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オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

大晦日

2015-07-31 | Weblog

7/31(金) 今日は会社の大晦日と云えよう、31期の締日となる。結果はどうなんだと訊かれても「神のみぞ知る?」なんて云うしかないが、散々だった一年前に比べると、水面下から鼻だけでも海面浮上というところか・・・・・。

そんな記念日なので、一年のフィナーレらしくmy弁当を持参して節目と云うことにした。弁当持参は半年ぶりになるかな?

六時過ぎに台所に立ったが、昨夜の飲酒を超控え目にしたので、体調はすこぶる宜しい。こうじゃなくてね・・・・。

弁当の方は豪華というわけにはいかず、「鶏肉と大根・万願寺の煮物」に、「茄子・ピーマン・茗荷と挽肉の味噌炒め」。「アスパラの豚肉巻炒め」と「卵焼き」「鮭焼き」、以上のオーソドックスなメニューとなった。

                      

作り馴れたる菜の数々、目を瞑っていても出来そうなものばかりだが、こう云うものを疎かにしてはならないのだ。心して弁当作りに取りくんだのは云うまでもない。

                           

 

 ― いろい、あら~な ―

期末を控えた一昨日、面白い? 出来事が浮上した。今入居しているビルが競売になり、来月裁判所などから実査に来るとの通知が届いたのだ。なんじゃ、これゃあと言いたいところだ・・・・。ビルのオーナー会社の社長は、九十六歳で現役だったが、六月に退任の挨拶状が届いた。先を読めないオイラは、その社長あてに「ご苦労さまでした」の手紙を認めたのであった。

戦中・戦後の混乱期を潜り抜けて、一代で五十棟からのビルを創り上げたその社長に、心中から敬意を表したのであるが・・・・。一族が退任し、何棟かのビルを競売に付するまでの裏には、様々な画策・確執、裏取引などが展開されていたことであろう。

当面は、自分たちの入居するビルが競売になった時の、こっち側の被害だが・・・。入居時の保証金が戻らない、挙句に新持ち主からは新たに保証金を求められ、賃料の値上げか?或いは退去を求められて、諸々の費用が発生する。どうもそんなことのようだな・・・・。

ゴルフ場の会員権は紙屑になったし、投資案件では散々虚仮にされたし、人生では辛酸を嘗め尽くしてきたので、今更なにがあっても驚きはしないが、九十六歳の翁に今一度会って、『振り返ってみて、商売とは何が肝要ですか』と聞いてみたい。

一年前、このビルに入居するにあたり面談のような形で翁に会った。その時に聞いたのは『ビジネス成功の秘訣はなんだったんでしょうか?』であった。応えは「一流の人物に巡りあった。その情報や引きがあったことだ」である。今、翁はなにを考え、何を思っておられるのかな?今一度、お会いしたいものだ。

いろいろある方が面白いことは間違いない。が、出来れば無駄な出費と無用な腹立ち、無用に時間を割かれたくないものだ。果報は寝て待つしかねぇ~か。バカヤロ ― 。

 

 

 

 

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酒汗か?

2015-07-30 | Weblog

7/30(木) 昨夜は、些か飲み過ぎだったようだ。酒に弱い私が、四軒も廻ってしまったのだから・・・・。そんな次第で今朝は、グッタリしていた。それでもノルマである弁当だけは避けて通るわけにひはいかぬ。

重い体をグズグズと台所に運んだ時は、7時になっていた。大急ぎで鍋に米を入れて研ぐ。電気釜では時間に間に合わぬのだ。菜の方は、先ずは素早く煮える南瓜をカットして鍋に。

そして、冷凍の切り身秋刀魚を焼く。小松菜を切って、フライパンで卵とじ風に胡麻油で炒める。メインが中々出てこないが、今日のメインは冷凍の「チンジャロース―」だ。筍とピーマンを細切りにして炒める。つづいて、冷凍の牛細切を炒め、タレを絡めて出来上がりだ。

                

所用時間は三十分と云う処か。二日酔の割には、よく頑張ったぜ。

                          

今日の午後、出産の為に病院に入る次女の昼飯も弁当箱に詰めた。OYAJIの弁当でも喰って、パワーアップして赤ちゃんを産んで来い・・・・。然し、戻って来ると赤ん坊の泣き声に悩まされそうだな・・・・・。

 

一仕事を終えても、体調は依然として芳しくない。それでも出掛けなくちゃ・・・。台場の国際展示場で開催中のイベントに、挨拶に行く約束があるのだ。スタッフのAOKI君が詰めているし、クライアントの窓口にも変更があったとのこと。こういう時に顔出すしか脳がない、OYAJIなのだ。

