オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

小雨の一日

2021-02-26 | 弁当

2/26(金)昨日の午後から広がりはじめた雲だが、雨になったのは朝になってからか?。まだ暗い五時半、玄関から新聞をとった時には気付かなかった。

今日の午後からは曇り空の予報だったが、夕闇が迫った今も未だポッポッながら雨が落ちている。そんな週末の一日、な~んにもしないで過ごした。

かくもグウタラな時を過ごしてしまったが、重い空を見上げたときから一日の過ごし方が決まった。断捨離のことは忘れて、ひたすらグウタラに徹した次第。

昨日は午前中に隣町のスーパーまで買い物に出掛け、帰りに「豆電球」でコーヒー。店主のSHUKICHI君が落ち葉を燃やしていた。少し風があり山が迫った川沿いは肌寒く、焚火の火が暖かかった。 

                   

何時もは外の席でタバコを吸いながらのコーヒーとなるが、煙草を忘れていたのと川風の寒さで客のいない店に入った。カウンターの奥、食器棚にギターを持った店主のステージ姿が掛かっている。

帰宅してからミカン畑に行き食卓に飾る花を探したが、畑の梅の花は満開を過ぎて散り急いでいた。小木のサクランボの蕾が膨らんでいたので二枝を伐った。

                

少し残した温州ミカンは鳥がつついて干からびた皮が転がっていた。八朔と甘夏を半裁して枝に刺し鳥の餌にした。毎年のことながら皮の薄い温州や小ミカンは、この時期になると鳥が啄んで無くなる。枇杷の実が膨らんでいた。

                

畑から戻り200~300ⅿ程上流の川沿いまで行き「フキノトウ」を採る。暫く来ないうちにすっかり伸びて開いている。

           

沢山採って夕餉の天婦羅と蕗味噌にした。風は冷たいながらも春を感じる一日であった。

 

姪夫妻と妹夫妻も来るので夕食の準備を早くから始めた。なにしろ手が遅い、段取りが悪いので時間がかかるのだ。

先ずは「蕗味噌」を作る。そしてフライ(ミルフィーユトンカツ&椎茸)に天婦羅(蕗の薹&茄子)を中心に、ホタテ&エリンギのバターソテー、アフィージョ、サラダ、糠味噌漬けのメニューであった。

庭から取った白椿を一輪と桜桃の小枝を花瓶に刺してテーブルに置いた。ビール「南」に赤ワインで、五人のささやかな夕餉が終わったのは八時半か。

                

片付けと洗い物を姪と妹がやってくれるので大助かり。コーヒーを淹れて姪が持参したケーキで締めとなった。

 

そんな昨日に比べるとなんと静かな一日であったか。中庭の梅も小雨にうたれて寒そうである。

             

 

 

 

 

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遅々として進まず・・・

2021-02-24 | 弁当

2/24(水)姪の店は水・土曜日と祝日にランチ&カフェをやっている。今日も午後にコーヒーを飲みに行った。昨日の祝日は店のベランダでコーヒーだった。店に行くまで断捨離をやっていたが・・・。

            

「いなかじかん」で短い時間を過ごしながら、手伝いの妹と姪と他愛ない会話をする。コーヒーいっ杯の楽しみだ。

我が家で三階と呼ぶ二階の写真などと寝室の整理を一応済ませ、昨日から書斎?の整理を始めた。処が、夥しいアルバム写真や書類のために作業は遅々として進まず。

と云うのも、写真も書類も一応は目を通すのだから。そして本当に残すべきか判断する。全てに目を通さず捨て去る方法もあろうが・・・。我が両親の想い出が詰まっている品と思えば忍びない。

そんな次第で断捨離は遅々と進まず、時間だけが経って行くのだ。

 

昨日から庭先にミカンを半分にして置いた。小鳥たちが遊びに来るようにと。だが、皿に載せたミカンと砕いた豆、一杯の水に来ない。枝先に刺したミカンは食べていると云うに。               

   

断捨離は少しづつ少しづつ進めよう・・・、何時か終わるだろう。出来れば三月末には済ませたいが。それが済んでから本格的に自分の住みやすい環境作りだ・・・。

明日の夕は姪夫妻が夕食(酒?)に来る。ミルフィーユトンカツを作ることになっているが、姪にTVで観たレシピを実践すると宣言したのだ。さて、どういう結果になるか?。

 

 

 

 

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さしたることもなく・・・

2021-02-20 | 弁当

2/20(土)今日はここ数日の冷え込みと違って暖かな一日。春と云うより初夏を思わすような一日であった。

そんな午後、暇にあかせて切干大根を作ることにした。僅かに植えた大根や蕪が芯が入るようになってきたのだ。小さな大根(こんなのしかできないのだが)を五本抜いて切干にした次第。

              

これで三回目の切干大根作りであるが、一体だれが食べるのかな?。

午後からの活動であるが、午前中は体調不良!でゴロゴロとしていたのだ。昨日は高知市内のクリニックに出掛け、帰宅した夕に先輩のTAKEUCHIさん(元母校の校長)から誘いがあり二人で奈半利町の居酒屋、スナックと飲み散歩。その所為か二日酔い気味であった。

先輩行きつけの居酒屋では食べきれぬほどの酒肴、焼芋まで頂いてしまった。スナックでようようエンジンがかかり歌でも唄う気になったらタイムアウトに。帰宅は23時であった。

         

久々の市内への外出と外飲みで草臥れていたようだ。鈍りなまり無理が利かぬ体になったか!。こんな体たらくでは、人形町で夜毎散歩(パトロール?)のHOYA兄いに笑われそうだが。

 

妹と夫妻の応援を得て家の片付けが少し進んだ。とはいえ両親の衣類の整理だけだが。これから写真・書類に本、趣味の道具に布団の類と残っている。来週も二日ばかりこれに取り掛かるつもりだが・・・。

先日の火曜日、熊本のSATOさん(地球市民の会・前会長)から電話が入り相談事があると言う。私のサラリーマン時代のネットワークと経験で知恵を貸してほしいとのことであった。今更何の役にも立ちませんよと応えたが・・・。

その結果、夕になって再度連絡があり友人と二人で木曜日に来高するということになった。来ていただく分に何の問題もない。一杯やりましょう、お待ちしますという次第である。

そんなことで冷たい風の吹いた水曜日、来客を迎えるために掃除を終えてから買い物に出た。最後に南酒造に寄って大吟醸「南」も買ってきたのだが・・・。帰宅して暫くし、SATOさんから連絡が「雪で車が出せそうにない、一週間ほど延期をしたい」とのことである。

お宅は阿蘇山の外輪山の外れで宮崎県との県境で、毎年雪が積もる山里なのだ。一年数カ月ぶりにお会いできると楽しみにしていたが・・・。

昨日はそんな予定もなくなった夕に、タイミングよく先輩からの誘いがあったと云うことだ。

姪の店でコーヒーを飲み、切干大根を作り終えてから庭を見て一服。従姉の勝っちゃんが相変わらず体調不良とのことなので夕食の用意を早々と始めた。菜の「牛筋の大根煮」でも届けようと。

牛筋の大根煮、蕪の煮物、小松菜の煮浸し、大根下ろしと野菜尽くしの夕餉である。五時半には万端整ったが一向に腹が減らない・・・。

と云うことで、BLOGを久々に記すことにしたのである。

夕闇が迫る中庭の梅、多分豊後梅であろうが花を咲かせ始めた。実を付けぬ梅だが雪洞のような花が綺麗だ。

                

 

余談であるが、友人の松本利明くんから新刊「地政学が予測する日本の未来」(SB新書)が発売になったので宜しくのメールがあり、数日置いて渡邊一雄さんから新刊発売のメールが届いた。

何れもアマゾンで取り寄せたが、ジャンルは異なるが両書とも興味深く読ませてもらった。

渡邊さんの本は」やっと見つけた手ごたえのある生き方」(はる書房)と云うタイトルで平成25年に出版した著書を改題・修正したものである。

一橋会館でのこの本の出版記念にTUGAWAさんと出席したが、途中で退席して失敗した。と云うのも、ナベさんの連絡先をナチュラル社に置いていた関係であろうが、会の終りに渡邊さんから感謝状が用意されていたとのことであった。

               

表紙のナベさんの写真はかなり前のものであろうが、御年八十五歳になろうとしても元気にご活躍である。ご同慶の至り!。

 

 

 

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チョコレートの日

2021-02-14 | 弁当

2/14(日)今朝の朝食時、従姉の勝っちゃんが見えた。何かと思えば、手にしているのは箱に入った物が・・・。

「何もいらんきに持ってくるな言うたろに」と応じる。お婆さんにも今日がチョコの日と分かっていたのだ。時折に届けるオカズの礼であろうか・・・。

分っていながら憎まれ口を叩くのが私である。「婆さんからチョコレートを貰ってしょうがないだろう!」と云いながらも頂いた。そしてそれも仏壇に供えた。

仏壇には一昨日に誰かが(多分、従兄の孫娘であろう)チョコを供えてくれてあった。TAKASHIMA女史と妹からのチョコレートも。

この田舎に居ながら義理チョコがあるとは・・・、それはそれなりに好としよう。

今日は妹が手伝ってくれ、先ずは手始めに母の衣類の整理(始末)をした。四時間弱で大きな袋に詰め込んで八っほどになった。まだまだあるが、それは明日以降にした。

一段落してから、家に帰っていた妹を呼んでコーヒータイム。頂いていたチョコレートを一緒に味わった。

 

二月十四日、仕事をしていた時代は義理チョコは普通の習慣であったが、すっかり忘れていた。私流にはチョコレートの日、久々に楽しませてもらったのである。

 

 

 

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校歌を口ずさみ・・・

2021-02-09 | 弁当

2/9(火)昨日からミカン畑の剪定を始めた。家の直ぐそば流れる安田川に架かる正弘橋を渡って下流に100m下がった右にあるちっぽけな畑で。

今日は昼前に従姉の勝っちゃんが来たのでお茶を出して四方山話をしてから出掛けた。橋を渡りながら緩やかに流れる川を眺めていると、自然に校歌が浮かんだ。

            

          川向こうに見えているのが我がミカン畑なのだ

今は統合されて無くなった旧・中山中学の校歌が!。「清き流れの安田川 山紅に山ツツジ・・・」と云う校歌である。山川を目にして浮かんできたのだ。

懐かしき平屋で木造の校舎。川沿いの小学校と中学校の二棟だけの小さな学校だった。河原の土手で撮った一クラスだけの記念写真。遥か彼方の出来事である。

そんなことを思い出して畑に着くと、HIROKATUが剪定をしてくれていた。が、先ずは焚火だそれからミカンの樹の剪定に取り掛かった次第。

                

午後一時半を過ぎてHIROKATUに帰ってもらい、それから一時間半独り畑で過ごした。伐ったミカンの枝葉を集め燃やす。ミカンの樹には油分が多いので枯れてなくてもよく燃える!。

三時になり広域放送から流れるラジオ体操を聞いてから焚火に灰を掛ける。暫くして引き上げた。;続きは明日である。今週は畑で過ごすことにしている。

帰宅してから斜向かいの宅のKATUKOに声を掛けると「昼から体の調子が悪くなったきによういかん」とのこと。夕飯を食べに来るかと言ってあったのだ。 

「じゃあおかずを作ったら届けるよ」と応えた。と云うことで「春巻と野菜の煮物、パスタサラダ」を用意した。チンジャオロースを予定していたが、従姉が食べやすい春巻きになったのだが・・・。  

と云うことで夕飯は独り飯!、六時半前からである。  濃~いハイボールを今夜も飲みながら。ご飯はTAKASHIMA女史が送ってくれた「ホッキ貝飯の素」を炊き立てのご飯で混ぜた。 

                     

 

 

 

 

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節分は・・・

2021-02-02 | 弁当

2/2(火) 今日は124年ぶりの節分だとのこと。かつて、節分の2月3日と2日はもっと頻回にあると思っていた。恥ずかしながら・・・。

それが、今年が124年ぶりとは!お釈迦様しか知らねえんじゃないか?。

節分と云えば?、なんと吾が両親の結婚記念日なのだ。どうだ!。とはいいながら、124年前の今日じゃないさ、勿論。

だが私が子供頃に、恵方巻なんて食べなかったよ。貧乏だったこともあるし、そんな古い慣わしは知らなかったし。だから、恵方巻なんか食べたいと思わないし、ましてや恵方を向いて太巻きをかぶりつくなんて品のないことはしたくないじゃない?。

そんな今日、朝食を摂っていると従姉の勝っちゃんから電話が入った。「按摩の予約をしたんで行ける用なら乗せて行ってもらえる?」とのことだった。

いいとも、暇な俺だよと。九時半に車を出して隣町の鍼灸院まで行った。途中にあるコインランドリーに寄って自分のシーツなどを放り込んだ。こうして置けば帰りに洗濯が出来ている。

一時間後に鍼灸院の前で待つも一向に出てこない。タバコを三本吸い、車から出て体操の真似事をしながら三十分。「全身のマッサージを頼んじゃぁたがを忘れちょった」、ごめんゴメンと出てきた姿は、随分と元気になっていた。

帰ってから暫くしてから、勝っちゃんが「食べてやぁ~」と恵方巻を持ってきた。「そんなもんは喰わん云うたろが!」と言ったが、置いていった次第である。

こうなりゃ喰うしかないが、少しあれば充分である。勝っちゃんに感謝しながらも、大半は妹にお裾分けした。

今日の夕食の準場は超早くからで、四時から始めて「クリームシチュー」「鶏の親子煮」に、小鉢は湯豆腐・ほうれん草お浸し・納豆。自家製の糠漬け、ず~っと残りつづけた里芋煮。

             

ジョニ黒のハイボールを飲みながら早い夕餉をしていると、従兄の倅が酒を持ってきたのだ。それも原酒だ、アルコール度数は65°のホンマモンや。

折角なので一二杯飲んだら、美味い!。コクがあり香り良し、旨味申し分なし。されど、美味いといってグラスを過ごしすぎてはいかん。酔うぜよ!。

アルコール度数の高い酒は美味い。が、白酒(パイちゅう)・マオタイ酒やアブサン・ウオッカのような酒と違い、日本酒には旨味があるのだ。

 

町から戻って家の整理を始めるにあたって三階と呼ぶ部屋にいって山積みになっている写真のパネルなどをチェックした。両親のイベント、ダイヤモンド婚を町の文化会館でした時に飾った品々である。

父の剣道関係や書、特攻出撃前日の飛行服姿の雄姿。母のお花や遥か昔の教員時代(戦中・戦後すぐ)の写真、私達子供の写真まである。この大半を処分することになろう。が、難しくもあり忍び難くもあるのだ。

今亡きf両親の記録、さりとて残しても仕方ない。後々の人が困るであろうから・・・。何も残さない、そんな生き方がベストかもしれない。思い出や歴史は、己の内に秘めて消えて行くが・・・。

 

 

 

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