オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

大晦日・・・

2023-12-31 | 弁当

12月31日(日)2023年、令和5年も今日でお仕舞いとなる。新しい年を迎える夢や希望が無きに等しいのは生きている価値もなきに等しいだろう。ただ一つ、本格参戦した野菜作りだけは上達したいが・・・。

そんな次第なので、今年を振りかえることしかないのだが、これも希薄、存在感がない一年。山里暮らしが中心で、時折東京に戻っては友人達との歓談、馴染の店を廻るそれだけの暮らしであった。

心身が正常であれば、新年においても同じことの繰り返しとなろう。野菜作りに遊び四苦八苦し、私を迎え受け入れてくれる友人・知人に馴染の店があればだが・・・。

この一年、年明けてから津川さんと黒田君の墓参をしてから一旦帰郷。 下旬に再度の上京をし、三月の啓蟄を前に帰郷して育苗を始めている。施設に入った義母の状態がよくないのと、農閑期であることから東京暮らしが長い。

四月初旬、西表島への旅行があり帰京した。羽田から津川&花岡さんに同行、お世話になったが、いい旅であった。六月の初旬に二ヶ月ぶりに帰京し、一週間滞在してOB会などに出席。

七月二十五日、こともあろうに新型?コロナに感染!。半日ほど37度台の微熱があっただけで済んだ。親戚の葬儀にでたのが原因か。一週間後、義母が亡くなり帰京、葬儀で三日間の東京滞在。九月中旬に義母の納骨で再度上京したが五日だけの滞在。

東京~高知と行ったり来たりは、十月のベッタラ市・OB交流会に埼玉家会、十一月は友人達たちとの常磐ワイハバス旅行とつづいた。十一月下旬の地球市民の会四十周年記念イベントで佐賀市。そして、今回の年末始帰京と云う次第。こうして振り返ると、粗毎月のように高知~東京を行き来している。

田舎では概ね野菜畑で遊び、ミカン畑で焚火。春には山菜採り、筍掘り、初夏から梅干しやラッキョウ漬け、手長エビ捕りやモクズカニ捕りの川遊び?。秋の栗拾いに柚子の収穫、干柿作りとなる。

こう振り返ると、田舎暮らしも遊び事ばかりで結構忙しいことがわかる。東京に居ればいたで、滞在期間が短い分、友人知人との交流が続き昼夜ともに忙しい?。こんな暮らしが何時まで続けられるか分からんが、こう云う宿命?であろうと・・・。

今回の帰京、21日の夕刻に学芸学大駅前に着いて、人の流れと空を見上げて浮かんだのは「この町で、もう山田さんと行き会うことはないんだ」だった。三年前に亡くなられた地元の数少ない友人で会った。

余談だが、帰宅すると喪中はがきが二枚机に乗っていた。差出人は、NTT時代の上司と部下からであった。後日、松栄堂さんからお線香を送る。松栄堂は京都が本店で三百年以上続く線香の老舗。現社長が友人の岡崎氏の高校生時代からの友達と云うことで、お茶をご一緒したことがある。

 

帰京してからの十日余り、昼夜ともに酒場に出向くことが多かった。他には、歯科・眼科検診をしたが問題なし。仕事納めの二十八日、御徒町で保谷・沼田・岩瀬さんと昼飲みし、夕方には沼田君の馴染と云う、京橋の「麻里布倶楽部」なるライブミュージックの店へ。そこから、人形町の「ガタゴト」「うっまし」と流れてお開きとなった。これが、酒場での飲み納め。

            

酒場巡りも仕事納めとともに終わった一昨日、築地場外市場までマグロ・鯛などを買いに出掛けたが、ものすごい人出、すごかった。同行した喜夫と八丁堀まで歩き、ビールと鰻、仕上げはコーヒー。この喫茶店がタバコを吸えたのでよかったネェ~。

そして、昨日は山田さんにお線香をあげた後、平和島にてボートレース遊び。夕刻前に帰宅、早々とビール。そし長女を相手にウイスキーとなったが、三十年以上前に海外で買ったはずのオールドパーを!。味がどうかと心配したが上々、香り口当たり共に一級品だった。

                   

大晦日の今夕、末娘夫妻が食事に来ると云う。リクエストは、生意気にも「タイ飯とすき焼き」だそうだ」となれば、OYAJIシェフの出番となる。この鯛は、奈加野に頼んで買ってもらったが、私が長女の頼みで築地で買った鯛は、これより一回り大きいが、値段は三倍以上した。年末価格であろうが、築地もボッタくり商戦の最中だった。

 

