オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

番外編 今年最後の宴

2014-12-29 | Weblog

12/29(月) 先週末、26日で会社も仕事納めとなった。この日は、午後6時から仕事納めの乾杯をし、一時間程で会社を後にした。その後、昨年会社を辞めたBINと、久々に「高松」にて一献交わすことにしていたのだ。BINは、サラリーマン時代の私の部下であった。彼は早くにその会社を退職したので、私の処に呼んだのだが、九年で辞めた。

今更ながらではあるが、かつての仲間であり、行く末は彼に会社を委ねたいと思っていたが、その思いは叶わなかった。人それぞれの思ひや生き方があるので、そのことは問わない。元気に生きていけばいいだけのことである。そんな彼と、年末最後に飲もうと声を掛けていたのだ。先生をしている彼の奥さんも見えて、暫し彼らの故郷、津軽の町のことなどを話して過ごした。それから「セイジュ」でカラオケと、一緒に居た頃と同じパターンの時を過ごした。帰宅は零時であった。

休みに入った土曜日、午後から会社に出たが最終の目的は夜の部であった。この夜で、赤坂「禅」は店仕舞いをする。六本木・麻布警察の裏手に在った店の頃からだと、三十年が経つ。赤坂東急ホテルのBAR「マルコポーロ」で唄っていた、現オーナーの橋本葉子さんの歌とピアノを聴いてからだと四十年の年月が流れた。葉子さんのご主人だった東郷さんが亡くなって、七回忌もすぎた。我が歌姫は、郷里の秋田に拠点を移すと云う。

こうして一つの時代が過ぎ、去って行く。最後の日だ、顔を出さなければならないのだ・・・。

その「禅」に向かう前、先ずはこの夜にブルースの”桑原コースケ”バンドが入る「ローカーボ」にて一杯やった。リハーサル中のバンドの音を聴きながら一杯やるのは乙なものだ。グラスの先に、音合わせの面々が透ける。

               

            

もう一軒「ちょっぷく」から、大掃除後に忘年会だと声を掛けられている。ここへは、何時ものCOCO一番の10辛カレー・ルーを持参しての参加。昼間のオバサンの在所を聞いたり、何時も姿は見ているが言葉を交わさない中国・ベトナムからの出稼ぎ姐さんの話を聞きながら飲んだ。禅に辿り着くまでに相当出来上がってしまった・・・。

             

禅に漸く辿り着いた時は、22時前となっていたか?客数は以外にも少なく、四人だった。それに元のスタッフやミュージシャン(尤も全員がそうだが)が四人度顔を見せていた。『禅』最後の演奏は、入り口に立ったまま聴いた。そして、赤坂から渋谷に出た。旧缶詰BARに立ち寄ってからの帰還となった。

              

 

昨日、郷里からの連絡で伯母さんが亡くなったとの知らせを受けた。葬儀は30日とのことだが、告別式には間に合わない。火葬場か、初七日の読経が流れる頃には着けそうだが。確か、九十四歳かと思うが、今年一月に長男が急逝した。そんなことが、老いた体に響いたのか。

酒場巡りと葬式でスタートした一年は、始まりと同様に暮れて行くようだ・・・。

 

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ホタテご飯

2014-12-26 | Weblog

12/26(金) 今日で今年の業務も終了する。午後六時に乾杯をして仕事納めとなるが、仕事は納めても夜の部の酒場納めは明日、土曜の夜で納めたいと願っている。今夜は、仕事納めの後で、「高松」にて元スタッフのBINと一献交わす約束をしている。二次会に「SEIJU]当たりでカラオケとなる可能性が大きい。

昨夜は八時前に会社を出て「ローカーボ」となった。二夜連続しての顔出しである。IWASマスターが、我が畑で採れた柚子酢をいたく気に入ってくれた。焼酎やハイボールに垂らして飲むと最高だと言う。もう一本進呈するため、今朝は持参した。

昨夜の相方は、会社のスタッフ。止り木に停まって、赤ワインとズブロッカを飲んだ。仕事のことや、他人様の人生についてあれこれ・・・。余計なお世話、世話はなしで何時のまにや23時となっていた。途中でHOYAさんが姿を見せたが、ゆっくりと話をする間もなく消えていた。確か「明日は四時起きで仕事だ」とか言っていたようだが。帰宅は丁度、零時であった。そして何時の間にか、リビングの床で眠っていたのである・・・。

 

そして、目覚めた時は朝の六時だ。大失態であった。そのまま弁当方・作事奉行として出陣となった。昨夜帰宅してから、牛蒡と人参の笹掻を作って水に晒しておいた。弁当用の「ホタテご飯」を作る予定で、下準備をしたと云う次第。今年最後の弁当は、「ホタテ炊き込みご飯」「牛肉のプルコギ焼き」「オムレツ」「ホタテとタイのソテー」「ホウレンソウ&シメジ和え」、以上と思いきや・・・。

                    

もう一品新製品が有るのだが、これには訳がある。作治との午後、外出からの帰りに「日山」で弁当用にと和牛切落とし1593円/242gを贖った。序に、日山の先に店を構える「魚久」で粕漬けでもと、寄った。銀ダラの粕漬けが一切れ800円以上か?、産地は南米やアジアが殆どだ。おまけに店員さんが、奥から菅を見せなかった。そんなことが重なり、粕漬けを諦めたのであった・・・。

会社に戻りながら浮かんだのが『家に酒粕ならあるな!あれでホタテや鮎を漬けたらどうなんだ?』。と、昨晩の零時過ぎから酒粕を取り出して、酒や砂糖・出汁などで粕床を作ってみた。作り方なんかしりゃせんよ、見よう見マネならぬ、こんなもんだろう粕床が出現した。何しろ実験だ、小さなタッパーでやったので、鮎を三匹入れたら満員御礼の垂れ幕が掛かった。未だ早いだろうが、その鮎を一匹焼いて私の弁当の菜にした次第だ。鮎が空いたスペースに、今度はホタテが納まった。

こうして今年最後の「お弁当」が出来上がった。牛肉は昨日のものとは大違いで、旨味がある。流石に和牛さんだ。ホタテご飯の方はチョット味付けが足りないか?まだまだ工夫の余地あり。

              

 

以上、弁当納めの儀とさせていただきます。再開は、来春一月五日の予定であります。 それまで、サヨナラ・さよなら・サヨナラ!!

それでは皆さま、良き年を迎えられますように。

 

 

 

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クリスマスはオムスビ

2014-12-25 | Weblog

12/25(木) 昨夜のイブは、男どうしで一杯と云うなんとも色っ気のない夜となった。先週の金曜日に一献交わす予定だった、学生時代からの腐れ縁、H氏との懇談が私のドタキャンで延びていた。イブの夜に奴の予定などはなかろうと、連絡を入れると案の定だ「暇だ~」との返事。五時前から何時でもOKだぜと言われたが、こっちの都合もある。取り敢えず、人形町まで来てもらった。

蕎麦店「高松」で落ち合って、先週ドタキャンの詫びを云う。「あの時は博多から帰る途中だったんで、土産に明太子を買ってたんだよ。また今度な」と言われた。土産を買ってたなんて、気持ちの悪いことを言う。奴も長くはないか・・・・。この夜も新橋から「二色かりんとう」だかの菓子を携えてきた。愈々危ないな!(それって、貰う側の俺のことか?)

二人での話題と云えば、先般の選挙のこと、段々と厳しくなる製作費のこと(Hは、TV制作のプロデューサ稼業)から、田舎の実家の始末の悩みと、似たような環境の所為もあり話題には事欠かない。

この日、午後からのマイナンバー制度のセミナーに参加し、帰社は16:30だった。それから弁当を喰ったので、飲み始めた時は未だ満腹状態。腹が張ると飲めない、飲んでも美味くない。そんな状態が一時間以上続いた。参ったネ~!

少し腹もコナレタので「ローカーボ」に移動、ここでは赤ワインにした。ハイボールだと腹が膨れる。マスターのIWASEさんは、風邪ぴっきだとのことで時折咳をしていた。我々が入らなければ、休業にしていたかも・・・。

                       

                        7時前、他に客の姿はない!

男同士・オヤジどうしの冴えないクリスマス・イブだ、ローカーボでクリスマスソングを聴けたのがせめてもの救いだったか?

そんな前夜を過ごし、今日はクリスマスだぜ!と、意気込んでも、変わったこともプレゼントも枕元にはない。靴下を置いてなかったのが敗因か?

気を取り直して、弁当を作ることにした。昨夜家人から「明日は仕事が忙しくて、お弁当を食べる時間が取れないのでオムスビにしてよ」と、云われていた。先ず、一人分はオムスビが必。長女と自分の弁当をどうするか?

ちょいと迷ったが、長女は普通のお弁当に、私はオムスビ弁当(菜つき)で行くことにした。弁当とオムスビの両方に使える鮭を焼いた。菜の方は、牛小間とタマネギ・椎茸・白菜の煮物。ソーセージとピーマン・シメジ・スナップの炒め物。定番の卵焼き。以上である。

              

オムスビの具は、鮭と梅干の二種。オムスビの数も、都合四個と控えめである。

                      

最後に私の朝飯用のスムージーを作った。ミニトマト三個・イチゴ三個・リンゴ三分の一、セロリが一本であった。セロリの色合いが強くて、奇麗じゃないが美味い!

                        

 

明日は、今年最後の弁当作りとなる。ちっとは食べ応えのあるものにしたいが・・・・、明日のお楽しみさ!

 

 

 

 

 

 

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海の恵みを・・・

2014-12-24 | Weblog

12/24(水) 今日はクリスマスイブだが、仏教徒の私には関係なしか?。一昨夜の山賊の酒盛り会にUSUI老が姿を見せた。「目出度く前立腺癌を言い渡され、改めて転移の検査を受けたうえで治療方針が決まる」と、さばさばと言った。こればっかりは、医者任せにするしかない。奥さんも大腸癌とのことで、亡父が作り置いてあった「枇杷酒」を渡した。

U老も酒盛りに参加をして、二次会三次会と渡り歩いたようで、完全に出来上がっていた。我らがいた「ちょっぷく」に合流してきたが心配なので、先に帰したのだが・・・。最後の店「ローカーボ」に居ると、「セイジュ」のママのコートを、老が着ていったとの連絡があった。終電近くになっての大騒ぎだが既に遅し。老に連絡が付かなかった。

昨日、老に連絡を入れると既に二軒目から「全然記憶がない」とのこと。『絶対に着てたよ』と念押しをしたところ、「あっ、あった」と返ってきた。午後に会社まで届けて貰うことにした。

そんなことで、天皇誕生日の祝日は予定外の出社となった。出勤すると言っていたYOSHIOの姿はない。前夜の酒でダウンしているだろうと推察した。終電近くになり、私は席を立ったが、未だ残って飲もうとしていたのだから・・・。私の帰宅すら25時前だったのだ。

そんな祝日だったが、思い掛けなく田舎なの母から魚が届いた。鯛であった。丸々とした立派な鯛が二匹、発泡スチロールの箱に入っていた。今夜はこれを刺身や兜煮、鯛めし・潮汁にしようと思っていたので、老からコートを預かり早々に帰宅した。が、長女一家が手巻き寿司がいいとのことで、鯛めしはお預けとなった。

今朝の弁当は、そのお預けになった「鯛」で、鯛の炊き込み弁当にした。菜の方は、これも海の幸「ホタテ」を使ったホタテのフライをメインにホタテや人参・タマネギの小掻揚げ、ポテトフライを揚げた。もう一品、ホタテと大根のサラダを、と思ったのだが・・・、弁当を電子レンジで温めるのでサラダは拙かろうと、大根とホタテの煮物にした。これは初めての試みであったが、ホタテの旨味が大根にも浸みてイケたね~。

             

何をとち狂ったか、鯖の文化干しを焼いてしまった。家族の弁当には入れず、MY弁当にだけ入れたのだが・・・。結果は、鯛やホタテの美味さに完敗して鯖が気の毒であった。

                     

そんなことで今朝は、海の恵みを頂くこととなった。北海の豊かなプランクトンで育ったホタテと、豊後水道の強い流れで揉まれた宿毛産の鯛である。それぞれに旨味タップリ。これじゃ痩せる暇はなしさ・・・。食いしん坊、万歳~!

 

 

 

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ハーフ&ハーフ

2014-12-22 | Weblog

12/22(月) 今年の業務も今週で終わる。と、云うことは今日を含めて四日しかない。アッと云う間の一年である。せめて、一年を締めくくるに相応しい弁当でもできればいいのだが、残念ながら今朝も手抜き弁当となった。

昨夜の残り飯が半端に有り、先ずはこれを片付けようと「炒飯」となった。オムライスの手もあったが、ホタテが有るのでこれで炒飯に落ち着いた。菜の方は、お手軽な「鶏と大根の煮物」、「パスタとジャガイモ・人参のサラダ風」、ミートローフのオリーブ油炒め」と、いずれも手抜き、お手軽の品々だ。

             

今日の弁当を「ハーフ&ハーフ」と命名したのは、炒飯と白飯のハーフにしたことに由来する。チャーハンだけでもよかったが、炊きたい米があったのだ。先週の金曜日、珍しく年末挨拶と称して鎌倉橋~虎の門~豊洲と客先を訪ねた。最後に訪れた豊洲の某社へは、未だ陽光が注ぐ時間だったので新橋からモノレール「ゆりかもめ」に乗車、東京湾の景色を眺めながら向かった。

                        

其処で、友人の広報室長から小袋入りの米を頂いた。その米は、某社の下請け会社が地域起しの一環として作っている「魚沼産コシヒカリ」で天日干しとのこと。某社が応援して販売や、営業用に使うことにした品であった。貰ったのが二合入りの小袋だったので、『もっとないの?』と厚かましいことを言ったが、「人気でこれだけだ」と云われた。

                     

今朝は、その米を炊きたかった。そんな次第で、炒飯と魚沼産天日干しコシヒカリのハーフ&ハーフになった。炊きあがりを一口だけ含んだが、この米は美味かった。さて、昼になって冷えた米の味はどう変化するだろうか・・・・。

 

週末、土曜日は朝から雨となった。六時半に目覚めたので、そのまま台所に入った。午後にTUGAWAさん宅を訪ねて、一献交わすことになっていた。それに持参しようと「猪鍋」を炊いた。この猪肉は、先週帰省した折に貰ったものだが、「体重12~3貫目で脂がのって美味いのが獲れた」と聞いた猪である。

アバラの骨付き肉をそぎ切りして、ひと煮して灰汁を取り、酒・醤油・味噌・味醂に酒粕を少々加えた。生姜に大根・蒟蒻で煮た。まだ若い猪なので灰汁は少ない。肉も柔らかくて上々の味であった。この煮たのをタッパーに入れ、自然薯の摺り下し冷凍パックなどを持参した。

雨音とBGMの流れる中、緩やかな時の流れに身を任せて遅くまで居た。H女史もすっかり料理のレパートリーを増やしており、手尽くしの肴を堪能したのであった。だんだんと暮れ行く中、雨の音を聴きながら心置きなく時の流れに身を任せた贅沢なひと時を過ごした。

帰路、渋谷に立ち寄り「奈加野」へ。伊佐美の湯割りを四杯飲み、太刀魚焼きに箸をつけた。これで帰ればいいものを、もう一軒顔を出して年内の義理を果たすことにした。旧缶詰BARであるが、今の店名は「ル・ツール」。場所は、東急文化村の先の三階と同じである。ここでは、ハイボール二杯で切り上げた。

今夕は会社の忘年会と称する飲み会がある。山賊の酒盛りとか、乞食の宴会とか呼んでいるやつだ。これに「猪汁」を作る予定だ。この猪は、今年の猟期が明けて直ぐに獲ったやつらしい。11月に貰って、会社の冷凍庫に置いてあった。これを、鍋じゃなくて汁にする。

昨日の昼に出社して、冷凍庫から冷蔵室に移した。打ち合わせコーナーの拡大もしたので、前よりはちっとは広くなった。ここで酒盛りと云うやつだが、酒のみのスタッフが少なくなったし、食べる量も減ったようだ・・・。

田舎の畑で採れた最後の柚子(柚子湯用だな)と、不器量ながら味のあるミカンでも提供しよう・・・・。

                     

 

 

 

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サンドイッチ

2014-12-19 | Weblog

12/19(金) 今日はサンドイッチで、決まりだ。昨日の予定だったが、食パンを買っていたのをすっかり忘れていた次第だが、二日もつづけて忘れる分けはねえぜ?そんなことで、今朝はサンドイッチだ。

手の込んだことはしない、ゆで卵・胡瓜のスライス・タマネギのスライス、ジャガイモもスライスしてからレンジで蒸した。ミートローフをスライスして軽くソテー。最後にスライスチーズの登場で具材はお仕舞。

二枚重ねでトーストした食パンで、何時もながらの「サンドイッチ」が出来上がる。具が余ったので、厚切りの食パンをパン切ナイフで半裁し、おまけのサンドイッチも作った次第。

                   

昨夜は、八時ごろに「ローカーボ」に顔出し。前夜のこの時間は家路に着く頃だったが、この夜はこれからがスタートである。ワインを一杯開けないうちにスタッフのAOKIが到着、更に遅れてTOKIOが来た。TOKIOは風邪気味と云いながらも、しぶとく飲んでいた。

もう一軒「ちょっぷく」に立ち寄る予定が、ローカーボで長居をした。丁度テレビの前に座ったので、録画の映画を肴に赤ワインを啜りつづけた。ニコラス・ケイジから、イーストウッドを二本見ることとなった。マスターを交えて、それぞれのベスト映画や好みの俳優(外人)の名を並べて遊んでいた。

イーストウッドのダーティーハリー(いっと最初のやつ)から、「夕日のガンマン」をオーダーして見始めた。最後は、終電まじかとなり三倍速や倍速にと忙しかった。なんとか最後まで見終えて、メトロに間に合った。酒を飲んでるのか、ビデオを見てるのか判らんような夜であった。

              

我らの間では、、ダーティーハリーよりも、マカロニウエスタンのイーストウッドの方が渋くていいとの結論だった。

然し、ここ数年劇場で映画を見た記憶がないとは・・・。

 

 

 

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寒いぜ・・・

2014-12-18 | Weblog

12/18(木) 今週になって急に寒くなった。火曜日は冷雨、昨日今日と風があり、寒さが身に沁みる。昼前、歯科にて治療であったが、歯医者に掛かって以来、どうも歯の具合が良くない・・・。

食べ物も旨く感じないし、歯茎をいじられるので塩梅がすこぶる悪いのだ。「歯を抜かれ、挙句の果てに銭まで抜かれて塩梅悪し」と云う心境だ。加えて、年明けからも通って来いとの深情けである。

昨日は、午後から横浜の某社・社長を訪問。旧知の方であるが、凡そ一年近くもご無沙汰をしてしまった。当社の新サービス「ICT教育NEWS]の売り込みと云うよりは、年末の挨拶と最近の状況などの雑談が主体である。それなりに売り込みはしたが、果報は寝て待てだ。

その後といえば、横浜と云えばK大兄が居られる。大兄の時間を貰い、関内駅から中華街へと寒風の中を歩いた。大きな店より小店がいいと、先日BS放送で見た「池波正太郎先生」が通ったと云う店を探したが判らなかった。路地にある店を見繕って入ったが、小さな見せながら悪くはなかった。中華店と云えば紹興酒とばかりにこれを先ず飲む。酒のあては適当に注文。ハイボールは薄かった、ジョッキの向こう側が空けて見えた。

この店を四時前に追い出され、さてどうしたものかと大兄と二人、短日に暮れなずまんとする横浜スタジアムを横目に馬車道へと歩んだ。どうにも半端な時間と酒である。どこぞに適当な店はないかと探し歩んだ。それにして、風が冷たい・・・・。

結局、以前にと云うか一年も前に入った店を探そうとなった。関内駅と馬車道駅の1㎞ほどの間にある小道や路地を探しに探した。そろそろ諦めようかと思う頃、漸く「此処だろう」となった。ドンピシャであったが、あの寒空の下を三十分以上は歩き廻ったことになる。

それほどまでに執念を燃やしたのは、落ち着いた店の雰囲気と気の利いた女将さん、それにカウンターに設えた酒燗用に切り込んである湯桶である。が、残念なことに女将さんは代替わりをしていた。だが、四月から代わったと云う女将さんも感じの良い方であった。未だ上がったこともない二階の座敷では、時間も早いに関らず宴会客が入っていた。

一年前に腰を下ろした同じ席に着いて「燗酒」を頼んだ。冷えた体にはこれが一番である。この店の酒はすべて神奈川県産である。勧められた松田の酒「松みどり」の名で、そのことを思い出した。代が変わっても、踏襲されていた。

訊くと、女将の産は宮城県とのこと、『宮城は何処だね?』と云うと「トマイ」と返ってきた。この地名には、朧ながら聞き覚えがあったが、地図となって現れない。岩手との県境で「登米」とのことであった。そうだった、私の元上司のTACHIBANAさんが、ここで育ったと言っていたのだ。

大兄が浪漫な会話をする「天の川が見えたでしょう」云々と。手伝いらしき齢若の女性は、福島県の出身だとかで、三春の枝垂れ桜の話になり、話を引きとった大兄は、教鞭をとった郡山・日大の桜の見事さを語った。何れもポツリポツリの会話であるが、緩やかな時の中で燗酒と話に温まっていた。

関内駅へと向かう大兄と、馬車道駅に向かう私は、左右に別れた。北風の中を関内へと向かう、ベージュのコートの後姿が、何故か「酒場放浪記」の吉田類を彷彿させた。

 

帰宅は八時過ぎ、何時もなら飲み始める時刻である。床に就いたのも十時と滅茶早であった。お蔭で、今朝の目覚めは四時と、これも滅茶早や。昔を思い出させるような仕事の夢から醒めたのである。幾らなんでも早すぎると、あれこれと思いを巡らせながら、蒲団の中で時を過ごした。

六時半、弁当事をスタート。今日は「大根・人参と鶏肉の旨煮風」「エノキの豚バラ肉巻炒め」「焼き鮭」、定番の卵焼きとシンプルな組み合わせである。弁当を詰め終え、はたと思いだした・・・。昨晩サンドイッチ用のパンを買って帰ったことを!殊ほど左様にボケている。

                       

次女が昨晩遅くに泊まりに来ていた。玄関の見慣れぬ靴を見ても気付かず、起きだしてきた姿を見て思い出したのだ。そういや昨夜、「KAYOが遅くなるので泊まる」と、家人から言われていた。

                     

次女にも、無理やり弁当を持たすことにした。弁当の押し売りだ!私の弁当は、猫飯。ご飯の上にオカカ、その上に海苔を散らしてみた。こう云うのが美味いんよな・・・。

 

 

 

 

 

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畑に遊ぶ

2014-12-17 | Weblog

12/17(水) 昨日の午後に高知から帰京。朝から小雨だったのが、夕方に外出するときには打ち付けるような雨が冷たかった。外出先は高橋区会議員の主催する会で、来春にある統一地方選出馬に向けた決起大会のようなものであった。氏は、勤勉・篤実のある方なので微量ながらも協力できればと思っている。

その後、赤坂・一つ木通りの「禅」に顔を出した。四半期ごとに案内を貰う、元オーナー故・東郷好彦氏の月命日の会であある。「禅」も今月27日で店仕舞いする。これまで散々に我儘をとおしてきたんだから、最後の月ぐらいは何度か顔を出さなきゃ塩梅が良くない。葉子さんのピアノと唄、フルートの石井幸枝、司会と歌の島さんのステージを聴き、一時間ほどで引き揚げた。雨は上がっていたが、寒かった。

そして今朝、なんとしたことか”お寝坊”ちゃんをした。目覚めると7時過ぎであった。目覚め前の短い位時間に見た夢は覚えている。なんの夢もない、夢だった。
「YOSHIOと台湾だか韓国辺りに旅をしていた。土産物店で何やら不明な液体の瓶を手にし、ひと舐めしたYOSHIOが、これを買うと言いだした。止めたら、と私が言う。YOSHIOが値段を訊くと300ドルだった。途端に、彼の顔つきが変わった。な!四万円もするものを買っちゃいかんだろう・・・」そんなことを言っている夢だった。本当にくだらない夢を見たもんだぜ。

それで寝起きとは、朝からついてない・・・。
弁当だけは作りたいと、鍋で飯を炊き、北海道のT女史が送ってくれた「ホタテ」でバター焼きをメインにする。鯖文化干しを焼き、昨日買って帰った竹輪の煮付、ター菜のオリーブ炒め、スクランブルエッグと、以上の簡単弁当を何とか間に合わせた。

 -畑あそび―

12日(金)の午前便で帰省。何時ものように飯作りと、畑遊びで過ごした。14日の日曜日に「中山やまいも祭り」のイベントが学校跡(小中学校とも廃校なのだ)であり、それに行って昼酒を飲んだ。小さな体育館ではあるが、人で埋まった。親戚で軍鶏を飼っているのが、後ろで飲んでいたが「年末に軍鶏肉を持っていくよ」と、愛いやつだ。正月早々から「軍鶏鍋」か・・・。

                   

畑の柚子は殆ど収穫が済んだが、温州や小ミカン・紅ミカンの小粒で種ばかりの蜜柑が熟れていた。それに文旦や八朔、甘夏にポンカン・ネーブルが数は少ないが、色づいている。

        

焚火をし、小さな木に果実鈴なりの枝に添木をしてやる。果実が成長した重みで今にも折れそうだ、事実折れている枝もあった。未だ青い果実は、五月が旬となる「小夏」と、小さな木に一つだけ重そうな実を垂らしている「バンペイユ」だけである。

蜂も冬休みで飛ばない、草刈も要らない、のんびりした時期である。畑にタマネギを植える時期を逸した、絹ザヤも種を播かなかった・・・。春、成長の季節の愉しみがねえや・・・。

 焚火に当りながら、畑遊びをして過ごしたのであった。幸いにも、帰京日の他は天気に恵まれた。

郷里で食べたものは、地魚の刺身や鯖を焼・味噌煮にしたほか、川カニ(ズガニ)の味噌汁、熊本は菊池の「雉鍋」、タラバ蟹のシャブシャブなどであった。中でも、雉肉(鍋と炊き込みご飯にした)には、従姉や妹夫妻も喜んでいた。

                           

                               ズガニの味噌汁

 

 

 

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オムスビ

2014-12-11 | Weblog

12/11(木) 朝から雨となったが、天気予報どうりかな?。昨夜はUSUI老が来社、予定より30分早く着いた。『折角来たのだし、癌で今生の別れとなるかもしれないよ、スタッフにも挨拶をして行ったら』と、憎まれ口をたたき、「高松」へと誘った。私も高松に顔を出すのは久々であった。ビールの後は、焼酎の金魚割を飲りながら、老の前立腺検査の話などを聞いた。

「いやあ~痛かったよ!おまけに女医さんで、痛くないでしょう?痛くないでしょうと、言われたが、痛かったなあ~。7回も指を突っこまれて参ったよ」と、のたまった。『そうなの、痛いの止めて~、ダメダメなんって言うジョークも出なかったんだ』と、混ぜっ返したが・・・。おまけに、「カミさんも大腸ガンの疑いがあると、いわれてんだよ」とのこと。

『大腸ガンなら「枇杷焼酎」が効くそうだよ。NETなんかで見ても、そんなことが書いてあったネ。』『奥さんが飲んでみる気があるなら、オヤジが作ったのが田舎に置いてあるはずだから、送るよ』と、伝えた。

加齢と共に免疫力が低下するのか、ガンや心臓や能梗塞と、身近で病気のオンパレードを聞く。致しかたないと、割り切って受け入れるしかねえだろうな・・・。老は行政の健康診断で前立腺のガンが見つかったそうだが、医者に行けば何らかの病気が見つかる年令だろう。もう七十五歳だし・・・。俺のように健康診断も受けないと決めていれば、病気になりようがないはずだが?なんといっても、病気を見つけるのが医者の仕事なんだから・・・。

病気談義や、少年時代に育った名古屋のことなど、何十回も聴いている話を聞きながら、「高松」から「ローカーボ」そして「ちょっぷく」でグラスを傾けた。人形町・安酒場巡りのフルコースである最後の店「SEIJU」は止しにして、帰宅することにした。老の体と、自分の懐を気遣ったか?

ガンとは云われながらも、未だレベルも判定されていない所為か、老の足取りは意外としっかりしていた。あれなら、ホームから落っこちて怪我をすることはなかろうと、茅場町駅の車中から老の後ろ姿を見送った。(以前に、酔っ払ってホームから落下、怪我をして大騒ぎになった前歴があるからネ!)

 

昨晩は老との懇談だったが、今夜はと云うより昼間からだが、かつての部下と一年ぶりに飲むことになっている。彼もサラリーマン生活の終盤になって、すっかり元気を失くしてしまった。どんな話になるのか…、病気のことか、これからの暮らしについてか?判らんが、凡そ一年ぶりにグラスを交わす。そして、夜は池袋だ。K大兄やNAKAJIMAさんの先輩方との池袋の夜がある。余り酔わないようにしよう・・・、明日から16日まで帰省するのだから。

 

  ―オムスビ―

さて、今日の弁当だが「オムスビ」である。昨日弁当箱を持って帰らなかったこともあるが、昨夜の内から決めておいた。具は、鮭・梅干・オカカ&ジャコの三種である。米四合が炊き上がるまでに菜を作ることにした。

                     

昨晩帰宅すると大きな箱が届いていた、友人のAJIROさんが精根した野菜群であった。白菜・キャベツ・人参・大根・ホウレンソウ他が詰まっていた。その中から、今朝はホウレンソウを使わして頂いた。簡単ながら、ホウレンソウのオリーブ油炒めだ。旨みを出すために、弁当には避けたいニンニクを使った。

オムスビには定番の卵焼きぐらいが丁度と、思いながらもついつい余分なものを作りたがる。残っていた白菜を、薄揚げとウィンナーで煮る。この煮汁で、味付き卵とばかりに、卵を茹でる。大根の残りをピューラーで削ぎ、豚小間との豆板醤炒め。これじゃあ、普通の弁当でも良さそうだが・・・。

                     

オムスビは都合、十二個。菜の方は結局、何時もの弁当箱に詰めて持たせることになった。なんじゃらホイだ・・・。今朝の朝飯は、作った内からオムスビを一つ頂いた。美味いね~、作りたては!

                        

今朝、YOSHIOに昨日の弁当のことを訊くと「量多すぎ、オムライスだけで十分。途中で休憩しながら喰った」と返ってきた。YOSHIOは普段から省エネだからな・・・。それじゃ今日は、オムスビを一つ分けてやればいいか・・・。と、云うことだ!

 

 

 

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宴のあとは・・・

2014-12-10 | Weblog

12/10(水) 昨夜は、TOKIOが「一杯だけ奢ります」と云うので、『一本の間違いじゃねえか』とまぜっかえしてローカーボ」で一献交わすことになった。誕生祝だといわれて、本当に一杯だけ馳走に与かった。それも一番安い、角ハイボールにしたのは小生の奥ゆかしさかな?

お祝いにと、ローカーボの店主IWASEさんからもご馳走になった。窓越しに通りを見たIWASEさんが「美人が外から覗いてる」と云う。振り返ると、女性が二人ドアを押して入ってきたのである。顔を見ると、何のことはない社のスタッフMACHAと、元スタッフのYURIKA嬢であった。まあ~ここは、美女を二人と云うことにしておこう・・・。

私の誕生会でもやっているかと、覗いたようだ。『そんなもん、やる分けねえだろう』と憎まれ口を叩いて、一緒に飲む。二人は大のカンリュウファンで、先日のコンサートの話ではしゃいでいた。私も元気に飲み歩いて頃は、韓流のクラブで友人のOKAZAKIさんやOOGI君らとはしゃいだ時代があった。日・韓親善と交流に励んだものだ・・・・。そんな所為で、すっかり貧乏暮しとなってしまったが・・・。

                    

                     迷コンビは、千円札一枚を出した、ご立派!

「ローカーボ」では、赤・白ワインにハイボール、ホットウイスキー、仕上げは久々のギムレットであった。最後の一杯で、酔いに襲われるのだ。マスターの気遣い?サービスだと蝋燭の灯りを並べてくれた。薄暗いカウンターが華やいだように思えた。酔いのせいかな?

             

もう一軒、赤坂の「禅」から声が掛かっているので、顔を出す必要があった。禅の歌姫「橋本葉子」さんは、きしくも私と誕生日が同じであった。そんなこともあり、親しく付き合ってきたが、今月の下旬で店を閉めることになった。また一軒、我儘を言える店が閉まる。昔のように次から次へと、飲み歩けなくなった。古くからの客は同じようなものだ、店に閑古鳥が鳴くのも無理からぬことか。

            

どんな商売も、世代交代が上手くいかないと同様のことだ。我が社も同じである、と分かってはいるがこれが難しい。

禅も先客は一人だけで、その後だれも入って来ない。こんな日もあるさ、葉子さんは云うが・・・。ハイボールを数杯飲み、唄を聴いて、帰り着いたら零時半であった。チョット、飲み過ぎたようだ。お蔭で、今朝の目覚めは・・・最低!

                        

                        こんなの喰った記憶なしだが!

それでもOYAJIには弁当作りが待っている。朝一番の遊び事だ・・・。今日は生協から食材が入る。冷蔵庫の中をなるべく少なくし、スペースの確保だと冷凍の半端物を使うことにした。

半端なご飯を冷凍にしたのがゴロゴロ、水餃子や鶏団子・小イカに二袋もある鶏肉。先ずはこいつらを使う。ご飯は「チキンライス」にして鶏肉と併せて消費。肉団子や水餃子は大根やター菜と煮物に。小イカはピーマンやパプリカと炒め物にと、どんどん使った。冷蔵庫の中がかなりすっきりした。

「オムレツ風チキンライス」「水餃子と豚小間・ター菜の煮物」「大根と鶏団子・薄揚げの煮物」「小イカとピーマン・パプリカ炒め」以上が仕上がった。

                      

鶏肉とタマネギ・ピーマンを炒めた「チキンライス」に、卵焼きを乗っけてオムライス風にした弁当が出来上がった。残ったチキンライスを茶碗に一杯食べながら、今日のmy弁当はYOSHIOに進呈することを思いついた。

                     

今日はYOSHIOの誕生日。夜にお祝いをするよと伝えてあったが、コンペ案件が二件入りそれどころではなくなった。忙しいのはいいことだが、自分でスケジュールを作れないのがデザイナーの辛い処。よく頑張っていると感心するが、それが貧乏人の良い処だ。なんのお祝いも出来ないので、せめてOYAJI弁当でも喰って貰いエネルギー補強だ!

                        

今夕は、USUI老が現れる。初旬に前立腺ガンの再検査を受けたとのことで、その結果(ガンの詳細状況)が今月の22日に出るとのこと。その前に一杯やろうとなった次第だ。嵐の前に今生の杯を交わそうと云う趣向か?「高松」から「ちょっぷく」更に「ローカーボ」「セイジュ」と廻りたがろうが、こっちのサイフと老の体力次第だな・・・。お手柔らかにお願いしたいぜ!

 

 

 

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