オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

河津桜

2015-02-25 | Weblog

2/25(水) 今朝、家を出ようとして玄関先の鉢植を何気に見た。すると、淡いピンクの花弁が目に入った。河津桜だ、さっきまで気付かなかったが花弁を揺らせていた。もう、そんな季節になっていた。

                    

この桜樹を植えて、十三年になるはず。鉢植えにしたので樹木は大きくならないが、毎年花を咲かし、楽しませてくれる。十三年前、サラリーマンを辞める年の三月であったが、天城峠を越えて伊豆への小旅行をした。終着が河津、河津に着いて川沿いの桜並木を歩き始めた頃、雪が降りだした。

この季節になり花弁が開きはじめると、あの日のあのシーンが思いだされる。一緒に旅をしたのは、TUGAWAさんとHANAOKA女史。駅に向かう途中、植木を並べていた露店で、膝程の高さしかない河津桜を求め、電車に乗った。

延々とつづく河沿いの桜並木の花よりも、我が家の鉢の中で咲く数輪の花の方が、可憐で美しいと思う。

 

さて今朝の弁当だが、「親子煮」がメインメニュー。これと、昨日の残り肉を焼いた「焼き肉」。人参とブロッコリの温サラダ、卵焼きとなった。卵焼きは、ホウレン草を巻いた出汁巻風とした。

                

今日も一つだけの弁当。長女は今日から出勤となったが、「晩御飯のカレーが残ったので、これをお弁当にする」と、連絡があったのは昨夜のこと。

 

明日から日曜日まで帰省する。郷里では老母が、いつ帰るかと心待ちしている。束の間の滞在いながら、そばに居るだけで嬉しいようだ(そんなことを思ってくれるのは、年老いた母だけだ)・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焼肉

2015-02-24 | Weblog

2/24(火) 今日も弁当は一つ、長女はインフルエンザに罹った娘の世話でお休みだ。弁当一つと云うのは、張り合いがないが、そうもいっておられん。

焼肉と野菜煮(大根・椎茸・薄揚げ・蒟蒻)、小松菜の胡麻油炒め、の三品。至ってシンプルな弁当となった。焼肉には、シメジ・タマネギ・ピーマンの野菜も一緒に炒める。味付けは、例によってプルコギのタレを使う。

               

たった一つだ、アッと云う間もなく出来上がりとなった。

                          

次いで、私の朝飯に「スムージー」の登場だ。イチゴ・グレープフルーツ・小松菜・キャベツだが、ミルクを少し入れた。北海道「想いやりファーム」のバカ高いミルクなので、有難く頂戴しよう・・・、てなわけもなく、グラスに二杯立て続けに飲んだ(二日酔いか?)。

                          

 

 - 手術 ー

昨日の午後、後輩のKATUTA君から連絡を貰った。過日、彼は胃癌を内視鏡手術で取り、その結果と、もう一つ残っている腫瘍の措置について、先ほど病院で説明を受けてきたとのこと。先週の話では、軽くて済むだろうと勝手に思い込んでいたが・・・。

彼の話は「内視鏡手術では、患部が取りきれてなかったそうです。胃を三分の二、切ると云われた。検査などが有るので、手術は四月になってからです」と、そんな内容だった。

思い掛けない話になっていたが、『久万高原の空気が良い所に住んでいるんだから、自然治癒するだろう。気力で治せよ』なんて、気軽なこといってはみたが、笑い話が通じたであろうか。胃癌は早い段階で手術すれば問題がない。

知人のライターHASHIMOTOさんは、胃の全摘だったそうだが元気になり、今度一緒に、佐賀まで取材に行く。そして、一年がかりとなる本の執筆(仮称:古賀武夫物語)が始まるのだ。KATUTA君も直ぐに元気になろうが、自分で己を病気にしないことだ。元気力が大事だぜ!

 ―酒場にて―

日比谷の本社時代、そして横須賀の研究所時代と、KATUTA君とも一緒に飲んだもんだ。早く回復して、一緒に飲める日を待ってるぜ。俺の方は、相変わらずに酒場に出没して英気を養っている?失っているの方か?。

昨夕、後輩のYOSHINO君から電話を貰い、人形町で一献交わすことになった。先輩を通じて紹介して貰った、再就職先との面談が終わったので、その報告を予ねてであった。まあ良かったな、と「ちょっぷく」でハイボールにワイン、濁り酒などを飲んだ。二時間弱で終わり、別れたが・・・。

まだ時間は早い、もう一軒顔を出すかと、私は「ローカーボ」に向かった。するとカウンターには、酒場仲間のHOYAさんが気焔を上げていた。隣に腰を下ろして、ハイボールを飲み、酔っぱらいオヤジのバカ話で騒いだ。こうなれば、この店だけじゃ終わらない・・・。

カラオケだと「SEIJU」の扉を開けると、誰も客は居やしない。何時ものことながら、閑古鳥が鳴いているだけさ。閑古鳥に負けちゃいけねぇと、マイクを握りしめて賑わったのはHOYAの兄さん。私は静かに聞き入るだけ・・・・(本当か?)。

                   

で、直ぐに帰ればいいのだが・・・。店仕舞中の「ちょっぷく」に再び顔を出し、零時に帰り着いた学芸大学では、半チャーハン・ラーメンまで喰ってしまった。このラーメンが不味いんだよ、出汁が煮干しだもの。分かっていながら喰うのは、酔っぱらいの証拠だな。反省!

