オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

早や半年か…

2015-06-30 | Weblog

6/30(火) 今日は6月30日だ、今年も半年が経ったことになる。早いね~、夏が過ぎ秋になったと思えば、今年も終わりですねと、直ぐになっちまいそうだ。ぼんやりとしてるうちにお迎えが来る、すぐそこまで来ているような気もするが・・・・。

ゴミのような人生を送ってきた男には、ごみのように死んでいくのがお似合いだろう。「団 鬼六」の評伝や「車谷 長吉」の書いたものを読むと、尚更に思う。

今月半ばから、地元の人形町酒場巡りは沙汰止みになっている。高松で軽く飲んだだけだ。渋谷なんぞで人に会うことを除いて、酒場に足が向かわない。チョットした気分から酒場から遠のいたが、これはこれとして何の抵抗感も違和感もない。本来の自分は、酒は嫌いなのかも・・・・、或いは体調の所為だろうか?

大の男が、酒も酒場からも遠いようじゃ碌なもんじゃねぇ。そう思うよ、そうは思うが足が向かない。安酒場の二軒や三軒の飲み代に、不自由をすることはないが、心の貧乏かいな?。安酒場を巡っても、心の貧乏は癒されなくなったってことか?

無駄口を叩いてないで、本題に戻そう、一年は早いって話だ。今朝のNHK TVで、103歳の女性書家のインタビュー模様が流れた。「生涯独身で、誰にも頼らないと決めて生きて」「だから淋しいとか思わない」そう語っていた。強いですね・・・。

私如きの小人は、自分じゃ何もできないから会社をやってるっていうのにネ・・・。そろそろ宗旨替えの時か、誰にも迷惑をかけないで強く生きるために?

一年の半分も経つと、いろいろ浮かんでくもんだね。半年の切れ目の今日、午後一時から飲み会なのだ。お酒が好きじゃない小生が、お昼から飲まなきゃならぬ!年に一度の先輩方との懇談会である。

 

で、今朝の弁当だが。代わり映えのしない物になったよ。出来合の冷凍ハンバーグ、前に買って残しておいたものを焼。ソースを作るだけのことだ。

                           

二品目は、豚バラと野菜(タマネギ・シメジ・キャベツ)の炒め物。三品めが「ジャガイモとカボチャ煮餡かけ風」、グリコならぬ弁当のおまけが「鮭&タラコ焼き」である。

                                    

五時に目覚めて、六時から作り始めた結果が上記の成果。

                       

家人は「今日は軽めにして」と言う。何故だ?「外へ出る仕事がないので・・・」と返ってきた。外仕事で忙しい時は時間がないから、事務室に居る時間が長いと腹が減らないから? 、何れにせよ弁当は軽めがいちばんのようだ。

 

 

 

 

 

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読書疲れか?

2015-06-29 | Weblog

6/29(月) 昨日の日曜は十時過ぎから午後二時過ぎまで会社で過ごす。誰も居ないので快適であるが、仕事はさして進まない。尤も熊本から上京中の、地球市民の会・S会長からの連絡待ちが主目的だ。

この日、Sさんには我が獺祭家屋に泊まって貰う予定だった。が、二時過ぎについた連絡で、御徒町界隈のホテルが取れたので其処にチェックインした処とのことである。取り敢えず、そのホテルまで出向くことにした。

御徒町は、会社からだと二駅目。彼の吉田松陰も処刑された小伝馬町の牢屋敷で知られる「小伝馬町駅」から地下鉄で二駅(秋葉原の次だ)目云う近さなのだ。三時前には目当てのホテル前に着いた。

部屋から降りてきたSさんと、御徒町名物の朝から飲み屋(要は24時間営業)で一献交わしながらとなった。この辺りは安酒場が林立している、立ち飲みからイザリ飲みまで選り取り見取り。何れの店もバカ安なのが泣けると云うものだ・・・・。

生ビールのジョッキをブチ当てて乾杯だ! 。それから昨今の情勢について意見交換を始める。世界情勢から、我が国の安全保障のありかた、自衛隊員の果たす役割・意義、仕舞には少子化問題から天皇制までと、論議は尽きない・・・・。と云いたい処だが、そんな話は欠片もしない。

そういうことを話出すと、S会長は「解脱会」の古参会員であり波動会の重鎮?、明確な自説を持っておられる。だから、噛み合わない論議はしないのがOYAJ流なのだ。

話しの内容は、専ら「貴方と私と、どちらが貧乏か」と云う、貧乏自慢比べである。今夜、我が御殿に泊まっていただければ「参りました」と、降参させることができたのに、実に残念だ。

貧乏人らしく、イカノリング揚げやベーコン厚切、ホッケなどを肴にハイボールへと進んだ。ほろ酔いになった頃合いで、本題の地球市民の会・前会長で創立者の故「古賀武夫」氏の一代記出版企画のこと、取材スケジュールなどに入った。来月、二回目の取材となるのでS会長の予定などを訊く。

Sさんには時間を十分取ってもらい、古賀武夫さんへの思ひや、会の行く末、森羅万象について、忌憚のないところを語って貰うのだ。聞き手は私ではない、執筆をするHASHIMOTOさんだ。一献交わしなら、その為の下刈り、土起こしと云う分けであった。

二時間ほどだったか、ほろ酔いになった処でお開き。一言申し添えた『この酒は、一時間で覚めますからね』と。案の定、私も地元の駅に着いた頃にはすっかり醒めていた。安酒は冷めるのが早いと云うこと―。

この日に買った本は「赦す人 ― 団鬼六 伝 ー」と、車谷長吉の短編集 、いずれも文庫本であった。S会長と別れ、メトロに向かう途中の書店だ。

団 鬼六氏も車谷長吉さんも鬼籍に入ったが、書店の文庫本棚を物色しているとオイデオイデと、本がオイラを呼ぶのだ。

団さんは、一世を風靡した云うか、世の中を(女性をか)縛りまくった高名なSM作家であった。ことは承知しているが、残念ながら真面目に読んだことはない。書店で手にしたことぐらいはあるかもしれないが、そっちの世界に疎く、関心も薄い・・・、そんな面白みもない人間なのだ。私は。

それが何故、関心がないと云う本を手にしたのか、挙句に買ったのか? と、詰問されそうだな・・・。

団さんと云う、作家に関心があったのよ。単純だろう。何故関心があったんかい? と、その訳を聞かれれば・・・・。なんかさぁ~滅茶苦茶な人生、我儘な人生を送った人らしいから、というしかない。SMは単なる飯のタネ、お金の入る打ち出の小槌・・・・。この伝を読むと、そんな感じがしたが・・・。この本は、一時話題になった、その時に買へず、文庫になったので買った次第。全くセコイOYAJだぜ。鬼六先生ぐらい大らかに生きなきゃ・・・。

もう一冊の「長吉さん」の方は、暗いねぇ~。闇に沈むような暗さがいいのだが、やっぱ暗い。この二冊を交互に読んでいたら(こっちの本に飽きると、あっちへと、)寝不足になっちまった・・・・。

 

眠いと云いながらも、朝は弁当だ。「カツ煮」「茄子味噌炒め」「ブロッコリ&春雨」「卵焼きと鯖焼き}と云う、組合せになった。

               

残念なことに、長女は仕事休みで弁当が要らないとのこと。一人前の弁当を詰め終え、残りの菜で朝飯となる。一向に腹がへっこまぬ分けだぜ・・・・。

                         

 

やっぱ、寝不足だ・・・・・・・。

 

 

 

 

 

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鮎すし

2015-06-28 | Weblog

6/28(日) 土曜日の昨夕、鮎を食す会なるものをもようした。会と大仰な表現をしたが、K大兄と二人である。HIROさんもお誘いしたが、遠慮されたのか、所用ありとかであった。

場所は、何時ものように渋谷「奈加野」である。この店の良いところは、何を持ち込んでも扱ってくれることだ・・・・。そうは云っても、同郷の好やらで格別なことであろうか?

鮎を焼いて食すだけではイージーすぎると、家で鮎の姿寿司を作ってみた。鮎のシーズンに入ると、二三度は作るが今年は初めてだ。何時もは背開きだが、腹開きもやってみた。が、腹開きの方はどうも綺麗にいかなかった。

今のシーズンの鮎は小降りだが、妹が送ってくれた鮎は中々いい形であった。まあ、大きいのを選んでくれたのであろうが。                         

作り方は至って簡単、開いて中骨と内臓を取り、洗って塩洗いをする。それを酢と柚子酢(この日は、5:5)に暫く浸す。ご飯の方は、「てまいら酢」と「柚子酢」に、ゴマと大葉・ショウガを刻み、混ぜ合す。好みで、塩や砂糖を少々加えて味を調整する。

                         

そんな具合で、四本の鮎寿司と真竹のタケノコ寿司を少々作った。これが、土曜の午後の遊び事になった。

K大兄に両方を食して貰うべく、渋谷に提げていった。店で焼いて貰うと、鮎の焼き方も綺麗だし、器も盛り方もひと味ちがう。鮎が立派に見えるから不思議だ。その立派な姿を撮り損ねたは、残念!

今時分の鮎は味が淡白だが、それはそれとして季節のはしりものだ。鮎を肴に話も弾もうと云うものだ。

 

余談ながら、この鮎を獲ってくれる妹の亭主や従姉の亭主たちも、齢をとった。河石で転んだり、竿を折ったりとアクシデントが付き纏っているとか。そのうちに目まで利かなくなっちゃ・・・、鮎が喰えなくなるな。怪我なく、息災で漁をつづけてほしいものだ。

川の幸、山の幸に親しみ、ミカン畑で焚火をする。こんな一瞬には、田舎者でよかったと思うね・・・・・。毎年欠かさずに、それも数度に渡って気付かってくれる人が居ることに感謝だ!

 

 

 

 

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牛煮&掻揚げ

2015-06-26 | Weblog

6/26(金) 今朝も目覚めは五時頃か、それでも台所に入ったのは六時だった。昨夜の帰宅も早く、暇だったので今朝の献立を考えてあった。今朝は台所に立ってもウロウロすることはなかった。

牛煮用の肉と焼き豆腐・糸蒟蒻は、昨夜帰宅時に買い準備を整えていた。セカンドの菜だけはちょっと悩んだが、掻揚げにした。明太子を軽く焼き、卵焼きを作ってお仕舞だが、のんびりと調理をした所為で一時間を要した。

 

                         

今朝もボリューム感のある弁当だ。さあ~喰ってくれ、と云うところさ。

掻揚げは、牛蒡・人参・タマネギ・小エビだが、シシトウも揚げた。朝から掻揚げなんぞを作るのは、暇なOYAJぐらいかな?

                       

 

昨夕は五時にNAKAJIMAさんと会い、新丸ビル内の居酒屋で懇談。何時ものように、大手町オアゾの丸善書店で待ち合わせたが、私の背広姿を見るなり「どうしたんだい、そんな正装をして」だった。

『今日は、NAKAJIMAさんにお疲れ様でしたを言う日ですから、気を使ってますよ』と応えた。

飲み始めれば何時もの調子だが、『御苦労さまでした』だけは、しみじみと伝えた。四十余年の勤め人生活だからねえ、頭が下がりますよ。そりゃぁ65歳定年の時代だから、四十年以上のサラリーマン生活はごろごろいる。

NAKAJIMAさんの場合は、単なるサラリーマン人生とは違った生き方をしてきたからね。それを見・聞きしてきた側としては、敬意を表したい。

四十余年を総括すると、どういうことになりますか? と訊くと「よく我儘をとおさして貰ったもんだ」であった。

使命感の強い方だから、仕事となれば強引に進めたことも多々であろう。例えがよくないが、時代によっては悪女の深情け的な上司に仕えて、懐刀と云われていたからね。損な役回りながらもやりとおしてきたから・・・・。

酔いが廻って『貴方だけにはもっと偉くなってほしかったし、なるべきだったよ。そうなってりゃ、あの会社は変わるし、もっといい会社になってる。欲を出さなきゃ…』なんてことを言ってた。

色んな話を聴き、した。ものすごく参考になる話、昔話、これからのこと・・・、その中で四半世紀も前の話が一つあった。新興のゲーム会社の社長に請われた時の話である。

母親にそのことを話すと「あんた、お金が欲しくなったんじゃないだろうね」と、言われたそうだ。中々の名文句だし、潔くと育ててきた母親の思ひが伝わる。そんな母に育てられただけの生き方はしてきたよ。そう云いたかった。が、そこまでは言わなかった。

若しその会社に行っていれば、お金は沢山得ただろうし、また違った人生だ。が、僕らとの付き合いはつづけただろう。そういう方だ。

余談ながら、その会社へは友人を紹介している。何年か後、その友人はキャピタルゲインで数億円(もっとだったか?)を手にしたようだ・・・。

いい話を沢山し、別れたのは二時間ほど経ってからである。五時に会ってからの二時間後だ、真直ぐにかえりゃメチャ早い。前ならもう一軒となるが、先週から酒場巡りの歩みは止まったままだ。暫くはこの生活をつづけよう・・・・、と家路についた。

 

 

 

 

 

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プルコギ丼

2015-06-25 | Weblog

6/25(木) 今朝も早い目覚めだが、昨日のようなことはない。五時に目覚め、五時半になってから台所に向かった。順当な朝の滑り出しである。

然し、献立を全く考えていなかった。昨日、生協の配達があったので冷蔵庫の中を確認しながらメニューを考える。従姉が送ってきた、大量の茄子と胡瓜を使わなくてはならないが、茄子は兎も角、胡瓜の使い方が思い浮かばぬのだ。弁当だぜ、何かいい方法はないものかネ!

取り敢えずメインメニューは「プルコギ」に決めた。冷凍の出来合品なので炒めるだけだ。ちっとも面白くないが仕様がねえゃ・・・。次は茄子を使った献立を考える・・・、安易に茄子味噌炒めに走りそうだが、ここが思案橋!

