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オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

失格!

2012-01-31 | Weblog

1/31(火) 1月最後の今朝、なんと起床は8時過ぎであった。家人に「8時過ぎたわよ」と、声を掛けられてはじめて目覚めたのだ・・・。

昨夜、どうやって帰り着いたか記憶なし。電車で帰ってきたろうと家人に云うと「そんな訳、ない」と否定された。完全に二日酔いの状況。

不覚にも弁当を作ろうにも時間がない、弁当人としては失格となってしまった。風呂に入って酒精を抜くのが精一杯であった。

昨夕は「地球市民の会:佐藤昭二会長」を迎えての食事&飲み会であった。当初5~6人の予定が何時の間にやらメンバーが増え、10人となっていた。佐藤さんの懐の広さ、深さが人を呼ぶ。

初めてお会いする「白鳥 哲」さんは、俳優&映画監督とか。最新作の編集で多忙な中を、佐藤さんにお会いしたくてと、駆けつけたそうな。神戸から来たという方、下着のデザインや販売をしていると云う、一寸日本人離れの面立ちの某女史などなど・・・。

そして旧知のアジア最大の脚本家を自称する、身長194cmの小山氏(ドラゴンボールの脚本などで著名)。キムタクの母で最近は講演活動が忙しいと云う「木村まさ子」さんなど、多彩なメンバーであった。

お酒を飲むのは半分で、後の方は熱いウーロン茶。予定時間よりも一時間も早くに店に入った私は、店主を相手に伊佐美の湯割をチビチビと始めていた。話題は神と宗教、霊性から治癒力などと、何時もながらの真面目である。

難しいことは苦手、理解の範疇外にいる私は、ひたすら湯割を飲み、部屋を出てタバコ(当夜の室内は禁煙)と生ビールを店主相手に飲んだりと遊んでいた。

私の隣に座った初対面の某女史に呆け話をした、例の「スーパー買い物篭持ち帰り事件」である。処が、その女史曰く『そんなの普通・普通、私は10年も前にそんなのやったわよ。それ位、へいき平気』ときた。この人も、相当に重症かもしれんな・・・。

9時半、一旦お開きにして散会としたが、二次会に行くメンバーが半数。私は、居残って暫く店主を相手に生ビール。遅れて参加した、二次会の店ではハイボールを飲む。段々と呂律が怪しくなり、会話も乱暴になっていたはず・・・。

そんな訳で、どうやって帰宅したのか霞みの彼方、ぼやけてしまったのである。然し、弁当作りも忘れて寝ていたとは、不覚であった。

予兆らしきことは前日からあった。店に行く前、某社を訪れて話をし「そこんとこは、ま~宜しく」とか呆けをかましていた。辞去して、一階まで下りてタバコを一服。コート着て出ようとすると、何だか手許が淋しい。なんと、空の弁当箱袋を打合せの椅子の上に忘れていたのだ。

それなのに、今夜も酒の席が待っている・・・今宵は、赤坂「祢保希」である。ご機嫌よろしゅうに、というところか・・・。

 

 

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中華系で・・・

2012-01-30 | Weblog

1/30(月) 深夜に目覚めて弁当のメニューを考えることとなった。ビジネスのことを考えても「下手な考え休むに似たり」の諺もある。無駄なことはしないで、生産に直結することを考えようではないか・・・。

今日は結果的に中華風のメニューが占めた。チョッとオーバーな言い方ではあるが。すなわち、「鶏の唐揚」「豚小間と野菜の中華味炒め」「小松菜・シメジ炒めの卵とじ」「炒飯」である。他には「大根・人参と竹輪の煮付け」が加わった。

昨夜の残りご飯が沢山にあった。飯を炊くのも勿体無いと、熟慮の結果炒飯を作ることとした。具材を何にするか悩んだが、冷凍エビを使ったシーフード味とした。他には、タマネギ・人参・ピーマン・パプリカが入った。卵は二個、油はオリーブオイルを使用したが、ポイントは、サラッ・パラッの仕上げ。

