オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鮭まぶしご飯

2018-11-30 | Weblog

11/30(金) 愈々、11月も今日でお仕舞。私の勤め人生活も余すところ師走の一ヶ月を残すだけになった。そんな次第で、昼間は暇だが夜の部だけは忙しい。今夜は池袋で、KISHIMOTO大兄との二人忘年会である。池袋に行くと何時もご馳走になるので申し訳ないのだ。かといって、飲むのを手控えるわけでもないが。

大兄には我が貧乏・零細の事業では、常に激励を頂いてきた。どれほど有難く、心強かったことか・・・・。一席を設けるのは私の方であるが、依然甘えてばかりだ。

昨夜は同郷の友人であるMATUMOTO氏が人形町に立ち寄ってくれた。といっても、彼は東陽町にある学校で講師をしているので、回り道と云うほどでないが。何度か一杯の誘いを貰っていたが、葬儀や法事での帰省、他の約束などで断ってばかりだった。昨夜は珍しく予定がなかったので、連絡を入れた次第。

「うまし」で二人の旧交を温め、正月に郷里であると言う小・中学校の同窓会のことを聞き、在郷・在京の同級生に連絡、タイにいるNOGUCHIも帰国するかも?と聞く。彼等とは小中学校が違うが、高校が一緒の友達がいる。会いたいものだねぇ~となり、二次会に乱入することにした。正月は、3日~9日まで帰省予定である。

二軒目は「ローカーボ」でハイボールを!。HOYA兄いが居り、三人で「セイジュ」に移動した。俺たち二人のカラオケに降参したMATUMOTOが先に逃げ出したが、HOYA兄いとカラオケをつづけてから、「ちょっぷく」に辿り着いた。白ワインを飲んでから帰ることにしたが、兄いは性懲りもなくローカーボに引き返した。元気である

そんなことで、帰宅は23時半過ぎであったろうか。料理教室メンバーでの忘年会と、十二月のセイジュ会を十四日にやることにした。JINパパからの返信メールは「親が危篤でも参上します」とあった。

斯様な日々が夜毎つづいているが、年内に懇談或いは歓談をしたい、すべき人が十数人いる。上手くスケジュールを組めるといいのだが?。既に十一日までの予定は埋まっている。私的な大事なスケジュールが決まれば、調整にはいるつもりだ。

月曜日はサラリーマン時代の会社のOB懇談会後、津川さん宅へ。火曜日の昼はWAKABAYASHI君と高尾あたりで食事し、夜は「うましで」世話になったライター&カメラマンに来て貰い懇談。水曜日は横須賀時代のメンバーで埼玉家会なる飲み会を「うまし~セイジュ」でやることになっている。そして、6日~11日まで帰省するが、東京からNOBORU&FUKANOの両氏が遊びに来る。

と云うことで、今朝を迎えた。今日の弁当は「鮭まぶしご飯」であるが、これは以前にJIN先生宅で馳走になったのを思いだしてのメニュー。菜の方は、掻揚げだが、先日のアンテナショップ巡りで冷凍白エビを買ってきたつもりのメニュー。なんと、冷凍庫掻き回しても白エビの姿は見当たらず。致し方なしで、小エビとタマネギ・人参・牛蒡の掻揚げになった。

茄子天にホウレン草のお浸し、キュウリ&紫蘇の塩揉み、出汁巻卵が菜である。

                    

鮭まぶしご飯を作ったっからではないが、先日上京して宇治には碌な魚がないと嘆いていたOKAYASUさんに「なら今度、鮭を送ってやるよ」と言ったのを実行すべく、築地場外市場に寄ることにした。場内市場が豊洲に移ったので、場外の鮭屋「昭和食品」で買うことにした。

「昭和食品」は、その昔によく鮭を贖った店である。先代のオヤジが目利きで、いい鮭があった。今は、何代目かしらないが、女性が取り仕切っている。未だ先代が生きている頃だったか、この女性が新聞で「目利きの跡継ぎに」だったかで、紹介されたのを覚えている。小さな店先で『先代が亡くなって何年になるかな?』と訊くと「三十年になります」との応え。『そんなになるんだ。貴方が新聞で紹介された人だよネ! 』と確認すると、そうであった。

場外市場は相変わらずに外国人客を中心に賑わっていた。それに寿司屋と買い食いができる店が大幅に増えた。

                        

然し、場外市場で魚を買う気にはならない。年末にお節用の豆類とか出汁用の昆布を買うことがあっても・・・・・。

 

  - 日曜日 -

今度の日曜日、パトロール隊の日帰り旅である。永世幹事のマッチャンの計らいで、小型バスで鯛の浦から養老渓谷を巡るらしい。人数も17~18人と多くなった。バスなので単価を抑えるために大募集をかけていた。天気の方もなんとかよさそうだし、千葉か?と難色を示したが養老渓谷の紅葉も見ごろな気配。皆さんが楽しんでくれればいい。

 

 

 

 

 

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炊きこみご飯&トンカツ

2018-11-29 | Weblog

11/29(木) 今日の弁当ご飯は「松茸ご飯の素」で炊いた。グリコの製品だが、他の炊き込みご飯の素に比べると値段は倍近かった。そんな高価?なものを使い、おかずのメインは「トンカツ」とチグハグな組み合わせのように思うが・・・・。

トンカツと一緒に椎茸カツも揚げる。椎茸カツ、これが美味いんだ。チンゲン菜と豚バラ肉のソテー、アスパラ&椎茸のソテー、揚げ物で使った溶き卵にパン粉の入ったチジミ風焼。以上が、今朝の弁当である。

                        

松茸ご飯を一口だけ味見したが、これが結構なお味であった。トンカツ、椎茸カツも一切れだけ味見、これも上々です。

 

午前中の南青山のサイネージ会社をスタッフと訪問。昼ごろに半蔵門線で人形町に戻る。半蔵門線の駅なら水天宮駅になるが、出口を間違えて水天宮口に出てしまった。ついでだと、改装後の水天宮を初めて見てきた。ちょっと遅い七五三参りの家族連れが二組程・・・・。

                            

建物は建て替え前と変らぬように思えたが?、以前の建物も記憶が定かじゃないからねぇ~。

 

 

 

 

 

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牛小間炒め

2018-11-28 | Weblog

11/28(水) 昨夜は親会社の役員と後任社長の三人での懇談。「うまし」で19時過ぎから始まり三時間も飲みながらの話がつづいた。会社の今後についての生真面目な話から料理の話と尽きなかった。そんな次第で「ローカーボ」で佐賀から戻ったジムコのNAKAMURA社長と落ち合う予定が大幅に遅れてしまった。

「うまし」を切り上げてから、三人で「ローカーボ」に移動したら、NAKAMURAさんやマッチャンと何時ものメンバーが揃っていた。この夜もローカーボは盛況であった。23時を過ぎたので、盛り上がっているメンバーを残して失礼した。「セイジュ」の前を通ったので顔出すと、帰り仕度を始めていたが一杯と一曲だけお邪魔をして切り上げた。「ちょっぷく」も店仕舞いをしていた。

学芸大学駅に着いたら、改札前の時計の針は24:05分になっていた。帰宅してからも一時間以上CDを聞きながら起きていた。そんな所為か、会社のデスクに居ても眠い・・・・。

今朝の台所入りは7:30と遅かった。されど、作るメニューが限定されていたので弁当送りだしには影響なし。今日は牛小間炒めと、卵焼きに鮭焼き、ブロッコリを茹でただけである。

                       

 

昨夜の三人での懇談の折に、予定どおり12月末で会社を去ることをお願いした。何時までも古い人間が居座ると、スタッフの意識も変わらない

私も新年から、新たな航路に進みたい。せめて年内は、これまでお世話になった皆さんと大いに飲み、かつ語りたい・・・・・。

今夜は渋谷「奈加野」にてN社グループの県人会がある。日本酒の飲み過ぎに気を付けよう。

 

 

 

 

 

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牛小間煮

2018-11-27 | Weblog

11/27(火) 今日の弁当は「牛小間煮」と、小松菜の煮浸し、鯖文化干し焼き、ベーコン&アスパラ炒めにスクランブル風エッグ、以上であった。何時もながらの簡単なものばかり。牛小間を、タマネギ・マイタケ・シラタキで煮る。小松菜煮浸しは、昆布と鰹節の出汁を使用。

                      

体重を落とし過ぎないようにと、昨日から朝食は軽めにご飯を食べるようにした。かといって、夜遅くのラーメンだけは避けなくちゃ・・・・。

昨夕、佐賀からの客人があった。佐賀でいつもお世話になるNAKAMIZOさんが上京。孫が三歳になるとのことで、そのお祝いで上京したとのこと。娘さんと孫の三人で人形町に見えた。

食事のリクエストを訊くと、鰻がいいとのこと。界隈で比較的空いている「三好」に案内した。想定どおり、店には未だ客の姿はなかった。母娘は鰻重、孫は生意気にも白焼きがいいと言う。私はご飯抜きなので、蒲焼きを頂いた。温めの日本酒はお母さん、娘は生ビールを、私は焼酎ロックを飲みながらの食事であった。

娘は古賀武夫さんの教え子なので、古賀さんが存命中に何度か会っている。お母さんはボランティアとして地球市民の会を応援しているし、二年ほど前まで「寄ん処」と云う家庭料理だす店をやっていた。総会後の二次会などで利用させてもらってきたのだ。

然し三歳になったばかりの男の子が白焼きとは恐れ入った。恐れ入谷の鬼子母神で、妙に釈然としなかったのはなぜだろうか・・・・・。

家族を見送ってから、何時もどおりに「ローカーボ」に向かった。客は未だNUMATAちゃんだけで、二人並んで飲んでいる処にHOYA兄いが登場。焼酎のロックを飲んできたので、濃~いハイボールは二杯に止め、二人を置いて先に席を立った。

時間も早かったので、客が居なければ「セイジュ」で独りカラオケをすることにした。何れ、兄いも姿を見せるだろうし・・・・。案の定、客は居なかった。

歌の練習だとばかりに、演歌のワンマンショーが始まった。練習にと、越後情話や酒場を唄い、つづけて何時もながらの、あんた・サチコ・吾亦紅・奥飛騨慕情・風の盆恋歌・能登半島・・二人の大阪など十曲ばかり唄ったところに、現場用のヘルメットを被った兄いとNUMAちゃんが来た。

今度は兄いがオイラが唄ったことのある曲をどんどん入れる・・・・。津軽海峡から宗谷岬と北国を一巡し、北陸路の加賀の人・口笛が聞こえる港町とつづけた。何時もながらの歌ばかりで進歩がないが、所詮は酔い冷ましと喉の鍛錬のためだ、気分よく唄えれば良しさ

NUMAちゃんが黄昏のビギンを唄い、兄いのお得意の唄を聞いてから、唄い足りない兄いを置いて、お先にと失礼した。帰宅は23時30分と程々の時刻であった。

                    

 

帰宅のメトロで、来し方を振り返りと・・・・、俺の人生はなんだったんだ?の思いがよぎった。何ものかになるべく、ならなければの思いを胸に生きてきたつもりだが…、単にオヤジなっただけじゃないか。虚しさだけがふっふっと湧いてきた。私は何ものなんだ?この虚しさは未だ我が胸を去らずにいる。

 

 

 

 

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オヤジの三連休

2018-11-26 | Weblog

11/26(月) この三連休は食い物にまつわることばかりであった。食いしん坊オヤジの面目躍如、若干その活動について紹介させて頂くことをご容赦下さい。

先ずは祝日の23日金土曜日だが・・・。浜町コミュニティセンターで開かれたNPO法人日本橋粉の会が主催する「ソバ打ち会」に午前中から参加した。この日は前回と異なり参加者が十数名と多かった。自分がそば粉に取り掛かったのは一時過ぎと遅かった。

そんなこともあり、待ち時間の間、他人の打つ様を見取り稽古をしながらも、外に出てタバコを吸ったりとしていたが、少し風のある日で肌寒かった。これが禍し、風邪気味になってしまったの頂けない。それはさておき、終了後の反省会兼試食会&飲みながらの歓談と、楽しく一日を過ごした。

夕方に帰宅してから家族にソバを振舞うと、生意気にも孫娘のソラ曰く「上手になつたね、美味しいよ」だった。三回目だからねぇ~、師走の会に帰郷のために参加できないのが残念

              

そして翌、24日の土曜日、月例の「オヤジ達の料理教室」があった。

高輪台のJIN先生宅に午後参集。今回はNAKAMURAさんとFUJIKURA君が欠席、写真家のハナちゃんが撮影があり振り返りの飲食の部にだけ顔をだした。生徒は四人だけと少なかったので、それなりに充実の時間を過ごした。

この日の料理は、お正月が近いとのことからおせち料理をイメージした「大根のサーモン巻」「筑前煮」「伊達巻」に鶏団子の鍋であった。大根の桂むきに皆が四苦八苦する。それと、伊達巻を作る時に卵焼きを簀巻きで巻く時の熱さに手こずったが・・・、なんとか巻き上げることができた。

                      

JIN先生が出して下さった、鮟肝と牡蠣ご飯も殊のほか美味しくて、振り返りのお酒ももすすみ三時間を超えての歓談となった。博学供覧のJINパパのタイミングのいい話題振り、AOKIのどうでもいい会話ぶり、閑静な住宅街の二階にある先生の教室に笑い声が絶えなかった。とりわけ、盛りがったのはハナちゃんの婚活話であった。

アラフォーのハナちゃんは夏の初めに或る会に参加し、これならと思える男性に出会ったそうだ。が、これからの生活、お金のことに関して相当シビアにかつ、慎重に考えている。この話題で、異口同音に持論を開陳した。でもねぇ~、結婚って『一時の気の迷いと、勢いだよ』と云うと、男性陣は皆頷いた。

さて、ハナちゃんの婚活が上手く成就することを願うばかり。となれば、俺たちもお祝いに駆け付けて大騒ぎをしなくちゃ・・・。

                          

そして完全休養の日曜日、暇にあかせて午後から銀座に出た。銀座に目白押しになっている各県のアンテナショップを見て回り、面白うそうなものがあれば・・・。それと、福井出身の義母に名産の笹カレイでも買ってきてやろうと。

手始めに交通会館のエントランスに出ている野菜の出店を覗くと、美味そうな椎茸と初めて見るサクラ山葵なる野菜があったので買う。地下の富山産品の店では「鱒ずし」。外堀通りを渡ると、石川県のアンテナショップが新規開店をしていたので、笹寿司。その先の高速道路寄りにある高知県のショップでは、冷凍のカツオ叩きを贖った。

そこから100mも離れていない福井県の小さなショップで「笹カレイ」と水羊羹を買う。その前に、沖縄の大型ショップに立ち寄ったが、入り口の陳列が以前と変り、泡盛のショーケースが鎮座していた。

そんなことで、買い物の紙袋を抱えて歩行者天国の銀座通り歩むオヤジの姿は、人に見られたくない姿である。が、それにもめげず三越デパートの地下で、今日からの弁当食材の肉まで買うと云う精勤振りを発揮した。これで、紙袋が三っとなった・・・重てぇ~。貧乏なオヤジは買い物が好きなようだ

                         

帰宅してからは、カツの叩きを我が家の柚子酢で作り、土曜日のおさらいで大根の桂剥きをして甘酢に漬けてサーモンを巻いた。そして、さくら山葵のソテー、笹カレイの素揚げ等々の夕食を準備した。

                     

各も優雅な?三連休明けの今朝の弁当は「ハンバーグ」に「ロールキャベツ」、椎茸やアスパラ・ピーマンのソテー、卵焼き等になった。

          

            

 

 

 

 

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チキンソテー

2018-11-21 | Weblog

11/21(水) 今日の弁当は「チキンソテー」がメインか。他には「茄子&ピーマンの味噌炒め」「べーコンとシメジ&ピーマン炒め」「刺身カマボコとスクランブルエッグ」にした。弁当の菜と、義母のおかずは同じだが・・・。

              

問題は、義母はピーマンや茄子を食べない。皿に取り置いても必ず残しているのだ。年寄りの好き嫌いには付き合いきれないが、そう云う分けにもいかぬ。弁当にピーマンや茄子を使い、それらの姿がなくなった残りを置くようにしたが・・・・。果たして、今日の結果や如何に?。

                        

ご飯を少し腹に入れるようにした。と云うのも、ここのところそれなりに食しているつもりだが、体重の方は一向に増えてない。ばかりか、少しづつ減少傾向にある。斯様な次第で、今朝は炊き立てのご飯を軽く頂いた。

 

昨夜は品川駅の線路わきに在る小さな酒場「たあた」で、ADのTAKAHASHI君、某社のWATANABE監査役との飲み会であった。処が、監査役の方が義母が重篤な状況になったとのことでドタキャンになり、TAKAHASHI君との二人酒となった。AD時代に一緒に仕事して以来の付き合い、来心は知り過ぎているし、三年前になるか我が郷里まで一緒に自動車旅をしている。

未だ軽井沢に居るというKIYOTA仙人やAD時代の同僚のことと、話題は尽きない。挙句、隣のスナックでカラオケをやる羽目になった。先客が二人いたが、お構いなしのマイク合戦となり、ここに店を開いて21年という、ママさんにも唄ってもらった。演歌、懐メロ、軍歌と歌いまくるも、全て一番だけしか歌わせて貰えない。私がかって「セイジュ」でやっていたと同じであった。

                        

唄い疲れて、早々に引き上げることとなった。時刻は九時前であった。そのまま山手線で渋谷にでて、独り「奈加野」に寄った。店はガラス空き、店主は八階の自室に引き揚げていた。

奈加野に立ち寄ったのは、コメ代金の回収であった。郷里の従弟が米を送っているので、その代金回収である。米代を貰うために、私は飲み代を取られるという、分の悪さ・・・・。自宅に上がっていた店主に電話をすると「今、焼きソバを作って一杯やろうかと・・・」などどほざいたことを言う。

『焼きそば持って下りてきなよ』と、促した。暫くして、オヤジはブツブツ言いながら店に下りてきた。『なんだよ、この閑古鳥が鳴いてる様は』と、苦言を呈すると、店長が「さっきまでは、入ってたんですよ」と弁明。然し、九時半過ぎでこの状態じゃいかんだろうと、余所事ながら心配する次第・・・・。

オヤジを相手に軽く飲んで引き揚げた。銭さえ貰えばいいんだ・・・、駅に向かう途中、オヤジからの電話「米代、何時の分なんだ?」と。『10月と11月分だよ、毎月十日までがひと月分だろうに』と伝えたが・・・・、よく判ってないんじゃないかな?。

 

 

 

 

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徒然に・・・

2018-11-20 | Weblog

11/20(火) 先ずは、今日の弁当から紹介します。今日は「肉じゃが」をメインにして「小松菜&茄子の煮浸し」「焼き鮭」と、出汁巻風の卵焼きにした。相も変わらずのメニューだが、勘弁願うしかない。

         

 

さて、今日のテーマは徒然なるままにだが、帰郷などで暫くブログを記さずにfbの方に偏っていた。そんなこともあり、ここ数日の出来事など踏まえながら感じたことなど記したい。先ずは、金曜日のことから・・・・。

 ― 占い ―

金曜の夜、親しい友人との歓談を終えて気持ち良く帰路についた。日比谷線の車中のこと、携帯にメールが届いた。それが「あなたの運勢占います」であった。普段ならそんなものは無視、直ぐさま削除ゴミ箱行なのだが、この時は気分が良かったせいか示されたアドレスを押した。すると、必要項目の投入と、30分後ほどに占い結果が配信されるとでた。

そろそろ恵比寿に着くかと思う頃に、占いの結果が配信された。

それには「なたの来年の運勢は最高です」とあり、占いの向こうに見えるのは「あなたが雰囲気のいい店で妙齢の女性と愉しげに会話をされているシーンです。次に見えるのは、とある銀行のロビーにいるあなた。明細書を目にして満足気に頷いている姿です」とある。

そうか、来年もいい年になるんだ。と、ほろ酔いの頭で満足げに頷いたのであった。これまで悪い年はなかったし、来年はさらに良いとは・・・・。気分が良かった。ここまでは。

然し、メールはつづいており、更に詳しく知るために次のメルアドへと促される。されど、これ以上のことを聞いて、どうすんのよ!。無視した。これからがテーヘンとなった。メールはしつこくつづく・・・・。サービスで映像を添付したので見てくださいとか、昨日辺りから届くのは、格安、大サービスですのでとか。一時間に一本ぐらいにメールが送られてくるのだ。全て無視、ごみ箱行だが、そのうち「不幸のメール」なんてのが送られてくるんじゃねぇかな

占いの内容も、同じようなものを何万人、何十万人に送っているだろう。その中から気を良くしたり、しつこさに負けたのが、会員になったりお金を払うのであろう。こう云う商売が成り立つのもネット社会ならではのことか・・・・。気分のいい占いだったとのに、お後がよろしくないことになった次第。

占いは、これまでの人生で記憶する限り4~5回見て貰ったはずだ。一番最初は二十代のころに三島市の路傍にテーブルを出していた高嶋易占いだっか。そして、新橋の烏森通りの女占い師、横浜は中華街にある易者が大勢いるところで、ビルの前に張りだしていた占い師から「いい相をしてますね」と呼び掛けられたとき。最後は、数年前に函館にてHASHIMOTO君と歩いている時のことだった。

何れもお酒を飲んだ夜のことで、見料は千円しかはらっていない。千円分の見料ながら、良いことしか聴かなかった・・・。

占いのついでの余談を・・・・。以前にも書いたことで恐縮だが。我が父は八十九歳の歳に亡くなった。その父が若き日の占いに関する話である。

終戦の年の五月も下旬のことであろう。岩国航空隊で飛行教官をしていたそうだが、愈々敗戦も色濃くなり教えるにも飛ぶ飛行機もなくなった。自分たちも特攻に行こうと教官仲間で志願した後の休日。広島市内に教官仲間で外出した。路上に易者を見て、初めて易をたててもらったとのこと。

「あなたはいい手相をしている、九十まで生きる」と、言われたそうだ。それを聞き、仲間と大笑いをしたそうだ。これからと特攻に出ようと云う中で、九十歳まで生きると占われても・・・・。と云う次第であろう。

あに計らん、岩国から特攻基地の串良航空隊に転属。戦況はますます悪化の一途をたどり、昼間の出撃はできず専ら月の出ない夜間の出撃で沖縄方面に向かったそうだ。

そして、串良で終戦を迎えて九死に一生を得た。その日のうちに岩国の本隊に帰隊して解散。自分が使っていた飛行機で高知空港まで帰ったと云う。中学時代から下宿していた安芸市内の姉の家に帰ると「おまん、足があるかよ?」と、姉に言われたそうだ。

年老いてからの親父は、死ぬはずだった戦地から戻ったことで「九十まで生きる」と、易者から言われたことが自慢で、酔うとそのことを話した。それがあったので、葬儀の折以来、あと一年だったのにちょっと早かったと思いつづけていた。然し、親父が生きた時代は、数え歳での年齢だったと、先般の法事の折に墓誌を見ながら思い至った。さすれば、易者の言ったとおりの年齢である。『易者の云ったとおりの年齢じゃないか』と、安らいだ気分になった。

  ― 命日 -

先日の日曜日、11月18日が亡父の命日であった。法事を前週の日曜日に済ませたのだで、今年の命日は初めて東京の自宅に居た。線香をたてて、親父を偲んだ。

若くして片田舎の郵便局長となり、その生涯であった。田舎なれど、優秀な業績をつづけたようで大臣表彰の表彰状が沢山残っている。郵務の傍ら(?)、幼少より習った剣道を生涯の友とした。わが母校でも師範として教えたが、地元の安田町で剣道教室を開き、大勢の子供たちを育てた。自身も、国体や都道府県大会の大将や監督として出場した。

郵便局を退職した後は、書道を本格的に始めた。一日に五時間も六時間も筆を手にしていたようだ。その成果か、各地の書道展で賞を貰っている。剣道と、老いてからは書道が加わり、その二つを生涯の友とした。剣道の防具類はすべて弟子たちに形見分けしたが、書道の教本や筆類は未だ残っている。

親父は権威主義的な処があり、そこは嫌いだった。ただ、一途に道を進む熱心と、田舎人ながらも気位をもった人生は、認めなくてはならいと思っている。酒は、私の十倍は飲んでいるので、これも認めなくてはならない

私は、残った書道の道具を使う気に未だならない。早晩同行の志に譲った方がよさそうだが・・・・。

父が亡くなったのは同じ日曜日、前日の土曜日の午後、「退院の日には戻るから」と見舞ってから帰京。日曜日の昼過ぎ、独り会社に居たら妹から電話が。急変したので、これから病院に行くとの連絡であった。夕刻の羽田空港に着いた時には既に亡くなっていた。後に、心臓外科手術の名医にその話をすると「手術の失敗ですね」だった。

そんなことを思いながら、99%の成功率と言われた、弁膜症の術後二日で急死した父を偲んだ日曜日であった。親父はおやじらしく、立派に生きた。今だから思える、云えることである。

 ― 京都からの・・・ -

昨日の夕、京都・宇治市に転居した友人?知人?知り合いというか、そんな女性が人形町に来た。娘と生まれて間もない孫と、七年前の福島原発事故を契機に東京を脱出して縁のない地に転居したのだ。

魚がいいと云うので「うまし」に案内し、カウンターで近況を聞きながらの一杯。「還暦になりましたよ」と云うが、『東京に居た頃と全く変わってないねェ』というぐらいに、変わってない。相変わらずコロコロとした体型にまん丸の顔をしていた。

母の見舞いと、孫娘をディズニーランドに連れていくとのことだ。宇治の暮らしを訊くと、「食べ物がおいしくない。焼き鳥屋もなの」と云う。仕事はと訊くと、共済の営業をパートで始めたと言う。で、賃金は?「安いのよ、千円ぐらい」と云う。一日、四時間のパートタイム営業で、一年生になった孫の相手で楽しいそうだ。

宇治では仕事も少なく、賃金もメチャ安いとのこと。それにスーパーに行っても魚もなにもかも良いものがないと嘆く。『それやぁ君が貧乏で、安いとこしか行かないせいじゃない?』まぜっかえしたが、本当らしい。精々沢山食べくれよと、串焼きや刺身、一番先に食べたいと言った「ブリ大根」を美味しそうに食べた。

彼女はOKAYASUさんといい、知り合ったのは十六年前になる。サラリーマンを辞めてから、気分転換を兼ねて雇用保険事業の再就職者のための学校に三月近く通った。その時に、PC授業で座った席の隣にいた、オバサン二人組の一人であった。

一年ほど経ってから、その当時のメンバー、十数人で懇親会があった。その時に、「何か、仕事ないの?」と聞かれ、『掃除ならあるよ』応えた。と、掃除なら出来るよと云うので、休日に掃除に来て貰うようになった。5~6年、掃除に来てくれた。TUGAWAさんは、社長の席よりも、従業員の処を綺麗にしなさいと言ったそうだ。が、僕の処が一番きれいになったようだ。それは、デスクが片付いているので掃除がしやすかったことにあるそうだが。

そんなご縁で、彼女が京都に移り住んだ後も、年賀状のやり取りだけはつづいた。『東京に来る時は連絡頂戴、飯ぐらいご馳走するから』と、書き添えて。

学校に通っていた当時のこと、私が隣の席に着いた時、オバサン二人組は「怖そうな人が来たね」と言いあったそうだ。バカだねぇ~、俺は仏のARIさんで通っているのに・・・。お酒がすすむうちに、「谷村しんじみたいになったわね、昔は渡瀬恒彦みたいだったのに」なんて言いやがる。そばにいた女将と大笑いになった。

何時の間にかカウンター席に、ローカーボの飲み仲間NUMATAちゃんが来ていた。一緒に飲もうとなり、NUMATA節が炸裂。OKAYASUと別れ、NUMAちゃんと「ローカーボ」へと流れた。暫くすると、マッチャンとHOYA兄いが加わる。流れと云うか「セイジュ」へとなり、四人はパトロール隊からカラオケ合唱隊に変身していた。

                      

              豪華メンバー、黄金トリオ?    マッチャン    ヌマちゃん    HOYA兄い

 

この前、、友人から好きな曲を聴かれたが応えられなかった。昨夜や、その前に唄った曲を思い返すと「吾亦紅」「風の盆恋歌」これがべストか、最近では誰も知らない「酒場」っていう冠二郎の歌を唄うようになっている。どれを唄っても下手の極みだが・・・・。

今宵は、品川駅そばの安酒場にて、後輩のTAKAHASHIと某社の監査役で飲むことになった、依然は時折ご一緒したが、誘いを受けながら暫く同席してなかった。昨日、連絡を貰い、顔を出すことにした。今夜は、早く帰れるかな?。

 

 

 

 

 

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取り急ぎ、弁当を・・・

2018-11-19 | Weblog

11/19(月) 先週の金曜日、帰宅途中にメールを受信した。それは、運勢鑑定のメールであった・・・・。と、此処まで記して外出する時間になった。チョット面白く、かつ面倒なことになった話だが、明日改めて紹介します。

取り急ぎ、今日の弁当写真だけアップします。

               

豚肉の炒め物、ナメタカレイの煮付、卵焼きに昨夜の残り物、鯖味噌に蒲鉾、ご飯は梅ジャコの混ぜご飯でした。

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帰郷~帰京へ

2018-11-16 | Weblog

11/16(金) 十一月も中旬となり、朝夕の冷え込みは冬の到来を予感させます。昨夕に帰京、出社後は久々の酒場パトロールへと向かった。手始めは蕎麦店「高松」にて金魚割ならぬハイボールからスタートした。店が立て込んできたので馴染客と同席。その後、「こま吉」にてボジョレワインを飲んでいるところに、近所の小さな住むビルオナーの孫とか云う姐さんが来た。

姐さんが住むこの小さなビルは、一階が薬局だったが廃業し空いたままである。その孫にあたる姐さんが二階に住んでいることは承知していた。事のついでと、一階を貸さないかと持ちかけた。造作に費用を要するが、小さな酒場をやるには手頃そうなのだ。名刺を持ち合わせてなかったので、会社に連絡して届けてもらったら、TANAKAとFUJIKURAが帰り仕度で持ってきた。かくして一緒に飲むことになった次第。

姐さんには上の姉がいるので、相談をしないと判断できないとのこと。これまで、賃貸の依頼があったようだが断ってきたと云う。ダメもとながら話を通したという次第。そんなところに、HOYA兄いとマッチャンが乱入してきた。そうそうに「こま吉」を切り上げ、直ぐの「ローカーボ」へと男性陣で移動。

「ローカーボ」では専らハイボールをやりながら歓談。取締役のT・NOBORUが飲み会が済んだとのことで、顔をだした。夕方の出社で、後任の社長と話をした件について確認などするが・・・酔いが回っていた。今になると、どう結論付けたかも碌に覚えちゃいないぜ

連中を置いて、HOYA兄いと「セイジュへ」へと流れ、二人でカラオケの競演。そこにNAKAMURA大将も流れて来、最後にマッチャンまで合流した。ウイスキーを51°のニッカのバレルにしてもらい飲む、流石に美味い! が、然し酔う。久々のパトロールで、しっかりと酔った。酔ったついでに閉店まじかの「ちょっぷく」になだれ込んで、更に一杯。

                             

そんな次第で、遅い時間にメトロに乗った。中目黒に着くと、なんと東横線が事故とかで動いていない。中目黒からタクシーでの帰還となったが、帰宅は丁度零時であった。郷里でのアルコール空白を埋めたパトロールであった。

そんな今朝は、流石に体が重い。重いながらも弁当を軽く作り、弁当オヤジの面目だけは辛うじて保った。自分の朝飯は、キューイと小松菜のスムージになった。

                   

 

さて、郷里での日々だが。8日に帰省したが、その夜に先輩からの連絡で隣街の居酒屋で一杯となった。大先輩方三人を相手に、ハイボールから日本酒と飲む。この店ではハイボールがメニューにないとのことだったが、ソーダもウイスキーも置いてある。そこで、濃~いハイボールを作ってみせ、手前味噌ながらこれぐらいが美味いんだよと教えた。土佐流に杯が行き交い酔った。

翌日は亡父の法事の準備をする。11日の11時から坊さんが来て経を上げ、お墓に参る。その後、隣町のホテルの宴会場で食事となる、前日の土曜は、母校の創立記念行事があり、在京の支部長とやらで一日拘束されるので、前々日の準備となったのだ。墓掃除をし、部屋の祭壇を作り、花やシキビを活けた。

                             

そして土曜日、十時前に隣町に在る母高に行く。僅かな在校生、来賓や歴代校長、PTAやOB、地元の有力者などが並ぶ中、十時半から粛々と始まる。午後からは記念コンサートやよさこい踊り、餅投げが行われた。餅を投げるのも楽じゃなかったよ。

そして、五時からは会場を移して祝賀会が開かれた。またしても出番があり、今度は鏡割りとかを。樽を強く叩きすぎると酒が飛び散る。それを案じてか、三人での鏡割りは、豪快さの欠片もない鏡割りとなった・・・・。なにしろ、いっちょらのスーツに、締め方を忘れたネクタイまでしていたのだからね。

若い先生との会話で、大学の剣道部出身がおり『武道館があると云うに、剣道部が廃部になっているとは情けない。剣道部を作れ!』と発破をかけ、挙句に校長と副校長にまで、その旨を伝え『剣道部ができるまで、本採用にするな』なんてことを言った。なんと、乱暴なOBであろうか。我が町で剣道を指導している後輩に電話かけ、若い先生を紹介した。

               

殆ど知り合いはいないが、杯をやりとりするうち、いろんなシーンで関わりがあることも判明。なかなか面白かった。何十年ぶりかに唄った校歌も懐かしく思えた。

かくして、日曜日を迎えた。十一時前に菩提寺の住職が来宅。来てくれた従兄妹達が座敷に揃って、読経が始まる。三十分程で終わり、墓地へと移動し、墓地でそれぞれが参拝して法事が済んだ。そこからマイクロバスや、自家用車で隣町のホテルへ移動して食事会となった次第だが、こんな機会でもなければ、離れたところに住む従兄姉たちと会うこともない。久々に顔を揃えて、いい機会となった。

                   

諸行事が済んだ翌日は、片付けや支払いに歩く。この夜から雨となり、翌日の朝まで降った。午後から、妹夫妻の応援で柚子の収穫。幸いと云うか不幸にか、今年の柚子は例年の三分の一と少なかった。

                  

翌日の十四日は、前日に収穫した柚子を絞った圧搾機に柚子を一つずつ入れて、手足で押すだけのことだ。量が少ないので二時間ほどで終えた。柚子酢は九升足らずと、こっちも三分の一である。これを漉して瓶に詰めた。塩入りと、塩抜きを半々にした。

                       

帰京の前夜、絞った柚子の皮を煮だして、柚子マーマレードを作ったが・・・、出来あ栄えや如何に?。妹のやる方法を聞き作ってみたが、どうも納得がいかん。

                       

各の如くに、多忙、多様な郷里での日々であったが、楽しかった。全てを終え、昨日の午後便での帰京。珍しく故郷の街の上空を飛んだ。機窓から安田川と田舎町を撮った次第である。田舎者は田舎に戻る、に如かずか?。

                                 

 

 

 

 

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手抜き弁当

2018-11-07 | Weblog

11/7(水) 今日の弁当は完全なる手抜きとなった。昨晩は、末娘から「ご飯食べよう、奢るから」との誘いで酒も飲まずに20時前に学大に帰った。駅近くのイタリアン店で合流し、食事&一杯となり、千歳空港ラーメン事件の傷を癒した。本当に末娘が支払ったとか・・・・。

帰宅してから、本を読み始めて何時の間にや眠っていたが、二時頃に目覚め朝まで本読みをした。明け方まどろみ、起床は七時過ぎになった。取り敢えずご飯を炊き、菜の方は冷凍のあり合わせで済ますことにした。

冷凍のシューマイ&水餃子に、作り置きしてあったトンカツ、鮭焼き、ハムエッグと云う簡略なメニューとなった。キャベツの中華風野菜スープ、自分用のスムージー(キューイ&グレープフルーツ)を作って、朝の台所仕事を切り上げた。だんだんと手抜きが多くなりつつある。

                  

 

明日から帰郷し、帰京は15日の夕刻予定である。今回は亡父の七回忌、母高の周年行事への出席、柚子の収穫と絞りが待っている。法事の前にお墓の掃除や祭壇準備、出席者へのお土産手配と多々。これでも、自宅での食事会は止めて、ホテルの宴会場で会食することとした。

高校の祝賀会では、式典への参加から記念行事(祝い餅投げまでやらされる)、夕刻からの懇親会と一日拘束されそうだ。オフィシャルだからスーツを着て行くしかなさそうだし、ネクタイもか・・・・。お祝金ってどうすればいいんだ?懇親会は会費制だが、別に用意した方がいいだろうな

そんな訳で、結構な忙しさとなりそうだ。幸いは、この時期になると畑の草刈をしなくていいことだ。

と云うことで、明日から帰省しますのでBLOGの方もお休みになります。代わりに、Fbで近況をご案内します。

     

 

 

 

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