オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

カツ丼

2009-03-31 | Weblog
3/31(火) 年度末、今日で平成20年度も終わる。昨日より退職や、転勤の方への挨拶を開始する。

弁当は、丼シリーズの二日目となる。今日のメニューは、カツ丼。
豚肉をフライにし、椎茸カツも揚げる。副菜に卵焼き・明太子焼き、椎茸カツ、ジャガフライ、何ちゃらミートを付ける。

カツ丼には玉葱・長ネギを入れ、酒・白出汁で煮る。
フライやカツ煮に意外と時間を要してしまった。

今朝の手順、米四合を炊く、フライ用の粉・卵を用意し豚肉に塩・胡椒し叩く・椎茸・じゃが芋の皮むきをしてフライにする。

明太子を焼き、玉葱と長ネギを切る。フライパンに酒と出し汁を入れカツを煮る、卵を掛けまわす。

ここで、お進めしたいのは、椎茸カツ。

この味に始めて出会ったのは10年前。熊本・阿蘇の外輪山の端に旧・蘇陽町がある。此処に住まう、佐藤大兄を訪ねた時、奥様が作って下さり、馳走となった。これが、始まり。
肉厚の椎茸の滋味・滋養・旨味のハーモニーに参った。あまりの美味しさに、何個もおお代わりをお願いした。

大兄には、あるご縁でお会いし、その後、蘇陽の地を訪ねた。
この地で、自然農法や土壌菌を活用した汚水処理事業をされている。(土の間を通り処理された汚水を飲んだ?飲まされたが、普通の水より雑菌がいないとか、美味かった)

また、私が参加しているNPO「地球市民の会」の現・会長であり、ご指導を頂いている。

ここ蘇陽の地には、神武天皇が東制の兵を立てたことに因んだ「幣立神宮」がある。(佐藤大兄の住まう、「地球平和道場」はこの神社と隣接してる)

この神社は、杉の古木に囲まれ、境内に一万年以上経つ老木がある。また「念ずれば 花開く」の石碑が置かれている。

毎年、8月22日が例祭。これには全国各地より大勢の方が参拝されるそうで、大兄のお宅も大賑わいになるとか。



椎茸カツから話が長くなった。カツが冷めちゃったか?

これにて、今日も四人分のランチが完成。
さて、御代は?〆て1055円とみた。(一番値が張るのが明太子330円)

一人前、264円です。



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三色丼

2009-03-30 | Weblog
3/30(月) 今日の弁当は、念願だった三色丼風の弁当。

以前、娘が寄越した弁当レシピ本の巻頭が三色丼弁当。娘はそれを見ているので、多分にこの弁当の出現を待っていたはず。先週にでも作る予定でいたが、材料が揃わなかった。

そんなこともあり、漸く今日の出番となった。


材料は、鶏の挽肉、卵、錦松梅。簡単です、鳥の挽肉は昨夜のうちに炒めたて準備済み(本格的には煮た方が好いらしいが)。

お菜は薩摩天麩羅と油揚げの煮物、煮卵、鮭・明太焼、小松菜の胡麻和え、ブロッコリとリンゴのマヨ和え、以上だが、自分とK君には昨夜作ったフキノトウの味噌炒めを入れる。

三色弁当に明太子の輪切りを入れて、三色日の丸弁当となった。



今週は、丼をテーマとした弁当に挑戦するか・・・。


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送別会

2009-03-29 | Weblog

3月末になると、退職の時期。私が、かって居た会社ではそうだった。

 

余すところ、後数日でその日を迎える。

 27日金曜日、現場で勤務した十数年前の仲間の一人、Tさんの送別会が都内で開かれた。

Tさんは、温厚(相手の立場を慮った言動ができると云うこと)な人柄で、41年間その会社に勤め、周りの人たちを助けてきた。

そして、無事に第二のスタートきることとなった。 おめでとう、と言うしかない。そして、ご苦労さまでした。

 

当夜は、Tさんの人柄であろう、大勢のOBの方々も集まっての送別会であった。

 現役や仲間内での送別会は多多あろうが、これだけ先輩達も参加しての会は、Tさんの人柄であろうし、また後輩に対する思いやりを持った人たちの組織(場)だったのだと、改めて思った。

 テーブルの上には、大きなタイの活け作りが舟盛にされて鎮座していた。

 images

 

 思い出せば、私も七年前に退社した時、この場の人たちが送別の会を開いてくれた。

その時、私はその職場を離れて四年を経ていたが、時期もこの頃。場所は、都内を離れ、三浦半島のリゾートホテルに宿を取っての会であった。

 金曜日だった。持越しの重要な案件があり、私は仕事を仕舞えず、イライラしながらも、結局、ホテルに着いたのは23時ごろであった。

 待ちくたびれた皆を起こしての酒盛りだった。あの時に祈念に頂戴したモンブラン、今も大事にしている。

 

 こうした人たちに触れるたび、俺ももっと頑張らなければと己を叱咤する。

 

人から勇気を、元気を貰える。こんなに、ありがたいことはない。感謝するばかり。

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昨日のことなども

2009-03-27 | Weblog
3/27(金) 今朝は昨日よりも肌寒いが、気持ちの良い朝だ。6時過ぎより弁当つくりを開始する。

材料は、マグロと鳥肉、豚肉、シメジとベーコン、小松菜が主材。これらを、バター焼きや和え物、卵、塩・胡椒・醤油で調理。六品のお菜を作る。

そして、四人前の弁当が完成する。生姜焼きがたくさん余った、k君の弁当に詰める。


昨日の夕方、渋谷の或る協会に自主プレをした。その前に、近くに事務所を構える、Tさんを久々に訪問。

Tさんとは、15年ほど前にCMの仕事で知り合った。Tさんは、プロデューサとして全体の仕切りをしていた。前に、このBLOGでも書いたが、魂と理(ことわり)の人である。

車谷長吉の小説「贋世捨人」に、Tさんの旧名が出るくだりがある。そんなことも話題にしながら、最近の様子を伺う。

ここ数年、体調を崩されており、更に新たな病気が出たりと、ご苦労をされているはず。

そうでありながらも、Tさんが語るには「全てを受け入れて、ありがたく生かして貰っている」と云う。病気を通して、いい人(先生)に出会えたと喜んでおられる。

Tさんは、職業、肩書き、年齢・性別で人の価値判断をしない、その人間の持っている本質の価値(真っ当にいきている・正直・逃げない)が良し悪しの基準だと思う。

私の相棒、ヒロさんは元気かと訊く。ほどほどに・年相応に元気だと応える。
以前は、ヒロさんも交えて一緒にお会いしていた。

そんな頃のヒロさんからの話。
Tさんと待ち合わすと、何時もTさんが先に来て待っている。
(ヒロさんも早めに来る人だが、それよりも、更に・より早いとのこと)

何でそんなに早くきて待っているんですか、と聞いたそうだ。

「わしみたいな しょうも無い人間ができることは、せめて人様よりはようにきて、待ってることぐらいや」と云われたそうだ。

それ以来、ヒロさんが待ち合わせ場所に着く時間が更に早まった。
(一方の私は、何時まで経っても人を待たす癖が抜けない)

幾多の試練を越え、己を社会を透徹して観、探求する姿に、私は、襟を正す思いで接す。 昨日も然り。短い時間であったが、お会いできてよかった。

私には、いろんな方が「師」として存在したが、数少なくなった「師」のお一人である。

健勝を祈りたい。


何?自主プレは、どうなったか?
そんなものは、何時か容になるでしょう・・・、真っ当にやっていれば。

Tさんにお会いできたのが、昨日一番のうれしい出来事。





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海老天

2009-03-26 | Weblog
3/26(木) 今朝も、しこしこと弁当作りに励む、暇なオヤジのボケ防止か。

今日のメニュー(最近は前夜のうちにメニューを決める)

海老・ナス・薩摩芋の天麩羅、牛肉と玉葱・もやし・ピーマン炒め、リンゴとレタスのマヨネーズ和え、ナス素揚げとオカカのポン酢和え、ウィンナー炒め、卵焼き。おまけに明太子焼きをつける。

以上、12品の素材を使用した料理五品目を作る。

これで、四人前が出来上がるが、弁当が小さいのでお菜は少々残る。その上に材料費は安あがり、結構ずくめだ。

弁当は、貧乏オヤジにとっては神様だ・・・。

さて、今日の材料費は?
〆て、1100円くらいでないだろうか。 一人前、275円也。




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懐かしき人々と

2009-03-25 | Weblog

3/25(水) 昨夜は、懐かしい人たちとの会食。

 32年前、或る職場でご一緒させて頂いたメンバーの会であった。

 

32年前、先輩・上司の引き立てのお陰でN社の本社に転勤させて貰った。

 

その転勤先の課長、Nさんを囲んでの会が十数年ぶりに行われた。

Nさんには七年前、会社を辞めた際にご挨拶に自宅へとお邪魔して以来である。

お目に掛かりたいと常々思っていたので漸く念願が叶った。

 

当時、その課には四十数名が在席していた。昨夜の会へは近郊に住む十五名が参加した。

N課長は、立派な方であった。品格・貫禄、物腰の柔軟さ、透徹した眼力それでいての暖かさ。そう云えば、当時私が仕えた課長(今で云えば部長職か)達は立派な方が多かった。皆さん大人であった。側にいるだけで勉強になり、させられた。

 

そんな立派な方々の薫陶を受けてきたはずの私は、一向に成長しない・・・。

私より後輩は、二人だけ。後は先輩・上司であったが愉しいひと時を過ごさせて頂いた。

 Nさんは八十を過ぎておられるが、以前と変わらず、かくしゃくとしてお元気であった。

小人数での二次会の後、23時前に帰宅。今日の弁当の下準備をする。

 

 

さて、今日の弁当だが

 

ホタテの煮付け、エビシンジョウと鳥の揚げ物、野菜はブロッコリとエンドウのマヨネーズ和え・小松菜の胡麻和え。鮭焼きを少々。

 

米、三合を炊く。以上で、四人前を作る。

 

images    images

 

さて、今日の費用は?1150円と想定。一人前265円也。

 

 

 

 

 

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ランチ二種類

2009-03-24 | Weblog
3/24(火) 寒の戻りか肌寒い朝となった。桜が戸惑っていることだろう。

さて、今日の弁当。娘の希望はサンドイッチ。妻はご飯とのこと。両方を作ることとした。

サンドハ、ツナと玉葱(玉葱は前夜より水に晒す)、ゆで卵とジャガイモの二種。
ご飯弁当のお菜は、香味豚肉焼き、イカのフライ、マグロの醤油焼き、ポテトサラダ、マイタケと人参の素揚げ。

以上、四人前を作る。
最近は、前夜に下準備をすることが多くなった。夜毎に酩酊しての帰宅。電車を往復して帰宅しも、何らかの準備をする。やることが、脅迫的になってきたか・・・。

今日のコストは、1000円ぐらいか?
一人前、250円也。(盛沢山の割には安く上がったか)



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2009-03-23 | Weblog

3/23(月) 武島先生の今日の言葉

 

 「ハイ」

 全てを肯定する基本の言葉 人生を肯定して生きる出発点  とある。

 

まさにそのとおりであるが、中々「ハイ」と素直に言えない処がある。

受容することから全てはスタートする。「ハイ」を今日一日心掛けてみよう。

 

私の今日の弁当。鶏肉の煮物(すき焼き風)、牛肉とマイタケ・玉葱炒め、野菜はブロッコリと人参・スナックエンドウ茹で。これに、昨夜の残りお菜「春巻き」以上、四人前です。

 

              images   images

 

コストは、〆て1030円。一人前257円也。

 

 我が家の裏にある公園の桜がチラホラと咲き始めた、昨日の日曜日一番咲いている一枝を携帯カメラで撮る。

 

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碑文谷公園の桜

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彼岸とおはぎ

2009-03-21 | Weblog
3/21(土) お彼岸で、妻が「おはぎ」を作る。

感心なことに、妻は季節季節の歳時の食べ物を作る。大仰なものではないが、おはぎや善ざいであり、栗おこわ、赤飯というようなものである。

今日は、土曜日だが用があり出社する。
K君に出来たての「おはぎ」を持って行くことにしよう。



会社へ向かうメトロの車中、一昨日上田さんの墓所「千手院」にて頂戴した『千手院だより』を読む。千住院は日蓮宗の寺だと思うが、墓参に行くと、何時もこの手作りのたよりを頂く。B5版二つ折り一色の簡素なものだが、作り手の心がこもった内容である。

今回頂戴したのは、平成21年 春のお彼岸号 である。
供養の心を説き、小物語や仏教にまつわる一口知識・名言・金言、精進料理と盛沢山で読み応えがある。(寺所は何時も綺麗に清められ、人々を迎える準備が整っている)

広報・PR誌に携わる仕事をしている者としても感心する作り。
こうした一つひとつが、仏の教えを人々に伝え、世の中を明るくする灯となるであろう。

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彼岸と命日

2009-03-21 | Weblog

3/20(金) お彼岸の中日、狛江市千手院に眠る上田雄一さんの墓参の予定をしていたが、一日早め昨日済ませた。

 

上田さんは、私が前に居た会社を辞めた時の上司であった。平成16年3月19日病の為に逝去された。

生前、私が今所属する現在の会社へ仕事を出して下さった恩人である。

毎年、春と秋の彼岸には墓参をし、御礼と現在の報告をするようにしているが、今年は命日の19日に訪れた。この日、夕刻より敬愛するU・Y氏と会うことになったので急遽、一日早め午後より外出しての墓参とした。何時訪れても、花が飾られ清められている。

夕方よりお会いしたU・Y氏によると、上田さんとは仕事上の関係があり大いに助けられたことがあった云う。

U・Yさんが責任者として設立する新会社の事業計画上、上田さんが所属する部局の協力が不可欠となり、その際に上田さんが周りを説き伏せてくれたとのこと。

 

そんな話や、私が上田さんの部下の頃のことを話題にしながら、何時しか故中村正明さんの話となった。人生の経験・年齢で云えば中村さんが長男、U・Yさんは次男、私は末っ子にあたる。中村さんは、サラリーマン人生の師であった。

U・Yさんはサラリーマン時代、私や中村さんからすると殿上人まで栄達されたが、我々にはそんな側面を見せたことがない、何時もフランクに本音で話ができる相手である。単に同郷の誼を越えたものを感じている。

この日も日本酒を酌み交わし、話は尽きず、お互いに酔ってしまった。

 

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松山・K君からのデコポン

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