オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

渋柿と満月

2020-10-30 | 弁当

10/30(金)十月も明日で終わり霜月がやってくる。日中は暖かだが、朝夕は冷えるようになっている。渋柿を採って干し柿を作るシーズン到来である。

今日の午前はUSUI老を歯科に送ってから地元の神社に参拝した。久しぶりであったが、友人知人が病院で診察とのことで、霊験あらたかと昔から信仰されている「神峯神社」と、27番札所の「神峯寺」(いずれもコウノミネと読む)である。

太平洋を望む山上にあり、麓から歩くと一時間ばかり要するが今は車で行ける。それまでは親戚などに病人が出ると山道を登って祈願に行っていた。社寺に参拝してもお賽銭を入れることは稀な私だが、ここの社寺だけは格別な思いがあり、お布施や賽銭をさせて頂く。

                                    

 

治療を終えた老を拾った帰り「豆でんきゅう」でコーヒーを飲んでからの帰宅は正午。帰宅後にモクズカニの籠を揚げたが一匹だけであった。そして、空き家になっている隣の叔父の家の渋柿を採ることにした。何しろ小さな柿は鈴なりで他所の畑に熟柿が落ちている。

                                                    

籠一杯で百個以上は採ったであろう。その柿を庭先で剥き干し柿にしたが70個ばかり剥いて草臥れたのと陽が落ちたので止めた。残りは明日にでも剥いて吊るし柿にする。今日剥いた分は大笊に並べて干した。吊るすよりは大幅に楽なので。

                                        

従姉と孫が柚子の収穫から戻ったので、疲れているだろうと夕食に来るように声を掛けた。野菜中心の夕餉であるが・・・。

茄子煮、四方竹の炒め煮、豚バラとチンゲン菜の炒め物、牛筋の大根煮、ホウレン草の胡麻和えなどで夕食。汁ものは自然薯汁、昨夜のカレーも食べると云うので供した。ビールにハイボール、焼酎レモンと、今夕も過食となった。

                                           

賑やかな夕餉、大量の洗い物を終えて部屋に戻り庭に出た。冷え込んできたが、今月二度目の満月を愛でるべく!。と、東寄りの空高くに輝く月が浮かんでいた。今月二日に月見と称して見た月より小さく見えるも、冷気の中に遠望する月は、手が届かぬ孤高の存在を象徴しているかのようであった。

                                      

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宴の後は・・・

2020-10-27 | 弁当

10/27(火) 日曜日の夕は従姉達と、昨夜は姪の旦那RYOU君と彼の会社の社長(RYOUの従兄)が来ての飲み会であった。

そして今夜は老と二人でささやかに野菜とウドン煮込鍋をつつき、お酒もビールだけであった。

と云うのも、老は前夜の酒に飲まれてしまい起きだしたのは正午。用意してあった朝食はブランチならぬランチとなり果てた。おまけに昼前に歯医者の予約が入っていたそうだが、それも忘れていたとか・・・。宴の後の侘しさよ、か・・・。 

日曜日は急遽の計画であったが、病勝ちの従姉の孫娘が埼玉から遥々と軽四輪車で婆さんの手伝いに来たので、その歓迎会と云うことで、別の従姉夫妻も招いて六人で食卓を囲んだ次第。

刺身、揚げ物、焼き物、煮物と地元の食材でもてなした。モクズカニのカニ汁、今が旬の四方竹の煮物など都会では味わえないものを用意した。ご飯は買ってきた「鯖寿司」と「鶏の炊き込みご飯」であった。

 

           

そして、昨夜はお酒が主体なので小鉢に冷凍の鮎を焼き、鮎の開きなどで大いになる酒盛りとなった。ビールに「南・土佐鶴」の一升瓶に焼酎・ウイスキーのハイボールと遅くまで飲み、歓談した次第。

               

 

二夜連続しての夕餉に、支度が遅い私は早い時間から仕込みをした。暇人故に出来ることである。

 

今日の午後は従弟たちが柚子の収穫をしていた畑から甘柿と渋柿を採ってきた。渋柿は明日にでも吊るし柿かな?従姉が食べたいというので一部は晒し柿にするか?。栗にせよ柿にせよ、皮を剥くのは手間で肩が凝る!。

昨日からカニ籠を川に沈めたが一匹も獲れない。先日の増水でカニは河口へと下ってしまったのかもしれない。鮎もカニも、産卵のために川を下る、そういう時期なのだ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋、深まり・・・

2020-10-24 | 弁当

10/24(土) 今朝の飛行機で来高の予定であった人形町は高松蕎麦の一行は、諸般の事情で取りやめとなった。再会を愉しみにしていたが、事情もあり止むをえなかったとのこと。来高頂けたら朝からの好天で、気持ちのいい土佐路を楽しんで頂けたはずであったが・・・。

そんな秋の一日、先ずは落穂拾いならぬ庭先の落ち葉拾いからスタートした。隣の叔父の家の渋柿がたわわに実のり熟柿となって落ち始めている。他所の畑に落ちて邪魔であろうと三十個ばかり採って、今年初の吊るし柿と晒し柿にしてみた。まだ暖かい日が続いているので干し柿作りは早いと思うが実験である。

                

昨年は五百個以上の干し柿を作ったが、今年はその半分程度を考えている。然し、今年の柿は何処も大豊作の様相で、何処の柿の木を見てもたわわである。

昼過ぎにミカン畑の甘柿を採ることにして老を誘って畑に出た。柚子も色づいてきた。我が家の柿は例年なら色づく前に落ちて無くなっているのだが、今年は珍しく実が残っているのだ。柿が好物の老は喜んでいる。

              

ついでに小さな渋柿も採ってきたので、普通の柿の三分の一ほどの小ささであるが、面白かろうとニ十個ばかり皮を剥いて吊るした。

風もなく暖かな昼下がり、川は一昨日の雨で未だ水量は多いながらも穏やかに流れている。

水・土が開店の姪の店「いなかじかん」でコーヒーを飲み、雑談をして帰宅。と云っても徒歩五分も掛からない距離であるが。

                  

ここのところ食してきたものと云えば、栗ご飯、松茸ご飯、モクズカニのカニ汁。秋茗荷も栗も終わり、専ら柿を食しているが、これも一週間か十日で終わろう。そしてミカンのシーズンとなる。柚子酢を絞り終えてホットすると師走である。この頃には私の干し柿作りが本格化するであろう。

                   

田舎暮らしの時間はゆったりと流れていくようであるが、直ぐに一日が終わる。秋の夕暮れ、海岸では五時半ごろに夕日に染まるが、この山里では四時を過ぎると陽射しが東の山へと移動して夕景となる。

                 

今日の一日と云えば、落ち葉拾いと柿の収穫、皮を剥き吊るすを二度、コーヒーを飲み、冷凍鮎で開きを九枚作り干してから再度の落ち葉拾い。たったこれだけのことで夕暮れを迎えた。五時半、明けた窓から外を見ると夕闇が迫り、冷えた空気が忍び寄ってきた・・・。

そろそろ夕餉の支度か、今夜は老好みの煮込みラーメンに、今が旬の四方竹(小さな筍)と小イカでイタリアン風のソテー?、秋刀魚の味醂干し、冷奴or湯豆腐、飲み物は何かな?。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かくも長き休暇を・・・

2020-10-20 | 弁当

10/20(火)今日は朝から陽気の良い一日であった。青空が広がり気温も上がって外で動くと汗ばむ、そんな一日である。

午前は三回目となる歯科の治療、と云うよりはお掃除程度であったが。そんな後で隣町まで買い物に行き、帰りに「豆でんきゅう」でコーヒー。畑にも寄って甘柿を採り、モクズカニの捕獲籠をチェック。カニは中程度のが一匹だけ入っていた。今年はカニも不漁のようである。

               

帰宅してからは育ってきた白菜とキャベツの芽を畝に移植した。が、周りの畑では大根も白菜も随分と大きくなっている。私の種まきは遅かったようだ。

斯様な一日で何時もと変わり映えなし!。そんな日々ながらも季節は移ろい今や晩秋。今年は秋が早いように思うが?。畑の縁に生えているお茶の木が白い花を咲かせている。庭木も落葉するのが早くて落ち葉を掃除の日々である。

               

畑の柿もすっかり熟柿はじめているが干し柿作りには未だ早い。朝夕の冷えに比べ、日中が暖かすぎる。

先週の15日で鮎漁も終わった。ミカン畑の草刈りも先日済ませて来年の三月まで必要ないが、来月の半ばには柚子の収穫である。その頃には干し柿作りも本格的になるであろう。

こうして一年を振り返ると、季節毎にやることがあるのだ。田舎暮らしながらも田舎故の慌ただしさと云えよう。遊びも些事な作業事も含めると。

 

振り返れば会社をリタイアしてから二年以上が経過した。完全に離れてから二年。この間、酒場のオヤジにでもなろうと思いながらも叶わず、新たな仕事を考えるも断念して実家の片づけをと郷里に戻って来月で一年となる。

かくも長き休みとなったが、未だ社会復帰の夢は消えずである。その為には東京にもどらなければならいが実家の片づけが手付かずの上に新型コロナ騒動で田舎に雪隠詰めのような状態である。家人の仕事の性質もあって、夜遊びする所為で帰京を控えている。

とは云いながらも少なくとも来年の五月には帰京するつもりでいる。然し仕事がなければ、オリンピック騒ぎを避けるため再度帰郷のつもりだ。

他所様からすると呑気な奴だと思われような・・・。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020-10-14 | 弁当

10/14(水)午前、来客の大野氏を駅に送る前に一緒に川に仕掛けてあるカニ籠を上げた。二匹のモクズカニが入っていたが、大きい方のカニの大きな鋏が片方欠けていた。

午前中から川の恵みに縁があったのか、午後姪の店でコーヒーを待っていると父のHIROKATUが鮎漁から戻ってきた。下げた保冷箱を開けて見せたのは・・・。

ちょぅと見たことのない大きな鮎が!。捕ったHIROKATUもこれまで一番のビックサイズと言う。客の姿がないのでテーブルにまな板を置いて、その大きな鮎を乗せて大きさを計った。27cmの見事な鮎で、産卵で腹回りもビッグ。

安田川の鮎漁は明日一日で禁漁となる。最終日を前に大きな鮎のプレゼント、まさに川の恵みがもたらされたわけだ。全部で16匹の鮎で、ビッグサイズ以外も形の良い鮎が揃っていたが、一緒に並べると見劣りした。

                

安田川は川幅も流域も小さく、水量も少ないが良質の苔が川石につく。それで美味い鮎が捕れるというわけだ。

「明日も漁に行くので今日の鮎は持って行けよ」と、ビッグサイズも含めて全部の鮎を頂いた。来週末に来客があることも踏まえて気遣ってくれたのだ。

                   

ビッグサイズは刺身にしたら!と言われたが、持ち帰って並べてみながら三枚に下ろすのが勿体なく思えてきた。刺身は他の鮎にして、焼にすることにした。

 

かくして夕食は獲れたてのピチピチト身の締まった鮎刺身に大鮎の焼き物!。朝炊いた栗ご飯に従姉が持ってきてくれた「松茸ご飯」(これが滅茶美味しかった)等となった。

                 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来客ありて・・・

2020-10-14 | 弁当

10/14(水)台風が去りてから好天がつづいている。そんな月曜日、里に夕陽が射し始める16:29分安田駅着の土佐くろしお鉄道ごめん~奈半利線に乗車して佐賀から大野さん(地球市民の会副理事長、ユニカレ佐賀代表)を迎えた。

                 

この日の午後、氏を迎えるために川の幸、モクズカニの捕獲用の籠を正弘橋の欄干から垂らした紐を引き上げた。幸いにも大小三匹を確保したのである。

           

夕餉はモクズカニの味噌汁、鮎の焼き物、刺身に野菜煮物、間引き大根葉の漬物等と地産の食材で歓待した。お酒は「南」「土佐鶴」にビールであった。

ご無沙汰をしている佐賀の状況や、氏のビジネスであるユニカレ佐賀のことと、多岐に及び時間が経った。23時を過ぎて部屋に戻って気が付くとスマホが見当たらぬ・・・探し回ってやっと車のダッシュボードに置いたスマホを発見できた。人形町の面々等からの不在着信数件があった。

そして昨日、車中から海が望めなかったと残念がる氏のために太平洋と長く延びた砂浜、延々と続く松林、白砂清松の琴が浜を臨める場所に案内。

町を出る前に、山里の名所?「大心劇場&豆でんきゅう」に寄ってコーヒータイム。レトロな館内を見学させて頂き感心していた。

ついで、安芸市内の「岩崎弥太郎生家」「安芸城址」へ。更に国道を東に向かい室戸岬へと案内した。弘法大師の修行跡から面前に広がるジオパーク岩礁、打ち寄せる波浪に満足をされたようである。

            

最後に岬の頂上、灯台から24番札所「最御崎寺」を案内した。

私が案内できる高知県東部の名勝?を一巡りしたのである。

観光地巡りの最後は、隣町「たのたの温泉」で暑かった一日の汗を流してサッパリしてから帰宅。この日の夕餉は「野菜鍋」に「牛焼肉」、栗焼酎にビールであった。

 

そして今日、14日の11:03安田駅発の電車で岡山を経由して帰る大野氏を見送る。慌ただしい日程であったが、満足をされたであろうか。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過

2020-10-10 | 弁当

10/10(土)今朝は台風一過の青空が広がり気温も高くなった。昨日、一昨日と着た服がウソのようでTシャツで過ごした。

気持ちのいい朝で、先ずは庭先に出て落ち葉を拾った。そんな気分になるほど気持ちいい朝。僅かに咲いている花の写真を撮り、増水したであろう川の様子見に行き、最後に畳んであったパラソル立てて秋の陽ざしを遮る用意までした。

川は思ったより増水してなかったが、鮎漁のシャクリができるまで数日待たなくてはならないだろう。漁期は後五日しかないのだが。

                

昨日から深夜にかけて沖合を通過した台風の影響は、種まきをして芽が出始めたポットが一つ倒れたことぐらいである。ミカン畑の栗も大方が落ちたであろから午後にでも行ってみようと思った。

庭先で遊んだせいで朝食の用意を始めたのは遅く、十時前になっていた。台所に立っていると従姉が来た、ボールに栗を一杯にして・・・。

散歩のついでに畑で栗を拾ってきたとのこと。俺が行くより先を越されていた次第。「栗のイガは片付けたの?」と云うと、片付けたとのことであった。そう!栗を拾ったらイガの始末をしないといけないのだ。 

これで午後の遊びが一つ無くなったか?。

朝食を済ませ、栗を茹で、栗ご飯用に栗の渋皮を剥いたがこれがひと手間・・・。今日は姪の店がやっているので、お土産に茹で栗と云う次第。

茹でたての栗はホックホックで美味しい。滅茶美味いのだ!。昨日の午後に帰京したUSUI老も、わざわざ茹でたての栗を持たした程に。

午後に姪の店でコーヒータイム。今日は客の入りは少ないとのことである。先月の29日の高知新聞で姪と店の紹介記事が出た。わざわ切り抜いたので紹介する。

                 

姪の店から戻り、野菜畑に種まきをすることにした。大根・蕪・ほうれん草を僅かだが播いた。ポットには白菜とキャベツの種苗をしているが、これは本葉が5~6まで成長してから移植する。

               

畑仕事がひと段落した頃に従兄が様子を見に来て「カニ籠をつけるたら」と言うので、従兄の紐をつけたカニ籠を橋の上から川へと下ろした。

今年は鮎ばかりかモクズカニも不漁とのことである。電動車いすで動き回る従兄だが、米寿だからね。体力がなくなったので私にカニ籠を任せると再三言ってきた。そんなことで今日は老も不在なので付き合うことにした。

              

 

陽の光が東の山裾に異動して里は夕暮になったが、台風後のミカン畑が気になって行った。栗や柿の枯れた小枝が少し落ちているだけで被害はなかった。が、栗のイガは結構散乱していた。イガを集めながら栗をニ十個ばかり拾い、珍しく実が残っている甘柿を十個ばかり収穫してきた。

                

こうして振り返ると、なかなかの働き者のようだ?。と自画自賛して、夕食の用意に入った。従姉が来るかもしれぬと「スキ焼」を張り込んだが、疲れて食欲ないとのこと。

野菜の煮物二種「茄子煮、万願寺・オクラ・茗荷煮」、昨夜の残り物のトンカツ・茄子フライ、サラダに漬物三種で、缶ビールを共にして一人飯になった。もち、食べ切りませんが・・・。

                

夕餉のメインはスキ焼!、ではなく「栗ご飯」です。なんといっても手間が掛かっているのだから。                      

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗拾い

2020-10-08 | 弁当

10/8(木)夜明け前の五時半、雨は止んでいるが明けようとする空を雲が覆っている。一日、雨の予報である。

昨日の午後、姪の店「いなかじかん」でコーヒーを飲んでからミカン畑に行った。今夕から雨が数日続くとの予報なので栗を拾っておこうと。

連日のように栗拾いをしているが、そろそろお仕舞いの頃合いである。大した量は拾えないであろうが雨ざらしにして獣の餌や虫食いにするのを嫌って。

畑へは橋を渡って行くのだが、漁期の終り(10/15)まじかにした川で老爺が投網を打っていた。暫く眺めてから橋上から「どうですか?」と声を掛けると「サッパリじゃねえ、おらん」との返事があった。

              

 

ポツリポツリと落ち始めた中で、老と栗を拾う。昨日の夕前にも拾ったので大して落ちてないと思ったが、それでも2Kgほどの栗を拾えた。老は蚊に喰われて騒いでいたが・・・私は何故か平気である。

落ちた栗のイガを集めて乾いたら燃やす、焚火の材料にして虫退治である。老は栗拾いに夢中になるが、私はせっせとイガを集める・・・。

            

小今年の栗は粒が小さい、落ち始めたのは例年よりも数日以上早い。小さいながらも栗は栗である。妹や従妹へと生栗、茹で栗、栗ご飯にしてお裾分けしする。

スーパーや地場産市場に並ぶ栗を見ると、想像以上に高い値札が付いているが小粒である。県内の産地も小粒で収穫が少ないとニュースになっていたとようだ。

 

家に戻って、昨夜から煮始めた栗の渋皮煮の仕上げとなった。渋皮の取り方が雑で綺麗じゃないが私のやることだ、こんなものさと渋を抜いた栗を漬ける砂糖を溶かして赤ワインを少々垂らしてみた。どん味になるのか?。

               

老は明日から定期健診で暫く帰京する。お土産?、栗を茹でて持たすことを約した。栗も焼鮭も、納豆も大根おろしにタクアンも好物の老人なのだ。

今夜は老の「帰京前夜祭?」或いはこのまま永の別れかもしれぬとカラオケに行くことになっている。加えて、田舎の垢を落として行きたい?のか「たのたの温泉」に行くことにもなった。老人には愛!をか?、鞭の方が似合いそうだが・・・勿論、愛の鞭さ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星空

2020-10-07 | 弁当

10/7(水)今日も畑から栗を拾ってきたが、処理に困って渋皮煮でも作ろうと始めたら、気が付けば深夜になってしまった。包丁さばきがノロイのと、遅い夕食だった所為もあるが・・・。

1㎏程の栗を鬼皮を剥き、筋を取ったりしているうちに夜更けと云う次第。おまけに栗ご飯用にと剥いたこともあるが。すっかり肩が凝ってしまった。

             

 

そんなことをしている合間、23時半になって庭先に出た。今夜、火星が地球に接近するとのことで星空を見ようと・・・。

然し星のことは無知同様の私である。南の空と聞いていたので目を凝らしたら・・・、遥か南の上空に何時もと違う(ように思うが)星の光を見た。多分これであろうと思うことにした。そんな折、流れ星が一つ南へと鮮やかに流れた!。

思い違いかもしれぬが、そう信じても誰にも迷惑をかけぬだろう。

夜空は満天の星空が広がり、真上に金星がひと際輝き、半月が出ていた。夜の冷気の中で暫し夜空を眺めた。

三年前になろうか、星空が好きな友人が訪ねてくれた。丁度今頃の季節で、一緒に夜空を眺めると満天の星空が広がっていた。それ以来、私も星空を眺めるのが好きになった。

何を思うでもなく、ただ星空を眺めながめる・・・。夜空に点在する遥かななる星々を追いながら冷気の中に佇む。その時間だけは何も浮かばず、思わず、只々眺めるだけである。

 

夜も更けた、そろそろ布団に入ることにする。

                                  

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜空を見上げ・・・

2020-10-06 | 弁当

10/6(火)夜明け前の四時半過ぎに目覚めた。布団一枚であるが肌寒い!。目覚め前に夢を見ていた。サラリーマンをしていた時代の夢で、人事異動で、病院の事務部門に異動する夢であった。

その新しい職場に赴任すると見知った顔が二人ほどおり、二人から処遇について相談をされていた。私のポジションは中間管理職の上位と云う立場であった。

夢の中で、その二人と就いたことのない異動先が不思議ながらも現の中でそのことを面白く思っていた。そして布団から出たのである。

暫くして五時のサイレンが鳴り、ベランダに出て暗い夜空を見上げた。西の空に欠け始めた月が、星空が広がっていた。山里の夜明けまでは未だ未だである。

二日の午後、安芸駅にAOKI君を迎えてから庭先での食事、土曜日の午前は畑で栗拾いや焚火をしてから午後は上映日最後の映画大心劇場で観た。レトロ感満載の劇場にAOKI君は喜んだ。

          

そして日曜日は電車で高知市内の日曜市へ。早めに戻ってから庭先で鹿&猪肉の燻製づくりをした。燃やしたチップは、先週に来高頂いたKISHIMOTO大兄が畑で削った桜木であった。

         

炭火が強すぎて焦げながらも、それなりの燻製らしきものができた。燻製づくりは昨年、JIN先生宅で経験したが見様見真似であった。

半分は昨日帰ったAOKI君に持たしたので、人形町の誰かの口に入るかもしれない!。

昨日の昼前、帰るAOKI君を安芸駅まで送った。その後、老とボートレース場に遊んでから帰宅。畑の栗を拾いに行ったら思った以上に多かった。今年の栗は小粒のように思う。それと例年より落ちるのが早いようだ。駆け足の秋の深まりか・・・。

 

夕餉はフライ!「トンカツ・茄子・カボチャ・オクラ」、カボチャと茄子・椎茸・茗荷の煮物、燻製を摘みにした。糠漬・タクアン・菜漬けの漬物が並んだ。

         

お喋りが尽きず賑やかなAOKI君が居なくなり、妙にしずかな夕餉であった。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする