オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

河津桜

2018-01-31 | Weblog

1/31(水) 一月も今日で終わり、明日からは二月如月となる。今日で店仕舞いする隣の小母さん姉妹に、家人と連れ立って挨拶をする。この二十年、本当にお世話になった。

挨拶の冒頭、チョット明るい話をと『河津桜が咲きはじめました』と、伝えた。玄関先に置いた鉢植えの河津桜がほころび、五六輪が咲いたのだ。十年に以上も前に、TUGAWAさんHANAOKAさんと旅をした河津で、小さな苗木を買ってきたのだ。

最初の頃は花が咲きはじめるのがとても遅かった。なのに、この二三年は滅茶早くから咲くようになった。

                 

隣の小母さんも花が咲いたのを知っていたようで、にっこりと笑った。店を閉めるとはいっても、遠くに行かれる分けではない。が、これまで在ったものがなくなるのは淋しいものだ。ましてや、お世話になってきたのだから。

小母さんが」そうそう鍵が」と言って奥から我が家の玄関の鍵を持ってきた。孫のSORAが、学校帰りに寄って言いように。鍵を落とさないようにと預かってくれていたのだ。我が家の末娘や次女の時もそうして貰っていた。

本当にお世話になりました。ありがとうございます。後は、小父さんが元気になって退院をすることを祈ります。

 

今朝の弁当は、出来合の「佐賀牛ハンバーグ」と「塩鮭」、ネギとホタテ入りの出汁巻卵だった。ご飯は、舞茸ご飯の素を使った「マイタケ飯」である。

来週にある会社でのランチ会で、炊き込みご飯を予定しており、何処の炊きこみご飯の素を使おうかと思案六方している。その一環で、我が家でお試しご飯と云う次第だ。

                            

炊き上りを食したが、なかなかのあじであった。これは、雪国まいたけが販売している素なのだ。

                              

ハンバーグが焼き上がり、ソースを作る。ウスターソースに赤ワイン、ケチャップに・・・・やらだ。

                    

昨夜の帰宅が早かった。学芸大学駅に、22時に着いていたのだ。眠るのも早かった、前夜が飲み過ぎのきらいだったので「こま吉」で、HOYA兄いとマッチャンとその知人を相手にホッピー三杯で切り上げたのだから。

何処にも寄る気がせず、HOYA兄いと駅に向かった。兄いはちょっと寄りたそうだったが・・・・。

そう云えば、マッチャンはこの日に、実家の在る館山で、母親の葬儀を済ませてきたと言っていた。母親を亡くした淋しさを、これから知るに違いない・・・・合掌。

 

 

 

 

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寝耳に・・・

2018-01-30 | Weblog

1/30(火) 昨夕、地球市民の会・会長のSATOさんからの電話が入った。東京におり、先ほど上野のホテルにチェックインした。ついては、時間がないかとの、嬉しい連絡であった。

SATO会長のお誘いであれば否応ない。喜んで、と応えて上野の指定された店に直ぐに行くことにした。その前に「古賀武夫伝」の原稿をプリントアウトする。会長には原稿を送ってなかったので、丁度いい機会であった。

指定された店は、上野駅の三階テラスに在る居酒屋で、東北地酒祭りとか称するイベントをやっていたのだ。秋田出身の会長は、この看板をみて里心か?。五時半前に店に着くと、会長は既にスタンバイしていた。

邂逅を喜び合い、先ずは生ビールで乾杯した。小鉢の六点セットを摘みにして近況を語り合う。酒は会長の所望で、秋田の高清水・純米吟醸を飲むが、これがちょっと甘口だった。

『高清水は二級が一番ですねぇ~、サラリーマン時代の若い頃にはこればっかでしたよ』など、庶務担当で職場で飲む酒の手配をしていた頃を思い出したて話した。

本の今後の進め方など、幾つかの私案を披歴すると「ARIさんの思うとおりにやった方がいいよ。本部で論議したら、あれこれ言いだして纏まらないと思う」とのことであった。話をしている間にも、数本の電話を受けていた。

『流石に現役ですね~、私なんか一本も掛かってきませんよ』と、傍らに置いたスマホを指すのであった。会長は私より四歳ほど年長だが、地域のことや仕事、地球市民の会等々、数多の顔を持っているのだ。

但し、私と話すとき互いに与太話が多いが、これも故・古賀武夫の遺伝子であろうか。

次の店は人形町に戻ることにした。地元の町内の繁盛に些かでも寄与しなければ・・・・なんて考えは、爪先ほどもないが。落ち着くのは地元である。

「高松」で冷酒と金魚割をやり、仕上げの小ソバを頂戴してから次の店となった。次はカラオケにしますかと「セイジュ」へ。先客がお二人、何度か見かけている方である。

そうこうする内にマッチャンが来、まさかと思うHOYA兄いまで現れたのだ。こういうのを以心伝心とか言うのであろか?。いつしか、カラオケ大会の様相をみせていた・・・・・。

今朝になってみれば、なにを唄ったかも定かじゃねぇが・・・・・。会長リクエストの「冬隣り」だけは覚えている。杉本真人の作曲と云うことで、これになったか・・・・・。

                       

この歌を唄う人は滅多にいない、否この店では一度もない。「ちあき なおみ」が唄っており、哀愁・哀調のあるいい歌なのだ。 ― 貴方の真似してお湯割りの焼酎飲んではむせてます・・・・そこか~ら地球が見えたなら、叱りにおいでよ今すぐに・・・・― なんていう詩だっか、亡くなった男を偲ぶ女性の心情を唄っている。

そなこんなの大さわぎとなり、お開きになったのは23時頃であろう。上野のホテルに帰る会長を、HOYA兄いに託して、1番ホームと2番ホームの泣き別れであった。帰宅は零時に近かったろう。

 帰宅すると家人が未だ起きていた。そして言ったののは・・・・。私、家を出ます。なんて言葉ならいいのだが、違う

「隣の八百屋さんが店を閉めるそうよ。それも今月いっぱいで」だった。エッまた急にどうしたんだね、と訊くと「小父さんが体を悪くして入院したそう。それで仕入れも出来なくなるので、急だけど店を閉めることにしたそうよ」とのこと。

隣の店は、小父さんと小母さん姉妹の三人でやっている店だが、お父さんの代からだそうだ。個人情報やプライバシーに関わることなので聞いたことはない。店の二階に小父さんは暮らし、小母さん達は他の兄姉妹と近所に在る家に住んでいる。

それにしても急な話で驚いた。寝耳に水 とは、このことか。寝てて耳に水が入ることは殆どなかろうが・・・・。何時かこんな日が来ようとは思っていたが、それは突然にやってきた。寝耳に水の出来事である。

隣の小父さんや小母さんには、ここに転居以来お世話になっている。末娘や次女が小さい頃、そして飼い犬のMIXが生きていた頃は朝夕の散歩、最近では孫のSORAが学校(学童)帰りに隣で厄介になることが多い。

 明日で店仕舞いなので、明日の朝はご挨拶に伺うつもりだ。さっき三越に出向いて、心ばかりの品を用意した。

 

 今朝の起床は七時前と遅かった。昨夜の酒の所為かな・・・・。十分ほどしてから台所に入った。そこから大急ぎで弁当の仕度に入った。ご飯を鍋で炊き、食材を整えた。

今日のメニューは、豚ヒレ肉の「トンカツ」と「ブリ照り焼き」がメイン。ブリの切り身に酒・出汁・醤油を掛けて暫し漬け置く。

揚げ鍋に油を注いで温度設定をし、ブロックの豚ヒレ肉を切り分ける。手早く卵を溶き、小麦粉・パン粉を皿に入れてまぶす。そんな具合にトントン・・・と。頃合いにブリを焼始める。

                     

青物は「ホーレンソウの煮浸し」、キャベツの千切はスライサーで。卵焼きは間に合わないので、トンカツ用にした溶き卵をスクランブルしてお仕舞。

七時半過ぎに長女登場。「お弁当あるかな~」と。有るぜ!と応えて大急ぎで弁当箱に詰め始める・・・・・。なんとかセーフであった。

                     

そんな次第で、今朝の弁当は二つ。

 

 

 

 

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生姜焼き

2018-01-29 | Weblog

1/29(月) 土・日と珍しくも家で過ごした。と云うよりも垂れ込めていたと云うべきか。前々からの予定では、土曜日は「オヤジの料理教室」の開催を予定したが、先生のスケジュールが合わず二月になった。

土曜日が空いたので「猪鍋会」をマッチャンの事務所で開こうと云うことになった。が、今度はマッチャンの母親がどうもいけないようだと週初めに判明し、完全オフになった。

日曜日は奈加野のオヤジと、ボートレースで平和島の仇を多摩川で討とうと云う話をしていたが、オヤジは前夜が遅く、おまけに寒さに負けて中止になった。そんな次第で、土・日と完全に空いたのである。

暇なので日曜日の午後、散歩がてらの散髪に行き、その帰りにイオン碑文谷店(前の碑文谷ダイエー)により、晩飯用と弁当用の食材を贖った。

マッチャンの母親は金曜日の夜、新宿であった「八丈会」の新年会に参加して居る時に亡くなったと連絡を受けた。医者から言われていたとおりの、丁度一週間で亡くなったことになる。

