オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

花曇り

2022-03-29 | 弁当

3/29(火)昨日、今日と曇り空が続いてる。まさに花曇りの言葉そのものである。暫くはこんな空模様がつづきそうだ。そんな午後、明日から佐賀のNAKAMURAさんが友人と来高するので、布団干しや買い物と忙しく動いた。

土曜日は雨が強かったが、日曜日は午後から快晴になり一気に桜が咲きはじめた。庭先の池面に夕日が映えて気持ちのいい夕暮れを迎えたのだ。ミカン畑のソルダムの花も満開、背丈だけひょろひょろと伸びた枝垂れ桜も僅かながら小さな花びらが・・・。

           

庭の小枝に刺したミカンは、ヒヨドリが来てあっという間に実だけ綺麗に食べ、種だけはしっかり残っている。野菜畑の白菜やキャベツも、上の方から小鳥たちが啄んでギザギザになっている。カエルたちも鳴き始めて春爛漫である。

 

四月になると川開きと云うか、ウナギ漁の解禁。鮎漁は六月、モクズカニは八月からであるが、先ずは試しにエビ箱とウナギ漁から始めようと・・・。先ずは仕掛けの用意をしなければならないが。

猪・鹿の猟は今月末で終わる。そのギリギリの一昨日の夕、従弟のISAOが鹿の足を持ってきた。先月、従兄の葬儀で会った時に鹿を捕ってくれと頼んであった。「ギリギリに間におうた。メスの若鹿なので柔らかいよ」と、届けてくれたのだ。これは、来客用に燻製か、ソテーするつもりである。 

昨日、従姉の旦那HIROMICHIさんと筍掘りに出撃した。ゴミのようなのを見つけたが、諦めていたらHIROMICHIさんが石ころだらけの山の斜面で立派なやつを探りあててくれた。流石に先達と云うか・名人である。

そんな柚子ロードの帰り、お墓の近くに姫路プレートの車が駐車していた。お彼岸を過ぎたが、マン防解除で墓参か?であろうと思いながら、姫路の車なら若しや?という気持ちが働いた。

お墓から出てきた姿を見て、思い切って声をかけることにした。「EAGAWAさんじゃないですか?」と。マスク越しの目元が、高校卒業以来会っていない同級生の面影があったので。或いは同級生の兄かもしれない、と思いもしたが・・・。

返ってきた返事は「MASANORIか?」であった。奇遇か必然か、会いたいものだと思っていた同級生のYASUSHIであった。彼とは高校三年生の時、一緒にバイクで四国一周の旅をしたのだ。

YASUSHIは工業高校に行き、神戸の製鉄会社に就職した。そして、その地の住人になった。風の便りにマラソンをやっているとか耳にしていた。先週のお彼岸、彼の実家の墓掃除をしていた親戚のものに彼のことを尋ねると、ここ数年帰っていないとのことであったが・・・。

これから何カ所か立ち寄って自宅のある加古川に帰るというので、短い立ち話であったが元気な姿を、声を聞けて良かった。奥さんと二人での墓参帰郷、馬路温泉に宿を取っていたとのことであった。

 

春の陽気と一緒に懐かしい友人との邂逅、山の幸の到来、友人の来宅と我が心も爛漫と云えるか。

 

 

 

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春らしくなり・・・

2022-03-27 | 弁当

3/27(日)昨日は朝から雨、昼頃から一段と強くなった。そんなことで外出は「いなかじかん」でのコーヒータイムだけであった。

カエルのなき声が聞こえない、春遅しと思っていたら深夜に池から一声聞こえた、そして夜が明けたら一気にぎやかな合唱が・・・。午前中は薄曇りだったが、午後になってからは快晴。気温も一気に上がってきた。

川沿いを少し歩いて桜は如何に?と橋の袂や上流を眺めると薄いベールを被ったように桜色が・・・。漸く咲き始めた。近づくと未だ3~4分咲きと云うところだが、待ちに待った春到来である。風に吹かれながら川沿いを30分程歩いた。

                

佐賀のNAKAMURAさんから連絡があり、週明けに友人と二人で四国までドライブ旅行とのこと。で、我が家には29日からお邪魔したいとの依頼。勿論OKですよ!と応じた。そんな次第で、川沿いの桜を愛でた後、泊まってもらう予定の二階の掃除。布団も干したが、明日天気が良ければもう一度布団干しだ。

 

昨夜の夕食は野菜中心。サラダ、茄子煮&焼、大根おろし、ホウレン草白和え、イカ納豆、冷奴にチキンソテーのネギ・シイタケ添えであった。ちょっと量が多いかな!。大根とコンニャク煮も作ったが、これは取り置いた。

                 

今夜は、昨夕に煮た大根&コンニャク煮、豚ヒレ肉の一口カツ用があるのでトンカツかな?。かといってお腹が空かない。肉体も脳も働いてないから無理ないね。

 

 

 

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草取りを終えて・・・

2022-03-25 | 弁当

3/25(金)今月の庭の草取り最終章!。11時過ぎからから中庭の草取りを開始し、14時前に終えた。この間に、従姉に親戚が訪ねてきたが、縁側に座ってもらい草取りを続けながら話を聞いていた。

          

今日も風があったが、中庭なので風は通らないので汗ばむ。丁寧な仕事とは云えないが、二時間以上かけて一応綺麗になった。明日は雨の予報、それも相当強いとか。草取り後の植木に化成肥料を撒いた。

               

計画していた当面の作業が終わったので、久々に「豆電球」まで行ってコーヒーを飲むことにした。併設の大心劇場で昨日まで映画をやっていたが、古い吉永小百合主演映画だし、草取りを優先したので顔出ししなかった。

店主が居合わせたのでコーヒーを飲みながら映画の客入りや、これからの川漁のことなど話す。明日は、何処やらの花見会に呼ばれて歌を唄うとのこと。ギャラはなくて、CDの販売をさせてもらうとのことだ。

豆電球として活動を初めてから50周年になり、記念CDを制作しているのだ。そのことは前回の帰郷時に聞いていたが、CDは求めていなかった。が、今日は販売に協力してオリジナル曲が16曲入っているというCDを買った次第。

駐車場に桜の樹が五~六本あるが、そのうちの二本の桜が咲いており6~7分咲きになっていた。我が家からすぐの橋袂の桜は数輪が咲いたばかりだが・・・。

               

帰りに竹林に寄って筍を探した。だが、麦踏のように歩む足裏の反応は小石や枯れ枝、竹の根っこばかりだった。今年は筍もタラの芽も遅い、桜も遅いが・・・。

 

明日は雨か・・・・・、のんびり過ごすことになろう。何時ものように!。

 

 

 

 

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山里の桜は・・・

2022-03-24 | 弁当

3/24(木)昨夜は小雨だったが、今日は朝から天気は回復。されど、ここ数日は風があって肌寒い。そんな中、昼前から池のある庭の花壇の草取りをした。毎回、I~2時間ながら今日で五回目となり、漸く終えることができた。

されど、中庭の植木の下の草取りが残っている。こっちの方は、明日やる予定でいるが・・・。

今日の草取りを終えてから姪の店「いなかじかん」でコーヒーを飲みながら、向かいの桜を眺める。三日前よりは蕾の色が明るくなり、薄桃色の花がいくつか見える。丁度一年前の写真を見るとほぼ満開であった。桜も筍も今年は遅い、昨年より一週間は遅いようだ。

             

コーヒーの後、安芸市内まで肥料や食材を買いに行くことにした。町に向かう途中、焼山橋下の堰堤に下りた。鮎の遡上状況を見たくて・・・。稚鮎の小さな群れが、魚道を遡上するタイミングを計っているかのようだが、未だ体力がなさそうだ。

               

ミカン畑にあるソルダムの花が漸く咲き始めたが、これも遅い。三春の滝桜の末裔との触れ込みで植えた枝垂れ桜も、蕾が僅かに膨らんでいるだけだ。

             

斯様な呑気な日々ながら、ウクライナの戦禍に胸は痛む思いだ。理不尽な言いがかりで強いものが弱いものを痛めつける。何もできない身が情けない。祈るしかないのか・・・。

 

少し前に「奈加野」の店主から電話があった。商売の様子を訊くと、蔓延防止が解除になってからは繁盛とのこと。「コロナで痛手だったから、草臥れるが、後2~3年は頑張るよ」とのことであった。健闘を祈る‼。

 

 

 

 

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田舎暮らし二週目

2022-03-21 | 弁当

3/21(月・祝日)今日の午前中は晴れていたが、午後になって曇り空になったが風は弱くなってきた。田舎暮らしも二週目に入り落ち着いてきた。

昨日の日曜日、従兄姉夫妻の法事であった。従兄の五十日祭にその妻だった従姉の五年祭が合祀で執り行われた。そう、夫妻とも従兄姉なのだ。従兄の方は母方の実家の長男、従姉の方は父方の長女の末娘と云う間柄であった。田舎らしい縁戚同士の組み合わせであった。

