オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ホットドッグ&マフィン

2011-11-30 | Weblog

11/30(水) 今日のメニューは「ホットドッグとマフィン」にした。昨夜、帰宅時に駅の東急ストアにてソーセージ・ウインナーと一緒に買っておいた。と、云うことは昨夜の段階で今日のメニューは決まっていたことになる。準備万端であった。

昨日、お菜を作りすぎのきらいがあったので、今日はシンプルにいこうという心境であった。ドッグ用のパンは5本、マフィンは四個入りであった。パンを焼き、具材を準備する。

本日は二種の具材にとどめ、ドッグにはウインナーを、マフインにはコンビーフ&ソーセージスライスを入れる。後の食材は、レタス・タマネギ・ゆで卵だけである。そして、タルタルソースを作った。

                         

コンビーフと千切りにしたタマネギを炒める、塩胡椒を少々加えて味を調える。ウインナーと卵を茹でる。マヨネーズ・ケチャップ・粒辛子を用意して、塗り分ける・・・。

かくして、今朝のお仕事は随分と早くに終了した。都合、九個のサンドが完成した。

                         

 

 「吉野山」

明日から吉野「金峯山寺(きんぷせんじ)」へ。天川、那智勝浦と三日を掛けて廻る。吉野山は、彼の西行法師や桜で知られているが、金峯山寺は修験道の開祖「役の行者」で知られる。

吉野へは、一度だけ行ったことがる。あれは十年前となるか、私がサラリーマンを辞める一年前かと思うが、満開の桜の季節であった。

きっかけは、知人の新和プラニング・井上さんからの電話。
 「吉野に宿を取ってあるが、同行予定の友人が何人か行けなくなった。人数が減ると宿代が高くなるので、良かったらご一緒しませんか」
との誘いであった。

吉野・桜・西行と頭を掠め、宏さんに声をかけて、H女史も加わり三人でお言葉に甘えることとなった。行ったのは、4月20日頃の土・日であった筈。

近鉄電車で吉野口に着くと、下の千本桜がハラハラと舞っていた。金峯山寺を横目に、中の千本、宿の「桜花壇」辺りは満開であった。山桜特有の薄桜色と新芽の黄金色が落ち着いた華やかさを醸していた。山あいを桜霞みに染め、谷へと埋め尽くした山桜に酔った。

上の千本は蕾、西行庵の在る奥の千本は未だ蕾も固かった。
中の千本、谷に突き出すように建つ宿は、歴史を偲ばせる木造で雅趣があった。つづき二部屋、八人ほどで泊まったが、吉野では有名な宿とか。よくぞ宿泊できたと、井上さんに感謝であった。

今回は、金峯山寺や修験道が中心なれど、初冬の吉野もまた趣深いであろう。されど、明日からの天気が心配である・・・。

地球交響曲・龍村仁さんお勧めの天河神社、那智勝浦で漁師となった斉藤君との再会と興味が尽きない。

今夜の飲み会(Nグループ高知県人会)は自重して、体調を整えていなくてはならぬ・・・明日は、早やい。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オムスビ弁当

2011-11-29 | Weblog

11/29(火) 今日は「オムスビ弁当」、オムスビに菜がつく本格派のお弁当。何しろ、今朝は五時半から台所に立つと云う暇ぶりである。時間つぶしには菜でも作るしかない。

五時前に目覚め「オムスビにしよう」と布団の中で決めた。定番のオムスビでは味気ない、挽肉とネギ&味噌の「ネギ味噌」を作り、具にしようと思い立つ。それに時間もたっぷりとあるので、菜も何種か作り「本格オムスビ弁当」でいくことにしたのだ。

先ずは米を三合炊き、食材を漁る。一品目は、昨夜氷見市場(富山県)から届いた烏賊のゲソ&エンペラのバター焼き。オムスビ用の鮭のカマを焼く。

この烏賊は、ヒラマサと一緒に金沢の義妹が送ってきたアカイカと紋甲イカ、本体は刺身にして昨夜のうちに胃の腑に納まった。(遅い帰宅なので今朝は胃もたれ)

二品目は、野菜の煮物。南瓜と人参&インゲンを煮た。三品目は小松菜のお浸しの胡麻和え。四品目は、パスタサラダで胡瓜細切りと茹で人参が加わりオリーブオイルと塩胡椒で味付け。五品目は、豚肩ロースとタマネギの炒め物。

                          

挽肉と刻みネギ・生姜、料理酒が品切れているので味醂と醤油を垂らして、味噌を加えてフライパンで炒める。これでオムスビの具が出来上がった。

定番卵焼きを作ろうかと思ったが、とどまる。弁当箱に収まりそうにない。取敢えず、ご飯を握ることにした。二種のオムスビと五種の菜、其々の弁当箱に詰める。オムスビは都合八個を握る。

                           

今朝の食材は、小松菜・南瓜・人参・インゲン・タマネギ・生姜・ネギ・パプリカ・胡瓜・烏賊・豚・合挽・鮭、以上のはずである。調味料は、味醂・塩・胡椒・醤油・味噌・白だし・ウェイユ、ニンニク、以上。

                            

かくして、洗物を終えたときは二時間近くも経過していた。三人前の弁当なのに、疲れた~であった。

 

 「脱サラ漁師」

昨夕、渋谷の或る方の事務所を芋焼酎を片手に訪問した。その方、Tさんは映像のプロディユースを生業としており、付き合いは16・7年となろうか。会うのは、約一年ぶりか。

最近の情勢を訊くと「さっぱりアカンな、もう店仕舞いや」と言う。数年前に胃を全摘、心臓を悪くしたりと満身創痍であるが、意気軒昂な人である。が、仕事が少なくなり流石に堪えたとのこと・・・。

以前はスタッフを二・三人抱えていたが、ここ数年は一人で仕事をしている。実は、ここに居たスタッフでS君という人がいる。彼は数年前、映像の仕事に見切りをつけて漁師に転職した。

何が彼を漁師に向かわせたのか、詳しいことは聞いていない。全くの素人で、何の縁のないはずの職業に転職、それも漁師とは、後から聞いて驚いたものだった。

その彼は、漁師になるために方々の処を探したようだが那智勝浦に縁を得て、其処で漁師となった。

年賀状のやり取りだけは続いていた、正月に届く写真入りの賀状には元気な姿が写っているが、漁師の暮らしは中々厳しいように見受けた。

一度ゆっくりと話を聞きたいと思っていたが、12月1日から3日にかけて、吉野・天川・熊野を訪れる機会に恵まれた。この機会に、S君に会い、話を訊きたいと手紙を出した。

日曜日、携帯が鳴り、出ると彼からであった。元気一杯の声で「待ってますよ」とのこと。
漁師になる経緯、漁師の暮らし、土地のこと、色いろと訊きたい・・・。
その暮らしなどは改めてレポートしよう。

そんな予定もあり、またTさんとも暫く会ってないこともあっての渋谷の事務所訪問であった。Tさんは、今スタンバイ中の仕事を終えると事務所を閉め、生まれ育った京都に帰ると云う。「友達が皆、こっちやろ。よう会えんなるし、それが淋しいわ」と言う。

最後に偽善と偽悪、どっちがええやろ。と、いう話になった。Tさんは「偽悪の方がなんぼかええぜ」と言う。そう言うTさんであるが、偽善でも偽悪でもない、真っ正直にストレートに生きている、としか見えないのだが・・・。

Tさんのかつてのペンネームは「滝田 修」という、学者であり思想家であり、実践者である。私が接するTさんは、何よりも義理・人情の人である。男の中の男、と云える。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里芋と烏賊煮

2011-11-28 | Weblog

11/28(月) 深夜三時半ごろであろうか、目覚める。ラジオから古い演歌が流れていた。「ラジオ深夜便」NHKである。小さな小さな音量をにしてあるが、私の柔なハートに刺さるような曲が流れると自動的に目覚めるようだ。

四時から流れた義太夫の話が面白かった。が、内容は既に忘れている。忘れるくらいに面白い例えがあった。と云うこと。結局は、そのまま朝を迎えることとなる・・・。

起床する前に弁当メニューを考える。娘は肉・肉と煩いが、それじゃ面白くない。今日のメインは煮物。それも、里芋をメインとし、烏賊丸の冷凍があるので併せて煮ることとした。後のメニューは台所に立ってから考えよう。

小蕪が残っていたので、蕪とベーコンを炒めようと思ったが、ベーコン在庫なし。ベーコンの変わりに刻み揚げが入った。

里芋や蕪を下茹でする。烏賊は唐辛子入りのオリーブオイルでさっと炒める。烏賊は煮すぎないように気を付けなくては・・・。

里芋と烏賊は、ひと煮立ちして火を止めた。そのまま味が染みるまで鍋の中に滞在。小蕪と葉っぱも、軽く下茹でをしてある。軽くオリーブオイルで炒めれば仕上がり。

                         

