オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

最後の弁当・・・

2017-07-31 | Weblog

7/31(月) 明日から弁当は、長~い夏季休暇に入る。今日は、休暇前の最後の弁当になる。今日から夏休みの長女は、弁当が要らないはずであったが、昨晩、夕食にきて「明日、オムスビでいいから作って。それとSORAのお弁当もお願い」ときた。

昨日、二歳を迎えた次女の子供が手足口病になり、保育園を休まさなければならぬが、自分は仕事が休めないとのことだった。夏季休暇に入る長女が、助っ人で面倒を見に行くとのこと。ついては、弁当をお願いされた次第である。姉妹が助け合うのはいいことだ、急なことでも弁当ぐらいは作ってやらねば・・・。

斯様な次第で、今朝は三つも弁当を作ることになった。で、六時半から弁当作りに入った。

今日のメニューは、SORAが好きな「鶏唐揚げ」が中心。揚げ物ついでに、ポテトも揚げることにした。後は予定していた、ピーマン肉詰め&ハンバーグだが、ハンバーグはSORA用に一つだけだ。と云うのも、牛挽肉は100gしか買ってなかったのだ。

                            

メカジキをソテーし、胡瓜をハムで巻き、ゆで卵と卵焼きを作る。家人の弁当は、菜が少ないご飯を覆い、見た目はオカズだけの弁当だ。

                      

長女のオムスビの具は、リクエストにより「焼き明太子」と「ヒレカツ」である。ヒレカツは、昨夜の夕食用に買ってきたものだが、一口カツ用が二枚残ったのでそれに目を付けたのである。

一口カツといっても、これをオムスビには難しい。ご飯でサンドイッチするイメージでいたが、あにはからん、結果は奇妙な形のオムスビになった。

                         

 

今日はやけに暑いので、会社にいるメダカは外に出さないで自分の脇卓に乗せている。まだまだ小っちゃいメダカだが、スイスイと泳ぐさまを目にすると、涼感に加え、安らぐねぇ~。ベランダの胡瓜は、あっという間に(この土日で)大きくなり(すぎ)、先ほど収穫した、未だ1cmばかりのが二つできているので、これも成長を愉しみにしている。小さな生き物、一鉢のメダカがもたらす効果は大きいね。

                      

         

 

 

 

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暑気払い・・・

2017-07-28 | Weblog

7/28(金) 愈々、月末となった。今月末で会社の33期が終わるので、本日夕から社内で生ビールとBQで打ち上げ&暑気払いの飲み会をやる。先ほど焼き物などの準備が整った。

炭の方も早や熾って、万端整っているが飲み手の方がパソコンに向かったままだ。何時ものようにスタートはバラバラであろう。

肝心の生ビールが未だ届いていないが、おつけ来るだろう。問題は、この生ビール20㍑を八時半頃までに空けなくてはならぬこと。ビールサーバなどを引き取にくると云う。呑み助オヤジどもがいなくなり、近頃のメンバーはアルコール摂取量が少ない。相当に余る気配が濃厚だ。

 

昨晩も退社後に「ローカーボ」にてハイボールを飲った。店に入ると、前夜のメンバーIMAEの兄さんが独り酒をやっていた。隣に腰を下ろしてまもなく、前夜の失敗談を語りだした。彼の言葉は、滋賀弁だからその雰囲気で読まれたし。

「昨夜は遅くなってタクシーで帰ったんですよ。家から三分ほどのとこで降りて、歩くんですけど、どうやら眠ったまま歩いてたらしくて。ハットすると目の前に電柱があって、そのままぶっかって頭切ったんですわ」と言い「ちいがダラダラ出てとまれへんし、シャツも真っ赤になって酷いことになったんですわ」とつづけた。

「誰ぞに見られて、救急車でも呼ばれたら大事やし、慌てて家にかえったんですワ」

「家に帰ってカミさんに見つかると叱られるし、どなんしょうかおもうてたら。外で、ワッていったんが聞こえたらしくて起きてきたんですわ」「顔をからちいでてるし、ワイシャツは真っ赤やし大変でしたわ」

見ると、左の眉毛の上に三センチほどの傷があった。頭を切ると、傷が浅くても血が仰山出るからね・・・・。

『大騒ぎした上で、今夜も酒を飲むとはいい根性しとるなぁ~』『ホンマにお前は面白い男だぜ…』

IMAEとの掛け合い漫才がつづいているうちに、HOYA兄いが現れた。今日も現場で打ち合わせがあったとのことで、ワークマンスタイルである。一緒に飲みながら{HOYAさんを、うちのカミさん知ってるんで僕の後見人みたいに思うてるんですよ」と、IMAEが言う。

『そうか、じゃあお前のカミさんの後見人はワシがしたる』と、噛ますと「いや、それはええですわ。あきません。」と、すぐさま否定しやがった。顔を合わせたことはないが、彼の自慢のカミさんだからね。

IMAEと話をしてると、面白くてしょうがない。それを彼も楽しんでやがるのだ。飽きさせない男であるが、一緒に仕事をしたらうるさくてしょうがないかな?