従姉は四年前の二月七日、従兄は先月の二月一日が命日であった。そんなことで、神道なので五十日祭と五年祭が合祀と云うことで執り行われ、納骨された。

               

悪いことに、勤めの傍ら実家の農業を担っていた従兄夫妻の次男(長男は逝去)が重篤な病になり仕事が出来なくなった。手広く営んできた柚子・コメ作りの先行きに暗雲が漂う。私が心配しても致しないことだが・・・。田舎暮らしの中にも色々と心配の種は尽きない。

 

さて、そんな中ながら土曜日の夕に二度目の筍を探しに竹林に行った。三十分ほど落ち葉が積もった地面を足裏でまさぐった。しつこくしつこく探った結果、小さな小さな筍を三ッ取ることができた。私が掘った跡より、イノシシが掘った穴が大きい!、奴らは臭いで地中深くから探し当てて掘っているのだ。

              

夕餉に小さいながらも若竹煮にして味わった。横須賀から届いていた若布を最後に加えた。筍特有の香りがあり美味しくいただいた。

               

 

祝日の今日、庭木の枝に八朔を切って刺した。小鳥たちのために・・・。明日には実が無くなっていることであろう。

               

「いなかじかん」の閉店前に訪れ、コーヒーを飲んだ後、目の前の川岸に立っと桜の枝に一輪、二輪ながら咲いているのを見つけた。桜色と云うよりは白っぽいが、桜花である。

        

       

 

       

 

そんな今日の夕食は畑から採った白菜&キャベツの煮物。野菜中心を予定している。

 

 

 

 

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田舎暮らし・・・

2022-03-18 | 弁当

3/18(金)月曜日の午後、13:50分発のANA便にて帰郷して五日目となる今朝は天気悪し!。雨だが未だ小雨がパらつく程度だ。こんな日は部屋で過ごすに如かずだが、斜向かいの従姉がお墓に供える花がないとのことで暫くしたら町まで買いに行く予定。

帰郷の飛行機の中から見た富士山は、空も澄み渡り綺麗だった。が、名古屋辺りから霞か靄が掛かったように窓からの景色が変わってきた。大陸から黄砂が飛んできていたようだ。

                        

高知空港で妹夫妻が迎えてくれ、途中の安芸市のスーパーで食材の買い物。帰宅は五時前になっていたが、未だ明るい。季節は移ろい、春を感じさせる。庭に出ると鶯の鳴き声が聞こえた。

翌日は、昼前に小さな野菜畑の草引きをしてから残っていた大根を一本抜いた。大根と手羽元で夕食の菜に!と、早々と煮込んだ。そして、橋を渡ってお墓とミカン畑の様子を見に行く。彼岸がすぐなのでお墓掃除と、ミカン畑の草刈りと遅くなった有機肥料の施肥があるのだ。

橋の改修工事が済んで欄干は白く塗られて高くなっていた。なんだか橋が狭くなったように感じる。川面を覗くと、これまで見えなかった川底が見えている。すっかり渇水しており、これほど水量が少ない川を初めてみた。稚鮎が遡上する時期だが・・・。橋を渡った袂、左右にの桜の蕾は未だ固いままであった。

             

畑にある小さなサクランボの花は満開に近い。実はなれども小鳥たちが手ぐすねを引いていることであろう。小鳥たちのために、取り残した八朔を輪切りにして柿の枝に刺した。

ついでに、柚子ロードの下にあるカニの生け簀まで行き覗くと一匹だけ残って動き回っていた。そして、筍はどうであろうかと、近くの竹林に入った。足裏に感触はないかと歩き回るが・・・。未だ早いかと諦めかけていたら、微かに手応えならぬ足応えが・・・。畑の小屋まで戻って鍬を取ってきた次第。小さな小さなのを三本ゲットした。掲載した筍は小さすぎたので土を被せた、早く育てと!。

                        

そんな火曜日の夕食に筍ご飯&味噌汁が加わった。大根&手羽元煮、冷奴、鯖塩焼きの夕餉となった。体調が悪い従姉にお裾分けした。

そして水曜日、お墓の掃除である。昼前に出掛けて二時間ばかりかけた。これが済んで姪の店「いなかじかん」でコーヒーを飲む。営業は水・木・土曜日の週三日間なのだ。コーヒーの後、隣町までお墓に供える花とシキビを買いに出かけた。その帰り「豆電球」に立ち寄り二度目のコーヒーを頂いた。

            

豆電球から森林鉄道跡の道を遡ってお墓に寄り、花とシキビを供えてから帰宅。そう、ミカン畑やお墓、カニ生け簀、竹林はこの道沿いなのだ。

                 

そして昨日の木曜日はミカン畑の草刈りと施肥。草は伸びていないので早く済んだ。菜種油粕の施肥が終るころに町の従姉の旦那HIROMICHIさんが来た。従姉の実家の草取りが済んだとのことで。「それじゃビールだね」と、我が家に戻って冷えた缶ビールをだした。ひと仕事を終えるとビールを飲むのがHIROMICHIさんの習慣なのだ。こっちもお付き合いするしかない・・・。姪の店に行くのを断念して。

夕暮れ近くなり前日に買った野菜苗(ナス・ブロッコリ・レタス各二本)を畑の端に植えた。今日が雨の予報なので良い塩梅であろうと。今植わっているのはネギ・分葱・キヌサヤ・タマネギに、取り残した大根数本と白菜。ジャガイモも埋めたが古い種芋なのでどうかな?。種物はこれから播く予定。

夕食は煮物中心である。大根&コンニャク・厚揚げ煮、肉じゃが、昨夕はこれらに親子丼になった。従姉にお裾分けする。

週末の今日は雨が降らなければ花壇の草引きだったが、生憎と云うか干天の慈雨と云うべきか作業はお休みだ。そろそろ花を買いに出るとしよう・・・。

 

 

 

 

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帰郷・・・

2022-03-14 | 弁当

3/14(月)今日の午後、ANA便にて帰郷する。帰郷前にここ二三日の出来事を記す。出来事とはちと大仰かもしれないが・・・。

先ずは週末の金曜日、人形町は「高松」蕎麦店で飲み始めたのは五時半。遅れてJINパパ、HOYA兄いが到着した。暫くは東京を留守にするので今宵は飲む気であった。店主のミッチャンも加わって俄然賑やかに・・・。馴

皆で二次会へと流れた「うまし」ではNUMATA君に、OONO氏とその彼女?も合流した。この頃から酩酊していたかもしれない。23時前に散会したが未だ酒場に未練が残っていた。NUMATA君と「ガタゴト」に向かったのである。

                

「ガタゴト」はカーテンを閉めて店じまい をしている処であったが入れてもらった。この店はNUMATA&AOKI君が馴染の店で私が行くことは希であるが・・・。滋賀に居るAOKI君に電話を入れて皆で話をしたが、多分「バカやろ~何してんだ!」ぐらいのことしか喋っていないだろう。OONO君達を呼び一緒に呑むも私は眠くなっていた。店を出たのは零時半を過ぎていた、終電もなくタクシーでの帰還となった。

そんな前夜を過ごした土曜日、体調は良くない。が、夕に隣駅に住む義妹夫妻が食事に来ることになっていた。義妹が今月末に定年退職し、四月から再雇用で別の都立病院で働く。その卒業祝いをささやかながら我が家でと云う次第。

食事は手軽な「すき焼き」にした。義妹の処の長男が一緒に来た。さらに孫のSORAと父親もきて想定外の人数でとなった。ビールとワインを用意していたが、ビールの他にスパークリングワインが一本だけ空き、ロイヤルサルートのハイボールになった。

そんな土曜日が明けて、日曜日は一昨年に亡くなった地元の友人、山田正明氏の命日(3/17)が近いので、氏が好きだったと云うチューリップを花束にしてお宅に伺った。地元の友人と云えるのは同年だった山田さんぐらいであった。ありし日の故人を偲んで奥様と暫く話をした。

山田さん宅の直ぐそばに末娘夫妻が家を建てる予定があるので、そこをを見てから駅前に来ると「PCR検査が無料」と、今日も呼び込みをしていた。鉄の男には何の心配もないが、田舎に帰る前だしどんなことをするのかと試しに受けてみた。

どうってことなし、スマホ登録して申し込み書を記し、唾をと採ってお仕舞である。なんと、商店街で使える500円の券をくれた。無駄なことするなと思いながらも受け取った。

昨日のPCR検査結果が先ほど届いた「陰性」とあるが、コロナに罹っていないという証明ではありません。だって!。然し、検査結果がこんなに早く届くと思っていなかった。

 

