オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

秋晴れ・・・

2018-09-28 | Weblog

9/28(金) 今日の東京は朝から爽やかなら秋晴れ。気分が良くて、珍しく早い時間に人形町に向かった。直ぐに会社には行かず、マッチャンとドトールでコーヒータイムを。そろそろ出ようかと云う頃に、「高松」のミッチャンが姿を現した。

ソバの水加減や汁のことなど聞いているうちに時間が経った。と云うのも、明日の土曜日に浜町で蕎麦打ちの会がありそれに参加するのだ。先週の土曜日、JIN先生宅でのオヤジの料理教室でも蕎麦打ちがテーマだった。明日は二度目となるので、少しは上手くなりたいの健気な心掛けだ。

探究心を忘れない、見上げた心意気ではないか?。これがあれば、会社の方も安泰であったろうに・・・・・。とは云いながらも、人生、危なげなドラマがある方が面白い、と思うが?如何なものであろう。

さて、昨日の夕方に帰京したが、羽田空港に着くと小雨がパラツく曇天。寒かった。こんなこともあろうと、実家に在った長袖ワイシャツとベストを着てきた。着て行ったアロハシャツは置いてきた。傘を持ってこなかったが、自宅に向かう頃には上手い具合に上ってくれた。人生、こんな具合に上手くいってくれたら申し分ないが。

田舎でも曇ったり降ったりだったが、四十九日の法要と納骨では、前日の予報と違って薄日が差した。お蔭で滞りなく終えることができた。これも神仏のご加護であろうか?、それとも日頃の行いの良さか?。

                       

ふるさとの山も川も、変わらずに美しい。残念なことは、台風などがつづき川が荒れた。鮎漁の方はこれからが最後の追い込み時期と云うのに、サッパリだとか。追い討ちをかけるように、鮎獲り名人の従姉の旦那が交通事故に遭遇、骨折入院となっていた。そんなことで、今年の鮎は例年の半分以下である。

                

それでも小さな鮎ながら届いたのを十匹ほど開き、十月に来宅予定の後輩たちの為に干したはいいが、予報に反して雨模様になった。最後は扇風機で風を送ったが、干し加減が悪くなった。

                        

今日の久々弁当は、冷凍のコロッケを揚げ、鮭を焼き、高知空港で買った「板カマボコ」や「土佐天&チクワ」等でお茶を濁した。有り合わせの品であるが、致し方ない。今度、弁当用のレシピ本を買って、レパートリーを広げるか・・・・。

              

長女の弁当だけ、鮭まぶしご飯である。

 

余談ながら、田舎で大量に作った菜のこともあり太ったかと思いきや、体重に変化は殆どなかった。今朝の風呂で計りに乗ってホットした。

                        

                       夕食                朝食


今夕はKATO先輩の思召しで、品川のオイスターレストランで食事と云うことになっている。先輩には、入社以来、剣道と仕事でお世話になってきた。恩人のお一人なのだ。ひと月前にお会いすることになっていたが、母のことがあって延期してもらった。これまでの御礼を申し上げる。

 

 

 

 

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週末・・・

2018-09-21 | Weblog

9/21(金) 昨日からの雨がつづいており、今朝は肌寒い。昨夜の帰宅が珍しく早いうえに、蒲団に入った時間も早やかったので、目覚めも五時と早い。早いながらも、蒲団の中で読書。台所に向かったのは六時半になってからである。夏掛けの薄い蒲団にくるまっていたが、余りの肌寒さに思わずエアコンのスイッチを暖房にした。

今朝の弁当は冷蔵庫の有り合わせの食材で間に合わせた。豚バラ肉の冷凍、ウインナー、白菜に茗荷・胡瓜・タマネギ・大根・セロリと取り出し、メニューを検討。今朝は義母の味噌汁も作ることにする。

豚バラ肉と白菜の挟み煮、豚バラ肉とタマネギの生姜焼き風、ウインナー炒めと薄揚・茗荷焼き、竹輪胡瓜、スクランブルエッグ、斯様な処に落ち着いた。味噌汁のj具は、大根・人参・ネギ・タマネギに薄揚げである。

残りご飯が電気釜にあったが、鍋で飯を炊いたら硬飯になってしまった。と、いっても、歯こぼれするほどじゃない。胃の方は相当草臥れるだろうが・・・。

                 

 

今夜は渋谷へ。後輩でやたら賑やかなMOTOKI君と一杯やることになっている。二月も前から約束をさせられたが、結果的にタイミングが良かった。

明日の午後は、高輪台の先生宅で「オヤジ達の料理教室」が開かれる。午前中に築地へ行って塩鮭を田舎に送る予定だが、これは何時も鮎で世話になるので御礼なのか撒き餌?なのか・・・、たぶん一石二鳥かな?。

祝日の月曜日に、早めながら母の四十九日をやることになった。11月に亡父の七回忌があることから、納骨は近場にいる従兄妹達だけで済ますことにした。そんな訳で、23日~27日まで帰郷する。四十九日で納骨が済めば、諸先輩たちの墓参もフリーになるだろうと、10/4~6日の日程で金沢に行く。

昭和59年5月、現役の金沢電話局長で亡くなられた大澤重樹さんの墓参。本社時代の課長で、ぺぇぺぇだったがお世話になりました。多分、墓参もこれが最後うなろうかと、当時の部下で仲人をして貰ったIMAI君を誘った。それに富山在住のMURAI君が加わって、野田山の墓所を訪れる。初夏の暑さだった、34年前の葬儀のことは記憶に残っている。

 

 

 

 

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焼肉弁当

2018-09-20 | Weblog

9/20(木) 昨日の午後おそくに、四半世紀も前にNグループの広告会社で一緒だったTAKEMURA女史が会社に訪れてくれた。彼女の相談と云うのが、営業マニュアル&お客様マニュアルを判り易くして提案してくれないか、との内容であった。

以前に女史と一緒に仕事をしたことがあるスタッフのAOKI君にも入ってもらい、話を聞いたのだが・・・、ちょっと難しいネ!と云うことになった。折角の相談だったのに悪いことをしてしまった。お詫びがてらに「うまし」にて旬の秋刀魚などを食して頂き、小一時間話をして別れた。女史は相変わらず真っ向から仕事に向かっていた。それ故に、疑問などが湧くのであろう。とてもいいことだ

女史と別れ、「日山」にて肉を買った。勿論弁当用であるが、ここ暫く不在がちで満足な弁当作りもできてない。お詫びの気持ちと云うより、文句ひとつも言わぬ家族への感謝を肉に託そうと次第。

肉を買ってからHOYA兄いと「高松」で合流。先夜のBS取材のことなどで盛り上がり、兄いが撮った写真を貰った。酔っ払い顔のボケ面で、タレント歌手と写っていた。そう云えば番組名は「あなたが出会った 昭和の名曲」という番組で、毎週木曜日の7時~9時放映のBS11の番組であった。11月の放映だろうとのことだが、日程は未定だとか。

「高松」から「ローカーボ」へと流れ、何時もの面々に出会う。そして、NAKAMURA大将も加わり、「セイジュ」でカラオケになった。高松の女将から、友達がセイジュに向かった旨の連絡があった。酔っ払いオヤジ達でワイワイガヤガヤと騒ぎ飲み、草臥れてしまった。帰宅は、丁度零時であった。

                      

今朝の起床は七時前と遅い。飲み疲れと涼しくなったのが重なり、睡眠時間が長くなったようだ。だが、意味不明な夢を見ているので熟睡できないのだ。

今朝の弁当は、前夜に買った肉「ハラミ&モモ肉」の焼肉用です。流石に肉の色合いもよろしく、美味そうである。

                  

卵焼きに蒲鉾、タマネギ&茗荷のサラダを添えて、今日の弁当が仕上がった。肉を一切れ口に入れたが・・・・マイウ~であった。やっぱお値段だんだけのことがある。

                

 

 

 

 

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帰郷、そして帰京

2018-09-19 | Weblog

9/19(水) 先週の土曜日から昨日まで帰郷し、母なきあとの後始末に忙殺されていた。といっても、日・月は休日のために準備をし火曜日の朝から役所や金融機関を廻った。この日の午後、三時半の便で帰京すべく大わらわになった次第。

帰郷した晩に従兄が獲った川カニ(田舎じゃズガニと呼ぶ)を貰ったので味噌汁にした。身の方は少ないが、かぶりついた。母がカニ好きであったことを思い出しながら・・・・。

久しぶりに畑に行くと、丁度彼岸花が満開を迎えていた。岸かけの脇に生える茗荷を収穫し、母の納骨と彼岸を控えたお墓の掃除をする。二時間もかけたが、いい加減なところで切り上げた。川は、洪水や大雨の所為で水嵩が高く、本格的な鮎漁は未だのようであった。

                 

昨晩、蕎麦店「高松」にてBS11の番組取材があった。友人のHOSOKAWAがプロデューサをしていることから「高松」に取材をお願いした。そんなこともあり、店の客になり様子を窺った。インタビューもされたが、これはカットされるであろう。取材が済んでから、HOSOKAWAとHOYA兄いで「高松」「ローカーボ」「ちょっぷく」で飲んだ。帰宅は零時前になっていたはず。

                     

                           取材模様            四代目の若夫妻

酒の所為か意味不明な夢を見ながら、今朝の目覚めは七時前になっていた。 さあ~弁当作りと台所に入る。メニューは全く考えていなかったので、冷蔵庫の中を漁った。

茄子・キャベツ・茗荷・冷凍鯖の文化干し、牛バラやシューマイを取りだして、弁当作りをスタートした。

かくして、「茄子・茗荷に豚バラの味噌炒め」「豚バラ焼」「シューマイ」「鯖焼き」が、今日のメニューである。

                

                          

 

 

 

 

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久しぶりに渋谷・・・

2018-09-14 | Weblog

9/14(金) 昨夜は久しぶりに渋谷に出た。渋谷といっても行先は「奈加野」に決まっているのだが。奈加野で、高知出身だという、若い渋谷支店勤務の証券マンと会うことにしたのだ。証券マンに用はないのだが、高知出身だと云うことに加え、会社の付き合いで某社の株を持ったときに、その証券会社の渋谷支店を通じたことによる。

証券会社の渋谷支店を紹介して貰ったのが、奈加野のオヤジからなのだ。そんな縁があったので、奈加野で若い証券マンに会い、店の紹介も兼ねてと云う次第であった。入社三年目という若者は、土佐の出身にしては垢ぬけた好青年であった。証券事情を聴くというよりは、店主と二人して、オヤジの寝言を聞かせたのであった。

最近若者と話をしていない、それに証券会社事情にも疎いのだが・・・・。二時間ほど歓談し、若者を返してから店主と二人でボケた会話をして過ごした。帰宅は22時と早い。例によって駅前の東急ストアで弁当食材を見繕ってからの帰宅。

帰宅が早ければ蒲団に入るのも早くなる。その結果、朝の目覚めも早くなる。今朝は五時前に目覚めていた・・・・・。

今日の弁当は「牛プルコギ焼き」に「根菜(大根・人参・蓮根)と鶏肉の旨煮」、鮭焼きに出汁巻卵であるが、もう一つ「マグロのマリネ」を追加。昨夜のスーパーで生マグロが安かったので買ってしまったのだ。こいつを弁当に入れると厄介なことになるので、小さなタッパーで別盛りしてもたせた。

           

少しづつ味見をし、本格的に朝飯をと思いもしたが・・・・、踏みとどまったキューイ・バナナ&サラダホウレン草のスムージーで済ませた。ここまではいいが・・・。全てを整え、風呂に入る前に体重計に乗った。なんと、11Kgもの減量に。これは行き過ぎだぜ。道理で草臥れるはずさ、と実感。

                      

会社に出る前に床屋に行き、更に区役所に寄って住民票などを取った。名義の変更などであれこれに添付書類が必要に・・・・面倒だね。それがすんで、帰る段になって、奥に食堂があるのを思い出す。役所の食堂ともなれば安いのが相場。覗いてみることにした・・・・。朝の体重激減が脳裏をかすめたのだ。

先ずは小銭入れの中を確認した・・・、小銭が四百円に五百円玉が一つ。五百円玉は絶対と言っていいほど使わないので、四百円の品を探した。と、ありました390円也の冷やし麺が。いわば冷やし中華ですよ。体力増強にと、禁を破ってこれを食すことを決断した次第。

イヤ~どうこうってない冷やし中華だが旨かったヨ!。たかが役所の食堂だぜ!、それも390円の冷やし中華だが。独特の掛けスープの濃さ、ちょいと萎びた感が漂う胡瓜の千切、安っぽい刻みハムが載っているだけだが。ちょいと硬めの中華麺に、濃いタレをからめてヅルヅルと啜る快感。喉越しに残るタレのしょっぱさ!。

食後は、充実感が漂いましたよ! 。下膳ついでに、お冷を喉に流しこみましたが。体力気力が漲ってくるような・・・そんな至福の時だった。然し、これが怖いんだよねぇ~、ここからリバウンドなんて暗黒に・・・直行しかねないのだから。

今夕は、OB会支部の総会で品川へ。懇親会である。スタートとお開きが早いので、明日からの帰省を思うと人形町にリーターンになりそうだ・・・・・。

 

 

 

 

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TV取材・・・

2018-09-13 | Weblog

9/13(木) 昨夕、サラリーマン時代の高知の会があり小人数で故郷の酒を、ああでもないこうでもないと酌み交わしていた。そこへ、我が御学友のHOSOKAWAから電話が入った。

「取材の件だけどさ、未だ夜の店が決まってないんだよ・・・」などと、さも小生に責任がありげにのたまわる。確かに話は聞いた、2~3軒の候補を挙げて奴と一緒に廻りもしたが不首尾に終わっていた。その後は、こっちも葬儀がありそれどころじゃなかったし、奴も承知していたはずだが・・・・。

『それじゃ前から言っている店、高松にしなよ。江戸のソバ屋は、夜は飲み処と相場は決まっているんだから・・・』と応じた。『店に行くなら、しょうがねえから付き合うよ』と親切な言葉まで添えて。そんな次第で、八時過ぎに高松で合流となってしまった。賢人グループの方は、野暮用が出来たのでと途中から失礼する破目に・・・・。

TV屋のHOSOが関わっている番組で、人形町を取り上げることになり、スタッフが取材先をリストアップしていた。そのリストを見せられたのは、一月程も前のことか、その中からこれとこれは止めろと、云った店もある。私が候補で挙げたのは「高松」「ちょっぷく」「うまし」の三店であった。取材では、ギター弾きの姐さんがリクエストに応じ、店の来歴や主人の話を聞く、そんなことだった。何時だかBSで見た記憶があるが、BS11の夜の番組だからネ・・・・。

私が挙げた二店で上手く運ばず、そこでとまっていたようだ。じゃ残りの一つ、一番先に揚げた店しかない。と云うことで「高松」に取材のお願いに上がったという顛末。お願いすれば、予約客で埋まってなければなんとかしてくれるだろう・・・・。そんな訳で、目出度く来週の休み明け火曜日の夜に取材となった。

生憎、こっちは高知に帰省している最中じゃないか・・・。帰京できればするが、客集めは手伝うよと、パトロール隊に動員を掛けることとなった。何とかなるだろう・・・為せばなる、ナセルはアラブの大統領だ。それしても落ちがふるいねぇ~。

HOSOには皮肉交じりに『お前は、困ったときしか俺のとこにこないねぇ~』と嫌みを垂れたが、奴にすれば馬耳東風だ。なんと言ってもTV屋だからねぇ~。

昨夜は、そん落ち着かない夜になってしまったのである。で、帰宅は22時半前と早くなった。お蔭で今朝の起床は五時前とちょ~早や。

それでも弁当作りは、六時過ぎからである。今朝は、「鶏唐揚げ」と「茄子&茗荷・シメジを素揚げした青紫蘇ドレッシング和え」、「小松菜の煮浸し」「鯖文化干し焼き」に、卵焼きと云う、王道のコースとなった。

                  

弁当は二つ、何時もどおりである。今朝の我の食事は、トースト半分に蜂蜜、ベーコンエッグである。少しは喰わないと・・・・。

 

 

 

 

 

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ステーキ

2018-09-12 | Weblog

9/12(水) 昨夜の帰宅は23時前と早かった。それも、改札前の東急ストアで弁当食材を買ってのことだ。夕方、後輩のYOSHINO君が人形町に来た。安酒場の「ちょっぷく」で、久々に四方山話をしながらホッピーに濁り酒などを飲りながら歓談。

彼と別れ、ローカーボからセイジュと転戦、再びちょっぷくでYAMAKEN店長を構ってからの帰宅であった。HOYA兄貴と連れ立ってのことであったが、スタート時間が早かったので、それなりに充実の夜の部であった。

今朝は六時前に起床、早々とキッチン男となった。昨晩に仕入れてきたステーキ肉とサーモン、ナスで弁当作りとなる。ステーキ肉と云っても、安いアメリカンビーフの赤肉だが、これを美味しく仕上げるのがポイントだ。とは言っても、さほどの腕はない・・・・。適当にやるのがオヤジ流である。

サーモンはバターでソテーしたが、ステーキはブランデーで仕上げのフランべし、それなりに食せる味になった。ここん処、食控えだったので今朝は思い切って肉を口に運び、ご飯も一膳いただき、アサリの味噌汁も一杯と云う次第。茄子は、茗荷と味噌炒めにした。胡瓜と若布の酢の物を作り、卵はオムレツ風にした。残っていた辛子もどきのピーマン&シシトウをオリーブオイルでソテーし、辛みを抜いた。

                

以上で、今朝の弁当事はお仕舞になったが、弁当に入る量は知れている。珍しく充実した朝飯となったのである。

                     

変り映えしない弁当であるが、ないよりはましであろう。

 

今夕は、サラリーマン時代の県人会長老(会長経験者)との秋の恒例会だが、幸いなことに店が日本橋「祢保希」になったので会社から近い。残念なのは、昨年末に藤谷さんが身罷り、OKADAさんは長患いで姿をみせない。だんだんと淋しくなるのは、こっちもお齢を召したと云うことか?。若けぇつもりでも、老いゆくのは防ぎようがない

各の如し、江戸に居ると夜が忙しいのである・・・・。夜だけ!。

 

 

 

 

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弁当再開・・・

2018-09-11 | Weblog

9/11(火) 昨日の月曜日から弁当作りを再開した。が、それも今週だけのことである。と云うのも、葬儀後の後処理があり、土曜日に帰郷し20日の木曜日まで郷里に滞在。そして、23日に再度帰郷し27日に東京に戻る予定でいる。

行ったり来たりとせわしないが、致し方ない。外せない前々からの予定や、諸手続きを考えるとこうなってしまうのだ・・・・。

てな次第で、弁当作りもおちおちできないが、今週だけはフルに作る。昨日は「トンカツ」、今朝は「コロッケ」がメインだが、今朝のコロッケは冷凍を揚げるだけだった。ベーコン&アスパラ他の炒め物に、カボチャを煮た。二日続けて、日曜日に出掛けた「御嶽山」(みたけ)の駅前で買った、550円也のわさび漬けをのっけた。

先ずは、昨日の弁当写真を・・・・。トンカツに加えて、椎茸とタマネギのフライも少々・・・。小松菜の煮浸しと卵焼きです。

              

そして今朝の弁当になるが、コロッケとカボチャ煮、ベーコン&野菜の炒め物、胡瓜の塩麹もみであった。

                  

今朝は珍しく、ご飯を軽く食した。と云うのも、近頃、妙に疲れ感がある。日曜日の御岳山詣でで草臥れたのは確かだが、体がだるいのだ。原因が、エネルギー不足でないかと思い、軽く食した次第。ここ二ヶ月、キリギリスの食生活をベースにした所為で体力低下かと。少しは肉を喰わなくちゃいかんかな・・・・。

10kg程体重を落としたが、子供達の間では「オヤジはガンを隠しているようだ」と云うのが定説なようだ。癌で死んでも生命保険には加入していない、ザマ~みろだぜ。情けないことに、保険料も払えない貧乏オヤジなのだ・・・・。有るのは、五百円玉貯金だけだぜ。

 

日曜日、総勢十名で「御嶽山」に遊んだ。詣でると云うより遊山と云う方が正しかろう。ましてや、私は母の四十九日も済んでないので、神社仏閣の参拝は塩梅が宜しくないそうだ。本音ではこんなことは信じちゃいねえが、建前はそうである。されど、母の遺言のような言葉は「神仏を敬え」だからねぇ~。

兎も角、御嶽山行は前々からの予定であった。人形町パトロール隊を称するメンバーに、「うまし」夫妻、「高松」夫妻、それにローカーボのマスターとギタリストのNUMATAちゃんと、参加者が増えたがこれもまた愉しである。

中央線の向かい合わせの車中から缶ビールを飲み摘みを廻す下品さは今更ながら。御嶽駅のバスの待ち合わせが三十分あり、唯一の駅前ラーメン屋で餃子にビールと云う葷酒。神をも恐れぬ所業で「神、坐す山の物語」(浅田次郎)を懐にして、作家の所縁深い御嶽山ならぬ由緒ある神社へと・・・。

                     

ケールカーはあるものの、坂道と三百段以上と云う石段に悪戦苦闘するも・・・・。いや~良かったですよ。汗まみれになりながらも、山と神社がらの醸す霊性に心身が浄められるような・・・・。尤も、一番浄められたのは「山香荘」の湯船に浸ったときかな?。この湯は良かった、最高でした。

             

と云う、充実の秋を満喫。夕刻に辿り着いた東京・八重洲の酒場にて無事帰着を寿ぎ、ローカーボで仕上げと云う優雅な日曜であった。

                    

 

 

        

 

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帰京

2018-09-07 | Weblog

9/7(金) 本日の午後、十日ぶりに帰京した。先週の水曜日に帰京し、懸案だったクライアント先への挨拶を後任の社長を同伴して済ませることができた。八月中に済ませることが叶い、帰京した甲斐があったと、ほっとした翌日の朝は弁当作りを始めていた。其処へ郷里の妹から電話が・・・。

母の様子が悪くなったとの連絡であった。急遽、帰郷することになったのは帰京した翌日の朝のことである。羽田空港に着き、搭乗ゲートに向っている処に再度の電話があった。母が身罷ったという連絡であった。覚悟はしていたが・・・。

午後に実家に着き、河岸へと向かう用意が整っていた母の亡骸と対面したのである。薄く死に化粧を施された母の顔は、安らかであった。それからあたふたと、通夜・告別式の段取りを決めた。

八月三十日午前10:47分逝去、三十一日通夜、九月一日が葬儀であった。慌ただしかったが、孫・曾孫たちもみな揃い、見送ることができたしだい。戒名は「融然院文華妙美大姉」と、母に因んだ院号を菩提寺の宗円住職が授けてくれた。

                     

五月の下旬に入院、病名は膀胱がんで治療の手だてなしとの診断であった。確たる治療も出来ないとのことで、県立病院からの転院先を探してもらう中で、幸いにも姪が勤務する地元の病院が受け入れてくれたのであった。転院の折に「今度、大きな出血があると持たないでしょう」と、云われる。

そんなこともあり、ある程度の覚悟はしていたが・・・・・。なんとか今年いっぱい、せめて亡父の七回忌がある十一月まではと、願っていたのだが。虫の知らせか、29日の帰京前日に病院から戻り、妹と二人でいざという時に使用する、母の写真を探したのである。

葬儀場については、地元で生まれ育った母故、地元のJA葬祭センターに依頼することにしてあった。そして、新聞広告も出さないことにし、満九十五歳の母を静かに見送ろうと決めていた。

三か月余の入院中に目の当たりにしてきた、体力低下と衰え、握った手に力が入らず声が出なくなって行く様から、見送りの心構えはできていた。とは言いながらも、空港で亡くなったとの連絡を受けた時は、思わず声が詰まった。軟弱な男である・・・・。

葬儀が済んでから台風21号が襲来した。横殴りの雨風に山は霞、大洪水になっていたが、山間の我が地域は大した被害はない。栗の木の枝が折れ、蜜柑の幼木が一本だけ倒れていた程度である。

斯様なことで、来週の一週間は弁当を作りを再開します。そして何件かの夜の予定をこなし、15日(土)~20日(木)まで帰郷、諸々の手続きを行う予定でいる。

 

 

 

 

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