前夜と同じく、HOYA兄いと「ちょっぷく」に寄り、最後はなんとラーメンを。通りの向こうに在る豚骨ラーメンの「由丸」で、半ラーメンと日本酒を一本。どうもイカンザキな夜がつづく。こんな時間にラーメンを喰うとはねぇ~。

                            

 

そんなことで、帰宅は23時半。目覚めて気付くと、ラジオとスタンドを点けたままで眠っていた。ラジオの音で目覚めたのは五時前だった。

五時半になり台所へと向かう。今日は、残り飯で「炒飯」ということになっている。通い馴れたる道、ならぬ、作り馴れたる炒飯だ。あり合わせの材料で、適当に作る。

菜は、「鮭粕漬け焼き」と「茄子&ピーマンの味噌炒め」「ソーメンパスタ風」に「卵焼き」、以上となった。

                         

来月から一ヶ月、弁当は休暇を頂くことになった。大型の夏休みを取得し、有給休暇の消化に努めようということだ。朝から飯を食べすぎるので、習慣を変えるためにも、ご飯から遠ざかろうと云う目論見だが・・・・。期待はできんだろうな!

と、云うことで、週明けの月曜日に弁当を作った後は永の別れ。但し、二回ほどSORAの弁当を頼まれている。これだけは、努めなければならないのだ。

                     

 

 ―暑気払い―

昼過ぎ、夕方の暑気払いに備えて買い物に出た。が、暑~い。暑気払いならぬ、暑気あたりになりそうだった。三時過ぎには炭が熾き、焼き物のリハーサルでウインナーを焼いてみた。これがマイウ~で、思わず缶ビールを開けたのあった。

すっかり準備が整ったのは四時頃か、勝手に焼き物を始めて毒見ならぬ味見をする。本番前に、すっかり満腹だった。

五時半頃になって、漸くスタートとなったが、こっちは食傷していたのである。

                       

 ベランダに余裕があるのはいいね! マッチャンに感謝か?

 

 

 

 

 

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サヤカな夜

2017-07-27 | Weblog

7/27(木) 昨夜、会社を出たのは七時半であったか。100m程先に在る「ローカーボ」にフラリと寄った。カウンターにNAKAMURA王子とマッチャン、王子の向こうに・・・、SAYAKA嬢が居たのだ。子供が一歳近くになるはずなので、もう嬢と云うのは失礼かもしれない?とはいいながら、嬢の雰囲気そのままであった。

久々にSAYAKA嬢の顔を見たので、今日のタイトルを「サヤカな夜」とした次第である。彼女はNGOの専門スタッフとして働いているが、記憶に間違いがなければ専門は教育だったはず。現在は、ウガンダ共和国のプロジェクトを担当しており、年の半分を向こうで過ごしている。帰国した折に「ローカーボ」で憩う姿を目にする。

昨夜もウガンダの気候や人々の暮らしについて聞きながらマッチャンが与太を飛ばしていた。「前にSAYAKAちゃんが乳が余ってと言ったとき、社長が俺が飲むから買うって、言ってましたよね」なんて、オイラが覚えてもなければ記憶にないことを云う。悔しいので『それなら直接吸わせて貰うぜ!』なんて阿保なことを言った。まあぁ、そんな冗談が通じるメンバーなのだ。。

来月の五日にウガンダに向かい、ひと月足らずでウガンダでのプロジェクトは終了するとのこと。次の任地は中米のニカアグラに決まっており、事前に何度か行っている。

小さな子供のことが心配であろうが、子供は大手新聞社の大阪本社に転勤したご主人が、奈良の実家で、ご主人と義父母が面倒をみている。嬢のFBに「子供が四十度の熱をだし・・・」と、あったのを思い出して『子供の熱は大丈夫だったの?』と訊くと、「熱はよくなったけど、手足口病になって」とのことだった。

そうこうするうちに、IMAEの兄ちゃんとHOYA兄いが現れ、関取ならぬ席取り衆の揃い踏みとなっていた。かくして、人形町のサヤカな夜の帳は上がった・・・。

                        

オイラとHOYA兄いは頃合いを見計らって「お先に・・・」と席を立った。行く先は神のみぞしるだが・・・先導の兄いは、セイジュに寄らず「ちょっぷく」へと舵を取った。ここで白ワインを飲りながら、YAMAチャン店長を相手にひと騒ぎするうちにお開きの時間を迎えた。

HOYA兄いと駅にへの降り口で別れ、向こう側に渡ろうと信号待ちをしていると、角に在る蕎麦屋の看板が俺を呼ぶ・・・。抗いかね、誘惑に負けて表に出ている自販機で食券を買った。「胡麻汁そば」380円の食券を握りしめて店内へと・・・。深夜に食うべからずだが、脳味噌が云うことを聞かない。

学芸大学に着いたのは零時15分、トボトボと家路に付いたのであった。涼しくなっていたのでよかった!

そして朝を迎えた。起床は6時45分と遅い、それだけ眠れたと云うことであろう。夢の内容も覚えてないのだから・・・・。

今日の弁当は一つ、長女は学童に行くSORAの弁当を作るので自分の分も一緒に作るとのことだ。どうせ「鶏唐揚げ」にきまっている・・・・。

家人の弁当は「牛小間炒めの焼肉風」、「ブリの粕漬け」「人参&ポテト&タマネギ&タマネギの温サラダゆで卵和え」などである。

                          

鍋でご飯を炊き、野菜のオリーブ油炒めと牛小間を炒める。人参やポテトを茹でる。粕漬けをグリルで焼く(これはフライパンで焼いた方がベストかな)、手っ取り早いふんわりの卵焼きを作ってお仕舞である。

                          

 ― 閑話休題 ― 

話は変わるが、会社のベランダで鉢に一株植えた胡瓜が、漸く二っ三っ目を実らせている。三・四日前には二センチほどだったのが、あっと云うまに十センチを超えるまでに伸びてきた。この胡瓜、六月の初旬に遊んだ潮来で貰ったものだ。蔓が延びても掴まる手がなくて困っていたが、YOSHIOと隣の公園で、手頃な枯れ枝を探して鉢に差したのだが、この努力が実を結んだか。桜の枝を切って来た訳じゃないので、勘ぐらないように

この胡瓜の成長ぶりにひきかえ、こっちは萎んでいくばかり。一服しながら、胡瓜の成長を見ては我が身を嘆く。と云う笑い話で、スタッフとのひと時が盛り上がるのである。

                    

 最初に出来た胡瓜は大きくなりすぎたが、明日の社内での暑気払いに備えて冷蔵庫で眠っている。はずだ。

 そしてもう一つ、「メダカ」の話。YOSHIOが家で飼っているメダカが卵産んだ。それを会社に持ってきたが、金魚鉢がない。ペットボトルをカットしたのに入れてある。小さすぎて何匹いたのか判らないが、いま残っているのは十匹ほどか。漸く数えられるぐらいになった。

                            

                     濁ってメダカが見えないか

今朝、百均で金魚鉢を探したがない。仕方なしに、台所用のボウルを代用に買ってきた次第。何時までも生き残り、どれだけ成長してくれるか?愉しみではあるが、心配でもある。

 

 

 

 

 

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サンドイッチ

2017-07-26 | Weblog

7/26(水) 今日は朝から雨になった。その雨の中を、芝公園に在る某社を訪問して営業の真似事となった。そんな、似合いもせぬことをしたので雨となったのか?

某社とは新電力の会社で、実はサラリーマン時代にこの会社の発足のセレモニーや記者発表で関わりを持っていた。その会社が、すっかり発展している。当社の女性営業のITOU女史からケツを叩かれ、同行となった次第。久々の営業らしきことだったが、それはそれで頭の中がクリアになってよかった・・・・・。

今朝の弁当はサンドイッチになった。昨晩帰宅した家人が、「パンを沢山買ったのでサンドイッチはどうかな」と、投げかけてきた。否応もない、あたしゃ貴女の㒒(シモベ)ですよ。貴女様のお好みに合わすのが私の役目さ

と云うことでサンドイッチになったが、具材の方は、先に予定していた菜の生姜焼き用の豚肉をそのまま使うことにした。

豚肉サンドとは初めてだが、味にメリハリがあった方がよかろうと、焼肉のタレで豚肉を焼いた。後は、タルタルソースを作り、卵サンド。もう一つは、ハムと野菜(レタス・キャベツ・胡瓜)のサンドイッチにした。

何れも簡単な仕上げで、何の工夫もオリジナリティもない。シンプルそのままのサンドイッチである。今思えば、チーズを挟むとか、ツナを使うとか、色々を思い浮かぶのだが・・・・・。まあ、そんなに多種(ぎょうさん)作っても食べれへんか?(何故か関西弁や)。

                         

当然サンドイッチは余り、家人が職場に持って行った。あたしゃ、お客さんの処へ直出だから弁当持参じゃ塩梅がよくない。

                             

サンドイッチが出来上がり、あたしゃ茄子味噌炒めを作って朝飯の菜にした。ニッポン人は飯だよ!。

 

 

 

 

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酒場にて&ひとつ弁当

2017-07-25 | Weblog

7/25(火) 昨晩は久々に友人のHOSOKAWAに会い「ローカーボ」「ちょっぷく」と廻った。HOSOがどうしているかと気になり、夕方に電話を入れた。すると、お茶の水で打ち合わせが終わったところだった。

