オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

犬の卒倒

2016-09-30 | Weblog

9/30(金) 長雨の九月も今日でお仕舞となるが、この不順な天候は暫くつづくようだ。加えて、週が明けると台風が近づいて来そうな気配。故郷の安田川も濁り水がつづいているとかで、今年の鮎漁も不漁のままで終わるか。

さて、昨夕は友人かつ客先ともなる某社の監査役と前総務部長の二人が人形町まで来てくれた。久々の顔合せで、新宿辺りで一献と云う誘いであったが、人形町へいらっしゃいと、町内活性に一役かったと云う次第だ。五時に、駅で待ち合わせてそのまま「うまし」へと向かった。この日は予約客で立て込んでおり、カウンターで飲む。

                            

客人の会社でも何かと騒ぎがあるようで、その対応に時間を取られるボヤキが・・・。そんな二人の話を聴きながら『人がいればそれだけ事件やトラブルはあるはなァ…』と、同情半分の傍目八目の意見を云う。サラリーマン時代の事件のあれこれを引合いにし、慰めたのであった。共通の土壌がある故に、お互いの若かったころのこと、仕事の話と尽きることがない。

「うまし」から、安酒場を紹介するよと、「ちょっぷく」に向かう。直線距離で100m足らずの先が「ちょっぷく」なのだ。この夜の店内は、前夜の戦争状態のような混乱はなく落ち着いていた。我等はそれまでの話のつづいた。九時過ぎ、お開きにして駅の入り口まで客人を送った。

考えて見りゃあ、二夜連続して同じパターンだ。この状況を例えて、犬の卒倒なんて言っていた時代もあったな・・・・。回れ右し、一人「ローカーボ」へと向かう。ハイボールをなめながら、HOYA兄いの仕事が終わるのを待ち。さっきまでここで飲んでいたと云う、悪徳ちゃんに『早う顔を出せと』催促する。ようもこれだけ毎夜毎夜同じことを繰り返せるものだと、我ながら感心する。これじゃ一体、犬が何匹死んだやらだ?

                              

刻限の十時だと、二人置いて『お先に!」をした。駅に入る前のトイレをと、「ちょっぷく」に寄ったのはいいが、YAMAちゃんがバカデカイグラスに赤ワインをたっぷり注いで持ってきやがったのだ。売り物の三四杯分は入っている。こえで足止めを喰っちまった。ついでに隣にいた知り合いのポテトフライまで喰っちゃったよ。

                              

                            隣のジョッキと比べて!

お蔭で予定時刻を遥かにオーバーしての帰宅となった。親切も仇だよな・・・・。

これじゃ今夜も同じパターンかと思うだろうが、そうはイカンザキさ。今夜のスタートは「高松」からとなる。USUI老がやって来るのだ、となればスタートは高松に決まっている。昼に蕎麦を食べがてら、予約をしてきた。人気店なので、貸切や満席もあり得るのだ。

 

今朝の目覚めは五時頃か、パトカーのカン高いサイレント疾走る音で目が覚めた。窓を開けて寝ていたのだ。

弁当作りは六時からスタート。目ぼしい食材もないので「挽肉・茄子と茗荷の味噌炒め」「豚バラと野菜の炒め物」「冷凍塩秋刀魚」「素麺のサラダ風」、出来合のチキンカツとシューマイを一つづつ、卵焼きであった。 

                      

長女は夜勤明けで弁当は要らない、家人用を作るのみ。作り手としては、物足りないねぇ・・・・。

                             

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫に・・

2016-09-29 | Weblog

9/29(木) 相変わらず天候不順がつづいている。昨夜は、大事な取引先の方が三名来社。総務部長のS氏は旧知の知人、後のお二方は女性で保険の担当者である。お会いするのは二度目だが、この日は加入した保険のお礼で来社された。折角の来社、人形町安酒場巡りに案内となった。

スタート時間は17時と早かったが「うまし」から「ちょっぷく」と廻り、最後は「ローカーボ」で美味いハイボールを頂いて仕上げと云うコースであった。「ちょっぷく」では、なんとゴールドカード(五枚分)が出てきた  。競艇でいえば万円を当てたような確率なのだ。久々の快挙だったが、競艇で万券を当てる方が嬉しいね!

飲食物オール300円、チケット購入方式と云うのは珍しいだろうと、小腹を満たしてから案内した次第。店は大忙しで、おまけに従業員が一人欠員で洗い物が溜まっていた。「手伝えよ」と、YAMAちゃん店長がいうが、『今日はお客さんと一緒だから勘弁してくれよ』と応えた。そうは言いながらも、余りの溜まりようにグラス洗いでもと、一つ二つ洗った処へ、客で来ていた若い衆が「手伝いますよ」と洗い場を買って出た。気の利いた男が登場し、助かった。

三軒目の「ローカーボ」は、「うまし」に案内する途中で『ここのハイボールは旨いんだよ、後で寄りましょう』とPRをしておいた。奥のテーブルに陣取ってハイボール飲む。時間は九時過ぎと早かったが、スタートが五時だったので酔いも廻った感ありで、潮時と切り上げた。客人を送った後、仕上に「SEIJU]を覗いた。

