オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

オージービーフは・・・

2018-10-23 | Weblog

10/23(火) 今日の弁当、メインは「オージービーフ」だったが、この安い肉をどう美味しくするかが、課題。残念ながら魔法が使えるほどの腕を持ち合わせていなかった、と云うのが結果である。

一応、塩胡椒にプルコギャンのタレに出汁を少々使い、添えにエノキとタマネギを炒めたが、さほどの味を出せなかった。素材さえよければ、腕は悪くてもそこそこの味が保証できるというのが私的結論となった。今度からいい肉を買うことにしよう・・・、出来ればだが。

他には「紅鮭」を二切れ、スクランブル風の卵焼きに、小松菜と薄揚げの卵炒め、蒲鉾で、フルラインが揃った。高知から届いたばかりの新米を炊いたが、これが何とも美味そうな香り。ちょっと体重が落ち過ぎのきらいがあるので、軽くご飯を頂いた。加えてフルーツのスムージーも頂く。そんなことで、今朝のお仕事は終了。

            

 

会社に顔を出してから、新高輪プリンスホテルに向かった。と、云うのは今日は懐かしきかな電信電話記念日で、このホテルの大ホールでOBたちを招いた懇親会が開催される。二年ぶりに出席することにした。お世話になった皆様に挨拶ができるいい機会でもある。

                          

千六百人と聞いた参加者の中から、四十名近い方と言葉を交わし、挨拶することができた。中には「会報誌の記事、読みましたよ」なんてことを言って下る方も・・・。夏に発行されたOBの会報誌に『私的、終活」なんていう寄稿をしたことへの言葉である。この原稿の中で、会社を去ることや郷里の母の下へ行く予定などを記したのだが・・・。

                      

母が思いがけずに早く逝ったことから、方針の転換を説明する破目になってしまった。

一時間ほどで引き揚げ、会社に戻った。戻ったところで、私のルーチーンの仕事があるわでもないのに。家で居るよりは、馴染んだ会社がいいとは困ったものだが。今夜も酒場パトロールに勤しむしかないか、こんなことをしながら、今日も暮れ行くか・・・・。壮大なる時間とお金の浪費しているような気もするが?。

明日は、朝から或る講習会に参加する。人形町へ夕方の戻りとなる。

 

 

 

 

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祭の後の・・・

2018-10-22 | Weblog

10/22(月) ベッタラ市も盛況に終わった。土曜日の夕刻からの雨には参ったが、概ね販売が出来ていたので良しとするしかない。先輩や友人たちも顔を出してくれたし、加えて料理の先生であるJINさんグループの応援もありました。賑やかで嬉しい祭となりました。私的にベッタラ市に関わるの、多分これが最後となろうが・・・・。

                      

そんなこともあり、些か草臥れていたのか昨日の日曜日は粗粗、自宅で過ごしたが、一時、郵便局に行った帰りに、青空に魅かれて生ビールを二杯程飲んだ。ゆっくりとすごした今朝は、日課の弁当を軽く作ってから出社した。が、早々に外出となった。

                   

                     チンジャオロース&粕漬け、タラコに出汁巻卵

有楽町の外国人記者クラブの寿司BARで、かつての大上司であるUDAさんとのランチ会に出掛けた。食事は抑えてきた私だが、昼酒がすすみランチコースを完食し、挙句に酔いが回った。酔い冷ましのコ―ヒーまで馳走になってから、赤い顔のままで社に戻った。と云うのも、四時からの営業ミ-ティングに出席のためだ。今更、私が出てもと云う思いはあるが・・・求められれば致し方ない。

                     

                       UDAさんの後ろ姿にも、酔いが・・・?

UDAさんの誘いは、亡母に献杯の一席と云うことのようだった。外人記者クラブは、UDAさんがメンバーなので、昼酒には時々案内を頂く。そして、郷里の酒「南」飲むのが習わしに。「南」を入れる段取りをしたのが、小生である。

日比谷線で人形町に戻り、地上に出ると交差点は秋の靑空が広がっていた。この空気の清涼は、秋を実感させる。

                    

 

ミーティングも終わり、夕刻の六時半となった。そろそろ、パトロールに出掛ける時間となった。されど、昼間呑んだ「南」の酔いが未だ残っているようだが・・・・。まあ、二三軒廻って帰ることにします。なるべく、軽めにあげるように務めて

 明日は、電電記念日なのでまたしても昼酒が・・・・。会場は、新高輪です。

 

 

 

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ベッタラ市始まる!

2018-10-19 | Weblog

10/19(金) 愈々、ベッタラ市が始まった。この時間帯(午前十時)、出店者は準備に大わらわである。概ね十一時過ぎには整い、昼の客を待つばかりとなろう・・・・。我が社(立場上、もうそうとは云えぬが)の方も、AOKIを先頭に着々と準備がすすんでいる。

ベランダで一服しようと出ると、雨がポツリポツリ・・・・。これが一番困るのだ。うちの品書きを紹介すると飲み物は「南 冷おろし」焼酎が「熟柿&利八」の芋焼酎、スタッフと客人に振舞うビール(非買)。食べ物は、ウインナー、焼き鳥各種、安納芋の焼芋、鹿串焼き、猪汁、猪鍋である。単純と云えば単純な出し物である。

お値段の方は、100円~500円だが、安納芋は大きくなったので300円にした。そして安田川産鮎は、夜だけだが一匹千円で提供するが、まあ殆ど買う客はいない。客人へのサービス品である。        

                          

 

さて、昨夜は銀座「祢保稀」において、サラリーマン時代の最後を過ごした会社の四国会があった。ここ数年、ベッタラ市とバッティングで参加できなかった。今年は久々に顔を出すことができ、懐かしい皆さんにお会いできた。元社長、現副社長ほか元監査役なども顔を揃え、三十人弱の参加者であった。

                          

会がお開きになった後、独り二次会で「順」に顔を出した。この店に顔出ししたのも数ヵ月ぶりであったが、二日ほど前に電話を貰ったこともあり日頃のご無沙汰の埋め合わせのような顔出しであった。二人連れの客が入ったのを汐に、引き揚げた。

                          

そんな次第で、この夜の人形町パトロールはお休みになった。帰宅は23時過ぎであったろうか。

で、今朝の弁当は土佐風の柚子酢を使った「五目チラシすし」、出来合の冷凍ハンバーグを焼き、添え物のマイタケ・エノキとオクラをソテー。鮭を焼、卵焼きでお仕舞であった。

              

 

 

 

 

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ベッタラ市

2018-10-18 | Weblog

10/18(木) 恒例の「ベッタラ市」が、愈々明日から明後日まで開かれる。最近の祭りと云えば、日程を土日にずらして開かれることが多いが、このベッタラ市は、毎年10月19・20日と決まっている。そんな分けで、今年は金・土曜日になった。

                           

ベッタラ市に出店を始めて、早や十年以上になるだろか・・・・。記憶が定かでないが、一番最初は「焼き鳥 ゆう」のオヤジに誘われて共同出店だった。二回目はドトールの店主との共同、三回目からは単独出店になり、ここ数年は二小間を申し込んで運営している。商売人じゃないので採算は度外視、クライアントやスタッフに楽しんでもらうことが主眼だが、とは云いながらも採算が取れるがいいに決まっているが・・・、まだ一度も黒字になったことはない。

今年は、20日が土曜日なので近隣の勤め人の出を期待できない。と云うことは、酒や肴が売れない。加えて明日の金曜日が雨の予報だ。この祭りはよく雨にたたられる。祭りに雨は鬼門であるが、こればかりは如何ともし難い。

毎年赤字ながら、祭りを通じて近隣との縁が深まり、お客様にも楽しんでいただける。今年も猪肉や鹿肉の調達ができた。ジビエと安納芋、高知の地酒「南」を売りにしてきたので何とか面目が立ったようだ。残念なのは、こうまでしても、全てが原価割れなんだ。商売でやっている分けじゃないので致し方なし、と云うよりは痛し痒しか?。