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地球交響曲第八番

2015-02-23 | Weblog

2/23(月) 深夜、ポッポツッと小さな雨音を聴いたような気がする。朝にかけて、小雨が降ったようだ。出掛けの路上は濡れていた。それにしても今朝は暖かい、二月としては異常な温さである。

昨日の日曜、午後から「龍村 仁」監督のドキュメンタリー映画”地球交響曲第八番”の上映会(招待試写会)が行われた。会場は、明治神宮の敷地内に在る、参集殿と云う施設。前日の土曜日も有料試写会が、同じ場所で上映された。

TUGAWAさん、それにスタッフのRIE嬢と一緒であった。上映会後は、勿論一献交わしたが。映画の話に戻ろう・・・。

昨日は、マスコミ&関係者招待という趣旨のようだ。試写会後、出演した畠山重篤さん(牡蠣養殖家)、中澤宗幸・きみ子ご夫妻(ヴァイオリン制作者・ヴァイオリンニスト)、見市泰男(能面打ち師)もステージに上がり、監督とのセッション。また。第一番からナレーションをしている俳優の「榎木孝明」さん、木内みどりさんも紹介されて、ステージに上がり、短いながらも楽しいトークがあった。

かつて、龍村 仁 監督への取材などからご縁を得て、地球交響曲の新作が出来上がるたびに観に行く。今回のテーマは「樹」。あらゆるものの命を繋ぐ、樹の持つ生命力と神秘。その樹の、命を移し変えて能面・ヴァイオリン・牡蠣の海にと、生きる出演者。出演者の営みを通じて、森羅万象の生命の神秘を伝える。そんなドキュメンタリー映画と思った・・・・。

このドキュメンタリー映画は、東京では、3月21日から3週間、渋谷のシネマライズにて上映される。同じく大阪・梅田のシネ・リーブル梅田で、名古屋は伏見ミリオン座での上映が予定されている。

今回出演されている畠山重篤さんは、昨年の四月初めに情報誌の取材で、TUGAWAさんと一緒に訪れていた。丁度その頃、映画の撮影が佳境だったか。映画のシーンで、我々の眼にも焼き付いている室根山・舞根湾、牡蠣筏の海が懐かしく甦った。

                     

 

 -サンドイッチ―

さて、今朝の弁当は一人分。家人の分だけである。長女は、娘がインフルエンザに罹りお休みとなった。そんなことで、今朝の弁当は張り合いがないね~。

今朝はマフィンのサンドイッチ。ここのところ、サンドイッチから遠ざかったので、サンドにした。が、中に挟む具材が乏しい。野菜(タマネギ・胡瓜・レタス)と卵。これじゃあな~と、挽肉を捏ねて「ハンバーグ」を焼いた。卵は、スクランブルと目玉焼きにして挟んだ。

                      

手抜きに近いサンドイッチと云えよう・・・。

 

話は先週末に戻るが、金曜日は人形町「ちょっぷく」にて、仕事帰りのひと時を過ごしていた。薄いハイボールを四杯、YOSHIOにこれで打ち止めにされちまったが、この夜「なぎら けんいち」さんが、3~4人の取り巻きと姿を見せた。

この前、店に姿を見せてからどれくらい経つか?あの時に撮ったピンボケ写真が、いまだにチケット自販機のガラスに挟まっている(飾ると云うほどのものじゃない、私と店長も写ってるんだから)。その後、”なぎら”さんの銀座・ギャラリ―での写真展に誘われていたが、私は飲み過ぎて失礼しちまったが、店長とミムラッチは顔を出し、打ち上げまで参加している。

その時の礼を「あの時はありがとう」と、店に入るなり店長に伝えていた。入り口で飲んでいた私とYOSHIOが奥の席へと移り、なぎらさん一行に席を譲った。(常連客と云うのは、こう云う気遣いをしなきゃならねぇんだ)

四杯でYOSHIOにストップを掛けられ、早々と席を立った、帰りしなに、それじゃあまた、と、入り口のご一行に声を掛けると、なぎらさんが、手を伸ばしてきた。で、握手をした。すると、ご一行の一人が「一緒に、写真に写ってる人ですよね」と訊いた。「そうだよ」と、すかさずに応えたのは、なぎらさんだった。

                          

その話を昨日の試写会帰りに、TUGAWAさんにした。「そういや”なぎらけんいち”が、駆け出しの頃に、当時勤務していた広告代理店に売り込みに来たことが有った」と、その時に掛け合った会話を披露した。これが面白い会話だったが・・・忘れた。

