オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

余すところ一日・・・

2021-12-30 | 弁当

12/30(木)今年も明日一日となった。田舎と東京を行き来しながら早くも一年が過ぎようとしている・・・。

今月初旬に帰京してからは、朝の弁当作りと夜は馴染の酒場巡りに明け暮れた。何時もどおりの日々で今年も終わりそうだが、こんな繰り返しで人生の黄昏から夜の帳が下りようとしているのか。

一年を振り返るほどのこともないが、振り返ってみれば可もなく不可もなしか?。良いこともなければ、さしたる悪いこともなし?。

親しくしていた方の病気や突然の訃報、これすらも毎年繰り返されることの一つではある。病の快癒を願い、逝きし人を偲ぶのも常のことであるが、そんな数だけは年を重ねる毎に多くなる。生きている証であろう。

先週は長年会っていなかった入社同期の二人と邂逅、週末には我が家のクリスマス会と「奈加野」で同級生二人との歓談。週明けてから会社時代の面々との飲み会、人形町仲間との手仕舞いの酒盛りとつづいた。

         

火曜日の今年最後の弁当作りを忘れちゃいけないな・・・。些か草臥れながら晦日にたどり着いたと云う次第である。

           

 

今日も人形町まで出るが、大晦日と正月に使う肉の買い出しと沼田氏に会うので軽く一杯か?。明日は「高松」で年越しの蕎麦を受け取る予定。

馴染んだ町、人形町とは縁が深くなるばかりである。かくして、今年も暮れようとしています。

皆様、良き年をお迎えください・・・。恐縮ながら、年賀状の儀は欠礼させていただきます。悪しからず。

 

 

 

 

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今宵も・・・

2021-12-24 | 弁当

12/24(金)今年もイブの夜を迎えるが・・・、酒場にてナチュラル時代の面々と小人数での歓談。酒場通いは何時もどおりだが、嫌いじゃできない。

今週の月曜日は、正午から宇田さんがメンバーになっている外国人特派員クラブの寿司BARでワインに「南」を飲みながらの歓談。

宇田さんは郷里の先輩、会社勤めの頃は殿上人であったが、そんなことは関係ないフランクな付き合いを長年にわたりしてもらっている。歳の差もかつての役職もない、そんな楽しい時間をこの日も過ごした。

火曜日、午前中は地元の皮膚科を受診して飲み薬や軟膏を処方してもらった。午後は人形町の歯科へ行ったら「そろそろ限界が近づいてますね」なんて言われた。

口先だけは相変わらずに元気だが、老いてきたと云うことか・・・。

月曜、火曜と長女一家を交えての夕食であった。そんなことで夜の部はパスした。

月曜、火曜の弁当・・・    

水曜日、午後二時に津川&花岡さん宅を訪問。長時間の滞在であったが、最後の方は居眠りをして椅子から転げてしまう体たらく。

                

お二人が真心を込めた手料理を味わったが・・・、居眠りをするとは無礼極まりない。食べて飲むと居眠りをする癖がある。

サラリーマン時代のことだが、接待ゴルフ(される方だったが)の後、箱根の高級レストランで馳走になりワインをしこたま飲んで居眠りをした。上司の役員から後日「アリちゃんは寝たなぁ~」と言われた。赤面汗顔の至りだった。

この日は二時過ぎから七時過ぎまでお邪魔し、帰りの中央線では新宿乗り換えが東京駅まで行ってしまった。お尻がほんわかと暖かい椅子に座ったのが敗因だ。

この日の弁当・・・        

そして昨日の木曜、五時に人形町駅で入社同期で仲が良かった宮君と阿佐君に合流。若いころは三人で小旅行したりしたのだが、十年近くもご無沙汰をしていた。

空白の年月を埋めるかのようにあれこれと話が弾んだ。ついつい声が大きくなり、会話は控えめになんて云うコロナ対策は何処へやら・・・。ビール・焼酎・日本酒と飲み、「高松」から「ちょっぷく」へと流れた。居眠りをする暇がなかった・・・。