余談ながら、この寒さの所為か?亡くなる老人が多いようだ。葬儀場が込み合っているとのこと。

二日間ものんびりと過ごした所為か、今朝のというか・・・・、夜中の二時半に目覚めてしまった。二時半は幾らなんでも早すぎるが、その後は一向に眠くならない・・・・。

本を読んだりして眠くなるのを待ったが、その気配なし。睡魔と云うやつは、どうやら夜中に訪れるのを避けて、朝方とか昼の日中に来るものらしい・・・。

今朝の弁当は、前日に買った食材で「豚生姜焼き」と「塩サバ焼き」、「ホーレンソーの胡麻炒め」、最後の一品を定番の「卵焼き」と云うことで〆た。

                  

今日の弁当は一つである。残った菜は、私の朝飯になるのも何時もどおりである。流石に平日のビールは控えるが。

                     

土・日ともに朝飯は自分で作り、缶ビールを一本だけ飲む。この習慣は何時からになろうか・・・・、記憶が定かでないぐらいに昔からの休日の習慣になっている。尤も、運転免許を取った五年前からは、郷里ではやらない。自己弁護となるが、昼のビールは止めている、概ね。ボートレースに行けば、生ビールかハイボールぐらいは頂くが・・・・。

休日の朝飯は簡単な品ばかり。味噌汁を作り、目玉焼や焼き魚、野菜炒め等が中心である。偶に、雑炊や御粥、炊きこみご飯などもやるが、これだと過食に走るきらいが・・・・。そんな訳で一向に体重だけは落ちないのだ。髪の毛と財布の中身だけはやせ細ると云うに・・・・・。

 

 

 

 

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舌の根も乾かぬうちに・・・

2018-01-26 | Weblog

1/26(金) 週末の金曜日を迎えた。昨夜の帰りに、今日の弁当菜を駅前のスーパーで買い、朝に備えた。

昨夜の帰宅は23時半頃であったか?、一夜明けると記憶が定かでない。典型的なボケ症状だが、朝に作る弁当のことだけは忘れないのだ。弁当オヤジの面目躍如じゃないか?。

そんな次第で、今朝の台所入りは六時半。前夜に買った「生サーモン(チリ産の養殖マスであろう)」を、バターソテーする。

もう一品も前夜に買った「ボイルの小イカ」だが、これは醤油味の煮付にした。生姜が欲しい処だが、品切れ。代りに長ネギを少々入れた。

歯切れのいい「エリンギ」をソテーし、「小松菜の胡麻和え卵炒め」、以上が本日の菜だ。

                    

問題は「ご飯」だった。前日に炊いた飯が微妙な残り方をしているのだ。残り飯、加えて量が・・・・。となれば、加工飯にするのが妥当な処だが…。前日のBLOGに、同じようなものは作らねぇーと、大層なご託を記してしまったのだ・・・・。

とは云いながら・・・・、そこで思い出した格言が。君子の朝令暮改は、之名君の証し。と云う、我が語録である。

名君にはほど遠く、怜悧・明晰の言葉とも縁がないボケオヤジだが、前日にほざいたことなどは、どっかにうっちゃって「炒飯」を作ることにした。君子の豹変ならぬ、オヤジの身勝手と云うやつだ。

ウインナー、ピーマン・タマネギ・長ネギ・パプりカなどを適宜に刻んだ。味付けは、塩胡椒と中華スープの素を少々、最後に醤油を一振り。こんな塩梅である。

                        

細工は隆々、仕上げは完璧と云いたいところだが、所詮はオヤジの遊び事だ。程々の出来栄え!、と云うことで如何かな?。

                     

 

 ― 春が来た ―

さて、昨日の午後のことだ。マッチャンからショートメールが届いていた。読むと「ローカーボのマスターが前日から入院、二週間ほどとのこと」という内容だった。

マッチャンに電話をしたが、詳細は不明とのことだ。ついでに、『今夜、六時過ぎに高松で一杯やりながら話をしよう』云う段取りになった。

六時に退社、「高松」に入ったが、案の定マッチャンはまだ来ていない。四人掛けのテーブルにTAGOっちが独り、ビールを飲んでいた。他のテーブルを占めるのも悪いので、彼女に相席した。

TAGOっちと呼んでいるが、名前はMIKIちゃんと言う。以前はドトールの店長で、夜は「高松」でバイトしていたが、普通の会社に転職したのでバイト禁止になったのだ。

火曜日にも来ていたが、食事を済ませるとそくさくと帰って行った。

「この前は失礼しました。実は、インフルエンザに罹ってたんです。よくなったので、ビールを無性に飲みたくなって・・・・」なんて言う。

『おいおい、俺に移すなよ!』なんてからかいながらに、珍しく冷酒を注文し、金魚湯割をチェイサー代わりにした。・・・・マッチャンは一向に姿を見せない・・・・・。

暫くし、彼女が「私、この前申し込みされちゃって。返事は未だしてないんだけど」なんて言う。『なんだよ、それは。プロポーズか』と、『ならばいいことじゃないか、五年ぶりの春か?さっさと返事をしなよ。』

オヤジの言うことは、この程度のことだ・・・。よくよく聞くと、お付き合いを申し込まれたが、返事をしていない。どうすればいいか。なんて、ことだった。TAGOっちより五歳年下とのことだ。

『おめぇさん、うまいことやりやがったな。さっさと返事をして玉の輿に乗れよ。結婚しら夫婦で俺の面倒を見ろよ』なんて、勝手なことをほざく。面倒云々は、俺の老後は、TAGOっちが面倒見ると云うことになっているのだ?。

尤も、オイラの方は『お前さん、俺の莫大な遺産と年金が狙いだろう』なんて言っている。

彼女が昔付き合ってた男は知っているが、最近は浮いた話を聞いていない。良かったじゃないかと、ビールを勧めた。上手くやれよ 、こいつは春から縁起がいいぜ。TAGOっちに「春が来た」だ。

そんな話題で盛り上がっている最中に、マッチャンからの電話が入った。「今、NAKAMURAさんと、こま吉に居るんだけど、どこですか?」なんて言いやがる。

『この! 裏切り者メ。六時ごろに高松で。と、言ったじゃねぇか』とは言ったが、マッチャンが遅れて来るのは読んでいたが、余所の店に行ったとは・・・・。

程なくして「こま吉」に合流し、三人で飲み、更に「ちょぅtぷく」に流れてからお開きとなった。

よかったのは、TAGOちゃんに巡ってきた春が聴けたこと。こま吉では、NAKAMURAさんと仕事の話ができたことである。何事にも無駄がなく出来ているね・・・・・。

この夜の帰宅は、23時半だったような気がする。

 

 

 

 

 

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ホタテフライ

2018-01-25 | Weblog

1/25(木) 昨日今日と、東京は記録的な寒さと云うが、たかだか零下4℃ぐらいで大騒ぎをしてちゃ北国の人に笑われよう・・・。ましてや、シベリア辺りの住民からは「春のようだねぇ~」と、言われそうだ。

とは云いながらも、寒いものは寒い。何処に居ようとも寒い時は寒いのだ。南国土佐と言われる我が故郷に置いても、冬は寒いのだ。北国であれば、室内は暖房を利かせて暑いくらいにしていようが、南ではそんな習慣がないので、屋内は却って寒いのが実態である。

今朝の弁当を取に来た長女が、「寒い寒い、いやだねェ~寒いのは」なんて、部屋に入るなり言った。『何をとぼけたことを言ってんだよ、北国やシベリヤのことを考えれば、この程度は序の口だぜ』とたしなめた。

雪国、福井育ちの家人が「東京は楽なもんよ」と言うと、「東京に生まれて良かったよ」と長女はのたまわった。

それだけ脂身がついてりゃ寒くもねぇだろうよ、と言いたかったが、その言葉は飲みこんだ。こっちにもとばっちりがきそうで・・・。

確かに底冷えのする朝であったが、目覚めは四時、四時だぜ。それから一時間ばかり、蒲団の中であれこれと考えていた ― 弁当をどうするかさ。仕事のことなんか浮かびもしない・・・- が、五時になって蒲団から出た。

こんなに早く目覚めたのも、前夜、渋谷・奈加野で飲み帰宅時間が十時と早かったせいであろう。蒲団に入ったのが十一時、健やかに五時間は眠っているのだから。

それにしても、昨夜の奈加野は空いていた。がら空きだったのだ。オヤジも諦め口調で「これじゃ明日の給料の金がたりねえな。銀行に行くしかないか」とボヤク・・・。

慰める言葉もカンフル剤もないので、『そっれじゃ今週の多摩川で、平和島の仇を討ちますか』と、誘い水を打った。平和島での二日間「一レースも取れなかった」との嘆き節は聞き飽きた。

『仕事も勝負も研究・研究、それと運さ』、『勝つまでやればいいさ』と、先輩に檄を飛ばしたのであった。

かく云う小生も、連戦連勝の方程式はないものかと思案六方するが、どうも上手く行かんの、イカンザキさ。集中と執念、そして継続か・・・・?。お金が有ればのことだが・・・・。

お茶っぴきの店主を慰め、早い帰宅となったのだが、後から思うに「ちょっぷく」のYAMAちゃんの例を教えてやりぁよかったかと。

YAMAちゃんは毎日のように馬券を買っている(ネット購入)が、昨年の収支は、五百数十万円の支出に対し、入金は四百数十万円、トータルで百二十万程のマイナスと広言していた。

毎年こんな程度だそうだが、彼の遊びといえば競馬と神輿担ぎぐらいのもんだ。朝から23時過ぎまで働き、遊ぶ時間もない大の大人が、唯一の生き抜きが競馬だ。月に十万円ぐらいの遊びと考えれば、いいんじゃないかと思うが・・・・。

だから、NAKANOオヤジも月に十万ぐらいはレース場の水面に捨ててもよか、と割り切ってやんなよ、と言いたかったのだが。

オイラは貧乏サラリーマンだから、そうはイカンザキだけどネ。願わくば連戦連勝、破竹の70連勝で新記録とかね?。

かような寝惚けた話は寝床の中だけにして、今日の弁当に入ろう・・・・。早くしないと「ホタテフライ」が冷めちまう。

 

五時に台所に入る。先ずはご飯を炊くのだが、電気釜に残りご飯が。何時もなら、残りご飯で炒飯orチキンライスなんかだが、両方ともやったばかりで一週間も経っていない。然らばと、鍋で飯を炊くことにした。

二合ばかりの米を磨いで、ガスコンロにナベを載せた。飯の準備はこれでOK牧場だ。

次いで、冷凍室から「ホタテ」と「ギンダラ」「カット豚小間」を取りだして解凍する。その間に、併せる野菜の準備だが、セロリの葉っぱとシメジ・ピーマン」を中華味で豚小間と併せてめることにする。

揚げ物をやるので、残っているサツマイモ「鳴門金時&安納芋」を天麩羅にすることに。我が田舎の従姉たちは、これが好物なんだが・・・・。

たったニ個のサツマイモの天麩羅ながら、これが時間を要した。要しながらも弁当箱に収まることはなかった。

                                                

解凍したギンダラを、醤油・酒・味醂で漬け込む。天麩羅とフライの準備を整え、油鍋に火を点ける。

                    

揚げ物を済ませた後、ギンダラをフライパンで蒸し焼きにする。この方が、焦げなくていいのだ。

 最後に厚焼き玉子で、今朝のお仕事は無事に終了した。弁当箱に詰めるのがひと苦労さ・・・・。芋天は、見事に残ってしまった。

                     

 

 

 

 

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祝い酒

2018-01-24 | Weblog

1/24(水) 深夜までちらついた雪も粗方溶けた昨夕、佐賀の中村さんから連絡があった。前夜、雪の中を苦労して成田空港~人形町に着いたとのことである。そして「高松」にて一献交わしたいとのことであった。

指定された時間、午後六時に「高松」に入ると待ち受けていた。同席するのはHOYA兄いとマッチャンで、〝人形町パトロール隊〟を自称する面々である。

冒頭、NAKAMURA大将から「末娘が漸く結婚することになり、双方の両親顔合わせと婚姻届けにサインをさせられた」との報告があった。そのことは、大将のFBで承知していたが・・・・。今夜はその祝いで、ご馳走したいとの仰せであった。

昨今の若者の結婚感や、披露宴の形態について話題が及んだ。何れにせよ、自分たちの世代とは大きくかけ離れている。

そう云えば、我が家の長男も一年程前に入籍して、相手と一緒に暮しているが、披露宴や式は一年余も経った今春にすると云う。

何を今更、そんな面倒なことは止めてくれ!、が本音だし、二人にもそう言ったが、相手方の強い希望だそうな。相手の両親にすれば大事な一人娘のこと由、華やかに送りだしたいのであろう。とはいっても、一年以上も前に入籍し、なにを今更が、極楽トンボオヤジの本音である。

NAKAMURA大将の娘さんも、式だ披露だのの話は出ていないようだが「二人の行く末の足しになる方がいい、無駄なことは省きましょう」と、相手側にも伝えたそうだ。これも時代、というやつであろう・・・・・。

そんな会話の合間に、HOYA兄いは高松の女将にスマホの写真を見せて、悦に入っていた。かつては、堀留小町とか、我が相棒のHIROさんは女学生と呼んでいたが、その女将も女学生を卒業して大学院生?の趣に・・・・。

何れにせよ、そんな女将なのでファンが多い。お前もその一人かと訊かれれば否、違うよ。向こうが俺のファンだぜと、云うね(但し、弁当のだが)。

                            

次の店に向おうと「高松」を出ると、雪冷えの風が冷たく頬をなぜる。金魚割の焼酎に火照った体には、丁度だったか。

二軒目は、我等が止まり木「ローカーボ」になった。これが自然の流れと云うやつか・・・・。

ローカーボには、NAKAMURA王子が一人で飲んでいた。王子は気を利かせて、私に席を譲ってくれた、私は定席の窓を背にした端っこに、兄いは隣に座った。飲むのは、何時ものハイボールさ・・・・。

                

ハイボール二杯、それ以上は飲む気が失せた。面々を残し、独りお先にと失礼した。

そんな次第で、帰宅は22時過ぎと早かった。こんな夜があっていいさ・・・・。

 

