オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

期末&降板

2018-07-31 | Weblog

7/31(火) 今日が会社の34期の期末で〆日となる。併せて、私とTUGAWAさんが会社の舞台から降板する日となる。34年前に映像演出家であったTUGAWAさんが個人事務所を株式会社にし、紆余曲折を越えてここまで来た分けだが、今後の発展を考えて我々は舞台から降りることにした。

TUGAWAさんが創立した会社を、確固たるものに出来なかった私の至らなさは詫びるしかない。されど、会社は、(株)ナチュラルはこれからも存続し、新たな資本家と経営者の手で、更に発展するものと信じている。そためのサポートは、これからも如何様にもさせていただくつもりでいる。

赤穂浪士に例えれば、殿のご乱心で赤穂城を明け渡すようなものだが、我が社(この言葉も今日一日)では、私が慣れ親しんだ席を空けるだけのことだ。家臣が浪人するすることもなければ、禄を削られるわけでもない。むしろ、向上するチャンスである。働き次第ではあるが。

後、五時間ばかりで私の務めは終わる。そして今夕、ナチュラル社特有の山賊の酒盛り、乞食の宴会である。34期をつつがなく終えた打ち上げ、暑気払いを社内にて敢行する。スタッフには、この一年間と私との16年、創業以来の34年間に、ただただ御礼を申すのみだ。

これまで肩書で呼ばれることが結構多かった。以前は、名前はARISAWAです、とか言ってなるべく肩書で呼ばれないようにしていたが、ここ数年は拘らないようにした。名前で呼ばれ様が肩書で呼ばれようが、どうでもいいじゃないか。呼びたいように呼べばいい、と。

処が明日からは、肩書が無い。これで愈々元のARISAWAに戻る分けだ。ARIさんでも、ARIちゃんでもなんでもいいや。呼びたいように呼んでくれ。二人いる孫にだけは「兄さん」と呼ばせているが・・・・。

7/26~30日まで帰省。天気がもったのは木・金の二日、それも昼間だけだったか。台風前のそれまでは、カンカン照りがつづいたそうだ。私の野菜たちは枯れ果てていた。トマト、茄子も胡瓜もカボチャも瓜も、スイカまで。ピーマンだけが薄い皮で生き残っていた。手間暇かけないと、人も野菜も育たねぇ~か。

土曜日から帰京の月曜日まで雨だった。時折陽がさしたり、大粒の雨が降ったりであった。そんな中、入院先の病院に母を見舞う。認知症がすすみ、直ぐに忘れてしまう、おまけに耳が聴こえなくなっている。如何ともし難し95歳であるが・・・。

私や妹、従姉のことは認識するが、それも日により、体調にもよる。認識するまで時間が掛かることも多い。調子のいい時は、握った私の手を放さない。眠ったと思い、手を放そうとしても握っているのだ。耳元で大きな声で云う『食べなきゃダメだよ。命は食にありだよ』なんて、言ってみるが。食が滅茶細いのだ。これが一番の心配である。

そんなことで、蜜柑畑の草刈りもできなかった。池の金魚に餌を遣る日々であった。キリギリス生活も、次女の一家が土曜日に来たので中断された。娘一家の飯使い(召使)とは、上手い言葉だぜ。

                

                         庭の花木は「木槿」だけが・・、

そして月曜日、帰京の日である。今回はごめん~奈半利線(土佐くろしお鉄道)の地元駅「安田駅」からたった一両だけの電車にて「野市駅」で下車。タクシーにて高知空港へ。安田駅の眼前には田園が広がり、上流は我が村落からそして柚子の馬路村へと安田川がつづく。

                     

                 片側ホームの無人駅、ホームに立つと森山良子の歌を思い出す

空港内でNISHIOKA先輩夫妻にバッタリと出会った。空港内の和食レストランで生ビールを飲みながら奇遇を祝した。

16時、人形町に着き会社へ。20時半に退社「ローカーボ」にて喉の渇きを癒し、今日に備えて帰宅した次第。

 

かくして今朝になり、久々の弁当作りタイムとなる。昨夜、食材を贖ってあった。今日のメニューは「黒毛和牛のスキ焼風煮」「ブリの照り焼き」「卵焼き&蒲鉾」である。

手慣れた品をサクサクと作ってお仕舞である。ご飯の上に、「高松」で頂いた佃島・天安の佃煮を載せてお仕舞である。

        

皆さん、お世話になりました。また、これからも宜しくお願いします。

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱唱!

2018-07-25 | Weblog

7/25(水) 昨夕、三十年近くも前に職場を一緒にしたAJIROさんが人形町まで来てくれた。毎年手作りの七味を送ってくれるが、二年ほど前に新宿で会って以来である。今月末で会社を辞めると案内をしたので、急遽来てくれたのだ。先週末来てくれたSさんといい、かつての仕事仲間や友人が訪ねて来てくれるのは嬉しいものだ。

どの店にしようかと迷ったが、以前にも案内した「高松」に落ち着いた。遅れて、前夜も一緒だった佐賀のO氏も予定がないとのことで姿を見せた。二人を紹介し、金魚割をグイグイと飲った。摘みにはシロイカ・タコ・〆イワシや最近はまっているアスパラ&ベーコンなどであった。

来月の九日、現スタッフや辞めたスタッフの何人かにも声を掛け、高松で一席持つ予定をしている。常連さんが多い店を貸切にするのは気が引けるが、今回だけは勘弁願うしかない。

この夜の二軒目は、これも前夜につづいて「セイジュ」である。AJIROさんの唄を久々に聴こう、二人で「人情松の廊下」を唄おうという趣向である。暫くしてHOYA兄いが、上司のMAMIYA老を誘って現れた。愈々カラオケ大会の幕開けだ

アジー(AJIROさん)は、「座頭市~夜桜お七」と絶好調で唄いまくる。AJIRO節の炸裂に負けじと、MAMIYA老もO氏もマイクを握る。歌は当然、演歌縛りさ。HOYA兄いは皆の選曲に大わらわ・・・・。

                

「刃傷松の廊下」(真山一郎の唄)も勿論やったよ、滅多に唄わないママと「昭和枯れ芒」をデュエット、夕焼雲・港町ブルース・・・延々と唄がつづくのであった。

とうとうアジーがカウンターにもたれ掛った。何時もながらの居眠りが・・・・、と云うことでお開きにした。彼の住いが青梅線のあきる野市なのだ。遠~い。そんなことや、多忙もあってよく会社に泊まっていた。そんな良き時代にサラリーマンができて幸せだったいえる。

アジーをタクシーに乗せて東京駅に送り、三人は「ちょっぷく」で最後の仕上となった。8月4日、YAMAちゃんや常連のメンバーを案内し「うまし」「セイジュ」で、人形町ありがとうの小宴をやる。高松の女将や嫁は花火大会に呼ばれているとのことなので、十人程度の会であろう。お盆前までは、なにかと落ち着かぬ日々がつづこう・・・・。サラリーマンを辞めた時のことに比べれば、なにほどのこともないか。

帰宅は23時20分だったはずで、買い物もしなかった。シャワーを浴び、床に就いた。

今朝は六時前の目覚め、されど弁当の準備に入ったのは七時前と遅い。既にメニューは固まっていた、蒲団の中で考えていたのだ。

ミツカンの「五目釜飯の素」に、少し手を加えた釜飯を炊く。義母はこの手のご飯が好みのようだ。前日の鯛飯も平らげてあったようだし。菜の方は、出汁巻卵と、胡瓜の塩麹揉み、冷凍食品のハンバーグで温めるだけ。最後にメカジキのソテーであった。

              

 

明日から30日まで帰省する。母は輸血のために、安芸市の県立病院に入っていたが、明日の午前中には地元の小さな病院に戻る予定だ。輸血で少しでも元気になり食が進めばいいが・・・・・。

帰京後の翌日、31日は会社の34期の〆。そして、私とTUGAWAさんは辞任の日となる。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018-07-24 | Weblog

7/24(火) 昨夕、佐賀の地球市民の会・副理事長で障がい者自立の事業をしているO氏が上京し「ローカーボ」で会った。五年前に障がい者の事業を起ち上げた折に、頼まれて僅かながら出資した。その出資金への利息を毎年頂いてるが、僅かな利息を届けてくれたのである。

人形町に来る前に、大手町に事務所を構える大口の出資者に挨拶をすませてからきたそうで、大汗をかいて喉を涸らしていた。冷えたビールを飲み、ハイボールを飲み、お腹が空いているという。居合せたHOYA兄いも誘い「高松」へと。「高松」では、名物の赤トンボのソーダ割りを飲み、カツ煮などを食してもらった。

そしてカラオケとなり「セイジュ」へ。年配の先客が二人居たが、HOYA兄いは、NAKAMURA大将が取り寄せた芸人風のステージ衣装を着こんでマイクを握る。O氏には『演歌縛りだからな!』と、釘を差す。酔っ払ってきたのか、ノリいいのかステージ衣装を着こんで彼もマイクを握る。千原兄弟の兄貴か?そっくりだぜとちゃちを入れた。

                 

先客をないがしろにして、三人で唄いまくったのは云うまでもない。が、更に客が来たので腰を上げて「ちょっぷく」へと。ここではホッピーにする。YAMAちゃんを相手に駄法螺を吹きあって人形町の夜は更け行くのであった。

最寄駅の学芸大学に着いたのは遅い時間であったが、改札口前の東急ストアは開いていた。弁当の菜を見繕う為に酔った体を運んだ。

天然の鯛が残っていた。小ぶりながらも身が厚くて安い。急に鯛めしを炊くことを思い立って買う。肉のコーナーでは黒毛和牛の焼肉用があったのでこれも買った。酔っていると金銭の感覚がふやけてしまうのだ。高い弁当になるが、飲み代のことを考えれば…、となる。

そんな次第で、今朝は土釜で「鯛めし」となった。特に目出度いこともないがタイメシだ。具は薄揚げの刻んだやつだけで、塩・酒・出汁に昆布を敷いた。何はさておき、水加減と出汁が肝要である。

仕上がりは上々、その証拠は・・・。夏休みになり、学童保育に通う孫のSORAが寄った。滅多に炊きこみご飯を食べないSORAに勧め、軽めによそって渡したら「隊ご飯って、美味しいね!」と、言ったぐいらだ。

和牛の焼肉は、赤身の所為かかためであった。一口食したが私の口には合わない。『この肉、ちょっとかためだぜ』と家人に告げると、「いいじゃない、肉らしくて」と返ってきた。

                

他には、卵焼きと小松菜&薄揚げ&ベーコンの胡麻炒。以上であった。

                      

弁当の準備も整い、風呂に入る時間となった。浴室の入り口に鎮座している体重計に乗ってみる気になった。数ヵ月も計ってないが、体重が落ちたと、YOSHIOや奈加野のオヤジにも言われている。自分では精々3~4kgだと思っているが・・・。

なんと 7Kgも減っていた、。一応、減量がなったということだ。あと、2~3Kg落とせば完了かな。それもこれも、キリギリス戦略の野菜食と遅い時間に飯を喰うのを控えた結果だ。酒の方は毎夜毎夜で、ここの処は特に多い。引退と云うか、会社に籍を置くタイムリミットが迫り、あの人この人と夜の部はつづく・・・・。

昔、12~3kg減量してエイズじゃないかと心配されたことがあるが、そりゃねえぜ品行方正の塊のような私である。この時は今より、更に食い物に気を使った。酒の席だけは童謡に多かったが・・・。

為せば成る、まだまだ気力は衰えてないか・・・?。頑張ろう!、なにお?。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

専ら野菜をベース

2018-07-23 | Weblog

7/23(月) 終末の土曜日、午後から出社して書類の整理を始めた。古のことに例えれば、松の廊下の刃傷沙汰で獲り潰しとなった播州・赤穂城の明け渡しのようなものか?、ちと、例えが大仰だが。

後、一週間で私の席を明け渡すことになるが、辛うじて切腹だけは免れている。刃傷松の廊下と云えば、AJIRO氏の唄が浮かぶ。氏の唄うこの歌は絶品だが、最頃のスナックでも聴いたことがない。明日、氏が人形町まで来てくれるはずで(忘れてなければのことだが)、となれば「セイジュ」辺りでこの名曲が聴けそうだ。なんといっても、セリフがいい ― 各々方 お出会いそ~らへ・・浅野どの刃傷でござる・・・放して下され梶川殿 武士の情けをご存知ならば その手放していま一太刀 討たせてくだされ梶川殿・・ ― なんて。アジィーとこの歌を唄ってから久しい。

土曜日の夜、出社していたYOSHIOを誘って「ローカーボ」で軽く飲んだ。ボートレースの話になり「今、平和島はG1レースが始まってるよ」なんて、YOSHIOが余計なことを耳元に吹き込んだのだ。遠ざかりつつある競艇だが、この一言で奈加野のオヤジに電話をしていた。ハイボールの酔いがほど良く廻っていたに違いない。

『オヤジ、G1レースが始まってるらしいよ。久々に行ってみようか ? 』なんて。オヤジのことだ、そう云えば行くというに決まっているが。そんな次第で日曜日の午後、クソ暑い中をオヤジの車に乗り平和島に向かった。出掛ける前は、失敗したなあんな電話しなきゃよかったと反省していた。

流石にG1レースだけあって、客の姿が多かった。最近はボートレース場に来ても全く燃えない、勝とうと云う気も起きないのだが。場内に入るなりオヤジとは別れ、夫々にレースに臨む。この日は7レースから始め最終の12レースまで遊んだが・・・。

 残念ながら二勝四敗と云う結果に終わった。勝負毎でレバタラは禁物だが、最終レースだけは惜しかったねぇ~。一着二着の読みはドンピシャだったが、三着が・・・・。賭け事ではしょっちゅうのことながら、もう一つ手を広げれば大金星でウハウハだったのに・・・。よくあることだ。二勝しかできなかったが、収支はプラスに終わった。トータルで負けない習慣がつくことが肝要也。

 

そして今朝、二度寝をして起床時間は七時前と遅かった。意味不明な夢を見て夜中に目覚め、汗に濡れたシャツを着替えてエアコンの設定を低くした。そのお陰で眠れたが、遅い起床になった。

今朝の弁当は「トンカツ」と「鶏肉と根菜の煮物」、「胡瓜の酢物」に卵焼き代わりのチジミである。私の朝飯は、この二十日余り野菜が中心である。ご飯は殆ど避けているが、食べたいと思わなくなった。菜の方だけはお味見程度に口にする。夜遅くに帰宅して飯を喰うのも止めた。お蔭でベルトの穴が二っ三っ短くなった。

               

この調子で、後3~4キロを減らすことが出来れば体の調子もよくなろう。そして、来月からは徐々にジムにでも行くようにしたい。なんといっても時間ができるのだから・・・・。

今日のランチは大井町で前監査役のKURAKAMIさんとご一緒した。といっても、私はシ―ザサラダとアイスコヒーに留めた。前監査役には十年ちょっと会社の財務などの御意見番や取締役・監査役をお願いした。挨拶状が届き、ご懸念があろうと、ことの経緯を含め説明をするために時間を貰った。

ここ三年ほどで体力が落ちたようで、歩きぶりがよくなかったが、毒舌と云うか苦言諌言は以前どおりであった。氏に見えるもの見ているもの、私に見えるもの見ているもの、この違いは致し方ない。歯がゆい思いをされたことであろうが、意見は意見として聞きながらも、私は私のやり方で行くしかない。全ての責任は私が負うのだから。

その結果、今期限りで会社を去ることになったが、それも自己責任である。悔いることも恥じることもない、新しい明日が始まるのだから・・・、こんな目出度いことはなかろう思っている。

前監査役との歓談後、横浜に事務所が在る某独立行政法人の理事長W氏を訪問した。かつての上司であり、サラリーマン時代の会社のVPまで務めた方だ。ほんの少しばかりだが、仕事でお世話にもなった。挨拶状だけで終わらせては義理が立たないと。

外の気温は39℃とか言われた暑さだが、白いジャケットに淡いピンクの長袖シャツ、黒いズボンに薄茶のツートンの靴、といういで立ちで伺った。「若いかっっこうだねぇ~」と、予想どおりに言われ。業界人ですからねぇ~と、これも想定どおりに応えた。

四月から理事長に就かれた、その独法の機能や役割などについて一通りの話を聞いた。講釈が好きなタイプの方なのだが、聞いているだけじゃ厭きる。年俸はどうなんですか?これまでの倍になったでしょう?とか。チャチを入れ、語り草になっていた『相変わらずビールはだめですか?マック食べてますか? 』とか、三十年も前のことでジャブを打っのであった。

人と人を比較してもしょうがない、夫々の人生と生き方があるのだから。されど、比較することで客観性が生まれる。炎天下の道を駅に向かいながら、何時しか今しがた会ってきた方と、この方の前任だった部長の違いを考えていた。

今しがた会った方は、目下には全て自分が全知全能であり、そうであると云う態度と言葉で向かう ― そうありたいと云う願望がそうさせるのか ―言いかえれば教師の立場で。仮に、前任の方をN氏と呼ぶが、N氏は一緒になって考える。先生じゃなくて、仲間として考え、共感共鳴する。この違いが距離感となり、慕うファンの数の違いなのか?そんなことが浮かんだのであった。これも、熱射の為せる白日夢かもしれぬが。

我が身を振り返ると、教師にも真の仲間にもなれぬ、半端な我が人生である。遅かりしの誹りは拭えぬが、我がこととして留めておきたい。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私的、終活

2018-07-20 | Weblog

7/20(金) 週末の金曜日を迎えた。今日も暑いねぇ~、外出はしたくないがそうも言っておられぬ事情がある。昨夜の酒が利いたのか、万全の体調とは言い難し、されど刻は待ってくれない。

六月の初旬であったろうか、OB会の会報誌への寄稿依頼が届いた。面倒なことと銭にならぬことは極力避ける。近づかぬように心がけているが、この会報誌については寄稿することを即座に決めた。少ない文字数でもあるし、六月まで理事を務めていた経緯もあるが、テーマが即座に浮かんだことが大きい。

「私的、終活」と云うテーマであった。世間で終活と云う言葉が流行りだして相当な時間が経つ。編集に携わった情報誌でもこのテーマを取り上げたことがある。が、何よりも身近な問題として、家人の実家の整理、そして郷里の老母の入院とつづいた。この際に、後顧の憂いなきようにと考えが至ったのも成り行きである。

もう一つ、予てからの懸案であった会社の行く末について方針が決まったことも大きい。零細企業の宿命のように、低空飛行でこれぞ貧乏と云う経営をつづけてきた。よくぞここまで保ったと、あらぬお褒めの言葉も頂くことがあるが、経営能力のなさは身に堪える。お客様の好意と従業員の踏ん張りでつづいてきたが、そうそう甘えてもいられぬ。

ひょんなことから、某大手の会社が当社に関心を持ち、四ケ月近いやり取りの結果、買収契約の締結に至ったのは今月の始めであった。従業員への説明を終え、取引先などへの挨拶をしている最中である。

お客様に迷惑を掛けず、更なる貢献ができる会社になる。従業員の生活の安定と、成長に資する。「ナチュラル」と云う会社の、事業継続と発展につなげる。この三点について、見込めると判断したことから、私と創業者のTUGAWAさんが持ち株を譲渡して身を引く、そう云うことにした。

会社の34期が今月末で終わる。八月からの35期は、新しい体制でスタートとなる。今年末までは、引き継ぎなどで籍だけは顧問ということで残るが、山の枯れ木と同様だ。ただ一つ、やり残している案件はTUGAWAさんが情報誌に書いたものを『書籍』にして出版することである。これは、継続して進め、(株)ナチュラルの35期に花を添えたい。

サラリーマン時代からここまで、四十八年に渡る暮らしにサヨナラをする。そして本格的に「私的、終活」をする。これまでの整理、それゆえの終活である。これが済めば(いつ済むのかな~)、新たなスタートを切るつもりだ。何処で何をするか、幾つかの試案はあるが決まるのは半年か、はたまた一年か先になりそうだが・・・・。

当面は、入院をしたままになろう老母の近くに居る時間を長くする。実家の整理を始める、その前に自分の身辺整理が先か・・・。併せて、次のステージへの準備だ。死ぬまで現役! のつもりだ。

昨夜、サラリーマン時代の最後の職場で一緒だった後輩たちと歓談。当初はIKEDA君と二人の心算であったが、聞きつけた後輩二人が遅れてやってきた。店は安サラリーマンのオアシス「ちょっぷく」である。

出来の悪い部下三人だが、不出来な奴ほど可愛いの例えもある。十数年前のことを肴にして盛り上がった。こっちは専ら聞き役だが。IKEDAは今月で退職し、二~三ヶ月休養したいとのことだった。燃える男だから、疲れも溜まるだろう。Hは剣道部の後輩でもある。一番若いのはSになる。

IKEDAは課長、Hは次席、三席がSである。当時の係長だったNは、会社を辞めて学習塾を始めた。集まった三人の共通点が二つ。広報・宣伝担当と云うことと、三人とも離婚経験者であることだ。

仕事もできず、女房にも逃げられ、と云う役立たずの見本が三人、私を加えると四人か。雁首を揃えて、過ぎ去りし日の失敗談、怒ら話に笑いの渦となり、ホッピージョッキーの空くスピードが速くなる。

IKEDAは、六十歳退職と同時に女房に逃げられ、Sは新婚一年で離婚・再婚をして私に引導を渡され職場から飛ばされた。Hの離婚は最近のことだが、離婚三人組は笑いが絶えない。

                            

せっかちのIKEDAが言うには、私は気が長かったそうだ「よくあれだけ、人の話が聴けましたね。でもARISAWAさんのあれが、自分も、その後の職場で勉強になりました」と。もう一つ、感謝していることは私の下に来て二度も昇格させて貰ったことだそうだ。おうさ !、俺は気が長くて、頑張ったやつには褒美やるんだよ・・・― 俺も欲しい―。

盛りあがって、ホッピ―飲み過ぎて夜は更ける。三人と別れた後、ローカーボでハイボールを飲んでからの帰宅。既に24時を廻っていた。

 

今朝の頭の重さはホッッピーの所為か?。それを押して弁当を作る。残り飯が多い、「チキンライス」だとタマネギ・ピーマン・人参を刻む。鶏肉を解凍して炒める。卵焼きを載せれば「オムライス」に変身だ。

                

菜の方は「ホウレン草のお浸し」と「豚肉の粕漬け焼」に茹オクラをソテーして添えた。たったそれだけである。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寿し&寿司

2018-07-19 | Weblog

7/19(木) 昨日今日と客先を廻ったが、昼時の会食となり二日続けて寿司となった。先月から再度の減量作戦に入っているので、ランチタイムとは云え飯を喰うのが辛い。昼飯止めてますとは、厚意の客先には言えない弱い私である。嫌いじゃない寿司がでれば、平らげてしまう私でもある。

それにしても日中に出歩くのは暑い。なるべく汗を掻かないようにしてはいるが出るものは出る、かくものかくのであった。タオル地の大判のハンケチがびっしょりになり、汗臭くなるのだ。帰社してから、それを洗うのが習慣になった。なんと清潔な私ではないか?。

昨日は五時前から渋谷のキリンシティにてビール飲むことになった。と云うのも、先週の金曜日の予定だった先輩方との懇談が、リスケとなり昨日の五時に「奈加野」ということになった。目黒の某社で知人の役員と話をしている処に、電話が。先輩方の打ち合わせが早く終わったので、渋谷に向かうと言う。

店が開くのは五時なのだ。それじやぁと、奈加野のビルの一階にあるキリンシティでお落ち合うことにしたのだ。ギネスとハイボールを飲み、五時が過ぎるのを四人で待ったと云う次第。

奈加野では焼酎を飲みながら、来し方のあれこれについて夫々が語り懐かしみ、時が過ぎていった。サラリーマン時代を含め、出会うひとで会う人、ただただ感謝するばかりである。そんなことを話しながら宵のひと時を過ごした。気持ちのいい酒と、時であった。

さて、今朝は「チンジャオロース」と「野菜の煮浸し」「蒟蒻のピリ辛炒め」、炒り卵であった。お手軽な弁当を今日も作った次第である。暫くはお手軽メニューがつづきそうだ・・・・。その訳は後日、あらためて。

                 

 

今夕は、後輩のIKEDA TETUYAが人形町に来ることになっているが・・・・。彼と飲むのは久しい。今月で退職するとのことなので、行く末を訊いてみたい。よく言うじゃないか、不出来な奴ほど可愛いとか心配だとか?。ひょっとして、それって俺のことか?

取り敢えず、これから出撃する

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外回りは・・・

2018-07-18 | Weblog

7/18(水) 今日も外出して挨拶まわりをしているが、暑いねぇ~。その上、食事をご馳走になりビールまで飲んだとあっちゃ、アッチチになるのだ。男はつらいネェ~寅さんの気持ちがよくわかる・・・。

昨夜はUSUI老が来たので「高松」「ローカーボ」「ちょっぷく」と流して、最後に「セイジュ」で独りカラオケで喉を整えてから帰宅した。十時過ぎに帰宅したので、今朝の体調はすこぶるであった。

弁当は「豚バラの野菜炒」「鶏ササミのバターソテー」「ジャーマンポテト」「鮭焼き」、以上であった。

                    

朝の仕事を終えた後はシャワーで汗を流し、冷えた部屋でタバコを吸いながら一休み。何時ものことでひと時を過ごす。と、ここまではいいが、玄関を一歩踏み出すと・・・熱気が押し寄せてくる。夏だからねぇ~しょうがないか。

そなんことで、午後も何か所か廻る。夜は、渋谷「奈加野」にて先輩方と一献交わすことになっている。渋谷の街も夜も熱気でむんむんだろうな・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の夜の悪夢か・・・

2018-07-17 | Weblog

7/17(火) 七夕も何時の間にや過ぎ、「竹の葉に願い事を書いて、その中から一つ抽選で叶えてやろう」なんていう企画も実現せぬままとなった。大人の遊び心で、『スタッフとそんなことをして遊んでみようぜ』なんて言っていたのもつかの間でああった。

抽選で一つだけ叶える、みみっちいかもしれないが、これなら実現可能だからいい。まさかマンションを、家を買ってくれという願い事は書かんだろう。精々が給料を上がれとか、恋人欲しいとか、美味しいもの食べたいとか、そんなとこじゃないかと思っていた。そんなことを、YOSHIOとのコヒータイムで話していたのだが・・・・。来年があれがいいのだが、残念なことをにそれを言えば鬼も笑う。

さて、今日はこの暑い最中にスーツ姿であいさつ回りとなった。汗だくもいいとこだが、年に二三度はスーツを着用することもある。田町に在る某ビルに、取引先が三社も入居しているので、九時半から11時前まで廻る。その後、隣駅の浜松町に在る某社を訪ねてからの出社で、丁度昼に社に入った。

外回りの仕事のご苦労を、HOYA兄いの灌水お仕事に敬服する猛暑であった。軟弱な私では、とてもじゃないが身が持たぬと実感。

この三連休、一番困ったのが口座を持っている銀行のATMが全て止まっていたことだ。確かにその旨のPRはしていたが・・・・。土曜日の午後、会社に出た。その折にATMで引き出そうとしたが…、余所の金融機関のOTMを使ってダメだったので心配になった。残額がゼロ?・・・。

財布の中には六千円しかなかった。土曜の夜「ローカーボ」にバンドが入っているの思いだしで寄るも、財布の中身が乏しい。これじゃバンドのメンバーに「一杯飲んでよとか、投げ銭を入れてやる」ことも出来ない。演奏が始まる前の、音合わせを聴きながら二~三杯で切り上げるしかなかった。

私と同じような連休を過ごしたであろうのが、IMAE君だ。日曜日に電話が鳴った、彼からで「金曜日に最後に飲んだチョップクで財布落としたようだけど。聞いてもらえません」とのこと。

ドジな奴だが、あの夜、遅い時間に「ちょっぷく」の入り口のテラスでHOYA兄いと飲んでいると、IMAEがTAKAHAHSI君と通り掛かった。ローカーボで一緒だったので、もう一杯飲んでいけよと引き止め、相席で飲んだのだ。そうれがあるので、財布を無くした一端はこっちにもあるか?ねぇよな

「ちょっぷく」のオーナー店長、YAMAKENに電話した。処が出ない、留守電に要件入れた。夕方になってもコールがなかったのだ・・・・。

それよりも自分のことが…日曜日。念のために家人に借用して家を出た。駅の近くにあるATMによると貼り紙が・・・今日の朝まで、ネットでの出し入れが出来ないとの張り紙があった。バカ野郎~この三連休の入用な時に。だが、機械は動かない。

借りた金を持って、銀座の馬券売り場まで・・・、函館記念の馬券を買う。松屋デパート覗いて、馬券があたった時の買い物を、とあれこれみてから場外の馬券売り場に戻った。お目当てのレースを見るも・・・外れた!。こんなものさ、と気分直しにカードで買い物をして帰った。

月曜日の夕、家人にまたしても借り入れを頼んだ。「どうしたの?昨日のお金は。みんな負けちゃったの?」と訊かれる。『仰るとおり、明日は早く家を出るので少しは持ってないと困るのよ』と、お借りしたのである。

祝日の日の明け方、夢を見ていた。火曜日に訪問する客先の時間に遅れて慌てていた。タクシーに乗って急ぐ、財布には家人に借りた金が入っている。財布を開いて確認すると大小数枚の札がある。札を確認すると、なんとそれが全てウォン(韓国)札じゃないか。冷や汗が・・・・。夢の中で慌てていたら目が覚めた。良かった・・・・。

で、IMAEの方だが「連絡がないんだよ。明日の昼には人形町に戻るので店に寄ってみる」と、メールした。「もうサイフのことは諦めてます」との、返信があった。

今朝の弁当「鶏ササミのバター炒め」「カジキの漬け炒め焼」「鶏と大根・人参・蒟蒻・万願寺の煮物」、最後に卵焼きで〆た。

                

弁当の準備を終えて、部屋に戻るとYAMAKENからメールが届いていた「長財布が届いているよ」と。IMAEにメールを入れると、助かりましたと返事が・・・・。良かったネェ~。銀行のATMは動いていたが、されど馬に喰われた私の人参代は戻ってこない・・・・。三連休のお粗末な話である。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歯科の治療椅子で浮かんだのは・・・

2018-07-13 | Weblog

7/13(金) 今日の午前、人形町は金座通りに在る歯科に先週につづいて二度目の治療に行った。『この前の治療の翌日から、歯茎の腫れと疼きに参りました…』てなことを言いながら、治療椅子に乗った。

この先生は四十代半ばか?。丁寧な治療すると「ローカーボ」のマスターから聞いて、行くようにした。それに加え、マスターが不在の折に、代打で立った夜に客として姿を見せた。帰り際に、「金座通りでる角の二階で歯科をやっています」と、丁寧な挨拶をして店を後にした。そんな印象もあって、始末の悪い歯を懲らしめてやろうと通う破目に・・・。

前回は下側の歯のお掃除、今回は上側である。寝椅子なった治療椅子に横たわり、言われるままに口を開けて弄られるままである。暇だよねぇ~こんな時間は。痛くないようにと、神経をひりひりさせながらも暇なんだ。

この暇な時間に浮かぶことといえば「歯医者も楽じゃないよな。他人様の小汚い口の中を弄らなきゃならねえなんて・・・、俺にやぁできねえな』てな具合のことばかり。

それが今日はちょっと進化系のことが浮かんだんだよ。勿論、ろくなことじゃないが。

『口を開けて無防備に弄られるなんてのは、パンツの中を見られてるのと同じじゃねぇか』『見られたうに、弄られてるか・・・。参ったねぇ~』 なんてことを考え、次に酒場で先生に会ったら、これを言ってやろうか。『パンツの中を見られたも同然の中ですから、宜しく。』と。

なんて馬鹿なことを思い浮かべながら、治療の終わりを待っていた。マスターが言うとおり、丁寧な治療である。言っとくが、先生は男なんだよ。そこは、ちょっと残念?

順調に治療も終わり、次は八月の初旬にとなった。会計を待っている処に先生が現れ「おまけしときますよ。この前、チーズをサービスしてもらったから」と笑顔で。チーズのサービスと云うのは、ローカ―ボでチーズサラミのオーダーを受け、大きく切り過ぎたことなのだ。そうだね、あのチーズは二人前の量だった。と、いうことで痛み止めの薬をおまけして貰った。

こういうお茶めなとこがある先生だ。パンツの中・・・云々は、受けるかもね!。ニギニギされそうだな、ヤバッ

お蔭様で、歯茎の疼きは治まっている。が、ボケオヤジは碌なことを考えないねぇ。

 

今朝の弁当作りには、六時前から出動した。前夜の帰還が早く、朝は五時前に目覚め、はやる心を抑えていた。

本日のメニューは、鶏モモ肉のバターソテーに野菜添え、南瓜煮、オクラ&小松菜の煮浸し、冷凍シューマイ、塩秋刀魚焼き、最後に卵炒めで終了にした。

                      

変り映えもしないが、日常の弁当と云うやつはこれでいいのかもしれないねぇ~。オーソドックに、奇をてらわず、弁当の本道を歩む。そんなことを思うのであるが・・・。如何か?。

                                              

                                            

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飲み過ぎ・・・

2018-07-12 | Weblog

7/12(木) 昨夜は来客が有り、五時からのスタートとなった。これまでお世話になってきた情報誌が終了したので、そのご担当をされた会社のスタッフが来てくださったのである。「うましに」にて、早々と始まり二次会は「ローカーボ」へ、三次会が「セイジュ」でカラオケ大会となった。

HOYA兄いとマッチャンも来たので、セイジュのカウンターは満席の大盛況。客人が帰った後、オヤジ三人は「ちょっぷく」で仕上げのホッピーとなった。学大着は零時と、カボチャの馬車が発車するギリギリの時間。夜毎夜毎、元気なものである。と言いたいが、長時間の酒は堪えるねぇ~。

                     

今朝は五時過ぎから起きていたが、蒲団から出るのがおっくうで台所に入ったのは七時前になった・・・・。

鍋で飯を炊き、菜に取り掛かった。今日も豚のヒレ肉を使ったが、昨日とは調理を変えて「ソテー」である。ズッキーニとピーマンを炒めて添えた。魚はブリの照り焼き。野菜は胡瓜&茗荷の酢の物。定番の卵焼きを作ってお仕舞である。

                       

義母の味噌汁を作って朝の部は無事に終了した。

                          

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする