オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ゴムのような・・・

2017-01-31 | Weblog

1/31(火) 2017年の正月の月も今日で終わる。時と同じく暦は捲られて戻ることはない。有るのは明日、未来だけなのだ。が、人間は過去に遊ぶことができると云う脳の仕組みを持っている。だからこそ、明日を描けなくなlっても生きていられるのかも・・・。

斯様な意味不明のことを常日頃から考えている分けじゃないが、そんなことが時々浮かんでくる。幸いにも、先は短そうな気配だ!

今朝の目覚めは四時半だった。目覚めた時、天気が悪いのかな?そん風に思ったのだが、さにあらず。街灯の灯りがカーテン越しにぼやけていただけのこと。二度寝もできず、蒲団の中で一時間ほど本を読んで過ごした。

そんなことで、台所に入った時間は早かった。電気釜の中にご飯が少し残っていたが、二人分の弁当には足りない。鍋で米を炊くことにした。米を磨ぐ水の冷たさは、間違いなく真冬だね。研ぎ方に、鋭さも丁寧も丁重もない。おざなりと云うほどじゃないが、適当になるのだ。

お湯で米を磨いだことは一度もないが、そんなことしてもいいんじゃねえぇか?そんな不埒な考えも過るが、勿論しないさ。弁当オヤジとしちゃ、そんな邪道は許されない!絶対に美味い飯に炊きあがらないだろうと確信的に思うからネ。

さて、菜の方だが、昨夜の帰宅は珍しく早かった。今日の弁当用に、駅前の東急ストアで「ステーキ肉」と「明太子」を買っての帰宅であった。牛肉が最近のメニューになかった。明太子も同様である。乏しいオヤジのお小遣いは、こうして減っていくのだ。

とは云いながら、牛肉はアメリカンビーフのステーキ用。お値段は、一枚840円と安い! 明太子は500円くらいだったか。堅くてゴムのようなアメリカンビーフはどうしょうもないが、和牛の値段の四分の一じゃ、軽い財布しか持たないオヤジとしちゃ背に腹は代えられぬと云う次第さ。このゴムのような肉でも柔ら化鵜する方法があるはずだが・・・・。面倒なので赤ワインに短時間漬けただけで焼くことになった。

明太子を焼き、茄子と豚小間の味噌炒め、小松菜と薄揚げの煮物、ゆで卵が今日の弁当である。

                          

二人分の弁当を作り、アメリカンビーフを試食したが・・・・・。まるでゴムそのまま、そんな歯応えと喉越しだ。喉に詰まりそうになったぜ 。肉は「日山」に限ると、あらためて実感する。

                         

ゴムのような肉じゃ、ブラック企業のように日夜の仕事に勤しむ家人に申し訳がないな。乏しい財布の中身ながらも、今夕あたり「日山」に寄って柔らかい肉でも仕入れるとするか? 今更、代わりの女房が現れることもなかろうしな・・・・。

 

女房と云えば、かつての職場で一緒だったT君が再婚したとのことだ。先週、彼が勤める某社を訪問した折に、耳にした。その折「未だ報告してないんで、怒られる」と、言ってましたと聞いたのだ。『お目出度いじゃない、奥さんを亡くして随分経っ。オメデトウと、伝えて下さい』と伝言した。

翌日、T君から電話があった。『良かったな、お祝いで一杯やろう』そう伝え、今週会うことになった。一年ぶりになるか、楽しみである。

T君とは横須賀で一緒だった。最初の初夏、管理する社宅を視察するため、T君の車で三浦半島を廻った。当時は半島に6~7ケ所の社宅を管理していた。最初に彼等が住む社宅に寄ると、丁度枇杷が熟れていた。それを採って口に入れると、汁がネクタイにしたたり落ちた。大笑いをした、された。

ゴールデンウイークの谷間の平日、出勤している社員とランチに外出することになった。車で20~30分程の所に葉山牛を食べに行くことになった。すると、出勤していた全員が、ゾロゾロと移動したのだ。まさか 誰か留守番が残るだろう ! 総務全員がランチ外出したのだ。これにゃ驚いたね、晴天の霹靂たぁこのことだが、オイラもいい加減だから咎めなかった。

そんなことが許される職場だったんだな。いい職場だったよ。其処で、二年間一緒だったのがT君だ。彼の自慢の奥さんだったが、癌であっけなく逝ってしまった。それから五・六年程経ったか・・・・。

 

 

 

 

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河津桜咲く

2017-01-30 | Weblog

1/30(月) 河津桜咲く、といっても彼の伊豆半島の河津川沿いの桜並木のことじゃない。我が家の玄関先に置き、鉢植えにした河津桜のことだ・・・。

正月明けから、蕾が膨らんでいた。随分早いなと思っていたら先週末には蕾が開いたのであろう。昨日の昼、外出しようと出るとピンクの花弁が開いて三分咲の様相だったのだ。花が咲いたのを見ると、気分まで明るくなるのは何故だ?花の魅力と云うやつか?

