オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

土佐の筍すし

2015-05-30 | Weblog

5/30(土) 昨晩は二~三軒酒場を廻って帰る予定であった。処が、残念なことに二件目の「ちょっぷく」が大入り満席状態、常連客の隣の席を空けて貰ったが、続々と客が来る。諦めて席を譲り、次の店「セイジュ」に行ったが・・・、店の灯りは未だ点いていなかった。

これじゃ、一軒目の「ローカーボ」で腰を落ち着ければ良かった、と思っても後の祭りだ。そんな次第で、豚骨ラーメンの」由丸」でラーマンを肴にハイボールを飲んでお仕舞にした。

十時前に帰り着き、早々と蒲団に入った。眠りのお伴は「ちあき なおみ」の唄う、昭和演歌であった。夢を見ていた・・・、いい夢だった。久しぶりに楽しい夢を見ていた。夢が終わった処で、眼が覚めた。午前三時であった。

こうなりゃ眠れない、リビングで夕刊を広げていた。四時が過ぎたので、今度は朝刊を取りに出た。既に夜明けだった。新聞を読みながら再び訪れる眠りの兆しを待った。待ったが、なかなかやって来ない。ビールを飲むことにした・・・、漸く眠くなったときは午前六時になっていた。

十時になって蒲団から出た。今日は「筍すし」を作ることにしていた。従姉が送ってくれた破竹で筍寿しを作る。この時期の、お定まりの一品である。

郷里の、土佐の田舎の風物と云えようか。破竹を煮て、これに酢飯を詰める。単純なものだが、これが好きなのだ。使う酢は、当然「てまいら酢」である。これに少しだけ自家製の柚子酢を加える。具は、ゴマと手元に在った生姜・茗荷を刻んだ。

                         

考えてみりゃあ、タケノコって味がない、私にはそう思えるが?歯触りと舌触り、しゃっきとした食感。味は、煮付けた時の出汁の味。そう思うが如何であろう。となると、味付けが肝心か・・・・。

炊きあがったご飯、これは昆布と酒、少々塩をふって炊いた。これに、「てまいら酢」を掛け、ご飯を混ぜる。胡麻と、刻み生姜&茗荷が絡む。煮上がった筍に、すし飯詰めて出来上がりだ。

                             

いつも後から思うのは、もう少し甘目のすし飯が良かったか、である。酢で手を湿しながら、筍の飯を詰めた。

午後からの出社で、筍寿しを持って行くことにした。今日もYOSHIOが出ているのは間違いない。どんな顔をして、この美味い「筍すし」を喰うのやら・・・・。

 

今年も初夏に味あう一品を作ることができた。月が変われば、愈々「鮎」のシーズンが始まる。と云うことは、今度は「鮎寿司」の登場か!

 

 

 

 

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破竹筍

2015-05-29 | Weblog

5/29(金) 月末と週末が一挙にやってきた。道理で疲れているはずだ、一週間と一ヵ月の酒の重さと云うやつだろう。が、昨夜は、中央線は中野駅界隈で静かに飲んだ。

昨夕は、後輩のYの再就職でお世話になったISHIKURA社長を訪問。同社のYANAGIZAWAさん、そしてY。飛び入りのKOSHIHARA女史も加わって、駅前に在る魚料理のお店で懇談となった。遅くなったが、先ずは御礼を申し上げた。

同時期であったり相前後して、同じ職場を体験したメンバーである。当時のことなど思い出しながらの歓談となった。三十年も前のことであるが、そんなに古い出来事とは思えないのが不思議だ。

                                                             

懇談は17時半にスタートし、お開きになったのは21時前。深酒をしないように努めたので、電車に乗っても正気であった。恵比寿からメトロに乗りかえて、東横線へ。この頃から翌朝の弁当メニューを考えていた。

駅前のスパーマーケットで「挽肉」と「鶏肉」、出汁を買ってからの帰宅であった。買い物をすると云うことは、メニューが固まったことだ。忘れないようにと、寝る前にメモまでした。何事にもこれくらいのマメさ、生真面目さを発揮できればいいのだが・・・・。そうはいかんのが、人間の難しさだ?

前夜の酒を抑えた結果か、程々に眠れたようだ。夢の方は、旅行会社のスタッフになっていた。16:30発の便でアフリカ方面に発つ客のチケット、何故か現金170万円余りも与かっていた。出発前に渡すのだが、気が付くと時刻は16:05分になっていた。大慌てするところだが、少しも騒がずビルの下に降りた。

何故か、そこが出発ゲートになっているのだ。そんなシーンで目覚めたが、目覚めても靄が晴れないような夢だった。夢現で、ビザはどうなってるんだと、しきりに気にしていた。

昨日「破竹」筍が従姉から届いた。これと鶏肉で煮物を、一緒に届いたグリンピースで「豆ご飯」。挽肉は「茄子の挽肉味噌炒め」に、更に「タマネギの挽肉詰め煮」の二品。

                           

「パスタ&オクラ」のサラダと「ホウレンソウの胡麻和え」。以上五品が昨夜考えたメニューである。メモどうりの菜を作り、豆ご飯も炊いた。が、これからが大変だ。如何に弁当箱に納めるか?

                             

結局、ご飯の上にはみ出す侵略行為である。これが国家間の出来事なら大変なことになろうが、ご飯と菜は仲睦まじいのだ。武士は相身互い、争うことなく譲り合った。かなり窮屈そうではあるが・・・・・。

                        

 

 

 

 

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大失態

2015-05-28 | Weblog

5/28(木) 先週からWEBチームのスタッフ二人を、某社に研修派遣した。期間は概ね三ヶ月の予定である。この間、社内が手薄になるので、三年前までうちに居たYURIKA嬢に応援を頼んだ。無理を言って、今週から週三日来てくれることになった。

昨日の水曜日は、二回目の出社だった。そこで、終業後に懇談の場を持ったが、元スタッフとはいえ二人だけじゃ面白くなかろうと、RIE嬢にも同席してもらった。

蕎麦処「高松」で腹ごしらえをしてもらいながら、軽く一杯。私は“金魚ソーダ割”(焼酎&唐辛子・大葉)を飲んだ。七月に、ここの店主催でバーベキュー会がある。それに参加することにしていたが、事情が出来て欠席せざるを得なくなった。先ず「高松」となったのは、その旨を伝える目的もあった。

オイラの、老後の面倒を見てくれることになっているバイトのTAGOちゃんに叱られながら金魚割を啜った。何時もの如く、女将からサービスの一品が差し入れられた。事務所が移ってから、顔を出すのが稀なので申し訳ない限り。

そして「ローカーボ」へと席を移した。小銭と小札をパラパラとカウンターに置き、ハイボールを啜る。ここのハイボールは何時飲んでも美味い!ソーダとウイスキーのバランスが絶妙である。流石にマスターだ、伊達に飲み歩いているわけじゃなさそうだ。研鑽してるね

最後に「ちょっぷく」だ。駅のすぐそばに在る店なので、このパターンは崩れそうにない。素通りしようとすると、店内から呼び止められるのだから。自首した方が身の安全というやつだ。

店に入ると「お宅のメンバーが来てるよ」と、常連客から教えられた。なんとNOBORU・YOSHIO・FUJIKURAの面々が飲んでいた。何処かへ飲みに行く予定は耳にしていたが、まさかここに居たとは、お釈迦様だ。貧乏人らしい正しい選択である。

鞄の中からじゃらじゃらとチケットを取りだして『さあ飲みやがれ』だ。これまでに使いきれなかったチケットが、十枚ばかり残っていた。

この時点で小生は、相当酔いが廻っていたとおもう。何を喋って騒いだのか、さっぱり記憶にない。騒いでいたのは微かに記憶ありだ・・・。飲んだのは赤ワインオンリーだった。安いワインは悪酔いするね~。

帰宅は零時を廻っていた。テーブルに残っていた「コロッケ」を二個も喰った覚えあり。その後、気付くと四時であった。椅子に座したまま、テーブルに顔をうずめるようにして眠ったようだ。寒さで目覚めたのか、悪夢に起こされたのか・・・・・。

妙に頭が重かったが、これは脳味噌が増えたわけじゃなさそうだ。朦朧としながらも蒲団に入った・・・・。目覚めると・・・、七時半になっていた。大失態だぜ。駅員に例えると、始発電車が来るのに駅のシャッターを下ろしたまま、と云う処だ。

長女の弁当は間に合わない。家人の方は何とかなろうが、体が重い、頭も重い・・・・、が財布は軽い。無常なる目覚めとはこのことか・・・・・。

バケットがあったので、家人用に簡単な「サンドイッチ」を急ごしらえした。台所に立ったついでとばかりに「にろぎ」(柊魚と書くらしいが)の南蛮漬けを作ることにした。ニロギは、高知から買って帰った代物。東京の魚屋では、見かけたことがない。焼いて食すか、南蛮漬けにするのが私流だ。

                      

体調不良と云いながら、朝から南蛮漬けを作るとは・・・・・。俺も病気だね・・・・(勿論、痴呆症さ)。

                           

何れにせよ、深酒、安酒には気をつけよう。各々方!

 

で、YURIKA嬢の話に戻るが、お嬢がうちに在籍したのは十数年か。その当時に、社員が選ぶ「我が社のNOワン」という表彰を何年かつづけた。点数制にして1位(最優秀)~3位までを表彰。社員が選ぶ賞なので、私や会社の恣意は全く入れない。この最優秀賞に3年連続して選ばれたのが、YURIKA嬢だった。

周りからそれだけ信頼されていた。そういうことだろう。そのお嬢が、残念なことに辞めてフリーになった。「自分が好きなイラストの世界で力を試したい」との理由であったが、それで飯が喰えるまでには至ってないようだ。お蔭で、今回の助っ人要請に応えてくれたかな?それとも義侠心か?

私は常々『早く、戻ってこ~い』と、云ってるが・・・・・。

 

今夜のOYAJIは、中央線中野駅界隈に出没します。然し、自重します。

 

 

 

 

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ハンバーグ

2015-05-27 | Weblog

5/27(水) 今日は昨日の予定から先延ばしにした「ハンバーグ」がメインの菜だ。他の菜は台所に立ってからだと、六時前に起きだして台所に向かった。冷蔵庫の中には大したものが残っていない。先ずは、米を二合磨ぎ電気釜に仕掛けた。

昨日使った鶏肉の残やホウレン草、オクラ・茗荷・ピーマンなどを並べてみる。こいつらを、どんな食い物に変化させるか・・・。野菜系のオクラ・茗荷、人参を素揚げしてポン酢ドレッシングで和えたサラダに決めた。油を使うので、序に鶏肉は唐揚げにすることとした。

メインのハンバーグから着手する。牛挽肉に塩胡椒にウスターソースひと垂らし、タマネギを刻み炒める。繋ぎのパン粉と卵黄で混ぜる。弁当用の大きさに形を整えて焼くだけだ。目くらましに「肉詰めピーマン」を一つ焼くことにした。

                          

ホウレン草はオリーブ油で炒め、卵でとじることにする。最後の一品は、焼き鮭となった。

                                    

今朝は以上である。これで弁当が二つ。菜は余るので、これでご飯一膳となるは必定だ。これが良くないんだろうな・・・。

                        

 

然し、旨いね~私のハンバーグ!町場の食堂じゃこんな旨いハンバーグに出会った試しなしだ。自画自賛ではあるが、二週間前に喰った、洋食店のハンバーグランチ(980円也)と比べると雲泥の差だぜ。

今日は酒場ネタはなし・・・・。

 

 

 

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カツ煮&鶏トマト煮

2015-05-26 | Weblog

5/26(火) 明け方は涼しかったが、会社に出る頃には気温がグングンと上昇した。日中は30度にまでなるとか・・・。寒いのも嫌だが、暑いのも堪らんぜよ!

昨夜は八時前に会社を後にし、何時もの酒場に向かった。「ローカーボ」のマスターが、先週前半は腹具合が悪くて店を閉めていた。その後の様子を訊こうと立ち寄った次第。未だ本調子とはいかんようだが、飲み食いはしているとのこと。カウンターに陣取った常連のHOYA&MATUOKAコンビと一緒に、先ずはお見舞いの乾杯をした。

                           

遅れてTOKIOが姿を見せる。改めての乾杯!話題は先の祭りのことから、秋の「べったら市」へと進む。「今年は何を出すの?」と気が早い。『今年もベッタラ市に出店できればいいんだがねぇ~』と、気弱なセリフを吐く。今年、店を出せば10年目となるかな?難しいのは売り物を何にするかだ。昨年は熊鍋、猪汁、雉飯とジビエを売り物にした。

それに、本場の種子島直送の安納芋はすっかりレギュラー化しているし、酒は「南」と云う我が故郷の逸品。何か面白いものを発掘したいものだ。焼酎に柚酢を垂らした「柚焼酎」を流行らすか・・・。

未だ五か月も先のことを今から考えてもしょうがないか。先ずは屋台を出すだけの元気があるかだ・・・・。

ロカーボではハイボール二杯で切り上げ、駅の傍の「ちょっぷく」に、ちょいと顔を出す。と、ここにも常連の顔見知りが店先にテーブルを出して飲んでいたので、そこに加わった。白ワインから赤ワインへと切り替えた頃合いに、ローカーで一緒だったTOKIOが店先を通りかかり、見つかってしまった。最後はTOKIOに付き合って冷酒を飲んでしまった。

自宅の最寄り駅に着いたのは二十二時四十分と、早かった。駅前のスパーで弁当用の牛挽肉を買った。明日はハンバーグを作ろうと云う魂胆だ。閉店間際で20%引きを掲げたトンカツの「サボテン」で、ヒレカツを買う。これは「カツ煮」にしようとのこと。酔っ払っても弁当だけは忘れぬ、天晴れなOYAJIである。

窓を開けて寝た所為か、涼しさで(寒さか)目覚めた。五時を過ぎたばかりだった。蒲団の中で「今日の弁当は…ハンバーグにカツ煮、野菜系は何がいいか・・・」なんて考えながら、時が経つのを待つ。やがて五時半になったので、台所に立っことにした。

食材を冷蔵庫から取り出し、並べる。トンカツ煮にハンバーグか?どうもアンマッチだな~、と云うことになった。ハンバーグは明日に延期、代わりに「鶏肉のトマト煮」になった。

トマトは、郷里の塩トマト(先般の同窓会に、お土産にと先輩が持参した)を使用。赤ワイン・オリーブオイルに塩麹を調味料として使った。一緒に煮たのはタマネギ・タケノコを少々。

                        

カツ煮の方は、卵とじにするつもりが煮過ぎて汁が無くなっちゃった、これは失敗だね。ポテトと卵を茹で、胡瓜とタマネギをスライスして晒す。人参が在庫切れのために「ポテサラ」の色合いがよくない(地味で、まるで俺のような存在だ)。

                             

最後は定番の卵焼きが出来上がってお仕舞となった。

 

 

 

 

 

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帰郷&帰京

2015-05-25 | Weblog

5/25(月) 午後一番のANAにて高知空港を発ち、15時過ぎに帰京した。羽田空港から京急にて会社の在る人形町に出るのだが、電車は十数分遅れていた。ホームの案内板を見ると、赤字で「地震の影響で遅延」と出ている。地震があったことを知った。

四時過ぎに人形町に着き、そこで14時半頃に震度5の地震が茨城県であったと判明。9階に在る事務所も相当揺れたそうだ。この地震が発生した時刻は空の上だ、機内放送もなかったので知る由もなしだが・・・。

四年前の、あの大震災の時。私は高知空港から田舎の我が家に帰る途中だった。不思議と事件の時に居合わさないのだ・・・・。これはリーダーとしては役割を果たせないので困りもんだ。居たって役に立たねえと、神様の思召しかもな・・・。

金曜日の夕方から、月曜の午後まで東京を空けただけだ。そんなに変わりはねえだろうし、社内も落ちついたものだ。今夜からまた、酒と薔薇の日々がつづくわけだ。結構だね~!

依然として咳込みが止まらない。気管支か肺か、何れかが変調をきたしているのだろう。併せて胃の方までおかしいが、病院に行くほどではない。酒精で治した方が早そうだ。金曜日、飛行機の中で咳が止まらず往生した。一緒に帰った次女から「お水貰ったら」と言われてしまった。

 

さて、帰郷での短い日々は「草刈」と「飯作り」、何時ものパターンである。従兄の孫娘が結婚するのでお祝いを渡し、実家の固定資産税の支払いと、御あしが飛んでいった。先月は車の車検で御あしがでたが、貧乏オヤジには堪える。何処に居ようと御あしだけは、逃げ足が速いのだ。

そんなボヤキはさて置き、土曜日は昼前に畑に出た。思ったほど草は伸びていなかったので助かった。一方、ミカン畑の端に先月に植えた「スイカ」と「カボチャ」の苗は、すくすくと伸びていた。昨年は、スイカも瓜も根腐れをおこして半分が駄目になった。今年は上々の出だし。

                       

                           スイカ苗

それに、別に植えた茄子・ピーマン・トマト・ズッキーニ・瓜・スイカも順調に生育していた。これを見ると「小さな幸せ」と云うものだ。帰省の楽しみが増えるのだ。

                     

畑じゃお決まりの「焚火」をしながら、草刈機で刈る。昼飯は何時もながら抜きなので、夕方まで畑に遊ぶ。三回ほど植え替えた、文旦の幼木は、今年も青虫に葉おを喰われて育つ気配がない。何故なのか、この樹だけは、ここだけは上手くいかない。小っちゃな樹に青虫が八匹もいやがった。当然、殲滅したが、葉っぱは無くなっていた。

                   

梅の木は、小さな青梅を付けている。柿の木は花が終わり小指の爪程の実を付けているが、・・・・これが毎年落下する。ヘタ虫の所為だろう。今年はKATUOが消毒することになっているが?

蜜柑は殆ど花が終わり、マッチの頭ぐらいから小梅ほどの実を付けている。花の遅い「晩白柚」は、小さな樹にいっぱい花と実を付け、小枝が重そうだが、これは自然に実が落ちるだろう。

                          

                             晩白柚

柚子・文旦・小夏・八朔・甘夏・紅蜜柑・小ミカンなどは程々に稔りそうだだが、ポンカンとネーブルは期待薄。今年は裏年のようだ。まったく駄目なのが「ソルダム」(いくり)だ。木ばかり大きいのに十個程しか実を付けてない。

こうして木々の様子を見ているだけで、一日が過ぎた。

日曜日、次女が一足先に帰京する。空港まで送る途中「琴が浜」と云う景勝の松原に寄った。ここに「琴が浜野外劇場」という場所があるが、立ち寄ったことはなかった。先週に酌み交わしたKATOU先輩が、八十八か所巡りの途中でここにテントを張ったとのことである。

                       

初夏の陽が射す浜辺、碧い空と海、そして松林の。いい処であった。何時は、矢流の坂(長宗我部と安芸国虎の古戦場跡)から眼下に見下ろし、琴が浜の松林と海岸線を愛でるだけであったが、浜辺から観る景色は更に美しかった。

小庭にも季節の花が咲いて彩りを添えはじめた。ツツジはもう終わりだが、バラやユキノシタ、蛍の宿などが咲いていた。四月、三春にて滝桜の子孫だと云う「枝垂れ桜」を買った。その小さな桜も根付きヒョロリと立っている。一昨年に大量死した「金魚」は、三十匹ほどになったが元気に泳いでいる。昨年川で獲って放した「ハエ」は、一匹だけ残り大きくなっている。

                   

安田川の鮎漁の解禁も間もなくだ。が、橋の上から川面を覗くが魚影が見当たらぬ。解禁まで一週間、今年の漁はどうかな?尤も私は食べる人、獲れる人ではないが・・・。来月の帰郷では、鮎を口にすることができるだろう。あの極上の天然鰻も喰いたいものだが・・・・。

                              

                           解禁を待つ安田川        

 

帰省中に作った喰い物は「ポテトサラダ」「大根・人参・鶏肉の煮物」「茄子煮」「トンカツ・牛カツ」「ステーキ」「野菜炒め」、味噌汁・卵焼き・野菜サラダ、そんな処かな。そして、お取り寄せの毛ガニ・刺身などがテーブルを賑わした。またしても・・・太る!

 

 

 

 

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イカと里芋煮

2015-05-22 | Weblog

5/22(金) 昨夜は渋谷での飲み会だった。我が郷里の弱小高校の同窓会であった。集まったのは、たった十名と云う体たらくで情けない限りである。結束が強いと思われる母校の会でさえもこんな状況だ。若手の加入忌避と会員の高齢化、種々ある会も同様の悩みを抱えているようだが・・・。

欠席者の短信を見ると、「病院通い、高齢で出歩けなくなった」とかが増えている。それでも、顔馴染のメンバーで話は弾んだ。参会した中で一番若いのが校長先生であるとは・・・。宴会後、郷里からの校長先生をホテルまで案内したが、途中の「たぬき小路」でもう一軒となった。

ハチ公前のスクランブル交差点を行き交う人の群れに「これやぁ凄いね~」とは、校長さんの言葉である。信号が変わるたびに、どっと繰り出し行き交う人の群れは、確かに圧巻と云えよう。私なんかがそれを見て思うのは『一人から百円づづ徴収しても、てぇした額になるな!』である。貧乏人が思いつくのはこんなこった。

                           

帰宅は22:30分と早かった。お蔭でなのか、今朝の起床も五時過ぎであった。

今日の弁当は、「サトイモとイカの煮物」、「豚小間とチンゲン菜&もやしの炒め物」「ポテトサラダ」、卵焼きと鮭・明太子であった。一番手間が掛かったのは煮物だ。里芋の下茹でとイカの皮を剥くので手間取った。

                

ポテサラも胡瓜・タマネギのスライスにジャガと卵を茹でと、時間を要すが、好みの一品なので気にならない。かくして二人前の弁当が仕上がったが、長女が取りに寄らない。なんのことはねえ、仕事が休みだった(そんなことは、早くに言っとけよ!だ)。

                             

 

今夜の最終便で帰省する。またしてもミカン畑の草刈と飯炊きだが、先月に植えた野菜の苗がどれだけ育ったか、楽しみである。帰京は月曜日の午後となる。どんな田舎話が披歴できるかな・・・・?。

 

 

 

 

 

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ハンバーグ

2015-05-21 | Weblog

5/21(木) 早くも木曜日を迎えてしまった。何もせずに今週も日にちだけが経って行くのだ「しまった」という思いになるのもしれよう。時は流れようとも弁当だけは忘れない。これまで忘れるようになっちまったら、お仕舞だ。

今朝は「ハンバーグ」を作る。この前買った挽肉が旨かったので、この残りをハンバーグにしようと思いたった。そして旨くなかった牛小間で、野菜(アスパラ・シメジ・タマネギ・チンゲン菜・ピーマン)の炒め物。煮物は、大根・人参・ナタ豆・薄揚げに鶏肉を少々。定番の卵焼き。以上である。

               

ハンバーグの出来具合は上々、焦さないようにと火加減だけは注意した。熱々のご飯も出来上がり、弁当に詰める。これからが問題だ、先ずはご飯を適量詰め、それから菜が入るのだが・・・。納まりきらんので、最後はご飯を詰め寄せて菜を押し込む。今朝も同じことを繰り返した。

                    

 

今朝の起床も五時前であった。寝汗を掻き、それが冷えて目覚めたか。夢の中に「ちょっぷく」の店長YAMAちゃんが、毎度の仕事スタイル(前掛けに鉢巻)で登場していた。弁当作りを始めるのも早すぎる。新聞を読みのんびりしていたが外は雨、肌寒かった。

なんで夢にYAMAちゃんが出て来たか?だった。よくよく考えてみれば、昨晩もちょっくら立ち寄ったのだ。店はやたら混んでいたが、アルバイトが一人休みだとかで、洗物のグラスや皿が返却棚に山になっていた。常連の助っ人隊は、この夜は誰も居なかった。

こうなりゃ仕方ねえ・・・『洗い物ぐらいなら俺でもできるさ』と、前掛けをして洗い場に立った。処が、次から次へと洗い物がひっきりなしにつづく。酒のコップが足りない、ジョッキが不足・・・云々。一時間ばかりでお役御免になったが、忙しかったぜ!

そんなことがあったので、夢の中にYAMAちゃん登場か?

 

 ―酒とタバコー

相変わらず酒とタバコがつづいている。数え起こせば数十年・・・・。何故に酒とタバコを嗜みはじめ、それを何時までもつづけていくのか?余り真面目に考えても仕様のないことかもしれんが・・・・。

「酒とタバコ」は、大人の印、代紋のよなものだったかもしれない。だから大人の真似ごと、入門編として、先ずは酒とタバコに触れる。ちょっと大人に近づいた気分になる。青少年の頃は、そんなことで酒やタバコに近づいていったんだろう。

一番最初に買ったタバコは「スリーエー」と云う、奇麗なパッケージの20本入りだった。結局一年弱で辞めたが、中学一年の頃だった。大学生になって本格的に吸い始めたが、両きりのピースが多かった。そしてショートホープとなり、それがつづいている。だが、二十代の終わりに一年程辞めていた。これはタバコの火でズボンに穴を開けた、その意趣返しに辞めたのだ。単純な動機だった。

これだけ長くタバコがつづいているんだ、立派な表彰もんだぜ。「立派な肺癌です」と告げられても、なんの違和感もないね。

翻って「酒」だが、これも年季だけは入っているはずだ。三四歳の頃から、家の直ぐ前に在った店のお爺さんに飲まされてフラフラして帰って来たそうだから。この店に毎日遊びに行っていた。だが基本的に私は下戸なのだ。酒精は体に合わない。

三四歳から鍛えていれば、今の年齢になればウイスキーボトルの二三本は空けても平気だろうに。そうならないのは、体質的なところだろう。その虚弱な体質を押して、日々酒精に馴染もうと努力しているのは健気じゃないか。そんなにまでして大人になろうと、足掻きもがいているのだから・・・・。

時間もあるので早目に結論を云うと、『私が酒もタバコもつづけているのは、未だ大人になれてない。で、酒・煙草で大人の真似事をしながら真の大人になろうと努力中」と、云うことであるまいか?いろいろ考えた末。漸く、かくなる結論に達したのだ。

我が修行の道は長く、そして険しい。ようだ。修行故、今夜も酒とタバコが呼んでいる。今夜もいってきます!

 

 

 

 

 

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ヘビーだね・・・

2015-05-20 | Weblog

5/20(水) 今朝も五時過ぎに目覚めていた。暫く蒲団の中で時をやり過ごすが、我慢が出来ず弁当作りに入った。昨夕は、KATOU先輩が小伝馬町まで来てくれたので居酒屋「小伝馬」にて酌み交わした。

なにしろスタートが五時を廻ってすぐの時刻。店には他の客の姿はない、おそらく開店早々の時間であろう。以前に此処で一杯やり、先輩はこの店が気に入ったようだ。生ビールから日本酒となったので、ぬる燗を頼んだが、燗具合はいまいち宜しくなかった。二人で、二合半徳利を二本、一合を一本でお仕舞にしたが、丁度良い具合か。

KATOUさんと初めて会ったのは入社二年目、その頃両国に在った会社の体育館の剣道場である。先輩は資材局に転勤されて2~3年目の頃だったろうか。私は現場の庶務課庶務係で給与事務や雑用をしていた。あれから四十余年が経つが、何時まで経っても世話になりっぱなしである。

若かった頃のあれこれ、山岳人となった先輩の山の話。昨年四十日を掛けて廻ったと云う、四国八十八ヶ所巡りの旅のことなど。私の郷里にある27番札所「神峯寺」に至る町でご接待に与かった思い出など、当時の記録を手に聞かせてくれた。

「小伝馬」で懇談は終わり、一人「ちょっぷく」に顔を出してハイボールを二杯、それで切り上げた。昨夜最寄駅に着いたのは21時と、滅多にない早い時間。駅前で翌日の菜を少々贖っての帰宅となった。

今朝のメニューは、前夜に買ってきた安い牛肉の「肉ジャガ」と「カツ煮」、「チンジャオロースー」の変型判、「焼き鮭」である。炊飯器を仕掛けて、ご飯が炊きあがった丁度に菜も整った。

              

然し、今日の弁当は少々ヘビーだ、こんな物を喰ってちゃ太るな!弁当を受け取りに寄った長女に『太るぜ!』と、注意信号だけは発した。後は当人の問題だ。

                     

 

― 車谷 長吉さん逝く―

昨日の新聞か、作家の「車谷 長吉」(くるまたに ちょうきつ」氏が亡くなったと出ていた。六十九歳とあったが、早い逝去である。氏の著作を初めて手にしたのは、当時住んでいた横須賀の書店であった。直木賞を受賞した「赤目四十八滝心中未遂」で、何気に読む気になったのだ。

著者自身であろう主人公の青年が、どん底を這うように暮らす大阪の場末。その三畳一間のアパートに蠢く人間模様と哀しさが、私が十代の最後に暮らした東十条の踏切脇の三畳間のアパートと重なった・・・。

氏の文書から、己が身を切り刻み、身内までも鋭く切りつけていく作家の情念と厳しさを、物書きの半端なき自己否定と昇華を、まざまざと見せられた。物を書く人間の覚悟、その凄ざましさに圧倒された。類い希な作家としか、いいようがない。そんな作家がいなくなった、残念としかいいようがない。

 

 

 

 

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「お別れの会」

2015-05-19 | Weblog

5/19(火) 昨夜は予報通りの雨となった。22時を過ぎて学芸大学駅に着くと、雨脚が強くなっていた。革底の靴を履いて出掛けたので、雨の降りだす前に帰り着きたかったのだが・・・。「ローカーボ」から「ちょっぷくと」と、何時もながらの道草をした結果が、この様である。

昨日の昼間、ホテルオークラで「田中順三」さんのお別れの会があった。氏は、NTTファシリティーズの初代社長として活躍された。私がサラリーマンとして最後に勤めた会社であるが、その時は社長を下りた後であった。私は、NTT剣道連盟の副会長、また本社剣道部の会長としての田中さんにお世話になっていた。

私がその会社に移った時、田中さんは取締役相談役になっていたが、辞令を受けた後に挨拶に伺うと「とてもいい人が来てくれると、待っていました。よく来てくれました」と過分な言葉を頂き、手を握って下さった。とても温かい気持ちになったのは、十五年も前のこととなる。

また遥か以前、私がグループの広告会社に出向していた当時、田中社長から建築関係の関連会社をご紹介頂き、ビジネスに繫がったこともある。そういう意味でも深い恩がある方であった。

昨年の12月、剣道部の忘年会でご一緒し、酒を交わしたが、かつての酒量に比すと随分落ちていた。日本酒に造詣が深く、全国の銘酒に精通していた。明るくて愉しいお酒を飲まれた。今年三月、剣道部の者から「容態が思わしくないようです」と、耳打ちされていたが、それから一週間ほどでご逝去された。忘年会で一緒に撮った写真が最後の記念撮影である。

                        

                        

                            26年12月

篤実・温厚で見識が高く、その経歴に相応しい「お別れの会」で、各界から数多の方が参列された。私も末席を汚す身ながら、遺影の前に立ってこれまでの御礼を申し述べた。

                          

平服での参列を、とのことであったので、一番上等なスーツと靴に、滅多に締めないネクタイは渋い色合いにした。その靴もスーツも雨に祟られたが・・・・。

歴代の社長に挨拶し、先輩や後輩と懇談。歴史小説家になった後輩とお茶をし、本の話をしてからの帰社だった。今あらためて、田中順三さんのご逝去を悼む。

 

 ―オムスビ―

今朝の目覚めは五時前であった。昨夜は早くから演歌のCDを聴きながら眠りについた。CDのいいところは、勝手に終わってくれるとことだ。これがラジオやTVではそうはいかん。夜中に音で目が覚めてしまう。オヤジの子守唄は演歌に限るね…、詩に泣かされメ、ロディーに胸を打たれているうちに眠っているのだ。

で、爽やかに目覚め、予定どおりに「オムスビ」弁当の用意をした。鮭・明太子・塩昆布・肉味噌の四種である。いたって簡単なことは云うまでもない。肉味噌を作るので、一緒に「茄子味噌炒め」も作る。これに「卵焼き」で、朝のお仕事はお仕舞となった。

                     

オムスビは何時もより小ぶりにした。ご飯の食べ過ぎに注意だ!

                          

以上、十個のオムスビに海苔を巻いて完成である。

 

 

 

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