合唱が演じられたがが、メインは目の見えない四人の力強い演奏と唄であった。フィナーレは出演者全員で「愛は勝つ」の大合唱であった。

           

TAKAHAHIさんの笑顔がとても素敵だった。そして終演後のバンドの四人は、とても清々しい顔を見せてくれた。

 

王子製紙のホテルでお茶をしながら、暫しTさんの話が聞けた。

                       

                         同期入社のお二人

  
「夢 ドリーム 212 の活動を始めてから一年後に、長男が交通事故で障がい者になりました。その時は何故?私のせいでは?と、いろいろと悩みました。そんなことがありましたが、この人たち(スマイル4Beat)との交流があり、生き方を知っていたことが助けになりました。現実を受け入れて前向きに生きる、親子ともどもそれができうようになりました」

「息子も娘も自分の人生を開いて生きています。三月で郵便局を退職した主人と畑で野菜を作り、そしてバンドのサポートをつづけます」と、幸せな表情。その穏やかな姿に、国指定重要無形文化財(所謂、人間国宝)の指定をしたいぐらいだ。取り敢えずこの場では「OYAJI指定重要無形文化財(笑顔部門)でご容赦を頂く。

 

未だ西の空に光を放つ陽を気にしつつ、胃のないライターと風邪ぴっきの編集者は北国の酒場へと向かった。案内役は勿論、地元に顔の女史である。落ち着いた店構え、確かなものを喰わせる腕と目利きの料理人、中々のお店でした。残念は、未だ風邪のために味覚音痴、酒量はガタ落ち・・・。

今一度、機会を作ってリベンジだな~。そんな思いで苫小牧を後にし、とうとう札幌駅前で薬屋を探した。ホテルに戻り薬を飲んだ、深夜寝汗でびっしょりは、前夜と同様に酷かった。

日曜日の翌朝、千歳空港ではラーメンを喰う元気はなかったが、女史ご推奨の「はすかっぷ」は生ジュースで、ホッキ貝は「ホッキ貝煮込み弁当」で食すことができた。何れも上々の味わいを感じたのは、女史への強い感謝の念からか?いやあ~、ホンマに美味かった、旨かった。

 

四月上旬から始まった取材行は、これにてお仕舞となった。行く先々、方々でお世話になり、ご迷惑をおかけした。心中より御礼を申し上げます。

 

 

 

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