オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

十連休・・・

2013-04-28 | Weblog

4/28(日) ゴールデンウィーク前の金曜日、池袋へと出掛けた。K大兄がこの週、練馬から横浜へと転居したが、この日、住んでいた部屋の点検と正規な引き渡し処理のために池袋に戻るとのことであった。

ご無沙汰をしていたので、連休前であったが時間を頂戴して懇談できることとなった。明日からは十連休となる小生であったが、早々と会社を抜けて池袋に向かった。雨との予報もあったが、そんな心配もない空模様の下で、明るいうちから一献傾けた。

待ち合わせた酒場は、昼間のうちから1階のカウンターは満席、大兄は2階のカウンターに陣取っていた。私が指定した安酒場、労働者と年金暮らしのオアシスとも云える店である。アジフライやコロッケをつつきながら「意外と旨いね~」と、庶民の味に舌鼓を打ったのは大兄。

『新居の周りで気に入りそうな店は発見しましたか?』と、様子を伺い、取材に行った山口や高砂・京都の話などを伝えた。そうこうするうち頃合いもよくなり、大兄の贔屓の「野武士」へと向かった。

此処で仲間内と一献交わしながら、業界の情報や雲行きを収集しながらマイクを握るのが常なる大兄である。これからは横浜と遠くなる、この店の売り上げも激減ではないかと・・・。

早速にマイクを持ってもらい、お得意の「国境の町」や「異国の丘」と、味わいのある喉と節回しを聴かせてもらった。 

                         

                           マイク握る姿も余裕!

帰りは一緒に副都心線に乗った。余談ながら、池袋から横浜の直通は便利だろうが、渋谷での乗り換えは最低である。渋谷から東横線への乗り換えは、可能な限りこの線を使わないと云いたい。(渋谷での夜が減りそうだ)

連休前のひと時、愉しい夜を過ごさせてもらった次第。

 

冒頭に伝えたとおり、私は十連休である。尤も今日の午後に会社に顔を出したのは、金曜日に早引けをしたので書類関係で何かあれば(あるはずもないが)と、立ち寄っただけのこと。

例年ならば、ゴールデンウイークの谷間の曜日は出社する。休暇取得者が多いので静、出社のクライアントものんびりとしていそうな気配がする。このタイミングなら会えない人とも会いやすい。夜の部もゆったりと時間を過ごせる。残念だ。

なのに今年は連休となった。郷里で墓所の開眼式と亡父の納骨の儀式があるのだ。明日の朝便で帰郷し、諸々を済ませ、ミカン畑の草刈をし、一夜母校の校長・教頭と一献交わす予定。弊社の新サービス「ICT教育ニュース」への意見を求め、併せてPRをしようと思っている。

帰京は5月4日の予定、あっと云う間に過ぎてしまうだろう。

諸兄姉、楽しく稔り多き休暇を過ごされますように・・・。

 

 

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金沢&富山

2013-04-25 | Weblog

4/25(木) 昨夕、金沢から富山への取材を終えて帰社。飯と酒でちょっと疲れ気味、終業後は真っ直ぐに帰るつもりだったが篠付く雨に足を奪われ、一杯だけのつもりで「ローカーボ」のドアを押した。

一杯のつもりが客は誰も居らず、二杯・三杯となる。店主の「ズブロッカは冷凍庫にいれましたよ」の一言で、仕上げにズブロッカを飲った。

先週、ズブロッカをオーダしたが冷やしてなかった。『こいつは冷凍庫で冷さないと』と、注文を付けたのだ。こいつを始めて飲んだ時、美味くて何杯も重ねたが、そんな元気は今やなし。

この日、富山でも朝から雨であった。おまけに風が強い、と云うよりは強風が吹き荒れていた。取材は室内での撮影、日本舞踊のお稽古のだったので助かった。

前日に金沢でインタビューと金沢城公園で外の姿を撮ったが、日程が入れ替わっておれば大騒ぎなところ。日頃の行いの良さか?