ひとっ風呂浴びて出陣だ・・・・、外に出ると頭がクラクラしよ。今日も朝から蒸し風呂のような天気だ。それでも謹厳実直な勤め人は、仕事に出掛ける宿命なのだ。隣の八百屋のオバサンが「お気をつけて」と、送ってくれた。このひと声に、いつも癒される・・・・・。

されど頭はぼんやり、足元は覚束ない。典型的な二日酔なのだ。昨夜の酒が憎い!。汗は流れる、それも酒精まみれの脂汗と云うやつだ。

国際展示場、通称ビックサイトに向かう「ゆりかもめ」の中でも、汗をぬぐい続けていた。とうとうタオル地の汗取りハンカチが、汗で酸っぱい匂いがしてきた・・・・、酷いね、これは。他人様の傍に寄らないようにしなきゃ・・・・。

                             

漸く挨拶を済ませ、新橋まで戻ると昼になっていた。普段はYOSHIOと二人してベローチェの110円サンド&アイスコーヒー200円で済ますのだが。腹が減っている分けでもないが、お酒で胃が馬鹿に、胃ばかりか脳もすっかりおバカさんだ。

飯を喰う気になった。喰えば気分も落ち着こう、と云う浅はかな考えだ。何が喰えるのか、喰いたいのかさっぱりだが、新橋の地下街で入る店を物色した。そして辿り着いたのが寿司「魚がし日本一」とか云う大衆店だった。胃が腹が、酢物を求めていたのだろう

先ず、握り寿司を注文した。そして一瞬戸惑いながらも『生ビール、くれますか』と発していた。酢に炭酸、これで胃腸はスッキリとすだろう・・・・・。ビールはお薬の変わりなのだ。昼にお薬を飲むのだから、全国の善男善女よ、許されよ。

                                           

で、食事が終わってお茶をひと啜りすると、ハタと『新橋と云えば、HOSOKAWAがいたな』と。遅まきながら、我が腐れ縁の御学友を思いだしたのであった。電話をすると、敵は未だ飯を喰っていないと云う『残念だな、俺は今喰い終わったとこだよ。お茶にしよう』と、茶店「ルノアール」にてひと時、近況を語りあった。麗しきかな友情、と云う処か。

 

昨夜に戻ると、一軒目は「高松」で金魚割(焼酎)であった。それから二軒目の「ローカーボ」では、お洒落にフローズンダイキリ、ギムレットのカクテル。ここで常連のMATUOKA兄さんと隣り合って、降ってわいたような我が難儀について話た。兄さんは不動産屋なので丁度良かったのだ。

ここから「SEIJU」へ行くか、「おたぬきさん』かと、ひと揉めしたのだが・・・・・。最終的に行きついたのは、パスしようかと思っていた銀座であった。禅のYOUKOさんから、この夜、銀座の友人の店で唄うとメールを受けていた。その義理を果たそうとした次第だ。兄さんに付き合って貰い、その店に入ったのは22時を過ぎていた。

ここでハイボールを飲みながら『雰囲気がよくない、落ち着かない店だね』とか、散々な悪口を発していたようだ。河岸を変えようと、次の店に向かったら、兄さんが「俺の店に行こう」と、オイラのアロハの袖を握って放さない。それや駄目だ、オイラの店だと、やりあっているうちに、何時の間にや兄さんの行く店の前にいた。結局、ここに入り、25時前までうだうだとやっていた。

JRの最終、品川止まりに漸く間に合ったが、品川でタクシーを待っ列の長さにウンザリ。ようよう帰宅したら、26時となっていた。無理が利かない体になってるね

 

 

 

 

 

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安肉と人生は味付け次第

2015-07-29 | Weblog

7/29(水) 当社の今期も、今日を含めて3日を残すばかり。愈々大詰めだが、そんな緊迫感はなし・・・・。今日も暑い一日が明けただけのことだ。それにしても梅雨明けの蒸し暑さは、大変なものがある。カーッと照りつける暑さなら許せるが、ジトッとくるこの暑さには参るネ。

外に出て仕事をする人のことを思えば、我等はほぼ室内だ。ノー天気に冷房が効かないとか、効き過ぎるとか言っていれば一日が過ぎゆくのだから・・・・。御気楽と云えば、御気楽である。

ご気楽トンボの最先端を行く私は、今日もアロハにチノパンで出社だ。今日の外出予定があるとすれば、夜の銀座で義理の一軒に顔を出すことぐらいだ。それすらも、暑さの所為にしてパスしようかと・・・・。

 昨夕、友人のOKAZAKIさんの勧めもあって恵比寿の某クリニックで脳MRIと腫瘍マーカーの検査を受けるために出掛けた。OKAZAKIさんは、数か月前に受診し、その結果から安心出来たとのこと。

値段が安いこと(NETの口コミによると、その分、顧客満足は低いようだが)、現状の体調からすれば、どんな病気があってもおかしくないし、今後の段取りを考えると少々の時間的余裕も欲しい。そんなことから受診することにした。これまで十数年、健康診断もドックへも行ってない身からすれば、青天の霹靂と云うやつだ。

 クリニックはマンションの裏側にあって、判りにくいことこの上なかった。プチホテルのロビーのような受付は、受信者が十数人居た。隠れ家のような場所にありながら、結構な繁盛ぶりである。

検査そのものは、問診票への記載から血圧、体重・体脂肪のチェック、MRIを撮り、血液を採ってお仕舞と、一時間程で終えた。血液を抜かれながら『この検査で判明する確率はどれくらいですか?』と訊いたが、判らないとの返事。自分でネット検索でもして調べた方がよさそうだ・・・。検査結果は、一月後に受診して聞かされる。どうあれ、取り敢えず検査だけはしたのであった。

終わったのが午後六時を過ぎていた。会社に戻らず酒も飲まぬままに、帰宅することにした。未だ明るい時間だ、少しは凌ぎ易くなったが、それでも歩くと汗が噴き出した。

学芸大学駅の東急ストアで、明日の弁当や今夜の夕食の菜を贖った。たまさかに帰宅が早い時など晩飯を作る。これも貧乏オヤジならではの生活の知恵だ。

帰宅すると、臨月で帰ってきている次女が台所に居た。「足が痛い、後はオヤジがやってよ」言う。料理人交代で、鶏モモを揚げ、カツオの刺身を作る。長女と孫も来て、にぎやかな夕食となった。平日の晩飯としては珍しいことであった。

 

寝苦しいかった一夜も明け、弁当作りの時間を迎えた。昨夜、次女が「私のお昼も作ってよ」と云う。『それじゃ、誰かに喰われないように弁当にしてやるよ」と約束した。今朝は、三人の弁当を作るのだ。但し、次女は好き嫌いを言う、我儘なやつなのだ・・・。

昨夕に買った食材、牛小間・ステーキ肉、小松菜・ニラ・アスパラに加えて、ジャガイモ・タマネギで弁当作りとなった。

先ずは「肉ジャガ」からスタートし、「小松菜の胡麻和え」「ニラ玉」、最後にステーキ肉(これがアメリカンの安いやつだ)だが、普通に焼いたのでは旨味がない。日本酒に醤油、焼き肉のタレで味付けをした。

                    

弁当に詰める段になって『ニラ玉は大丈夫か?』と次女に訊くと、「ニラは嫌い」と、案の定の応えである。「ニラ玉抜き」弁当が一つとなった。

                         

 

 次女は、出産予定日を一週間も過ぎたので、明日は入院して陣痛促進をすることになっている。双子でもいるんじゃないか、というような腹を抱えて大変そうだが、生まれてくればもっと大変だぜ。呑気なもんだが、こっちに皺寄せするなよと言いたいのだが・・・・・。

そうは云えんのが、辛いとこだ。まあ、無事に元気な赤ん坊が出てくるのを待とう!。 男の子らしいから、次女に似て元気・煩いに違いない。

 

 

 

 

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今週の弁当

2015-07-28 | Weblog

7/28(火) 主要なるテーマの弁当、のことだが・・・。暑さの所為か身が入らぬのだ。朝起きた時点からぼーっとしている。熱中症かな?それとも暑さボケ?半ボケから本ボケに進行かもしれない。

そんなボケた頭でもこの二日間、一応は弁当作りはした。その証しだけは見せておきたいのだ・・・・。大したもんじゃないが・・・・。

先ず、昨日の月曜日。意欲も乏しければ、食材も乏しいと云う中でのテーマは「豚肉」。それも腿と肩のスライスしかないので、悩んだね~。腿スライスは「シメジ&エノキ巻焼き」に、チョット厚みに勝る肩スライスは「生姜焼き」となった。

                      

そして、ピーマン・シメジ・タマネギの「野菜炒め」「鮭焼き」。卵料理は、「ポテト&シメジのオムレツ」と云うことで、お茶を濁したのである。

                         

ご飯の上に、梅干しとジャコふりかけが載って完成であった。

 

そして、火曜日の今朝を迎えた次第だが。二日つづけて手抜きをする分けにはいかん、と手を動かすものを考えた。と云っても食材は限定されているのだ・・・・。

在庫食材の中で、数的に一番豊富な「ジャガイモ」を使うことにした。となると「コロッケ」が一番先に浮かんできた。先ず皮を剥いて茹でる。タマネギを刻み、挽肉と一緒に炒める。こうして下準備を進めた。

                         

魚は一枚だけ残っていた「粕漬け」を焼いた。おまけ的に「胡瓜と茗荷」の和え物を作り、仕上は卵焼きとなった。

肝心なことを忘れていた。今日のご飯は「炒飯」となったのだ。昨夜のご飯がたっぷり残っていたので致し方なし。人参・タマネギ・シメジ・ピーマンにベーコン入りである。

                               

コロッケもキツネ色に上がり、キャベツの千切りを準備し、今日の弁当事が済んだ。

                          

 

連夜、三時・四時に目が覚める。これが一番よくないようだ・・・・・。彷徨へる子羊は、羊を何匹数へようと、目覚めると眠れぬのだ・・・・。

 

 

 

 

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アフタヌーンは優雅に・・・

2015-07-28 | Weblog

7/28(火) 連日の暑さながら、週末の土・日と優雅なる午後を過ごした。その反動か、月曜日の暑さが殊更に沁みたね。

先ずは、土曜日のことから・・・。この日の午後、武蔵小金井のTUGAWA&HANAOKA宅を訪問し、HIROさんが丹精を込めた野菜料理などを頂いた。午後の訪問に先立って、朝の内に鮎の開き(これは前夜遅くに開いた)と「鮎寿司」を少々拵えた。ささやかな手土産である。

              

いつものことながら、HIROさん宅に伺うと我が家以上にリラックスして過ごす。女史の手作り料理が並び、アルコールは何でも有だ。処が、朝飯が利いて腹が空いてない。申し訳ない限りだが、料理が並んでいるだけで豊かな気持ちにさせてくれた。

先行きのない我等は、来し方の日々をあれこれと、思い出すがままに語り、話す。中天に在った太陽も傾き、小庭に影を作る。柔らかくなった陽の光とともに酔いがまわる。 

                                               

酔いとともに昔語りがすすむ。若気の至りでは済まされない不義理の数々、未だ返しきれない恩・温。幸いにも怨だけは残っていない。心地よい室内に流れるBGMはフラメンコ、そして昭和メロディーに変わった頃・・・。HIROさんも酩酊する。

                          

夕闇迫る中、花火の音が二度三度と響いた。祭りが始まるようだ・・・・。六時間ほども居たか・・・、時間の経つのが早いが、暇する時間がきたようだ・・・・。

武蔵小金井の駅前通りは夏祭りの最中。沿道を人々が埋めて、大通りを練り歩く祭り踊りに見入っていた。

                        

酔った頭で思うのは『オイオイ、余所から借りてきた踊りがそんなに面白いのか?踊りゃいいのか、狂えばいいのか?』と。東京だけならず、近郊の町もこの手の踊りが即席に興された夏祭りの定番のようだ。そろそろやり方を変えても・・・、なんてことを思いながら車中居眠りの人となっていた。実に、他愛ないね~。

明けた日曜日、今日の午後は平和島で水遊びだぜ!。水遊びと云っても私が水に入る訳じゃないよ・・・・。水辺での遊びさ。

水面を爆音を轟かせて疾走する、例の「ボートレース」と云うやつだ。この遊びに出撃した次第。奈加野の店主に同伴・随伴し、車に乗せて貰っての送り迎え付と云う結構な遊びだ。

昼過ぎから最終レースの6時ごろまで、平和島競艇場でレースを見、200~300円の舟券を買って遊ぶ。頃合いをみて、煮込みと生ビール。庶民の遊びとしては手頃と云えよう・・・・・。

総額で3000円を投入し、当ったのは2200円だ。煮込みと生ビル―が1100円、庶民っていいねぇ~。

                              

                          スタート前の勢揃い          一斉にスタートに向かう

夏休みになった所為か、家族連れの姿が多くなった。今から博打場に慣らせて、博打のプロにしようってわけか?

 

何れにせよ、休日のアフタヌーンは優雅に・・・・・。

 

 

 

 

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カボチャ

2015-07-24 | Weblog

7/24(金) 週末を迎えた。会社の今期(31期)も、余すところ一週間となった。どんな結果になるかは既に決しているが、褒められたものでないのが残念だ。これも偏にリーダたるトップの至らなさ、何処へもケツ拭いをもっていけないところが哀しいかな・・・。

ここで経営を担うようになって十余年となるが、一度たりとて楽なことはなかった。これも我が不明の所以なるが処であれば、甘んじて不楽なるを楽しむに如かず。先の見えないリーダーが、何時までも胡坐をかいている訳にはいかんのだが・・・・。

昨夜は、八時過ぎから「ローカーボ」にてハイボールを啜っていたが、たった三杯飲んだだけで入らなくなった。酒がすすまないとは情けないが、致し方なし。これも、仕事がらみの重い話の所為と云うことにしておこう。(ホンマに酒がすすまんのだ、ここ何日も。低気圧の所為か?)

たった三杯のハイボールでグッタリとなり、帰宅は零時前。帰りのメトロの車内では、隣に座ったネエサンが私の膝を嫌がって押してきた。心地よい眠りから起こされ、寝惚け眼で『失礼しました』と謝った。彼の美青年(?)も老いたりか・・・・・。

挙句にエアコンを点けたままで寝てしまった。明け方、寒くなって目覚めたが、五時半であった。暫し、弁当のことを考えた。(仕事のことで考えればいいものをネ)

 

考えた結果が「カボチャ」である。4月、田舎で植えた南瓜は三種。鉄兜・栗カボチャ・???の三種だったような気がする。南瓜だけは順調に育ち、それぞれに実を付けていた。今回の帰省で、それぞれ一個を持ち替えた。送料を考えれば、東京で買ったほうが安いが、自分で植えた収穫だ。銭金には代えられぬのだ。

その三種の中から、一番小さいこぶし大の南瓜を煮ることにした。これと、茄子の挽肉味噌炒め、鶏肉の炒め焼き、ソーメン、卵焼きが今日のメニュー。

                               

ご飯の方は昨夜の残り飯なので、焼き飯にする。どちらかと云えば、バターライスの方が正しいか。

                           

二人分の弁当を詰める段になり「今日はMIZUKIは休みだよ。昨夜言ったでしょう」と、家人からの叱責の声。すっかり忘れていたのだ。未だ酔いが抜けていなかったのか・・・・。

                           

今日は一人分の弁当になっちまった。早くに気付かなくてよかった。気付いていれば、制作意欲喪失だぜ。一人前は自分の朝飯となったが、これが胃もたれ、肥満の元凶だ。

 

 

 

 

 

 

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勘違い

2015-07-23 | Weblog

7/23(木) 昨夜の帰宅が早かった所為か、今朝目覚めたのはなんと四時過ぎだった。尤も目が覚めた時は時刻は判らない、カーテン越しの薄明かりで夜が明けたようだと思った。

暫らくして雨垂れの音が始まった『今日は雨か、予報どおりか』と、思いながら雨音を聴いていた。そのうち、渚に打ち寄せる波の音のような雨音になった。どうやら、本降りになったようだ。スマホで時刻を確認すると、なんと四時半だ!幾らなんでも早すぎるぜ・・・・。

よくよく考えてみれば、カーテン越しの薄明かりは、街灯の明かりだ。とんだ勘違いで目を覚ましたままでいた訳だ。四時半と云えば、前夜に酔っ払って帰宅してリビングの椅子で寝てしまったが、その時に目覚めたと同じ時刻だ。

そんなことがあり昨日は不調だった。その所為で、昨夜は「高松」で生ビール一杯と焼酎金魚ソーダ三杯で切り上げ、22時半過ぎには帰宅した。そして、23時半過ぎには蒲団に入ったのだが・・・、状況はどうあろうと、お目覚めの時刻が同じとはねぇ・・・・。

 

『しようねえな』弁当でも作るかと、五時過ぎに台所に向かった。昨日は体調不良・時間切れで弁当の用意が出来なかった・・・・、今日はその分まで取り返さなくちゃ、とばかりに食材を並べてみる。

先ずは、牛小間・アスパラ・茄子・ピーマン・カリフラワー・茗荷・胡瓜・オクラ・若布・卵・シメジ・インゲン・卵にマカロニ・小竹輪・・・・魚の粕漬。茹でる、炒める、焼く、和えるで、都合六種の菜が出来た。焼き物、酢の物、マカロニ&野菜のサラダ、茹で卵、茄子炒めのわさび味、竹輪の胡瓜詰、牛小間炒め、と云うラインナップだ。

然し、これらを弁当箱に納めるのが至難の業だぜ! 

                     

                                          これがメイン!

適当に詰め込んだが…、弁当を取りに寄った長女が見るなり「オトウサン 、あたしダイエット中なの」だ。『心配なし心配なし、おかずが多いだけで、ご飯は少ない』と、気配りの返事をするOYAJであった。

                          

チョット作り過ぎかな?

 

 

 

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旅烏さ・・・

2015-07-21 | Weblog

7/21(火) 田舎から東京に戻ったのは、今日の午後三時過ぎ。高知は雨つづきで、今日も朝からの雨。羽田空港に降り立ち、青空を見た時は嬉しくなったほどだ。(昨日ここまで記して外出した)

7/22(水) 我が故郷は今日も雨のようだ。これじゃ畑のスイカも腐ってしまうと心配だし、安田川も洪水つづきで鮎も暫く獲れないだろう。

先週の木曜日、夕方の便んで帰省予定だった。処が、台風が四国方面に向っており、この夜あたりに上陸の可能性が高まっていた。

月曜日から水曜まで、佐賀・熊本と旅をし水曜日の昼に帰京。その足でOB会の理事会に出席。七時過ぎに会社に戻り、翌日の帰郷に備えたが台風が気になった。どう考えても翌日の午後は飛行機が飛びそうにない。これまでの豊富な経験(綱渡り人生と云うべきか)からすると、午前中ならなんとかなりそうだと・・・。

急遽、夕方の便から昼前の便に切り替えた。翌朝空港に向かう前に、ネットで飛行状況を確認すると午後便は全て欠航の表示。朝の一便は出発していたが、私が搭乗予定の昼前の便は調整中となっていた。

取り敢えず空港に向かった。着くと、搭乗手続き一時中断との表示が・・・・。暫く待つと「天候次第で羽田に引き返す」条件で出発となった。これまでの経験からすると、こうなれば概ね何とかなる・・・。案の定、飛行中の揺れもなく高知空港に着陸した。

実家に向かう途中から大雨となり風も吹き始めた。が、まだまだ余裕である。台風はこの夜、23時頃に室戸あたりに上陸した。この時間帯に風雨が一時ながら治まった。台風の目が通過中であったろう。実家から室戸岬までは約30Kmの距離なのだ。昨年のお盆に襲来した台風に比べると大したことはなかった。

帰省を知っている友人達から、安否を気遣う電話を貰った。TVに「全町避難勧告」だとか、携帯にも緊急通報で流れてくる。こっちの方は『何処に避難するんだ。家へが一番安全』と多寡を括っている。翌朝川を見に行ったが、昨年の洪水に比べると子供のようなものだった。昨年は途中の県道が冠水、田圃も川水に浸かったからね・・・。

               

          昨年の台風では、右手の田圃に濁流が入った          これが、昨年8月の台風後(右が田圃)

台風が去った翌日も雨。土曜日、晴れ間が少し覘いたので畑の草刈となった。台風後の蒸し暑さには閉口したが・・・。この深夜、またしても大雨が降って川は増水した。

                       

                             ここは南瓜&スイカ  

そして、日曜からずっと雨がつづいているのだ。「雨あめふれふれも~と降れとか、蛇の目で母さんの迎え嬉しいな」なんてノー天気な唄があるが、これだけ雨がつづくと『いい加減にしろよ』と、毒づきたくなるね。

連れて行った孫娘(四歳)は、水着・水中メガネ・浮き輪・ビーサンと、取り揃えての田舎行であったが出番なし。草刈が出来た土曜日だけ、外で遊ぶことができた。

                         

それに比べて帰京した東京の暑さよ、空の青さよだ・・・。出来ることなら、我が故郷に少し持って行ってやりたいね・・・・・。

帰省中にお葬式が一件できた。同じの94歳ぐらいのお婆さんだったが、ここの息子さんが私より一歳と三歳上がいる。一歳上のKAZUO君は子供の頃の遊び仲間。彼は中学を卒業後、大阪に就職した。一年後、中三になった僕らの修学旅行は、大阪・京都・奈良だった。

大阪の宿にKAZUO君が来てくれ、僕らを大阪の街(ミナミだったろう)に案内してくれた。田舎での、未だ少年だったKAZUO君は、繁華街に詳しいはずもなかろうに・・・。饂飩を奢って貰った記憶が微かにある。小遣いも乏しかったろうにな・・・・。

そんなことが思いだされ、義弟にあたるHIROKATUと一緒にお通夜に行くことにした。受け付けの女性に、HIROKATU 曰く「誰か判らんろう?」と言う。小学から高校まで同級のKAZUKOさんだった。これじゃ町ですれ違ってもお互い判らん。それだけ変形か?原型を留めていないということだ。

何十年ぶりかで会い妙に懐かしく思えたのは、中学の卒業時に彼女が書いた寄せ書き。「鶏頭となるとも牛尾となるなかれ」(鶏口と・・・牛後と・・)であった。その一文だけが未だ記憶に残っている・・・。

「そのうち同窓会をせんといかんね」『そうだな…』そんな会話を交わした。中学の同級生で亡くなったのは三人か・・・・。もう誰が何時逝ってもおかしくない年令まで来てしまった。

 

先週の月曜日の夕刻、佐賀空港に降りた。故古賀武夫さんの出版企画の取材立ち合い。そしてこの夜に開かれる、NAKAMIZO DAISUKE君のインド赴任の壮行会に参加する。学生時代に出会ったDAISUKEも、早や三十三歳になっていた。古賀武夫さんの空手&英語道場の弟子である。

学生だったその弟子たちと一緒に、「地球市民の会東京」の活動について何度か話し合いの場を持ってから十数年が経った。意見は全く集約ならず、纏まらなかったが、それはそれとして良かった。若者たちと触れ合うのは悪いものじゃない・・・。

壮行会には、若者よりもオヤジやオバハンたちが多かったが、DAISUKEの壮行会らしい集まりと思えた。それぞれの思い出を語り、夜は更けていった。

DAISUKEは「インドにも和同流の道場があるそうです。会社の人から待っていると言われましたので、空手はつづけます」と、決意表明をした。彼の空手は中々のものだと聞いている。

                           

翌日の午後、佐賀での取材を終えたHASHIMOTO氏と、会の専務理事OONO氏、古賀武夫さんの未亡人YOUKOさんの四人で、阿蘇の南麓の「世界平和道場」に向かった。そこは現会長のSATOU SHOUJIさんの住いであり、神武天皇が東征の兵を挙げたと伝えられる「幣立神宮」に連なる丘陵地である。

会長は、この夜遅くに名古屋から戻るとのこと。我らは、途中で温泉に入り夕食を済ませてから伺うことにした。OONO専務理事が、阿蘇の温泉リストを用意してあった。この中からYOUKOさんのリクエストで高森町の「月廻り温泉」とやらで入浴することになった。この温泉は高森駅から車で十数分、阿蘇山に向かった山腹に在った。

                           

                             入り口は厳めしいが・・・・     

見晴らしがいいとのことであったが、遥か向こうの山には生憎の雲。鄙びた小さな温泉は、閑寂・静謐な山の空気に沈みこむようで旅情をかきたてた。

風呂の後は飯、とガサツな都会人は飯屋を求めた。「ここ高森は、田楽が有名なんですよ」と、OONO氏が言う。ではと、途中に在った田楽の里に向かう。山中の隠れ家と思しき料理家が、日暮れた木立の中にポツリ聳えるが如くに在った。大庄屋の古民家を移築したような建物の中は、畳敷きの大広間に大小の囲炉裏が十ほども設えてある。

                             

 その一つに案内をされ、座した。田楽のコースを所望し、瓶ビールの栓を開けた。運転手役とご婦人、HAHSIMOTO氏もオールフリー・ビールなんぞを注文した。囲炉裏に炭が熾き暑くなる、早くビールを飲まなきゃ…温まるぜ・・・・。

                          

 ¥2800の田楽コース?だったような気がするが、これで満腹。町(?)のスーパーであるアルコールや乾き物を仕入れ、いざ出陣と、蘇陽(旧町名で現在は山都町)は馬見原の台地に向かった。

 我等と相前後して戻られた会長との話&酒は、深夜に及んだことは云うまでもない。旅は、いいなあぁ・・・・。

 

 

 

 

 

 

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夏だ~

2015-07-13 | Weblog

7/13(月) 先週の金曜日から急に暑くなった。一気に夏はきぬと、なった。こうなってくると本格的な夏スタイルに衣替えだが、ここ数年衣料品を買ってない。昔から持っている、着古したよれよればかりを召している。

これじゃお金持ちの紳士らしくないと、土曜日にあったバーゲンセール(お金持ちらしくないか)に繰り出した。臨月を迎えている次女の用品も揃える必要があった。次女はのんびりしたもので、長女が出産した折のお下がりで間に合わそうと云う魂胆だった。それで間に合わないものが多々あったようだ。

五反田のTOCと云う、昔からある流通センタに行ったのだが、大きな腹を抱えた次女は「暑い!歩きたくない!」と我儘放題だ。一体誰に似たんだ?こいつは、という心境だったがそこは大人のOYAJIだ。大変だね~、と受け止めるのであった。買い物が一段落し、喉が渇いた、何か食べようとなった。

建物の地下に在る食道街に下りた。が、食欲をそそるような店がない。適当に入ろうと、なんのへんてつもない「ちゃんぽん」の食堂に入った。

レジ上の壁に、見たことのある龍の陶板画が掛かっていた。よく見ると「今仁工房作」と書いてある。店のオバサンに『この陶板画は、草場一寿さんですか?』と訊くが、判らんと言う。が、暫くしてから、誰かに訊いたのだろう「そうでした」とのこと。我が家には、天女の陶板画が一枚掛かっている。

作家の草場さんの工房は有田だかに在り、今取材を重ねている古賀武夫氏の甥である。今回の佐賀取材でインタビューするうちの一人である。氏の作品に出合ったのも、ご縁と云うやつか・・・。

メニューに佐賀名物「シシリアンライス」と云うのがあった。「ちゃんぽん&シシリアンライス」のハーフセットを注文した。シシリアンライスと云うのは、ご飯の上に挽肉餡かけとレタス&胡瓜のスライスが載って、マヨネーズを掛けてある。名物がこれか?という感、強しだった。今夕に佐賀に行く。会った誰彼に訊いてみよう。そしてあれってB級グルメというより、C級じゃないのか?って。嫌みなオヤジぶりを発揮しよう・・・・。

                          

土曜日の夜は「奈加野」にて橋本氏と食事。氏が鮎を食べたいと云うので、家に隠し置いてある特上の鮎を持参し焼いて貰った。胃を取られている氏は、一匹だけで十分であった。鮎について、知りもしない講釈を垂れた。

                         

                       鮎焼き            センター街の賑わい

そして日曜日、昼前に会社に顔を出し用件を済ませた。今月が期末となるので、その見込み資料を作っただけのことだ。デザインの仕事で追い込みが掛かっているYOSHIOが一人、冷房も入れないで頑張っていた。痩せ細った体で、よう頑張る。その姿には感心するが、体を壊さないでくれよ・・・。

そんな頑張っているYOSHIOを残して「俺は平和島のボートレースに行くから、後は頼んだぞ」と、平和島の競艇場に向かった。今日で三回目の競艇だ、様子は少し分ってきた。社会見学も三回目となるから・・・・。

競艇場に着いたのは第八レースがスタートする直前。奈加野の店主は既に来ており、今日は何レースか取っていた。私の方は100円、200円と貧乏たらっしい舟券の買い方。勝負毎に来たのじゃなくて、社会見学だからね! 

今日のレースは女性ばかりの出場。レース服を着ているので男・女か判らんが、出走表に出ている名前と、勝利者インタビューの映像に出る姿で判った。こっちは男だろうが女だろうが関係なし。ズブシロだ、番号見ての当てずっぽうさ。それでも、二レースだけ当り、1620円の配当。〆て千円のマイナスの結果となった。

                          

右側の写真は、一一週目のコーナーを廻っている処だ。もうこの時点で着順は90%以上決まる。勝負は早い、たった六艇が三周して決着するレースなのだ。因みに、このレースにおける私の舟券はハズレ。200円も失った・・・・。

競艇場で煮込みと生ビール、レースボートの爆音を聴いて2時間ほど遊んだ。充実した休日を過ごした気分であった。 

 

そして今朝の弁当。残り飯で「炒飯」、AJIRO君が送ってくれたジャガイモで「肉じゃが」と「ポテトサラダ」、鮭を焼き、出来合の豚バラ煮、以上であった。

                     

特に記すこともない、習慣的作業の趣の弁当作りであった。

                          

今夕から佐賀・熊本を廻り水曜日の午後一に帰京。OB会の理事会に出て、懇親会となる。木曜日の夕刻には帰省し、翌週の火曜日戻り。個人的には多様多忙であるが・・・・・。それ以上は云うまい。

それじゃ、また。

 

 

 

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習慣とは・・・

2015-07-12 | Weblog

7/12(日) 昨日は土曜日、五時過ぎに目覚めた。目覚めてから考えたのは「お弁当」のメニューであった。一生懸命考え、あれかこれか?これにしようと無い知恵を絞っていた。

漸く考えがまとまり、六時頃に台所に立った。この時点では土曜日=弁当不要とも、そもそも土曜日と云う意識すらなかった。意識をしていたのは弁当を作る、という一点だけであった。

準備を始めて暫くし、家人が台所に顔を見せ「なにしてるのよ?今日は土曜日だよ」と、のたまわった。嗚呼アアァ~だった。自分でもこれを食べたい、これなら旨いぞ、なんてことを思いながら作っていたのに、思いは急激に萎んでいった。

もう半ばまで仕上がっているのに・・・・。ガッカリしていたら、またしても家人が「今日、MIZUKIは仕事だと言ってたね」の一言。『早く、弁当あるぞと電話しろ』と吠えた!

人生と云うのは諦めちゃいけないな、ちゃんと収まる処に納まった。弁当を取りに立ち寄った長女は「あれば喜んで頂くわよ」と、休日出勤に向かった。

習慣と云うのは恐ろしいね・・・・、目覚めると弁当や飯のことが浮かんでくるのだ。ちっとは人生の深淵や、世界の平和と安全保障とかに頭を使えばいいものを、食い気にばかり走るとは、我がことながら「おそれ入谷の鬼子母神(こんな言葉使っても分らんか?)」ってとこだ。

 

で、知恵を絞ったお弁当の方だが「鶏飯」に「ジャーマンポテト」「ピーマンの肉巻」と「豚肉の野菜炒め」である。な~んだ、大したもんじゃねえな、の声が聴こえそうだが、キーは「鶏飯」ですよ。

                 

ちよいと味見ならぬ、茶碗に一杯頂いたが、旨かったネェ~・・・・。朝も早よから考えた甲斐があったと云ううもんだぜ。

 

                       

 

金曜日、土曜日と「古賀武夫さん」の関係者に取材した。一言だけ『いや~大した人たち。素晴らしい。』流石に古賀武夫の関係者だった。その考えや生き方、敬服するばかりでした。あの方々ありて古賀武夫あり、古賀武夫ありてあの方々有り、そんな気がしました。

引き続き月曜日から佐賀・熊本で関係者にお会いする。機会を見て紹介できればと・・・・。

 

 

 

 

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