オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

芍薬・・・

2020-04-29 | 弁当

4/29(水)今日も暖かな陽気の一日だった。雨が降らないので夕方になると小さな花の芽に水遣りをする。早く大きくなれと願いながら・・・。「花とおじさん」への願望と云う処か!。

斯様な次第で今日も午前中の一時間ばかり、花の咲いたジャガイモの花を摘み、庭の伸びてきた小枝を剪定した。気が付けば姫リンゴの花が咲き、芍薬も蕾を開いてきた。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花なんて云う例えがあるが、牡丹は我が庭にないと気付いた。今度ホームセンターに行った折にでも買ってこようかな。

             

USUI老がミカン畑での焚火や、筍取りに行く気満々なので庭で過ごす至福とも云える時間を切り上げた。

ミカン畑に行き焚火をし、河原の竹林で筍を取った。暑いくらいの陽気に、今日もラムネを飲み喉を潤した。先日のラムネとはメーカが違い、ラベルは青である。

                  

そんな一日の夕は、庭に面した小さなベランダで缶ビールを開けて暮れ行く里を眺めてひと時を過ごす。後は夕食の用意をし、ハイボールを飲みながらの夕餉で今日の日にサヨナラだ。

その前に、今日取ってきた筍で「志那竹」作りにチャレンジ!上手くいくかな?。昨日は採ってきたお茶の新芽で「お茶作り」をしたが、これもどうなることか。

                  

筍は毎食のように出している。老が筍が大好物でいくらでも食べるのだ。今日取ってきた筍で、筍とエンドウ豆に鶏肉の炊き込みご飯を炊いた。他には筍の土佐煮、豚バラとチンゲン菜の炒め物、小松菜の煮浸し、ニロギ焼きであった。

                 

「じねん」に赤飯を出している近所のお婆さんが、毎日のように、赤飯と田舎寿司などを置いていく。これを食べるだけでも四苦八苦。赤飯だけにしてくれるように言ったが、変わらずに三品を置いていく・・・。有難いが辛いものがある。

 

 

 

 

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到来物で・・・

2020-04-26 | 弁当

4/26(日) ここ数日、晴天が続いているが風が吹き肌寒く感じる。高知県も新型コロナウイルス感染者が人口比率からすると多いとのことだ。

が、山里に居ると人に会う機会は少ない。ましてや、ミカン畑で焚火、竹林の筍掘り、タラの芽を探して山際を歩き、柚子ロードの散策と老を相手の暇人暮らし。コロナと云へば真上に輝くお日様だけのこと?。

         

          栗の木の下で、懐かしいラムネを飲んだのは一昨日か! 

山里ながら町のスーパーまで買い出しには偶に出掛けるが、山の幸・海の幸が豊富で食生活に不自由しない。加えて毎朝のように赤飯と田舎寿司を届けて下さるお婆さんが居る。とても食しきれないが。

          

昨日は人形町「清寿軒」のどら焼き&栗饅頭がドサッと届き、今日はまた富山湾のホタルイカ(冷凍が沢山届いた。恐縮しながらも堪能させて頂いている。この場で改めて御礼を申しあげる次第です。

コロナ騒動を尻目に、斯様にノンビリとした日々を送りながらも何やら落ち着かぬ思いは拭えない。燃焼せぬままに田舎で過ごしていることに。かと云って、今更なにができるのか、できようか・・・。

庭の花咲くを楽しみ、野菜の成長と山野の恵みに満足できないとは欲深過ぎるのかもしれないが・・・。人間と関わる暮らしが長すぎたのかな?。

 

 

 

 

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茄子尽くし?

2020-04-23 | 弁当

4/23(木)朝から風が強く肌寒い一日であった。午前中の部屋掃除につづいて、午後からはミカン畑で草刈りをする予定であったが、従姉が病院に行きたいとのことで送っていくことになった。加えて風が強いこともありミカン畑に行くのを断念した。

そんな一日となり、夕食の準備を早々に始めた。先ずは冷蔵庫に入れたままの「タラの芽」を刻んで味噌炒めを作り、茄子&蒟蒻の煮物、カボチャ煮に、USUI老が好物のカレーライス&茄子酢物、米茄子の田楽味噌を用意した。

                         

夕食のスタートは18時前と早く、ジョニ黒のハイボールをジョッキで二杯。日本酒の一升瓶が四本、口を開けずにあるが陽気が良くなったので専らハイボールを飲んでいる。ジョニ黒の一ℓ瓶が毎週空いている。

世間では三密とやらで騒がしい。酒場も休業や時短で大変なようだが、この山里には酒場もレストランもないので夜な夜な家飲みである。密閉も密集も他所のことである。

私が知る限りでは、新型コロナウイルスに罹患している知人は一人だけである。入院中の彼はFBで状況を明らかにしており、大変ではあるが容態は安定しており回復にむかっているとのことだ。早い全快を願うばかり。

山里に居ながらも情報には事欠かぬが、遠い世界のことである。半ば世捨て人のようなものか・・・。

 

 

 

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蝉しぐれの如く・・・

2020-04-20 | 弁当

4/20(月) 昼前に河原の竹林へと筍を掘りに行った。というのは、人形町の大衆酒場「ちょっぷく」の店長YAMAKAGE氏の依頼と云うより、元部下のAOKI君の入れ知恵で氏から筍を所望された故である。

老を誘って一輪車を押して出掛けた。出掛けたと云うほどの距離でもなく、徒歩十分ほどの近場であるが。

一月前までは目を皿のようにして探しても無かった筍が、今では一歩進めば一つの筍にあたる云うような状況で、成長していないのを探すに一苦労なのだ。大きくなっていても上の方は柔らかいが・・・。

筍を掘るのは私、掘った筍を袋に入れて持ち運ぶ役は老である。こんな役割が定着した。タラの芽なら軽いが、筍はそうはイカンザキである。竹林の中でも、持ち帰る一輪車を押すのも老に任せたらヨタヨタしていた。老人の健康維持、体力保持に役立つ!。

                  

三十分ばかりで十本ほどを掘って小屋のあるミカン畑に戻り、泥を洗い落し根元をカットしたりと見栄えを整えた。帰宅後荷造りをし、近所の郵便局から発送した次第。

これで暫くは筍掘りから解放か?などと思っていた。夕日になる頃に従姉が来たのでコーヒータイムとなった。話をしているうちに散歩しようと云うことになり老と三人でユズロード(森林軌道跡)を亀さんのごとき散歩へ。                

藻くずカニの生簀を覗いてカニの様子を伺い、ついでにそばの親戚の竹林を覗いた。するとここでも雨後の筍がニョキニョキと頭を出していたのだ。

こうなると獲物を追う原始の血が騒ぐ。老に小屋から鍬を取ってきてもらい、凝りもせずに筍掘りとなった。一日に二度も筍を掘るとは・・・。

              

そんな一日の締めくくりは夕食作りである。今夜は「タイカレー」と云うことになった。新鮮な筍があるのでこれを活かすためにタイカレーペーストと、ココナツミルクを用意した。

筍は掘りたての一番小さなのを生で使った。鶏肉に、野菜は茄子とピーマンだけである。タイカレーを作るのは随分久しぶりだが、辛みの利いた美味いカレーができた。

        

 

夕食後、二度の筍掘りで汗ばんだ体を癒すために湯にゆっくりと浸かった。湯船の中で寛いでいると、蛙の声が・・・。

ギッギッギッギグェグエ・・・ゲゲゲッ、輪唱するコオロギの鳴き声のようにも・・・。温い湯に浸かり、波の如くに押しよせる蛙の声を聞いていると蝉しぐれの中に居るような気分に。尤も頭上からではなかったが・・・。田舎に居ることをあらためて実感する時間であった。

 

 

 

 

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小夏

2020-04-19 | 弁当

4/19(日) 今日の午後、昼前の花壇の草取りを終えてからミカン畑にて「小夏」の収穫をすることになった。従姉が小夏の収穫を「はようにしいぃや」と言うので、一寸早いかと思いながらも一番古い樹の小夏を採った。

収穫後は暫く熟成のために保管するが、味見とばかりに老と2~3個食したが・・・まあまあの味になっていた。それにしても綺麗じゃない、あばた面である。こんなんじゃ人様に差し上げる訳にもいかんぜよ!と云うほどの出来栄え。尤も、消毒もしていないので止むを得ないが。

小夏の今年の収穫は去年の四分の一という処か。裏年になるにしても少ないが、少ない上に綺麗じゃないからどうしょうもない。自家消費なら皮を剥けば綺麗なので問題ないが、皮でママレードを作るには問題有りだ。

                  

精々ジュースにするが一番?かもしれない!。若い樹は未だ採ってないので明日以降に採るが精々二ケースぐらいであろう。

小夏の収穫を切り上げて帰宅。早いが、五時から夕食の準備に入った。というのも、朝従姉が青豆を持ってきたので「豆ご飯」を炊き、従姉も夕食を一緒に摂ることになっていたから。

豆ご飯を炊き、最後のホウレン草でお浸し、大根下ろしに「大根と蒟蒻の煮物」「里芋煮っころがし」「筍煮」に、トンカツを揚げた。新型コロナウイルス対応の免疫力向上にはバランスのいい食事!らしいのでメニューが増えた次第?。

                

最後の逸品は「鯖のへしこ」、へしことは糠漬けの魚でショッパイから糠を落として水洗いして小口切りにした。北陸ではよく食べられる保存食で、敦賀のYAMAMOTOさんが過日、送って下さった。

斯様な夕食は六時からスタートし、八時にお開きに。従姉二人が来て賑やかなこと著しかった。

余談ながら、この田舎町もマスク姿が急増している。昨日、隣町の「たのたの温泉」に入浴後、スーパーマーケットに寄つたが、九割はマスク姿であった。

温泉も休業になるようなことを聞いたので「風呂のない私はこまるねぇ~」と云うと「ありがとうございます」と丁寧に言われた。ノー天気な我と老は、帰宅後は小さなベランダで缶ビールを開けて春風に吹かれながら「長閑だねぇ~」などと。

                 

わが県の感染率は全国でも上位になるので致し方ないか・・・。人口や経済力等々、なんでも下位なのに新しいもの流行りものには敏感なようだ。これも県民性?。

 

山里の桜はすっかり葉桜になっている。河口になる町の方の桜は未だ名残花であったが。

               

 

 

 

 

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タラの芽&筍の日々

2020-04-16 | 弁当

4/16(木)BLOGをアップするのは四日ぶりになるか!。毎日が同じことの繰り返しで記すべきこともないが、生存証明と云うことでここ二三日のことを記録する。

とは言いながら月曜日のことが、火曜日のことが思い出せない・・・。が、月曜も火曜日も筍を掘りに行ったようだ。火曜日は野菜を植える準備で畑の畝を耕したか。

そして昨日の水曜日、天気もいいので午前中からタラの芽を採取すべく我が家から30Kmも上流の馬路村魚梁瀬地区まで出掛けた。

魚梁瀬には魚梁瀬ダムがあり、湖底に沈む集落は台地に集団移住している。子供の頃に一度だけ行ったことがある。我が家の周辺にタラの芽は無くなったので山奥なら未だあるのかと思った次第。

USUI老を助手席にして安田川沿いの県道を遡った。老に目をタラの眼にしてよく見ろと言いながら、ゆっくりと切り立つ崖沿いの道路を走らせた。雑木林になった辺りにタラの樹があるも、肝心の芽は摘まれている。

何処もかしこも人の通る処は採取され、残っているのは二番芽ばかり・・・。そんな中にも、取り残したのか取れなかったのか、切り立つ崖沿いに幾つか発見できた。されどこれを採取するに一苦労!。

老は危ないから止めろと言うだけでチャレンジしない。こっちは何とか採ろうと藪をくぐり、野バラの棘もものとせず、足を滑らしながらも木の根や蔓に掴まりながら獲物に接近して長鋏を伸ばすのであった。

          

魚梁瀬ダムは珍しいロックフィル式ダムでコンクリ―トの代わりに、土石を積み上げたダムで、高さは100m以上あるとか。電源開発会社の所有である。 ダム湖の彼方に魚梁瀬の集落を臨む。

魚梁瀬はヤナセ杉で知られており、日本三大杉の一ヶ所。台風のシーズンになると雨量の多さでニュースになる。その雨量で杉が育つという自然の恵みと裏腹に苦労もあろう。この杉があったから、森林鉄道を通して木材を運搬したのだ。その頃の栄華も過去となり、森林鉄道跡は私達の散歩道になっている。

帰路は魚梁瀬から逆V字になるルートで、北川村~奈半利町に至る道を辿りながらタラの芽を探す。このルートの何カ所かで人の手が入っていないタラの芽をゲットできた。

七時間に及んだタラの芽探しを終えたが、帰宅してからが一苦労さ。タラの芽の天婦羅などつくり夕食を整えるのだから。草臥れました!。

                  

連日、タラ芽と筍が食卓を飾る。タラ芽は天ぷらや味噌炒め、筍は煮る、ソテーや揚げ物に。山の幸を堪能しているが、火曜日に北海道の友人から立派な毛ガニが届いた、二日続け気て山海の珍味が食卓を賑わしてくれた次第。

                    

 

 

 

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雨の部屋籠り・・・

2020-04-12 | 弁当

4/12(日)昨夜遅くから降り出したのか、朝から雨であった。朝食を摂りながら老に「こんな日は部屋に籠るに限る」と言って、洗い物を済ませてからは部屋に籠った。

花壇の草取りも、畑の焚火も、散歩もない日は時間がゆったりと流れる。久々にゆっくりとし? — 世間からすると毎日がノンビリ、ゆっくりであろうが ― 老から回ってきた大衆小説を手にして荒唐無稽な時代小説を読んで時間をすごした。

午後、渡辺一雄さんから電話を頂いた。八十四歳とのことであるが、その声は変わらず若々しく元気であった。「津川さんは元気ですか」と訊かれ「相応に元気ながら、この騒動で引き籠っているようです」と応える。日常が戻れば一献交わしましょうとの誘いに応じて電話を置いた。

閑に静かに山里の雨はつづく・・・。夕暮れとなり今夜の食事のメニューを何にするかと浮かべる。台所に入り食材をチェックするが、定番になった筍とタラの芽があり今夜も「筍煮、タラの天婦羅、タラ味噌炒め」を作ることに。鶏肉があったのでクリームシチューを、筍は鶏肉とスナップエンドウを一緒に煮る。そして敦賀のOKYOUさんから届いた自家製「小鯛の干物」を焼いた。

         

ご飯は「赤飯と海苔巻」に。この二品、近所のシズエお婆さんが今朝も玄関に置いてくれたものである。連日のように赤飯と何か一品が届く。赤飯は味工房で販売用に作っているのだが、他一品は味工房で買っているに違いない。こうも連日では、申し訳ないを通り越している!。私が不自由をしていると思い気遣ってくれているのか?。

湯割りの薩摩焼酎を飲りながら、最後の一品「タラの芽天婦羅」を揚げる。ジョッキの湯割りを片手に揚げ物とは・・・。先にテーブル着いて飲んでいる老には、小鉢などを出してある。

飲みながらの食事を終えて、コーヒーを淹れて明日の予定は?と訊く。結果、町での買い物ついでに「たのたの温泉」にて入浴することになった。なんとも優雅なことよ!。

洗い物を終え、一人でTVを眺めながら先輩方の様子伺いに電話をした。KISHIMOTO大兄、NAKANOオヤジの声を聞き、都会での日々の様子を伺う・・・。

NAKANOさんから「お前は運が良い人生だよ、そんな星に生まれているよ」などと言われる。NAKANOオヤジの店はランチ営業だけにしているとのことで、赤字が幾らになるか分らんとのこと。飲み屋商売の先行きが限りなくブルーであることは確かだが・・・。

そんな厳しい時に、田舎でノンビリと過ごしていることが良いのか?。運が良いと言えばそうかもしれぬが、自分的には割り切れぬものがある。厳しい時、苦しい時を共にせぬことに対して。

私的なこと、サラリーマン時代もビジネスにおいても、これまで何とか凌いできた。これたのは確かに運であろうが。人と天の配材でなんとか凌いでこれただけのことだ。

厳しい中を共に生きてこそ、共感や共鳴できるはずだし、其処から外れた処にいては共有する、したと云う連帯感を持たない。現場にいてこそなのだ。

今、こうして緩やかな田舎暮らしの中で疎外感があるのは、厳しい現実を共にぜず、緩やかな日々であるが故であろう。

 

 

 

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筍&タラ芽の天婦羅

2020-04-11 | 弁当

4/11(土) 昨夕にN君が高知市内から来て家飲みした。そして今日の午後まで山里での我が日常を体験?して帰った。食事は田舎のものをと、猪やモクズカニの味噌汁、タラ味噌炒めなどを供した。

我が日常のままにと云うリクエストに応じて、早い時間から畑で焚火&焼芋、河原の竹林で筍掘りとなった。河原の竹林は一挙に筍が頭を出しており、十本以上掘った。N君が土産に数本を持ち帰り、後は「高松」蕎麦店や従兄の一家の元にいった。

                 

明日からの雨で、雨後の筍の例え通りに更に生えてくることであろう。こうなると有難味はなくなるし、食傷するだろう・・・。

室戸に向かうN君を見送りがてらに「大心劇場」と、稚鮎が遡上している堰堤を案内した。急流を上り損ねた4~5センチの鮎がコンクリートの上で干からびかけていた。 

                 

N君と別れての帰路、途中にある谷川沿いを老と歩いてタラの芽をさがした。一番芽がある木を三本見つけて採取したが、芽はかなり伸びていた。

そんな次第で、昨夜に続き今夕もタラの芽・筍の天婦羅に筍煮などがメインとなった。従姉にも声掛けして三人で夕食。天婦羅の他に猪鍋・猪汁、牛筋と大根の煮物などを並べた。

                

食事を終えてからのコーヒータイムではパウンドケーキまで食した。今夜も過食!。

 

 

 

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山の幸を求め・・・

2020-04-08 | 弁当

4/8(水)昨日今日と、二日つづけて山の幸「筍&タラの芽」を採りに行った。初めて入った山や竹藪でタラの芽や筍を探す。

タラの芽は一番芽は殆ど先に採られており二番目芽が殆ど。森林軌道跡の細道を庶民の足、我がベンツと呼ぶ軽四輪車でタラ芽を求めて山の上、筍を探して川沿いを上・下したのである。

          

その合間にミカン畑で焚火を熾して焼芋と、里山の遊びを堪能している。都会では新型コロナで大変な状況にも関わらず・・・。こんなことで良いのか?そんな後ろめたさはあるが。されど、今日の焼芋のなんと見事なことか。

                 

芋と云えば、昨日畑に置いて出掛けた。戻ると、見事になくなっていたのだ。狸かカラスか?ビニール袋に入った大きめの芋にもかかわらず、袋だけが破れて残っていたのだ。

タラの芽は定番の天婦羅のほかに刻んで「味噌炒め」を作ったがこれが絶品。USUI老が二晩つづけて美味い美味いと食した。

筍は煮物の他に天婦羅、バターソテーと筍ご飯にした。ホウレン草がほぼほぼ終わりになった代わりに、山野草が食卓をかざっている。

今日は畑の端に生えてる蕗を採取し、タラの芽探しの途中でイタドリを少し採取した。両方とも今夕の菜にしたが、いずれも茹で、皮を剥きと面倒なこと夥し!。

     

              

明日は山の幸ならぬ、海の幸を求めて室戸に近い磯に行く予定。従姉の旦那、HIROMICHIさんが貝を取りに行くと云うので付き合う。貝を獲るのは任せて、海岸で焚火しながら獲物を待ち、焼き貝でもと・・・。

 

 

 

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山海の珍味?

2020-04-06 | 弁当

4/6(月)新型コロナウイルスへの対応も新段階に入った今日、帰京の予定を断念して学校が始まった孫のSORAを高知空港に送り一人で帰京させた。来るときも一人、帰りもひとり旅となった。可哀そうだと思いながらも、未だ幼い孫もこうして少しづつ大人になっていくことだろう。

田舎に居た間、何が面白かった?と訊くと「筍掘りと鮎の遡上を見たこと」と言った。筍は自分で見つけたし、稚鮎が群れをなして流れに逆らないながら遡上するのを見る機会はないだろうから・・・。

                

見送った高知空港の駐車場も、空港の中も静かなもので人の姿は極めて少なかった。SOARAはお土産に買ってやった漫画本を持ってゲートに向かった!。

              

老とSORAを見送り、帰宅の途中に従姉からの電話。「流れこ(トコブシ)を獲ってきたので取りに寄って」とのこと。旦那が風の冷たい中を海に行ってきたのだ。

トコブシは小さなアワビのような貝で、これからがシーズンになる。貰って帰り、夕餉に刺身とバターソテーにして頂いた。敢えて云うなら「山海の珍味」を頂いたことになるか。

今夜の夕餉は、そのトコブシに筍&キヌサヤ煮、大根と蒟蒻のおでん風煮、冷奴、ご飯は親子丼であった。楼はトコブシの刺身もソテーも旨い美味いと満足気!。汐の香りがして美味かった!。

SORAが居ないので老と二人の食事は、妙に静かであった。あの煩いのが居なくなって静かになったけど、妙に寂しさがあるね。などと言いながら、薩摩焼酎のお湯割り頂いたのである。

         

 

明日はタラの芽でも探しに行こうかなどと話しながら、夕餉を終えた。

 

 

 

 

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