他の菜は、ブリの照り焼きと冷凍のシューマイ、定番の卵焼き。処が卵焼きが上手く焼けない。卵焼用のフライが汚れているのが原因か?後で、ゴシゴシとこすり洗いをして油をひいて熱した。明日の卵焼きは完璧のはず・・・。

                          

そんなことで、今朝も三人分の弁当が完成する。菜を詰め込むのが一苦労であった。

記念撮影をする、さあ~持ってけとテーブルの上に並べて私の仕事はお仕舞い。未だあった、コーヒーを淹れて、洗い物。これで完璧。

                          

デジカメを台所に置いたままで出てきた。今朝の写真は、明日アップしよう・・・。弁当blogに写真がないじゃ、様にならぬ・・・。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「古本Bar平石」閉店

2011-11-27 | Weblog

11/27(日) 昼過ぎ、会社へ出ようと駅に向かう。途中、あの古本Bar「平石」の前を通る。と、トラックが店前に止まり荷物を運び出していた。そう、古本Bar平石は昨夜で閉店・店仕舞いであった。

23日の夜、立会川での飲み会の後にブラリ立ち寄ると店主は居なかった。携帯にTelすると近所で飯を喰っていた。「おいでよ、飯奢るから」と言われて、直ぐ傍の安いステーキ店ケネディで店主の人情の如き薄い肉を馳走になった。土曜日で店仕舞いすると、その時に聞いていた。

昨夜、渋谷で酒を飲み始めるまでは「平石」の店仕舞いのことは覚えていた。遅くにも顔を出そうと思ったいたのだが、ほろ酔いで帰宅するとすっかり忘れていた。呆け老の典型である。

そして、昼過ぎに引越し荷物を運び出している処に遭遇した。既に小さな看板も外され、店内のカウンターも書棚も運び出されて伽藍とし、店前に積み込むばかりの荷物が置かれていた。

店主の平石さんが、店前で陣頭指揮か何やらウロウロとしていた。「昨日こなかったね、昨夜は二時までやってたのに」とのこと。『いや~すっかり忘れてたよ』と臆面もなく伝える。『じゃ~、最後の写真を撮ろう』と店仕舞いの店主を写す。

                           

「今晩一杯やろうよ」と言う。帰りが遅いかもしれないし、それに日曜日じゃ店も開いてないだろう、来週にしない?と云うと、「俺の愚痴も聞いてよ」とのこと。其処までいうんじゃ付き合うしかない。帰宅したらTelすることにした。

「古本Bar 平石」は、ここのところ客が多かった。閉店間際だと云うことで来てくれたようだ。元々この店は、2~3年の短期間の約束で借りていた。小さくて古い建物で、建替えまでとの約束だったと聞いている。

店主はそれでも家賃が高いので大変だとこぼしていたが・・・確か、月額18万円とかだった。何れにせよ商売にならんと零していた。今夜は、商売にならん仕事が終わって良かったね!と、言ってやろう。

平石氏の本業は本の出版、正確に言えば企画・プロデュ―スか。スピリチェアルな系統の本が得意とか。本の話、情報誌のことで話が合った。一緒に飲みながら、いろんな企画が話題に上ったが、どうもビジネスとしては?なので進展しなかった。(私にも慎重なところはあるようだ)

そんな小さな店との付き合いであったが、無くなると淋しい。街の明かりが、ささやかな灯りではあったが、無くなると暗くなる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康志向・・・

2011-11-25 | Weblog

11/25(金) 早や週末、夜中に目覚めてラジオと本で時間を潰す。これが、金曜日の今夜であれば気も楽なのだが・・・。

六時頃から台所へ、メニューは全く浮かんでこない。冷蔵庫の中を覗き、さ~てどうするか。何時も肉系が多いので思い切って野菜中心、ヘルシーな献立を考える。

先ず浮んだのが、根菜サラダ。そして先日買った小蕪の料理、炒めるか煮るかと迷った末に、厚揚げと一緒に煮物にする。最後に小松菜とシメジ&ベーコンの胡麻炒めとなった。

                            

根菜サラダは人参・ジャガイモにマカロニと茹卵となった。これを仕上げにオリーブオイルで味付けした。

卵が一つ割れたのでこれを炒り卵にする。私流に言えばヘルシーメニューだが、世間ではどう云う分類かは不明。

長女が弁当を取りに来た。今日はヘルシーメニューと伝えると「えっ、肉はないの~昨日も一昨日も肉ばかりだったのにバランスよくしてよ!肉がいいよ」ときた。だからお前はデブになるんだ、と言いたかったが・・・。