そんな次第で、昨日につづき今日も食材の調理に勤しみ、味を整えた。されど、評価の方は?だ。明日からの祭りで、味見をして頂きたい

 

昨夜はNAKAMURAさんが上京したので「うまし」で合流。マッチャンにHOYA兄いの四人でああった。佐賀と東京が半々暮らしのような、Nさんの家庭事情などを肴に、揃っての酒盛りは一週間ぶりだと賑わった。二軒目は「ローカーボ」、そこから兄いと「セイジュ」、「ちょっぷく」と歩き、帰宅は前夜より早い23時15分だったか。飲みながら…、偶には早く帰った方が体が楽だね、なんて言いながらも・・・・・ 。 

                       

 

今朝の弁当は「豚バラ肉の生姜炒め風・えのき&シメジ添え」「ギンダラの粕漬け」「小松菜の煮浸し」「ホウレンソウのバターソテー」、定番の「卵焼き」であった。自分の朝飯は、ホウレン草・ ミカン・梨・キューイのスムージであった。米はなしだった。

                           

 

 

 

 

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一週間ぶりに・・・

2018-10-17 | Weblog

10/17(水) 昨日の午後、郷里から上京。一週間のご無沙汰で、昨夜の人形町パトロールでは些か飲み過ぎた感あり。四時過ぎに会社に入ったが、六時から「高松」で保谷さんと飲み始め、スタッフのITO君が何やら話がしたいと合流し、暫く彼女の話を聞いた。マッチャンが姿を見せ、交替するようにITOが帰えったが・・・・。

二軒目は「ローカーボ」、そこから「セイジュ」でカラオケとなったが、客人がローカーボに来たとの連絡が入り一時間ほどでセイジュを切り上げてローカーボにUターンした。クライアントと話をした後、仕上に「ちょっぷく」となった。一週間ぶりとあり、気合を入れて飲み過ぎたのか、今朝は体調が・・・・・。それでも手抜きながら弁当は作った。出来合の品が多いので充足感はない。

                    

すっかり食べなくなったので、体力の方は落ちていると実感するも、食べる気がしない。これはひょっとすると、拒食症?、そんなわきゃねぇか・・・・。

先週から週明けにかけての帰省は、結構忙しかった。酒造元の「南」で、ベッタラ市用の酒を手配し、亡母の最後の書類手続き済ませた。10/11は後輩のKATUTA夫妻が四時間も車を飛ばして墓参に来てくれた。翌日の夜は、高知市内で若い人たちを相手に懇談。13日・14日と、サラリーマン時代の後輩二人が来高したので、定番の桂浜や、室戸岬、日曜市等を案内した。

           

帰京の前日は、出店する「べったら市」で使う猪肉・鹿肉などを宅配した。今日は、その肉の下拵えを始めた。猪肉は脂が厚くていい肉の用意だし、鹿肉も春の肉なのできっといいだろう。猪鍋・猪汁・鹿肉の串焼きとして提供するのだ。それに鮎を少し(30~40匹かな)焼くつもりだ。

                        

                       塩抜き中のイタドリ              猪肉

何度も書いているが、今年の鮎漁は台風の影響で洪水がつづき散々だったようだ。10/15日で今年の漁期が終わった。太公望たちが竿を並べていたが・・・、芳しくないとか。それでも帰省の度に、少しづつ入手してきたものがあり、べったら市では少しは振舞うことができる。従姉や義弟に感謝である。

                            

 今夕は、佐賀のNAKAMURA社長が上京とのことで「うまし」に集合が掛かっている。昨夜の轍は踏まないように・・・、心掛ける所存! 

 

 

 

 

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三連休明けて・・・

2018-10-09 | Weblog

10/9(火) 台風25号のもたらした季節外れの暑さが去ると共に、三連休明けとなった。先週、木曜日~土曜日まで久々の金沢市に居た。故 大澤重樹さんの墓参と、奥様とお嬢様にもお会いできた。

大澤さんの下で一緒の時をすごしたIMAI君との墓参旅であった。午後三時過ぎ、金沢市野田山の墓地までタクシーで向かったが、墓所には既に奥様とお嬢さんが待っていた。ご無沙汰の挨拶を交わし、墓前に額づいた。寺町のご自宅までお嬢さんの運転する車に同乗し、伺うことになった。お宅にお邪魔するのも久方であった。以前にお邪魔した折には健在であったお婆さんは、既に鬼籍に。仏壇に手を合わせた。

大澤さんご夫妻に仲人をして貰ったIMAI君の婚礼の写真などを出して下さっていた。写真を見ながら、往時のことなどを語った。大澤さんが逝去されてから、早や三十余年が経つ。四十九歳と余りに早い旅立ち。一昨年、33回忌の法要を済ませたとのことである。お孫さんのことを嬉しそうに話された。

一時間ほどお話をし、そしてお暇をした。浅野川縁をIMAI君と歩きながら過ぎ去りし日の思い出を語る。来れて良かった、来てよかったと実感する。一つ残念であったのは、同行予定であったMURAI君が母親の看護で来れなかったことだ。富山に在住しているので、翌日の午後に富山まで出向くことにした。

その夜は、二人で寿司店のカウンターに坐して静かに金沢の夜の訪れを味わった。

                          

十六年前になろうか、サラリーマンを辞めて暫くゆっくりとする時間を作った。その折、金沢を訪れた。大澤さんの墓所を訪れ、そしてお宅にも伺った。奥さんが言われたのは「十五年ぶりかしら、一周忌、三周忌以来ですねぇ~・・・」そんな会話をしていたと判ったのは、帰京してから往時の日記を開いたからのこと。

その日記は5月24日の日付で『大澤のお参りで金沢に。ご自宅を訪ねて奥様と話をする・・・・前段の奥様の話が』と記してあり、つづいて『それ以来も、何度か金沢を訪れ、お参りをした云々』なんてことが記されていた。その折であろうか、奥様のお母さんから頂いた手作りの手毬は、今もガラス書棚の中に飾ってある。

部下であった当時の大澤課長と云うべきか、最後の職位の局長と呼ぶべきか迷うが、大澤さんのお蔭で、金沢が特別な想いのする土地なったことは間違いない。

翌日の金曜日、金沢も朝から暑くなった。31℃になるとの予報。IMAI君を誘って、観光客のメッカといえる「近江町市場」から「兼六園&金沢城」を巡った。数えきれないほど来ている場所ではあるが、素晴らしい景観である。  

               

午後、新幹線で富山に向かった。三十分足らずで到着した。富山駅で母親の入院先から駆け付けたMURAI君と再開。私は彼とは何度か会っているが、中央学園で同期のIMAI君は久しく会ってない。駅脇に在るコーヒー店で、お茶をしながら話をするも、親のこと自身の病気(Mは食道ガンで全摘)、来し方行く末であるのは何処も同じ。

              

MURAI君が戻った後、IMAI君と市内循環の電車で一巡した。富山は小さな街なので、あっという間であるが、小さな城の周りをゆっくりと走る新型車両は、乗客も少なくのんびりであった。駅に戻り、昼食が未だとのことで駅ソバを食した。富山名物の白エビの天麩羅入り蕎麦は500円であった。

                         

富山からの金沢への帰りは、普通電車で戻った。各駅停車でまどろみながら車窓を眺め、乗り降りする乗客をウオッチするも、何処とも変りはしない。二日目の夜も寿司店となった。街中を闊歩する気にもならない。静かに閑に金沢の夜は更ける・・・・。

翌朝、9:45分金沢駅発のバスにて小松空港へ。そして11:25分発JALにて予定どおり帰京。

 

区切りの私の墓参は、未だ六墓所残っている。今月には参りたいと思っているが・・・・。明日から帰郷し16日まで滞在する。今回は中々忙しい帰郷である。

母の没後処理を今回で済ませたい。11日はKATUTA君夫妻が墓参に来てくれるのだが、遥々愛媛県の久万高原町からだ。泊まってくれればいいのだが日帰りするとのことだ。ランチを我が家でご一緒頂くように願っている。

そして、12日の夜は滅多に出ない高知市内へと。来春の県議選に出馬の準備を進めている、若いNISHIUCHI君の応援と、一区切りした私の御礼の意味合いで、知人と懇談する。私を含め六人での懇談である。

そして翌土曜日、東京からの後輩二人を案内し、名所?巡り。この夜は拙宅に泊まっていただくが、なにしろ短い滞在である。見所と時間のやりくりに苦慮する。帰京の日曜日は、お奨めの「日曜市」を案内したい。せめて二泊して貰えれば、少しゆっくりして頂けるのだが・・・・。

 

と云う処で、時間が来た。今朝の弁当写真だけ紹介します。今朝は豚肉中心であった。豚ステーキにピーマンの豚肉巻きなど・・・・。

                       

 

今夜は、月例の「モナリザ会」と「セイジュ会」がある。人形町と銀座を往復するが、「ローカーボ」も「ちょっぷく」へも顔だししたい・・・・。江戸に戻ると夜の場が忙しいい・・・・・。今や、夜だけではあるが

 

 

 

 

 

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体力劣化・・・

2018-10-03 | Weblog

10/3(水) 今朝の風呂上りに体重計に乗った。依然、体重は落ちたままである。日曜日の夕食、昨日の昼夜とそれなりに腹に入れたつもりだが、11kg減のままである。道理で体力の方もガタ落ちだ。立っているのがしんどくなってきた…、斯様な状況である。過ぎたるは及ばざるが如しか

九月からのジム通いの計画も葬儀の後始末や、郷里との往復、夜の部の徘徊と時間を調整する暇がない。朝の起床時にストレッチの真似事をするのが精いっぱいである。

昨夕は「ちょっぷく」にてハイボールと酎ハイの独り酒。店長のYAMAちゃんと雑談後、渋谷「奈加野」へと向かった。毎月一度は顔を出し、米代を回収して従弟に振り込んでいるのだ。今月末から新米になり美味いと、喜んでいた。郷里の酒「南」を飲んだ。と云うのも、この酒造場の社長が亡くなったことを最近知ったからである。来週の帰省で店に寄る。お悔やみを伝えなければ・・・・。

                      

                          口開けの 「ちょっぷく」にて

仕入れを仲買に任せるようになって、市場から遠ざかっている奈加野の店主に『今週で築地が終わる。明日一緒に行こうぜ!、愛養で美味いコーヒーでも飲んでお別れしようよ。』と誘った。渋っていたオヤジがようやくその気になり、「明日の朝、電話をくれ」ということになった。

                              

                               奈加野

それじゃ明日と、店を出て東急線の車中の人となった。もうすぐ最寄駅に着く直前に携帯の呼び出し音が・・・、奈加野のオヤジだ。何かと思えば、「明日は水曜日で築地は休みだよ」との連絡。折角その気になったのに・・・残念だ。

今週の六日で終わるとのことだが、私は明日の午後から六日まで金沢である。もう一度、築地に行く気であったが・・・・。サヨナラ、私の築地市場よ。である。

 

今朝の弁当は「黒毛和牛の塩胡椒焼き」、スキ焼用の肉を炒めたのだが味付けは三種にした。塩胡椒と醤油味、出汁炒めの三種である。昨日のトンカツの残りが冷蔵庫にあったので、「カツ煮」にした。後は「小松菜の煮浸し」以上である。なんだか、てんこ盛りの弁当になってしまった。

                   

 

明日は、IMAI君と一緒に、金沢市野田山に在る故大澤重樹さんの墓参をします。三十数年前、資材局にいた私どもの課長でした。大変お世話になりました。

 

 

 

 

