オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

夜明けとともに雨が・・・

2021-04-28 | 弁当

4/28(水)五時前に目覚め、カーテンを開けて庭を見ると未だ夜明け前だった。雨は未だようであったが、それから一時間が過ぎて白々となった頃に小雨に・・・。

すっかり夜も明けてしっとりとした朝を迎えた今、雨脚は強まってくるとの予報である。植物にとっては慈雨であろうが・・・。

昨日の午後、末娘夫妻を空港に迎えた。高知城と「ひろめ市場」に行きたいとの希望で、空港から高知市内へと直行した。土日、そして昨日と市内であったが、何れもいい日和である。

                  

私は城には上がらず、大手門の斜向かいにある高知城歴史博物館に入って待った。その後、ひろめ市場に入ったが客の姿はまばら、コロナの所為か平日の午後ゆえか?。おそらく両方であろうが。

             

二人は運転役の私にはお構いなしに生ビールに餃子を・・・、心裏腹に嫌味の一言を吐かねば沽券にかかわる。「バカヤロー、俺に運転させてお前らはビールか」と。

四時半、自宅に戻りバーベキューをしたいと聞いていたので翌日の雨に備えて準備をした。従姉達や妹等は東京からというだけでコロナを恐れて来ないであろうが・・・。二人ともPCR検査は受けているとのことだが!。

夕食はSHINOBU(旦那)の希望で「猪鍋」に「鮎」「カニ汁」「鰹叩き」などを用意した。

                

今日は雨足が強くなるとの予報だが、バーベキューはベランダで強行する。食材はすっかり整っているのだし、明日には帰京する二人だから!。

 

余談だが、先日二株だけ買って植えたバラが綺麗に咲い二つとも深紅のバラであるが。前からある黄色と白のバラが咲くのはもう少し先だ。

               

庭の草花が美しくなる季節である・・・。見にいらっしゃい!。

           

 

 

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老との日々は・・・

2021-04-22 | 弁当

4/22(木)BLOGのアップを一週間休んだことになるか・・・。先週の土曜日にUSUI老を高知空港に迎えて、昨日の午後に老を迎えた時と同様に送った。

老の滞在中、従妹たちは一度も我が家に上がってこなかったのはコロナ神を恐れてのことであろう!。笑うしかないが・・・。その分、静かであったが。

暖かな初夏の今日はの、庭先に出てのんびりと草花を愛でてひと時を過ごした。これも一人なればこそである。そして、代引きで買ったリメイク版CD(これは失敗、よくなかった)を聴きながらのBLOGである。

               

庭の草花は撫子にパンジー、芍薬が咲き姫リンゴの花が可憐である。アヤメを二輪を切って仏壇に供えた。 里山の穏やかな午後である。

              

老を迎えてからの日々を振り返れば、迎えた土曜日の夜は奈半利町のスナックまで出撃。老の唄を聞いて歓迎?の印とした。店は三密にカラオケと盛況ぶり、コロナ騒動なんぞはどこ吹く風である。それでも行き交う人はマスクだけはしているが・・・。

              

 

翌日は天気が悪くてボートレースで遊び、豆電球でコーヒー。

           

その後の日々は筍掘りや名残のタラの芽を採って食卓に並べた。老人は筍に目がなくて幾らでも食し、タラの芽の天婦羅に舌鼓を打つのであった。

             

高知に来て「カツオの叩き」を喰って行かなきゃ話にならぬであろうと叩きを作る。滞在中はベランダでビールを飲む習慣があったので、それも実行した。

     

極めつけは「高知では土佐赤牛だろう!」とのたまうので、往復100KMの道程を土佐山田町の肉屋まで買いに行ったのは帰る前日だった。310gのステーキを食して満足していたが、私にはさほどの味とは思えなかったが。

残念ながら写真を撮らなかったが、厚みがない分幅広で、この肉を焼くために大きなフライパンを探し回った。皿も天婦羅を載せている皿を使った次第。

そんな日々もあっという間に過ぎて、今日はノンビリと過ごすことにした。

 

それにしても都会でのコロナ騒動は異常というしかないね。ちょろちょろと爺いのションベンのようにつづくのは隠れ保菌者が多いと云うことであろうから、医療体制をしっかり構築して日常に戻るがベストと思うのだが如何であろうか?。高齢者や持病持ちで心配な方は静かに暮らせばいいのから・・・。今の状態なら、この状況を2~3年も続けるしかない。

この一年、友人やお世話になった方の訃報があり、一つ違いの従妹の旦那も過日亡くなり、今日は相棒が手術するのだが、何処にも見舞いも激励にも行けないとは・・・。イギリスの王室さえも自重しているとなれば致し方ないか?。

されど、後三週間で里山暮らしに一区切り付けます。では、TOKYOで会いましょう。

 

 

 

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ブランチになって・・・

2021-04-15 | 弁当

4/15(木)昨夜の就寝は午前零時過ぎであったろうか・・・。深夜に目覚めたのは寝汗と背中の痒みのせいであったろう。

ネボケ眼で時刻を確のが認すると2時30分であった。痒みは軽くなったと思っていたがぶり返していた。こうなると暫く眠れない、眠れぬままにラジオやCDを聴いて過ごすのが常である。

そんな次第で、ようやく眠気がやってきたのは六時過ぎであった。次に目覚めると時刻は九時を回っていた。こんな呑気でふしだらな暮らしができるのも素浪人だからこそ!。されど、この暮らしを好とするわけではないが。

斯様な次第で今朝の食事は朝食と云うよりは、ブランチそのものであった。テーブルに並んだのは昨夜の残り物、筍煮や切干大根煮などに鮭・奴・納豆・ハムエッグに味噌汁と、朝飯の定番ばかり。流石に筍煮は食べきれなかったが、デザートは平らげた。

              

これだけエネルギーを補給したのだから今日は労働しなくてはならいが、天気晴朗なれど風強し!。挙句に肌寒いのだ。寒い日は炬燵で猫のようになっているのがいいが・・・。そうはせず、ボートレースの研究?に勤しんでいる。いくら検討しても必勝法はない、見つからない。全ての出目を買えば当たるは当然大マイナスだ。たった六艇のレースながら120通りになるのだから。

と云うことで、現時点で12レースを検討したが当たっているのたった2レースだけである。これでは勝負にならないネ!。机上演習でさえこれだ、本番の戦は避けたほうが無難である。後、5レース占っているが・・・。

 

昨日は地元の和田医院に初めて行き、背中に軟膏をぬってもらった。当代の先生は子供の頃に亡父から剣道を習っていた言う。亡母は晩年に往診をしてもらっていたが、私は初めてお会いした。

先生の先々代、祖母には子供の頃に診てもらったことがる。随分お世話になったと母から聞いているので、当代には丁重に挨拶をした。日頃から横着な私にしては珍しいことである。

帰宅後、姪の店「いなじかん」で久々にコーヒーを飲む。昨日は暖かな一日で、ベランダ席に居ても眠くなるような陽気であった。川面眺めると前日の大雨で若干水嵩が高くなっていた。

             

そして夕食の準備を早々に始めたのである。自家製の切干大根を水に浸けて戻す。筍の土佐煮、糠漬け茄子、すっかり花が咲いた白菜の芽を摘んでお浸しに、鶏手羽元とニンニク茎&筍・モヤシのソテーで夕餉。

                 

ジョッキの薩摩焼酎「利八」のソーダ割に手を出したところにUSUI老から電話が入り、タイミング悪いね~。

土曜日、予定通りに向かうので迎えを宜しくと「ちょつぷく」からであった。「ちょっぷく」は、客足が途絶えたので再度の夜管営業休止とのことである。そう云えば、前夜に電話があった奈加野の店主は「今夜の客はたった二人だよ、どうなるんだ!」と、ボヤいていた。気長にやるしかないねぇ~と言うしかなかった。

何処も大変だよ!。おいらもボートレースが当たらずてえへんだ!。

余談が長くなったが、今朝のブランチは盛沢山すぎたようだ。

 

 

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蛙の声を聞きながら・・・

2021-04-14 | 弁当

4/14(水)水曜日の夜明け前、蛙の鳴き声がつづいている。目覚めたの四時半であった。TVが点いたままでその音で目覚めたのだが・・・。

眠りに就いたのは時刻が今日に変わった頃であったろうが、すっきりとした目覚めである。日夜悩ませれている身体の痒みが和らいだ成果であろうか。

雨の昨日(午後から酷い大雨がつづいたが)、高知市内の皮膚科クリニックまで出掛けた。長い間つづいている湿疹の治療の相談である。三度目の受診であった。

乾癬でないかと疑い内服薬と軟膏を処方してもらっていたが一向に効き目がなく酷くなる一方であった。それに酷くなった背中の方は指が届かず軟膏も塗れない。

受診の結果「貨幣症湿疹」でないかと云うことになった。原因としては虫刺されや乾燥から生じて広がるようであるが・・・。納得して薬の処方と、背中への塗布は地元のクリニックでしてもらうことにした。独居の不便さを実感しながらも、他人へ感染はしないとのことで安心した次第。

そんな一日であったが、早めに治療が終わったので、帰路に在るボートピア土佐に立ち寄り二時間ばかり競艇遊びに興じた。この雨で帰宅しても動けないと、運試しの博打遊びであったが結果は悪くなかった。

 

土・日と潮をがいいので貝を獲りに行くというHIROMICHIさんの送迎を室戸岬方面の海岸までした。そんなことで予定していたお墓周りの草引き、やり残したミカン畑の草刈りをしなかった。

貝の方はあまり取れなかったが、連日季節の恵みを分け前に頂いて刺身やソテーにして食した。

              

HIROMICHIさんは筍・タラの芽、鮎に貝等と季節季節に訪れる自然の恵みを採るのが上手、と云うよりも執念があるね。先週のタラの芽採りの時は、危ないから止したらと言うのもきかず崖の上、垂直に近いダムの崖と八十歳と思えぬ身軽さで採ったし、筍を探して掘るとこれもまた丁寧に掘る。

里山暮らしを楽しむ上での我が師匠と云える。その師匠に、来月で東京に戻ると伝えると「鮎の解禁がすぐなのに勿体ない。解禁日なら囮さえつけていたら誰でも掛るに」と残念がった。

その鮎、稚鮎の遡上が心配である。昨年の今頃に下流の堰堤では稚鮎の遡上がよく見れたが(漁期になると不漁であったが)、二度ほど様子を見に行った今年は殆ど目にしないのだ。

              

今年も不漁であろうか?。

 

そんな一昨日の月曜日、曇り空の予報でお墓周りの草引きと、ミカン畑で草刈りの残りを済ますべく出掛けたが・・・。

焚火をしてから、畑の草刈に掛ろうとしたら雨が落ち始めたのだ。一向に止む気配がないが勢いよく燃え始めた焚火は消えなかった。草刈りを諦め始めた頃になって雨が止んだ。この間一時間。

               

この日の予定であった草刈りを済ませたかったので、雨に重いながらも草刈りを決行した。二時間程で済ますことができた。帰宅後、雨に濡れた体を湯に浸かって癒したが・・・、温まった体が痒くなり大変な目に!。明日はクリニックへと決意を固めた。

 

              

 

斯様な日々であるが、鉄平が帰ったら元気な様子の従姉が夕食に来るようになった。こんなに食べれんと言いながらも・・・。三日続けて来たが、大雨になった昨夕は声を掛けなかった。   

           

 

いつの間にか外はすっかり明るくなり、蛙の声も聞こえなくなった。今日はいい日和になりそうだ。さて、どう過ごすか?。

 

 余談であるが明るい話なので!

 月曜日の雨上がり後の草刈りをしながらNISHIUCHI君のことが頭によぎった。東京に戻る前に会って一献交わそうかと・・・

なんとその夕、帰宅してからスマホを見ると彼から留守電が入っていたのだ。留守電を開かぬままに電話した。「結婚することになりました、で報告を」という云うことであった。

こんな状況化なので身内で挙式をし、コロナが落ち着いたら披露をしたい。その折には案内をしたいので宜しくとのことである。

前から早く嫁を探せと、県会議員にカムバックした彼に言っていた経緯がある。オメデトウを伝え、来月半ばには東京に戻る、その前に一杯やろうと伝えた。

 

 

 

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鉄平帰る・・・

2021-04-09 | 弁当

4/9(金)今日の午後、ごめん奈半利線安田駅から来た時と同じように鉄平が帰った。

               

先週の金曜日に来てから一週間、筍掘りやタラの芽採り焼き芋と里山での定番コースで遊んだが、もう一つ川釣りをしたかったと言いながら帰った。

               

雨の日が二日もあった所為で全ての遊びと云うわけには行かなかったが、室戸岬の24番札所最御崎寺、我が地元の27番札所「神峯寺」に神峯神社には行った。神社仏閣に興味があるとは思えないが・・・。    

         

食事の方は山里の定番「筍とタラの芽」は満喫したであろう。旬のカツオ刺身と叩き、鯛の刺身と海の幸にも満足したかな?。

           

 

一昨年の九月以来の再会であったが、会えば昔のままの関係になる。私二十代半ば、鉄平は高校を出たばかりの二十歳前の頃に・・・。

相変わらずの甘えん坊ぶりを発揮し、私はウルセ~ナと応じバカヤロー!を連呼するのであった。

 

鉄平が帰って今夜の夕食は独り。部屋の中が妙に寒々とし、一人飯を物足りなく済ませた次第。

 

 

 

 

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新年度になり・・・

2021-04-01 | 弁当

4/1(木)令和三年の新年度が今日からスタートした。とは云いながら、素浪人のこちらとしてはなんの感慨もないが。こうなって久しい・・・。

昨日は年度仕舞い、その年度末に後輩で舎弟ともいえる鉄平(通称)が、長いサラリーマン生活の幕を下ろした。

彼との付き合いも随分と長くなった。初めて顔を合わせたのは当時入寮していた津田沼市の前原団地に在った会社の独身寮である。頃は四月の始め、新入社員達が入寮して間もない時期であった。

当時の私は墨田地区管理部の労務厚生課に勤務しており、剣道部の再生に努めていた。入寮者の中に剣道をやっていたものがいると耳にし、それが鉄平であった。

高校を出たばかりの初々しい若者であった彼を、有無を言わさずに入部させて以来の付き合いになる。とは言いながら、彼は通信局の資材部に勤務している時、希望を出して出身地の鳥取に近い広島に転勤した。彼は三十半ばの年齢であったか。

遠く離れてしまったが交流は絶えなかった。彼が出張等で東京に来ると必ず我が家に泊まった。毎年旬になると実家のある名産・ニ十世紀梨が届き、今だ続く。義理堅いと云うか、無駄なことをすると云うか・・・。

この前に鉄平と顔を合わせたのは一昨年の九月下旬、我がラストイベントを横浜・馬車道のライブハウス「メグスタ」で開いたときである。わざわざ広島から来てくれた?呼んだと云うべきか。

その鉄平が明日、広島から遊びに来る。午後、安田駅で迎えることにしている。

彼が我が家に来るのは二度目であるが、一度目は四十年余も前のこと。彼の運転するワゴン車で一歳にも満たない長女と家人、それに伯父も同乗して二十時間も要した。神戸(大阪?)からフェリーで高松を経由した。フェリーの中で風呂に入った覚えがある。

日暮れてから東京を出発し、我が家に着いたのは翌日の午後だった。

一週間ばかり滞在すると云うので、畑で焼き芋でもしながら長年の労をねぎらうことにしよう!。彼の初々しい若者も、今や立派にオジサンであるが、俺たちの間では何時までも昔のままである。

 そうそう、鉄平はMIYAMOTO MASATOが本名で、出会った頃に人気があった漫画「俺は鉄平」から、鉄平と呼ぶようになり定着した。

 

 

 

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