斯様な週末であった。そんな月曜日の弁当は「コロッケ」「ピーマン肉詰め」がメインだが、いずれも昨夜多めに作ったものである。それに、牛肉炒めとニラ卵、自家製ギンダラ粕漬となった。弁当箱に詰めるのが大変。

           

 

と云うことで、そろそろ空港に向かう準備に入ります。明日からは、田舎暮らし日記ということになります。

 

 

 

 

 

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散歩・・・

2022-03-11 | 弁当

3/11(金)今朝も弁当作りを終えてから、余った菜で朝食。ついついビールを手にしたが、暇人の習慣になったいる。来週からは田舎暮らしがスタートするので朝からビールを手にすることは殆どないはずだ!。多分!。

昨日の午後、急に思い立って散歩をすることにした。かつてよく歩いたコースを辿ることにした。

我が家から緩い坂を上がり環七通りに出てから南下。若いころに住んだ平町のこれも緩やかな下り坂を呑川緑道に至った。緑道の桜の蕾は未だまだ固いが春が近いことを示している。大岡山駅までを往復する散歩の想定時間は一時間とみたが・・・。

緑道を川下の大岡山は東京工大のある方向へと歩いた。よく歩いていた頃は、工大脇を抜けて洗足池まで行ったものだが・・・。早くも右膝が痛み出した。幼い子供たちが通っていた大岡山保育園は未だそのままの姿だが、これまでのルートにある家々、建物はすっかり姿を変えて綺麗になっており昔の面影を残していない。

                 

緑道から急な登坂になる道を大岡山駅方向へと向かった。長女が赤ん坊の頃に預かってくれ、お世話になった家も何処にあったかさえ分からない。大きな桜の街路樹も切られて数本の若木だけになっていた。

草臥れてようよう大岡山駅前に着いたら一時間が経っていた。懐かしい駅前の商店街は健在だが、店は様変わりしている。時々行った中華店も青果店ももうない。駅は地下になって綺麗になった。駅前の工大だけは変わらない。

                  

駅前から環七通りに至る商店街を歩きながら昔のことを思い出すされる。長女と同級生だった女の子と親の八百屋勤めのご夫妻、亭主が女と逐電した洗濯屋の女将さんの嘆き、駅前の角の果物屋の兄弟、蕎麦屋の脇でバケツに入った出汁の鰹節を磨いていてた小僧たち・・・、全て消えて行った光景である。

歩きなれたかつての道と界隈、スタスタならぬヨタヨタと歩きながら帰路につく。途中に在るスーパー「イオン」に立ち寄り帰郷までの食材を買った。想定外の量になったが、これも何時もと同じだ。

帰り着いたときは四時をとうに回っていた。二時前に家を出たのだから・・・。それにしても我が歩みののろさよ!亀さんだね。膝を痛める前の倍の時間を要していた。

帰宅後は一休みしてから夕餉の準備だが、先ずは入浴して散歩の埃を落とした。今夕は長女一家が来ないので簡単に済ます。キャベツの丸ごとに煮、カツオの刺身、朝の弁当菜の残り物であった。これといって食べたいものがない。ひもじい思いをしている人には申し訳ないが、それが悩みだ。

「地球市民の会」で、ウクライナ支援の募金が始まったので募金した。副理事長のOONO氏に「やらないの?難民支援だろう」と発破をかけた手前もある。口は禍の元か?。

 

さぁ~、いよいよ弁当作りも月曜日を残すばかりだ。二ヵ月半の弁当作り休暇に入る前に、火曜日から本日までの弁当を順不同ながら紹介します。

         

            

 

 

 

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余すところ・・・

2022-03-07 | 弁当

3/7(月)新しい週がスタートしたが、こっちは何をするでもなく日々が過ぎてゆく。とは云いながら、来週の月曜日には帰郷する予定だ。余すところ僅か一週間で東京ともオサラバ、二っ月半を郷里で過ごす予定である。

コロナの影響もあり古い友人達と再会したのはHOSOKAWA君だけであった。尤も人形町の酒場仲間とはよく会ったが・・・。

残り少ない東京での日々であるが、今日は渋谷の法務局渋谷出張所まで出掛けて抵当権抹消の登記手続きをしなくはならない。長~い長~い住宅ローンが今年から漸く終わったのだ。途中で死ねば保証協会がと思って、とうとう満額の支払い(当然ではあろうが)となったのだ。ネットで手続き方法を見ながら何度も何度も確認をして申請賞を作成したのだ!。

然し、ボロ家の住宅ローンが終わったとはいえ、義母が老人ホームに入居しているのでローン以上に掛かる。こっちの方も住宅ローンと同じくらい長期戦になろうだろう。何しろ、長命な家系のようだから。それは良しとしても、家人が「家の建て替えを!」と言っている。新築当時から酷い建物だったから・・・。

これまでに屋根の葺き替え、周囲の壁の塗り替えを二回、ベランダの手摺が腐って落下・防水工事、窓枠の腐食・雨漏り、他にも枚強に尽きないほど酷い家だからねぇ~。家人の気持ちも分かるが・・・。

「建て替えるのはいいが、君の老後資金がなくなるよ!」とだけは云っている。駅から近い、家族にとっては地元と云うだけで致し方なく買った家である。何の期待も快適さも期待してなかったが、そのとおりであった。

サリーマン時代、会社経営時代を通じて人並み以上の稼ぎはあったはずだが、それ以上に自分のために費やす事の方が多かったからね!。嗚呼!我が運命や如何に‼。面白くなりそうだねぇ~。

斯様なボヤキはほどほどにして、来週帰京すると季節もよくなり庭や畑の草取り、植木の剪定、野菜の植え付け、ミカン畑の草刈などの作業。そして、筍掘りにタラの芽などの山菜採りに川の遊びが待っている。日焼けするんだよ!。土人だ!腰簑して闊歩するか・・・。

今日、渋谷に出れば「奈加野」が在る。コロナで痛手が大きいだろう。店主である郷里の先輩の顔を見て、ボヤキを聞き、俺も大変なんだよと云って元気づけよう・・・。昼酒を飲みながら。

 

最後に金曜日と、今朝の弁当を載せます。何時もながら代り映えしないが。

            

              

 

 

 

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日々変わりなく・・・

2022-03-04 | 弁当

3/4(金)昨日の午後、八丁堀の永代橋から勝鬨橋までの大川端、そして築地場外市場までを歩いた。途中迂回して月島の佃煮屋、水辺の公園や渡し跡と一時間以上の散策。こんなに歩いたのは久々で、すっかり草臥れてしまった。

草臥れの仕上げは、再開発が進む築地場外市場で僅かに開いていた魚屋で、節句の夕食用にマグロやハマグリ等を店仕舞いをしている店で購った。水辺の散歩を案内してくれたNUMATA氏に「場外の魚屋はお勧めできないし、すし屋なんぞは値段だけはいいが」なんて呟きながら・・・。

この日、十時からNUMATA氏の事務所でズームを使った打ち合わせがありそれに参加したのだ。昼前に終わり、台湾料理店で昼酒を飲んでから大川端を歩いた。高層マンションやオフィスビルが林立し、綺麗に整備された水辺公園がつづいていた。そんな中で昔の面影を残す月島の佃煮家の佃煮を手土産に頂いた。

          

今朝BLOGをアップすることにしたのは、久万高原町(愛媛県)に住む後輩のKATUTA氏からの電話による。ズーム打ち合わせの途中であったが「変わりないですか?長いあいだBLOGがアップされてないので気になって」と、気遣いの連絡であった。

二週間以上アップしてないのだからねぇ~。以前はほぼ毎日のように弁当を乗っけていたが、ここの処、同じようなものばかりで飽きていたのだ。変わりなき日々故のことだが・・・。然し、我が生存証明でもあるBLOGだと、重い腰ならぬ指先と頭を動かすことにした次第。

余談ながら、鉢植えの河津桜が漸く咲き始めて六分咲きと云うところか。早いときには一月の末から咲き始めるのだが、今年は驚くほど遅い。

           

遅い春でも春はそこまで来ているようだ。が、我が世の春は遥かに過ぎ去り真冬に向かっている。

今日の午後には歯科で治療、目の方も靄ががかり。歩みはのろく亀さんで昨日の久々の散歩は草t臥れ果てた。頭は働かずとも酒場に顔を出す元気だけはある。酒場で補給する酒精だけがエネルギー源と云うしかない。

そんな分けで、歯科の後は本日佐賀から上京するNAKAMURAさんを迎え、HOYA兄いとの酒場談義が待っている。せめて夜ぐらいは元気でいよう・・・。東京暮らしは余すところ十日を切ったのだから。

 

最後にタイトルに敬意を表して数日分の弁当をアップします。

           

 

 

 

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