たまにはこんなメニューも善いと思うのだが?自分が喰わないのにヘルシーもクソもないか・・・。今日も三人分なり。

                             

 

昨夜は渋谷・宇田川町、今夜は中目黒での宴であるが、二次会は避けたいものだ。今夜の会は「黒潮会」。中目黒の店は同郷の方が昔から開いている大衆酒場である。会費を考えると二の足を踏みたくなる。そんな小心のせこいオヤジである・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南瓜煮&鶏肉グリル風

2011-11-24 | Weblog

11/24(木) 今朝は、南瓜を煮ることとした、昨夕近所の八百屋で弁当用にと購った。他には「鶏肉のグリルと豚肩ロース炒め、ほうれん草のお浸しである。

炒めものの添えには、人参スライス・タマネギ・シメジ・マイタケ・ピーマンとなった。次女が昨夜遅くに来宅、彼女用のオムスビ(鮭・梅干)を二つ用意する。

鶏肉は酒・砂糖&塩少々と醤油で、豚肉の味付けは焼肉のタレで適当に、添え物の野菜を軽く炒め煮風に。

                            

弁当に詰めるが、ほうれん草が入り込むスペースがなくなった。何時もながら塩梅悪し。オムスビの残った鮭を弁当ご飯に乗せて完成である。弁当三つ、オムスビ二個が今朝の出来上がり。

                        

 

 「飲み会」

昨日の祝日、立会川(京浜急行沿線)のK氏宅にて昼から飲み会。13時に駅でY氏と待ち合わせて訪問。K私宅の飲み会は一年ぶりである。着くと、既に何人かが先着して始まっていた。

どう云うメンバーかというと、末娘が通っていた某女学園(中・高)のバレーボール部の親達である。娘が卒後して数年となるが、年一度ぐらいは声が掛かり出かける。娘と同級の親はY氏のみ、後のメンバーは一級下であるが、中々結束が固い。

                             

家の娘は中学二年の夏、慢性腎臓炎が発症してプレーができなくなった。退部するかと思ったが、高校三年まで部に残った。そのお陰で、こうして皆さんと飲める。しかし、病気になった時は親としても辛かった・・・。

何年か経つと、子供達はもとより親の方も変化がある。昨年のこの会で、「皆と会うのはこれが最後かな」と言った或る母は、昨日まで入院していたと電話が入る。悪性リンパ腫の闘病が長引いていた。

子供の中には、妊娠中で来春には出産予定と云うY・M。家の末娘の一つ下である、早いといえば早いが、母娘ともに嬉しそうであった。子供達も立派な大人に成長していた。

                              

こうして集まれるのは何より、K氏に感謝である。其々の人生を、それぞれに生きていることを実感する。夕方、五時前となり、先に失礼した。

大井町駅までブラブラ(フラフラか)と歩いて、20分程。途中から雨がパラつき始めた・・・。(これで、この日が終わるはずもなし。ふらりと古本Bar 平石に立ち寄ったが・・・)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オムスビ&川エビ

2011-11-22 | Weblog

11/22(火) 今朝はオムスビとなった。昨夜、遅くに帰宅してふと思い出したのが「紅鮭のカマ」のこと。弁当用にと、釧路フッシャーマンワーフの高橋商店から取り寄せたが、冷凍庫に仕舞ったままである。

先般、時鮭を頼んだおりに弁当やオムスビに使い勝手がいいものをと云うと、紅カマを進められて買った代物。それ以来、味見もしていない。これを使おうと思い立ち「オムスビ」登場である。

単純な男の、単純な発想とはこんなものだ。昨夜の残り飯はフリカケと若布まぶしの小さなオムスビにする。メインの鮭と梅干のオムスビ用には新米を炊く。飯が炊き上がるまでの間に菜を準備する。

                          

今日の菜は弁当箱に詰める。オムスビとは別に設える本格弁当を目指すことにした。菜は、色合いに主眼を置いた構成とする。何時もだとオムスビ=簡単・単純との考えを払拭しようとの魂胆もあった。

とは云いながら、食材は何時もと同じような物である。揚物と煮物、それに定番の卵焼である。

根菜と豚肉の煮物を準備、大根と人参これに残っていた九条ネギを最後に放り込む。煮汁に日本酒をたっぷりと使うのが私の流儀。揚物は、これも先日に残した四万川の手長エビの唐揚とさつま芋の素揚げ。最後に、卵焼きに掛かったが、揚物をしながらの、ながら調理で珍しく失敗作となった。

                          

失敗はまだあった。煮物の火を止め忘れ焦がしてしまった。下手オヤジであった。

                          

オムスビは都合十二個ほど完成、今日は何時もより小ぶりの上品な大きさである。そうこうする内に1時間以上が経過した。大急ぎで弁当に詰めたのであった(長女が取りによるのが早いのだ、おまけに娘を保育所に届けてくれとの依頼まであった)。

                     

飯抜きの弁当箱なので、柿とリンゴのデザート付きとなった。中々美しい出来栄えと自賛した・・・。自分の分が必要なしとは、ちと残念な気もするが・・・。

 

 「保育所」

今朝も長女が1歳になった娘を連れてきた。送り担当の旦那が早くに出社とかで、保育所の預かり時間まで家で預かり保育所まで連れて行けとのこと。仕事を持つ母親というのは、誰かがサポートしないと続かない。

娘夫妻は、昨年の師走に我が家の近所に引っ越してきた。当然、仕事を続けながらの育児を想定してのことだろう(弁当もその戦略に嵌まってのことだが)。自分達が若かった頃のことを思えば協力は吝かではない。

こんなことを書くと、さも私が育児に協力的であったかのようだが・・・そんなことは有り得ない。山ノ神任せであった。家人はづ~っと、と云うかほぼ働いているので、子供達は小さい頃は保育所育ちである。

長女が生まれた頃は、保育園の保育時間も融通が利かず、早い時間は駄目だった。そんなことで困った時期がある。そんな苦境を救ってくれたのが、ボランティアで保育時間まで預かってくれ、送り届までしてくれた方の出現であった。

大岡山のSakisakaさんという方であった、半年以上預かって下さり、謝礼は一切受け取らなかった。有りがたかった。そう云う方が居たから、巡り会えたからこそ家人は仕事を続けることができた。

そんな自分達の経験があればこそ。少子化とか云われる時代なればこそ、子育ての支援はお金ではないと思う次第。子育ての環境を整備することが、高齢化社会への対応や婦人の社会参画に如何に重要か・・・と思う。

環境が整ってない時代、我が家で四人も育ってきたのは偏に廻りの理解と協力、見ず知らずの方の支えに拠った。それを思えば、如何様の協力も辞さないのが・・・だが、それも家人に任せきりである。オヤジは当然、失格オヤジ也。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンバーグ&照り焼き

2011-11-21 | Weblog

11/21(月) 今朝はハンバーグがメインだが、この一品は昨夜家人が作った代物。作日の午後、外出する家人に今週の弁当用の食材を買ってくるようオーダした。昨夕私が会社から帰宅したところ、弁当用にハンバーグを沢山作っていた。

嫌味か?などとは思わず、今朝ありがたく使わせて貰うこととした。主婦歴が長いだけあり中々の味である。焼き魚用のブリも買ってあったので、これは照り焼きにした。

卵焼きでも作ろうかと思ったが、どうせ弁当には大して入らない。取り止めて温サラダ「人参・インゲン・ブロッコリ」にする。

今朝も三人前の弁当がちょろちょろ~と出来上がった。自分で作らないものがあると何だか物足りない気分、致し方なし・・・。

                           

唐辛子味噌をご飯に載せて完成となった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々の散歩

2011-11-20 | Weblog

11/20(日) 今朝は久し振りに散歩に出る。ここ何週間か土日の取材や旅行がつづき散歩にすら出ていなかった。昨日の雨も上がり、陽気もよくなったので散歩に出ることとした次第。

駒沢通りから駒沢公園、呑み川緑道を戻る80分の散歩となった。久々の散歩は歩くリズムも乱れ勝ちであったが途中からは汗ばむ程。歩くことは善きことかな、これでビールなんぞを飲まなきゃいいのだが、散歩の後はビールと朝食となった。

昨日の雨風で楓や桜の落葉が街路に散乱している、痛々しい気もするが冬の訪れを実感する。

                      

これから咲こうと蕾を膨らませた水仙と桜の落ち葉が対照的だった・・・。

 

先週末の金曜日、「関東大高知県人会」なる、この時期に催うされるイベントが錦糸町東武ホテルであった。千人近い参加者ではないかと感じたが・・・。

メインゲストは、あの「南国土佐を後にして」を唄ったペーギー葉山さん。この夜は五曲ほどを披露した。遠くから見ると若い、歌声も衰えを感じさせなかった。

「南国土佐を後にして」この詩に、萎えかけた自分を重ねて唄い、心の憂さを晴らしたことも数知れない。この詩の歌碑を『播磨屋橋』の袂に建てる運動が進行中とか。

僅かではあるが募金をした。この歌を拠りどころとせざるを得なかった時を持つ田舎者の、心ばかりの感謝をこめて・・・。

 「去り行く人あり」

同じ金曜日、十余年勤務した女性スタッのSさんが事実上の退社。陰日なたなく働き、明るい女性であったが、現在の仕事に限界を感じたとのこと。そう云うことであれば致し方ない、引きとめなかった。

この日、スタッフによるSの送別会が行われる日でもあった。私は或る時から、転職して行くスタッフの送別会には出ないことにした。Sさんを惜しんで大勢のスタッフが出席し、さぞ盛会であったろうと思う。

過去に、会社のスタッフが投票して選ぶ「社内のNO1賞」では三年連続して最優秀賞に輝いた女性である。労を惜しまない働きにぶりは、皆の認めるところだった。

残念であるが、彼女のこれからの人生に幸多かれと祈るばかり・・・。

仕事は別々になっても、友人として先輩として酒飲むのは何時でもOkだと云っておこう。悩んだ時は、何時でも先輩に訊けとも・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンドイッチ行進曲

2011-11-18 | Weblog

11/18(金) 相変わらず昼抜きの日々を続けている。そのお陰か気分爽快、体は軽し。

そんな週末の弁当は「サンドイッチ」とした。昨夜も遅くなったが、終電まで駅改札口前の東急ストアが開いているので大助かり。サンド用の食パンを二種、バナナとアボガドを買って帰宅したのだ。

用意万端で朝の務めに入った。八枚切りの食パンはトーストしてクラブハウスサンドにするのは何時もどおり。耳なしのサンド用食パンは、そのままで軟らかな仕上げにする。

先ず一種類目は、茹で小エビとアボガドをオリーブオイル・塩胡椒、少々の醤油で味付けた「アボガドと小エビのサンドイッチ」、ジャガイモ&ゆで卵&オニオン・キュウリの「ポテトサラダサンド」、潰したゆで卵だけの「卵サンド」、バナナとリンゴの「フルーツサンド」、最後に豚肉とタマネギを炒めた「豚肉サンド」と五種類のサンドイッチを作った。

                        

                           出揃った食材

食パンの枚数にして20枚、これに具を挟んだ10組のサンドである。結構な量となった。出来上がりを並べてみるとピラミッドの様相(ちょっとオーバだが)。

                                               

しかし、誰がこんなに喰うんだ?。おまけに長女は、一才の娘が熱を出したので仕事を休むとTelがあった。仕方ないので、家人に長女の家まで届けさす。更に小僧にも持たすこととした。

                        

テンコ盛のサンドイッチで今朝は弁当の押し売りとなった次第。好きなものを持ってけ~。それでも自分の弁当は持たないとは、見上げたもの・・・。とはいえ、味見に一つつまんだ。

今日の食材は、「ゆで卵三個」「タマネギ一個」「アボガド一個」「バナナ三分の二・リンゴ四分の一」「ジャガイモ小二個」「小エビ120gぐらい」「豚肩肉の薄切り四枚」「キュウリ一本・レタス2~3葉」、調味料は塩胡椒、醤油少々、オリーブオイル少々、マヨネーズ&バター。以上のはずである(使ったものさえ忘れるボケなのだ)。

 「ボジョレ始末」

昨夜はスタッフのFと軽くやりながら仕事の意見交換など。終えて、会社に電話をするとボジョレを飲んでいると云う。「一本しかないけど・・・どうなったの。新しいのを買ってきて」と電話口で煩い。しようがないので、隣のコンビニで一本ワインを仕込んで戻った。

ボジョレは社内用に二本用意してあったが、U老が帰りしなに「ボジョレ、一本頂戴」と云うので渡したのだ。酒は日本酒・焼酎と社内在庫があるのだが、今夜はボジョレと云うことか。

ところが、買っていったワインはボジョレじゃなかった。店員の言葉を鵜呑みにしたのがいけなかった・・・。ブイブイ文句を言われながら、そのワインを飲んだが、値段の割にはいけた。結局ボジョレは飲まず仕舞いであった・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする