9/30(火) 平成26年度上半期も今日で終わる。明日からは下期となり、充実の秋を迎える。その前になるべく人に会っておこうと、昨日は午後からで五人に面会してきた。残念ながら今日は、午前中の一件に止まってしまった。早くも油切れか・・?
今朝の夜明け前、午前4時前に目覚めたのが響いたか?目が覚めて、時間も分からずにいたが、点けっぱなしで眠ったラジオから、微かに歌が聴こえた。なんとなんと、松島アキラが唄う「湖愁」であった。懐かしいというか、よくまあと云うべきか・・・。この歌を作った作詞家の特集で、次の曲は幸夫だと云うので直ぐにラジオの音を消した。が、眠れない、眠れないものはねむれないのだ。
眠れぬままに目が覚める、眠れぬ理由を考えてしまった。結論は当たらずとも遠からず「酒の酒精がカラだから抜ける、すると目が覚める」であった。元々酒は体質に合わない。それを無理に飲み続けてきたのだが、寄る年波には逆らえず、体が拒否反応を起こしているのか、きっといるのだろう。結果、夜中に目覚め、更に眠れなくなるという次第だ。
眠れないと翌日は疲れる、その疲れた体でまた飲む。また夜中に目覚める、眠れない・・・と云う、循環なのだろう。バカは死ななきゃなおら~ない。と来たもんだ。
昨夜の酒は「ローカーボ」でハイボールだった。20時30分に会社を出て、真っ直ぐにローカーボのカウンターめがけて出動した。先客は、不動産業と後から聞かされた、頭の涼しげな(多分、私よりも)ニイサン、弊社のTOKIO兄さんの二人。
カウンターの中にIWASE大マスター、そしてカウンターに腰を落ち着けているチイママならぬ、チイマスター(小学四年生か?)。大マスターの長男である。この稚イマスがよく気が利く。大マスにいっているのが、『チイマスが後十年もすれば、店を仕切って若い娘がわんさか来るぜ』だ。
大マスター&チイマスター
さて今朝の弁当だが表題のとおり「掻揚げ」だ。冷凍庫の中で、我が安田川の”川えび”が凍えていた。夏にHIROKATUが獲ったのを持ち帰えり、そのままにしてあった。これを掻揚げにしようと考えたのだが・・・。
解凍すると、意外や大きい。これじゃ掻揚げは難しいと、小さいのを5.6匹掻揚げにし、後は甘辛煮にすることとした。掻揚げの方は、牛蒡・人参・タマネギと云うことになった。
他には、「豚肉の白菜巻煮」に、牛蒡と茄子・人参を炊き合わせた。最後は例によって「卵焼き」である。
以上で今日のお弁当が仕上がった。
話は変わるが、昨日最後に立ち寄ったのが大手町。ここにNTTの展示ホール「NOTE」という施設があった。あったというのは、チョット気が早いが、今日で閉館となる。この施設の親玉のような立場で、友人のMITUHASHI君がいる。愈々最後となるので、ご苦労様を言いに立ち寄った。
MITUHASHI君と云うよりは、みっちゃんと呼んでいるが、夏に胡瓜やトマト・スイカとどっさり持ってきた彼である。彼とは、かれこれ一五・六年程前に横須賀の研究所に勤務した折に一緒だった。そんな縁で、私が転職後も世話になった。
彼は研究所の展示施設の管理に長く携わっていたので、大手町の施設がオープンした時にその経歴を見込まれたのであろう。その施設も今日でお仕舞だ。最後に一枚写真を撮り、「ベッタラ市」では屋台を出すので遊びに来てくれと、別れた。『ミっちゃん、御苦労さまでした』。
余談ながら、ミっちゃんの眉毛は面白いぜ。ちょっと眉を寄せると、こち亀の両さんのような、くの字眉になる。まあ、両さんそのものだな。今日はそんな眉を見せず、なんだか澄まして写真に納まった。ドアの奥の受付カウンターに座る女性アテンダントが、立ち上がって敬意を表した。
そして、五時前に人形町に戻った。祭りの準備が着々と進んでいる様子だ。写真は「椙の森神社」への入り口となる提灯。ここから、小伝馬町・江戸通りまで屋台が並ぶ。我らの屋台は椙の森神社の先、昨年と同じ場所になるとか。さっき申し込み用紙と寺銭を町会の世話役に収めてきた。
この入口直ぐの右側に「ちょっぷく」の屋台が出る予定だ。月曜日の人手が足りないと、YAMAちゃんがぼやいている。USUI老とAKAGIの、ナチュラル退団組を呼び出して守備にあたらすか?
七月に移転した事務所は、この神社の裏手右に当り、神社の屋根を見下ろせる。ベッタラ市では、酒や焼き鳥の匂いが漂ってくるのは必定の位置関係に在る。事務所移転の挨拶を予ねて、ビルに入居している各社に生ビールでもふるまおうかと思っているが・・・。
屋台は、この先辺りに出る。事務所は、神社の右後方となる。ガラスの見えるビルの隣だ。「べったら市」まで、余すところ二十日。十月十九日(日)と二十日(月)の二日間である。