『久しぶりだ、人形町に出てこいよ』と誘うと、意志薄弱のHOSOは「そうしようか」と応えた。意志薄弱というのは、当人の弁なので・・・。で、ローカーボで合流することになった次第。七時半頃にローカーボに入ると、IMAE君が一人で飲んでいる。HOSOが来るまでの間、セイジュ会や料理教室の話で二人で盛り上がった。

弄られキャラだと自認し、それを面白がって盛り上がると云う、捨てがたい若者なので、仲間から喜ばれる。IMAEとは、そう云う男らしい・・・。

暫くしてHOSOが到着。「ここんとこ、特番の企画でばたばたしてたんだ」と、TV屋らしい話につづき「最近は三杯飲むと酔うんだ」といいながら、ハイボール美味そうに啜った。酔いが早いのは何処も同じさと、応える。

今時、元気に夜中まで飲み歩くのは、隣の若者さと、IMAE君を紹介する。で、三人で盛り上がった処に、HOYA兄いが登場した。以心伝心と云うか、止まり木が決まっていると云うべきか・・・。

HOYA兄いから釣銭の五百円玉を貰い、お返しにハイボールを奢る。それだけならオイラは百円の儲けだが、そうはイカンザキさ。皆の協力で、とうとう貯金BOXが満杯になった。それを無理やりに押し込んでいるが、もう無理だな。オイラの目論見じゃ、目標だった百万円に達しているはず。30万のBOXが三個、10万が一個、満杯なのだから。五百円玉の数なら二千枚、重さで14kgに達する。

500円預金のスタートは、一昨年の11月17日だったか。3~4年を要するかと思っていたが、諸方のご協力と意地汚くキープしてきた成果で、二年足らずで達成とは見上げた根性?。と、言いたいが、あにはからん。預金通帳の方がガタ減りだ。これって、バランスが取れてるというのかな?

酒場の話しに戻すと、HOSOは富山の雨を心配してた。無人になってる実家を心配してもしょうがなかろうに・・・・。「集中豪雨になると困るな」なんて言いながら、実家をどう始末するかと悩む。また、その一方で「死ぬときは富山がいい」と、論理が定まらぬ。彼の家族は、豪雨被害があった奥さん方の在所、福岡・久留米市に住んでいる。

今朝、風呂を浴びながらHOSOのことが浮かんだ。前夜のことがあった所為であろうが、やつの結婚式で初めて富山駅に降り立った時のシーン。雲が重く垂れ込め、暗い街を圧していた。暗く重たくわびしい街だ。それが第一印象だった。こんな土地に育ったたんじゃ、HOSOのようなイジイジしたのが育つんか?。そんなイメージを持ったもんだ。

あれから、富山に行く機会は何度もあった。初めて駅頭に立った時のイメージとは大違いに、富山はいいところだった。美味い食い物、豊かな自然と人情。立山連峰を望む風光の明媚さ。かといって、HOSOのようにそこで死にたいとまでは思わぬが・・・。彼からそんな言葉が出たのは、先週だかに高校の同級会があり帰ったそうだ。二十数名が故人になっていたとのこと。そんな話を聞いて、身近な問題と思ったのだろう。

HOSOも、山の中の俺の実家に一度来ている。田舎でやった結婚式の折に。一週間後の、東京での披露宴ではHOSOが司会をやってくれた。大学一年生、同じ下宿で出会って以来、俺たちの腐れ縁はつづいている。

学芸大学駅に着いたのは23時半頃であったろうか。目の前の東急ストアで弁当用の菜を少し仕込んでから帰宅。酔っ払っても弁当は忘れない、この律儀は、どっこから来てるのかな?安い輸入肉を三種、買っただけだが。

昨晩から後頭部が重い、痺れる。ローカーボのカウンターに居たときからだ。酔っ払って忘れていたが、今朝になって更に重くなっている。家人に云うと、「熱中症じゃない、水飲みなさい」の下知だ。が、この俺が熱中症になるはずがない!。と、知りつつも水を飲んだ。

余談だが。家人に「延命処置だけはするなよ」と、言うつもりが、言い忘れた。延命処置と、葬式は不要。墓も要らないが、田舎にはある、これが問題さ。

で、弁当の話をしよう。

今朝は、オージービーフの「ロールステーキ」と言う、安肉だ。これを焼くだけじゃ面白くない。ピーマン&パプリカも一緒に焼く。それに「温サラダ」で、ポテト・人参・タマネギ・卵を茹で、オリーブオイルと塩胡椒で味を調えた。最後に「ふんわり卵焼」でお仕舞。

                 

 

 

 

 

 

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授賞式

2017-07-24 | Weblog

7/24(月) 先週の金曜日、帝国ホテルにて「社会貢献者表彰」(主催:会貢献支援財団)が行われた。所属する認定NPO法人「地球市民の会」が受賞し、一員として式典に列した。

今回の受賞者は、人命救助の功績で11件、社会貢献の功績によるものが17件であった。表彰とともに、何件かの活動が再現映像や、現地取材の映像で紹介され、非常に判り易くて感銘した。受賞者への賞状の授与は、支援財団会長である安倍昭恵さんだった。当会からは、会長の佐藤昭二が代表として授与された。

何時もはにこやかに破顔大笑の佐藤会長が、檀上では厳粛な表情で厳かに賞状を拝受し、受賞者たちと並ぶ姿がひときわ立派だった。流石に年の功と云うか、手練れと云うか、艱難辛苦を乗り越えてきた人間ならではの風格を感じたのは私だけではなかろう。

                             

授賞式後のパーティも華やかで、社会貢献支援財団を支援する、日本財団の笹川会長の挨拶は砕けた中にも、社会貢献活動を支援する財団の本音が現れていた。曰く「今日の受賞者の他にも、数多の善行をする人々、団体が存在する・・・、この輪が何時までもつづき広がるように、云々」と。

偶々、光があたってこの会場にいる。それだけのことであるのは間違いない。小さな活動であるだろうが、それを継続し、その輪を広げる。簡単なようで簡単でない。強い意志と、継続する根気。常に創意工夫を重ねていかねばならない。光とあて、労い、背を押す。その為の財団があると云うことに意義があろう。

              

硬いことはさておき、パーテイではしこたま喰っちまったよ!。 握り寿司に天麩羅、ローストビーフ・・・etc。佐賀から上京したメンバーもしっかりと喰ってたねぇ~。

オイラの場合、しっかりと喰うべき理由があったさ。それはねっ、この財団はモーターボートの収益で運営されていると云う事実さ。となれば、オイラはそれなりに貢献してるのは間違いない。と、云うことで江戸の敵を長崎ならぬ、平和島の仇を日比谷・帝国ホテルで晴らそう…となった次第。貧乏人はやだね

五時前にお開きとなり、皆で有楽町の居酒屋で打ち上げとなったが、一向に食も酒もすすまない。無理もなかろう、散々に飲み食いをした後だもの。

後日談、日曜日の午後。奈加野のオヤジと平和島に参じた。処が、帝国ホテルで飲み食いをした以上に、ボートレース団体に貢献をした。これも社会貢献の一助と思えば?腹も立たず、功徳と諦めがつけばいいが。帝国ホテルでの義理を、平和島で返したことになった。それも十二分にだ。

 

土曜日の夕、ひと足早く土用(すでに土用入りしてる)の丑の日を先取りし「ウナギ」を喰うことにした。ウナギといっても、そん所そこらのウナギじゃないよ!

今や幻とも云われる「安田川の天然ウナギ」様だ。様を付けなきゃならないほどの貴重品さ。親戚のKATUOが捕って隠していたのを、召し上げた。ただじゃないよ、断っておくけど。勿論、要らぬと言うのを、相応の対価を渡しましたよ。すると奴は、おまけにもう一匹持ってきたが、これが900gの身幅が厚い上物だった。

最初に持ってきたのは1Kgだったが、こっちの方が痩せている。捌いてあったが、その捌いた冷凍を計ると900gの方が重かった。日本ウナギ特有の腹回りが黄金色をした上物であった。

                         

長さは90cmほど、開いた身幅は胸で14cm程であった。これを喰うべく、タレを作って焼いたのである。炭を熾すのが面倒になり、ガスレンジで焼いたので、画竜点睛を欠いたが。流石に美味い、旨いねぇ~。実に美味いのである。匂いが届いたのか、長女一家まできやがった。

そして、鮎を甘露煮にした。今年の鮎は未だ小さい、小さくて身が柔らかいので天麩羅がいいのかもしれないが、甘露煮だ。処が、こっちの方は誰も喰わない。一人でせっせと喰う破目になった。

                           

 

金~日曜の深夜、ゴルフの全英オープンを見る結果に陥った。お蔭で今日も眠い。今朝も、その眠さを振り切って台所たった。

 

今日の弁当は家人一人なので、簡単なものにした。手を抜くつもりはないが、土・日と栄養を十分に摂取してるんで、少し軽めにしないとネ!。と云う次第で。

で、「メカジキの照り焼き」「人参・牛蒡の豚巻炒め」「オムレツ」「土佐天煮漬け」と、云うメニューである。ご飯の上に、アミ佃煮をのっけて完成。

                     

手抜きであって手抜きに非ず。取り敢えずの品々ち云うべきか? 今日は全て、茹でるも、煮付けるも、炒めるも、フライパン一つで済ませた。これぞ手抜き?

                             

 

 

 

 

 

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子供弁当

2017-07-21 | Weblog

7/21(金) 今日も朝から暑いねぇ~、夏と言うのはどうしてこうも暑いのか?天文学的には、高気圧がどうたらこうたらで、低気圧がどうたらで・・・とか云うんだろうが。何はともあれ、暑いものはあついのだ。

昨日はアロハだったが、今日は午後から帝国ホテル。ここで社会貢献表彰とかを、所属するNPOが受賞するのでそれに立ち会う。晴れの舞台(舞台に出るのは会長で、私じゃない)にアロハじゃ失礼かと、日本人的な発想でスーツを着てきた。ワイシャツは勿論長袖だが、流石にネクタイは止そうと思うが?

昨夜は予定通りに前夜祭と称して前祝をやった。五時半に人形町駅に集合した、佐賀・熊本からのお上りさんを引き連れて、「うまし」へ。七名から八名に変更になり、更に直前になって十人との連絡があった。テーブール席から座敷に変更依頼と、ばたついたが、蓋を開ければ当初の七名でスタートだった。

熊本からは、佐藤会長・山口理事長、佐賀から岩永事務局長・山下副会長・多良理事・西村理事で、一同式典が行われる帝国ホテルに前泊であった。当初聞いていたのは、宿泊先はバラバラとのことで、人形町駅集合も余裕をみて六時半にしたのだ。これも、蓋を開ければ同じホテル宿泊で、三時にはチェックインをしていた。人形町からは日比谷線で直ぐの処、前祝のスタ―ト時間を一時間繰り上げた。

散々に気を揉ませてくれたが、馴染の顔を見てジョッキを掲げればそんなことは飛んでいく。「うまし」の魚・肴はすっかりお気に召したようで、会話も弾む。途中で、函館のHASHIMOTO氏に電話をして元気な声を聴こうとなり・・・・、声を聴き体調のことなど訊き、原稿の進捗などまで聞く。『俺の目の黒いうちに仕上げてくれ~、そう長くはないから』など、家の老母が言うようなことを云ったのであった。

「うまし」で二時間ほど経ったので、次の店へ移動することにした。直ぐそばの「ちょっぷく」に行くと満席!とのこと。じゃあ「セイジュ」かと・・・、なんと店が未だ開いてない。「高松」に電話をすると、珍しいことに空いていたのだ。議員をしているSAKAI君も到着し、八人でゾロゾロと「高松」に向かう。

名物の「金魚ソーダ割り」を紹介して、飲ませる。暫くし、理事長の息子が彼女と一緒に姿を見せた。年内に式を挙げるとか挙げないとか。『そんな面倒なものは止めちまえ』なんていい加減なことを云うのは俺さ。ここでも二時間ほど騒ぎに騒いでいた。

                    

店も仕舞いだからと人形町駅まで送り、独り酒をと、「セイジュ」の前まで来てみると、店内から賑やかな声が・・・。ならば止そうと「ちょっぷく」へ。なんとHOYA兄いが居た。白ワインをYAMAちゃんに所望したが、チケットを渡した覚えはない。

学芸大着は23:13分。東急ストアで今日の弁当食材を少し仕入れてからの帰宅。冷蔵庫に冷えたカット・スイカが在ったので、食した。このスイカはデカかった。先日の帰省で、親戚のKATUOから貰い、わざわざ送ったものだ。味見をしなくちゃ申し訳ないからね。

 

そして朝を迎えた。起床は六時。爽やかな目覚めとは云い難い目覚めながら、弁当だ!

今日の弁当には特別な一つがあるのだ。長女が宿直勤務のため、学童保育に行く一年生のSORAの弁当を頼まれているのだ。

 昨晩の帰宅前の買い物もその一環で、スライスハムとミニトマトを買った。子供用らしく、鶏唐揚げ、胡瓜のハム巻、卵焼き、好物の蒲鉾、竹輪胡瓜などで構成した。ご飯は俵型の塩ムスビにする。

               

家人用に、薄切の漬けマグロをオリーブオイルでソテーした。今日の弁当は子供主体。それも致し方ない・・・・。

                     

 

 

 

 

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快気&オムスビ&前夜祭

2017-07-20 | Weblog

7/20(木) 昨夕は、OB会の理事会に引き続き懇談会であった。その懇談会の途中から退席し、人形町に戻った。と、いうのは、佐賀からNAKAMURA大将が上京するとFBで連絡があったから。

NAKAMURAさんは、五月下旬の深夜に転倒。頸椎を傷めて手術、再手術とつづき今月初旬に退院できた。退院後は、自宅から近いと云う、佐賀・熊の川温泉に浸かって静養していた。それが漸く上京の運びとなったのだ。

となれば、何をさておいても人形町パトロール隊を称する酒場仲間の帰還を、快気を祝さねばならぬ。こう云う次第で、地元人形町に戻ったのである。

先ずは何処で落ち合うかだ。マッチャンに連絡をするが、なかなか掴まらない。漸く掴へると「丁度、NAKAMURAさんから連絡あった」とのことで、「ちょっぷく」で合流することになる。

NAKAMURAさんは顔色もよく、入院で体も絞れて病後を思わすものはなかった。が、体力の衰えは甚だしくて、急な動きをするとフラつくとか。酒の方は三杯までにしていると言う。マッチャン、HOYA兄いと顔を揃えて、先ずは快気の「乾杯」をした。そして入院中のこもごも、不在中のパトロール隊の活動など語り合った。

一軒で切り上げたNAKAMURAさんと別れ、三人の足はいつしか「セイジュ」へと向う。店は例の如く、閑散としておりご高齢のママさんは、折り込みチラシらしきものをカウンターに広げて見入っていた。『おや?今夜も貸切かい?』とタメ口をききながらカウンターに腰を下ろした。持ちこんである角で濃い~ハイボールを飲る。

客はいないし、歌でも唄おうぜと、選曲をしマイクを握る。握ったのは勿論、「唄う灌水親分」のHOYA兄いさ。勿論もちろん、歌は演歌、演歌縛りさ・・・・・。

マイクを握り握られで二時間ちかく、独り客が入ったのを汐に二人を残して「お先へ」と席を立った。メトロの改札へ降りようとし、なんか変だな?と気付く。とんだボケオヤジだ、ジャケットを店に置いたまま出てきたことに・・・・。

取に戻って、照れ隠しに「トイレトイレ」と小用を済ませて、あらためてサヨナラ・サヨナラしたのであった。乗車前に気付いてよかった。一昨日の帰京では、地下鉄の網棚に土産を載せたままで下車。ハッとした時には、ドアが閉まっていた。五つ先の駅まで、取に行くという失態を演じていたのだ。

帰宅は23時20分。まずまずの帰宅時間であった。前夜が三時過ぎの目覚めで、睡眠不足。そんな事情で、マッチャンと兄いには申し訳なかったが先に失礼をした次第。勘弁してくんな 

今朝は六時の起床。隣の部屋から家電のベルが鳴っていたが無視。弁当のメニューは、全くの白紙で台所に立った・・・・。その後、家電は二度三度と鳴った。田舎の老母からだった。「いつ戻ってくる?あたしゃもう死にそうだよ」とボケたこと言うのだ。何時ものことながら・・・・。一昨日、それじゃお盆にと別れてきたと云うに・・・・。

家人が「今日は時間がないので、オムスビにして」とのオーダー。弁当メニューが白紙でよかった・・・・。

ご飯を炊き、オムスビ用に一切れだけ残っていた鮭の尻尾を焼く。後は、梅干しだ。

菜の方は要らないと言うが、そうはイカンザキ。と、ゆで卵と卵焼きを作る。長女の分もあるので、ソーメンサラダを作ることにした。レタスと胡瓜の千きり、サラダ玉ねぎを薄切にし、茹で上がったソーメンと野菜をオリーブオイルで混ぜる。味付けは塩胡椒に酢を少々と簡単なものだ。

              

そんなことで、今朝の弁当は早々と出来上がったのである。

                           

 

今夕は佐賀から大挙?して、地球市民の会の面々(会長・理事長他)が上京する。明日の午後、日比谷の某ホテルにて「社会貢献表彰」なるものの授与式があり、それに出席するためだ。

公益財団が主催するその式典への招待状は、私にも届いている。私ではなく、私が偶々代表を努めている「地球市民の会 東京」代表としての私しにだが。佐賀から一緒に出ようと言われたのが春先の四月。随分先のことを云うなと思ったが、季節が巡るのは早い。明日になった。

明日のセレモニーや祝賀会が終わるのは五時、それから打ち上げで一献交わすことになった。が、若い事務局長のIWANAGA君は、日曜日から始まる留学生のホームステイの準備などで(多分)、その日のうちに帰佐すると云う。折角上京すると云うのに、江戸の町場で酒も飲まずに帰るんじゃ気の毒と、今夕は人形町で前祝をやることにした。

衆議院議員になったSAKAI君も参加したいとのことなので、総勢八名になるか。今夜も、人形町の夜は熱くなりそうだぜ

 

 

 

 

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シンプル弁当

2017-07-19 | Weblog

7/19(水) 昨夜は、「ローカーボ」でハイボールを軽くやってから真直ぐに帰宅。帰宅時間は22時と、すっかり真面目オヤジに変身だった。蒲団に入ったのは23時頃か、何時の間にやら寝入っていた。

目が覚めたのが午前三時過ぎ。ちょっくら早すぎる目覚め!再度眠ろうとしたが眠れない。アルコール分もすっかり胡散消滅し、正気になっている。スタンドの灯りを消したが睡魔は降りてこない・・・・。儘よと、空港で買った文庫本を読み始めたのであった。

六時ごろに読了し、台所に入った。先週の木曜日、帰省前に弁当を作って以来だが、今朝はシンプルな弁当に決めていた。帰省中、あれやこれや作ったので、その反動かな?

先ずは電気釜に飯を仕掛け、菜に入る。菜は、田舎でつくっている長茄子の味噌炒め。他には塩秋刀魚&紅鮭の切り身を焼く。そして卵焼きを作り、蒲鉾を切ってお仕舞の予定。だったが、青物がないなと気付き、冷蔵庫からインゲンとシメジを取りだした。

                      

インゲンを茹で、シメジとソテーして一品を出現させた。長茄子の味噌炒めには、豚バラを一緒に炒めた。唯一の料理らしき一品と云えよう。

斯様にして、シンプルを旨とした弁当が完成である。

                      

 

関東も漸く梅雨が明けたらしい。何を今更、梅雨明けだ。と、言いたいところだ。冗談じゃねえぜ、オイラの予報じゃとっくに明けてら~、と犬の遠吠えをしたところで始まらねえが・・・・。

YOSHIOとのランチタイムコーヒーの後は、品川まで外出だ。役員改選後の初めてのOB会理事会がある。会の後は、お決まりの懇談会と云う飲み会がある。てなことで、今夜は人形町パトロールには参加できそうにない。品川駅前の赤提灯で、二次会となりそうだから。

 

 

 

 

 

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田舎暮らし

2017-07-18 | Weblog

7/18(火) 13日から今日までの田舎暮らし。ボケオヤジは更にボケが進んで、浦島太郎の状態で帰京した。残念なことに、我が田舎にはタイやヒラメの踊りもなければ、美しい姫もなく、居たのはオオボケの老婆だけだった。これじゃ玉手箱も貰えないばかりか、出費が嵩むだけだのことだが、致し方ない。

郷里では鮎シーズン真っ盛りながら、小さい鮎ばかりで身も締ってない。とは云いながら、義弟&同級生のHIROKAUが夕暮れに捕った鮎を二三日つづけて貰った。焼いて食す一方で、獲れたての鮎を「鮎寿司」にしてみた。

自分からするといまいちな感じがしたが、振舞った妹夫妻や従姉は「旨い~」と、好評を博した。作りたてより、一晩寝かしたほうが酢が馴染んでいいようだ。

郷里では連日の猛暑、カンカン照りであった。そんな一日を畑で遊び、草刈などに興じた。その帰り、橋の上から川を見るとHIROKATUが鮎の友釣りの最中であった。暫く見ていると、橋の下で漸く一匹を掛けた。この夕、妹が獲れたての鮎を十数匹届けてくれた。夕飯の後、これを「鮎寿司」にしたのだ。

                  

町の三セクでやっている売店に寄ると、なんとこの小さな鮎が、五匹で2800円だかで冷凍パックされて売られていた。鮎寿司にしたのより、もっともっと小さい鮎なんだけどね!。買ってく人がいると云うことか・・・。

畑の方は、栗の大きな枝が折れていた。先々週の直撃台風の所為だろう。大きいだけに強風の影響をもろに受けるのだ。昨年もボッキリ折れた枝があったが、大きい故の悩み?。

俺なんか、小さく生んでくれた母親に感謝しなくちゃ・・・・・。何しろ、体も気も態度も小さい(腹は太ってるが)。控えめと遠慮の塊、存在さえ虫メガネがなきゃ見えないぐらいだからネ。狂風だろうが、台風だろうがヒアリだろうが・・・、存在に気付きもしないだろう!

畑の蜜柑は、今年沢山収穫した小夏は超少ない。ハチヤ柿(渋柿)が初めて実を付けたが、これがやたら沢山なっている。晩白柚(バンペイユ・熊本特産の大蜜柑)が、二年ぶりに実を残している。それも五個も残ったが、樹が重みに耐えれそうもない。実生の文旦は、初めて花が咲き、小指ほどのさな果実が一つだけ残っている。

                     

                晩白柚          大きいのが栗         掃除後の金魚

蜜柑の樹がたわわに実をつけるまで、後十年か?。果たして、それまで生きているのかな?

一方、帰省中に収穫した野菜は、胡瓜(でかくなりすぎ)、茄子(これもでかすぎ)、ピーマン、ズッキーニ(これは小さい)、スイカにオクラだが。この最後の二品が問題だった。

スイカは児玉だが、熟れ過ぎで一番おおきなのは中が半分とろけていた。オクラは皮が堅くて始末が悪い。オクラは肥料と水遣りが大事だそうだが、そんなことはむりだわねぇ~。

毎日、胡瓜の酢物と茄子煮、茄子の味噌汁が定番。他には作った菜は「タイカレー」(これは、東京から材料を送った)、「春巻き」「酢豚」「トンカツ」「掻揚げ&鮎の天麩羅」「カボチャ煮」「鶏唐揚げ」「ピーマン肉詰め焼き」か。ソーメンや焼きそばまで作った。鮎塩焼きや鮎寿司は料理と云えるのかな?

 

と、まあ~老母の繰り言を百万ベンも聞かされながら、暑い日々を送ったのであります。

 

 

 

 

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