                              

この河津桜は、雪が降り出した河津川を歩いた三月(だったと思うが)、記念に小さな苗木を買ってきたものだ。花が咲く頃になると、あの時のシーンが甦る。TUGAWA&HANAOKAの盟友と一緒だったあの冬の小さな旅のことが。

河津からの帰路、座った電車の足元に置いても邪魔にならない苗木だった。とはいえ、鉢植えにして芯を止めたので背丈は伸びないし、枝も広がっていない。ながらも、花を咲かせてくれるようなって十年は経とうか。昨年辺りから咲くのが早くなった。それまでは、本家の花見シーズンが終わる頃に漸く咲いたのだが。

                              

年数が経ったので早く咲くようになったと思うが、温暖化も影響しているか。今年も年明けまで寒くなかったからね・・・。一方、これも鉢植えだが「蝋梅」の開花が遅くなったように思う。ともあれ、今ふた鉢の花木が咲いている。

                              

今朝の出勤時、隣の八百屋の小母さんに声を掛けた。河津桜が咲きましたよ、と。すると、「通りがかりの人が、みな足を止めて見ていきますよ」と教えてくれた。『そりゃ、嬉しいですね』と応じた。二月を前にした季節外れの今日の陽気が、一層暖かく感じた。

 

さて、今日の弁当となるが。今朝弁当箱に収まったのは「豚肉の生姜焼き」「塩鯖焼き」「鯵&マイワシのフライ」「卵焼き」である。

                            

この内、フライは昨晩の菜の残りものだ。昨日、目黒郵便局か平町の理髪「飛騨」と廻り、帰りに先月にオープンしたスパー・イオンに立ち寄った。イオンに模様替えされる前は碑文谷ダイエーとして、東の旗艦店だった。それが、イオンに模様替えされた。変ってから一度も入ったことがなかったので、どんな風になったのかと、散髪帰りに覗いた次第。

一階は前と同じで生鮮食品売り場だった。魚などの売り場は前より広がっている。並んだ生鮮食品を品定めしながら歩く。安いね~、そんな印象が第一。安い序でに、晩飯の菜を買う気になった。とはいいながら、財布の中には三千数百円しかないが。

魚売り場の前で暫し佇み、思案の末、買ったのが「鯵&イワシ」の捌いた代物。小形の鰺五枚と土佐沖のマイワシ四枚で、併せて千円程か。それと塩サバを弁当用に買った次第。一方、肉の売り場の方は狭くなったようだ。その中から、生姜焼き用の豚肉を一皿買ったが、これも翌日の弁当用である。財布の心配がなきゃ、もっと買い込んだに違いない。

帰宅すると、横須賀の埼玉家さんから「生若布」が届いていた。1月から新若布となり三月頃までつづくと、調理法を記したメモに添え書きしてくれていた。

鰺とマイワシをフライに、併せて茄子のフライトサツマイモの素揚げも。若布を茹で、酢の物と煮物にする。暇だったので、出汁を利尻昆布とカツオ節でとり、大根を煮る。味噌汁の出汁にも使い、自然薯を摺って団子汁にする。そんなことで、大食・過食の夕餉となっていた。

                             

前夜の残りのフライも加わり、イオンで初買い物の鯖塩と豚生姜焼きに定番、上々の出来栄えの卵焼きの弁当が二つ。目出度く仕上がったのである。

                             

 

 

 

 

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弁当だッ!

2017-01-27 | Weblog

1/27(金) 昨朝は六日ぶりの弁当作りだった。田舎でも専ら飯作りに励んだが、弁当となると些か気分が違う。六時前から冷蔵庫を漁り食材を探した。その結果できたのが、次の写真のとおり。

                         

「豚ヒレのトンカツとタマネギフライ」「塩秋刀魚と鯖文化干し焼き」、小松菜の煮浸しと芽キャベツ、炒り卵、チジミ風のお好み焼き、以上であった。この日は二人分の弁当。

                   

 

昨夜は熊本は阿蘇の麓、高森町(町とは云え、大いなる田舎)で農業に従事して六年となったSEIさんを迎えての懇談。TUGAWAを交え、田舎暮らしのあれこれについて聴いた。

「これからは農業だ」と、都会でのIT系の会社経営を止めて帰農しただけに、その思いは熱い。地域外から六人の助っ人も現れ、合宿所のような暮らしで様々な作物や畜産にまでチャレンジしているとのことだ。が、閉鎖社会とも云える田舎では、周囲の理解を得るのが難しいとか。如何に溶け込むか、あれこれについて語ったが・・・。光明は、地元の高齢者が参加してくれることになったそうで、そこから理解者が増えることに期待しているとか。

飼育している鶏二百羽が、朝餌を遣りに行くといなかったとか、道路沿いの畑で作っている青物が数百株荒らされたと聞くと、新しい試みが受け入れられるまでの難しさを実感する。地元出身で、地区の役員を数々任されるUターンの彼でさえそうならば、ましてやIターンで何かを為そうとする苦労は計り知れないだろう。

来月は種の受け取りに高知に来ると云う。ならば我が家に泊まるようにと勧めた。スケジュールを合わせて、我が郷関で一杯となろう。何年か前、彼の高森の実家(築二百年以上という)に泊めてもらったことがある。そのお返しができそうだ。

 

今朝も六時から弁当作りとなった。「鶏唐揚げ」にジャガイモと人参の素揚げもついでにする。魚はギンダラ粕漬けと鮭焼き。小ぶりの水餃子とシメジ・芽キャベツなどを煮る。卵焼きは久々に「ホウレン草の出汁巻」であった。

                      

残念なことに、弁当は一つでよかったのだ。全てが仕上がってから指摘されたのだが・・・。どうすんだよ、こんなに残って!と云いたい。

                   

 

 

 

 

 

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畑焼け・・・

2017-01-25 | Weblog

1/25(水) 本日帰京し、陽が落ちる前に会社に入った。スタッフの一人が顔をまじまじと見て「飲んでるんですか?」と訊く。『そうじゃやないさ、畑で焼けたんだよ』応じた。飲んでるといえば、空港へ向かう前の朝食事に缶ビールを一つだけ開けたが、飲んでるというには時間が経ちすぎているし、量もしれている。

この日焼けが、ワイハあたりで焼けての帰国であれば意味もあろうが、老母相手の帰郷で畑焼けでは洒落にもならんな・・・・・。それにしても、老母の繰り言を毎度ながら聴かされるのは結構草臥れるよ

妹夫妻に送って貰い、随分と早く空港に着いた。が、空港内のレストランで生ビールを口にすることはなかった。

先週、土曜日の午後は白金台にアトリエを構える料理家JIN先生の宅にて第一回「オヤジの料理教室」が開催された。この日集ったのは、人形町界隈を根城にして飲み歩く面々、HOYA兄貴、NAKAMURA御大に加えて、当社のAOKI&FUJIKURAの独身中年に女性カメラマンのHANADAさんと云う方であった。悪徳不動産屋は仕事が入ったとのことでドタキャン。

生徒六人に、先生と助手のJINNOさん。人数的には丁度よかったかも。この日は、リクエストしてあった「出汁のとり方」であった。これは、先月だったか悪徳マッチャンが、事務所で鍋料理をやったそうだがこれが滅茶苦茶だったとの話をもとに、お願いをした次第。肝心の張本人はいなかったが。

鰹節と焼き干し(青森風)の出汁のレシピに基づき、其々が実践し味見をした。そして、作った出汁をベースにヤリイカの鍋を作った。ここでのポイントは、ヤリイカの捌きかたで、イカを手にして悪戦苦闘しながら下ろしたが、HOYA兄貴の決断力に富んだ下ろしが光った。持参したキャベツで、千切りをやってもらったが、ぎこちなさがよかったネ。

                

捌いたイカと野菜を加えた鍋を煮始めた頃に、JINパパが登場。「早く飲もうと」矢のような催促が・・・・・。先生がちょっと早いがといいながら、ビールを開けるのを許した。後はビールを飲りながら騒々しく「ふりかえり」と称する飲み会になっていった。教室に参加しなかった某出版社の女性編集者も現れて、賑やかな宴会と化したのであった。

二時間半の教室に対し、飲み会の方は三時間に及んだ。とうとう、カラオケだと騒ぎ出したのは元気一杯の某編集者であったか。それを潮にお開きを宣告した。腰の重い面々を残し、翌朝の帰郷準備もある小生は、去ったのであった。後は野となれ山となれだな!。言いだしっぺとして、気にはなったが・・・。

 

日曜日、平和島のボートレースに後ろ髪を引かれる思いで羽田空港を後にしたのは、10:45分発のANA便。高知空港に迎えてくれた妹夫妻の車で実家へと向かう。途中の安芸市内のスーパーや魚屋での買い物も毎度のこと。遅いランチはウドン店で済ませたが、三人で千円とはいいねぇ~。

帰宅後直ぐに、車庫の横にある畑で「文旦」を収穫する。チョット遅い収穫であるが、カートに六ケース程あったか。一月程寝かすと食べごろになろうが、所詮はほったらかしの作物だ。他人様に差し上げられる代物じゃないのが残念。半分は腐らして捨てる運命である。

                           

文旦の脇に在る金柑も鈴なりだが、獲りはしない。二三粒口に入れると、甘酸っぱい金柑特有の味が広がった・・・・。これが結構、美味いのだ!

月曜日は昼前から川向こうの畑に行く。朝早くに出ないのは、老母が起きてこないのと、山影なので早い時間は霜や露で濡れているから。HIROKATUに柚子の樹にエンジンオイルを散布してもらう。これは農薬じゃない。その前に、文旦やポンカン・ネーブルを収穫するが、ここの樹は小さいので量は少ない。それに、樹が若い分だけ味の方もよくない。これも他人様に差し上げられない・・・・。従姉達は喜んで持ってくが。

                     

火曜日も老母に遅い朝飯を供してから川向こうの畑にて遊ぶ。焚火をし、剪定した果樹の枝を燃やす。人は火の傍にいると心が落ち着き和む。太古からの遺伝子の所為かな?それとも小生が、古代人のまんまの生物かな。この説は、妙に納得するが。

                           

これは月曜日の夕餉、この日は揚げ物がメインで「トンカツ・ナス&椎茸のフライ、ピーマン&茗荷の天麩羅・掻揚げ」「カツ丼」、「大根&手羽元煮」「猪鍋」に味噌汁、野菜サラダ等であったか。今回の帰省では大根をベースにした煮物をよく作った。大根は従姉妹が直ぐ隣の畑で作っているので、抜いてくればいいのだ。冬の大根は美味い!