帰りはカメラマンの杉田君に飛行場まで送ってもらった「この風じゃ、飛びませんよ」と言う。『俺の場合は、これまでそんなことは一度もない。いや一度だけ八丈島行が止まったか。それだけなんだ、大大丈夫に決まってら~』と強弁した。案の上、飛行機は何の支障もなく飛んだ。

今回の取材は、福井と富山で日本舞踊のOGサークールを率いる代表者の対談。と、富山のサークル「ゆうゆう会」のお稽古の様子を撮ることであった。サークルの代表に、北陸の中心で双方から真ん中となる金沢まで来て頂いた。

インタビュー会場との調整、撮影のロケハンのために前日の夕刻に金沢に入った次第。

その夜は懐かしきメンバー、資材局時代の先輩や後輩たちと一献酌み交わした。二十年以上も顔を合わせていなかったKITADE君や十数年ぶりとなるHIRONO先輩、IIDA君、つい先日東京で飲んだMURAI君である。

昔話に花が咲き、話題は尽きない。愉しいひと時を過ごした後、MURAI君の案内でカラオケスナックへ。先日の「ローカーボ」での仇討とばかりに、濃~いハイボールを飲まされてしまった。が、お蔭でぐっすりと眠った。

6時過ぎから、ホテルの脇となる金沢城公園を散歩を兼ねたロケハンをする。金沢には何度も来ているが、お城は初めてであった。広~い、広かった。建物は再現された門や再現中の城郭等があるだけだが、広い。9万坪あるとか。ここから橋一つ、石川門から兼六公園へと繋がる。

             

8時にMURAI君が迎えに来てくれ、「野田山墓地」へと向かった。資材局時代にお世話になった課長、大澤さんの墓に詣った。大澤さんは金沢電話局長として地元に戻り、間もなく逝去された。金沢を訪れると野田山墓地に詣でるが、常にMURAI氏が案内を下さる。

11時過ぎからライターやカメラマン、クライアントのN氏、対談を頂く梅津さん、渡辺さんが会場の白鳥路ホテルに参集。ランチを摂りながらのインタビュー、金沢城公園での撮影と順調に進んだ。

                           

日本舞踊の御師匠さんらしく、板についた着物姿が見事でした。堀端での撮影では、観光の外人さんが珍し気に見ていた。

                          

予定どおり午後3時頃には取材が終了。兼六園を知らないと云うクライアントとライターを同伴して公園の見物へ。ボランティア・ガイドさんのお世話になった。兼六園の坪数は3万坪、完成には四代藩主から十二代の藩主まで関わったとのこと。それほど長期に亘ったとは・・・・。

                          

染井吉野は葉桜であったが、珍しい八重や牡丹の桜が残っていた。

                    

 

金沢市内を車で半周した後、駅に向かう。黄昏が迫る頃に富山に入った。高層ホテルの窓からは残照が射す立山連邦(多分)が望め、足下には富山城址と、駅から距離のあるホテルながら景観と部屋はよかった。

                      

夜の食事は、駅前の「漁火」という和食の居酒屋さん。弊社のU老お奨めの店で、老が予約をしてくれた。ここで富山の旬魚、白エビ・ホタルイカetc、ズワイガニと盛り沢山に出た。が、何時もながら私は殆ど箸を付けない。専らビールとハイボールを傾けながら話の聞き役であった。

                          

この夜もよく眠った。明日の天気が心配ではあったが・・・。

 

 

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焼き肉

2013-04-22 | Weblog

4/22(月) 忘れたはずの弁当を、今朝は作ってしまった。と云うのも、昨日の日曜日にバーベキューを家でやろうと思っていた。のだが、前夜からの雨、それも氷雨が昼過ぎまで降り注いでいた。

残念ながらと、バーベキュウーは断念した。その牛肉があったので、急遽弁当に使うこととしたのだ。牛肉は「豊後牛」と云う。これが結構なお値段、貧乏OYAJIの私は一番安そうな焼肉用と云うやつを注文したのであった。

何故「豊後牛」か?と訊きたいであろう。当然その疑問に応えなければいかん。話は十日程前に遡るが、山陽小野田市を訪れた。ここまで書くと、鋭い勘の貴方には解けたことでしょう・・・。

そうなんですよ「楽食茶房 わくわく庵」を訪問し、超人気のランチを食したのでした。仕事ですが。そのランチのメイン食材が豊後牛の鉄板焼きなのです。それまで、この牛肉は食したことがなかった。仮に知っていても、高うてようか買わへん(何故か軟弱に関西言葉となる)・・・でしょ。

確かに旨かったですよ、それを十日かも経って何でやネン。と言われるが、この週末が丁度その取材原稿の締め切りとなりましたんや。そいで、一回は自分で銭出してでもどんなもんか味わにゃならぬと、清水の舞台から飛んだんよ!

                        

                          「わくわく庵」の焼肉

然し高いね~、一番高いショッピングサイトだとサーロインステーキが3000円/100gだった。松阪牛が買えるわと、探しまくって買うたんが焼肉用の豊後牛。送料込で11200円/1Kgだった。これじゃ「わくわく庵」のランチ、絶対に赤字だろうと心配になった。

こんなこと書くと、安い鶏肉ばかりを買ってくるという、小金井の某女史あたりから石礫が飛んできそうだが。これも小生の職業的探究心のなせること由、勘弁頂くしかないが。

そんなことで、忘れたはず捨てたはずの弁当を、焼き肉弁当を作ったのであった。焼肉だけで済ます訳にもいかづ、人参・ポテト&絹ザヤ・レタスの温サラダとネギ入りの厚焼き卵をお伴とした。

                          

味付けが失敗。折角の肉の旨味を塩加減・醤油加減の悪さで殺してしまった。家人と長女の二人分の弁当であった。私のスムージーは止して、焼き肉丼を(軽めに)食したのであった。美味かった!

                          

 

今日の午後便で、金沢へ飛ぶ。明日の昼から情報誌の対談インタビュー、翌日は富山市で踊りのお稽古の撮影である。水曜日の夕刻には帰社の予定。

 

 

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連投

2013-04-19 | Weblog

4/19(金) 中日のピッチャー・岩瀬よりも登板回数をこなしている・・・。昨夜も異なるマウンドに三度立った。先発と中継ぎ、ショートリリーフと全てをこなすのだ、年俸は相当もらわなくては・・・然し、結果を問われると如何ともし難い。

一昨夜は、某代理店に居たS氏が3月末で退職。氏の慰労会と云うことで、銀座の「まるごと高知」二階のレストランで食事。当然土佐の食材を使った料理である。勿論、酒も高知の酒ばかりを揃えている。

毎年五月、赤岡の海岸で開催される祭り「どろめ祭り」と云う祭りがるが、ここで使われる大杯を用いた「おきゃくセット」と云うメニューがあった。これを氏に勧めた。酒は私の地元「南」を推奨し、大杯に注いだ。余り飲めないといいながらも、楽しんでもらった。

                   

「どろめ」とは、生のシラスを云う。赤岡の浜はシラス漁のメッカで、これに因んで祭りがおこなわれる。この余興として大杯で飲み比べ、スピードを競う。女性も参加して大いに賑わう。TVなどでも紹介されるの知名度が高い祭りだ。

此の夜の肴は、刺身・リュウキュウの酢物、四方竹の煮物、当然「どろめ」であった。

                         

この後、6丁目の小さなBAR「順」へと流れた。S氏のカラオケを聴きながらハイボールを飲んでいると携帯が鳴った、渋谷の大将「奈加野」の店主からである。郷里の先輩、弁護士のYASUOKAさんと、郷里で野菜の商売をしているYAMASAKIさんが来てるとの知らせであった。

店に顔を出せとの仰せだが、携帯の具合が悪くて途中で切れる・・・と、云われても知人の慰労をしてるのだ。行ける訳がないとばかりに無視を決め込んだ。

                    

他に客もおらず、S氏はマイクを握って快調、すっかり店の雰囲気もお気に召した様子。ご慰労を申し上げた甲斐があったと云うものだ。

翌朝、携帯の留守電を聞くと、渋谷の大将からの罵詈雑言が残されていた・・・。大将、そうは私も付き合えませんで・・・。

 18日の昨日、朝から祖師谷大蔵にて情報誌の取材。相手は、旧知のKさん。テーマはバイクと健康である。Kさんは71歳になったそうだが、若い!ドライビングスーツを着込んだ姿は若者である。

                         

バイクはスズキの「隼」、1300ccの大型バイクで最高スピードは時速・300Kmも出る代物とか。この他にオフロード用のバイクも所有している。

撮影をし、インタビューを済ますと午後の二時半。立ち合いのクライアントと一緒に遅いランチを済ませて帰社すると四時過ぎであった。

この日朝から携帯の調子が悪く、結局使えなくなった。ドコモショップに立ち寄り見てもらうと、一時的に過電流が生じたとのことだ。スマホは使えん、禄でもない・・・。

 

この夜は有楽町の外国人記者クラブのすし店に、Uさんからのお招きに預かった。私と弊社のweb制作のリーダ・NOBORUの二人連れ。Uさんが立ち上げていた事業を閉じた、これまで世話になったのでと、この夜のお招きとなった次第。

此処でも「南」を飲んだ、NOBORUは快調に盃を干し、肴や寿司をつまんでいた。私は、前夜のことがあり、渋谷村に顔を出そうと思っていたので抑えた。それでも酒がまわり始めて昔のことを蒸し返す・・・。NOBORUに聞かす、冗談ではあるが。

「ウーさん、ちっとも俺の面倒を見んかったネ」と、『ARIさんは評価が悪かったから如何ともし難いのよ』と、云う。

「そりゃ評価するやつが悪いのよ。あいつなんかどうしようもないんだから・・・。無理やりS評価とか、ボーナス+4にしろ、と具体的な数字で指示しなくちゃ」などど、与太を飛ばす。こんな話をして遊ぶのであった。

サラリーマン時代、Uさんが東京のトップに居たころ、私は現場を預かるセクションに居た。我々からすると、当時のUさんは雲上人といえるぐらいのポジションであった。その当時のことを話題にして、酒の肴にした次第。

すっかり馳走になり、渋谷に向かった。「奈加野」のカウンターはがら空きだが、座敷の方は満席だった。テーブル席には、外人さんのグループがいた。店主に「たちの悪い伝言残すなよ」と苦言を垂れながらビール。

                         

この後、mr.kansoに立ち寄りギネスとハイボールで〆た。誰かに会える、この夜も某社の方と初めて顔を合わせて話をしたが、旧知の方と繋がっていた。

昨日、今朝とスムージーはフルーツのみとした。最後に残った凸ポンとバナナ・イチゴなどであった。これって、果糖の摂り過ぎじゃないか?と気になった。

                    

 

 

 

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渋谷村

2013-04-17 | Weblog

4/17(水) 昨日からの税務調査も昼前に終わった。追徴の額は改めて示されるようだが、大した商いをしている訳じゃなし、痴れた額であろう・・・と、願いたい。調査官からは「帳簿類がよく整理をされています」と、誉められたのは、経理のTさんの日頃からの積み重ね。

昨夜、渋谷の御大将「奈加野」の店主から電話が入った。「馴染のメンバーが待ってるぜ、店は暇でしょうがないので顔を出せよ」とのご下命であった。馴染のメンバーとは、元〇〇署の署長と歯科に勤めるS氏である。

久しぶりりに遅くまで仕事をと、思っていたが挫かれてしまった。先輩達からの呼び出しでは致し方なしと渋谷村に向かったのであった。結局帰還は零時過ぎとなった。

昨日の午後は、明日の取材のために撮影場所やインタビュー場所探しのロケハンにTokio と出かけた。祖師谷から成城学園、バイクショップ、果ては第三京浜の都筑パーキングまで下見するが、適所なし。疲れ果てたが、帰社後に取材先のKさんと話した結果何とか決まった。

そんなこともあり、今朝は散歩の代わりに、出勤途上に中目黒まで歩くこととした。運動をさぼった報いですっかり足が弱り、30分のコースが35分を要して中目黒駅に到着。日比谷線の始発に座し、文庫本を読みながら出勤した。

それにつけても、週二回の酒の誓いは何処へやら、連日の連夜の登板である。景気浮揚に貢献しつづけて長い。酒場への貢献多大なりと、国民栄誉賞を頂戴してもいい頃だが・・・。今週も連続登板がつづく・・・。

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魑魅魍魎

2013-04-16 | Weblog

4/16(火) 今朝方は、魑魅魍魎なる夢を見つつ目覚めた。魑魅魍魎なんて漢字は、書けと云われても書けないのに便利な世となったものだ。

そんなことで四時半ぐらいから目覚めてしまった。本を読んだりして時間を潰し、朝の散歩に出掛ける。近所の公園から駒沢通り環七通りと歩き、体操をして終わった。

本来ならば、朝の散歩時間をもっと取るか、ジムにでも通って本格的なトレーニングでもしなければならぬのだが、ゴールデンウィーク明けに背中の瘤を切開する。これが終わって、体調が整ってから取り掛かることとした。それまではお茶を濁す・・・。

散歩から戻り、風呂に入ってからスムージーを飲む。今朝は、バナナ・トマト・イチゴにキャベツとなった。キャベツは香りの癖がないので中々よろしい。色合いも悪くない。

                     

スムージーで気合を入れ、早めの出勤とした。今日から二日間の日程で税務調査が入る。恒例のこととはいえ、弊社のような貧乏世帯に来ても取れるものは知れているだろうに。ご苦労さまである。

先般の取材原稿を早く出すようにとTokioが催促する。何でも、納品が早くなったとのことで入稿スケジュールも早まったらしい。何れは提出しなくてはならぬが、心の入れよう気持ちを切り替えないと集中できない。

税務調査の対応や、明後日の取材に向けたロケハン、郷里の高校の同窓会の案内作り、ミャンマーの学校建設資金に協力頂いた方々への御礼状作成と気忙しい。一つひとつやるしかない・・・。

 

 

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泣く子にゃ勝てぬ・・・

2013-04-15 | Weblog

4/15(月) 今朝は久しぶりに弁当を作る羽目となった。昨夜、長女一家が晩飯を食べに来た。先週の取材で最後に立ち寄ったのが琵琶湖から京都であった。

琵琶湖と云えば近江、近江と云えば近江牛であるが・・・。京都へと移動するため、琵琶湖大橋の袂を通ると道の駅があった。運転しているTOKIO さんが、何の躊躇いもなく車を寄せた。ここの道の駅は品揃えもよく、なかなかの道の駅であった。

近江出身が、弊社に二人いる。AokiとNoboruだが、彼らの実家はどの辺りかな等と話しながら店内を物色した。そしたら、肉問屋直売と書かれた近江牛が冷蔵ケースに鎮座していた。暫く迷ったが、店員のオバサンも感じがよく、親切な方であったこともあるが・・・。

偶には家ですき焼きもいいかと、250g入りのパックを6箱送ってもらうこととしたのだ。これだけあれば十分足りるはずと、昨夜の晩に食すこととしたのだが・・・聞きつけた長女が、家族揃い踏みでやって来た次第。

それはそれでよしとするのだが、何と食事が終わって「明日、この肉が残ってたらお弁当を作ってよ!」と来た。俺や~弁当作り辞めたから、弁当ぐらい自分で作れよ。と、突き放したが・・・。

朝になったら、しっかりと立ち寄って「お弁当!出来てる~」なんて言うだろうな。そう思い、今朝は残りの肉で弁当作りとなった。

昨夜のご飯がしっかり残っていたのでチャーハン弁当である。肉は、塩胡椒で炒めものにした。野菜のピーマン・アスパラ・タケノコ・インゲンなども炒めて添える。

                       

作る以上は他の菜もと、小松菜と薄揚げの煮物、卵焼きを作り添える。もう一品、昨晩煮た「流れ子(関東ではトコブシ)」を薄切にしてタケノコと一緒に炒めた。流れ子もタケノコも、前夜に田舎の従姉妹が送ってきた品。今年のタケノコは、柔らかくて美味い。

      

そんな次第で、泣く子と姐さんに弱い小生は弁当を作ったのであった。炒飯の具は、シーフード炒飯で行こうとホタテと小エビを使った。が、野菜の人参・ピーマン・タケノコ・タマネギと加えて増量に走った。野菜は無い方が、シーフードの味が引き立つ、野菜を使って失敗と云えよう。反省ばかり也

                   

 

今朝のスムージは、トマト・イチゴ・小松菜の三種。小松菜の所為で、出来上がったスムージーは色合いがよくない。緑葉野菜と果物を混ぜると美しくないのであるが・・・。

                    

 

ジャスミンが満開となり、いい香りで花弁を散らし始めた。昨秋に徹底して刈り込んだ一本は、全く花を付けなかった。草花の手入れ、選定は難しいものである。

                        

 

 

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ホタルイカ

2013-04-14 | Weblog

4/14日(日) 昨日の土曜日、遅まきながらの花見の宴。と、云うよりは『ホタルイカ』を食す会と云うべきか。毎年この季節、H女史の計らいで、花を見たり季節のホタルイカを食す催しを開いてくれる。

これまで客となるのは私とHIROさんの二人であったが、昨年から二人は同じ屋根の下で暮らすようになった。そんなことから私一人、客のようなものであるが・・・。

女史が心を込めたであろう料理を頂きながら、お酒を頂戴した。小金井駅からほど近きた路地奥に在る住いは、閑静で、大人の隠れ家のような雰囲気がある。

ゆったりとして居心地のいい居間のテーブルには、木瓜の花が活けてあった。庭に木瓜の大きな木がある。HIROさんが二階のベランダに出て伐ってきたのであろう。

沢山の料理に満腹となり、懐かしいCDなどを聴きながら寛ぎ、たおやかな時の流れの中で至福の時間を過ごした。

 

  『わくわく庵』

料理と云えば、10日(水)の取材先が料理に関することであった。山口県山陽小野田市の郊外でランチタイムだけに営業している「わくわく庵」と云う店である。

                      

完全予約制の店は、満席続きとのこと。予約の取れないレストランと云うところである。三井さんご夫妻が三年前から営んでいる。

月替わりのメニューだが、一種類のみを供している。一年近く前になるが、昨年の6月に「人生の楽園」というTV番組でも紹介された店なのだ。

                  

三井さんとは十数年前に一度お会いしている。その時はN社の社員であったが、里親として児童施設から小学生の子供を引き取り養育していた。そのことについて話を聞きに行った。この話は後日、HIROさんが「家族冒険者たち」というタイトルで物語を記した。

退職後のセカンドライフとして、奥さんと始めたレストランは、当初の近所の人たちとの集いの場と云う枠を大きくはみ出して、数か月先でないと予約が取れない店になlった。10席から始まったカフェ店は、四十数席まで広がり本格的なランチを提供する。

                         

その品数の多さ、多様さには驚かされた。ランチの食事の後にデザートセットが出るが、これだけでランチ料金が十分に頂ける内容である。三井さんが工夫を凝らした庭が、料理を、食事をする雰囲気を際立たせている。

                   

                  メインの豊後牛              デザートセット   

ご主人と十数年前にお会いした時のこと、レストランの庭造りから造作と何でも手がている木工のことと話は尽きなかった。それにつけても、これだけの料理を出して1380円(先月まで1180円だった)、これでは利益があろうはずがないと心配になった。

『儲けようと思ってない、客さんが喜び、会話を楽しんで下されば」と、奥様の言葉である。

生憎、天気の方が嫉妬したのか取材途中強風と大雨が襲ってきた。それでも外に出る頃合いには上がってくれた。三日間の取材の旅、寒くて生憎の天候であったが、撮影や大事なポイントで雨は遠慮をした。

 

 

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村松清子さん

2013-04-09 | Weblog

4/9日(火) 先ほど「村松清子さん」の取材立ち合いを終えて帰社した。13時半から15時半過ぎまで、予定の時間をオーバーして話を聴かせて頂いた。インタビューするのはHIROさんである。その合間を縫って、私は勝手に尋ねたいことを訊く。HIROさんの、邪魔をしているような感は多分にある。

なるべく取材に立ち合うようにしている、自分の目で耳で確認をしておきたい。そうでなければ原稿のチェックというか、確認ができない。現場で聞くニュアンスや空気感が大事。これがないと記事になった際の、或いは記事になる前に生じるかもしれないことへの対応が生半可となる。

一番生じてほしくないが、担当するライターに不測の事態が生じることが発生するかもしれない。同じテーマで再インタビューはできない、原稿に穴を開けることは許されない。最悪は自分が書くしかない、例え不十分であっても、代役を果たさねばならないこともあろう。そんなことも踏まえてはいるが、最大の理由は森羅万象への興味が、関心が強いのだろう。ようは、野次馬根性か。

村松さんは、「在宅看護・訪問看護」分野の先駆者である。看護師として病院の患者(利用者)と向き合う中で、在宅看護・看とりの必要を実感し、病院勤務を続けながら、ボランティアで在宅看護を行ってきた。ボランティアでの限度、介護する家族・利用者と、看護を提供する看護師の限界・困難さから訪問看護を事業としてスタートさせた。

その活動は現在の介護事業や、在宅支援活動の基礎となった、と理解している。困難と苦難の道のりであったろうが、そんなことを感じさせない。明るく突き抜けた方であった。その活動への評価は、顕著な功績を挙げた看護師に授与される国際的な「フローレンス・「ナイチンゲール記章」の受賞と繋がっている。

自分の道を突き進む方、やり抜けてきた方は、どなたも村松さんのような雰囲気と表情をされていた。肩に力が入らない、とても素敵な雰囲気を醸し出しているのだ。

 

取材の後、HIROさんと近場の居酒屋に入った。先ほどまでの時間を辿りながら、問い直しながら反芻し、原稿の切り口を勝手に並べる。取材後の二人だけでの何時もの営み、儀式であった。情報誌の発行は、7月の初旬。愉しみにしてほしい。されど、これからのひと月あまり、紬・重ね、削りと、HIROさんの呻吟・苦吟がつづく・・・。

 

 

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風と風邪

2013-04-09 | Weblog

4/9日(火) 金曜日の夜から、風邪の症状が顕著となった。大荒れの予想の土曜日は、13時から都内某所のKさん宅に、十数名が集まっての花見会と称する飲み会。末っ子が、バレーボール部に所属した当時の親の集まりであった。入学してからは十数年、卒業から6年となるが年に一二度集い近況などを肴に一杯やる。

日曜日の夕方は、HIROさんが学大に来て、取材のための事前学習と云うところ。家人から、今度取材をする業界の話をヒヤリングするのが目的であったが、果たして役に立ったのか?その後、渋谷に出て、バンコクから来ている旧友NOGUCHI君を囲んでの懇談。郷里の高校の同級生、KIMURA、kATOUの両氏と一緒に安酒場で一献。鼻水を垂らし、咳をしながらの二日間であった。

月曜日の昨日は、何年ぶりかで病院へ。11時からの予約だったので、風邪の症状が軽くなったこともあり、一時間弱を途中の駅まで歩いた。向かった病院は、懐かしき「関東逓信病院」(現NTT東日本病院)である。

二・三年前から背中に瘤ができていたが、だんだんと成長してきた。致し方なし、これを切除した方がいいだろうと、診察を受けた次第。案の上、切ることとなったが、手術は一月先の5月8日とのこと。一時間ほどで終わるとのこと、入院が出来なくて残念である。高い医療保険費を払い続けて来たので、この際に少しは回収をしたかったのだが。コストの回収は次の機会に譲ろう・・・。

病院には知人の看護師が居る、家人の学友であり、旧知の間柄。折角病院に行くので、顔を見れたらと思っていた。彼女(Sさんと云う)は数年前に癌を患っており、その後の様子が気掛かりであった。

念ずれば通ず、何と診察を受けている最中にドアの向こうから彼女の声が聞こえた。診察中、声を掛ける訳にもいかない・・・処が、裏で予約表を見たのであろう、ドアが開き「・・どうしたのよ?」と診察中の私に声を掛けて来たのであった。医師が、Sさんのお知り合いでしたか、と場が和んだ。

診察後、Sさんと立ち話をした。体調は変わらずとのこと、一先ずは元気にやっているようで安心した。

ここ暫く、風邪の症状なのか花粉症にでもなったのかと思うような咳や痰、鼻グズグズの状況が続く。この季節の変わり目というのは、どうもいけない。爽やかに酒を飲みたいものだ。体調や天候が優れなくても、植物は満艦飾の季節となった。年末近く、遅い時期になって植えたチューリップも満開となった。

                          

昨日、情報誌の取材日程が決まった。タイトなスケジュールなのだが、取材者の予定が最優先。何とか調整ができ、今月中に取材を終えことができる。今日は、訪問看護の開拓者ともいえる「村松清子」さんを午後に訪ねる。ライターは相棒のHIROさん、どんな話が聴けるのか訊くのか・・・。

明日は山口県山陽小野田市で「わくわく庵」オーナの三井さん、翌日は兵庫県高砂市、金曜日は京都と西日本を巡ってくる。そんなことで、暫くBLOGも休みとなる・・・ごきげんよう。

 

 

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