                                   

鶏唐揚は、深夜目覚めてから冷凍鶏を取り出して人参・ネギ・牛蒡と一緒にジブロックへ。酒・醤油・出汁などを入れて朝まで浸け込む。後は頃合いをみて片栗粉を入れて揉み込み揚げるだけ。

                           

豚小間は、アスパラ・セロリ・シメジ・ピーマンと一緒に中華スープの素を使った炒め物に。ガスの炎の上でフライパンを振れば出来上がりと、簡単簡単・・・。小松菜は、茎の部分だけはレンジ茹でし、シメジと一緒に胡麻油で炒めながら胡麻を振り、卵を割り入れた。

                       

煮物の大根・人参は、竹輪・油揚げと一緒に煮付け風の濃い味にした。チョッと甘味が強すぎのきらいあり。

                            

これで今朝のメニュー終了であるが、昨夜の鹿刺しの身が4・5切れ残っていたのでフライパンで焼、弁当に入れることとした。刺身では旨かったが、焼いてはどうなのか?

                            

結局、今日もMy弁当を持参することとした。本日の成果物は、都合四人分の弁当となった。

             

仕上げに辛子味噌を炒飯の上に乗せて完成となった。お菜は、四人分の弁当でピッタシ、売り切れ!

 

 

 

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金曜日の弁当

2012-01-29 | Weblog

1/29(日) 連日寒い、さむ~いのだが、これぐらいの寒さでボヤいていると越中の”熟年ライダー”こと、親孝行者のshinチャンにどやされるか・・・。まあ、それでも寒いものは寒い!

金曜日、情報誌の打合せの為にクライアント会社に直出。昼前に会議が終り、Tokioと食事を済めて会社に戻ると、直ぐに次の訪問で出かける時間であった。結局弁当の「サンドイッチ」をKのデスクに置き、5分だけ社内打合せをして直ぐに外出、会社に戻らなかった。

そんな訳で、日曜日の今日はそのサンドイッチ弁当について記す。と、云うほどのものでもないが。と、此処で地震!独りで居る事務所が揺れ始めた・・・、最近、地震が多いな~。

金曜日の朝も早朝から目覚めたていた。この日は、コロッケ入りのサンドイッチを予定していた。ジャガイモを茹で、タマネギを刻み挽肉と炒め、と朝から面倒なことを始めた。作りたてのコロッケサンドである。

他の具財は、タマネギ・レタス・セロリ・パプリカ・シメジ・人参・ウインナーにゆで卵を四個。アボガドも用意したが、何と半分は使えなかった。週初めに買っておいたのだが、古くなったていたのか?

                    

ポテトサラダや野菜サラダのサンド、ロールパンのウインナー挟みなどを作った。なんと云っても、この日のメインはコロッケサンドだ。レタスやタマネギ、炒めシメジなどと組合せたコロッケサンドとなった。

                         

残念ながら、この日は自分が食すことはなかった。私の分も合せてKの弁当となった。

                          

この日、八枚切りイギリス食パンとロールパン5個がサンドイッチとなった。

 

 「どんな人たちか・・・」

 金曜日、ある人から電話を貰った。現 ・地球市民の会 佐藤 会長である。常は、阿蘇の外輪山、宮崎県との県境に近い旧蘇陽町(現在は山都町)は、幣立神宮の傍に住んでいる。神様の傍にいる所為なのか神出奇没である・・・。

 「東京に来ているけど今夜は予定があります。明日から埼玉で仕事で、月曜の夕に東京に戻るので、月曜に時間は有りませんか」「月曜夜に、K・masakaoさんと映画監督のShiratoriさん、某銀行の女史他などと食事をするんですが、時間が有れば入ってくれませんか」

との話であった。私の方も、暫く声を聞いていない、そろそろ電話を入れてみようと思っていた矢先であった。

そんな次第で、月曜の夜は佐藤さんと一杯やる。が、K・mさんを除いては初対面であろう・・・。佐藤さんはやたら顔が広い、Kさんも佐藤さんの紹介で知り合い何度か食事をご一緒したが日頃は親交がない。

今度はどんな人たちに会わせてくれるのか?一人は映画監督とか。前には仮面ライダー役だった俳優にも会ったし、落語家にも会ったが・・・。そう云えば、亡くなれた竹久みちさんとも飯をご一緒したことがあった。

佐藤さんは、神の使いのような方だから、神に近い処に居る人たちであろうが・・・。ご子息が超売れっ子タレントであるKさんは、以前イタリアンレストランをやっていた。が、今は店を閉めて講演活動を中心に活動されている。

予定していた店がオーナーの腰痛で開けられないとか、店が決まっていないとのことなので、渋谷の名店「奈加野」に集合となった。さて、どんな夜になるやら・・・。

 

 

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フライ

2012-01-26 | Weblog

1/26(木) 明け方というか、夜中過ぎというべきか四時前に目覚める。何だかわけの分からん夢をみていた。悪漢どもから攻撃され、毒針が飛んでくるのを凌いだりしている活劇だった。

そんな訳で眠れなくなり、本を読んだりしながら弁当の準備に入る時間を覗っていた。今日のメニューは、昨夜の内から決めてあった。

フライがメインメニュー、脇を固めるのはキンピラ風炒めものと、アスパラの豚肉巻きである。昨夜決めたとおりのメニューで準備に入った。

牛蒡や干し大根・椎茸を水に晒し、豚肉を解凍。干し大根や干し椎茸の野菜干しは、旨味が出ていいと昨日の新聞で見た所為である。戻した野菜などを千切りにし、酒・味醂・醤油などで炒める。

                        

アスパラは電子レンジで熱を通し、豚小間で巻く。塩胡椒を振りフライパンへ。仕上げに醤油をひと垂らし・・・。

ついでに自然薯も薄切りにして揚げることとした。フライは「ホタテとエビ」、カットしたジャンボインゲンもフライに、さつま芋の素揚、以上が揚物であった。

                         

残ったパン粉・溶き卵・小麦粉に、ネギを刻みいれてチジミにする。これも菜の一翼を担う。

余談だが、自然薯を摩り下ろすと空気に触れて何時も色が悪くなる。酢水に浸けるといい、と聞いているが上手く行かない。何かいい方法を教えてほしい・・・。

                         

青物が少ないと、サラダ菜を敷き、お菜を詰める。今朝もホカホカのご飯が旨そうだ!抗いきれず、自分用の弁当も持参することとなった。食い物に弱い私である・・・。

                    

かくして、今朝も四人分の弁当が完成となった・・・。

                         

 「呆けオヤジ・・・その2」

昨夕、来客があって甘酒横丁『笹新』へ連夜の出撃となった。ビールをグラスで3~4杯、芋焼酎の湯割を5杯ほど飲んだか。湯割用のグラスがやたら大きいが、量を過しすぎたことはない。

体調がよくなかったが、帰りのメトロ日比谷線の車中も行儀よく座り。中目黒で乗り換えた東急線で二駅、混んだ社内では酒臭い息を廻りに吐かぬよう努めながらmy駅にて下車した。

駅の改札口の直ぐ前にある東急ストアにて、不足している弁当食材などを購った。と、ここまでは上々の運びであった。支払を済ませ、つり銭を貰って置き台に移動して財布につり銭を仕舞った。

買い物籠から、袋に品物を移し変えて帰宅しているはずであった。駅から自宅まで4~5分だが、半ばまできて咳が止まらなくなった。

こんちくしょうと、咳・くしゃみを連発しながら、ふと右手を見ると、何とスーパーの買い物籠を提げていた・・・。レジ袋のはずが、店の買い物篭だとは・・・ガーン!

置き台で、籠からレジ袋に移し替えた積りでそのまま籠を提げていたとは・・・。つり銭を財布に仕舞ってからの行動が途中で切断されていた。しかし何たる様か、自分では全く気付いてなかった・・・咳・くしゃみで我に返ったのか・・・。

いやはや、我ながら驚いた行動であった。(皆、他人事と思わず気を付けよう・・・)

 

 

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煮込み、炒め・・・

2012-01-25 | Weblog

1/26(水) 今朝は殊のほか冷え込。布団から出るのが億劫な程だった。とは言いながらも、北国のことを思えば、いかほどのことはないだろう。

家人は北陸の育ち故、太平洋側の冬の青空が何よりと言う。私にとってはあたり前の景色・空気であり、冬に布団を干せることを有り難いと感じたこともなし。我が日本も、狭いようで広い、大きいのである。

さて、今朝の弁当だが「鶏肉のトマトソース煮こみ」と「ホタテとセロリ・シメジ・ピーマン・人参炒め」、「一口ハンバーグ」となった。

トマトソースは、昨夜家人が作った、トマト・野菜とパスタ煮込みの残りのソースを利用する。鶏肉をレンジで熱を通し、塩胡椒で下味を付けてソースで煮込む。手抜き料理だが、中々宜しかった。

                          

炒め物は、豚肉が不在の為にホタテの登板となった。ホタテとピーマン・セロリなどを薄きりにしてバター&オリーブオイルで、さっと炒めて出来上がり。

                          

一口ハンバーグは、前回に作った残りを冷凍して置いた代物。ソースだけを作り、ソースの湖でハンバーグを遊泳さす。

                     

                   途中経過               完成の姿

出来上がった菜を、四人分の弁当に詰めた処、私の弁当箱に空きスペースが生じた。追加の卵焼き(入り卵風)を作った。これにて、完成となった。また腹が出っ張ってきた、my弁当は止そうと思いながらも、炊き上がりの旨そうな飯の魅力に負けた・・・。

                           

my弁当には、ご丁寧にも梅干が花を添えた。二年前の自家製梅干は残りが少なくなった、そろそろ昨年の品が登場となる。(弁当の青い葉は、サラダ菜である)

 

 「甘酒横丁にて・・・」

日本の横丁「100選」なるものがあれば(在ると思うが)、間違いなく人形町「甘酒横丁」はベストテン入りをするであろう。そんな横丁である。

甘酒を売る店は勿論、人気の鯛焼き店、豆腐専門店から三味線・寿し屋など江戸情緒を残す通りである。

この横丁は、人形町交差点と水天宮の中間にあり、突き当りは浜町公園・隅田川となる。公園の手前には明治座が在る。この横丁の中間あたりに『笹新』と云う人気の居酒屋が在る。

昨夜は、この『笹新』に入った。総勢5名であった。此処で一杯やるのは、一年ぶりぐらいになろうか。時間は7時30分頃、一番込んでいる時間帯のはずだがカウンターに陣取ることができた。

この店は魚メインの店で、大皿に盛られた各種の煮魚、お好みで注文する刺身。卯の花・ポテトサラダ・煮込み・ネギヌタなど、関東風の濃い目の味付けながら、旨いと評判の店である。

従って、早やくか、遅くにと、時間帯を考慮しないと席がとれないのだ。昨夜のあの時間に、5人が席を並べることが出来たのは珍しいと云える。

昨夕、先週にKaikou氏に相談したシステム開発の件で、氏がシステム開発社の二名を同伴して来てくれた。担当のAoki君が応対・打ち合わせた。打ち合わせ後、名刺交換と挨拶をさせて貰った。

訊くと、Kaikou氏が昨年まで勤めていた会社の方で、その社の社長と担当者であった。暫く、業界の動向や取引先などについて伺った。

この後の予定は無く、人形町も初めてとのこと。Kaikou氏がわざわざセットしてくれた会社の方、それにビジネスに繋がるやらも分からぬ案件のこと。敬意を表して、人形町の案内と懇談をすることとなった次第である。

旨い店ではあるが、雑多な場でいいのかと思いもしたが、下町の人形町らしい雰囲気が有るということで『笹新』の暖簾を潜った。

先方の社長は創業社長とのことで、二十数年となる由。年齢は、私よりひと回り近く若かった。商売のことはそっちのけで、生い立ちや家族の話で時間が過ぎていった・・・。

話だすと止まらないAokiが、カウンターの端に座ったお陰で先方の社長とゆっくりと話ができた。が、雑談ばかりで終わってしまったと、反省もある。そんな夜であった、昨夜。

 今夕も来客がある、またしても『笹新』・・・か?

 

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雪の朝・・・

2012-01-24 | Weblog

1/24(火) 昨夜遅くから、東京は本格的な雪となった。夕刻から、クライアントのT氏が来社。何か格別の用件のようだったが・・・。

隣の『高松そば店』にて懇談、遅れてT氏の上司も到着する。スタッフのNoboruも加わり賑やかな店内で金魚湯割」(焼酎のお湯割に赤唐辛子と大葉が入り、色合いが綺麗だがピリッとした味)などを飲りながら交歓した。

クライアントであるが、私が元居た会社のメンバーなので話題は尽きない。高松には、結局最後の客となるまで居座った。外に出ると、未だ雨が続いており寒かった。人形町の駅に向かう途中に在る「seiju」という鄙びたカラオケスナックにて唄&ハイボール。もっぱら聞き役であったが・・・?

最後に故郷を偲ぶ”南国土佐を後にして”を歌い、お開きとなった。そして、ドアを押して外に出ると・・・・・何と、雪・雪・雪!大粒の牡丹雪が降りしきり、道路を白く染め、積もり初めていた。

天気予報がドンピシャと当った。店に入った頃は、雪が降るような気配を感じなかったが、二時間弱の滞留中にすっかり様相が変っていた。舗道で早くも転びそうになる始末・・・酔っ払いの所為か?

帰宅後、翌朝のことを考えて降りしきる雪をものともせず、家の前の雪掻きをしてしまった・・・。連日雪掻きで大変だと云う、田舎館村のkawasakiさんや、札幌のT女史の大変さが身に沁みる。

そうか、越中の熟年ライダーも田舎の家と母を守り雪と格闘の日々であろうな・・・。

そして今朝、TVでは雪で転んだ、怪我をしたとか、電車の遅延や運休のニュースを流している。東京人は雪慣れをしていない上に、靴も雪用の仕様でない、転ぶはずだ・・・。

弁当の用意を済ませて部屋に戻ると、携帯に会社のU老からのメッセージが届いていた。
「家内が出勤途上の坂道で転倒、頭を打って病院に搬送されたと連絡受けました。これから病院に向かい付き添いますので、今日は休ませて下さい」とあった。

 身近で早くも事故が起きていた・・・。

凍りついた道路を駅に向かう途中、老齢の男性が道路に仰向けに倒れたままピクリとも動かない。周りを何人かのご婦人が囲み救急の電話を掛けようと右往左往している。大丈夫だろうか・・・、U老の奥さんのことが気掛りとなった。(後から連絡を入れてみると、大きな瘤ができたが打撲傷だけで済んだとのこと。ひと安心であった。)

そんな大騒ぎな、東京の雪の朝であった。

 雪で大騒ぎの前、今朝のお仕事「弁当作り」は「牛タレ漬けの炒め焼」、付け合せにシメジ・エノキ・タマネギ・ネギを炒める。何しろ牛肉のタレ漬けである、焼肉丼風に行きたいところだが・・・。同じパターンは避けて、長女とK君だけ丼風に、他はお菜風に・・・。

他には小松菜のお浸しとベーコン炒め、人参・ジャガイモ・アスパラのオリーブ和えサラダ、定番の卵焼きとなった。

                         

そう、次女が連泊していた。「どうしたんだ?」と云うと、「雪で途中で電車が止まると困るので、実家に来た」そうな。彼女用のオムスビを二個(梅・オカカ)用意する。

                         

ご飯の上に、辛味噌や梅干を乗せて完成。コスト高の弁当を今朝も持参することとした。が、出勤途上で友人のO氏から連絡が入る。「三越前に行くけど、ランチ一緒にしない」だって。誘われて、否応はない・・・。

                    

されば、今日のmy弁当、誰の腹に収まるのやら・・・・。

 

 

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牛煮など

2012-01-23 | Weblog

1/23(月) 先週末からの雨で少しは湿り気というか潤いのある空気となった。風邪の方も徐々に回復に向かってきた。

昨日は、午後に出社してトイレの掃除、その後銀座「松阪屋」にて野菜などを買って帰宅となった。何しろ銀座のデパートで野菜を買うのだ・・・近所のスーパーや隣の八百屋も在ると云うのに・・・。

玄関先に、冬の花、蝋梅と水仙(?)の小さな鉢だけが彩りを添えている。金魚やメダカは水盤の底に隠れて出てこない。冬を寒を実感する。

                    

昨夕は、猪肉鍋などを作ってみた。薄切りにしてすき焼き風にと思っていたが、酒・砂糖・醤油に根菜類と白菜で、汁気の多い鍋になった。皮の部分が固く、脂身も少なくて肉の旨味もいまいちであった。

                        

今日は暖かい朝を迎え、弁当作りとなった。「牛煮」と「鶏肉のハーブ漬け焼」、寒ブリの照り焼き、ポテトサラダである。それに、次女が昨夜来宅したので彼女用に鮭と梅のオムスビを用意した。

牛煮は焼豆腐・タマネギ・人参だけで煮る。鶏肉ハーブ漬けは、小僧が漬け込んでおいた代物だが、これをフライパンで焼くだけ。付け合せに、ピーマン・マイタケ・エリンギを炒める。(料理のセンスは小僧の方が私よりは数段上であるが、片付けが出来ないのだ!)

                   

寒ブリは、昨日松阪屋で弁当用にと購った切り身。酒・醤油で、暫く漬け込んでから焼く。ポテトサラダは、人参・ジャガ・卵にタマネギ、最後にアボガドのサイコロ切りも加わった。

                 

三人分、プラスオムスビの予定が、菜が余りすぎた。仕様がないとばかりに自分の弁当も持参することにした。土・日と飯を喰いすぎなのに、今日の昼飯も盛沢山か・・・。

            

菜が納まりきらんので、ブリ照り焼きはご飯の上に鎮座となった。

 

 「黄昏・・・」

最近は物忘れ、度忘れから記憶喪失・違いが激しい。長年の酒とタバコ、寝不足の成果なのか?人の名前から、あらゆる事物、約束毎と記憶の森から飛んで行く・・・。

昨日は、或る国の名前が出てこなくなった。それは、つい最近若い国王夫妻が来日、世界で一番幸せと思う人々が住むと云う小さな国。那智勝浦で漁師となった斉藤君が、ドキュメンタリーの取材ロケをした国、幻の蝶が生息するとNHKの番組で年末に放映された国である。

どうしても国の名が出てこず、最後は世界地図を開く始末となった。国・都市の位置、人の顔、動植物の形と浮んでも、固有名詞が出てこないのだ・・・。

そんな時によくやるのが、ア・イ・ウ・エ・オ・・・と、順に様々に読んでみる。記憶が飛んでいても、半分程はこれで出てくるが、それでも浮かんでこないケースが増えてきたのだ。

先日は田舎で、ケーキの話が出た。従姉のオバサンが「あたしは、ケーキで一番好きなのは”モンブラン”だね」と言った。それを聞いて、私は自分が好きなケーキの名前を云おうとした「僕は、・・・・だね」と。

処が、その好きなケーキの名が出てこない。それから三日ほど、思い出そうとしてきたが駄目だった。あのお酒の入ったケーキの名が出てこないとは・・・、色も・形も・香りも浮かんでいるのに・・・。結局、田舎から戻って家人に「俺の好きな、あのラム酒入りのケーキなんて言ったヶ」と、訊いて漸く氷解した。『サバラン』だった。

人の名前は、アイウエオ戦略で何とか出てくる。それ以外が難しいのだ。植物・食物・地名が、あやふやとなった。覚えない、忘れると、どうやら、人生の黄昏を迎えたようだ・・・。

 

 

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急なことで・・・

2012-01-20 | Weblog

1/20(金) 17日(火)の夕刻、田舎から連絡が入った。妹の嫁ぎ先の母親が亡くなったとのことであった。

妹の亭主は私の同級生でもあるし、郷里に戻らない私に代わって、田舎で郵便局長を務めてもいた。私の田舎の畑のサポーターでもある。あれこれ考えれば、帰らなくてはならぬ・・・。

そんな次第で、18日の便で急遽帰省。通夜と葬儀の受け付けなどを手伝ってきた。何しろ田舎のことで、葬儀場が取れなかったとのことで自宅での葬儀であった。

昔は皆、自宅で弔いをし、裏の山に土葬していた。私が成人するぐらいまではそうだったように思う。の当番が墓穴を掘り、棺を担いで山道を登っていった。今はそんな習慣も無くなり、お墓も里の畑を墓地にするようになった。

葬儀ばかりは何時発生するか分からぬ。先月の叔母の時は三連休だった、今回は平日であったが、偶々なのか、仕事をしていない証しなのか三日間とも昼・夜ともに予定なし。後顧の憂い無く葬儀に出かけることが叶った。

まあ・・・これからは、年に一度や二度はこんなことで急遽の帰省があるだろう。これまでは、義理があっても仕事にかまけて失礼をしてきたが、これからはそうもならん。そんな年齢でもある・・・不義理の取り返しがつかないと云う。

そんな三日間であったが、18日の帰省する朝の弁当だけは作って家を出た。因みにメニューは「牛煮」「チキンのハーブ焼」と定番の卵焼きであった。

 

 

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サンドイッチ

2012-01-17 | Weblog

1/17(火) 今朝も早くから目覚めたので、弁当を作ることとした。今日は「サンドイッチ」である。一昨日にパンを買っておいた、万端である。

後は、サンドの具を何にするかである・・・。ちょっとだけ何時もとパターンを変更してみた。野菜系は、ピーマンとパプリカ・トマトにゆで卵を刻み、塩胡椒に酢とマヨネネ-ズで和えた代物。肉系は、豚小間とシメジ炒めとなった。

以上に、キャベツ・レタス・タマネギ・パスタを組み合わせて仕上がりとなる。八枚きり食パンと大きなバケットパンをカットした四枚が、今日の作品?となった。

                          

四人分がたっぷりと有ることになるが、何と今朝は三鷹の某社を訪問の為に直出であった。そんなことはすっかり忘れて弁当を用意していたのだ。知人の紹介で初めて挨拶に伺うのに、弁当袋持参では格好がつかない。Kの弁当は、諦めて貰うしかない、徳用のラーメンでも買って行くか・・・。

                          

となれば、弁当は二人前で済む。こんなに作ったのに・・・。

 

 「臭い話・・・」

風邪なのか、咳・痰が止まず。問題は、煙草が吸えないことだ。口さがない社内の連中は「この際、煙草止めたら」と軽軽しく言ってくれるが、そうはいかんのよ!

タバコを美味しく吸えるかどうか、が健康管理のバロメータなんです。とは云ってみても、ここ数年はタバコが美味くない・・・と、云うことは?

昨夜も安焼酎を啜りながらの酒席での話だが、U老が戦中の疎開先での思い出を語った・・・・。


「岐阜の母方の実家に、母・兄弟姉妹で疎開してたんだけど。ある晩、空襲警報が鳴ってね。皆で神社の森へ避難する途中の出来事よ」

「荷車を真中にして、夜道をすぐ上の姉が左側、俺は右側を歩いていたんだけど、途中で姉が居なくなったのに母が気付いたのよ。そしたら・・・」

「何しろ戦中時代の田舎道のことだから、途中に肥溜があって、姉は其処に落ちて胸まで浸かっていたんだ」。

「すぐ傍に水路が流れていたんで、そこで洗ってもらっていたのを思い出すよ。親戚の人からは『お前は美人になるぞ』と云われてたよ・・・」。「馬糞を踏むと美人なる、と云う迷信があったらしい。肥溜めに嵌ったんだから効果絶大という訳さ・・・」と、大笑いした。

何故、こんな話になったかと云うと、私が最近雨が降らないので播いた野菜種が伸びない。畑の脇に水が流れているんだから、水撒きしてやればよかった。と、田舎の畑を知っているU老に、溝・水路の話をしたのが発端である。

私も肥溜めではないが、ボットん便所にまつわる或る逸話を披露した。それは昔々、私の田舎での出来事である。

今は50歳にもなろうかという大人になったKatuoが子供の頃のことだが・・・(親戚の子だ)。当時、田舎の家というのは、風呂場や便所は母屋とは別に建っているのが一般的であった。

Katuoが便所に行って暫くしてから、便所の方で“ボッチャン”と、音がしたそうだ。丁度居合わせた父親は、子供が便所に落ちたと飛んで行った・・・。そして、便坪の中に潜って子供を捜した、そうだ。

ボッチャンの音は、Katuoが便坪に石を投げ込んだ音であったと分かったのは、潜った後のこと。しかし、笑うに笑えない、臭いばかりの父親の愛情の深さではないか・・・。(川が直ぐ傍なので、川で体を洗ったんだろうね、きっと。)

田舎に帰ると、この親子とはしょっちゅう顔を合わす。その父もすっかり老いたが、親子の姿を見ると、このことを思い出す・・・。

 

 

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野菜はないの?

2012-01-16 | Weblog

1/16(月) 夜中に目覚め、朝まで本を読んで過す。何だか眠いのも致し方なしか・・・他人はこれを「自業自得」と云うらしいが。

正月以来の風邪気味から回復しない。夜毎に酒を飲んだくれじゃ・・・。だが、そうは云っても意味のない酒はない。どんな意味があるんだと、訊かれれば応えに窮すか?大人の酒とは、所詮そんなものよ・・・。

今朝の弁当は肉系のパレードとなった。ちと大仰な表現ではあるが。そのメニューといえば、「挽肉のピーマン詰め」「エノキの豚肉巻き炒め」「ミニハンバーグ」「鹿肉タレ漬けのフライパン焼」である。

                         

野菜と云えば、モヤシが鹿肉焼きの添え物として登場するぐらいである。ピーマンやエノキは野菜の範疇に入れるのも失礼という程度。卵焼きを作ったが、大きなフライパンでクレープを焼くような感じの重ね焼。

                    

                    鹿肉タレ漬け          エノキ豚巻き

鹿肉もフランス辺りではジベエとか言って珍重されようが、我が家では家人が食さない。私一人が、鹿・猪・軍鶏とせっせと喰っている。続くと、流石に飽きてくるのだ・・・。

今日は三人分の弁当、自分用は持たないこととした。

                          

朝早くから、タマネギを刻み挽肉と捏ねたり、ピーマン詰焼を作ったりと、忙しい思いをした割には充実感のない弁当作りであった。

 

 

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