オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

法事から葬儀と・・・

2014-11-18 | Weblog

11/18(火) 13日・木曜の午後に羽田を発ち帰省、今日の夕方に帰京した。翌金曜日は、亡父の三回忌の準備品の買い出しや、法事の飾りなどの準備で終わった。土曜日、11時に真言宗豊山派・北寺の廣中宗円住職の読経で法事が始まった。家族・従兄妹・親戚など四十人程が我が家に来てくれた。HIROさん&HANAOKA女史も遠路から姿を見せてくれた。

住職の祭壇と墓前での読経も終え、後は宴会となる。今更故人を偲ぶと云うよりは、飲み食いの場である。今一つ盛り上がりきれなかったのは、この日、早朝にすぐ前の家の親戚の小父さんが急逝したことにあるか。前日の昼間、庭先で日向ぼっこをしている姿を見かけたばかり。心筋梗塞でも起こしたのか?

87歳になる直前だったようだが、前日の法事用品買い出しの折に、我が妹に「ディサービスにでも行くように勧めたら」と、話したばかりだった。急死のために、警察の検死が入り家族は大変な思いをしたそうだ。この小父さんの通夜が昨晩で、その手伝いをしたが、今日の告別式は失礼した。予定・予測外なのが葬式だが、丁度帰省と重なったのである意味では助かったといえる。

帰京の折には空港まで送ってくれる妹夫妻は葬儀の手伝いに出た。久しぶりに一両だけの列車(ホームの自動音声案内で、列車が来ますとのアナウンスが流れるが、どうにも違和感がある)に乗って、空港に向かった。前日の月曜日、HIROさんたちを見送った同じホームに立ち、故郷を後にした。車内の乗客は三人だった。

無人の安田駅のホームから川沿いの上流を臨む。ここから4kmほど上った処に、我が実家がある。右手を見ると東島地区であるが、戦国時代ここには安田の城があったそうだ。安芸国虎の支配する地であったが、遥か1500年代に長宗我部に攻め滅ばされたたが、いまだ地名に城(じょう)の名が残る。

                    

今日が亡父の命日。未だ暗い六時に起きて(帰省すると朝が遅いのだ)、お供えの料理を作る。煮物や酢の物などだが、小さな御膳に並べて仏壇に供えた。土曜日の法事の日にも作ったので、手慣れたものと云えようか?料理を作る方は問題ないが、料理の配を忘れるので、配置図を見ながらである。

お供えの後は自分の食事となるが、暫く母が食せるようにと、品数多く・量大目に作る。年寄り好みに、煮物を中心に作った。そして朝飯だが、今朝は父の命日なのでビールを飲んでお浄めだ!と、朝からビールとたっぷりの食事を頂いた次第。

それにしても、法事から葬式までと思い掛けずに慌ただしい帰省となった。

 

 

 

 

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