今朝の目覚めは六時だった。枕元のスタンドとエアコンを点けたままで眠り込んでいた。こんなことしてるから、咳が止まないのだろう・・・・。咳声喉に浅田飴、を時々口中で転がすんだが・・・。

今日の弁当に「佐賀牛ステーキ」でもと、前夜に思ったが・・・・。そぐわないかと、台所に入って考えを変えた。

そこで「ピーマン肉詰め焼き」に変更した。冷凍の合挽きを取り出し、タマネギ刻んで炒める。卵の黄身とパン粉を繋ぎにして捏ねる。味付けは塩胡椒と醤油を少々。ピーマンを半裁して挽肉を詰めて焼くだけのことだ。焼きあがってからソースを作り、掛け回した。

                      

他には「豚バラと白菜の煮物」、紅鮭を一切れ焼、冷凍シューマイを温めた。最後に厚焼き卵でお仕舞にした。

                         

今日は二人分の弁当であった。今日の弁当も美味いぜ 

                     

 

 

 

 

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雪待ち酒

2018-01-23 | Weblog

1/23(火) 昨日の午後から本格的になった首都圏の雪は、夕方になってなおも降りつづけた。天気予報では、深夜までとのことだ。

夕方になってからスタッフに帰宅するよう促したが、ちょっと遅かったようだ。この時刻に駅に向かった数人からの情報では、電車の遅延と帰宅者が殺到、何時になったら乗車できるかの状況とのことである。

たかだか20cm程度の積雪で、このあり様だ。数年に一度しか降らないとはいえ、もっと手だてがあるはずだが・・・。この先の寒波襲来が思いやられる。

そんな日であったが、慌てて帰るも能無しと一杯やって体を温め、帰りのタイミングを計ることにした。最後まで残っていたスタッフ数名に『こま吉で一杯やってるから寄れよ』と声を掛けて退社した。

建物を出ると、道路は雪に埋まっていたが轍の跡には路面が少し見えていた。100m先の「こま吉」に入ると、客の姿はなく口開け客であった。温まるために芋焼酎の湯割りをオーダーした。暫くすると、マッチャンがニコニコしながら「ご馳走様で~す」と、入って来た。

                          

外は雪が舞っているが、店内は極楽さ。二人して飲んでいると傘を振り払いながら二人組が・・・。暫くしてうちのメンバーが、NOBORU・YOSHIO・FUJIKURAが姿を見せ、遅れてRIEが現れて「事務所閉めてきました」とのこと。

ビールやホッピー、焼き鳥などを摘みながら雑談に花が咲く。オヤジ旅の珍道中のあれこれ、台風の会津、矢切の渡しと、思いつくままにマッチャンが解説し「ドタキャンのマツ」の顛末が披露される。そんな話の中で一言。

『早ければ今期で、遅くとも来期には俺はいなくなるぜ』と、我が身の行く末を明らかにした。こうして、ことあるごとに伝えておけば、それは周知の事実となる。俺なんぞがいうようと、いまいと彼らの仕事がなくなる分けじゃない。会社もなくなる分けじゃない。より大きく発展するためのステップになるだけのことだ。

そんなこんなで二時間近くも過ごし、雪の中をそれぞれの駅へと別れた。が、俺とマッチャンは駅方面に向かう。「ローカーボ」も「南」も、「セイジュ」にも灯りが点いてない。そんな中、最後の「ちょっぷく」だけは煌々と点っていた。

「ちょっぷく」で軽く赤ワインをやりながら、隣にいる顔見知りの客と雑談をする。彼の奥さんと云うのがミャンマー人で、向こうに済んでいるとか。その奥さんから早く向こうに来いと言われるが、仕事のこともあり・・・・。

かく云う彼は、昔私がいた会社の社員なのだ。五十半ばの年齢だそうだが、年に二三度、向こうに居る奥さんに会いに行っているとのこと。『退職金で数年を凌ぎ、後は年金で暮らせば?』と、俺はお気楽なことを云うのだが・・・。

雪なので今夜は会社に泊まると云う彼を残し、マッチャンを「ちょっぷく」を後にしたのは22時過ぎであったか。人形町駅のホームで暫く待ち、乗車後も何度か後続待ちの停車があったが、概ね順調と云えよう。車内は空いていた。

中目黒駅でも ―長女は乗れずに、ここから歩いて帰ったと後から聞いたが―、タイミングよく急行電車来た。満員ならぬ、初めてみるガラ空き状態だった。

小雪の中を帰宅したのは23時前か、直ぐにシャベルを手にして雪掻きを始めた。明日になると、凍ってしまいかねないのだ。両隣の前も雪を搔いた。湯割り焼酎と雪掻きの成果で、体が温まった・・・・・。

 

今朝は、六時半の目覚めだった。頃合いとしてはベストな時間だ。今日の弁当メニューは全くの白紙だった。台所に行くと、家人が「MIZUKIはお弁当要らないから」と言う。勤務割を記したカレンダーを見ていなかった。

そうか、今日の弁当は一つか、と小さく呟いていた。メニューを考える・・・・。先日買った「鮭」を焼くか?、暫く作ってない「ポテトサラダ」もいいな。メインは?冷凍のカットを常備している「鶏肉のソテー」に野菜を添えよう・・・。などとメニューが決まる。

                           

このメニューで弁当の菜は決まる。後は淡々と作るのみだ・・・・・。最後に定番の卵焼きだが、何時もの厚焼きならぬ、スペインあたりの旅番組で見かけるオムレツ?風の厚焼きにしてみた。

                    

刻んだネギと出汁を加えた、三個の溶き卵を一度に卵焼き器に入れて弱火でゆっくりと焼いた。

                           

以上で、たったお一人様のお弁当が仕上がった。卵焼きは、やっぱ厚焼きがいいねぇ~。

                    

 

 

 

 

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雪は、ふる降る・・・

2018-01-22 | Weblog

1/22(月) 朝方からチラチラ舞っていた雪は、午後になって本格的になってきた。先ほど、コーヒーを飲みに出たが、路面も薄っすらと白くなってきた。

滑るんだよネ!、一緒に歩いているYOSHIOに『雪で転んで、ケがなくてよかったネ、なんちゃってことになるなよ』なんて云うと、大喜びしてたよ。でも奴は、毛があるんだよ。それもフサフサと、銭がない代わりに毛がありやがる。変って上げたいもんだぜ

有難いことに今朝、札幌の友人から「お気を付けて・・・」のショートメールが届いた。が、よっぽどのドジオヤジか、足ヨボの老人になっていると思っているかもしれない。春になれば、ケがなく元気ハツラツの姿を見せてやらねばならぬか・・・・・。

                 

                     社の、ベランダからの雪景色

土、日と郷里の先輩が上京した。奈加野の店主と同級生なので、三人で二日も平和島でボート遊びに興じたが、女神はそっぽ向いたまま。二人とも「二日ともカスリもしない」とボヤいたが、こっちも大同小異の結果だった。日曜日の夕方は、一緒に飯を喰おうと言っていたが、その気力もなく解散となった。

お蔭で家族と焼肉屋に行くことになり、先輩方と飯を喰うより出費散財の憂き目にあった。どう転んでも、銭が出て行く運命だったか・・・・。

雪の予報が出ていた今朝の目覚めは六時過ぎ。夢を見ていた現の中でのお目覚めであった。サラリーマン時代らしき仕事のことや、酒場でのシーンと、ごちゃまぜの夢であった。

外は未だ雨も雪も降っていないような気配の中を、台所に向かい弁当の準備に入った。

今日の弁当は「チキンライスのオムライス風」だ。風と云うのは、卵で包まず乗せるだけだからのこと。

鶏肉、タマネギ・ピーマン・人参・シメジを刻み、残りご飯を塩胡椒&ケチャップで炒める。ウスターソースを少々掛け回すのが、私流だが?。

                       

菜の方は冷凍の「シュウーマイ」と、エリンギのバター&醤油焼き。NPO地球市民の会へのふる里納税で送られてきた、佐賀牛の冷凍ハンバーグを焼く。最後に「小松菜の卵とじ炒」、以上である。

                   

二つの弁当を作り、残りは朝飯で食す。何時もながらの朝の風景が・・・・。

                

佐賀牛ハンバーグは美味かったが、私が作ったソースで味がひときわ引き立ったかな?

 

今夜は早目に引き上げた方が、身の為かもしれんな・・・・。諸君 。

 

 

 

 

 

 

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OB会

2018-01-19 | Weblog

1/19(金) 今朝の起床は五時半、爽やかな目覚めであった。だからといって、どうってことはないのだが。

六時前に台所に入り、早々と弁当を作った。今日は「ステーキ」に「ホタテ&椎茸のバターソテー」「ブリの照り焼き」「小松菜の胡麻煮」、最後に定番の卵焼きであった。

安いステーキ肉とブリの切り身は、昨夜の帰りにスーパーに寄って贖った。何時もながらのメニュー、淡々と準備を進めるだけのことである。

これだけのメニューを用意しながらも、今日の弁当は一つでよかったのだ。残念だねぇ~。

                  

弁当を整え、今朝は早目に出社した。何時かときかれれば、エッ!と言われそうなので時間は秘す。二年に一度のPMSの更新審査で、審査会社の人間が来社し、その冒頭ヒヤリングで応えることになっていたのだ。

                            

何で俺が?でなきゃならないんだと、思いつつも暇なオヤジがでるしかないと三十分ほど質疑応答に応えた。

その後、ホテルグランドパレスであったOB会の新春祝賀会とやらに出席した。懐かしき先輩方に挨拶をし、会のお開き後は、お世話になっているNAKAJIMAさんやISHIKURAさんと、一階のレストランで懇談。無駄なことなしの時間であった。

                            

夕方に会社に戻ると、すぐさま後輩のKAKINUMA君からの電話が入った。今夕、彼と懇談をすることになっていたのだ。メールのチェックなどを早々に済ませて、彼と合流した。

予定した店が一杯で、「高松」に連絡する。と、席があるとのこと。ソバの「高松」にてKAKINUMA君との懇談となった。

彼の勤務する会社には仕事を頂いている。先般或る案件でコンペが有った、うちの案は落選となった。その件や、その後のことなど諸々の話を聞きながら金魚ソーダを飲った。

そんな話をしながら、昔話に行きつくのは致し方ない。愉しい時間を今夜も過ごし、挙句に仕事に繫がるサデッションまで頂くとは、こいっや~春から縁起がいいぜ!。となりました!。

 

 

 

 

 

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五目チラシ

2018-01-18 | Weblog

1/18(木) 昨夕、後輩のYが勤務する会社で打ち合わせた後、誘われてサラリーマン時代の最後の職場であった田町のグランパークビルを訪ねた。ここに勤務する、剣道部の後輩でもあるK氏に、Yが営業で訪問すると云うことで同行した次第。

このビルは二年足らずの期間であったが、サラリーマンの最後であったことや、仕事とてきに課題が山積した時代であった。それやこれやの目途がついたので退職できたのであるが。

私が同行したのは、共に剣道部の後輩でありYとKが一献交わすと云う前提があったからに過ぎない。雨の田町駅東口に降り立つと、駅前の居酒屋が並んだ通りは大きなビルの建設中であった。小さな居酒屋も結構な立ち退き料を頂いたことであろうが、庶民からすると猥雑な町並みと居酒屋が消えていくのは淋しい限りだ。

彼らの打ち合わせに同席し、茶々入れながら話を聞いていたが、YもKも大したものであった。彼等の若い頃、駆け出しの時代を知っているので感心する。かく云う、私も若かったが。

打ち合わせもそこそこに、西口前の地下に在る居酒屋に三人して腰を落ち着けた。現在の仕事の話は勿論であるが、共に道場で汗を流した時代のことにさかのぼって行ったのは必然であろう。

往時、お世話になった先生方や先輩方、仲間のことで盛り上がった。ひよっこだったKは、今や剣道七段になって久しいのだから。立派だよ、と誉めてやった。先輩面で。

そんな楽しい会話と、四万十川という郷里の酒、この酒は初めて飲んだが、飲みやすい純米酒だった。酒造元は、なんと四万十川とは反対の室戸岬方面に向かった我が故郷、安芸市の菊水酒造であった。

かくも楽しい酒席を終えて、帰宅したのはなんとなんと、午後の九時と超早であった。日本酒を飲んでいたことも有り、早々と十一時に蒲団に入った。は、よかったが、朝かと思って目覚めた時刻は午前三時

それから眠れず、あれこれと来し方行く末が浮かんでは消え、また浮かびであった。後輩達と飲み、昔のことを話した反動であったろうか。彼等にも話したが、私ほど先輩や上司、同僚・後輩に恵まれた人生は稀であろうと、眠れぬままにそのことを噛みしめていた。

眠気が訪れたのは、蒲団から出て弁当の準備でもしようかと思った午前五時半であった。眠りに・・・、気が付くと、時計の針は午前七時十五分になっていた。

おお慌てで台所に向かい、いの一番にする猫の餌やりも後ましで、鍋飯を炊いた。炊いたが、これじゃ長女の弁当が間に合わない。急遽、食パンを半裁して「サンドイッチ」を用意することにした。これも寝坊して起きてきた家人にネコの餌やりを頼んだ。

一方で、家人の弁当の準備が・・・・。こっちの方は、急に思い立って「五目チラシ寿し」の素を、途中に在るマイバスで買ってきた。なんと、税込194円也の品(これしかなかったのだ)。これに鮭を焼いて散らそうと決めてあった。

菜の方は「鶏肉&大根・蒟蒻・椎茸の旨煮」と冷凍シューマイ、ホウレンソウの胡麻&卵炒めである。

                              

長女が姿を見せた『後、何分待てるんだ?』と、「五分だね!」の応え。大急ぎで卵を焼き、れたす&トマトでサンドイッチを整えた。なんとかセーフ・・・・。

                                  

然し、194円の五目チラシの素は・・・・駄目だね!。

てなことで、忙しい思いをした朝であった。兎も角、間に合ってよかった。メデタシメデタシだが、オイラの人生を絵に描いたような今朝、ならぬ日々である。

 

 

 

 

 

 

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