この日の弁当・・・       

この日の会話で驚いたのは新入社員の頃、宮も給与事務を担当、私もそうだったが算盤が出来なくて困ったと話したら、なんと、宮は算盤一級でへっちゃらだったと云う。そんなことは全く知らなかった・・・。降参です!。

そして最後は今日の弁当だ・・・。残り飯の炒飯弁当です。

                

弁当以外にも、蕪の千枚漬けとか煮物、鮎の甘露煮なども作りましたよ‼。

         

 

 

 

 

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馬車道~カレー~千ベロ

2021-12-18 | 弁当

12/18(土)三題話のようなタイトルになったが、要は水曜日から金曜日にかけての宵から夜のことである。

水曜日の午後、OKAZAKI氏と会ってから夕刻17時、関内駅で待ち合わせたKISHIMOTO大兄と合流してから馬車道へと向かった。

いつものように入る店を探しながら通りを散策する。馬車道界隈の建物、路地に並ぶ店は小綺麗で落ち着いた雰囲気があり好きだ。が、一杯やる店を探すのは何時もながら難しい。

漸く決めて入ったのは蕎麦がメインながら落ち着いた酒場の雰囲気を醸していた。先客は二人でテーブルに向かい合っていた。私たちは鍵型の短いカウンターに腰を落ち着けた

近況などを話しながらセットの酒肴を注文し、私は追加で「自然薯マグロ」を、大兄は「炙りサバ・こはだ」だったように思う。ビールからハイボール、冷酒を注ぎ交わして「ハゼ・メゴチ天婦羅」を頂いた。

何時の間にか二時間近く経ち、仕上げに「十割蕎麦セイロ」を食した。蕎麦屋の天婦羅は期待外れであったが、蕎麦はそこそこの味であった。

この場所に移転して半年ばかりと云う店は、未だ常連客が少ないと女将はいう。先客の二人が帰った後は私たちだけであった。勘定は大兄が済ませてくれたが、これもいつものこと・・・。お土産を頂き、ほろ酔い気分で馬車道のかどで大兄と別れた。

                

そこから一人、直ぐそばにある「メグスタ」へと・・・。店に客の姿はなく、ピアノ弾き語りをする女性が手持無沙汰にしていた。

ダーナに先般の葉子さんのお別れ会の礼と、葉子さんのお墓がある弘前に行ってきたという労いを伝えた。

そして、かつて六本木警察の裏手に在った「禅」での思い出話を、お互いのあの頃の話をしたのであった。

その頃、葉子さん夫妻がオーナーの「禅」は賑わっていた。葉子さんのピアノと唄、ギターの福家ちゃん、サンダーホーム出身でベースのジョージはビールを山のように飲み、ピアノ&シンガーで年配の和西さん、マネージヤーの西前さん、山下敬二郎があっという間に攫っていたいったNAOKO、出演するミュージシャンの数々・・・。

思い返せばバブルと呼ばれた時代の前からその最中の頃に重なる。その頃の勤務先が六本木だったこともあり、遅い仕事が終わってから深夜まで開いていた「禅」に寄ったものだった。

スタッフに厳しかった東郷さん、ピアノと唄のプロであった葉子さんから教えられ鍛えられたと、当時、若くて駆け出しだったダーナは言う。

目の前のステージでピアノを弾き唄う今夜の出演者の演奏を聴き「これじゃ一人前になるまで5~10年かかるんじゃないか?」そんなことをダーナに云う。ダーナはダーナで、無理かもねと応じた。

               

そうこうするうちに客が二人来て、一人が帰った。ステージにいる女性の知り合いであろう。店をスタッフに任せたダーナと近場のスナックでハイボールを飲みそこでサヨナラした。

KISHIMOTO大兄との歓談、ダーナとの葉子さんの思い出話、今宵もいい時間を過ごした・・・。

木曜日、外出の予定なく一日家で過ごし、夕刻前に食材を近所のスーパーまで買いに出ただけであった。後の時間は文庫本を読んで過ごした。

この日、なぜかカレーが脳裏に浮かんだ。普段は好まないカレーを作ることにしたのだ。牛&豚肉に人参・ジャガイモ・タマネギの定番カレーをたっぷりと煮込んだ。在宅の時の習慣道理に、長女一家が夕食に来た。

あれほどのカレーが少しばかり残った。このカレーを翌日の弁当に使うことにした。牛ヒレ肉をカツにして「カツカレー」弁当になった次第。

              

 

昨日の金曜日、昼間の12時に赤羽駅に集合した。三日前、懐かしいローカーボの話が出たのは人形町での酒場。千円でベロベロになるという千ベロの店が軒を連ねる赤羽に、ローカーボマスタ―IWASEさんに案内してもらって行こうとなった。

今は川を越えた向こう側に住むIWASEさんが赤羽に出没しているのはFBで承知していた。NUMATA君が連絡を入れて、ローカーボに遊んだHOYA兄い、NAKAMURAさんが加わって平日の昼飲みとなった次第。

いやぁ~・・・赤羽の飲屋街は奥が深かった。マスターとは久々の再会、先ずはマスターが行きつけという立ち飲みへ。昼間、それも12時過ぎと云うのに店はすぐに満席になった。酎ハイ250円、角ハイ350円、摘みは110円~300円くらいまでか・・・。今日が誕生日というNAKAMURAさんの、一日早い誕生日祝い!。

              

二軒目は座ろうと、駅ビルの一階にある寿司店。三軒目は有名な一番街のおでん屋さん。ここが大変結構でした。おでんのスープがいい。酒とおでんが数点入ったセットを頼んだが800円だった。

                 

四軒目はイタリアン風の店で座った。皆さんお酒とお歳で草臥れたのだ。ここでは白ワイン(二本)だったがお値段は?NAKAMURAさんが支払いを済ませた。

斯様なことで五時になり、マスターは子供たちの晩飯作りがあり散会となった。NAKAMURA&NUMATA氏は人形町へ、「こま吉」「ちょっぷく」と回ったが、飲み疲れで飲む元気をなくしていた。

 

土曜日の今日は夕方に人形町に行く。「高松」が大掃除後の打ち上げに飛び入りする。掃除の手伝いもせず飲むだけじゃ気が引けるので、冷凍で取ってあった鹿肉を味付けしてオーブンで焼いた。これが差し入れということだ。ほどほどで切り上げなくては・・・。

最後に、木・金の弁当を・・・。友人から届いたわさび粕漬、ちりめんじゃこなどを使いました。

             

 

 

 

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弁当作りと酒場の日々

2021-12-15 | 弁当

12/15(水)今日の天気はいいとの予報。そんな日は酒場に向かう足取りも軽くなろう・・・。

間もなく外出するが「奈加野」にてT物産会長OKAZAKI氏と会う。氏の昼飯を横目に私はビールを飲む。店主と三人で雑談をし、店を出たら喫茶店でOKAZAKIさんと近況を語りあうことになろう。

困ったいるのは「奈加野」のオヤジから店を手伝いに来いと言われていることだ。「人手が足りないから俺とホールをやれよ」との要請があるのだ。然し夜は酒場廻りの方が楽しいに決まっている。それに、孫のSORAから「今日は居るの?」と訊かれる。家に居れば必ず一家で夕食に来る。

酒場廻りもSORAも大事だし、古い付き合いのオヤジのことも捨てがたい。ハムレットの心境だねぇ~。

 

OKAZAKIさんと別れた今夕は横浜に向かう。愉しみにしていたKISHIMOTO大兄との懇談が待っている。更に「メグスタ」に寄り、ダーナに「橋本葉子さんのお別れ会」を開催してくれた労いの一つも言わねばならない。どれも欠かすことができないし、楽しみである。

そんな日々ながら気掛かりもある。田舎の従姉サッチャンが一昨日、狭窄症で手術して二ヶ月は入院生活するとのこと。従兄の次男TOSHIYUKIが(長男は事故で亡くなっている)が急に腎臓や肺の病になりそれが重篤化、二度目のICUに入っていると・・・。働き者のTOSHIYUKIは醸造会社に勤めながら実家の農業を担ってきた。彼が快復しないと農家仕事をやれる者がいない。

ナチュラル時代から一番親しいとも云えるT・YOSHIOの母親が昨日の朝亡くなったと連絡があった。YOSHIOは半ボケの母の面倒見で大変だった。役にも立たぬアドバイスをしてきたが、彼は親身に母の世話をしていた。漸く入居施設が決まり一息付ける寸前だった。苦労は絶えなかったろうが、親を亡くす辛さは分かる。電話を貰った時「ご愁傷様、ご苦労様でした」と、だけ伝えた。

弁当作りと酒場を歩くだけの結構な日々ながら、諸事万端いろんなことがあるものだ。

お仕舞に月~水までの弁当を載せます。

         

         

相も変わらずのメニューだが、我が弁当、所詮こんなものでしょう・・・。

 

 

 

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飲み疲れか・・・

2021-12-12 | 弁当

12/12(日)日曜日の今日、午後から家飲みの焼肉会。近所に住む長女と長男の一家が来て土佐赤牛で焼肉であった。部屋の中が焼肉の煙でモウモウ(牛だから!)になるも構わずに・・・。魚を焼こうが揚げ物をしようがお構いなしが我が流なのだ。

                

長男とこの第一子、男の子のようだが長女。四か月になります。

焼肉と云えばつい先日の木曜日の夕も焼肉だったが、この日は私の誕生日祝いとの名目で地元の焼肉店「東紅苑」にて今日と同じメンバーだった。この日は午後、上野でTAKAHASHI君と飲んでから。そう、KIYOTAさんがドタキャンした日だ。

金曜日は横須賀へ。京急線横須賀中央駅に三時ごろ着いた。先ずは、駅からほど近い台地の上に在る日蓮宗「龍本寺」の墓地に眠る横塚博允さんのお墓に詣でた。

横須賀は台地が多く坂の町なのだ。台地に建つ寺の墓地は風が強くて寒かった。仏花を供え、在りし日の故人の笑顔を思い浮かべた。眼下に横須賀の海、目の前の猿島、市街地を見下ろす地である。

      

横塚さんが逝かれたのは平成16年7月、行年65歳と早かった。胃がんだった。横須賀工業倶楽部に事務局長として自動車会社から出向されていた横塚さんと親しくなり、横須賀での生活は楽しかった。

17時、単身赴任をしていた三春町に在る「和心 天丸」(旧店名は埼玉家)さんでMITUHASHI君と合流して前店主夫妻と歓談するのだが、時間が早い。寺を降りてから三春町まで歩くことにした。中央駅からひと駅~二駅目の中間の処なのだ。

我らが暮らしたワンルームの単身者寮はもうない。跡地はコンビ二と中華幸楽になっている。古めかしい角のパン屋さんは昔のままで残っていた。

二時間程度で切り上げるつもりが、五時から八時まで飲み歓談、京急電車で帰路に就いたが途中眠りこけていた。横浜駅で東横線に乗り換えるつもりであったが気が付けば川崎を過ぎていた。結局品川を経由して、恵比寿、中目黒を経由しての帰宅で22時になった。三十分のロスである。

昨日の土曜日は木曜日の仕切り直し、KIYOTA大兄&TAKAHASHI君と14時に上野駅に集合。土曜日の所為か人出で駅前はごった返していた。KIYOTAさんは両手にストック?杖をついていた。頸椎を痛めていたのだが・・・。

訊くと、先日ゴルフに行ったところ急に全身が悪くなったとのことである。もうゴルフは辞めると、ゴルフ大好き人間がいうのだから相当きついのであろう。

障碍者同伴なので駅前の飲食店ビルに入ることにした。ところが一階、二階とも全店客が並んでいる。三階に上がり漸く中華店に席を取ることができた。

コロナの所為で再会は三年ぶりくらいか?中華と生ビール&紹興酒を飲りながら、近況や四方山話で大笑いをしながらに時間が経過した。 

中華店を出て、駅の脇にあるスペインバルで赤ワインで締めとなったが時刻は五時になっていた・・・。

この日、六時に料理研究家のJIN先生宅に伺う予定がある。TAKAHASHI君に大兄の送りを頼んで地下鉄駅に向かった。

先生宅に届け物があった。昼間に届ける旨をメールしたのだが夕刻の時間を指定されたのである。この時間となれば、先生があれこれと料理を用意して下さるのは自明。それを避けたかったのだが・・・。           

先生とJINパパの歓待で、田舎暮らしのあれこれを披瀝して歓談するうちに時間は経過し、お宅を辞したのは十時になっていた。このお宅はそれだけ居心地がいいのです。

              

帰京した翌週ということで、何かと?(酒場通いで)忙しいい週になった。これからは少し控えめに行きたいものだ・・・。

 

 

 

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予定は変わるもの・・・

2021-12-10 | 弁当

12/10(金)昨日の午後、上野駅でKIYOTA さんとTAKAHASHI君と待ち合わせた。待ち合わせ時間の二時、TAKAHASHI君と合流したがKIYOTAの姿は・・・。

TAKAHASHI君が携帯に連絡した「どこですか?」と「結城だよ、家にいるよ」の返事が返ってきたのだ。今日の約束を土曜日と思っていたとのことだった。

老体をなじっても詮無いことだ、改めて土曜日に会うことになった。TAKAHASHI君と駅ビルの居酒屋で飲み、上野公園の色づいた銀杏を眺めてからアメ横を散歩してから別れた次第。暫く来ないうちにJR上野駅の公園口がすっかり綺麗になって様変わりしていた。

         

もう一つ、昨夜に予定していた横須賀行は目的地の埼玉家(天まる)さんが貸し切りと云うことで今日に変更になった。計画どおりにいかないことはままあることだ。

今夕五時に埼玉家さんで三橋君と合流し、店を息子に譲って引退した前店主夫妻と懇談するが、その前に横須賀中央駅で降りて横塚さんの墓参をする予定。横塚さんのことは数年前にBLOGで書いたので省略する。

横須賀に行くのは三年ぶりになるか?。人形町パトロール隊のメンバーで三浦半島一周をして以来になる。この地方都市?も以前とは変わっている。尤もこの地に勤務してから二十年以上経ったのだから当然か・・・。

 

弁当を作り、友人会って酒場を回る。そんな日々だが、酒場の経営者や常連客が友人ともいえるのでエンドレスな次第だ。飲みすぎ酩酊に要注意だが。

 

最後にこの三日間の弁当写真を載せます。順不同。

        

          

   

 

 

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弁当作り再開!

2021-12-07 | 弁当

12/7(火)昨日から弁当作りを再開。一ヵ月ぶりに弁当BLOGらしくなった次第。

昨日の弁当は残りご飯で炒飯を作り、菜は豚バラ肉のチンゲン菜炒めに銀タラ粕漬に紅鮭焼き、板蒲鉾と卵焼きであった。

           

そして弁当二日目となる今朝は、豚バラ肉とナスの味噌炒め、牛味噌焼にゴボ天、ホウレン草お浸しとブロッコリの野菜二種、卵焼きはホタテ貝柱入りにした。

             

 

                

 

一ヵ月ぶりの東京となると朝の弁当作りはさておき、夜はそれなりに忙しい。今夕は滋賀からAOKI君が出てくるとのことで「高松」にて数名が集まる。

明日は我が家で孫娘を相手に晩御飯、明後日は久々の横須賀・三春町の「埼玉家」さんへMITUHASHI君を同道して伺う予定。

研究所勤務時代のメンバーで毎年の恒例であった埼玉家会はコロナで二年も開かれていない。MITIUHASHI君は上野支店勤務を最後に二年前に退職、それ以来顔を合せていない。それなりに意味ある再開となろう・・・。

埼玉家さんに行く前に、横須賀中央駅からほど近い寺に眠る、横塚さんの墓参もしたい。横須賀研究所に勤務してから、早や二十年以上経過したが思い出は尽きない・・・。

 

 

 

     

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夕暮れ時の上京・・・

2021-12-04 | 弁当

12/3(金)高知空港16時発のANA便にて上京した。風は強かったが天気晴朗、冬の日差しの中を順調に飛行した。

暮れ行く上空から西空を眺めると雲の彼方に茜がさして美しい。東京に近くなり都心上空から進入するとのアナウンスがあり、着陸が遅れると。

              

新ルートの都心上空からの着陸は初めてである。東京湾に入らず房総半島から東に大きく迂回?すると、彼方に富士山のシルエットが浮かんだ。眼下には町の明かりが遠くに・・・。

                   

暮れなず東京のどの辺りかと目を凝らすも判然としない。江戸川?隅田川?と思ううちに高度は下がり街の灯りが美しく輝いて見える中を着陸態勢に入っていた。

                 

 

今日の午前中、未だ完成していない吊るしたままの柿92個の保存方法を思案し、冷凍・冷蔵・そのまま外干しと仕訳してきた。干柿作りだけは手間暇をかける変態ぶり・・・。

二階のベランダに残したのは40個、未だ十日ばかりしか経っていない最後に吊るした江戸柿20個と、三週間ばかり経って完成まじかな万願柿(マンガン)20個である。心配は一月も外に置いたままだと固くなりそうなことだが。

後の52個のマンガンも未完成だが、冷凍と冷蔵にして仕舞った。どうなっていくか見ものである。年明けの四日に帰郷して今年の干柿作り、総計430個が完了と云うことだ。

今年の柿は良い品がなかったので心配したが、天候に恵まれたのが幸いしたようだ。友人たちに届けた干柿は概ね好評のよう?。

 

羽田空港からの帰り、ボケっとしていたのか品川方面に向かうつもりが横浜方面に向かう京急電車だった。結局、横浜駅を経由して東横線での帰宅となった。飛行機の遅れ、電車の乗り間違いで予定より三十分遅れての帰着。

 

 

 

 

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早、師走に・・・

2021-12-01 | 弁当

12/1(水)今日から師走を迎えた!、光陰矢の如しだねぇ~。コロナコロナで明けた今年だったが、漸くトンネルを抜けるかと思いきや、オミクロンとやらの出現で先行き不透明?・・・。

斯様なことを書きながらも我が暮らしに変化はない。横並びのマスク姿を腹の底で冷笑しながらも右へ倣えの小市民的生活。

里山での呑気な日々から、浦島太郎の如くに都会に出てみると行き交う人・人が100%のマスク姿!。マスク美人なる言葉に納得する。そんな一年も今月で終わるが、来年のことまで思いは至らない。

この一週間を振り返ることぐらいしかできないので・・・。

25日にUSUI老を迎えてからは大心劇場で映画・コーヒー、畑で焚火と焼き芋、綺麗とは言えない温州ミカンを採ったり、隣町まで飲みに出掛けたりで終わった。

      

28日に老を見送ってからは吊るし柿の手入れに取入れ、何もせぬままに日々が過ぎ、晩飯を作り食すだけのことであった。

        

さしたる変化のない暮らしが続いている。が、明後日の夕に帰京する。

東京に戻ったとて代り映えしない暮らしであろう。酒場にて友人たちと歓談し、弁当を作る日々があるだけだ。新規ビジネスの件は進展なし・・・。

先ずは、この一週間の近況まで。

 

 

 

 

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