また、TUGAWAさんの親友だった”きんちゃん”と呼ぶデザイナーが、nagira さんのEP版のレコードジャケットのデザインをしたことを思い出して話した。
「アーパー・サーファー・ギャルっていうレコードで、当時大流行のサーファーギャルをからかった歌なんだけど。そのジャケットデザインが、サーフィンしてる女性の頭が、電気釜の蓋みたいにパカッと開いてるんだよ。で、その頭の中にもサーフィンしてる女性がいる。てっ云う可笑しいデザインだったよ。今度、nagiraさんに会ったら聞いてみてよ」と。

 そんな会話をしながら、飲み屋を探して日曜日の原宿を彷徨った。結局、お好み焼き店で飲むことになった。原宿や表参道で、傾きかけたひさしや、破れ暖簾の店を探すのは無理のようだな・・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンバーグ

2015-02-20 | Weblog

2/20(金) 週末の金曜日、昨夜の酒も覚めやらぬうちの目覚めだ。それでも6時半には、台所に立っていた。今朝は、メニューを全く考えてなかった。こんな日もある、何時いつも弁当のことだけを考えている分けじゃない。といっても、何かを考えている訳でもない。要は、な~んにも考えてないということ。

で、台所でメニューを考え始めた。冷蔵庫を物色し、ガサゴソと掻き回して食材を引っ張りだす。貧乏オヤジの冷蔵庫だ、大したものはない。その中から取りだしたのが「牛・豚の挽肉」「小エビ」「豚スライス」であった。

挽肉は「ハンバーグ」に、豚肉は「白菜挟み煮」、小エビは「パスタと根菜のサラダ」にすることにした。卵は、タマネギとベーコンを千切りにして「オムレツ」にすることとなった。先ずは、ハンバーグに入れるタマネギを刻んで炒める。白菜に豚肉を挟んで、和風味で煮る。パスタと人参・ジャガイモを時間差攻撃で茹でる。

         

そんなことで、七時過ぎに今日のメニューが出揃った。ハンバーグは中々旨そうだ・・・。ハンバーグを作ったのは、昨夜、会社の傍にある「周」というビストロに行ったが、この店がハンバーグで売っている。一個1100円だかしたので、手を出さなかった。今朝は、そのリベンジと云う次第だ。

                          

                             俺のハンバーグ

 俺のハンバーグ、だとか云う名の店がたしかあったが、これこそ正真正銘の”俺のハンバーグ”だぜ!

                      

全て多めに作ってあるので、弁当の残りは私の朝飯の菜になる。もう一人、喰うやつがいた。小僧のやつだが、喰うだけで何の感謝の意も示さない。

 

 ―酒場にて―

七時過ぎに「ビストロ周」でスタッフのUと歓談、赤ワインとハイボールを二杯で切り上げた。その後、TOKIOが飲んでいる店「ローカーボ」に参上した。水・木曜日と、フランチャイズの人形町を離れていたので、今夜は地元でと云う次第。

「ローカーボ」でも赤ワインから始めた。TOKIOは既に出来上がリ状態で、いつも以上に煩い。大人の私は、笑って応えるだけ。其処に、HOYAの兄さんが姿を見せた。こりゃあ月曜日の再現だ、てへーんだ・・・。

完全酔っぱらいオヤジになったTOKIOは威勢がいい「次は”ちょっぷく”でYAMAちゃんでしょう」とか言って、意気揚々と三人で「ちょっぷく」に向かった。ちょっぷくは、今夜も客の入りは上々。これを見ると、酒場後見人の私としては安心する。「安酒場 民賑わいて 春を待つ」と云う処か?

昨夜も、ラストオーダーが遥かに過ぎても腰を上げず(TOKIOがだよ)、零時の帰宅となった。毎度あり~!

今週はG1レースがあるので、またしても「ちょっぷく」で、口角泡を飛ばすことになろうな・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連敗

2015-02-19 | Weblog

2/19(木) 二日つづけて目覚めが七時半と云う無様なことになった。今週は良く眠れるようだが、あいも変わらず目覚める直前まで夢を見ている。それもサラリーマン時代の仕事がらみが多いのは、やり残したこと、不甲斐なかったことが消えないのか・・・。

今朝も目覚めは7:30だった。と云うことは、長女の弁当締切に間に合ってないということ。昨日もそうだったので、連敗だ。それでも家人の弁当だけは、なんとか作った。

今朝の弁当メニューは「鶏と大根・蒟蒻の煮物」これに、白菜まで一緒に入れた。次いで「茄子と豚小間の味噌炒め」だが、シメジと茗荷も加えた。これだけじゃ物足りない、「ホウレンソウ和え」と「細切ジャガイモとベーコンの卵閉じ風炒め」を追加した。

           

毎度同じような菜ばかりだが、時間に追われてのこと。「お代官様ご勘弁を」と、許しを願うしかない。

                       

で、昨日の弁当は「牛炒め」がメイン、これにはピーマン・タマネギ・シメジが同席した。そして、貝つきのホタテを焼き、醤油を垂らした。卵焼きとチンゲン菜・シメジ炒め、レタスを同伴させた。

            

昨日は長女への連絡が遅れ、出勤前に立ち寄った。『ごめん、未だ作ってる最中』となった。連日、鍋でご飯を炊き時間を凌いだ。

                          

 