茄子炒めではあるが、挽肉で「茄子&挽肉のソース風」だ。ソースと云うことは・・・、何んのソースだ? となる。

強いて云えば、パスタのソースか。尤もこのソースだけでも菜として独り立ちが出来る作りだ。それを敢えて、パスタを加えた処に面白みがある・・・はずだ!。味付けは、塩胡椒にウスターソース&ケチャップである。

三品目は、アスパラ&シメジの豚巻。ブロッコリとアスパラをパスタと一緒に茹でる。ブロッコリは単品で食す。茹でたアスパラとシメジを薄切の豚肉で巻き、炒め焼き。塩胡椒に醤油をひと垂らしでお仕舞だ。

                         

卵焼きも検討したが、納まりきらんと判断し取り止め。最後に解凍したプルコギを、タマネギ・キャベツ・タケノコを僅かに加えて炒めた。以上で、菜の方が出来上がった。

                          

弁当箱に詰める段になって、長女は「プルコギ丼」弁当に仕上げた。コッテリだぜ・・・・・。家人は、「弁当をゆっくり食べている暇なし。軽めにして」とのことだ。貧乏暇なしとは、云い得て妙だ。

パスタは、茄子と挽肉ソースの下に隠してある。上の茄子&挽肉を食べると、下からパスタ登場。で、初めてソースになっているのに気付く。すると。もうちょっとパスタ欲しいとなるはずだが・・・・。

                     

そんなことで、今朝の弁当事はお仕舞。

 

昨夜は、八時頃から「高松」で金魚ソーダを三杯、それだけ。HIROさんが人形町まで来ているとのことで、無理やり高松までお出ましを願った次第。二軒目にも流れず、そのまま帰宅。十時過ぎには家に着いた。妹から「鮎」が届いていた。

 

今夕は、NAKAJIMAさんとお会いする。今月で、二年間顧問を勤めた某社を退社する。今後のことは二月前に聞いたが、その後どう変わったか? 何れにせよ、大きな区切りである。その節目に際して、「お疲れ様でした」と伝えたい。そんなことの為に、時間を頂くのは気が引けるが・・・・。

NAKAJIMAさんと一緒に仕事を、職場を同じくしたのはたった三ヶ月半。昭和と云う時代が、そろそろ終わろうかと云う頃のことだ。それ以来、なにかにに付けて、お世話になってきた。

何時でも胸襟を開いている、耳を傾けてくれる、稀なる人であリつづけた。そんな人と巡り会えたことに、感謝するばかり。

後数日で一区切りがつく、あちこちから声が掛かり多忙を極めているのは間違いない。本来なら、旧知のメンバー何人かに声を掛けて、一緒にご慰労を申し上げるのが筋だが・・・・。

私の我儘ではあるが、二人だけでお会いすることにした。これまでのこと、これからのこと、心軽く話を聴きたいのだ・・・・。

そして、これまでの御礼をゆっくりと申し上げたい。

 

 

 

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訃報ありて

2015-06-24 | Weblog

6/24(水) 昨夜は、「奈加野」の店主から「オートレースの反省会だ、来いよ」と呼ばれ、渋谷に立ち寄った。反省会だかなんだか分らんが、これは新たな客寄せ手法化も知れんな? 。ともあれ、社会見学をさせて貰った礼だと思えば腹も立たん・・・。渋谷に着くと、雨が降りだした・・・・。

店に着いたのは、七時半過ぎか。「奈加野」は、テーブル席と左右の座敷が埋まっていた。暫くし、カウンター席も半分ほどが埋まった。客入りの良さは、つづいているようだ。店主にいわすと「食べログ効果だ」とか。確かに客層も若くなっている。とはいえ、三十代以降が中心だが。

                            

                             カウンターの隅から

カウンターの隅を占めて、先ずは日本酒(故郷の〝南〟)をオーダー。摘みは鳥羽産のイワガキ、店内に干してある柳カレイ、エシャレットと大奮発した。一人酒では滅多に肴を取らないのだが、今夜は店の営業に協力だぜ。

                      

 

帰宅は早かった、九時頃か・・・・・。最近は模範亭主ぶりだが、この時間は家には誰も居ない肴を喰ってなければ、飯を作り出すところだが、酒の肴で満腹だ。おとなしくCDを聴きながら、体操を始めたのであった。

渋谷に向かうのは、日本橋・三越前から銀座線に乗る。この夕は、三越の七階にあるお香売り場に寄った。友人の奥様が亡くなったので、お線香を送る。

月曜日、入社以来の友人OOISHI君から電話をもらった。この時期、何人かの友に山形のサクランボを送っている。その礼であったが・・・・「今年は一人で頂くことになりました」と、切なげな声。どうしたんだと訊くと「先週に家内が亡くなりました」とのこと。絶句した。

彼とは新人時代、同じ課に勤務。算盤のできない新米の給与事務担当であった僕は、彼の鮮やかな算盤捌きにしょっちゅう助けられた。彼等の結婚披露宴では司会役だった。あれから早や四十年も経っている。O君は、思いに余ることが有って早くに退職したが、その後も交流は続いてきた。

今年の早春にも、南房総の花畑から沢山の花を送ってくれた。奥様と、毎年訪れていると聞いていたのに・・・・。

暫くご無沙汰だったので、新人時代に目に掛けてくれた係長さんを交えて一杯やる誘いをと、考えていた矢先のことだった。奥様のご冥福を祈るばかり。

 

昨夜早くに休んだ所為か、深夜に目覚めた。暫くして時刻を確かめると、午前三時である。幾らなんでも起きだすには早すぎる。眠ろうとしたが眠れない。ままよと、蒲団を出たのは三時半。そのまま弁当作りに興じることにした。

昨日の朝、時間がなくて作れなかった「酢豚」を作る。この料理は久しく取り組んでないので、料理本を参考にしながらである。先ずは材料を取りだして並べた。レシピの食材や調味料で不足している物がある。そこは適当に、応用だ。

傑作は、レシピではフルーツの缶詰とあるが(お店などでは、パイナップルが入っている)、そんな在庫は無い。そこで、旬のサクランボ使ってみた。そんなことをしながらも、立派に? 出来上がった。が、小一時間も要していた。手際は悪いが、本を見ながらだ。勘弁願おう・・・・。

ご飯は昨夜炊いているので、「チャーハン」にした。但し、家人はシンプルを好む。白飯とのハーフ&ハーフにして遊んだ。

他には、大量にある茄子とオクラを素揚げし、青紫蘇ドレッシングを掛けた一品。ジャガイモとゆで卵のサラダ風を追加(ジャーマンポテトにしたかったが、ベーコンがなかった)。 

                         

早々と弁当事を終え、今週から始めた糠床を混ぜ、漬物を入れ替える。新聞を丹念に読み、TVを見る。風呂の後は、CDを聴いて一休み。休みの日であれば、ビールとなるのだが・・・・。時間を潰すのも楽じゃないよ・・・・。

                

 

 

 

 

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墓参

2015-06-23 | Weblog

6/23(火) 昨日の出勤途上、「黒田陽一郎」君の墓参りに行こうと思い立った。彼が亡くなって、早や半年が経過している。相棒のHIROさんに連絡し、この日の午後、二人で詣でることにした。

前々から墓参をしたいと思っていながら果たせてなかった・・・・。

土曜日の深夜、夢をみていた。或るクライアントの事務所を訪問し、退任する役員の内輪の送別の宴に出席することになった。未だ明るい時間である。二階建ての店の外階段を上って店内に入ると焼肉店、其処が送別会の会場だった。腰を下ろした席から、外の駐車場が見えていた。

暫くすると旧型の自動車(セドリックのようだが?)が入って来た。その車から降りたったのは黒田君だった。そして二階に上がり、何の違和感もなく私の隣に座って送別会に加わった。

彼が異人であることは間違いないし、彼自身もそれを認識している。真近から私を見た彼の眼は、すっきりとして綺麗だった。その横顔はシャープで美しかった。生前の表情そのものだ。とは云いながら、生前にまじまじと見たことはなかったはずだが・・・、脳裏に焼き付いていた。

宴も終わり引き上げる時間となった。これといった会話をした記憶はないが、席を立つ彼に掛ける声に詰まった。何時ものような『じゃ元気でな、又な!。元気でやれよ!』 じゃ、拙い。お互いに違う世界に居るのは承知だ。元気でな!も、またな! と云うのはそぐわない・・・・。

結局、『じゃぁ…・・』の一声になった。彼は、声を上げることなく、何時もやっていたように片手を軽く上げて駐車場へと降りて行った。そして車に乗る姿を二階から見ていた。

旧型の車を運転し、川の向こうに戻っていたのか。宇宙へと飛んでいったのか・・・・、判らないが、お互いがそれぞれ、違う世界にいることは分っていた。彼のキラキラと澄んだ目、鋭角な顎のあたりの産毛、鮮明であった。今思いおこせば、黒田は瞳が綺麗だった。

そんな夢を見たことが、行きそびれていた彼の墓に詣でる背中を押してくれたのだろう。それに、昨日の天気予報は晴れだった。

 

葬儀が執り行われた一月の初旬は寒かった。桜の咲く頃には、寺を訪れようと思いながら果たせてなかった。尤も、お墓が建っているかも知らなかったが。季節は巡り、汗を掻きながらの墓参。

成城学園駅南口から、渋谷行きのバスに乗る。十分足らずで「東宝前」バス停に着く。バス停から道路を挟んだすぐ前に「大蔵大仏 妙法寺」が在る。ここの墓地に彼の墓があるはずだ。そう思って訪ねたのだ。

線香に火を点けてから、墓地の中を探した。黒田の墓は何処に?と。とうとう線香が燃え尽きるまでになった・・・・。墓地の中央より左側、突き当りの列の手前の角に、漸く探し当てることができた。そして、新しい線香に火を点けた。

HIROさんは水を掛けながら、手で撫でるように墓石を洗う・・・・。建立は、平成26年12月とあった。準備万端、気の早い黒田君らしく、亡くなる直前であろう。

黒田君の墓前を後にし、成城学園駅から二駅先の「狛江」に向かった。ここの「千手院」に、故上田雄一さんと、奥様の晴子さんの墓が在る。上田さんが現役で亡くなられて十年になろうか。そして奥様は、昨年末に亡くなられた。上田さんは、私が現役最後の時の上司であった。退職後、今の仕事でお世話になった。

本来なら春の彼岸に詣でるのだが、実父を亡くして以来、春秋のお彼岸は帰省をするようになった。ご夫妻に、すっかり遅くなった墓参を詫びた。

帰路、下北沢で下車。二人でお浄めの酒を酌み交わした。黒田のこと、そしてお世話になった上田さんご夫妻のことなど話した。この夏、昨夏に黒田と約束をした野菜を、奥様に届けるとHIROさんは云う。上手く育って欲しいものだ。

 

そんなことで先週の火曜日以来、人形町酒場徘徊は沙汰止みとなっている。土曜日には「ちょっぷく」の店長YAMAちゃんから「どうしたんだ?」と電話を貰ったが、顔を出すのは何時になるやら。今夜は渋谷である。

 

さて今朝の弁当だが、「酢豚」と「ハンバーグ」、小松菜の卵とじ炒めを予定していた。処が、台所に立ったのは6:50分になっていた。折角昨晩に贖った、酢豚用の豚ロース肉の出番は飛んだ。

ハンバーグは出来合品を買ったので、先ずはこれを焼いた。そして、最近出番過多の「茄子味噌炒め」を作る。そして鮭を焼きタマネギ&キャベツの玉子炒め」となった。

                          

                            茄子と豚肉の味噌炒め

昨晩も田舎の従姉から、大量の茄子と胡瓜などが届いた。ハウス園芸の産地なので、茄子苗を上げる(植え替え時期)ので、小ぶりの茄子を沢山貰ったようだ。

                        

何時もより長女の登場が早い、弁当の完成まで後五分。それが待てないと言う「じゃぁ晩御飯にするからとっといて。空の分もお願い」ときた。孫用に、小さな弁当で海苔巻きご飯にした。

                            

 

今夕は雷雨の予報も在る、早めに帰宅したいものだ・・・・・。

 

 

 

 

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社会見学

2015-06-22 | Weblog

6/22(月) 土曜・日曜と会社に出なかった。休日の土・日、東京に居ながら会社に顔を出さないのは希なことである・・・。もう一つ珍しいことがあった。火曜日から金曜日まで、夜の居酒屋廻りをしなかったのだ。これも稀なことである。

土曜日の夕方は、渋谷に出た。月曜日の渋谷に始まり、中抜けで土曜日の渋谷と、この週の酒場は、渋谷に始まり渋谷で終わったことになる。友人のMURAI君が富山から出て来ると連絡があり、「奈加野」でIMAI君を交えて酌み交わす。二人とも、若かりし頃に資材局で席を並べたメンバーである。M君は仕事を辞めて二年とか、立山の麓とで九十四歳の母の面倒を見ながら米などを作っている。だが、家族は東京暮らし。

私も田舎に年老いた母を置いているので、M君の立場や気持ちは理解できる。一方のIMAI君は、両親を既に亡くしているが、群馬の実家の始末などで悩みがある。我ら三人は、いずれも長男なのだ。この夜は、来し方行く末について、あれこれと話がつづいた。

この日、渋谷に出る前に真竹の「筍すし」を作り、珍しかろうと少し持参した。今年二度目の、筍すしである。

                            

二次会は「ル・ツール」でハイボールとなった。これも月曜日と同じパターン。店は繁盛しているようだ。

                           

                           店は急な階段の上だ!

22時頃に別れ、私は一人で「奈加野」に舞い戻った。それから店主と二人で、中華店「兆楽」で餃子を摘みにビールを飲みながら話をした。そんな中で、店主の日曜日の過ごし方になった。「昼から競艇に行って、帰りにゴルフの練習。マッサージをしてから八時からのTVを見る」であった。

 ―社会見学―

「明日は平和島の競艇があるので行く」と言う。話の流れで『それじゃ一緒に行くよ』となった。最後のビールが利いて、酔いが廻っていた・・・・・。

学生時代、平和島の競艇場でアルバイトをしたことがる。警備の仕事であったが、競艇の開催日だけなので長い期間ではない。数多のアルバイトの中で、キャンブル場でのバイトはここだけだが、この時に、婆さんが百八十万円当てたことがあった。お金を手に震えているそ婆さんを、迎えが来るまで警備室に留めた。そんなことがあった所為か、この短いアルバイトのことが残っている。テレビドラマの「ザ・ガードマン」が人気の頃のことだ。

日曜日、海老屋本店のAKIMOTO氏から、夏の旬菜資料が出来たとの連絡があり、代官山の氏のマンションでそれを受け取った。脳梗塞をやったAKIさんの体も、随分戻ったようで何よりだった。昼、NAKANOさんと渋谷・東急デパート前で落ち合い、平和島に向かった。雨は降ったり止んだりの小康状態だ。

競艇場は様変わり、昔の面影はなかった。レースは、二レース目が始まる処だった。券売機は全て自動化され、マークシートの券で買うようになっている。ギャンブルに縁遠い私は、こう云うものは初めてだ。NAKANOさんは、11レースを買い、当ったのは2レースだった。たった六艇でのレースだが、当らないもんだ。

                           

                        レース前の揃い踏み      ターンすると順位は粗決まり

レースの進行をのんびりと眺め、隣のNAKANOさんに『なにを買ったの』と訊きながら、小艇が爆音を轟かせて水面を疾走するの楽しんだ。ビックレースの開催じゃないので、観客は少ないようだ。大方は、年金暮らしのシニア層か。二・三十代は、二割程度と見た。親子連れもちらほら。

折角なので、試しに買ってみることにした。三レース買ったが、総投資額は・・・・五百円也。凄いだろう?

勿論ハズレさ! 三連単(一着から三着までの番号を一致さす)を五枚(一枚百円)買ってみたのだ。運試しだったが、運は付かなかった。

                        

                   このシートにマークし、券売機へ        券売機ら出た投票券

最後の十二レースが終わったのは五時半頃か。半日を競艇場で過ごしたことになる。爽快感も喪失感もなし、笹川一家のギャンブル場の雰囲気をチョッと味わった「社会見学」と云う処だ。

それにしても老人が多いのには驚きだ。暇だけはタップリとあるだろうが・・・・・、ボケ防止の頭の体操にはいいかな。年金の入った財布に優しいかどうかは? だ。

 

で、社会見学を終え、一夜明けた今朝の弁当になる・・・・。

今朝の弁当飯は「焼き飯」。炒飯じゃない、もっとシンプルなやつだ。残り飯があったので、尤もシンプルでしかも美味いかもしれない「焼き飯」にした。

                          

菜の方は、大根・人参・婚約・鶏肉の煮物、野菜の天麩羅、鯖文化干し焼き、刻みネギ入りの卵焼き、とこれもシンプル。

                         

何にしようかと思いあまって、以上のラインナップとなった。

弁当に詰める段になって??? は、ご飯が意外と少ない。弁当がスカスカだ! 具で増える、チャーハンにしとけば良かったが、後の祭りだ。

                      

番外だが、山形県は東根と云えばサクランボ名産地。ここのサクランボが今年も届いた。ルビーのように美しい

                           

今年は作柄が良くないと聞いていたが・・・。そういわれれば、チョット甘味が少ないか?でも美しいね~。昨日会ったAKIMOTO氏は、大田市場で野菜・果物の卸し業を営んでいる。その氏が今年は不作で困っている」と言っていた。春先の天候が影響しているそうだ。

 

 

 

 

 

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夜中に目覚め・・・

2015-06-19 | Weblog

6/19(金) 昨夜は蒲団に入るのが早かった。零時前には眠りに就いていたろう。その所為か? どえらく早くに目覚めてしまった。目が覚めて、カーテン越しの微かな明かりを見るが、夜明けは遠い感じだ。

ペンライトの灯りで時計を確認すると、なんと深夜の三時だ。なんだよ! この目覚めは・・・・。後の祭りだ、早々に眠れるはずがない。蒲団の中でまんじりともせず、あれこれとつまらない思念をしていた。

「いつ、河の向こうに渡ってもおかしくない年齢になってしまった。これから、何者かになる(生み出す)可能性は零に等しい。そうであれば、思いを残すことも少ない。そろそろ、友人知人への別離の挨拶状を準備をした方がいいかな。」 そんなことが浮かんだ。

死んでしまえば、葬式があったとしても ―個人的には、葬式も墓も不要論者であるが― 挨拶のしようがない。『俺が死んだら、このハガキを出してくれ』と、準備を整える、と云うことだ。で、その文面を暫し考えてみた。

常套句の生前の御礼は冒頭に記し、「お先に逝って、いいを席を探しておきますので、ゆっくりとおいで下さい、とか。お世話になった皆様に、逝った先からどんな処かを、お知らせする術がないのが残念です。」 とか、幾つかの文面を考えながら、背なの痛みを感じていた。

カーテンの向こうに白々とした夜明けの訪れを感じながら、次から次へと益体もないことが浮かんでいた。そして、何時の間にや再び眠ったのだろう。気がついた時は、七時十分だった。

なんだこれやぁ  だ。弁当が、弁当が・・・・ 。

 

一瞬、諦めようかと思ったよ。然し、長女の分は間にわないとしても、家人用は何の問題もない。大急ぎで、米を磨ぎ鍋飯を炊きはじめたのであった。

菜の方は、深夜の目覚めのお蔭で方針が固まっていた。不幸中の幸い、メニューの想定は完璧だ。「親子煮」「小松菜お浸し」「卵焼き」、最後が「掻揚げ」であったが、これに決まるまでは、コロッケが候補であった。結果的に時間が足りないので「掻揚げ」で正解だった。

                         

ご飯の炊きあがりまで20分、菜も二十分で作る意気込み。が、最後に仕上げる予定の「卵焼き」だけは、タイムリミットが来てしまった。

                           

弁当箱にご飯を詰めはじめた頃合い「お弁当できてるの?」と、長女が登場。何時もより五分遅い登場、これで助かった。二人分の弁当が間に合った。

                           

それにしても、焦ったネ・・・・。夜中に、くだらないことを考えてちゃ、イカンネ! 。

 

 

 

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稲荷すし

2015-06-18 | Weblog

6/18(木) 弁当のメニューが浮かばない。どうやらバイオリズムとやらが、停滞期に入ったか?

五時過ぎに目覚め、今日はなににしようかと考えたが駄目だ。これだ、と云うやつに辿り着かない。そうこうするうちに、考えが仕事の方に向いてしまった。こうも集中できないようでは、弁当人としては失格だ。取り敢えず、台所に立つことにした。

台所に行っても頭の中はぼやけ、朦朧気味。昨夜は本を読んでいる内に眠くなり、20~30分うつらうつらしていた。が、本格的に眠りに就こうとしてから、眠れなくなった。結局、深夜までラオを聴いてしまったのだ。睡眠不足の所為であろう。

冷蔵庫の中を物色していると「味付けいなり寿司」を見つけた。これで今日の弁当が決まった。久々に「いなり寿司」の登場である。

                           

稲荷は味付けしてあるので温めるだけのこと。具は、刻み生姜と胡麻。酢は、郷里の「てまいら酢」だ。簡単と云えば、これほど簡単なものもないぐらいだ。

                            

菜の方は、「挽肉と茄子の味噌炒め」「ポテサラ」「卵焼き」と、これも定番コース。サクサクと終えたい処だが、ぼやけ頭ではそうも上手くは進まない。ヨタヨタしながらも、十個の稲荷と菜を作り終えた。

                      

 今朝一番の手間は「ポテサラ」であった。ジャガイモ・人参・卵を茹で、胡瓜とタマネギを薄切りにして塩水で晒す。これに加えてパスタも少々茹でた。最後に酢と塩胡椒、マヨで味を整えた。             

茄子味噌炒めには「ニンニク小片」を使った。弁当には避けたい品だが、これが入らないと味が締まらない。太めの茄子にシメジ、挽肉は牛を使用し、胡麻油で炒める。味噌は酒・味醂で溶いてから使った。

 

 ーサデッションー

昨日の午後、目黒の某社を訪問。懇意にしている方と久々にお茶をしながら雑談。最近の情勢を聴かせて貰い、意見を交わした。そんな中で言われたのが「役員も変わるし、挨拶に伺ったらどうですか」であった。

『今更私が出て行っても意味もないでしょう。担当者どうしの意思が通じ、任された仕事を期待以上に果たす。それができないような会社は消えるのみですよ』と、応えた。

そんな本音話をしても解かってくれる相手故に、そういったが・・・・。なにか拙い事象でもあるのだろう。それ故にサデッションをしてくれただろうが。十年以上この仕事をやってきて、上と気脈を通じて治めるようなやり方は、やっぱり今更ながらである。

 

 

 

 

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