                        

上記の他に、シマアジの刺身、アオリイカの刺身(これは絶品)、牛焼肉、鶏&豚の鍋、茄子と挽肉の味噌炒、鳥団子と大根の煮物、シチュー等々。これじゃ痩せる間が無いぜ。今回も、そんな日々であった。

 

 

 

 

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冬野菜

2017-01-20 | Weblog

1/20(金) 昨夕、M氏が会社まで来てくれた。ご丁寧に、彼が丹精を込めている野菜をバッグに一杯入れて。里芋・キャベツ・芽キャベツ・ホウレンソウであった。大根・白菜は秋の長雨にやられて失敗、芽キャベツは防虫ネットを掛けてあったので助かったとのこと。

彼は平塚生まれの平塚育ち、一反の畑で野菜を作り始めて何年経つだろうか。耕耘機まで買って本格的にやり始めているが、退職したら更に本格的にやるつもりだ。近所の農家から「うちの畑を使ってくれ」と言われているとのこと。高齢化と後継者がいない農家にとっては、耕作して貰えるだけで有難いようだ。

東京近郊の都市部に近い所でさえこのありさま。私の郷里や、KATUTAが住む伊予の久万高原あたりではもっと深刻であろう。彼が希望した「高松」で金魚湯割りを飲みながら、作柄や育て方について話を聞く。ついでに、猪や鹿の獣害について訊くと、それはないとのこと。あるのは烏による鳥害と、大きなゴミを畑に捨てていく輩がいることだと云う。平野部の交通至便なエリアならばこその悩みであった。

頂戴した野菜を一部持ち帰り、早速今朝の弁当に使ったことは云うまでもないが・・・・。そのことは、後程。

「高松」から「ローカーボ」と渡り、ここでは何時ものハイボールを飲る。明日の午後、料理家のJIN先生ところでやるオヤジの料理教室第一回に参加するNAKAMURA御大が仲間を連れて飲んでいた。明日は、宜しくと互いに挨拶を交わした。

                              

平塚まで帰るM君のこともあり、二軒で終えた。お蔭でご帰還は23時と早かった。今日は九時半過ぎにホテルグランドパレスに入る。それに備えて零時には蒲団に入り、ラジオもスタンドの灯りも消したのであった・・・・。

目覚めは五時半、起床は六時である。さあ、弁当だと台所に入る。

今日のメニューは「ロールキャベツ」と、前夜から決めてあった。ご飯を仕掛けた後、キャベツ(これは買い置き)を茹でる。前夜に冷凍庫から取り出しておいた挽肉を出し、タマネギを刻み混ぜ合わす。塩胡椒とパン粉・溶き卵を繋ぎに醤油を垂らし、味醂を少々加えた。

M君の里芋を剥く、すると寒に喰われたのであろう身が寒さやけしていた。この部分をカットし、下茹でをする。里芋の煮物、小松菜と薄揚げの煮物、頂いたホウレンソウで胡麻卵炒めを。今日は野菜を使った弁当にした。最後に鯖文化干しを焼いてお仕舞にした。

                               

今日は二人分の弁当であった。小僧が家を出てから、残り菜と飯が余る。家人に晩飯で食べてよ、と言うが…、昼夜同じじゃ気の毒でもある。そこでオイラがせっせと喰う、これが肥満大敵と知りつつも。男は辛い! 寅さんの気持ちが判るよ。

                           

OB会の新年の集いの最中、携帯に着信があったことを後で知った。パーティの最中は騒がしい、着信があっても全く気付かなかった。電話の相手、目黒の某社にいるT氏にコールバックした。「今夕行くつもりだけど、大丈夫?」とのこと。要は人形町まで行くよとの確認であった。

来るものは拒ばない主義だ、いいよと軽く返した。と言うことは、パーティ後の関係者の慰労会に顔を出さないと云うことになるが。昼間から長時間飲んでると草臥れるばかりか、下手するとそのまま夜の部に突入となる。

日曜日から水曜日まで帰省する。ここは一旦会社に戻って置いた方が落ち着くだろうと、二百数十名の会員たちが引き揚げたのを見計らって社に出たのは三時半であった。ご苦労様と、役員やお手伝いの面々が飲んでいる時間だ。

六時前には「高松」に行く必要がある。Tが目黒を出て付く時間なのだ。昼間の電話で『どんな店がいいんだ』と訊いた。すると「あの蕎麦屋がいい」と応えたのだ。昨夜のM君もそうであった。新年なので、顔を出してない店にでもと、こっちは思ってるのに揃いも揃って「高松」に生きたがるのだ。

女将さんの客あしらいがいい、おまけに・・・(美形で優しいのだ)。まあ彼らの気持ちは判らんでもないが・・・・・。そんな次第で、今夜も「高松」からスタートするのだ。

 

 

 

 

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豚ヒレのソテー

2017-01-19 | Weblog

1/19(木) 昨夕は、銀座で知人の誕生祝を軽くおこなった。四半世紀も前に三年間在職した、広告宣伝の会社にマーケティングの専門家として移籍してきたのが出会いだった。営業や媒体の部長職だったので、幾つかの企画で世話になった。が、昨夜話をしていると彼と一緒に在籍した期間は半年余りと短かった。

彼は私のことを、同じようにどこかの広告代理店からの移籍組と思っていたそうだ。あにはからんや、こっちはコチコチのお堅い会社の生え抜きだったと云う次第。四半世紀が経ち、彼はプロパーとしては稀な役員になった。彼の人柄であろう。

当時の仕事にまつわることを現在の状況と比較しながら、互いにあれこれと話をした。そんな中で、零細企業の厳しさと悲哀を同情された。身内に同じような経営者がいるとのことだった。同情するより金よこせ、ならぬ仕事よこせだが、そんなことは期待しないし求めない。やせ我慢ならぬ、太っちょオヤジの美学さ。

二次会に六丁目のBARに寄った。長患いをしていたママさんも漸く店に出られるようになっていた。私が会員になっているNPO法人が佐賀にあるが、ママさんはそこの出身なので親しく感じる。そんなこともあり、年に二・三度顔を出すだけのお邪魔虫のような客ではあるが・・・・。

                          

久々に出た銀座の夜は、閑だった。それでも、なんとなく他所の街とは違う空気があった。

                          

帰宅は23時頃か、それほど酔いは回ってなかった。それでか、今朝の目覚めは五時であった。目覚めは日替わりのように早かったり遅かったりと、一貫しない。これじゃ明日の朝は、起きれないか? それや拙い。明日はOB会の新年会があり、関係者なので早目にいかなきゃならないのだ・・・・・。

六時ごろから弁当作りに入った。メニューは「豚ヒレ肉のソテー&野菜添え」「ポテトサラダ」「鯖の文化干し焼き」、これにゆで卵であった。豚ヒレ肉の味付けは簡単、塩胡椒を軽く振りソテー、引いた油に中華スープの素を少々、仕上に醤油をひと垂らしまでは良かった。ここで一切れ味見を。お試しにブランデーを垂らしてみようと・・・・、これがなんとドバッ! 慌てて汁を捨てたが・・・・・。                

                            

ポテサラが出たのは久しぶりかな、鯖の文化干しも暫くぶりだ。今日は、二人分のお弁当だった  。

                           

 

今夜、人形町への客人はMITUHASHI君だ。年末に来ると言っていたのが今日になった。彼と出会ったのは横須賀に勤務した時、足かけ二十年の交流になるか。年月と云うのは早い、あまりにも早すぎる流れだ。これじゃ溺れちっまうな!

こうして齢若の友人が来てくれるのは嬉しいものだ。来ないやつの処へは、こっちから押しかけるはやぶさかじゃないが、今の時代。皆忙しいからな。午前は某社へ押しかけ、午後も忙しい一人に会ってきたが、彼は彼で、新サービスの販売チャネルの開拓に苦慮していた。そんな仕事の支援が少しでも出来りゃいいのだが・・・・、こっちは更に知恵なし子さ。金がないのも辛いが、知恵がないのは出ないのは、始末が悪るい。ボケオヤジの典型だ!

明日の夕も誰ぞお越しになるような気配だ。先ほどあった電話で「最近顔を見ないから押しかけようかと思い」とか言ったので、今夜は予定が有る、明日ならいいと応えたのだ。千客万来!大いに結構だが、万来あれど客じゃない、と云う処が味噌汁だ。

と云う次第で、今夜も軽くやります  。

 

 

 

 

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はやく言ってよ!

2017-01-18 | Weblog

1/18(水) 昨夕は「高松」から「ローカーボ」へ、仕上げは「ちょっぷく」であった。相も変わらずパターンはおんなじ、犬の散歩と一緒だ。ワンワンパターンさ。

夕方近くなってから、友人のT物産社長のOKAZAKI氏が来社。漸く新年のあいさつ回りが済んだとのことだが、九州から北海道までお客さんがあるから大変だ。それに引き替え、オイラなんぞは斯様な習慣は止めたと云いたいのだが、実態は訪問すべき客がいない。O社長が羨ましいぜ!

そんな対照的な二人ながら、雑談の中身と云えば共通する。 ゴルフや遊びのことも話すが、それだけじゃないさ。本題は仕事のことだが、切実かつ根源的な課題だ・・・・。そんなことを話しているうちに、ドトールの閉店時間六時になり、追い出されてしまった。と云う訳で「高松」からの夜の部がスタートした次第。

付き合ってくれたのはHOYAの兄貴さ。兄貴とも仕事に関する根源的な課題が話題となり、意見の一致をみたが解決は個々の問題となる。故・武島一鶴先生は「問いを発せず答えを発せ」と残したが、その言葉に共通するか。

斯様な次第で帰宅は23時半頃であったろうか?お疲れの家人は既に自室に入っていた。迎えるはずの雌猫ミーコは、ホッカホッカのカーペットの上に横たわったままで見向きもしない・・・・。

寒風に凍えた体を、壁から吹き寄せるエアコンの風で温めてから蒲団に入ったはずだ・・・。なにやら面白くもない夢を見ていたが、目覚めた瞬間に消し飛んだ。なんと、目覚めの時間は七時になっていたのだ。

急ぎ台所に向かい、弁当の準備に入った。時間がない、米は鍋で炊くことに。冷蔵庫を開けると、冷凍の豚バラとギンダラ西京漬けを解凍のために置いてあった。前夜に準備を整えていたのだ!エライ!酔って帰ってもやるべき仕事はしてあったのだ?

 と云うことで、前夜考えたメニューを思い出し、出航となった。今朝は豚バラ肉で「肉じゃが」を、更に豚バラと大根と筍を千切にした中華風の炒め物だ。

西京漬けを焼き、準備真っ盛りに家人が二階から降りてきた・・・・。

「今日は忙しくてゆっくり食事ができないの。オムスビにして頂戴。それと卵焼きがあればいいわ」と、のたまった。エッ!てなもんだ。早く言ってよそんなの ―TVでやってるCMじゃないが、その一言に尽きるぜ!挙句、今日は一人分の弁当なんだ。

とは思いながら、山の神のご宣託には逆らえない。急遽オムスビ用に紅鮭の切り身を焼くことにした。他には梅干しが具となる。

然し、作った菜はどうするんだ?晩飯の菜にするとしても一人分でいい。オイラの今夜は、知人でクライアントでもある某社の役員の誕生日祝いを銀座でやる予定なのだ。

炊きあがった飯と、仕上げに入った菜を前にして決断を下した。貧乏オヤジで何時もランチタイムを一緒にするYOSHIOと、オムスビ会をしようと・・・・。事務所を移転してからのランチタイムは一人前のランチセット(サンドイッチか厚焼きトーストのセット)を二人で分け合っている。

「ロリオ」云う年配のご夫妻らしき二人がやっている喫茶店だが、近頃は、「何時もセット」で通じるようになった。コーヒーを、ホットかアイスにとオーダーするだけで済む。

山の神のオムスビセットを渡し、YOSHIOとの弁当を準備した。鮭&梅干しのセットに、菜は何時もの弁当箱に詰めるのだが、これが問題なのだ。何が問題かといえば、分けるのでひと悶着が起きるのだ。そうならぬように、二っづつに小分けした。

                            

以前は時々、オムスビやサンドイッチを二人分持参してランチ会をやったが、その時にもYOSHIOは鮭は、卵がハムがいいと、俺が持参した弁当にさえ自己主張しやがった。今日も何か云うだろと、二パックに小分けしたのだ。

人参・ジャガイモに糸蒟蒻の肉じゃがも、大根・筍と豚肉のキンピラ風炒め物も上々の味に仕上がっていた。卵焼きのことは云うに及ばずだ・・・・。一人分の菜と、小松菜のお浸しとブロッコリは、置いていく。残りを一つの弁当に詰め込み準備完了となった。

                           

  ― 後刻談 -

この弁当を何処で食すか、それが問題なのだ。社内では食べたくない。となれば公園のベンチか?寒そうにしてオヤジ二人が一つの弁当をつつく姿は、差し詰め、ホームレスか。それも良しだが、思い立ったのはランチタイム客も引けた「ちょっぷく」だった。オイラが未だ自分の弁当を持参し、USUI老が居た頃のことだが、昼に弁当を食べれなかった夜。「ちょっぷく」で広げたものだ・・・・。

二時過ぎ、二人で「ちょっぷく」へと。未だ奥に客の姿があったが、ランチタイムは過ぎている。YAMAちゃん店長に『奥のテーブル借りるよ。弁当喰うからネ』と、声を掛けた。「おお~いいよ、うちのランチも喰えよ」と言うが『そんなにゃ喰えねょ』と。

セルフのお茶を入れて、食べ始めた。最初に『これ、全部小分けにしてあるからな』と言うと、「本当に?」と信じない。今、分けてやるよと、一つづつ取りだしてパックの蓋に載せてやると「本当だ~」と感心した。オムスビも二個づつだからネ・・・・。菜を口に運んだYOSHIOが旨い~ と、ギンダラを口にすると更にウマっ!ときた。

― 飯を食べながらYOSHIOの告白・・・「実はね、今朝、思っていたのは、何時も同じものばかり喰ってるからさ、厭きちゃって。今日あたり違うものにしようと提案するつもりだったんだ」 ― 。なんだ、グッドタイミングじゃねえか。こう云うのを以心伝心っていうんじゃねぇか、と応えた。

『美味いに決まってるだろう、オイラのお手製だぜ!」と、講釈を垂れたのは云うまでもない。少ないようで量も十分だ・・・、YAMAちゃんが味噌汁を温めて持ってきた。100円くらい払いなよ!と、YOSHIOに冗談を噛ませたのはオイラさ(その前に、五百円玉を巻き上げていたが)。

場所を借り、お茶を頂き、味噌汁を貰い、ランチの残り菜まで差し入れられた。もう喰えないよ、状況になっちまった。挙句、使った食器や弁当箱まで、パートの小母さんが洗ってくれ、乾燥機にまで。願ったり叶ったりとは、このことか?

 

もう一つ、昨日の後刻談だが。競馬のことだ。残念ながら外れました・・・、私の廻りは全員外れ!次に頑張るとさ。笑っちゃうネ。

 

 

 

 

 

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22年が・・・

2017-01-17 | Weblog

1/17(火) 今朝のニュースで、阪神淡路の震災から二十二年との特集等が放映されていた。毎年この日を迎えると流れるニュースながら、年月の流れの速さを今更に実感する。とともに、あの日に流れたすざましい光景を思いだす。

震災から二週間ほど経ったころであったろうか、TUGAWAさんを誘って神戸に降り立った。救援活動をするアガペ・ハウスの代表ケンジョセフさんの運転するキャンピングカーで被災地を案内して貰ったい、激甚災害の爪痕の生々しさを目の当たりにした。

あの地震の後にも奥尻・新潟・長野そして東北・熊本と大地震はつづいている。これからも、東海・関東、そしてふる里の被害が甚大と想定される南海と大きな地震が想定されている。備えあれば憂いなしと云うが、なんの備えもないのが実態だ・・・・・。

東京と高知、両方とも具体的な対策をしておかねば、遅かりし由良ノ助になりそうだ。そう実感させる、今朝のニュースであった。

 

今朝の目覚めは五時頃であった。爽やかな目覚めとは云えぬが、悪くはなかった。程々なりか今朝の寝起きは 後は弁当の仕上がり次第 と云う次第。

で、その弁当の方だが、「豚肩ロースの味付きステーキ」という生協の冷凍を焼くことに。付け合せはタマネギ。

                            

野菜系は「小松菜と薄揚げ&筍・ウィンナーの煮物」、サラダ系は「稲庭ウドンとホタテ・シメジ・キャベツ・ピーマンのイタリアン風」、出汁巻風卵焼きと紅鮭の焼き物、以上であった。煮物の方は一番出汁を使ったが、味の方は大して変わらないネ

                              

早々と二人分の弁当が仕上がり、ニュースを見ながら時間が経つのを待っていた次第。

                         

 

そうそう、昨夜の酒場巡りは「ちよっぷく」から「ロ-カ-ボ」、そして「ちょっぷく」に戻ってお仕舞にした。「ちょっぷく」での主要話題は、日曜日の雪(京都)で中止になっていた競馬「日経賞」が、本日開催となったのでそのことであった。何を買ったかは…内緒だが、 結果は、夕方には判明する。お楽しみに!

 

 

 

 

 

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五目チラシ

2017-01-16 | Weblog

1/16(月) 今日の弁当は久々に「五目ちらしすし」にした。昨晩、暇にあかせて弁当料理の本を捲ってみたら、五目チラシのページで目が止まったのだ。ここ暫くは祭り弁当を作っていないので、久方ぶりにそんな気になった。

前夜の内に干し椎茸を鍋水に入れて戻すことにした。人参・筍・牛蒡・干ぴょう・蓮根と食材を確認すると、全て揃っていた。これで明日のメニューは決まったと自室に戻り、蒲団の中で本を読みながら眠りに就いた。

今朝の目覚めは五時半であったが、蒲団を出たのは六時過ぎ。直ぐに台所に入り、弁当の準備を始めた。先ずは、寿司用の甘酢作りから入り、次いで具材を切りそろえて灰汁抜きをする。添える菜をどうしようかと思案する・・・・。

昨夜の大根&鶏手羽元煮があったので、これも使うことに。ギンダラの粕漬け&西京漬けを焼く。野菜系は、インスタント春雨と茹でキャベツ・ブロッコリ・シメジのサラダ風。もう一品は、ピーマンの肉詰め焼き。以上となった。

                        

昆布・日本酒・塩少々を加えた飯も炊き上がり、すし桶ならぬボウルに移して酢飯用に作った甘酢と胡麻で混ぜる。砂糖と塩を適当にふり、炊きあがっていた具を加えて混ぜる。たったこれだけのことだが、普段は酢飯用には柚子酢の加工品「てまいら酢」を使うのだが、今日は生酢と砂糖・塩に酒・水を調整して作った。塩梅はどんなものか?

                          

最後に錦糸卵ならぬ、うどん卵のような卵焼きを刻んで弁当に載せた。完全な手抜きであるが、一応それらしく見える。今日明日は、弁当二つである。

                         

 

 - 寒風の中、水辺に遊ぶ ―

土曜・日曜と連続して水辺に遊んだ。土曜日は曇天の上に風が強く、寒かった。水遊びに来ている老若男女は、暖房が利いた観覧席に籠って水辺までは下りてこない。そんな中で、我慢強くて辛抱の利く小生は、ボート競技のフェンス際まで足を運び、寒風にコートの襟を立てながらも暫し見いった。

木曜日から郷里の先輩が上京し、奈加野に泊まっている。奈加野の店主と同級生のこの先輩がボート遊びと玉遊び(台版に金属の小さい玉を弾いて遊ぶやつだ)が好きなのだ。どうせ負けるに決まっているのだが、万に一つと云う僥倖に恵まれることもあるのがミソだが。元母校の校長、前町会議員とは思えぬ人間的な先輩なのだ。まるで、オイラのように

そんなこともあり、日曜日だけの水遊びが土日と連続しての遊びになったのだ。何時ものように加野オヤジの運転する車に同乗して平和島へと向かう。

遊び婆場に入ると、最終レースまで一人で行動するのが私流。最終レースが近くなると、奈加野オヤジから電話がはいる「どこにおるがぜよ、こっちへ来いや」と。其処で初めて今日の遊びの首尾を訊きあうのが常だ。土曜日のオヤジは余裕があった、一方郷里からの先輩はボヤキがつづく。日曜日も同じ光景であった。

日曜日の最終12レース前に二人と合流し、今夜の一杯のっことになった。何処へ行くかと。其処でオイラはこう言った『このレースをとったものの奢りと云うことにしようよ』と。それが良いとなった。この日のオイラは、前日、土曜日の儲けを半分ほど吐き出していた。結構手広く舟券を買っていたが、肝心の一艇が違う(三連単と云うやつで、1~3着の順と買った番号が一致しなければならい)のだ。

最終レースはポケットに残った小銭だけにしようと思っていた。が、最終レースと云うのは大体が堅い、本命が入る確率が圧倒的なのだ。と云うことは、配当は僅かとなる。これじゃ面白味がねぇ~・・・。てなことで、思い切ってこれまでの一番大きく買うことを決断した。前日の蓄えがあるからこそだが・・・。

本命確率が高いとはいえ、勝負は水物。何が起きるか判らんのだから、どの艇がきてもいいように幅広く買った。この前のレースで大きいのを逃した所為もある。

投票締め切りの音楽のテンポが速くなり、締切り一分前となった。さて、愈々最終レースのスタートだ・・・・。六人の選手がボート艀に並んで審判?に敬礼をし、自分の艇に乗りエンジンを掛ける。そして第二マークを廻って、スタートの位置取りだ・・・・。ここからスタートまで一分くらいかな?

後方の4~6の艇がエンジンをふかしてスタートする、一番前にいる1~3号艇が徐々にスタートし一斉にスタートラインを目指す。このスタートタイミングで出遅れや、フライングが起きると失格となる。それだけにスタートから150M先の第一コーナーを廻り込むまでが見所、勝負処となる。

と云いながら、レースの結果は大方の予想通りの結果となった。1-3-2 の号艇の着順であった。ちっとも面白くないね~、これじゃ。配当は1610円(100円で)、戻って来たのは8050円である。なんと、三人とも同じ額を買っていたようだ・・・。

奈加野オヤジ曰く「三人ともとったから割り勘だな、いいよな」だった。夕焼け雲を高速道路の彼方に見ながら、渋谷へと。道玄坂にある台湾料理の老舗「麗郷」の円卓に知らぬどうしが同席し、紹興酒の燗を冷えた体に注ぎ、ニンニクの利いた料理で衰えた体に活力を与えだのであった。

オイラもとうとう不良先輩、不逞先輩の毒に感染したか? 然し、休日の一時を過ごすにはいい遊びだ。一日中部屋に垂れ込めて本のページを捲っているよりは、だが。

送り迎え付で、年金老人らしき面々の遊びをみて、ボートの爆音を聴き、ビールを飲みながら次のレースに頭を巡らす。ゴルフに行ってるよりいいな・・・止めたけど。

そんな週末を過ごしたのであります。以上、報告終わり!

 

 

 

 

 

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オムスビ

2017-01-13 | Weblog

1/13(金) 昨日の午後、取引先の高松市に本社を置く会社の社長が来社。毎年、新年の挨拶に上京されて、弊社にも来て下さる。この会社が新工場を建てた時に視察をさせて貰った。そんなことや、長い付き合いなので上京された機会に懇談の場を設けるようにしている。

昨晩は先方の希望も有り、渋谷・奈加野にて懇談することとなった。東京営業所長と営業担当者も同席することになった。そんな事情から、弊社側の窓口であるRIE嬢も同席させることにした。一年ぶりの懇談であるが、旧知・旧友のように和やかな場であった。先方の社長のこれからの夢や、ご苦労をされた当時のこと、土佐で食したカツオタタキの旨かった思いでと話題は尽きなかった。

社長との会話で『そのとおりですよね』と相槌を打ったのが「他人様から生かされていると云うこと、。三方一両得、感謝をして生きる」と云う話である。この社長も経営が苦しい時があった。故に他人の有難さ、恩返しの心根を一層強く持つようになったのであろう。

奈加のは、なかなかの繁盛ぶり。思い掛けなかったのは、週末に上京されるかと思っていた先輩が、この日に既に着いていたこと。店主と同級生先輩で、上京の折には店のあるビルの最上階、店主の部屋に泊まるのが常である。懇談の合間に、店主&先輩との話で週末の土・日は平和島(ボート)に参戦となった。ボートレース好きの元校長&前町会議員であり、かつ書の先生なのだ。

懇談会が終わって客人を送り出した後、RIE嬢を誘って旧缶詰BARに寄った。日頃、じっくりと話す機会がないのでこんな時がいい機会なのだ。急な階段を昇って、BARの扉を押すとカウンターに客の姿が一つ。なんとそれは、郷里の同級生MATUMOTOであった。実は夕方に彼から電話を貰い、今夜あたり奈加野あたりで一杯どうかと誘いがあったのだ。客が来るのでと断ったが。

その彼が此処に居ようとは驚き桃の木山椒の木だった。三人並んで座り、左右に話しかけながらハイボールを。忙しい場となったが、気を利かしたのMATUMOTOは先に店を後にした。二人になったので、ポツリポツリと仕事に対する心掛けなど喋ったような気がする。毎度お馴染の話であろうが。

いい時間を過ごした、帰宅したのは23時頃であったろうか。豆腐のスープなどを啜ってから眠りに就いた。

今朝の目覚めは五時半、目覚めの時に時間の感覚が全くない。時計を見て初めて時を知るのである。相当ボケているのか、お疲れなのか?然し、疲れるようなことは全くないノー天気暮らしだ。ボケているのだろう・・・・・。

そのボケ頭で今日の弁当を考えるのだが、上手くまとまらない。その結果「オムスビ」と云うことになった。時間はたっぷりあるので鍋で米を炊き、菜の方も考えることにした。

オムスビの具は、鮭・梅干・山椒チリメンと云うことに。菜は「鶏と豚ヒレ肉の唐揚げ」併せて、牛蒡&ジャガイモ揚げる。野菜はキャベツ千切とブロッコリを、卵はゆで卵にした。

                        

                        オムスビが黒い衣をまとえば、出陣準備完了!

以上が今日のラインナップ、最強の面々である。残念のことは、今日も弁当一つ。

                          

 

 

 

 

 

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