オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

オムライス

2013-09-30 | Weblog

9/30(月) 9月も今日でお仕舞、今年の四分の三を終えることとなった。何時の間にやら秋の日差しと風が当たり前のようになっている。あの暑さのことをすっかりと忘れている。

今朝は残りご飯でオムライスとなった。タマネギ・ピーマンを刻み、鶏肉とウインナーを小口に切る。調味料は、塩胡椒とケチャップに・・・・で味付け。簡単手軽な弁当である。

                      

菜の方も手軽に、里芋と小松菜に残っているウインナーを煮る。冷凍の味付け唐揚げを温めてお仕舞である。

                            

今朝も三人分の弁当を仕上、自分用のスムージーを作る。スチューベン(葡萄)とリンゴだけのスムージーであった。綺麗な色合いだが、葡萄の甘さが勝った。

                            

出勤前、昨日に膝のMRIと摂ったのでその画像を持って地元の整形外科に行く。その画像を見せて貰いながら今後の治療法を訊く・・・暫くリハビリをやり様子見となった。右膝の軟骨が磨り減り、炎症と水が溜まっているのは承知していた。

MRIの画像で新たに判明したのは、関節が一部壊死していることだった。「自然快復はするんですか?」と、訊くと『稀にそういうケースがあります』であった。これ以上壊死がつづくなら手術だそうだ・・・。

手術をすると、回復までに5~6ヶ月を要するとの話。暫くは、ゆるやかにリハビリを続けて筋力を付けるしかないようだ。消炎鎮痛の薬も長期の使用は好ましくないとのこと。

精々ヒエルロ酸やコラーゲンのサプリでも飲みながら、足の運動か。頭の方の運動も必要なようだが・・・。

 

 「 熊本から嬉野~久留米へ 」

9月16日(月)、秋晴れの下、高森町のSEIさん宅を辞去した我らは熊本空港へと向かった。この日午後、嬉野市(佐賀県)でKAWACHIさんの取材予定である。熊本空港で東京から着くライターを出迎えて向かうこととなっていた。

クマモン空港の二階でコーヒーを飲みながらライターの到着便を待った。頃合いとなり、到着ロビーのある一階に下りた。と、随分の人出。どうしたのかと、電光掲示板を見ると、出発便の欠航が相次いでいた。

この朝、東海地方から関東にかけて台風が北上していたのだ。九州の我は、上々の日本晴れと快晴続き。そんなことは何処吹く風、知らぬ顔の半兵衛でいた・・・。

何と、ライターが乗った便だけが着かない。上り便の欠航でロービーはごった返しているなか、カウンターに並んで状況を訊いた。何と、クマモン空港の駐機場が満杯のため、関西空港に降りスタンバイさせられていたのだ。

やきもきしながら待つ、暫くして関空にいるライターと連絡が付いた。様子尋ねると「千円の食事券を貰って出発のアナウンス待ち」とのことである。

何時まで待とうか?と、TOKIOと相談する。取材の約束時間もあるし、カメラマンのこともある。ライター待ちでそうそう時間を潰すのも嫌だし、後々のスケジュールに差し支える。

11時半まで待ったが、未だ関空だ。遅くなりすぎると見切った。ライターには、関空から羽田へ引き返して貰うことにした。

こんなことも有るのだ・・・、取材は我らで済ますことにした。すっ飛んで嬉野に向かい、何とか明るいうちに取材を終えることができた。

取材先は温泉で有名な嬉野市。この地で、退職後のセカンドライフとして書道教室を開いているKAWACHIさんのへのインタビュー。

KAWACHIさんは、50歳で早期退職。書道教室が開ける自宅を建てたとのこと。退職のきっかけ、書道のこと、生徒さんのこと、現役時代の思い出と、話は尽きなかった。

                        

この夜は嬉野温泉泊まり、と云う案もあったが久留米市に宿を取った。翌日の福岡市での取材の利便と、久留米市に住むJOUJIMAさんとの再会を考えた結果である。

KAWACHIさんとJOUJIMAさんは同じ職場に勤務し、同時期に退職している。昨年春にJOUJIMA(TOMOちゃんと呼ぶ)さんの取材があり、その折にKAWACHIさんを紹介された。それが、今回の取材へと繋がった。

TOMOちゃんとは、社会貢献推進室に勤務した20年ほど前に出会っている。取材も何度かお願いし、機会があると一緒に食事をしてきた。相棒のHIROさんとも長い付き合いで、旧知の中である。

この日、久留米で晩飯を一緒に摂る約束をし、店の予約も地元のTOMOちゃんに頼んだ。取材スタートが遅れたので、久留米に着いたのも一時間ほど遅れた。

熊本で別れ、先にホテルに入っていたHIROさんとも合流して指定された店に向かう。先に待っていたTOMOちゃんは、思いのほか元気な様子であった。過日のメールや電話では、様子が悪そうに思えたのでほっとする。

店は、焼き鳥屋だった。何でも、焼き鳥が町おこしの久留米でも美味しいと評判の店だとか。普段は飲み歩くことが難しいTOMOちゃんが、友人たちから集めた情報の中から選んだ店。食い物にケチを付けるとTOKIOから避難されているが、この夜は文句を云わなかった。

HIROさん、TOKIOに私の三バカトリオは大いに盛り上がって行った。この夜も、TOKIOが座持ち役に徹してボケを連発、煩かった・・・。

HIROさんと云えば、明日の中村 哲 氏のインタビューを控えてか、心ここに非ず。の様子。三人三様、四人四様の久留米の夜であった。

 

 

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新蕎麦

2013-09-28 | Weblog

9/28(土) 昨夜、山形から21時ごろに帰京した。この日の朝、山形市西蔵王の麓に在る「石行寺」を訪ね、佐藤住職を取材した。

市内のホテルから10分強でお寺に着いた。約束の時間より一時間近くも早いので、蔵王温泉まで走り、途中の景観スポットから山形市内を撮影する。盆地の彼方、雲を頂いた月山が望めた。絶好の取材日和であった。この取材のことは改めて書く。

                            

 

 「 孤峰へ 」

昼過ぎ、予定どおりに取材を終え、東根市へと車を走らせた。目的は田舎蕎麦の「孤峰」と云うお店。この店を三年前に取材で訪問している。今回の取材で再訪する機会が巡ってきたのであった。

「新蕎麦がはいったので用意をしておく。お昼を食べないで来るように」と、TOKIOに連絡があったとのこと。二時前、店に着くと店主ご夫妻が迎えてくれた。おとなしい犬、大きくなった孫も保育園から帰って迎えてくれた。

粉屋が新蕎麦のテスト用に持ってきたと云う、打ち立ての蕎麦を頂く。一つは更級蕎麦、これが真っ白でウドンや素麺よりも白い。この店では普段使用しないがテスト用なのだ。そう、孤峰の腕と目利きから粉屋されるのだ。

                            

                             手前が更級(茹でる前)

何時も使っている北海道産の新蕎麦だが、店主によると未だ早いとのこと。要は、熟してないので香りよくない、色合いも青すぎるとのことある。

ここでの取材がきっかけで蕎麦打ちを始めたTOKIOは真剣に聞いている。(分かってるのかな?)

さて置き新蕎麦である、一丁前に最初は汁を付けずに生で味わう。茹で上がると透きとうるような白さの更級蕎麦を先ずは食し、次いで十割蕎麦に取り掛かった。だが、食べきれないのだ・・・。

                       

                         更級そば               盛り十割そば

この店の一人前の量は、東京辺りの倍はあるのだ。いや~参ったね、更級蕎麦も食しているので半分ほど残してしまった。

辞去する際に、お土産まで頂戴してしまった・・・。24日、長野・飯綱高原での取材では、戸隠蕎麦を堪能している。今週は、蕎麦づいた週となった。

こうして、以前に取材でお邪魔したところに再訪ができると云うのは、嬉しいものである。仕事冥利に尽きる旅であった。こうして、二週間に渡った取材行が終えた。

 

 

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今朝の弁当は?

2013-09-26 | Weblog

9/26(木) 枕元のスタンドもラジオも点けたままで眠っていた、これじゃ十分な睡眠もとれるはずがないのだが間々ある出来事。そんな次第で、五時過ぎには目覚めた。

今日は午後から山形へと出掛ける。明日、10時から西蔵王にある石行寺・ご住職の取材である。住職は、サラリーマン生活の後、得度されて仏門に入ったと云う経歴。

そんな訳で明日の弁当は休みとなるので今朝は弁当を作る。未だ膝の方が治らないのでジムへも散歩にも行けない、情けない状態を引きずっているのだ。

寝床の中でメニューを考え、おもむろに台所に向かう。今日は「白菜の豚肉巻き煮」と「ポテトサラダ」である。もう一品ヘルシー系をと、小松菜とウィンナー炒めの卵とじを作る。

どれもこれも何時も作り馴れた代物、面白くもないが新メニューが浮かんでこない。手抜き弁当の典型のようなものだが、暇オヤジの手慰みと勘弁願う。

                           

ポテトサラダは、ジャガイモとサツマイモのハーフにしてみたが、これが塩梅がよくなかった。パサ付く感じの食感であった。

ご飯の方は新米の炊き立てなので上々の香りと色艶。これに海苔佃煮を載せた。

                           

ご飯と云えば、今年のコメの出来栄えが全く駄目だったと、田舎の義弟が嘆いていた。雨が降らず高温が続いたせいで、ウンカなどの害虫にやられたそうだ。先週末の帰省の折が、丁度稲刈りの盛り。例年の3分の2しか収穫がなかったとか。無農薬を通すのは難しいか・・・。

出社後、ベランダに出てタバコを一服する。咲遅れのちっちゃな朝顔が一つ、隣の鉢には種から芽をだしたスイカがヒョロリと四つ葉になっていた。

               

生きとし生けるもののしぶとさを見るようでもあり、また、育ちきれない生命体の儚さを感じさせる。

 

  ベッタラ市・・・

 10月19・20日(今年は土・日となる)、恒例のベッタラ市が立つここのお祭り。椙森神社と恵比寿寶田神社の神祭。例年どおりに屋台を出すので、先ほど祭りの世話役の処に書類と必要経費の支払いをしてきた。

いつも悩むのが出し物、何を売り物にするのか?テキ屋の屋台も沢山出るのでなるべく商売の邪魔をしない気遣いも要る。来てくれるお客さんや、営業上の工夫もちっとは必要だ。

例年の定番品、焼き鳥・安納芋・土佐風ちらしずし・日本酒の南・芋焼酎にお客さんとスタッフ用の生ビールは決まりか。昨年、OKAGIが味付けで大失敗をした松茸ご飯に変えて、栗ご飯を出そうかと思案中。その他、何か目玉になるような食い物が欲しいのだが・・・。

先ほど、ド・トールのオーナーとの話の中では『手羽先』でも煮込むかとなったが・・・果たして正解か?こればかりは、万機公論に決する訳にもいかんのだ。

これまでトン汁、焼き魚、タン塩焼きetcやってきたが決め手に欠ける。こんなことを考えながら、締切が迫る取材原稿の方も進めなくては・・・。

 

 熊本・高森町

9/15(日)の夕、山田堰から高森町へと向かう。夕闇が迫る中を急かされるように日田インターから、杖立温泉(この温泉には数年前、熊本在住の友人竹村と鄙びた安宿に泊まったことがる。急流の谷川の音が煩かったことが思いだされた)を抜け、阿蘇の外輪の北端から阿蘇市を抜けて阿蘇山の麓から高森町へと山道を急いだ・・・。

高森には、昨年にIターンで帰郷して養鶏や農業を営む友人、SEIさんがいる。彼を訪ね旧交を温めながら農業や養鶏の話を聞こうと云うことになっている。携帯の電波も途切れがちな山中、待ち合わせ場所を通過してしまう。とっぷりと暮れた中で、右往左往であった。

「宿は静かな処を用意しました」との連絡を貰っていた。前夜泊まった世界平和道場のある山都町に接した山中で漸く出会うことができ、更に山の中を分け入るように車を走らせた。

こんなところに宿があるのか?と疑心暗鬼ながらSEIさんの後を追う。更に枝道に入り、とある民家の庭先に車が入った。何のことはない、SEIさんが生まれ育ち、今も暮らす自宅であった。周りに人家の灯りも物音もなく、既に八時半頃となっていた。

築200年ぐらい経つ武家屋敷とのことで、隣の部屋は吊天井だと云う。曲者らしき者はその部屋に案内したらしい。「我が居る部屋は落とし穴で、地下には竹槍が並んでいる。なんてことはないよね?」と冗談を言いながら、根田が緩んだ座敷で大いに食べ・飲み話を聞く。

確かに静かな処であった。思いがけずに、すっかりお世話にお世話になってしまった。翌朝、昨年から始めた鶏を見せて貰う。すぐ庭先に応急の鶏舎が設えてあり、取り敢えず200羽を飼育中とか。

昨夜一献交わしながら鶏の話を聞いた「オスのNO1鶏は、餌をやると一番高い処で全体を見回して自分は食べない。最後に餌を啄む」とのことだった。その話どうりに、朝の餌やりを始めるとメス鶏や順位下のオスが我先にと啄む中、立派なオス鶏が高みから睥睨していた。

              

取れたてのこだわり卵で、卵かけご飯の朝食を頂いた。一個80円で販売しているとのことだが、そんなに高くて売れるのかと心配になった。

 今後、鶏舎を本格的に作り鶏を増やしていくとのこと。ITビジネス経営から、これからは農業だと転身を図り、故郷で未来を拓くSEIさんに幸多かれと願う。

 

 

 

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久々の弁当&幣立神宮・雉の松田屋

2013-09-25 | Weblog

9/25(水) 今朝は久々の弁当作りに励む?と、i云うほどのことでもないが、つづく旅の合間に台所に立った。

昨日は、朝早くから長野・飯綱高原に出掛け帰宅は22時前であった。帰宅してから遅い晩飯&ビールとなったが今朝の目覚めは早かった。蒲団の中で弁当メニューを思案する・・・。

昨夜の残りご飯が沢山あるので、チャーハンとかオムライスとかが浮かぶが、変わり映えがしない。其処で行き着いたのが『混ぜご飯』であった。鶏肉を小口に刻み、冷凍の青大豆とで甘辛に煮る。これをご飯と混ぜるだけのことである。

                      

菜の方は、ピーマンの肉詰め、大根・蒟蒻・里芋などの煮物、豚肩肉の塩麹炒めに小松菜とエノキを添えた。以上である。

                            

一口づつ味見をする。中々の出来栄えではないかと、自画自賛であった。長女が、家族でキャンプに出掛けているので、今朝の弁当は二つである。

                            

自分用のスムージーを作る。リンゴ・トマト・プラムに白菜と何となくそぐわない感じの組み合わせであるが、美味かった。

                             

 

昨日、碓氷峠を越えるまで雨。その雨が長野盆地に入ると消えた。上々の取材日和となり、それまでの心配をが杞憂となった。  

昨日のこと、先週の熊本・佐賀・福岡のことなどは追々に記す。今日は、これから都内で取材となる。今朝の東京は雨、外での撮影も予定しているが・・・。

 午後の取材も何とか終える。今日はマラソン対談のお二人、小雨の日比谷公園をランニング姿で走る姿も撮影した。私は「雨が残っているので止めたら?」と、ゲストのことを慮るが・・・、スタッフのFUJIKURAは、走って貰うと強引であった。

 

 熊本「幣立神宮から雉の松田屋~山田堰へ」

9/15(日)は幣立神宮の祭礼日、前夜世界平和道場(地球市民の会会長・佐藤昭二さん宅)にて、来合わせた女性陣達と一緒に痛飲する。但し私は控えめに、飲んで騒いだのはHIROさんとTOKIOである・・・ほんと?

朝、世界平和道場とは目と鼻の先の幣立神宮に参拝。私は何度か訪れているが、初めての二人は檜や杉の老木を目の当たりにして感嘆する。昼前頃から賑やかになるとのことだが、この日、昼に菊池市の山中にある「雉の松田屋」さんを訪ねる予定である。

              

佐藤会長からは、ゆっくりするようにと勧められるが、少ない日程の中に諸々を詰め込んだので致し方なし。皆さんと一緒に記念撮影をして菊池へと向かった。

                          

                             世界平和道場

 

雉の松田屋

予約の12時丁度に松田屋さんに到着。ここのご主人は、十年余前に早期退職をされて、この地に移り住んだ。当初、竹炭をやるつもりでいたそうだが、雉のことを知り雉の養殖をセカンドライフにした。

                          

先ずは自宅敷地内に建つ食事処で雉焼きコースのランチを頂戴した。雉肉は非常にヘルシーな鳥肉とのこと。固からず柔らかからずで、旨味のある肉を桜島溶岩の鉄板でジュジュうと焼きながら頂く。

                           

料理は前菜から始まる、ホロホロ鳥の燻製・鉄板焼き・炊き込みご飯・吸い物・デザートなどがセットの「鉄板焼きコース」(3500円/人)であった。ハンドルを握るTOKIOを尻目にビールなど頂戴し、料理にパクつくと言いたいところだが・・・拙いことに、平和道場で朝飯をたっぷりと頂いてきたのだ。

                     

それでも私は完食した、連日連夜の過食だ~。団子スープ、雉ご飯も美味かったし、デザートの雉卵を使ったプリンもGoodだった。

 食事の後、雉の養殖小屋を見せてもらった。自宅から1㎞ほど離れた山中に在る雉舎には千羽が飼育されているとのこと。この他にホロホロ鳥、40羽を飼育している。

                      

                      キジさん                ホロホロ鳥さん

山の中なので、イタチや狸の襲撃があるそうだ。以前、松田さんのBLOG「松ちゃん日記」にはマムシが載っていた。さもありなん、と思える処である。

                         

                           松田さんとHIROさん

 

  筑後川・山田堰

話を伺った後、明後日の取材の予備知識を得るために福岡県朝倉市の筑後川に築かれている「山田堰」へと向かったのは2時半頃か。出発予定時間を一時間ほど過ぎていた。

筑後川沿いをウロウロと探し、漸く行き着いた時は4時半頃か。この堰は、江戸時代の後期、灌漑用の用水路を拓くために土地の庄屋五人が連名で直訴、生命を賭して建設をしたとのことである。

                     

この堰の完成により、堀川用水が開かれて660ヘクタールの灌漑が成ったとある。

この堰を訪ねたのは、アフガニスタンで用水路を拓いた医師・中村 哲 氏が、ここなど古くからある用水路を研究・参考にして、機材・資材の乏しい彼の国で応用したことにある。

明後日のペシャワール会「中村 哲」氏、インタビューの伏線としてであった。日本の古の知恵をアフガンの大地に生かす。資金・物量の乏しい中で、現地でできる方法、現地の民が自らの手で守って行けるやり方。その原点の一つが、ここ山田堰である。

 

この後、我々は友人のSEIさんが待つ阿蘇山の南西麓の高森町まで戻る。最低でも3時間は要するだろう、前日と同様にすっかり遅くなってしまった。

それにしてもTOKIOの運転ぶりはタフである。この日も数百Kmは走っている、阿蘇外輪山の外れから福岡県へ、そしてまた出発地点に近い処へと向かった・・・・・。

 

 

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熊本・通潤橋と尺鮎

2013-09-23 | Weblog

9/23(月・祝) 昨日の午後、高知から帰京した。9日間の旅となったが、後半は福岡から高知へ飛び郷里で過ごした。

先ずは、東京を発った14日の朝、痛む膝を庇いながらひょこたんヒョコタンと羽田に向かった。HOROさんと落合って10時20分クマモン空港に降り立った。前日、車で東京を発ったTOKIOがロビーで待ち受けていた。タフなやつだ、ハンドルを握らせておけば月までも走るんじゃないか?

日差しが暑い、ラフなアロハが正解だった。TOKIOたっての願いだった「通潤橋」に向かう。山都町(旧矢部町)にあるこの橋は、江戸期の石造りの水路橋である。休日の正午に橋から放水が行われるとのこと、それを見ようとのことである

この橋は道路から見たことがあるが、放水のシーンは今回が初めてとなる。空港から大凡一時間ほどで着いた。三連休の所為か観光客の姿も多く、橋の上や周りを散策していた。

田圃の畔には彼岸花が咲き誇り、稲田の稲は未だ青味を残しており刈入れまで暫くありそうだ。TOKIOはカメラ片手に橋に駈けて行った。日頃の仕事でもこれぐらいのフットワークが欲しいものだ・・・。

通潤橋は、谷を越えた台地に水を引き稲田にする目的で建造された。当時の技術水準を超えた高さまで石垣を築、水路を完成させたと説目がある。橋を臨む側に道の駅や資料館が在った。

                       

アーチ型の古い石橋は南九州には多数存在するようだが、水道橋というのは聞かない。まして、管路の掃除のために橋中央を開口して大放水が見られるとうのは初めてである。

数年前、航空会社の機内誌でこの橋のことを知ったが、今回の旅で同じ機内誌で某焼酎会社のPRページにここが紹介されていた。

時間となり、橋中央部の関門が抜かれた。大放水が始まった。水量が多いので中々の壮観である。観光客がどよめいて見とれている。

                    

15分程つづいただろうか、橋の下でカメラを構えていたTOKIOが戻り「水浴びちゃいました、泥がまざっていて茶色の水が掛かりました」と、冴えない話。

一見の価値あり、通潤橋での一コマだった。

 

 尺鮎を求めて・・・

さて次は、小生念願の球磨川の尺鮎を食すである。12時半前、ここを発って球磨川中流に在る人吉市に向かった。下校して南九州高速道を経由して人吉に着いたのは2時過ぎとなった。

此処から鮎料理を食わしてくれる店を探す。探しても探してもそれらしき店が見当たらぬ。もう2時半だ、朝飯を抜いたので腹もペコちゃん。しびれをきらして、球磨川下りの船着き場の建物に入った。親切なお姉さんに教えて貰った店に向かう・・・・。

何と、閉まっていた。『こりゃ駄目だ、五木村経由で山都町に向かおうよ。途中に店でもあるかもしれんよ』と、人吉市を離れた。

球磨川にそそぐ川辺川沿いを上り、五木村を経由して山越えで次の目的地である山都町(旧蘇陽町)の「世界平和道場」に向かった。2時間半もあれば着くだろうとの検討でいたのだが?

人吉から暫く走ると、地元民相手らしいドライブインなのか食堂なのか不明な食い物屋を見つけた。HIROさんがフットワークよく店に探索に入った。両手を大きく上げて丸印を掲げた。

昼時分はとうに過ぎているが、店を開けてくれた。鮎もあると云うではないか。尺鮎だ~と、言うと。冷凍の鮎を取り出して、これでいいかと言う。OK!OKと、漸く鮎にありつけることとなった。

我が安田川の鮎に比べると、4~5倍は悠に在る大きさだ。尺には足りないとしても26~7cmはある大きさだ。十分・充分の大きさ。川辺川で捕れた鮎とのこと。

川魚を好まないTOKIOは親子丼を、私とHIROさんは鮎焼きを頼んだ。ビールなど飲みながら暫し待つ。20分程待って焼きあがってきた~。ウーン、でかい。

早速に頂戴する・・・・二人とも無言、無言で箸を動かした。鮎と云うよりは小形の鯖、大形の鯵と云う感あり・・・。

                              

喰い終えて、勘定を済ませて車に戻った。二人から出た言葉「なんだー、あれは。全く旨味がないな・・・。デカイだけかよ」だった。(因みに一匹、2000~2300円と検討した)

                              

はっきり言って、美味くなかった。大味、ぱさぱさ、旨味なし、ありゃいかんよ。と、なったのである。

かと云って、この川筋のすべての鮎を否定するわけにはいかんだろ。たった一匹喰っただけだ。鮎の腹は子持ち時期の鮎だった、ひょつとして、昨年の冷凍もんで旨味が抜けた鮎の可能性もある・・・。

だが一匹喰っただけの評価としては、残念な結果となった・・・・。(鮎には煩いんだよ)

山中の五木村は子守唄のとおり、淋しげな山奥。道の駅が在ったので立ち寄った、山奥らしく何もなかった、五木の子守唄が侘びしく聞こえたのも鮎でガックリときた余韻か?

山越え道は延々と続き、何時になったら着けるのかと心配になるほど。携帯の電波も届かぬ山中。されどTOKIOは、曲りくねった山道をものともせず、不平・不満もみせずにハンドルを切って走らせた。

4時間も掛かって漸く山都町に辿り着いた時には、日もタップリと暮れていた。画して、なんとか初日を無事に終えた我らは、世界平和道場で暖かいもてなしを受けるのであった・・・。乗ってましたよ、HOROさんとTOKIOは・・・。

 

 

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依然膝が・・・

2013-09-13 | Weblog

9/13(金) 三連休前の金曜日、だが明朝の早い便で熊本に発つ当方にとっては、休暇前の浮き立つような気分にはならない。こんなことを書くと、「オッサン、毎日が休みのようなものだろう」と、天の声か、地の声が聞こえてきそうだ。

今朝も五時ごろから目覚め、今度の取材先となる「中村 哲」さんの本を暫し読む。夜は膝も休まるので、起きだては調子いいかと思うんだが・・・これが全く違う。膝が固まったままのようで、どう動いても痛む、痛い。徐々に膝を動かしながら、延ばす。

昨日、武島先生の告別式の後に整形外科に向かった。明日からつづく旅を考えると、何とか痛みを取る治療がないかとの相談であった。されど、打つ手なし。言われたのは「今、出している薬(炎症止めか)を、一日4錠まで飲んでいい」そんなことだった。ならもっと早く言ってくれよ、と云う気分。

子供の頃に罹った関節炎があるから、ヒアルロン酸の注射は避けたいとのことである。3歳ぐらいから小学校に上がる頃まで、結核性の関節炎でコルセットやギブスの世話になりっぱなしだった・・・それを思えば、今ぐらいの状態は我慢か?

ヒアルロン酸と云えば、先日HIROさんがくれたサプリがそうだった。「ヒアルロン酸ーコラーゲン」の顆粒だった。一昨日、グルコサミンなどと間違いを書いたが・・・。昨夜から、炎症止めの薬とhIROさんから頂いた顆粒をたっぷりと摂取すことにした。

整形外科の後、自宅に立ち寄って告別式で頂戴した武島先生が研修で教えてきた金言集をリビングに置いて会社にもどった。

昨夜帰宅すると、家人が「もう一日早く見たかった」と云う。彼女も人を使う仕事をしているので、ぶつかりあい、気に染まぬことがある様子。武島先生の「問題は我にあり」の言葉を見て、何か思いあたったか・・・?

故パウロ武島一鶴先生が言われる、問題は我にありの意味は、問題だと思っているのは自分であり、自分が問題を作り出していると云うこと。問題だと思う自分が、問題だと・・・。名言だと思う。

昨夜は6~7年前に会社にいたYOSHIOKA女史が見えた。彼女が最近手がけたという、音楽関係の本を手土産に。現在は、フリーとして編集の仕事をしているが、五年前に大きな病気をした、その後のことも気になる。

仕事のこと、体調のことなど聴きながら、喰いたいと言う料理をふるまい、美味くもない白ワインを一本空けた。ローカーボに立ち寄ったが、今夜も仕事が残っているとのことで、早々に引き揚げた。フリーの仕事も大変である。『忙しいうちが花だぜ』と云って分かれた。

 

さて、今朝だが・・・。明日から暫く留守にするので弁当を作ることとした。何はなくても弁当と云うの芸がないが・・・。

「鶏肉の香草焼き」と「豚肩ロースの中華味炒め」、「小松菜の卵炒め」「ウインナーとオクラ・モヤシのスープ茹で」であった。

                          

今日の食材は、鶏肉・豚肉・ウインナー・タマネギ・オクラ・モヤシ・シメジ小松菜・卵である。これに、ローズマリー・ハーブ・ニンニク小片、生姜少し、白ワイン&酒が少々、ウェイバー・塩・胡椒・胡麻・醤油が少し、キャノーラ油・胡麻油・オリーブ油と調味料は何でも少し、少し・・・。

丁度ご飯が炊きあがる時間で仕上がった。やればできるのだ・・・。

                     

 

明日から熊本で二泊、佐賀から福岡と廻り二泊、18日は高知に入り、諸々の用件を片付ける。何んとか足の具合が・・・だ。足次第で、行動範囲、仕事と捗り具合が違ってくる。

14日は、通潤橋の放水が見たいし球磨川の尺鮎も喰ってやらねばならぬ。世界平和道場や幣立神宮にも立ち寄りと盛り沢山なのだ。

15日の昼、熊本・菊池で雉の養殖をしている松田屋さんを訪問する。前々からの念願が叶うので楽しみにしている。

23日には帰京し、翌日は早朝から長野・飯綱高原へ取材行。翌日は都内で取材。その翌日、午後から山形へと一泊で取材となる。暫くは(月末までか)BLOGもお休みだ。ご機嫌よう・・・。

 

 

 

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武島一鶴先生告別式

2013-09-12 | Weblog

今日の午後(9/12)、武島一鶴先生の告別式が四谷・上智大学聖イグナチオ教会で行われた。今日の東京は32℃まで気温が上がり、暑い中ではあったがこの教会の中に初めて入った。

数百名の方が参列され、厳かに葬儀ミサが執り行われた。大津でTANAKA家の告別式が行われる頃でもあった。本来なら、大津の告別式に参列するのが筋であろうが、武島先生の日程が前々から決まっていた関係で、昨夜の通夜に出た。

TANAKA君も、武島先生の研修に受講させたことがあり、本日の先生の告別式のことは承知している。

協会での葬儀ミサには初めての参列。聖歌隊の聖歌が流れ、朗々とした祈りがつづく。元カトリックの司祭・神父だった先生らしい葬儀ミサと感じいった。

               

ミサが終わり、帰りに先生からの最後の言葉が記された挨拶状を頂戴した。その一部を抜粋する。
「人生最後の未知なる新しい冒険へ旅立ちます 不安が全然ないかといえば そんあことはありません・・・」 「今日まで信じた信仰 聖心の愛 天国のよろこび みんな信じて旅立ちます」とあり。本当にありがとうございました 残る人生をお楽しみ下さい『無条件にありがとう』とあった。

自筆で先生らしい言葉から、信仰に委ねた潔よさと、心のこもったメーセージであった。先生の教えを今一度、噛みしめなくては・・・。

 

 

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それでも弁当だ・・・

2013-09-12 | Weblog

9/12(木) 昨夜、大津市で執り行われた田中家の通夜から戻ったのは24時前となった。それでも、新幹線で京都、~JR大津は指呼の間を思わせるぐらいに近い。京都を発ち山科、次が大津なのだから直ぐに着く。

通夜の行われた浜大津シティホールは琵琶湖畔にあった。jR大津駅からは車で10分も要しない。6時半頃に大津駅からホールに向かったが、駅前の商店街は大方が閉まっており人どうりもない。

大津は、今年の4月に琵琶湖疏水の取材の為に訪れたがTOKIOの車だった。冷たい小雨と風の中を取水口を探してウロウロしたが、行き交った処に目指すホールがあった。偶然とは云え、因縁であろうか。

通夜で、T・NOBORUは喪主の挨拶をした。しみじみと父を語り、何時ものNOBORUの声の小ささが丁度よかった。亡くなった父親は浄土宗の門徒で、地元の寺の総代を永く務められたとのこと。導師を務められた西念寺の住職が話された亡父への感謝の言葉の数々が、その人柄を偲ばせた。

通夜式が始まる前に、何を思ったか祭壇の写真を撮った。後日、NOBORUに渡そうと思い立った。

                           

さて、昨夜の疲れ(歩くのが不自由なので疲れるのだ)か、蒲団に入って読み始めた本の所為か、今朝の目覚めは何と7時前となった。蒲団の中で足を動かすが、右足は役立たずで痛むだけ。朝のうちに医院へ行こうかと思ったが・・・。

 それでも弁当に向かう・・・

起きてみると、何のことはない。歩いても膝が痛まない。こりゃいいやと、時間が押していたが弁当を作る気になった。上手い具合に、時間の早い長女は仕事が休みとのこと。大急ぎで家人と末娘の弁当作りとなった。

何の趣味もない男とは云うやつは、哀れなものだ。パブロフの犬の如くに、ワンパーターンの行動となる。哀しきかな、オヤジの弁当である。

ご飯が炊きあがる40分の間で菜を仕上げる。手抜きか?そんなことはない、精一杯やっているつもり。定番の卵焼き、鯖の麹漬、鶏肉と根菜(大根・人参・シシトウ)の煮物と、昨日作ったハンバーグ(冷凍で取り置いた)であった。

                         

ご飯の上に、小僧の沖縄土産の佃煮・豚味噌を乗せて仕上がりとなった。娘が騒ぐ「弁当の蓋が閉らない・・・」。

                    

 

結局、医者に行くのはもう少し様子をみてからにした。が、出勤のために歩くと傷み始めた・・・、これって出社拒否症か?

 

 

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通夜

2013-09-11 | Weblog

9/11(水) 今朝も涼しい、それでも膝は痛む・・・。昨夜、HIROさんと会い取材の打ち合わせなどで「中村 哲」さんの話で盛り上がった。ライターはHIROさん、『あんなすごい人を、どう書けばいいんだ』と、弱気なふりをする。

「ローカーボ」では、ちびりちびりとスローペースで飲んでいたHIROさんだが、錦糸町に河岸を替えてから俄然ペースが上がってきた。錦糸町の店はOkamedoと云う店だが、二度目である。この店を根城にしているISHITAKEさんと云う方に用があった。

この方は、インドとのフェアトレードをしており、名刺にはバイヤーとの肩書きがある。我が地球市民の会の関係で知り合った。この方とは今夜お会いする予定であったが、私が急遽通夜のために大津市まで出かけることとなった。そんなことから、或る品物を依頼してあったのでHIROさん同道で押しかけた次第。

Okamedoでワインをすすりながら、またしても中村 哲さんの話に行き着く。話が尽きない。

今夜は大津市でTANAKA家の通夜、明日は武島一鶴先生の告別式が上智大学のチャペルと葬儀づいたようだ。

週末、九州への大移動を控えて何かと気忙しくなってきた。膝はどうなるのか>HIROさんが、グロクサミンだか何だかの、コラーゲンのサプリを持ってきてくれた。持つべきものは友、かお金か?いづれもありがたいが・・・。それよりも、痛いの痛いの飛んでけ~だな(まるで子供だ)。

 

それじゃ、これからお通夜に向かう・・・。

 

 

 

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サンドイッチ

2013-09-10 | Weblog

9/10(火) 今朝の弁当はサンドイッチ、昨日から決めていたメニューなのだ。酔っ払ってふらふらしながらも、駅前のスパーで食パンを買い帰宅した。見上げた根性ではないか?

明け方からの涼しさの所為か、5時前から目覚めていた。昨夜の酒精が抜けていない、膝の具合は最低だが、5時過ぎに蒲団から出た。

メニューは決まっている、パンも買ってある。さて、食パンの袋を取り上げると・・・何と四枚切りだ!厚すぎるぜ。酔っ払っていたので確認もしないで買っちまった。

最初の仕事は食パンにナイフを入れて半分に切り分けることとなった。これをやると、よく失敗をするのだ。が、今朝は上手く切り分けた。

具は、昨日喰ったハンバーグよ。冷凍挽肉を取り出し、パン粉や塩胡椒、炒めたタマネギと卵白でハンバーグを作り、焼いた。

ハンバーグだけでは物足りないので、ベーコを炒め、スクランブルエッグを作った。後はキャベツを刻みレタスを使うだけ。

                           

昨日食したハンバーグに勝てたか?残念ながら味見をしなかった。昨夜の酒の所為もあり、今朝はスムージーを作ったのだ。レタス・キャベツ・タマネギのハンバーグ材料の残りと、バナナ・二十世紀梨を三分の一。これが意外にも飲みやすかった。

                       

昨日、本屋を覗いた後でランチとなった。YOSHIOが退院してから、ランチタイムは殆ど彼と一緒にしている。安いの高いの、量が多い、油分摂り過ぎとか、ごちゃごちゃ言いながら喰ってるのだ。

日本橋・三越前の路地をうろつきながら手ごろな店を探す。天丼で人気の店があるので、そこへとYOSHIOを案内した。処が、午後の二時を過ぎていると云うのに、十数名の客が店前に置かれた戸板に座って順番待ちをしていた。

諦めて、手前に在ったサンドイッチが美味そうなカフェに入る。この店でハーフサイズのハンバーグサンドとアイスコーヒーのランチとなった。ここのアメリカンサンドのハンバーグ結構いけた。これを喰いながら、ここんところサンドの弁当を作ってないことに思い当たったのだ・・・。

YOSHIOに「明日は、ハンバーグサンドを作るぜ」と、宣言をしたのであった。

 

  幽体離脱絵図
そんな無駄口を叩いていると・・・『この前の幽体離脱の絵を描いたんですよ』と、YOSHIOが言い始めた。何でも、記憶が鮮明なうちに絵にしておこうとのことだ。

前にも触れたが、8月9日の早朝か或いはもっと前なのか、YOSHIOは急性胃部出血で自宅トイレで倒れた。その時に、トイレの天井から倒れる瞬間から自分を眺めていたそうだ。この時に、血液が半分近くも流れたと、医者から言われたそうだが。

その時のシーンを忘れないうちにと絵にしたのだそうだ。「不思議だったのは、顔が緑色で、自分の顔の脇に、知らない人の顔が同じような顔色で在った」と云う、珍しい体験をしている。それが、下の絵なのだ。

                       

 

そのYOHSIOが丹精したベランダのトマトと落花生は枯れ果て、YOHSIOのように痩せ細った朝顔だけが生き延びている。もう花も咲かないと思っていた処、なんと直径が1cmぐらいの花が咲いた。

健気なものだが、こんな小さい花をよく付けたものだ。一月前に喰ったスイカの種から出た芽は漸く三つ葉になろうとしているが・・・・これ以上は望むべくもない。

「来年は土も入れ替え、良い苗を準備して立派な花とトマトだ」と、YOSHIは気張っているが・・・大丈夫か?トマト齧りたいと、喰いっ気から来てるからな。俺のように、美しい花を咲かせたいよか、見たいとか、純な心になるといいのだが?

 

 

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