 -酒場にて-

昨日、一昨日と雨だった。雨にも負けず「酒場への出勤」は欠かさない。一昨日は、六本木で試写会があり見に行った。これは前に書いたが、同郷のIYOKIプロデューサが買い付けたフランス映画で、見に行くと約束をしていたもの。

映画のタイトルは「ラブバトル」と付いているが、愛の闘いと云うのが原題のようだ。感想を訊かれても答えを持たないが、敢えて云うなら「憎しみも、葛藤も、果て無い性の闘いの前には霞む」とでもいおうか。終映後、、IYOKI氏から「どうでしたか」と聴かれたが、『よう分からんねえ』と、土佐言葉で返したのだが・・・・。

三月下旬、渋谷のユーロスペースで上映されるとのこと。時間と暇があれば、観てやって下さい。

この夜は、六本木からバスで渋谷に出た。「奈加野」のオヤジに電話をすると「暇だよ、来いよ。一杯ご馳走するよ」と言う。先輩の言には従うに如かず。小雨の中をセンター街を抜けて店へと向かった。IYOKI氏を紹介されたのが、奈加野だった。それもあって、報告をする意味合いもあった。

雨の所為であろう、何時もならごった返しているセンター街も閑。これじゃ奈加野も暇だろうと、階段を二階へと上がった。が、階段には靴跡が幾つか付いていた。あにはからん、店内の各テーブルは全部埋まり、奥の座敷も満席。これじゃオヤジが、一杯奢るから来いよと機嫌よく言うはずだ。

店は一時寂れた感があった。が、この一年は好調のようだ。「うちは食べログで、3.77の評価だぜ」と、オヤジが威張るだけのことはありそうだ(3.77が、どれだけの意味があるか、私は知らん)。

店を三十数年見てきているが、この頃若い層が入るようになっている。これが結構なリピーターになっているとか。チェーン店や大衆酒場とは一味違うテイストと味を守ってきた甲斐があったというものだ。

で、生ビールをゴチになり「焼き肉でも行くか」となった。裏の焼肉屋で焼肉をつつき、ハイボールを飲んだ。「明日は俺の誕生日なんだ」とボソリ、『今更、嬉しくもねえだろうに』と、可愛気のない返事をしたが・・・。

この夜は、比較的早い帰還。帰り着くと23時前であった。酒の量も控えめ、いい傾向だった。

そして昨日、品川TWINSで4時~5時過ぎまでOB会の理事会に出席。その後、ラウンジで懇談会が7時前まであり、ビールと冷酒を飲む。ここが終わって、品川港南口の路地の居酒屋に向うのが常である。

何時もの店「鳥得」は満席だった。客の姿がない、直ぐそばのショットBARのような店に三人で入り、ここではハイボール。サラリーマン時代のあれやこれを聴き、話で一時間ほどで切り上げた。そして渋谷へと向った。

渋谷・奈加野へと向かうすがら。後輩のTERASHIMA君から聴いた、松山に居るKATUTAの病気のことが気になり、少々酔ってはいたが電話をした。留守電だったので、激励の罵声を入れた。『バカ野郎~胃癌なんかになりやがって、しっかりしろよ』斯様なことを言ったか?

前夜、奈加野のオヤジから誕生日と聞いたので、顔ぐらい出さなきゃ義理が立たねえ。そんなとこだ。相変わらず店は繁盛している。オヤジとビールを飲みながらの会話は・・・。

「おらあ店を止めたら、安田へいぬるぞ。女房も勝ってにどうぞと、いいゆうきに。おんしゃも一緒にいんで、大野にできる町営住宅に入ろう。町会議員しゆうTOSAOに云うちょかあ」、『それやぁえいねぇ、山道は狭いけんど、あそこは太平洋が見てえいぜよ。ほんなそうしょうか・・・』

何時もながらの、田舎言葉でのやり取り。然し、何時になったら帰れるやら・・・・。

そんな話をして、オヤジの誕生日を寿いだ。このまま帰ればいいのだが、そうはいかんのが男の道だ。もう一軒、あの急峻な階段を上った「ル・ツール」(旧名は缶詰BAR)に寄り、ハイボールとなった次第。帰りに、階段から転がり落ちれば「蒲田行進曲」だが、切り役が居なかったので無事に降りれた。

 

今朝の連絡では、後輩のYOSHINOの再々就職も決まったようだ。先ほど電話したKATUTAも思ったより元気な声だった。再手術があるとのことだが、あの分なら大丈夫だ。先ずは明るい、一日か

然し、KATUTAの野郎「あまり飲み過ぎると、頭ハゲるよ」とか言いやがったな。頭の毛も中身も『溶けちまったョ』と返したが、あいつの毛の方が心配だぜ。精々、大事にしな・・・。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛煮

2015-02-17 | Weblog

2/17(火) 今朝の弁当のメインメニューは「牛煮」である。先週の土曜日から決まっていたようなメニューの登場だ。

今朝の目覚めも遅かった。「もう七時だよ」と、起こされて目覚めるという体たらくだった。直前まで夢を見ていた、この夢の大まかな内容は覚えている。
「いつもの散髪屋に行こうとしていたが、なんとこの時は床屋までの専用バスが有った。マイクロバスぐらいの大きさで、既に大勢の人が乗っていたが、最後に乗車した。床屋に行く乗客には、かつての職場で出会った年嵩の方の顔も在った」

「目黒通りに似た道を通り、床屋に着いたが、店の前は広場になっており大勢のお年寄りが並んでいた。通された店の奥も広い座敷だが、そこにも散髪の順番待ちをする年寄りがたむろしていた。暫らく待ったが、埒が明かない。散髪中の店主がこっちを見て、今日は難しいねぇ、と云う。女将さんも日を変えた方がいいよ、といった」

「何でこんなに混んでるだ?と訊くと、今日は老人サービスデーで無料なんだよ。と返ってきた。それでこんなに年寄りが押しかけて来たんだ。と合点が行った」。然し、何であんな夢を見たのか?未だに合点がいかぬ。意味不明な夢であったが、丁度散髪屋を出た処で、起こされたと云う次第だ。

 

そんな夢から醒めて、弁当作りだが肝心のご飯がなかった。大急ぎで鍋飯を炊きはじめた。それから食材のタマネギ・大根・蒟蒻を準備し、牛煮がスタートした。私の牛煮は、関西風味付けのすき焼きに近い。

                     

                                    丼の牛煮は余り物

後の菜は、鶏肉とシメジ・チンゲン菜・鶏肉の中華風炒め。焼き鮭と定番の卵焼きである。簡単なものばかりで、寝坊の朝にはピッタンコだ。

                      

                     鍋飯は、奇麗に炊き上がった。

かくして二人分の弁当が完成したが、菜は余っている。残り菜で、私は朝から飯を喰うことになってしまった。

                     

 

昨夜の退社も八時前、真っ直ぐに帰る伝書鳩のような勤勉さは持ち合わせていない。公園をうろつく野鳩のように、帰り道の飲み処に寄り道だ。軽く一杯のつもりで「ローカーボ」のカウンターに腰を下ろした。

一杯目のハイボールが空いた頃に、スタッフのTOKIOが姿を見せた。「休み明けなんで、居るだろうと思ってましたよ」と、足元を見られてしまった。TOKIOの息子は四月にワイハで華燭の典。TOKIO夫妻も出席すると、早々と休暇願を今日だしてきた。そこで、ちょいときついボデブローを見舞ってやった。

『4月の休暇届けなんて必要ないだろう。その頃は、フリーで自由な身だぜ。』と、やつが一番気になる処を弄った。TOKIOとは年間契約で、3月末が更新なのだ。たまにゃ、こんな会話で憂さ晴らしでもしなきゃな・・・、厭味なOYAJIである。

二杯目が空いた処にHOYAさんが現れた。作業服が似合っている。今日は現場を二か所ほど廻ってきたとか。「流石に作業服が似合ってるね」と、TOKIOもマスターも誉めた。「それにヘルメットで抑えられた髪型も、いいね」と、妙な誉め方。ひょっとしたら誉め殺し?

                           

三杯飲んで、次の店「ちょぅぷく」へと、三人そろって移動となった。今度のハイボールは薄い、健康的なハイボールだが、トイレが近くなる。折角ローカーボで気持ち良くなったのが、覚める。その覚めるハイボールを二三杯遣ってお開きにした。が、HOYAさんは「seijuの婆さんの顔を見てくる」と、引き返して行った。元気なもんだ、あの元気は敬服に値する。

そんなことで、帰宅は23過ぎと早かった。蒲団に入ったのは24時頃か、十分に眠ったはず・・・・、夜中に暑くて一度起きたような気もするが・・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

揚げもの

2015-02-16 | Weblog

2/16(月) 週明けの今朝の弁当は「揚げ物」である。今日明日のメニューは土曜日から決定済みであった。土曜日に会社に出た折に食材を贖っておいた。その成果であるが、実は危ないシーンも生じていた・・・。

先ずは今朝の弁当からだが、起床はなんと七時だった。家人に起こされて目覚めた次第だが、起こされる直前まで夢を見ていた。残念ながら、その楽しいはずの夢は起こされて五分も経たないうちに霧消した。

最初に大急ぎで仕度をしたのはご飯を炊くことであった。鍋で三合の米を仕掛けた。次いで、掻揚げとトンカツの準備。掻揚げ用の人参・タマネギ・牛蒡を刻み小エビ解凍する。ついでに豚小間も二三枚天麩羅だ。トンカツ用のロース肉を叩き、軽く塩胡椒してトンカツの用意を整え、揚げ物鍋を熱した。

一方で、箸休めの小松菜を茹でる。これは醤油と胡麻を降るだけだ。卵焼きは厚焼きを諦めて、小フライパンでオムレツ風に焼くつもりが、大急ぎのためか煎餅風になっちまった。

                         

キャベツをスライスし、揚げ物の準備が完了。先ずは掻揚げから始まり、豚小間を揚げ、最後がトンカツだ。時間が押しているので、気忙しい・・・。

                         

何とか間に合った。今日も二人分だが、飯が隠れてしまい、写真だけだと訳が分からん。

                     

 

 -土曜日は一番-

土曜日の昼前、人形町に着き、「日山」で翌週の弁当食材を買った。月・火の二日分を想定して牛小間300g(648円/g)とトンカツ用のロースである。そして夕刻に「ちょっぷく」に持参するCOCO壱の豚ルーの10辛の増量をテイクアウトし、会社へと向かった。

そして夕刻、在府の折の常なる行動パターン「ちょっぷく」を訪ねた。昼のランチも仕舞い、翌週に備えた店内の手入れなども終える刻限である。

店長のYAMAちゃんの、当らぬ競馬予想や結果を聞きながら酒盛りの始まりを待つ。常連の助っ人は、今日は一人だけだが、仕事を終えて後から駆け付けるメンバーも居るとか。そしてランチの残りの惣菜がテーブルに並び、飲み物を問われる・・・。

今日は生ビールからだ・・・、遅れて何時ものメンバーが勢揃いした。ハイボールに切り替えると、YAMAちゃんがシーバスリーガルの瓶をあけた。これは勿論売り物ではない。日頃、店のハイボールに薄い薄いと文句を付ける意趣返しか、滅茶滅茶濃い~のにしやがった。これやぁ、チョッと濃すぎるぜ!

日本酒を振る(シェイク)と旨くなると、FUNAちゃんが一升瓶を振って飲んでいる。何でもTVでやってたそうだが、酒の角が取れてまろやかになると云う。一口啜ったが、何となくそう感じたのは、気の所為か?私は日本酒の味は解らん、好みはあるが味の良し悪しは解せない。

                        

ハイボールから日本酒、そしてまたハイボールへ、最後に日本酒を注がれてお仕舞にしたが・・・。そんな風に、土曜の夕刻のひと時を楽しんだ。

頃合いを見計らって先に失礼する。これも何時ものとおりだ。昼間の買い物の紙袋を抱えて、「それじゃ来週、月曜日に待ってるよ」の、YAMAちゃんの営業トークを耳にして店を後にした。

東急東横線の降車駅『学芸大学』に着いたのは、午後九時過ぎ。買い物はないか?と自宅に連絡を入れ、改札を出た。出たはいいが、妙に手持ち無沙汰だ??。そうだ、買い物の袋がないぜ

何処だ!どこに置いてきたんだ。メトロから乗り換えた中目黒で、車内に置き忘れたか?。「車中はすっかり眠りこけ、中目黒に到着のアナウンスで目覚め。向かいのホームに入線した東横線電車を目にし、大慌てで電車を降りたからな」、これが一番正解だね。そう思って、改札の駅員に訪ねると「地下鉄線の社内のことは分りません」と、落とし物の問い合わせ先のチラシをくれた。

冷たいものじゃないか・・・、中目黒は同じ駅だと云うに。鉄道電話で問い合わせもしてくれない。今になって腹が立つぜ。で、この夜の探索は諦めるしかなかった。頭の方も半ば朦朧だしね・・・。

で、昨日の朝から大探索が始まった。袋の中は肉と本だ、一晩外に置いたら駄目よ、ダメダメと、家人は言うが。弁当人のおいらとしては、その食材を失くしてしまうことには耐えられる。意地だね!

然し、九時から問い合わせができるメトロの忘れ物センターの電話が一向に繫がらない。意地になって掛け直すが駄目。しょうがないんで、メトロの中目黒駅に連絡したが「そんな遺失物は上がってない」とのこと・・・。気分転換に風呂に入ることにした。

風呂に浸かりながら考えた、思案をした。『もしかして、店に置いてきた可能性は?ほとんどないが、ゼロではないか。或いは、人形町駅のホームの椅子に座ったよな。暫らく電車は来なかった、で、多分居眠りか。電車の入線に気付き、慌てて乗る、その折に荷物を椅子に置いたまま・・・、可能性は低いが有り得ないことはなし・・・』。

風呂の中で考えたことを、思い当ることを潰して行くしかない。先ずは、YAMAちゃんに電話を入れた。「えっ、そんなに酔ってたの!荷物は気付かなかったな~」の返事。固く口止めだけはした『誰にも云うなよ』と。上野の忘れ物センターは、依然として繫がらぬ。世の中には粗忽者が多いようだ。「それやぁ、お前のことだ。か」

そして、人形町駅の事務所に一縷の可能性を掛けた。『昨夜の午後八時過ぎなんですが、中目黒行の前から二・三両目のシルバーシートか、若しかしてホームの椅子に。茶色の紙袋で、中身は肉と文庫本なんですが』。と、、「肉はどこの物ですか?」と返ってきた。何と、大当たりである。信ずる者は救われる。神は、正直者の味方なのだ・・・。

とうとう判明した。生ものの肉は人形町駅に、本は上野のセンターに送ったと回答を得た。それじゃこれから受け取りに参りますと、参上した次第さ。これで、今日の弁当も明日の弁当も安泰となった。因みに明日は「牛煮」でっせ!

生ものはセンターで保管できないので、現場廃棄の処理で、本だけは腐らないので上野に送られたそうだ。早いうちに手を打ったのが奏功し、弁当OYAJIがなけなしの小遣いで買った菜は、日の目を見ることができた。週末、苦心惨憺のお粗末話である。人生には、ドラマが必要だ・・・。

今度から、荷物は手に縛りつけておかなくちゃ・・・。それとも、酒を断つか?

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義理チョコ

2015-02-14 | Weblog

2/14(土) 今年もまた、バレンタインなどと云う日がやってきた。が、最近は義理チョコを頂くことも激減だ。但し、これは嬉しい限りであるが・・・。強がりかな?

それでも昨日、会社の女性スタッが皆にチョコを配給していた。夜には、「ちょっぷく」でRIE嬢と店のチーフであるヨっちゃんから一つづつ頂いた。

今日昼に会社に出ると、GODIVAのチョコが一つ横須賀から届いていた。チョコレートで、これまで一番美味しかったのは、登山家の「田部井淳子」さんのお宅で頂戴した「ロレックスのネームが入ったチョコレート」である。取材で訪れたのだが、美味しくて何度も手が出た。

                  

義理チョコであれ、何であれ、頂いたものは有難く頂戴するに如かず。四歳の孫娘が母親と作り持参したチョコには、「にいさん」と、拙い文字で書いてあった。この呼び名には、私の日頃の指導が生かされている。

                        

来週は歯医者通いを再開するか・・・。

 

昨夜は寒風の中を渋谷へ。ハチ公前で、佐賀から上京の地球市民の会事務局長OONO氏と待ち合わせた。もう一人、OONO氏がミャンマー駐在時代のアシスタント兼通訳だったと云うカンラ君を同伴していた。カンラ君は六年ほど前に来日したがで、来月には帰国するとのことだった。

彼の来日方法は、タイとの国境を越えた関所破りだったと云う。今度の帰国は正式なパスポートが取れてとのこと、ミャンマーも開かれた証しか?

二人のミャンマー時代の話や、若者の限りない夢を聴きながら焼酎を飲んだ。夢を語れる若者はいい、東京に居て夢を聴かせてくれる若者に出会った試しがない。夢が夢でもいい、そこには明日に向かう希望があるから。こんなことを思う私は、年老いたかな?

                  

カンラ君はパァオ族(僕らはポー族と呼んでいたが)だそうだが、日本に来て少数民族の誇りと夢、神仏を崇める心が大きくなったと語る。7~8年も前になるが、私がミャンマーを訪れた折には現地事務所のスタッフだったとか。道理で、その顔に覚えがあった。

一升の焼酎が空いた頃を見計らって、会社のスタッフYOSHIOに電話を入れた。「未だチョップクに居ますよ、チケットの残り僅かです。」と言う。『じゃあ、これから人形町に戻るから、待ってろ』と、渋谷の宴を閉めた。

 

「ちょっぷく」に着いたのは十時半頃になっていたが、店は賑やかだった。YOSHIOにFUJIKURAとRIE嬢、三人で盛り上がっていた。この夜の会の言いだしっぺは、RIE嬢だった聞いていた。或る案件が片付いたので、それを口実にコミを図ろうと云うところだろう。とてもいい発案だ。そう思ったからこそ、渋谷からUターンした。

昨夜もYAMAKAGE店長から酒を勧められ、「ちょっぷく」最後の客になってしまった。電車は、東横線の最終の一本前、寒い中を帰った。宴の後の侘びしさよ・・・。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒場にて

2015-02-13 | Weblog

2/13(金) 今朝の弁当準備は、七時前からと遅いスタート。何時ものことながら、昨夜の酒も体に響いたようで、蒲団から抜け出すのに手間取ったのだ。

しかし、悠々として急かず慌てず。と云うのも、昨夜の残りご飯を弁当に使うことにしていたから、飯を炊く時間が節約できる。菜の方は面倒なものを作る気はないので簡単である。完成予定の七時半には仕上がるだろうと。

メニュ-も昨夜寝る前に決めておいた。それを、目覚めて忘れているようじゃ最低だが、未だそこまでは呆けていなかった。「肉ジャガ」と「焼き鮭」、「ホウレンソウ炒め」に「卵焼き」と、簡素なメニューである。

肉じゃがは、生協の安い肉を使うので濃いめの味付けにする。ジャガイモは新ジャガを使うので煮上がりも早い。糸蒟がないので、他の野菜はタマネギだけである。今になって、人参も加えればよかったと気付く・・・。やっぱ、酒に脳味噌が侵されているようだ。

              

ホウレン草炒めは、ベーコンとシメジも加えて胡麻油でソテーしてお仕舞。塩胡椒に、仕上げに醤油をひと垂らし。卵焼きは、何時もなら卵三個を使うのだが、今朝は二個で済ませた。万能ねぎを少々刻み入れた出汁巻風の仕上げ。

                     

弁当作りを終えたが、菜は相当余った。朝飯で喰ってみようと思うが、しかしご飯の方が無い。菜だけ喰うのも芸がない、諦めて「スムージー」を作ることにした。寒くなってから、スムージーとは縁遠くなっている。久々だ。リンゴとトマト、レタスのスムージーにしたが、案の定レタスの香りが鼻についた・・・。

                                         

 

 -酒場にて-

元スタッフのYAMADA君が来社、最近の様子などを聞き、退社したのは午後八時前。八時になると閉まるビルの玄関シャッターは開いていた。近所のポストに、土佐文旦を頂いたNISHIOKA先輩宛の礼状を入れ、一人で「ローカーボ-」に立ち寄った。先客は二人。ハイボールを二杯だけ飲んだ。

IWASEマスターに、春の統一選挙で中央区長選に立候補する「高橋しんじ」氏のプロフィールを渡し、お願いをした。高橋氏は、神奈川五区選出の坂井学 衆議院議員の紹介で知り合ったが、実直な紳士である。そんな、彼の成功を願っている。

「ローカーボ」でひと時を過ごした後、「ちょっぷく」に寄る。常連のボランテイア隊のメンバーが座る片側席の隣に陣取った、。白ワインからのスタートとなったが、途中から”加茂鶴”に変わった。店長YAMAKAGEの押しつけだ。日本酒を飲むと酔いが早い、おまけに後を引くので避けているのだが・・・。

                        

暫らく飲んでいると、奥の席から帰る客の中に酒場仲間のHOYAさんが居た。彼も私の隣に座りこんだ。暫く飲んでいると、店の空き具合を見計らったYAMAちゃんが、「カラオケ唄いたいよな~」などとほざく。これにHOYAちゃんが乗り、結局、三人で「Seilu」に繰り込む破目になった。

酔うと誘いに乗り易いのが私の悪癖だ。唄いたくもないのにマイクを握り、下手な歌を唄い。挙句の果て、人の唄を「下手ね~」と、貶す。まあ、昨夜もそんな晩になってしまった。我ながら感心するのは、貧乏人のくせに銭払いだけは引けを取らない。これだけを唯一、心掛けている。心算だが・・・。

                             

この夜も、「Seiju」に他の客の姿を見ることはなかった。こんな店だ、貧乏オヤジながらも客になるしかねえだろうょ。酔った頭にそんなことを浮かべながら、夜毎酒場と縁が切れない己を納得させるのであった。

この店から真直ぐに帰ればいいものを、また「ちょっぷく」に寄った。勿論、もう店仕舞いをしている。アルバイトは帰り、常連のボランティア隊が洗い物をしていた。毎日のように挺身隊をしているのだから見上げたものだ。私は、YAMAちゃんから押し付けられた加茂鶴のグラスを手に、朦朧とするばかり・・・。

帰宅の時間を覚えちゃいないが、零時前だと思うが?電車で帰宅したのは間違いなし。

で、今夜は佐賀・地球市民の会 事務局長のOONO君が研修だとかで上京する。夜は、ミャンマーの方を交えて懇談となる。これに加えて今朝、HOSHIKA君から電話をもらった。会議で松山から上京したとのことだ。ダブルブッキングになるか、時間差で対応するか、夜に改めて連絡を貰うことにした。姐さん以外には、モテルねぇ~・・・。

今夜もつづか・・・、けっこうなことだ!

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロールキャベツ

2015-02-12 | Weblog

2/12(木) 夜中に目覚めてしまった。夢を見ていたが、組織改正で新しいチームの人員配置・構成が記された表を前にして、私は一人一人の名前とポストを確認していた・・・。そのシーンは、もう何十年も前の職場のようだった。色んな夢を見るものだ。

それからは眠りにつけず、本を読んで時間の経過を待った。そんな訳で、五時半から弁当作りをすることになった。

米は、頂き物の「魚沼産コシヒカリ」を炊いてみた。米そのものは綺麗だが、炊きあがった味は郷里の山里の産米の方が旨いと感じた。旨味が、匂いと粘りが違うように思えるのは、身贔屓か?。

菜の方は、「ロールキャベツ」と「焼肉」がメイン、「茄子と挽肉の味噌炒め」「ホウレンソウの胡麻浸し」以上だが、卵焼きの代わりにゆで卵を用意した。人参とジャガイモを茹でた。

                        

味噌炒めは、合挽きに茄子・茗荷・ピーマン・ネギが食材だが、先ずはニンニクと唐辛子を刻み胡麻油で炒める。味噌を味醂と酒で溶き、仕上げに加える。私の作る料理なんぞはそんな処だ。

ロールキャベツの方は、刻みタマネギとパン粉を繋ぎに、塩胡椒とケチャップ・味醂を少々加えた。どんな調味料を使うかは、ほとんどが思いつきだ。時々、肝心なものを忘れる。後の祭りだが『バカだね~俺は』と、呟きが出る。ロールキャベツ&白菜が七個もできちまった。

                         

挽肉が多すぎて、茹でたキャベツが足りなくなった。真に合わせに白菜で巻いたが・・・。分量の過不足はよくやる間違いだ。何れにせよ、弁当用なので小さめに作るのが肝だ。

                          

焼肉は、定番のプルコギタレを使うが、タマネギ・椎茸・ネギも一緒に炒める。野菜がチョットしんなりし過ぎるのが難だが。

                     

 

結局二人分は有ろうかと云う菜が残った。朝から茶碗に飯を盛り、自家製の菜を喰うことになった。飯を喰い出すときりがないのだ・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする