オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

予定は「のり弁」

2014-06-30 | Weblog

6/30(月) 今日で六月も終わる、と云うことは一年の半分が過ぎることか・・・。な~んにもしないで、な~んにも出来ないで半年が終わったか。老兵は消え去るのみだな・・・。と、一応はしおらしい態度だけはしてみせよう

今日の「石油ネット」(WEBサイトニュース)で、友人の松本利秋氏が、ウクライナを巡る米・ロのエネルギー戦略、謀略について書いている。面白いし、やっぱりそんなことかと、腑に落ちる。石油ネットで検索して、一読されることをお勧めしたい。因みに、松本氏は軍事や国際関係(アジア関係に強い)の研究・評論家、ジャーナリスト出身で現在は大学の教壇に立っている。

さて、今朝の弁当だが「のり弁当」にしようと思っていた。昨晩、長女一家が飯を喰いに来るかもと、家人が飯を多めに炊いていた。今朝は、その残りご飯を使わざるを得ない。そんなことから、海苔弁に醤油垂らした土方弁当にしてみるかと・・・。海苔弁当には鮭が付き物、定番の卵焼きに加えて、明太子でもと思っていたのだが・・・。

せめて一品ぐらいは何か作ろうと「キンピラ」を作ることにした。材料は人参と牛蒡であるが、牛蒡を酢水に晒している間に暇ができた。もう一品と、豚肉とタマネギの塩麹炒めを作った。塩麹は、ワニテル・TOKIOの自家製なのだ。ついでだ、とばかりに茸(シメジ・マイタケ)とシシ唐辛子・インゲンをバターソテーした。

                      

卵の方も方針変更、ジャガイモとベーコンの千切りを炒めて「オムレツ」になった。キンピラには、そんなのあり?と思われるピーマンの千切りを入れてみた。ことほどかように、変有為転変、脱皮して、海苔弁ならぬ「ぐちゃ弁」になっちまったが、初心忘るべからずで、海苔の方も二段に散らしたのであった。ご丁寧にも、醤油は中断の海苔に垂らしてみた。

                          

何はともあれ、旨きゃいいんだ。と、残った菜で朝飯となった。で、味の方はどうかって?自分で作ったものは何であれ、旨いっしょ!

 

 -酒場日記-

昨日は日曜日、それに会社に居たので酒場になんぞ顔を出すはずがない。お店もお休みだと云いたい処だが・・・。

昼間、あれほどの上天気が三時過ぎになって、一転俄かに掻き曇ってきた。おまけに雷がゴロゴロと鳴りだしかと思えば、ドガーン・ドガーンと大砲と機関銃連射の如くに響きだした。大粒の雨が横殴りに降りだし、大慌てでガラス窓を閉めた。

会社には、連日の休日出勤のYOSHIOだけが居た。『これだけ降りゃあ、いずれ止むだろうな?』と、大雨のベランダで首をすくめながら話した。『然しこんな天気じゃ暗いな~、仕事のきりがついたら早目に引き上げようぜ』と。

一時間もすると雨が上がった、時間の方は五時を指している。そろそろ引き上げて、軽く一杯やって帰ろうと、揃って会社を出た。連日出勤のYOSHIOに、ビールの一杯も飲ませずに帰しちゃあ申し訳ない。俺が飲みたいわけじゃないよ、弁解するけど・・・。

そんなことで、二人して人形町駅の交差点を渡り店を探して歩いた。人形町通りに面して、鳥元という鶏肉と焼鳥・卵焼きで知られた店がある。この店の一角に立ち喰い寿しの店が出来ている。ここに入ってビールを一杯やることにした。

昨年のことか、この立ち喰い寿司を教えてくれたのは「ローカーボ」の店主・IWASEさんであった。何時の間に、こんな店ができていたとは露も知らなかったのだ。初めて行ったときは、確か一個80円からの店であったが・・・。

昨日行くと、99円/個からと値上がりしていた。三貫で399円・499円とかのセットが目についたので、マグロや貝、光物のセットを注文し、先ずは生ビールとなった。立ち喰い、立ち飲みでYOSHIOとバカっ話で盛り上がった。バカっぱなしと云うやつは、どうしてこうも面白いのかなあ~。とても他人にゃ聞かせられぬが・・・。

立ち喰いの安寿しだが、結構いけた。どこやらの廻る寿し店よりは、よっぽど寿しらしい味がした。ビール一杯の予定が、ついついハイボールを頼んでしまった。

                     

二杯目のハイボールの時は『もっと濃いめにしろよ、どうせ安いウイスキーなんだから。その3Lボトルで2000円もしねぇだろう』と痛いところ突いた。と、正直な外国人店員は「そうなんです」と真面目に応えて、ウイスキーを増量して注いだのであった。

なんで2000円なんて値段が出たかと云うと、友人のお小遣い超少ない亭主・HAMANOが、少ない小遣いをやりくりして買ってくるウイスキーが、そんな値段だと言っていたのを思い出したからだ。当らずとも遠からずであろう。

YOSHIOとの安い寿し、それも立ち喰いでのひと時であったが、妙に満足であった。

 

 

 

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筍寿し

2014-06-29 | Weblog

6/29(日) 昨夜から朝方にかけての雨が上がったのは、会社に出る昼前頃か。日曜日の今朝は、休日の習慣である朝飯作りと缶ビールで始まった。朝飯は、味噌汁(茄子・タマネギ・オクラ)を作り、鮭と明太子焼いた。卵料理をなににするかで悩んだが、目玉焼き二個とベーコン&ウインナーにした。これで最後の缶ビールを空けて、飯を茶碗に一杯。喰い過ぎではあるが、昨日と同様に充実の朝であった。

飯を喰った後は一休みし、風呂である。会社に出る前に、昨夜SHIMADAさんに約束した本を送るための箱詰めした。それから会社へと向かったのだが、外に出ると夏の日差しであった。昨日、今日とロートルデザイナーで貧乏コンビを組むYOSHIOが出勤している。今日は何のお土産もなしだが、昨日は殿手作りの「筍すし」を毒見して貰った。

昨日の土曜日、北千住において昔の仕事仲間と一杯やることになっていた。北千住に向うには、日比谷線で会社のある人形町を通って行くのが最安・最良のルートである。そこで、一旦出社してから向う計画であった。朝飯をたっぷりと喰らい、遊びに寄った孫の相手をしてから風呂に入った。

風呂から上がり、会社に出ればいいものを『黒竹のタケノコ」のことが気になった。茹でて冷蔵で従姉から届いたが、タケノコは足が速い。日曜日に作る予定であった筍寿しを、急遽作ることにした。米を四合、寿し用に炊いた。そして、タケノコを煮た。煮物用のタケノコもあったので、これは鶏肉・ジャンボインゲンとで煮た。

筍寿しといっても簡単なもので、筍の筒に寿司飯を詰めるだけである。寿し飯の方も、胡麻以外の具は使わない(私流だが)し、お酢の方も柚子酢を加工した「てまいら酢」を使うので至極簡単。問題は、筍の味付けと酢飯の塩梅である。

                        

                        黒いのは、寿司飯の昆布

結局、三合ほどのご飯を使って「筍寿し」を作った。次の写真が、その成果である。

            

 

私のことだから、適当である。そして、適当に煮物も筍寿司も出来上がった。たっぷりの量が出来上がったが、味の方は今一つでパンチが利いてなかった。パンチの利かない筍寿しだが、珍しいだろうとYOSHIOに弁当箱に詰めて持参、味見をさせることにした。昨日、北千住の集合が四時だったので、会社に顔を出して早々に出掛けたのであった。

YOSHIOの反応を今日になって探ってみたが、鈍かった。やっぱ、失敗作であったか。

休日ながらも、朝飯作りを楽しみ筍寿しを作って遊んでいる。なんとも優雅なOYAJIではないか・・・・?

 

 -酒場日記-

一昨日の金曜日、赤坂「祢保希」(ネボケ)において東京黒潮会なる会があった。会の名前からして、また店からして推し量れようが土佐人の会である。私は入会をして三年程の新参者である。郷里の母校の先輩から指示されて入会した、なんちゃって会員であるが。

この会は年に二回、赤坂のネボケと中目黒の大樽に於いて、いわゆる飲み会がある。金曜日は、今年における第一回目であった。昨年から会長を務めるH氏が、会員獲得に熱心なことから新加入が増えている。H氏は国会議員の秘書を長く勤めてきたことから、地元選出の先生方も名を連れるようになった。尤も、秘書が代理出席だが。この夜は、この秘書の方々と話をすることが多かった。

土佐人の飲み会では、杯のやり取りが激しい。生ビールからハイボールに切り替えていた私も、杯を持って日本酒へと移行した。お銚子がすぐ空く、杯が行き交う。土佐人らしい宴会であった。

お開きになったのは、22時前か。日本酒で疲れ果てた私は、人形町まで戻る気力を無くしていた。そこで、赤坂と云えば「禅」である。フラリ、ユラリと歩いて、歌姫のいる店へと向かったのであった。

「禅」のへの階段を下り、ドアの外から様子を窺ったが店内は閑である。なんのことはない、お茶っぴきで客の姿はなく、歌姫とKASAIが暇を持て余していたようだ。客も居ないので、歌姫と昔話をしてKSAIに聞かせていた。そんな中で、歌姫がTVドラマの主題歌やご当地ソングを唄っていた頃の話題になった。

『じゃあ久々に、そんな頃の歌を聞かせてよ』と催促した。「ARIさん、唄う?」と水を向けられたが、『冗談じゃねゃや』と逃げた』。重い腰の歌姫に無理を云い、古い歌を二・三曲聞かせて貰った。一人で聴く、贅沢なもんだ・・・。この夜の帰還は丁度零時、南瓜の馬車がお迎えに来る時刻であった。間に合った!

                  

 

そして昨日の土曜日、北千住は「はなの舞」と云う西口前にある居酒屋での待ち合わせ。メンバーは、十六~十八年前に 職場を同じくした同志が五名。もう一人参加の予定が、母親の付き添いだとかで欠席であった。集合時間は四時であったが、筍寿し作りや、会社に立ち寄ったので10分程遅刻。

売れない通営支店だったが、愉しかったな。唯一頭が痛かったのは、売れな言い訳をしなくちゃいけない会議があることだった(これで一番苦労をさせたのは、販売企画課長だったSHIMADAさんだが)。二年しかいない職場だったが、こうして職場を同じくした皆さんと会い、飲める。こんな嬉しいことはないぜ。何物にも代えがたいとは、こういう付き合いを云うんだろうな。

然し、もうみんな還暦を過ぎ、万年青年のようだったSHIMADAさんも古希を迎えるとか。姐さんのようだったJYUNちゃんも、退職を考えるようになっている。月日は流れているんだと実感する。

                       

生ビールとハイボール(これが薄くて味がしない代物)をやり、仕上げは芋焼酎の湯割りで〆た。バカっぱなし(専ら私だが)をし、誰彼の行方を訊ね、愉しかったこと、嬉しかったこと、そんなことしか覚えていない。そんな仲間がいてくれる、人生捨てたもんじゃないぜ。

この夜は、21時過ぎに帰還。さ~、明日からせっせと弁当作りと酒場通いに精を出そう・・・。

 

 

 

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猫に起こされ・・・

2014-06-27 | Weblog

6/27(金) 一昨夜が眠れてなかった所為か、今朝の起床は6時30分であった。それも、猫に起こされてだ。部屋のドアを猫が足でカリカリと掻き、みゃーみゃーと鳴く声で目覚めた。ドアを開けておくと勝手に侵入し、枕元や蒲団の上を闊歩する、それでも起きないと蒲団の上にジャンプをして起こそうとするのだ。

この飼い猫(ミーコと云う名が付いている)も、我が家で暮らし始めて十年以上となる。猫年でいうと、立派な老婆なのだ。猫を飼うきっかけは、末っ子が慢性腎炎の診断を受けて治療することになったことから。中学二年生の初夏に発病、それまで励んでいたバレーボールができなくなり、淋しいだろうと遊び相手役に飼うようになった。ミーコの写真を撮ってくればよかったな・・・。

猫のやつ、部屋のドアが開いていれば、毎朝五時から五時半には侵入して餌をねだる。猫の毛が散るのが嫌だし、煩いのでドアを閉めるようにしている。今朝のように、朝が遅いとドアの前まで来て呼ぶのである。まあ、今朝はお蔭で目覚めたから助かったが。

 

六時半から飯を炊き弁当の用意であるが、先ずは猫に餌やりだ。これを済まさない限り、足元を動き回って仕事にならぬ。餌やりは、私の毎朝の務めである。

さて、今朝の弁当はシンプルに手間を掛けないようにした。先ずは、茄子が有るので「茄子味噌炒め」、冷凍の鯖文化干し焼き。次いで、インゲンとオクラを茹で、軽くソテー。これがメインかな、アスパラとシメジを豚三枚肉で巻いた炒め焼き。定番の醤油味の卵焼き。おまけに、土佐刺身蒲鉾とやらを加えた。

             

以上であるが、豚肉・茄子・アスパラ・シメジ・タマネギ・インゲン・オクラを、茹で、焼き、炒め、塩胡椒や味噌・醤油、塩、オリーブ油などの調味料で味付けする。手抜きの単純作業であった。これじゃあ遊びにならんな・・・。

 

                     

 

  -酒場日記-

昨夕の退社は19時30分。皆が仕事に勤しんでいる中を「それじゃ、お先にネ」と、職場を後にする。何時もの光景である。

向かったのは「ローカーボ」、これもお決まりのコースになった感あり。当初は渋谷「奈加野」に行き、渡しそびれている「カンカウン準中学校建設支援活動」への協力対する御礼状を届ける予定だった。が、進路変更となっていた。

店には先客が三人、一組は飲み屋友達のHOYAさんが友人と来ていた。何時もの、隅の席に腰を下ろしてハイボールである。HOYAさんが元気一杯、力強い声で話しかけ、元同僚だという友人のことや、遊びについて薀蓄を語る。友遠方より来るで、今夜は人形町の店を十軒廻ると宣言し、早々に次の店へと向かって行った。

マスターのIWASEさんによると、さっき来たばかりで一杯飲んだだけとか。その一杯も、半分ほど残して席を立っている。中々忙しい人である(と云うより、賑やかな好人物)。

ハイボールを二杯程空けた頃合いに、会社のスタッフで入社三ヶ月のUSUIさんがやって来た。今夜は、彼女と一杯やりながら少し話をしようと思っていた。然し、何の話を、どんな話をしたのか、朝になったらすっかり霧消していた。相変わらずの駄目OYAJIぶりである。

それから、人形町駅に向かう安酒場コースの一つ「ちょっぷく」に立ち寄った。案の定と云うべきか、HOYAさん達が来ていた。「ARIさん、これで八軒目だよ」と、本気で十軒制覇する意気込みだった。

白ワインをグラスの縁まで注いで貰う。無論、もっと注いでと強要する訳だが・・・。常連のチョップク助っ人隊・隊長と呼ぶべき、OOSAWA氏の隣に座った。すると「いや~、昨夜はとうとう店に泊まっちゃった。このままで会社に出ても、泊まったのはバレないかと思ったたけど、バレちゃった」と、のたまう。

訊くと、昨夜は店主&店長のYAMAちゃんの誕生日で、そのお祝いを常連でやったとのこと。誕生日、それも還暦祝いで飲み明かしたとか。YMAちゃんが還暦?どうみてもそんな齢には見えん。脳梗塞や脳出血をやって、少しは体力が落ちているようだが元気なもんだ。携帯の写真を見せてもらうと、YAMAちゃんが赤い裃に頭巾姿で映っていた。赤フンドシも締めたそうだが、その姿はなかった。よかった!

                        

                    この時刻、店内は閑になっていた     イヨー、還暦の色男!

前夜に次いで今夜は、これも常連の助っ人隊紅一点、マツちゃんの誕生日でお祝い会をやるとのこと。『明日の夜は、赤坂で飲み会があるんで無理だな~』と、断りをした。考えてみりゃあ、赤坂の飲み会が終わってから来れば丁度いいか、と今気付く。が、赤坂と云えば「禅」が在るし、渋谷村へも近い・・・揺れる心、ハムレットの心境である。

それやこれやで、ハイボール四杯い、たっぷりの白ワイン一杯で切り上げた夜であった。ご帰還時刻は23時15分、それから、またしても飯を喰ってしまった・・・、バカヤロ~。

 

 

 

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夢で目覚・・・

2014-06-26 | Weblog

6/26(木) 深夜の3時に目覚めてしまった。つまんない夢をみていたが、その延長で寝苦しくなったようだ。夢の中ではサラリーマンだったが、それも定年まで一年を切った総務課長だった。これじゃ最早死に体だ、冴えない表情で部長の前のデスクに座っていた。これじゃ目も覚めるし、寝覚めも悪かろうと云うものだぜ・・・。

目覚めてから、眠れない。じ~っと蒲団の中で我慢をして眠りを待ったが、来ない。とうとう灯りを点けて、暫し本を読んで過ごした。新聞配達がポストを開ける音が聴こえ、夜が白み始めた。五時に近くなったようだ、弁当のメニューを検討して時間を潰す。

昨夜従姉から届いた、黒竹の筍と鶏肉の炊き合わせをメインに、焼き肉と卵焼きを作ることにした。もう一品、何がいいかと考える。漸く浮かんだのは、箸休めの酢の物であった。

                    

筍とジャンボインゲン、鶏肉を一緒に煮る。酢の物は、胡瓜と若布に生姜の千切り。焼肉は牛かと思いきや、解凍すると豚バラの焼肉用と判明したが、これにピーマンとタマネギを炒めて添える。最後の卵焼きは、ネギを刻み出汁巻風の仕上げとした。この卵焼きの仕上がりが今朝のベストだった。

                       

以上が、早々と完成したのである。弁当箱には、先ず飯を盛る。それから菜が入るのだが、例によって最後に入れる卵焼きのスペース確保が大変だ。まるで我が社の新レイアウトのごときに、無理やり押し込んだ。

                   

筍で筍寿しを作るのだが、これは週末となる。柚酢を使ったすし飯を、味付けで煮た筍に詰めるだけの代物だが、田舎もんの私はこれが好物なのだ。

 

 -酒場日記-

昨夜は19時20分に退社。未だ西の空には黄昏が残っていた。久々に早めに帰宅しようかと駅に向かった。が、「ローカーボ」の前を通ると開いたドアの向こうに、客の姿がなかった。おいでおいでとばかりに開かれたドアに誘われて、一杯だけ飲んでいくかと云う気分になった。昼間お会いした、WATANABE KAZUOさんとの話が楽しかったのか、元気づけられたのか、妙に心が体が軽かった。

端の椅子に腰を下ろし『一杯だけだよ』と小銭を置いた。喉を潤すのは、何時ものハイボールである。あ~旨いな、と思った。小銭はもう一杯飲めるだけ残っていた。二杯目を飲み始めた頃に、常連らしき様子の客が一人入ってきた。私よりは二・三歳年上かと見たが・・・。

客は二人だけ、マスターを介して戯れ会話で遊んでいたが、どうやら佐賀の方らしい。『私も時折、佐賀に行くんですが、佐賀のどちらですか』と会話が始まった。佐賀市に本拠を置く、システム開発会社の代表とのこと。名刺まで交換することになった。

『佐賀に地球市民の会と云うNPOがあるのをご存じですか?』と訊ねた。なんと「古賀さんの会ですよね。彼とは学校は違うんですが同級でして、私も地球市民の会が立ち上がった頃に関係してました。古賀さんが亡くなって残念ですね・・・」と返ってきた。世の中広いようで狭いもんだと実感した次第。

人形町の閑静な通りに在る、目立たぬ酒場で、縁のある人に出会うとは。人とは話をせんことにゃあ何も分からん、生まれんと云うことだ。

私よりは二・三歳上かと見えたが、古賀さんと同級なら反対だったか。これも反省だな、見る目がない、眼が見えてないか・・・尤も店内は暗いからな。

と、こっから痛飲し、飲み交わすと思うのは浅はかなこった。この夜は二杯で切り上げたのだ。帰宅は21時と優等生であった。まあ、家に帰って飯の準備をして摘みを誂えて(勿論、自分でですよ)缶ビールとなったが・・・。こんなことだから、碌でもない夢や深夜に目覚めるのか?

 

 

 

 

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オムライス

2014-06-25 | Weblog

6/25(水) 今日は残り飯で「オムライス」となった。なんとも中途半端な飯の残り様だったので、迷わずに炒めご飯と相成った。人参・ピーマン・タマネギを刻み、鶏肉を小口切りにして炒める。塩胡椒にケチャップ、ウスターソースを少々で味を調えてお仕舞。なんとも手軽な出来上がりである。溶き卵を小さなフライパンでオムレツ風に焼き、弁当に詰めたチキンライスの上に載せ、ケチャップを廻して完成である。

                      

菜の方は、手軽に野菜煮「万願寺・インゲン・オクラ」と、ウインナーと油揚げの細切りとで煮付けた。ちょっと濃いめの味付け。もう一品は、竹輪と胡瓜。竹輪に胡瓜を挟んだだけである。余った胡瓜を塩揉みして添える。

                      

以上で、二人前の弁当が出来上がった。久々にスムージーを作ることにした。昨夜、宅配便で届いたマンゴーを使うことにした。これに、トマトと小松菜である。完成した色合いは深いグリーン、マリモのような色合いとなったが、小松菜の色素である。

                     

出来上がったスムージーは、なんとも云えない味であった。少し入ったタマネギの味が苦い、それに小松菜が硬くなっていたので喉越し悪し。折角のマンゴーの柔らかな甘さも、香りもなし。失敗作となった。

                         

昨晩に届いた宅配便は二箱、スイカと野菜群である。郷里のハウス栽培農家は茄子とトマトが主流だが、この時期茄子は一旦株を引き上げて、新茄子を植える時期に差し掛かっている。そんなことから、茄子が滅茶安であった。十数個は入った茄子が100円である。かといって、茄子ばかり買っても喰いきれないが・・・。マンゴー、茄子やオクラ、御庄(宇和島)の蜜柑などを荷造りして宅配した。スイカはキラメッセからの直送。

                   

八百屋でも開けそうな野菜・果物となった。おまけに、山形からサクランボが到着。明日は、メロンと黒竹の筍が従姉から届くようだ。一挙に野菜生活だぜ・・・。

                    

 

 -酒場日記-

六時過ぎに会社を出た。地下鉄に乗る予定だったが、雨が降ってないので久しぶりに歩きで東京駅八重洲に向かった。膝を痛めてから歩くのが嫌になっていたが、また飲み始めた鎮痛剤の効果で歩いてみる気分になっていたのだ。

昨夕、八重洲南口の居酒屋に参集したメンバーは私も含めて七名。差し詰め七人のサムライと云う処か?この日の集いは、十六年前に欧州に旅をした時のメンバーの会であった。旅の時は二十人程が一緒だっったが、地方の人、退職で所在不明や仕事で来れない方もおり、七人での集いとなった。

                           

旅は日本ファシリティーズ協会(JFMA)が主催し、スエ―デンのヨーテボリ市で開かれた年次世界大会への参加と欧州各地の施設視察であった。あれから十六年が経ったが、その時の団長ARAI氏の人柄もありゴルフや飲み会がつづいてきた。

昨夜は久々の会であった。十六年も経っと、当時の勤務先や仕事を離れた人、退職をして優雅な日々を過ごす人と、様々である。そんなメンバーと、飲み放題の居酒屋で三時間も飲んでいた。

生ビールから始まり、お決まりのハイボール、赤ワインと安酒をたらふく仕込んだのであった。普段は喰わない摘みを食べ、ビールで腹は満杯。流石に苦しくて二次会へと流れる元気は出なかった。22時前にお開きとなり、そのまま帰宅。大雨の予報だったが、雨に会わなくて幸いであった。

 

 

 

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故郷にて

2014-06-24 | Weblog

6/24(火) 今日の午後に帰京予定だったが、田舎でやることも済んだので昨夕に帰京した。従って、今朝も弁当を作ることになった。今日はホタテ・フライをメインにして、茄子と挽肉の味噌炒め、鶏肉のソテーに野菜炒め添え、インゲンとオクラの湯引き、オムレツ風卵にした。

朝から手間の掛かるフライなんぞを作る、暇なOYAJIである。菜が出来上がり、弁当に詰めようかという段で「私、弁当要らないから」とは、末娘の言である。『そんなことは、早くに云え』と、OYAJIは怒る。痩せるとかで、野菜だけを弁当箱に入れていた(太ってはいないのに、痩せてどうすんだ?は、OYAJIの呟き)。

今更手順を述べてもしょうがない、省略だ。出来上がった品だけを紹介する。

            

弁当が一つ減った、その分の菜で飯を一杯喰ってしまったのは、誤算であった。

                        

 

先週、金曜日の午後3時に高知空港に着いた。何時ものように妹夫妻が迎えに来てくれた。田舎に向かう車中、鮎の状況を訊くと「今年は鮎が少ない、獲れない。鰻もさっぱり獲れない」とのこと。それでも、少しは私用に鮎を取ってあると云う。途中、安芸市内の魚屋「寺尾」で、晩飯用に刺身や田舎寿司を買う。鰹の入荷は稀だとか、土佐湾では殆ど獲れてないそうだ。

実家では、従姉が来て持参した鮎を焼いていた。鮎が獲れないと云いながらも、二十匹程持ってきてくれた(もっとお土産を、買ってくれば良かったか・・・)。私が買っていった刺身(コウイカ・赤ムツ)と鮎、蕗煮物、採れたての野菜、田舎寿司などを肴に、従姉らとビールを飲む。帰省した実家で繰り返す日常だが、何だかホットする時間である。

翌日から日曜日にかけて、雨の予報であった。夜、ガラス窓を開けるとカエルの声、大合唱が響き煩い。それほどの田舎である。池があり田圃があるので、この季節、蛙の声に消されて川の瀬音も聞こえない。

翌日の土曜日、予報どおりに雨が・・・。が、それほどの降りではない。これぐらいの雨なら、畑に行けるか?様子見をしていると雨が止んだ。それとばかりに畑に出て、草刈と草むしりを始めた。途中から妹の連合い、HIROKATUが助っ人に来た。お蔭で二時間ほどで終わった。

故郷の川、安田川は雨の所為で水量が増えてきた。釣り人が竿を出している。

                   

午後になり、隣村・北川村の「モネの庭」にある、カフェレストランまで車を走らせることにした。母と従姉も同乗して、三人で短いドライブと云うところか。お茶を飲み、向日葵とカサブランカの苗を買って帰る。家に着く頃、また雨になった。この夜の晩飯は、野菜スープ、カマスの干物、イカのバター焼き、野菜炒め、南瓜煮などであった。母は「わたしゃあ、こんなによう食べん」と云う。『食べたいものを、食べたいだけ食べれば』と、私は言う。かくして、作った張本人が大半を、殆どを食べる=太る、のである。

翌日、日曜日は深夜から大雨となった。それでも日中には、雨粒が小さくなった。妹夫妻と、安芸市のメリーガーデンという花・植木の店へ。ここでの目的は、新聞で紹介された、マンゴーである。行ってみると数個しか残っていない。其処に、折よく生産者がマンゴーを運んできた。

マンゴーの話を訊くと「農園がすぐそこなので、見に行きますか」と言ってくれた。車の後について、マンゴーハウスを見に行ったが、ハウスの中は保菌上の問題があるからと、外から見せてもらい、話を聞く。三反程のハウスに、500~600本が大きな鉢で育てられている。一鉢に一本だが、30~40個の実を付けさすとか。因みに、ボイラーの燃料費が250万/年掛かるそうだ。

                    

帰省前に、近所のスーパーで売っていたマンゴー(メキシコ産)は、同じような大きさ、色合いで600円/個であった。ここのマンゴーは、800円~2000円/個の値段が付いている。果たして競争力は如何に?

以前、高級野菜・果物を扱う「海老家本店」AKIMOTO社長が言った言葉を思い出す。「日本中でマンゴーを作るようになっているが、コストを考えると如何なものか?」と。郷里の栽培家のこと由、成功して欲しいものだが、沖縄・宮崎の老舗のブランド、北海道の温泉地熱を利用したマンゴーと競合が多い。どう云う販売戦略を持っているのか、もう少し話を聴きたかった・・・。

『東京に出てきたら電話をくださいよ。友人で青果の老舗の主人がいますので、機会があれば紹介しますよ。話を聞けば、きっと参考になるでしょう』と、余計な嘴を挟むOYAJIであった。

それから、帰省の度に訪れる、室戸に近い道の駅「キラメッセ」(吉良川町)へと向かった。ここでスイカとオクラを買った。ここの西山台地(高知県東部は、山が海に迫り平地は僅か。迫った山の台地が耕作地になっている)では、芋・スイカ・枇杷・柑橘などが有名なのだ。地魚も安いが、この日は既に売り切れていた。

雨の日曜日、車を走らせてのんびりと買い物。もうやることもない、予定を一日切り上げて、明日の月曜日に帰京することにした。
この夜の晩飯は、川エビ(HIROKATUが獲ったもの)と野菜の掻揚げ、魚久の粕漬け焼、太刀魚の塩焼き、インゲン豆と茄子煮、採れって野菜のサラダなど。

                     

夕刻、小雨から一時止んだ。この間隙に買っておいた向日葵・カサブランカと菖蒲を庭に植えた。母は花を、花をと云うが、手入れが行き届かないので雑然としてきた。されど、雨に濡れた庭は、小庭といえ風情を感じる。

                     

スイカとカボチャが実を付けた。茄子もキュウリもサラダ菜・トマト・シシトウも順調に生育、この帰省中に食したが、これからはどんどん採れるようになる。母一人では、最後は始末に困るだろうな。

                    

月曜日、妹夫妻に見送られて空港を発った。発つ前、HIROさんに電話入れ、夕方に会うこととした。

 

  -酒場日記-

昨夕、帰京後に渋谷・「奈加野」にてHIROさんと待ち合わせた。事務所移転の関係で話したいこともあったが、主目的は鮎を喰って貰おうと思ったことだ。帰京する私に、妹が鮎を持たせてくれた。今年はまだ獲れないので少ないが、と云いながらも、大きめの鮎を冷凍にして準備をしていた。

折角の季節のものだ、HIROさんに喰って貰うには奈加野で焼いて貰うが一番。料理人が焼くと綺麗だ、料理は美しくなきゃあ。と云う訳で、奈加野にて一献である。焼いて貰うだけじゃ店主の機嫌も悪かろうと、お土産に小夏と鮎を渡した。同じ安田川で育っているので、鮎を手にした店主の顔がほころんだ。

HIROさんは、旨いね~と言いながら鮎を喰ってくれた、私も一匹鮎ご相伴に与かった。生ビールを飲み、次いで伊佐美のソーダ割りである。焼酎が、一升瓶の底に近づいた頃合いにお開きにした。 

                       

帰宅するHIROさんと別れ、缶詰BAR「mr.kanso」でハイボールを一・二杯飲んで帰ることにした。長い階段を登ると、漸く店に辿り着く。店内には客の姿なし。取り敢えずハイボールだ、これを二口ほどで空け『次の客が来れば失礼をさせて貰うよ』と、二杯目を口にする。ここのハイボールは、サーバ-から注ぐシステムになったが、これで薄めのハイボールになった。然し、「ちょっぷく」のハイボールのように、店長の人情如くに薄い、とは云い難し・・・。

                      

そのUSUIハイボールを何杯かお代わりしても、客は中々来ない。一時間以上経って、漸く一人来た。これで帰れると、ハイボールでダボツク腹を抱えての帰還となった。

 

 

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オムスビ

2014-06-20 | Weblog

6/20(金) 今日は「オムスビ」にした。五時過ぎごろから目覚めて、夢うつつの中にいた。昔々のことを夢見ていたが、それは私が批判的に思っていたあるイベントのことだった。つまんないことを思い出したものだが、昨日の夕方「ICT教育ニュース」の取材相手、IYOKU君のことが残像にあったのか?

先ずは弁当、弁当のことだが、目覚めとともに何気にオムスビが浮かんだのた。それと「鶏唐揚げ」が浮かんだ。これにしようと、起き出して台所に向かった。問題は、オムスビの具、鮭もタラコも無い。致し方なし、梅干し・おかか・チリメンジャコのオムスビにする。幸いにも梅干しだけは、自家製が沢山ある。

                         

米を四合ほど炊き、唐揚げの下拵えをする。冷凍鶏肉を解凍して、生姜・ニンニクを千切りに、塩胡椒を軽く振り、酒・醤油で揉みこむ。暫くねかす間に、素揚げする野菜(ズッキーニ・人参・ピーマン・タマネギ・オクラ)をカット。

もう一品、蒟蒻・椎茸・万願寺の煮物を仕掛けた。先ずは蒟蒻を胡麻油で軽く炒め煮に、次いで椎茸を加えて酒・味醂・醤油に出汁を少々。最後に万願寺を入れて煮立ってから火を止めた。並行して卵焼きを作る。

                         

油の温度が上がった処で、先ずは野菜の素揚げから始める。最後に片栗粉をまぶした鶏の唐揚げでお仕舞となった。これで、菜の方はできた。

                    

これから熱々のご飯をオムスビにするわけだが、面の皮は厚いが手の方は柔だ。チョットは冷まさなきゃ握れない。結局、四合のご飯を全部オムスビにした。さあ~好きなだけ、持ってけ!

              

 

  -酒場日記-

昨夕は、三月末まで居たUSUI老が一ヶ月振りに遊びに来た。私は取材のために帰社時間が予測できなかった。出掛ける前に老に連絡を入れて、隣の蕎麦屋「高松」で落ち合うことにした。私が顔を出せたのは7時になっていた。この時間、高松は珍しく空いていた。

老の日常を訊くと「やることは無いに等しいが、時間が経つのは早いね~。退屈してる暇がない」とのこと。先月に生まれたばかりの孫のことなども聞きながら、焼酎の金魚ソーダ割りを三・四杯程飲んだか。

店も満席に近くなった、河岸を変えることにする。勘定を頼むと、しっかりと新しいボトル、一升瓶が入っていた。

「ローカーボ」でハイボールを飲んで、それから「ちょっぷく」へのフルコースにしようと、ローカーボの前まで行くと、カウンター席がほぼ埋まっているのが見えた。これじゃいかんぜと、寄らずに「ちょっぷく」に向かったのであった。

ちょっぷくも、結構に混んでいた。『民の竈が賑わっているわい。客層も若くなってきたし、これなら一安心だな・・・』と、年寄り臭いことを言いながら、ハイボールを飲んだ。

遅れてTOKIOが姿を見せた。酒飲みの戯言で「宝くじが6億円当たったら、オヤジ(私)に二千万円あげるよ。USUIさんは幾らあげるだったけ?」なんて云う。

老は「俺はロトで一億円当たったら、ARIさんに一千万渡す約束をしてるよ」などと、貧乏人ならではの会話になっていた。先ずの心配は、宝くじ買う金が有るのか?だが。『当にしないでまってるぜ』とは云った。酒の肴の話にせよ、揃いも揃って貧乏人だね~。

店長のYAMAKAGEの人情如きに薄いハイボールを、三・四杯と白ワイン一杯でお開きにした。帰還時刻は22時45分と、前夜より若干早い。

 

今日の午後、高知へと飛ぶ。何時もの蜜柑畑の草刈り、お袋の飯作りで束の間の休みを楽しむ。スタッフには申し訳ないが、帰京は来週の火曜日の予定だ。「雨降るな、降れば草刈できゃしねえ」。

余談だが、6/1から鮎漁が解禁になっている。が、鮎が少ないとのこと。期待できないな~と思うが、五・六匹匹は獲ってあるだろう。今夜は、鮎焼きでビールか飲めるかな?

 

 

 

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味噌炒め

2014-06-19 | Weblog

6/19(木) 昨晩は早目に床に就いたので、今朝の目覚めは爽やかであった。酒も控えめにして、帰宅は23時前とおとなしい夜を過ごした。今朝の弁当作りも軽快である。

キンピラを作るつもりでいたが、牛蒡が品切れになっていた。急遽、茄子と人参・ピーマンに挽肉の味噌炒めに変更した。挽肉の入った味噌炒めは、飯との相性がいい。他には、焼き肉と付け合せの野菜炒め。出来合の冷凍ブリ照り焼き、定番の卵焼きとなった。

今日使用した野菜は、人参・茄子・ピーマン・アスパラ・ズッキーニであったが、何れも量は少ない。それに、キャベツと紫タマネギもあったか。肉は、挽肉と牛バラである。気持ち良く朝のお仕事を終え、またしても飯を一杯喰ってしまった。

              

お酒は控えめに、夜は早めに床に就く。これが健康には一番のようだ、が・・・。

 

  -酒場日記-

昨夜の退社は19時半、スタッフは皆さんお仕事中である。私は一人、渋谷へと向かったが、前夜の酒の所為か体調は依然として不良であった。渋谷と云えば「奈加野」であるが、ここにちょっと用があった。

                   

毎月三回、田舎の従弟が送っている米代金の回収もあったが、それ以上に気にしていることがあった。奈加野で五年程アルバイトをしてきたテェテェ(本名じゃないが、店主はそう呼ぶ)が、ミャンマーに帰国する日が迫ってきた。明日から東京を留守にする私は、この夜しか空いてないので餞別(僅かだが)でも渡そうと思っていた。

前にもBLOGに記したが、本当によく働く娘であった。よく働くだけでなく、頭と気働きがこれまた素晴らしい。そんなこともあり、帰国前に激励をしたかった。週末の土曜日まで店に出て、翌日の日曜日、22日に帰国するとのことである。ミャンマーに帰って、7月1日からはユニチャームの現地法人に勤めることになっているとか。

日本よりは給料は少ないそうだが、ミャンマーの一般の基準からすると破格の待遇であるとか。これまで日本語の取得に頑張ってきた甲斐があったと云うものだ(漢字も書けるからね)。

テェテェがいなくなるので頭を抱えているのが店主のオヤジである。レジの閉めまでやっていたので、オヤジの負担は大きくなる。「来週から大変だ」と浮かぬ顔をしている。生ビールと焼酎を飲みながら、オヤジのボヤキを聞いていた。

                         

                   ボヤキのオヤジ          テェテェとオヤジ

それじゃまた会う日までと、奈加野を後にしてから気が付いた。昨年5月まで募金に協力をしてもらった」カンカウン準中学校建設支援」の礼状を渡さなかった。今年3月落成式があり、無事に出来上がったと正式な連絡があった。その御礼をオヤジに渡すのを忘れてしまった。呆けてるね~。

その礼状を、今度は缶詰BARの「mr.kanso」に渡そうと文化村方面に向かった。缶詰BARのある三階への、細長ーい階段を登った。店のカウンターは一杯(尤も四人でだが)なので、テーブル席に座った。座ったのはいいが、カウンターの四人は取引先の会社のメンバーで旧知の間だった。

                          

テーブル席とカウンター席であれこれと話をするが盛り上がらない。そうこうすうるちに、向こうが引き上げた。私もハイボールを一杯だけで切り上げた。どうも疲れが抜けない、こんな日は早目に帰るに限る。長ーい階段を下り、駅に向かいながら肝心のことを思い出す、またしても、礼状を渡すのを忘れていた・・・。

                       

全く、オオボケもいいとこだぜ!

 

 

 

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炒飯

2014-06-18 | Weblog

6/18(水) 今日は残りご飯で炒飯となった。半端に残ったご飯は冷凍にするのだが、ここのところ冷凍ご飯が多くなり過ぎていた。そんなことから、昨日の残りご飯と、冷凍ご飯で炒飯となった次第。二日酔で手抜きをした訳じゃない・・・。

炒飯なのでタマネギ・人参・ピーマンにベーコンと具はたっぷり。菜は要らないぐらいだが、そう云う訳にもいかんだろう。と、冷凍しておいたトンカツと、焼き鯖、ソーメンのパスタ風を準備した。ソーメンを硬めに茹で、アスパラとブロッコリの茎、大葉とをオリーブ油で炒めたが、これが結構なお味だった。

               

トンカツの下には、紫タマネギとキャベツの千切りを敷く。こんなことで、今朝も弁当が出来上がった。

                    

旨そうなので、ついつい喰っちまった・・・。

 

  -酒場日記-

先日の土曜日、バーベキュー帰りで疲れた体を休めていた夕暮れに携帯が鳴った。学生時代からの友人、HOSOKAWAからだった。土曜日のこんな時間だ、渋谷にでも出て来たので一杯やろうとの誘いかと思ったが・・・。

「一昨日で、これまでの会社勤めが終わったよ。昨日から先輩の会社でプロデューサとして勤め始めたんだ。制作の企画や現場仕事に復帰して、五・六年は仕事をするつもりでいるよ」と、新たなスタートの連絡だった。HがTVの世界に入ったのは、テレビ東京でバイトを始めたのがきっかけだったと思う。

あれから何十年も経ったて、最後は大手制作会社の役員をやり、子会社の社長も務めたが、とうとうフィナーレを迎えたか。元々からTVの番組制作に拘りを持っていたので『原点に戻って己を発揮できるとは幸せなことだ。『時間が空いたら、卒業祝いでもやろうぜ』と、伝えた。

 その卒業祝いが、昨夜となったのだ。新橋で待ち合わせた。「雪国」という、新潟出身の女将さんがやっている、カウンターだけの小さな店を思い出し、そこに向かった。赤レンガ通りを越して、最初の路地を左折した処に店は在った。在ったと云うのは、かれこれ六・七年もご無沙汰していた。が、店も女将さんも健在であった。

時刻は六時頃であったが、十人ほど座れる席には誰も居なかった。前とシステムが変わってなけりゃ、この時間なら日本酒が半額のはずだ。訊くと、六時半までは菊水・辛口が半額とのこと。じゃあこれを飲まなきゃと、冷酒から始まった。

サラリーマン時代のこと、彼の出身地、富山・立山の実家のこと(両親を既に亡くしている)、子供達が結婚をしないとのボヤキetc 。大学一年の春、三島の下宿で顔を合せて以来の付き合いだ。飲みながら、酔うほどに話は尽きない・・・。

                         

私は、最近のTV番組の下らなさをこき下ろし、Hの軟弱さをなじり、怪気炎をあげながら「あっ、女将さんウイスキーは濃いめに」などと口走ってハイボール飲んだ。Hのカミさんは久留米に居り、息子と二人暮らしだが、料理は殆ど作らないとのこと。で、女将さんの作った「ヤリイカ煮・赤魚の粕漬け・コンビーフ&キャベツ炒め」なんぞを、旨い、旨いと盛んに喰っていた。

二時間ほど居たが次の客が来ない。『お客さん、来ないね~』と云うと、「三時から来てたお客さんが帰ったとこに、見えたんですよ」とのこと。それじゃ帰ってもいいかと、店を後にした。

二軒目は、赤坂・一ッ木通り「禅」へと向かった。この日の「禅」は、横浜からダーナが来て葉子さんとの共演だった。先客は四人、後から二人が来店したが・・・。相変わらず葉子さんの唄とピアノはGOOD!

                      

                     禅の店内と歌姫                リラックスのH

ピアノと唄を愉しみながら『もっと注がないと』と、悪態をついて赤ワインを御代りしていた。気が付くと23時を過ぎていた。最寄駅の学芸大学に着くと、零時。漸く家に辿り着くと、玄関の鍵が掛かっていた。遅い時間だし、よくあることだ。

鞄の中から鍵を、鍵束を取り出そうと探すが無い?無いんだ。諦めて、チャイムを鳴らしてドアを開けて貰ったら「鍵がなかったでしょ」と言われたのだ。『そうなんだよ、家に忘れていったのかな』と云うと、「玄関の鍵穴に鍵がぶら下がってたわよ」と来たもんだ・・・。どヒャー、だよ!

確かに、朝出掛けにドアを出てから鍵を掛けた。が、ボケ犬のMixがウンコをしていた。こりゃ拙いと、この始末をしたんだが、この時に家の中に一旦戻った。鍵を開けた訳だが、直ぐに閉めるからと、鍵を差し込んだままにしたのは覚えている。用が済めば、当然鍵を閉めてそのカギは鞄に仕舞う。仕舞うはずなのだが、そのシーンが浮かんでこない。

参ったね~、相当なボケ振りだぜ。かなりの重症だ。一日中、鍵束をドアにブラさげていたとはな・・・・。Mixと、同病だったことが判明した。

 

 

 

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鶏肉香草焼き

2014-06-17 | Weblog

6/16(月) 昨夜は「ちょっぷく」から「ローカーボ」へと流れて、帰宅は23時頃であったか。帰るなり、今日の弁当用にと鶏肉を冷凍庫から取り出した。ローズマリー・レモンハーブ、酒・醤油と一緒にビニール袋に入れて冷蔵室に置いた。これで、メインの菜の準備が整った。

前夜が眠れなかったので、目覚めたのは6時過ぎだった。前夜の内にメインの菜は仕込んであるし、ゆっくりと弁当の準備に入った。冷凍の作り置きもあるので、今日はこれらを減らすことにしよう・・・。ハンバーグ・トンカツ・シューマイとあるが、このうちハンバーグとシューマイを使うことにした。

漬け込んだ鶏肉をソテー、その前に付け併せの野菜(ピーマン・アスパラ・オクラ)をオリーブオイルで炒める。TOKIO自家製の塩麹を貰ったので、最近はこれをよく使う。塩麹の漬物が旨いとのことだが、未だ試してない。専ら料理にいれて、調理している。今朝も大活躍であった。

                    

最後の卵焼が仕上がった頃に、ご飯が炊きあがった。絶妙の時間配分である。弁当箱に詰めて、海苔ふりかけをパラパラと掛けてお仕舞である。今日の誤算は、三人分のつもりで用意を進めたが、末っ子が要らなかったとの由。菜が余っちゃったよ。

                      

 

  -酒場日記-

昨夜の酒場巡りは、何時もと順序を変えて先ずは「ちょっぷく」からスタートした。チャリン、チャリーンとチケットを自販機から購入すると、幸先よく当りの赤いチケット(これは二枚分となる)が混じって出てきた。ここまでは良かったが、酒を出すカウンターで『ハイボール』と云うと、でてきたのは冷酒だった。なんじゃ、これは?であるが、男は黙って冷酒を手にしたのであった。

店長のYAMAKAGEに言わすと、日本語がよく分からないんで「はっきりと云わなきゃだめだ」とか。『ちゃんと教育しろよ』と云いたい処だが、チャイナの山から出てきたばかりの姉ちゃんじゃ無理からぬと、冷酒を飲んだが、これが意外といける。旨かったのである。

                       

                      奥がオーナー店長のYAMAちゃん

仕事仲間と姿を見せていた、酒場仲間のHOYAさんが隣に来いよと誘う。誘われるままに一緒に飲み、白の安ワインのグラスを重ねることとなった。次いで、「ローカーボ」へと移動。今度はお決まりのハイボールだが、流石にここのマスターは酒を間違えない。旨いハイボールが出てきた。

IWASEマスターの、今宵のいでたちが面白い。下半身は黒の半ズボンにサンダル、上半身は白シャツにネクタイだが、このネクタイとシャツとのアンバランスが絶妙である。このマスターのスタイルに、酒場話が盛り上がったのであった。

                       

                          こんなスタイル

「SEIJU]に顔を出すと云うHOYAさんを見送り、暫くしてから私は帰路へと付いたのであった。ほど良い酒、であったと云えようか。

 

 

 

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