さて、新年の予定だが・・・。元旦の午後は&花岡さん宅を訪問。2~3日は子供達一家と義妹一家が来る。四日は、昼前から北千住のライオンに集合が掛かっている。そして五日の午後は吉祥寺、夜は人形町となる。六日は昼からOB会の七福神巡りに何年かぶりで参加予定、七日は、黒田君の墓参を予定をしている。

連休明けた九日に帰郷し、野菜畑の遊びがスタートします。冬とも云えど、草は生える。ミカン樹の剪定も待っている!。焚火と焼き芋の季節到来。

次の帰京は、二月末に年末調整処理で一週間ばかり帰る予定です。

年賀状の方は欠礼させて頂きます。皆さま、良き新年をお迎えください。そして、健康な一年を過ごされますように。

 

 

 

 

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江戸暮らし・・・

2023-12-27 | 弁当

12/27(水)帰京して一週間となる今日の活動開始は、午後からであるが、先ずは江戸での平日の日課からスタート。

家人と長女の弁当作りであるが、昨夕の夕食の残り食材ばかりで済ませた。豚シャブ肉の生姜焼き風、野菜の卵とじ、高知の板蒲鉾。以上となりました。

                   

夜毎の徘徊で草臥れていても、朝の弁当作りだけは欠かさない。在京中の唯一の趣味、遊びだからね!。

これまでの四日の弁当は、焼き肉・炒飯・ホタテご飯などである。

         

酒場歩きは帰京の翌日からで、馴染の人形町で保谷兄いさん、通称油屋さん、沼田君とから。蕎麦の高松、こま吉、うまし、ちょっぷく、セイジュ。そういえば、銀座上がりと云うママさんがやるガタゴトにも行ったか。

土曜日は我が家恒例のクリスマス会。家族一同が揃い、義妹夫妻にその息子夫妻と総勢十八人で賑わい。夕方から夜中までつづいて酔っ払いが煩かったねぇ~。孫たちは大量のプレンゼント交換に大喜びしていた。

月曜日の正午前、上野駅でAD時代の上司である清田さん、藤田&高橋両氏と合流して昼酒。正午開店のキリンシティで四時まで飲み、別れてから人形町へ。開店前であったが「中華 三浦」の大将に入れてもらい久々の歓談。六時の開店で店を後にしてから酒場放浪。帰宅は終電近い零時過ぎとなった。

昼酒のない平日、歯科に眼科と定期整備に行ったが問題なし!。昨日はT物産社長の岡崎氏とコーヒー歓談後、宇田川町の「奈加野」に顔をだして久々にオヤジと歓談、大晦日に使う真鯛を買っておいてもらうことにした。

真鯛は、末娘の亭主が「鯛めし」が食べたいとのことで、近所の魚屋に仕入れを訊くと「年末は養殖の刺身用しかない」とのことによる。市場が豊洲に移ってからは遠くなり自分で行く気になれない。郷里の先輩で、四十年も付き合ってきた間だからこそ頼める我儘であるが。

築地に市場があった頃は、店主の中野さんの仕入れに同行して幾度となく行ったものである。それも懐かしくなる。四十年前は築地場内市場の寿司店に一般客の姿はなかったように思うが・・、時代とともに仕入れ客以外の人、外人客であふれるようになっていた。

 

今日は、横浜で三時に従妹と会い、四時には岸本大兄と馬車道で会う。一時間ほどの散策後、野毛の店で懇談する。これだけで済めばいいのだが、そこから人形町まで足を延ばしてナチュラル時代のメンバーと飲まねばならない。遅くなるが致し方ない、ヨシオにスケジュールを任せてあったら日程を知らせぬままに決まっていた。バカヤローと云いたいが、奴には奴の言い分があろう?。

明日は、午後一時集合で上野から御徒町の千ベロ巡り。岩瀬さん、沼田君に保谷兄いも参加の予定である。最後は人形町で納め酒となろう・・・。お弁当は今日が納めです。

 

 

 

 

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帰京を前に・・・

2023-12-20 | 弁当

12月20日(水)明日、今日する。とは云っても11月の初旬に短期帰京をしているので、久しぶりの感はないはずだが、一挙に真冬の到来で気分的には随分異なる。

ここ数日で山里は真冬になった。月曜日は氷が張り、野菜畑も一面に白くなっていた。

               

野菜畑の方は夏・秋・初冬と収穫をつづけてきたジャンボシシトウ・甘唐辛子を全て抜いた。白菜・キャベツ・ブロッコリとノラボウ菜が成長、レタスと水菜は程ほどの成長、遅くに種蒔きしたホウレン草やチンゲン菜・小松菜は芽を出したばかり。育苗した小さなタマネギの心配をしていたが、根付いたようだ。

これも遅く種蒔きした、小蕪・キャベツ・キヌサヤ・スナップ・エンドウにソラマメは春までにゆっくり育ってくれるであろう。

そんな状況なので、年明けの帰郷までの二十日間ばかりは放置する。昨日の雨の前の二日、ミカン畑で剪定などした。冬の間は野菜の方の手間がかからないので、新年早々はミカンや柿の木の手入れを本格化する予定。

この一年の野菜作りの経験、と云うより失敗を糧にして来年の野菜育成にチャレンジしたい。つくづく感じるのは「野菜作りも会社勤めも共通するな」である。手間暇をかけ、それぞれの個性を生かし、気長に取り組む。勤め人時代にできなかったことばかりのことが甦り、畑に遊ぶ日々。

 

ここ数年、晩秋から初冬にかけての習慣?「干柿作り」は一昨日最後の吊るし柿を取り込んだ。五十個ばかりであったが、本格的な冬の到来で黴も発生せず、吊るした日数も短く済んだ。今年は総じて柔らかな仕上げにしたこともある。一次、二次、三次と取り込みトータルで五百個を超えたであろう・・・。

雨が少なかったことも幸いしたが、雨の予報をみてはビニールカバーをかけ、物干し竿を二本も買い足しての結果である。

干柿作りを始めたのは父が亡くなってからであるが、数が多くなったのは仕事を辞めたこととコロナで田舎暮らしが本格化したことによる。

きっかけとなった父の命日は晩秋の11月18日である。来年は十三回忌、母は七回忌となるが、これも一つの節目である。

サラリーマン時代から続く人との交流、祭り、会合、野菜・果樹とのふれあい、全てが節目、節目の繰り返し。そんな中で齢を重ねながら、どのように変化していくのか?。己が決めていけばいいことながら、決めないのも一つの生き方であろう。自然体?。

 

では、新年にでも・・・・・。

 

 

 

 

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師走も半ばとなり

2023-12-14 | 弁当

12/14(木)早くも師走半ばとなり、今年は余すところ二週間ばかりとなった。何をするでもない素浪人ながら、遊び事の畑仕事?ならぬ遊びだけはちまちまと続いている。

午前中にその野菜畑の様子を見て早々と切り上げたのは、播いて間もない種は季節の変わりとともに成長してくれるのを待つばかり。白菜もノラボウ菜も順調に育っている。未だ残っているジャンボシシトウと甘唐辛子は来週の帰京前に畝上げをする。

野菜畑の方が手隙となったので、昨日から今日は午後にミカン畑に出た。柚子の収穫をして以来なので久しぶりである。昨日は収穫遅れで水分が飛んでいる不器量な温州ミカンと紅蜜柑を収穫。今日は、油粕を柿の木の元に少し入れてみた。二日ばかり天気が悪いようなので晴れたら剪定をしたいが・・・。

             

七時頃から早くも雨が降り出した。小雨だが、双子座流星群を目にするのはできないようだ。この雨に備えて、ミカン畑から戻ってベランダの吊るし柿(最後の干柿が50個ほどぶらさがっている)にビニールの覆いをした。私のような雑多なやつでも干柿には何かと気を使うのだ。庭からベランダを見上げても、あれほどあった干柿の姿が見えぬようになった。

                  

庭先の山茶花や万両の赤い実を目にすると本格的な冬が来たと実感する。ミカン畑の枇杷の木も、お茶の木も花を付けている。まあ~、焚火には絶好な季節到来だが・・・。柚子とは裏腹に、文旦と小夏は実りが少ない。裏年にあたるのであろうから、これ幸いで少ない方が面倒がなくていい。

                 

 斯様な日々で、悠々自適ならぬ自堕落な日々を送る山里くらしであります。

 唯一、夕食に来てくれる従姉は、未だ八十路を越したばかりと云うに、さっき食べた物を忘れる!。今日は、クリームシチューをメインに牛野菜炒め、大根煮などであった。デザートは、コーヒーにリンゴとラ・フランスの赤ワイン煮だったが、次女からの電話の問いに対して出たのは「沖ウルメと・・・?」しか応えられない。

困ったものだが、やさしくて気のいい姉さん?(婆さん)なのだ。物忘れが激しくなったが、これも我も辿る道である。

相も変わらぬ斯様な山里の日々も、来週末には江戸の人となります。乞う、ご期待!。

 

        

 

 

 

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師走、山里雑感。

2023-12-02 | 弁当

12/2(土)今年もはや師走となった。日々に疎しながらも時間だけは経っていく・・・。

畑の方は遅まきながら、ひと月以上も遅れてタマネギ植えや野菜の種蒔きが済んだところである。何処ぞに出荷するわけでもないし、畝作りは運動代わりと思っているのでゆるゆると耕し、収穫をすればよしである。

本格的?に野菜作りで遊びはじめて一年となるが、この間、粗全ての野菜の植え付け種蒔きは一月ほど遅い。それでもそれなりに生育してくれる。例外は、大雨にやられたスイカと、二番植えしたトウモロコシとジャガイモだ。秋に収穫するトウモロコシは虫喰いになり、ジャガイモは最初に植えたものは全滅、再度植え付けたものは時期遅れで僅かしか取れなかった。

                

何事にも知識と経験、たゆまぬ努力が欠かせないと実感するが、こっちには縁遠い。ただ放置に近い野菜でも、採れだすと処理に困るほど採れる。夏場のキュウリやミニトマト・カボチャ、今だ採れているジャンボシシトウ・甘唐辛子がその例だ。持っていく先に難儀する。

様々に失敗を続けながら、今年も終わりに近づいた。大仕事?は、吊るし柿の手入れだ。幸いにも今年は未だ、黴が発生していないのが救い。ただ、今年の柿は不作で小さくて傷が多かった。唯一、美濃のマンガン柿だけは昨年同様に綺麗な柿だった。それと、一週間ばかり前に高知の青果店から届いた愛宕柿は良かったが、21日の帰京までに仕上がりそうもない。

吊るし柿と云えば、十日も前に手仕舞いのつもりだったが、前述の愛宕柿が届いたこともあって、従兄のとこの柿を採れと言われて、昨日五十個ばかり採った。そんな次第で、今日が本当に最後の柿剥きをする。

十一月に入ってから急に気温が下がり、一気に冬の訪れを感じはじめた。先日からストーブ、それも旧型の灯油ストーブである。こいつのいいところは、上に薬缶を載せて燗酒ができるし、餅を焼いたりコーヒーポットを載せて置くのにいいのだ。

山里もすっかり冬になりました。モクズカニ漁は十一月末で終わり、私はやらないが(食すのみ)猪や鹿の猟は先月半ばから始まっています。

かつては年末の風物であった餅つきを家庭でしなくなって、消えてから久しい。が、餅も正月の料理も、餅は餅屋に料理は仕出し屋にとなった。正月のお節まで家で作らなくなっているようだ。

我が家では、辛うじて家人が夜鍋仕事で作っているが、もともとこの類の料理と云うのを私は好まないが、義理で少しは手を付ける程度。

気が付けば、庭の植え込みの山茶花が花を付け始め、万両は真っ赤な実を垂らしていた。本格的な冬の到来だ。エアコンのない食堂は、師走に入るまでストーブを出さないつもりだったが、それも一週間前に出した。山里は冬ごもりの時期か・・・。

 

余談ながら、先月25~26日と佐賀市まで出掛けた。会員になっている「地球市民の会」の四十周年事業があり、それに参加した。会はとても充実しており盛況であった。旧知の皆様との歓談も楽しかった。佐賀に戻っていた中村さんと、会の二次会終了後にお会いしてスナック廻りで零時過ぎまで痛飲した。

               

 

そんな充実の佐賀行であったが、出発までが大変であった。空港の駐車場に車を入れる予定だったが、なんと駐車場の入り口に車が並び、全く動かない状況だったのだ。10~20分と待ったが動く様子がない。搭乗時間まで30分となり、一瞬佐賀行を諦めるしかないかと思った。

こうなれば致し方ない、路上駐車でもするしかないかと、並んだ列から車を出して駐車場の周りを一回りして、バスの時間調整すためであろう道路わきのスペースを見つけて片隅に車を入れた。そして小走りで空港に入った。辛うじて搭乗時間に間に合ったが、罰金もゴールド免許証の減点も覚悟していた。

それにしても、待っても駐車場に入れないと云うのは初めてであった。次からは気を付けなくちゃ・・・。

案の定、夕方になって警察から連絡があったと妹からの電話が(車は妹名義)あり、そして私ににもかかってきた。状況を話し、日曜日の夕方に帰る旨を伝えた。後は、車が無事に在るかどうかであったが、事なきを得た。バス会社用の専用スペースであったのか?

バスの運行には支障ないはずだが、ご迷惑を掛けした。

 

山里暮らしの素浪人でも、とかく年末は気忙しいのである・・・。そうそう、今年の干柿作り数は五百個くらいになりそうだ。計画数を大きく上回るが、気に食わぬ出来栄えになろう。残念ながら!。

 

 

 

 

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