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布袋草の花が・・・

2018-10-02 | Weblog

10/2(火) 今朝、玄関先に置いたメダカ鉢の布袋草に花が咲いているのが目についた。夏の盛りに花が咲くのを承知しているが、今頃になって花が咲いたとは・・・。とは云いながらも、薄日が差した中に浮かぶ薄紫色の花は美しかった。

                              

そして今日の弁当になるが、「トンカツ」である。一口カツを六枚ほど揚げ、併せてオクラをフライにした。キャベツを刻み、添える。口直しに蕪を塩糀で揉み味付けする。鮭を一切れ焼き、スクランブルエッグが今日の弁当となった。

一切れ味見したが、カツは柔らかくて美味しい。私の朝食は、ハーブとキャベツのサラダに、新しい味噌で作った味噌汁であった。この味噌は田舎の農協が作っているものだが、軟らかい味の米ミソで、気に入ってわざわざ持ってきた。

                   

 

昨夜は思いのほか、重たい酒となった。HOYA兄貴と「こま吉」でのホッピーから始まり、「ローカーボ」でハイボールを飲んでいるとNAKAMURA大将のところのONODERA氏が現れた。ローカーボに珍しく大人数が押し寄せたので席を譲り、蕎麦を食したいとのONODERA氏の要望で三人で「高松」へ移動した。

兄貴と高松から「ローカーボ」に舞い戻り、居合せたIMAE小僧も伴って最後は「セイジュ」へ。演歌タイムとなった。その最中に「高松」の店主ミッチャンも来た。四人入り乱れてのマイク合戦がつづいたが、そこは大人のこと。23時を廻った処で席を立った。

帰宅は、結局零時を数分を前にした時刻となっていた。五時半過ぎから二十三時まで、こんな元気は何時までつづくのか・・・・・。東京にいると、酒場廻りは止められないようだ。廻るのは酒場だけじゃない、明日は上野、明後日から金沢、そして月末までには狛江、横浜、横須賀とお世話になった方々のお墓詣でを予定している。

最後は、亡父の七回忌が11月11日の十一時からあるが、その前に伊豆・大川に眠る若山嘉生先生のお墓に参る予定である。お墓詣でが済めば、遠方の友人に会う旅を予定している。私の旅は、それから始まる。何処に行きつくかは、風まかせであろうが・・・・・・。それもまたよし、私と云うちっぽけな舟のことだ。何があろうが、すべてよし

 

 

 

 

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台風一過

2018-10-01 | Weblog

10/1(月) 今朝から台風一過で青空が戻ってきた。加えてフェーン現象で暑い一日になるとのこと。今年最後のアロハシャツとばかりに、一枚だけ洗濯に出さずに置いてあったアロハを着用しての出社となった次第。

台風台風と大騒ぎをするのがマスコミの商売なら、こっちはひたすら「台風の影響なし」と、友人知人にメールする。東京も田舎も大山鳴動鼠一匹の幸いである。唯一困ったのが、今朝の玄関前の惨状である。何処ぞの誰か判らないが、台風襲来の前夜からゴミを出した神経が六本もある輩がいたのだ。

道路一面から我が家の玄関先までゴミが散らばっていたと云う次第。外の様子を見ておこうと、弁当作り前に玄関先に出て、ビックラこさ。お蔭で早朝から清掃人に変身であった。これも台風被害l?か?。

台風襲来前の土曜日。日本橋粉なの会と云うNPOが毎月ソバ打ち会を開いている。前々から案内を貰っていたが、身の周りが落ち着いてきたので参加した。初めての参加であった。

雨の中、十時半スタートと云う浜町の会場に入った。十五・六人の集まっていたが、初参加者が十人程も。かく云う私も、ソバ打ちは前週の料理教室につづいて二度目である。初心者は一様に手運び、動作のすべてが遅い。当たり前のことだが。捏ね鉢が三っ、延ばし台が二面しかないので時間が掛かる。最後の私が打ち終えたのは14時半になっていた。

                       

粉の会のベテラン勢が残った反省会と称する飲み会にも参加し、丁度17時でお開きとなった。そこから「うまし」でマッチャンと一杯始めたら「お蕎麦届くのかな~」と、自宅から督促の電話が入り、サザエ一家のマスオさん状態になって帰宅。我が家にて蕎麦会となったが…、味の方は伏せておく。

日曜日はお馬さんの券を買いがてらに、銀座三越で夕食や弁当の食材を購入。午後のこの時間帯は、雨もなかった。

 

そんなことで、のんびりとした週末を過ごした。日曜日の深夜は、流石に雨風強く、風の巻き吹く音が轟々と響いていたが、その音を子守唄に何時の間にや眠っていた。

今朝の弁当は「ハンバーグ」「鮭焼き」「野菜ソテー」に、刻みネギ入りの出汁巻卵、以上であった。出汁巻卵の味見をしたが、これが思った以上に美味かった。

                   

 

 

 

 

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秋晴れ・・・

2018-09-28 | Weblog

9/28(金) 今日の東京は朝から爽やかなら秋晴れ。気分が良くて、珍しく早い時間に人形町に向かった。直ぐに会社には行かず、マッチャンとドトールでコーヒータイムを。そろそろ出ようかと云う頃に、「高松」のミッチャンが姿を現した。

ソバの水加減や汁のことなど聞いているうちに時間が経った。と云うのも、明日の土曜日に浜町で蕎麦打ちの会がありそれに参加するのだ。先週の土曜日、JIN先生宅でのオヤジの料理教室でも蕎麦打ちがテーマだった。明日は二度目となるので、少しは上手くなりたいの健気な心掛けだ。

探究心を忘れない、見上げた心意気ではないか?。これがあれば、会社の方も安泰であったろうに・・・・・。とは云いながらも、人生、危なげなドラマがある方が面白い、と思うが?如何なものであろう。

さて、昨日の夕方に帰京したが、羽田空港に着くと小雨がパラツく曇天。寒かった。こんなこともあろうと、実家に在った長袖ワイシャツとベストを着てきた。着て行ったアロハシャツは置いてきた。傘を持ってこなかったが、自宅に向かう頃には上手い具合に上ってくれた。人生、こんな具合に上手くいってくれたら申し分ないが。

田舎でも曇ったり降ったりだったが、四十九日の法要と納骨では、前日の予報と違って薄日が差した。お蔭で滞りなく終えることができた。これも神仏のご加護であろうか?、それとも日頃の行いの良さか?。

                       

ふるさとの山も川も、変わらずに美しい。残念なことは、台風などがつづき川が荒れた。鮎漁の方はこれからが最後の追い込み時期と云うのに、サッパリだとか。追い討ちをかけるように、鮎獲り名人の従姉の旦那が交通事故に遭遇、骨折入院となっていた。そんなことで、今年の鮎は例年の半分以下である。

                

それでも小さな鮎ながら届いたのを十匹ほど開き、十月に来宅予定の後輩たちの為に干したはいいが、予報に反して雨模様になった。最後は扇風機で風を送ったが、干し加減が悪くなった。

                        

今日の久々弁当は、冷凍のコロッケを揚げ、鮭を焼き、高知空港で買った「板カマボコ」や「土佐天&チクワ」等でお茶を濁した。有り合わせの品であるが、致し方ない。今度、弁当用のレシピ本を買って、レパートリーを広げるか・・・・。

              

長女の弁当だけ、鮭まぶしご飯である。

 

余談ながら、田舎で大量に作った菜のこともあり太ったかと思いきや、体重に変化は殆どなかった。今朝の風呂で計りに乗ってホットした。

                        

                       夕食                朝食


今夕はKATO先輩の思召しで、品川のオイスターレストランで食事と云うことになっている。先輩には、入社以来、剣道と仕事でお世話になってきた。恩人のお一人なのだ。ひと月前にお会いすることになっていたが、母のことがあって延期してもらった。これまでの御礼を申し上げる。

 

 

 

 

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