遅れてHOYA兄いと、悪徳不動産屋が姿を見せた。余談ながら、このメンバーにNAKAMURA大将が加わり、日・月で三浦半島オヤジ旅が予定されている。ツアコンは、三島・修善寺の旅につづき、横須賀周辺に詳しい小生にされた。宿は、これまた馴染とも云えるマホロバ・マインズ三浦にした。ここは、サラリーマン時代の研修や、退職記念に上野通営支店時代のメンバーが泊まりの会を開いてくれた懐かしい処なのだ。三浦半島一週には、丁度良い位置の三浦海岸駅からすぐの場所なのだ。

午後十時になったので、二人を残してSEIJUを後にした。十時きり上げを、今夜も守れた。いいことだ・・・・。それでも結構酔っていたようだ。エアコンもスタンドも点けたままで眠っていたのだ。猫に頭を叩かれて目が覚めた・・・・。

煩いな~と、蒲団を引っ被って眠ろうとした。今度は蒲団の上に乗って頭を叩きやがった・・・。何時もはドアを閉めて、入れないようにしているのだが閉め忘れたか?ネコ踏んじゃったならぬ、猫に踏まれて起こされてしまった。なんと、時間を見ると四時!四時だぜ! 参ったね  。

眠りを諦めてリビングに行くと、家人が起きていた。『どうしたんだ?』と訊くと、「呼び出しがあって、これから出かけるのよ」という。そりゃご苦労さん、それしか言葉がない。ここのところ深夜の呼び出しはなかったようだが、以前は厳冬の深夜や明け方に呼び出しがひっきりなしの時期があった。仕事柄だろうが、大変だねぇ~  。

負けちゃならねえと、オイラは弁当作りに入ることにした。時刻は四時半であった・・・・。

今日のメニューは、鶏肉と根菜の煮物。味付きの豚肩ロース焼き、胡瓜・茗荷・若布の酢物、小松菜の卵とじ炒め、袋に入った泥付牛蒡が目に入り、煮物とピリ辛キンピラが追加された。焼き物は、鯖文化干しと鮭を一切れ焼く。以上としたが・・・・。

                             

六時ごろに家人が戻ってきた。行った先のご老人が亡くなったとのことで、後はDrに連絡して任せてきたそうだ。

長女の勤務が、日勤&深夜だと聞いたので、夜の弁当も用意をしてやることに。日勤・深夜勤務だと、夕方に一旦帰宅し、深夜零時前に病院に入るそうだ。夕方帰宅してから、少しは眠りたいだろうし、子供の夕食も要る。その手間を少し減らしてやろうか、などと云うことだが・・・。それで、卵焼きが追加となった。

超早い時間からスタートしたの、時間はたっぷりとある。何品でも用意できるが、弁当箱に収まらん。六品で打ち止めにした。

                         

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌姫

2016-09-28 | Weblog

9/28(水) 週明けから東京の気温も上がり、蒸し暑くなってきた。今日の夕には来客予定だが、それにもめげずにアロハシャツで出勤した。基本的に、外出予定がなければ夏場はラフな格好なのだ。客人には勘弁願うしかないと思っている、ええ加減なオヤジである。ネクタイの締め方も忘れちまったよ!

昨晩、銀座の某所で私が歌姫と密かに呼ぶ「橋本葉子」さんと、ダーナの歌の共演があった。一月以上も前から案内が来ていたので、義理堅くも顔を出した次第。歌姫の唄とピアノを初めて聴いたのは、赤坂・東急ホテルにあったBARラウンジ「マルコポーロ」だった。あれから四十年余の年月が流れたことになる。

昨晩のステージは、歌姫とダーナの会なのでほぼ満員の客たちは年配者揃い。歌姫の経歴が長くなればなるほど、客も齢を重ねる。どんな商売も同じだが、今回は銀座でのステージとあってか、集客に力を入れたようだ。

ミュージックチャージが4000円だったが、この内の7~8割が出演者の取り分であろうか・・・、満席のテーブルを見回してそんな下らないことが過った。貧乏オヤジの考えることはそんなこったよ!

独りで行くのはつまらない、そこで急遽、人形町パトロール隊のHOYA兄いに同伴を願ったところ、快く付き合ってくれた。ワンステージ目が終わる直前に店を後にした。聴いてるだけじゃつまんねぇだろうと、銀座で唯一顔を出す店「順」へと誘った。暫らく来ていないと店を探すのに往生する。ましてや、店が移転してから二三度しか顔をだしていないのだ。

六丁目のクラブに漸く辿り着いたら、客の姿はなかった。年初めから体調を悪くしているママさんの姿もなし。馴染のスタッフに訊くと、週に一二度、それも短い時間だけ顔を出せるようになっているとのこと。そんなことを話していると、ママからの電話が店に入った。受話器が廻ってきたので、その後の様子など聞き激励。大人なら、見舞いの袋など置いて行くところだろうが、そんな気の利いたことはすっかり忘れていた(尤も財布の方も乏しかったが)。

                        

                      ピンボケのダーナ     NGO活動のHARUKA

客の姿が無いのを幸いに、HOYA兄いに何曲か唄ってもらった。アルバイトか本業か判らないぐらいに長くなった画家の卵(以上かも?)のMOEに『十月にベッタラ市と云う人気の祭りが人形町であるよ。ママさんと来てみたら』と誘ったが・・・・。やがて客も姿を見せ、切り上げ時刻の十時も近くなった。頃合いだと二人して腰を上げた。新橋駅に向かうHOYA兄いと左右に別れてメトロ銀座駅へ。良い頃合いの帰宅であった。

昨夜二軒の銀座は、いわば義理立ての顔出しのようなものだ。楽しく飲めるのは、なんと言っても人形町になった。それも安酒場でオヤジ連を肴に飲む酒が一番だ。気心が知れ、酸いも甘いも分った人生経験の豊富なメンバーと飲む酒がいいね・・・・。俺もとうとう枯れ芒か・・・・、船頭小唄を持ち歌にするか。

昨晩の帰宅後はシャワーを浴びて汗を流し、CDから流れる音楽を聴いて一日の反省をする。明日に備えて考えをまとめ、方針を立てる。そんな気の利いた時間を持てばいいのだが、音楽といえば「ちあきなおみ」、方針や計画といえば弁当のこと。この夜もとんだ自堕落オヤジ振りだった。それでも、前夜の轍を踏まないように、音と灯りを消して眠りに就いたのである。

その成果か、今朝の目覚めは心持よかった。五時半頃の目覚めであろうが、暫く蒲団の中で弁当メニューなんぞを考えていた。食材が乏しいのは承知、その中から何をメインにするか、然らばサイドメニューは何に? 一応はそんな風に考えるのだ。

纏まりきれないままであったが、「蓮根挟み揚げ」を中心にしようと台所へ・・・。処が、ところが蓮根が無い!使われてしまっていたのだ。しまった!だが、遅かりし由良の助だ。メニュー変更、仕切り直しとなった。

                           

魚は鮭・タラコ焼きと、メカジキの照り焼き。春雨の胡麻タレ和えサラダ。冷凍で出来合のチキンカツ、最後に卵焼き、となった。これだけでも、小さなお弁当箱にとっては、収容するのに一苦労である。

                         

少々お味見をしたが、いずれも上々味であった。タレやソースにひと手間掛けただけのことがあったネ

                     

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チンジャオロース

2016-09-27 | Weblog

9/27(火) 今朝もメチャ早くから目覚めてしまった。生きていく重さ、重圧とやらで心身のバランスが崩れているのか、はたまた夜毎の酒場廻りに疲れ果てているのか?何れにせよ、ぐっすりと心地よい眠りを得たいものだ。その為には、ラジオとスタンドを消してから眠りに就くことだな・・・・。

新聞を読み時間を潰す。漸く六時になったので、台所に入ることにした。今朝のメインメニューは「チンジャオロース」に決めていた。周りを固めるの菜は、台所に入り冷蔵庫を物色してからだ。タマネギ・万願寺・シメジ・茗荷・筍、ウインナー・薄揚げ。冷凍の小エビ、シューマイと取りだす。

昨日のご飯が結構な量で残っている。炒飯かチキンライスと云うことだが、家人は好まない。家人用の白飯を残し、後は炒飯に。小海老とウインナーの炒飯にする。タマネギ・人参を刻み中華スープの素を用意。

一方で、脇を固める煮物の用意に入る。煮物は、薄揚げと万願寺・小松菜・茗荷の炊き合せだ。サラダ系が欲しいと思っていたら、キッチン台に「ツナ缶」があった。これを使うことにして、キャベツとエノキを軽く湯通し。これとツナを混ぜ、オリーブオイルと塩胡椒味でサラダにした。

                            

冷凍シューマイを温めて、オムレツ風卵焼きを作ってお仕舞だ。魚系がないが、炒飯に小エビを使ったので省略だ。以上、二人分の弁当だが、炒飯弁当は長女に、残った炒飯とおかずは小僧の朝飯になる。ホンマは、鮭炒飯にしたかったのだが・・・・。

                            

 

  ― 与太話・・―

弁当作りが終わり、暫しTVのニュース番組を見る。相変わらず築地市場の移転問題が流れ、有象無象がああでもないこうでもないと喋っている。都の役人の仕事ぶりを非難している分けだが、役人なんてものはそんなものさ。責任を取らない、本当のことは裏に伏せておく。そうすることが仕事なんだからネ・・・・。

本音と建前を使い分け、責任を取らない、取らさないようになっている仕組みと組織なんだよな。そうじゃなきゃ、仕事がまわらないようになっている。巨大組織とは、どこもかしこもそんなもんじゃねぇか?とは云え、問題が生じれば、誰かが責任を取らなくちゃならねえし、裏に隠れ隠していたものは出さざるを得ないだろし、そうしなきゃもっと大火傷になろう。

都民でありながら、何やら醒めた気分でこの問題を見ちゃうね。築地は、買い出しに行く大事な処だから、今の場所に残ってくれるのが一番だが、決着が着くまで暫くかかるだろう。この騒動で、上手くやるやつも損をするのもいるだろうが、所詮それが世の中というものだ。

市場で耳にするのは、客は一昔前の三分の一だとか。店を閉める中卸の数も半端じゃない。その権利を買って大きくなるところは、どんどん大きく。半端な商売をしてちゃつづかない。移転がそれらを顕在化し、相当に整理統合が進んでいたのだから、損も得も相半ばしていると思うのだが・・・。如何なもんであろうか。

こんな話はオイラには関わりがねえが、施設の落札率がおしなべて99%以上と云うのは異常だろう。官製談合か、仕切り屋による談合としか考えられないよ。仕切り屋が、政か業界か?まさか官はながろうが、思惑が一致するのは長年積み上げてきた体質だからね。オイラも昔のことながら、契約の仕事に少しは携わったので朧ながらに見えるものはあると思うが・・・・。やり過ぎはイカンザキだ

与太話の最後に、昨夜八時から飲んだ店のシーンで締め括ろうじゃないか・・・。ここで、佐賀のNKAMURA大将から、またしてもオミヤを頂戴したのだった。

                              

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の気配が・・・

2016-09-26 | Weblog

9/26(月) 昨日の日曜日、NKANOさんの車に拾って貰い「平和島」の道場へ。競艇場では世間体もあるので、ボートレースのことは今後、運気を養う「道場」と呼ぶことにしよう。秘めたる闘志ならぬ、投資を胸に乗りこんだのであった。この日の東京は、久々に天気がよくなるとの気が出ていた。こっちの運気も上向くかと、期待に胸を弾ませ ― そんな分ゃねえか ― 。

道場に向かう車中で『この前、OB会の社会見学会があって、それが平和島だったんだよう。その時のお土産で特別観覧席のチケットを貰ったんだ』と、NAKANOオヤジに吐いた。と、「それやぁいいな、そこに入ろうぜ」と言うも『もっとBIGレースの時に使おうよ。分厚い財布を持って、大勝負をするときに』と、応えた。何時の日か、道場で鍛えた読みと、大いなる運気を持って真剣(信吾ならぬ)十番勝負に臨みたいネ

                    

マンション群に囲まれた湖面が何時しか秋空を写し、彼方の空は夕景に輝いていた。レース、スタート前の短い時ながら秋を感じた。我が財布も空であった・・・・。

帰りの車中は、何時もながらの会話「大の大人が、半日遊んだと思えば、安いもんじゃねえか」は、最終レースをものにしたNAKANOオヤジである。オイラがメインに買ったボートは、連続して転覆しやがった。これも修行か・・・・。

 

金曜日、思いもよらぬ深酒に陥った。知り合いと「ちょっぷく」で可を合せ、その後「ローカーボ」へと向かい、ここですっかり長居をしちまった。この日は「こま吉」から始まり「うまし」で仕事のことなど暫くはなしをした。そこから「ちょっぷく」となったのだが、グッドタイミングと言うかバットと言うべきか、悪徳チャンが・・・・。更に、マッチャン女史が登場。両マッチャンとローカーボに繰り出した。

帰宅は午前様、午後十時切り上げの誓いは早くも頓挫したのである。翌土曜日は、当然不調。ながらも、朝から残り飯で炒飯を作り、軽く菜なども整えて缶ビールを整腸剤かわりにして喉を潤した。優雅で自堕落な休日の朝は、変わらずにこのスタイルだ。

                                

今朝も五時前に目覚めた。涼しさを通り越して寒いほどであったが、窓を開けて寝ていた所為であろう。目覚めてなお、眠り足らぬ気分であった。

六時ごろから弁当作りに入った。新米を炊き、冷蔵庫の中からおかずを物色する。昨夜の段階で想定したものと違う食材を選ぶ。

メインは「鶏煮の卵とじ」に、サイドメニューは「シメジ&えのきの豚小間巻炒め」と「マカロニサラダ」。魚は「メカジキの照り焼き、以上が本日のメニュー。

                                  

残念なことに今日も一人分の弁当であった。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一週間ぶりに・・・

2016-09-23 | Weblog

9/23(金) 今朝は一週間ぶりの弁当を作りとなった。そんなことでか、目が覚めたのは五時前。電気スタンドもラジオも点けたままで眠っていたのだ。こう云う朝の寝覚めはスッキリとしないのだが、そんなことは言っておられん。弁当作りだ~、なのだが、体調が整うまで小一時間も蒲団の中であった。

六時ごろから弁当作りとなった。今朝のメニューは、前夜想定したチンジャオロースから急遽変更し「ピーマンの肉詰め焼き」「鶏唐揚げ」となった。冷蔵庫の中を見ているうちに気が変わったのだ。他には、厚焼き玉子と春雨サラダ、塩秋刀魚焼きである。

                   

ご飯の方は、新米(福井産コシヒカリ)と云う手もあったが、未だ昨年の米が二・三升残っているので、これから始末をつけることにした。新米といえば、帰省中に刈り入れが終わり新米を口に出来るかと期待したが・・・、台風襲来などで刈り取りできたのは少しだった。尤も私の作業ではないが・・・。

                         

帰省中は、着いた16日が曇り&晴れ。翌日は朝の内に少し降ったが、九時過ぎると晴れてきた。刈り入れが出来るかと思ったが、三時間ほどで、また雨が落ちてきたのだ。午前中に稲刈りの手伝いでもと思い田圃に行ったが、機械化で大した出番はない。田圃の中から這い出してきたマムシを捕まえようとしたが逃がしてしまった・・・。田圃から早々に引き上げてミカン畑の草刈に徹した。

                       

祝日の月曜日も朝から雨、それも本降りだった。昼前に小雨になったので、連れて行った孫のSORAと動物園に行く。「野市動物園」と云うのが香南市の山裾に在り、車で一時間ほどの場所だ。そこへ初めて行った。天候不順の所為か入園者は少なかった。園内はゆったりとしており、象やライオン・トラは居ないが居心地のいい動物園であった。

                     

いたずらっ子のSORAは、云うことをきかない。アイスやジュースを欲しがり煩い。『まったく、誰に似たんだこいつは?』そんな気分で、歩いていたら出口が判らなくなり往生した。

                         

                         さて、これらの名は?

深夜から大雨、愈々台風の襲来?。風も強くなってきた。TVで台風情報を見るがどうもよく判らん・・・。明けた火曜日の昼過ぎまで風雨強し。刈り入れ前の稲穂が心配になるが・・・、こればかりは人智の及ぶ処でないのだ。午後三時過ぎ、雨風が止んだ。直撃するかと心配したが、少し逸れたようだ。夕方になり、陽が射してきた。田圃の稲穂も助かった、墓に供えたシキビも花も残っていた。SORAを連れてきた昨年の夏も台風が来た。どうやら嵐を呼ぶちびっ子らしいぜ・・・・。

                        

                     これじゃ、鮎漁も暫く駄目だ・・・

 

余談ながら・・・

前夜、熊本から上京された地球市民の会・SATO会長と上野駅前の居酒屋で懇談。故古賀会長の出版企画のこと、会長が歩まれた前半生を伺い、人生の森羅万象について語りあった。と、いうより拝聴した。

波乱万丈の人生を、花盛りの道から路地や裏道まで渡ってきただけに味わい深いことを語られる。SATOさんが心掛けているのは、「志を掲げて生きると、欲を捨てる。ありがとうの心」だと云う。俺にはとても出来そうもないが、そう生きることができれば、さぞや平穏であろう・・・・。話された中の一つに「乳児の時は肌を放すな。幼児は手を放すな、大きくなれば目を離すな。大人になれば心を離すな」そんな格言のようなことを言われた。さもありなん。

懇談の後、人形町に戻り悪徳不動産のマッチャンに会い移転事務所のことなどを訊きながら、一献。一献交わすのが先で、事務所のことはついでか?。HOYA兄いが出勤しているはずだと連絡を入れると、祝日の二十時過ぎにかかわらず、未だ仕事をしていた。見上げたものだ・・・・。

ほどなく兄いも加わり、十月二日三日(日・月)予定の三浦半島小旅行のことなど打ち合わせた。結局、居酒屋を出たのは二十二時を過ぎていた。これじゃ、平日のパターンと変わらない。水曜日に帰京、その夜も人形町に来ている。すっかりここの水が合ってしまったか。仕舞った?。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二転三転・・・

2016-09-15 | Weblog

9/15(木) 朝方まで降っていた雨も、家を出る頃にはあがった。昨日はOB会のイベントで、社会見学会があり初めて参加した。折り畳みの傘をショルダーバッグに忍ばせたが幸いにも出番はなかぅた。今日も傘の出番はなさそうだが・・・・。

昨日の弁当は、「肉じゃが」「牛蒡の豚巻と野菜炒め」「オムレツ風卵焼き」「塩秋刀魚&焼きタラコ」であった。鍋で飯を炊き、二人分の弁当を用意したのであった。

                          

弁当を作り終えて、風呂を使い、一休みしてから社会見学会とやらに出掛けた。その行き先が、なんと、あの平和島である。そう、この日の社会見学会は「ボートレース平和島」なのだ。ここでレースのことは勿論、競艇運営や艇のことなど全般にわたってレクチャーを受けると云う社会勉強をするのだ。取って置きは、レーサーとの接触もできるということなのだ。

平和島に着くと、すぐに四階の特別観覧席に案内された。意外にも参加者が多い。知り合いの顔が五六人もあったのには驚き。毎秋に横須賀で懇親をする、UENOさんは奥さん同伴であった。また十年近く顔を合せていなかった、県人会の元会長、AOKIさんの姿を見付けて話ができた。そう云う意味でも、面白い場となった。

平和島のボートレースの運営主体、府中市の担当次長から運営についての説明や、競技団体の女性から舟券の説明などがあり、最後にボートの実物が置かれた競技棟の前で、若い女性の選手がボートに乗って運転のことなどを教えてくれた。艇を囲んだオジサンたちは、殊更に楽しそうであった。勿論、私もだ。

                     

友人のOKAZAKI氏が社長をしているT物産が、選手のウエアを制作している。が、彼は競艇場に足を運んだことがないと言う。この機会に彼も誘ってやりたかったと、後から思う次第。四十余年前の学生時代、ガードマンとか呼ぶようになった頃に警備のバイトで足を運んだことがあるが、当時はレースに何の関心もなかったが・・・・・。

楽しんでいる最中に、電話が入った。悪徳不動産のマッチャンからだった。「事務所の契約で、保障会社が新たに保証人が要ると言ってきました。何を考えているのか、腹が立ちますね・・」そんなようなことだった。こっちも、それまでの上気分が一気に暗転した。『バカヤロ~なに言ってんだ』が口から出た  。

借り手はこっちだぞ、銭を出して借りようと云うのに、なにを四の五の言ってんだ。と云うのは、こっちの論理だ。貸し手には貸し手の論理があろうが・・・。レースへの意気込みも喪失し、それから投じた舟券は外れつづけた・・・  。平和島とは名ばかり、ここまでやってきて弱小零細の悲哀と、外れ券の虚しさをつくづくと味わったのだ。

さりとて、何時までも身の不幸を嘆いていても始まらん。重い足取りながら、最後まで居残った平和島を後にし、渋谷へと向かった。気分一新、「奈加野」にてゲン直し酒となった。

                         

 

一夜明けた今朝、お目覚めは五時だ。早いね~、早すぎるが目覚めたものは仕様がねえと、五時半過ぎから弁当を作ることにした。こういう、家の中で出来る遊びがあってよかったよ。暇つぶしができる。

今朝は、「トンカツ」がメインだ。それと「鶏の塩焼き」「野菜煮」「鮭焼き」「出汁巻卵」、以上であるが、添え物のキャベツ・玉ネギ・ピーマンの千切り、ピーマン・シメジ・タマネギのソテーなども・・・。

                          

弁当を作っていると、昨日のやなことも忘れている。ひたすら、どうしたら旨いものができるか。それだけを考えている。とは云いながら、結果はしれたものだが、ひと時雑念は消えているのだ。

                          

今朝も、詰めるのが一苦労であった・・・・。

 明日の午後一番で帰省する。今回は雨続きの予報になってる。一緒に連れて行く、ちびっ子のSORAは運が悪いねェ…。去年の八月の時は大型の台風で大洪水となり水遊びができなかった。今年も無理のようだ。帰京は、21日の夕刻予定である。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱小の悲哀

2016-09-13 | Weblog

9/12(月) 昨日は32期の決算役員会&株主総会と云う儀式があった。商法とやらで決められているそうで、我が弱小プロダクションも倣った次第だ。セレモニー終了後は、関係者との食事会。食事は「高嶋家」と云う、老舗の鰻屋を張りこんだが・・・・。残念ながら、何時もの味でなかった。がっかり・・・・。

                           

この日に事務所移転の候補先を二ヶ所をみたが、使い勝手などを考えると賃料の高い方がベストとなった。そこに決めようと悪徳不動産のマッチャンに手配を頼んだのだが、先方のビルオーナーが強気。保障会社を噛ます条件がついてきた。全く舐められたものだが、これが弱小の悲哀と云うやつだ。

腹立たしいが先方の条件を飲むことにした。気分よく移転をしたかったが、これじゃ「めでたさもちょっとだけ 秋の長雨」そんなとこだな。今に見てろよ、倍返し、と言いたい気分だ。結構根に持つタイプだからネ!

暇にあかせて週末からのおさらいをすると・・・。金曜日の夕に、元スタッフのYURIKA嬢が来社。これは、彼女が夏休みで帰省した折に「蒲鉾」を会社に贈ってくれた。その蒲鉾が高安と云うメーカーのもので、皆が喜ぶ旨いものなんだ。その御礼で、ご飯をご馳走する約束をしていたのだ。

お局のマチャと三人で「うまし」に行ったが、ここが予約で満席。そこで、ちょいと足を延ばして中華「三浦」となった。この店はラーメンが滅茶旨だが、摘み類も豊富なのだ。ここでたっぷりと食して貰う。仕上のラーメンとなったが、満腹とのことで一つだけ注文して三人で分け合った。一杯の掛けそばならぬ、ラーメンとは貧乏オヤジらしいね・・・・。

その後は、女史たちにサヨナラしてパトロール隊と「ローカーボ」へ。帰りに独り「ちょぅぷく」に顔出しすると「明日は戸越銀座の祭りで、神輿だぜ。来るだろう?」と、YAMAちゃんや助っ人隊が迫ってきた。『顔は出すけど、神輿はいいよ』と丁重にお断り。このメンバ―は、神輿担ぎが好きで、何処へでも出かける。オイラは、担ぐ方じゃなくて神輿に乗る方なのさ・・・・

で、翌土曜日の午後。孫娘のSORAの手を取って戸越銀座へと向かった。独りだと、神輿の後で人形町まで拉致される危険性が大きい。それに、孫娘に「やさしいオニイサン」と刷り込むチャンスだ。SORAは、屋台であれこれ買って貰うチャンスとばかり、手ぐすねを引いていた。

戸越銀座の商店街は、東西になが~い商店街がつづいている。遥か昔、一駅先の中延に一年程暮らしたことがあり、この賑やかな商店街には何度か足を運んだ。そんなことで、馴染深い街なのだ。ジュースだ、カキ氷だとねだるオチビに餌をやりながら、祭りで賑わう商店街をブラブラと祭礼の八幡神社へと・・・・。

町毎の神輿が幾つかやって来る。「ちょっぷく」担ぎ隊の面々の姿を探しながら歩いていると、なにやら一丁目の法被姿の神輿がやってきた。お~、いたいた。店長やチーフ、ミムラッチにマッチャンの姿が・・・神輿の脇を歩いてくる。フナッシーは後ろから押しているのか、ぶら下がっているのか判らんような恰好でいた。

YAMAちゃんが、オチビに「お小遣いだよ」と、千円札を渡した。俺にはくれなかった・・・。オチビは大喜びで、首に下げたカバンから財布を出して仕舞った。『おお、悪いね。ありがとう』と、OYAJIも礼を言ったが、俺には?とは言えなかった。

金魚掬いにもチャレンジしたが、あっという間に紙が破けてしまった。ニイサンに似て、不器用だ。

一夜明けた日曜日、天候がはっきりしない。朝方は雨が降っていた。雨模様の空を見ながら、昼前に出撃。先ずは、渋谷の場外馬券売り場へ。ここで中山競馬のメイン、11レースの馬券を購入。汗を拭きながら向かった先は「平和島競艇場」だ。大森海岸駅で降りると、空は今にも泣きだしそうな気配。無料バスで競艇場へ。

処が一向に芽が出ない、運が向いてこない。何時もなら奈加野のオヤジが居るので、話相手になるのだが、生憎この日はゴルフに行きやがぅたのだ。どうも日が悪い、こう云う日は早目に切り上げるに限る。三レースを残して、競艇場を後にした。六レースやって、一レースしか当たらなかった。無料バスの中で、競馬の結果を見るが・・・、こっちも駄目だ。今日の天気と同じだ・・・泣きたい気分だね。俺のお小遣い返せ!

と云うような、週末から週明けであった。で、肝心の弁当だが、月曜日は一つ。今日は二つだった。

月曜日は「牛小間炒め」がメイン。時鮭焼きと万願寺・イカ・油揚げの煮物、小松菜の胡麻卵炒め等。

                      

今日は「ハンバーグ」がメインで、ブリ照り焼き、きくらげ・パプリカ・シメジ・万願寺などのオリーブ焼き、卵焼きだった。

                      

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オムスビ

2016-09-09 | Weblog

9/9(金) 今週もまた週末の金曜日を迎えた。昨晩は、渋谷「奈加野」にて後輩のK氏との懇談。彼と会うのも久々、その間のあれこれについて喋リあう内にタイムアウトの22時になっていた。特筆すべきは、彼が所属するゴルフクラブの理事長杯をとったと云うことか。すっかり腕を上げていた。

後は、郷里に居る老いた両親のこと、共通の知人・友人の消息、少しばかりのビジネスに関することなどであった。『十時には切り上げることにしているので』と、渋谷駅で別れた。

渋谷に出掛ける直前、或ることを決断したかった。「古賀武夫 伝」(仮称)の出版時期の延期を。但し、その為にはライターのHASHIMOTOさんの考え、そして健康状態であった。躊躇いながらもHASHIMOTOさんに電話を入れた。内容を、構成を変えたらどうかと。すると、彼も思い悩んでいたとのこと、問題は締切だった。が、これは決断すればいい。

かくして、発行の延期を勝手に決めた後で、佐賀の関係の向きにその旨を伝え、了承を得た。少なくとも、ライターのHASHIMOTOさんと、制作ディレクターになっている私が納得するものを世に出したい、残したい。それが、古賀武夫と云う武士の魂が受け継がれることになる。そして、作家HASHIMOTO・KAZUKIの代表作・出世作になることを願っている。

 

近頃と云うか、この頃か、最近はと云おうか、酒もタバコも美味くない。美味くなけれや止めれば、と言われようが、そうはイカンザキが、大人の世界なのだ。仕事のこと然り、社会における諸々だってそうじゃないか。嫌だろうが、好きでなかろうがつづけるものが、つづけなけりゃならぬものが有るんだよ。それが世の中、娑婆を生きるってことさ・・・・、論理破綻、意味不明か?酒もタバコも大人の嗜み、同じですよ。と、私は云いたい。

今朝の通勤電車の窓か見えた空が、青く高い。いわし雲らしき形を見ながら、ふと亡くなった親父のことを思い出した。親父は雲のことは詳しかった、そう云えば泳ぎも滅茶苦茶上手だった。上手に泳ぐ姿を見たのは一度だけだったが。そなんことを車窓越しの雲と青い空を眺めながら思い出していた。

彼の大戦時、親父は海軍の飛行機乗りだった。雲に詳しいのも、泳ぎが上手だったのも頷けるが。高三の夏だったろう、稽古が終わった後の夕暮れのことだ。道場の横にあった学校のプールに、手拭いを腰に巻いただけでの姿で飛び込み、見事なクロールであっという間に25mを泳いだ。その泳ぎは、水澄ましが水面を渡るように綺麗だった。見ていた剣道部員たち全員があっけにとられた。

未だ小さかった時、親父と一緒に瀬戸内を連絡船で渡った(昔は、四国から出るには連絡船が必須だった)ことがあった。京都の大学病院に足を診てもらいに行くときだったはずだ。連絡船に乗った後、紐を取りだした親父は「船が沈んだら、この紐を結んで引っ張るから」そんなことを、四・五歳だった僕に言った。少し前に、連絡船が濃霧で衝突して沈没、大勢の乗客が亡くなっていた。結核性関節炎で右膝が曲がらなかった僕は、水遊びを厳しく止められていた。

車窓越しに見る青空、いわし雲のような遠くに浮かぶ雲を眺めた僅かな時に、何十年も前の記憶の断片が甦っていた。親父が泳いだプールのシーンと、連絡船で言った言葉が、六十余年の歳月を経て見事に一致したのであった。

 

今朝も最初の目覚めは四時前、早くから目覚めるが、起きたいわけじゃない。そのまま、無理にでも眠ろうと勤めた。その甲斐あって、少しは眠ることができた。仕切りなおしで、六時に起床。

今朝の弁当は「オムスビ」と云うことになっていた。昨夜の約束だ。先ずは炊飯だと、三合半の米を仕掛けた。菜は「鶏唐揚げ」と「豚小間揚げ」、おまけでジャガイモとサツマイモを素揚げにする。そして、ゆで卵だ。こうなりゃ、遠足かハイキングメニューのようだね。

                            

オムスビの具は、定番の鮭・タラコ・梅干しである。変わり種を種々作るのも楽しいだろうが、今回はオムスビ界の貴種、王道、本格派で行くことにしたのだ。

                         

「オムスビ」だと簡単、手早く出来るように思うだろうが、これが意外と時間を喰うのだ。握ったり、結んだり、海苔を巻いたりと面倒なんだよ。仕上げはラップで包まなきゃならないしネ。とかなんとか云いながらも、都合十個のオムスビが完成。

                           

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏根菜煮&茄子味噌炒め

2016-09-08 | Weblog

9/8(木) 今日は弊社の「創立記念日」である。1984年9月に創立者のTUGAWAさんが、中央区銀座四丁目の事務所で法人登記をして誕生したのが「NATURAL」である。三十二年を経ても、ナチュラルというネーミングに陳腐化の気配がない。如何にも今風の社名だが、社名はどうやって生まれたか?TUGAWAさんは多くを語らない。

漏れ伝わっているのが、映画の題名からとったらしいとのことだ。丁度この頃、ロバート・レッドフォード主演の「ナチュラル」と云う映画が公開されていたようだ。「田舎の野球少年が、プロへの道を諦めて紆余曲折を経て成功する。フロンティア精神とアメリカンドリームの物語」らしい。不屈のフロンティア精神と成功への道。それが、創業するTUGAWA・HIROMIKIの琴線に触れ、社名にしたのであろう。

HIROさんの、創業時の思いを斟酌すれば、呑気にやっておられないが・・・・ 。之しかない。

設立発起人の一人に、デザイナ-としてナチュラルの屋台骨を支え、俺の茶飲み相手をしてくれるYOSHIOが名を連ねている。他のメンバーは既に亡くなったり、引退だったりで交流がない。YOSHIOのしぶとさ、生命力が光っている。

週明けに32期の決算役員会や株主総会があるのだが、気分は既に8月スタートの33期にある。11月は事務所移転があるし、33のゾロ目、11もゾロ目、入居予定ビルの階数は7と、目出度い数字が並ぶ。何とか、目出度い期にしたいものだ。

さあ、弁当の話をしよう・・・。今朝のお目覚めはなんと、三時六分だった。随分と小まかい数字をと、思うだろうが、何のことはない、目覚めた時に点けっ放しのラジオから「「三時六分です」の女性アナウンサーの声が聞こえたのだ。眠いよ・・・・。

台所に入ったのが六時、弁当の制作時間は四十分。ご飯を仕掛けて炊き上がったところで、最後の卵焼きも仕上がりだった。炊飯時間は四十分だからね!

菜の方は、表題通りに「鶏肉と根菜の煮物」根菜は、牛蒡・大根・人参・筍であった。茄子味噌炒めは、先週から残っている茄子を処分するための苦肉の策で登場した。塩秋刀魚の焼き物、刻みネギとエノキの出汁巻風卵焼き。

                       

以上であった。二人分の弁当、完成です!

                           

 

 昨夕、KISHIMOTO大兄が人形町まで来てくれた。わざわざ来て頂いたが、店はいつもの安酒場であった。私が貧乏なことは重々承知をされているので、勘弁してくれるであろう。

先ずは「高松」で、軽く日本酒などで喉を湿していただき、界隈で最も美味いハイボールを飲ませてくれる「ローカーボ」では、ゆで卵を肴にハイボールを。頃合いよしと、21時前に「セイジュ」へ繰り出した。うまい具合に、客の姿はなし。

                             

「SEIJU」では専ら焼酎のソーダ割りだが、何時も文句を言ってきた。『ここの酒は不味いねぇ~」と。昨夜は、新しい焼酎ボトルが出て「何時も文句をいうから、新しい焼酎を買ってきましたよ」と言う。折角だったが、この焼酎も美味いとは思えなかった・・・・。店の料金を考えろ! と、天から声が下りて来そうだが。

久しぶりに大兄の「国境の町」や「緑の地平線」なんていうかび臭い歌を聴かせてもらった。声の調子が、詩とメロディーにマッチしているの、ほのぼのとした気持ちになる。不思議にいいんだな~これが。

他に客の姿はなし、一時間二人で歌を探し、マイクを握りっぱなしだった。Oh~、気付けば十時だ。門限だ。未だ唄い足りないであろうが、時間厳守だとばかりに、お開きにしてもらった。

                           

                            「哀愁列車」三橋美智也

何時もながら、大兄から激励の言葉を頂き、勇気づけられたのであった。 

 

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする