オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

メンチカツ

2012-02-29 | Weblog

2/29(水) 東京は今年二度目の雪となった。深夜から降り始めたようだが、その前に帰宅したので定かではない。家人が、老犬MIXに起こされて外に出たら降り始めたとのこと。

家を出る時に玄関先の雪をチリトリで除けたが、敢えて雪掻きとは言わない。越中のオジサンから鼻先で笑われそうだから・・・。北陸や東北の雪もそろそろ峠を越したろうか?

昨年の春以降から今年にかけて、気候がおかしいようだ。如実に現れているのが作物・植物、時期だけでなく味の方もおかしいと感じる。

さて、今朝の弁当だが「メンチカツ」である。何とメンチカツ!と云いたい。何故これが登場することとなったかには、それなりの訳がある。その訳とは、昨夕の日経新聞夕刊にある。

毎週、火曜日のコラムに小泉武夫先生の「食あれば楽あり」というのが連載されている。先生が、毎回色んな食べ物を紹介・料理・食べるまでを軽妙なタッチで描いている。昨夕は、青春の思い出としてメンチカツ・ハムカツが登場。それを作り、豪快に食したのだ。

私にとっては青春の食べ物でも、思いでもない代物だが、今朝の布団の中で弁当メニューに行き詰まっていた。限られた食材で、毎回同じようなメニューでは面白くない・・・。

行き詰まった処で、昨日の夕刊の記事を思い出した次第。幸にも挽肉だけはタップリと冷凍されている、はず。小泉先生に倣って「メンチカツ」と作ることとなったのだ。

しかし、先生のエッセイの中ではメンチカツのレシピまではなかったはず。記憶に無かった。みようみまねと云うか、必殺弁当人のセンスを発揮して適当に作ってみた。試食しての反省は、挽肉に脂身が欲しかったな・・・ジュ―シーさに欠けた感あり。次回にリベンジだ~。

                 

他には、少し残っていた「エビのソテー・パプリカ添え」と定番の卵焼き。手間が掛かった「キンピラ」と「鯖文化干し焼き」となった次第。弁当数は何時ものとおりである。

                 

 「渋谷:奈加野にて」

昨夜は、渋谷・奈加野にて友人のS氏の退職慰労会をささやかに行った。彼の先輩となるN氏も一緒だった。S氏は今月、2月が誕生日ということで、その会社では誕生月に満了となるとか。会社は異なるが、知り合ってから35年の付き合いとなる。

彼は、取引先の紙の代理店に勤務していた。同い年であったことや、穏かな人柄から長い付き合いができた。子供も同じような年頃で、若い頃は餅つきに来たり、ゴルフも一緒に行った。そのゴルフといえば、奈加野の店主とも一緒にプレーしとことがあったと、彼は言う。

私の仕事が変ってから、企画物の見積もりや試作などで彼の会社には何度か世話になった。人の縁とは不思議なものである。

三時間ほど飲み、散会した。帰りに奈加野の店主が一寸付き合えと云うので、mr.kansoにてハイーボールとなった。が、これで終わらず更にお好み焼きへ行こうと云う・・・。

そんな趣味はないし、食べたくなかったが、店長各で奈加野の手伝いをしている先輩のYasuoさんも来ると云う。軟弱、優柔不断が看板の私は、お好み焼き店へと付き合った。

行った以上はと、喰いたくも無いサイコロステーキ・焼きそば・お好み焼きと食す破目となり、終電間際のご帰還となっちゃった次第。この時間、雪は未だチラついてなかった。

冒頭の小泉先生は、奈加野にもよく姿を見せる。店主の紹介で名刺交換もしているが、その後に先生を取材する機会がない。飲みながら、ゆっくり話を聞きたいものだが、何時もお忙しそうである。先生、食べ過ぎにお気をつけて・・・。

 

 

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エビフライ&鶏香味焼き

2012-02-28 | Weblog

2/28(火) 例年であれば、今日で二月も終わる、と書くところだが幸にも今年は明日までまある。溜った仕事を抱える身にとってはありがたい。

さて、今朝は揚物を作ることとした。エビフライであるが、この準備をしながら揚物ついでにアオサ海苔が残っていたので、これとタマネギ・人参の掻揚げも作ることとした。レシピは、云う程のこともないので省略しよう。

                        

もう一品、鶏肉の香味焼き。ローズマリーや何じゃら(?)と、ニンニク少々ハーブ塩に胡椒などで下拵えする。後は焼くだけのこと・・・。定番の卵焼きが加わってお仕舞い。

                        

今朝も三人分の弁当だが、昨日、取材で直出した。K君の弁当を持っていけなかったので、今朝は大オムスビを二個サービースに付けた。

                        

毎度変り映え無しの弁当が、今朝も出来たという次第である。K弁は、掻揚げ丼風のお弁当にしてある。

 「取材立会い」

昨日は、埼玉・川越に近い、新河岸と云うところに行った。登山家或はマルチタレントと云うべきか、田部井淳子さんの取材立会いであった。

ライターは、相棒の宏さんである。カメラマンは口八丁手八丁の名人杉田プロ、ディレクターはTokioと、最強トリオであった。其処に私が出っ張る必要も無いのだが、Tokioからのたっての依頼による。

諸々の案件と、夜はクライアントとの懇親会を抱えていたが、好奇心と知りたがりやである。寒風の新河岸駅に降り立った次第。何しろ、この朝は五所川原よりも寒かった。

田部井さんの話を聞き、書くのは宏さんである。私は気楽に脇のソファーで話を聞いているだけ。珍しい、ROLEXのチョコレートやウナギパイを摘みながら・・・。

                        

                        インタビューのHiroさん

 これが「ROLEX」のチョコだが、ちゃんと王冠のマークが入っている。美味しい!ご夫妻でこのメーカのCMに登場していた、納得。

               

田部井さんは、山や岩登りの専門に加えて音楽・ボランティアetc・・・異能、多彩、多芸。話を聞き元気を頂いた。この物語は、宏さんが書くので本誌発行を愉しみに

田部井さん宅の庭に枝垂れサクラがある。この桜はご出身の福島・三春の滝桜の子孫とか。植えて25・6年とかであるが、すっかり成木になっていた。実生からの幼木を売っているそうだ。

                        

取材を終えた昼過ぎの池袋。駅前の居酒屋で、宏さんと二人の打ち合わせ。先ほどの取材のこと、その他諸々。漫画「深夜食堂」を大きくしたようなカウンターの居酒屋、奥まった席でちびりちびりと遣る・・・。

アルコールが入ると、話は尽きない。いつのまにや時を過していた。まばらだった席が、気が付けば満席状態。店を出たのは、八つ半頃であったか・・・。

                  

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津軽中里町

2012-02-26 | Weblog

2/26(日) 今朝は会社へと向かいながら、久し振りに中目黒駅まで歩いた。ここのところ運動不足。冬場の冬眠状態である。

途中、祐天寺の前を通りながら「梅は咲いたか」と、寺の門を潜った。近年の状況と変り花の様子がない。よ~く目を凝らすと、端の大きな木の枝に僅かに白いものが見えた。一枝だけ咲き始めていた。

                    

後の枝は、未だ蕾である。田舎の畑の梅の木を思い出した・・・そろそろ咲いている頃合いだ。

週末訪れた津軽は「雪の中」。芽吹きも花も先の先、されど雪に埋もれた大地では確かな胎動が始まっていよう・・・。

 「津軽中里」

金曜日の暗くなる頃、青森空港からのバスで津軽・五所川原市に着いた。粉雪のような細かな雪が舞ってはいたが大したことはなかった。思ったよりは暖かい。

土曜日の朝、津軽鉄道(ストーブ列車で名高い)にて津軽中里駅へと向かった。9:25分発はストーブ付きの車両が二両の三両編成の電車であった。

改札口で、電車娘(?、と云うことでこの2月から売りだしPR中)から「ストーブ車両に乗りますか?」と訊かれた。えっ、と訊き返すと、ストーブ車両は別料金が要るとのこと。プラス300円とか。

ここで貧乏根性が丸出しになった。否、いいと断る。観光客らしき人たちが二十人近く待合室にたむろしているが、あのオジサンやオバサンは300円払うんだろう。こっちは、葬儀に出るために来ている。観光気分にはなれぬし、別料金も何だか納得が往かぬ。

ホームの端に、津軽鉄道の電車が待っていた。(JR五能線と駅やホームは繋がっている)

ストーブ車両には乗らぬが、ホームから覗いては見た。駅員に云う「見るのはただかね」、嫌なおっさんぶりを発揮した。「どうぞどうぞ、ゆっくり見て下さい」と返ってきた。

真中当りにダルマストーブが一つ、その直ぐそばに二人掛けの席が二つあって、ストーブを挟んででいた。あの席を取る争奪戦が起こるんじゃないかと心配になった。

一両だけの別料金不要の車両の乗客は5・6人。BOX席をゆったりと占領して中里に向かった。途中、太宰の生地で名高い金木(かなぎ)駅ですれ違いの時間があり10分程停車した。

どうやらバスでここまで来て、ここから乗車する観光客の到着を待っていたようだ。遅れての発車だったが、先を急ぐ必要もなかった。微笑ましい限り・・・。太宰の生家「斜陽館」でも見ていたのか?

一面白銀の世界が広がる。其処を田舎電車はとろとろと進む。五所川原から終着の駅、中里までは40~45分ぐらいであった。途中面白い駅名があった、幸福駅などとは違い絶対に売れないだろうと思う駅名だる。

「ふこうだ」と云う名の駅名である。漢字では「深郷田」とあった、終着駅中里の一つ手前であったような。仮名で書けばこうなるが、地名と云うのは難しい。周防大島の地名などにも全く読みようがない、土地の人が呼ぶ地名どおりに読めない処が多々あった。

処変れば、と云うが、葬儀のスタイルも関西や私がこれまで体験した方法とは相当に違っていた。結婚式などでも少しやり方が違う処はある。ましてや、葬儀となれば古くからの方法が色濃く残っていよう。

五所川原へと戻るルートは、電車の時間まで相当にあったので丁度上手い具合に通るバスに乗車した。ストーブ列車には乗らなかったが、金木では太宰の生家の脇をバスは通過した。

心配した雪も、寒さも、何の問題も無かった。土曜日の夕刻、飛行機は少し遅れたがほぼ予定どおりに帰京した。

問題は、今日の日曜日。会社に出るとビル壁面工事の真っ盛り。丁度私の席の横と後ろの壁面をドリルで削っている。削る音、鋲を打ちつける音・・・堪らんぜ仕事は、たっぷりと溜まっているというのに・・・。仕様がない、工事が終わる夕方から取り掛かるとするか。

 

 

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五目すし

2012-02-24 | Weblog

2/24(金) 昨夜から春めいた風となった。今朝の風は心地よく気分を和ませ春を思わせる。午後、葬儀の為に津軽半島の鄙びている(?)であろう町に行く。今夜の泊まりは五所川原市であるが、今日の東京のような天候は期待できないだろう。

明日の午前11時からの葬儀に出席し、夕方の便で帰京予定。五所川原から津軽鉄道(ストーブ列車で知られる)に乗り、終着の駅(津軽中里)が目的の地である。交通の便がよくないのが難である。雪に埋もれて白銀の世界が広がり、白一色であろう・・・。

さて、今日の弁当だが・・・。毎度お馴染みの「土佐風五目すし」とした。先週は稲荷寿しだったが、今日はもう少し手間隙をかけて五目すしである。

具材は、油揚げ・椎茸・蓮根・人参・干瓢であるが、更に焼き鯖を加えて、完全田舎風となった。酢は当然秘蔵の柚酢「てまいら酢」である。仕上げに錦糸卵を載せて仕上がった。

                   

お菜は、気持ちばかりだが「蓮根挟み揚げ」と「肉詰めピーマン」を添えた。

                              

周防大島で頂戴した「蒲鉾」と、伊勢で仕入れた「蛤のやわらか煮」なる出来合いの品も加えて今日の弁当が完成となった。

                    

本日も三人分の弁当。残った五目すしを一皿試食する・・・旨くてもう一皿となってしまった。

今日の昼は、元スタッフの“愛”が顔を見せるというので一緒にランチの予定。彼女は、私の縁戚となる青年と連れ添った。漸く落ち着いて自分のライフスタイルが出来たようだ。

私はその後、青森へと旅発つ。

 

 

 

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鶏&小鯵のカレー風味ソテー

2012-02-23 | Weblog

2/23(木) 昨夜は遅くになってから雨が落ちて来た。零時を過ぎた頃である。その雨が、今朝起きてみると本降りとなっていた・・・。

酒精で疲れた頭と体で、今日のメニューを考える。所詮は素人が暇に空かせて作る弁当、何程のものでもないが、今や唯一のホビーである。素人なりに、呆けオヤジなりに楽しもうと、無い知恵を総動員ならぬ一寸だけ働かす・・・。

そこで浮んだのが「鶏肉のカレー味ソテー」これに、下処理済みの冷凍小アジの残りも加えた。付け合せはの野菜は、セロリ・ピーマン・パプリカのオリ―ブ油炒め。

                        

もう一品、「蒲鉾と白菜・油揚げの煮物」が登場。そして温野菜のサラダ(人参・ブロッコリ・スナップインゲン)と、定番の卵焼きが今朝のメニュー。

                        

かくして雨の朝、三人分の弁当が完成した。

                   

何時までたっても進歩がないメニューや、味付けであることは云うまでもないが・・・。

 

 

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牛煮

2012-02-22 | Weblog

2/22(水) 今日はニのぞろ目の日、そんなこととは関係ないが、今日の采は「牛に」となった。先週金曜日の稲荷すし弁当以来となるか・・・。

牛煮は、すき焼き風に煮る。要は、日本酒をタップリ使い水は使わない。砂糖・醤油の味付けで、大根・タマネギ・エノキ・白菜・蒟蒻が入った。肉も安そうな代物だし、濃い目の味付けでとした。

                       

後のお菜は、ジャガイモ・人参・ピーマン・セロリの千切り炒め。オリーブオイルと唐辛子、塩胡椒の味付け。

                       

最後は、小松菜の胡麻と卵の炒め物。以上三品が、今日のお弁当である。

                       

Kの弁当は、スキ焼き丼風にして量をタップリとする。暫く弁当がなかったのでカロリー不足だろうとの配慮?

                    

家人と長女は、普通のお菜にして、白米の上に振り掛け佃煮を散す。以上、三人前のお弁当でした・・・。

 

「 旅・・・ 」

金曜日の午後から、昨夜遅くの帰宅まで取材の旅。寒い日が続き、小雪が舞ったり、冷たい風が舞ったりと、旅の季節ととしてはよくない。良くはないが、仕事の旅である。喜んで旅たったね~・・・。しかし、疲れた~、のであった。

行き先は西、途中に立寄った場所などを含めると大きくは四ヶ所である。その報告は改めてすることとし、今日は行き先のヒントとなる写真を四点ほど紹介しよう。 

    

 さて、上の四ヶ所が何処だか分かるかな????と云うことで、また明日。

 

 

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稲荷寿し

2012-02-17 | Weblog

2/17(金) 今朝は「稲荷寿し」を作ることとした。昨夜、冷蔵庫を覗くと稲荷用の出来合いが在庫されていた。稲荷寿しだけでは淋しいので、ほーれん草とベーコン・シメジのオリーブ炒めとする。

以上でお仕舞いのつもりでいたが、もう一品簡単な菜を作る。キャベツと豚肉の茹でもの。中華スープと塩味とした。そうそう、ゆで卵も付けた。

                        

稲荷寿しは、刻み茗荷と胡麻、酢は何時もの「てまいら酢」である。以上で、三人分の弁当となった。

                               

山梨・八ヶ岳山麓での取材となった昨日は早朝に家を出る事となった。が、家人と長女の弁当だけは作って出た。

昨日の弁当は、焼肉弁当。焼肉用の漬け牛肉とタマネギ・ネギ・マイタケなどを一緒にプルコギのタレで炒焼きの簡単、お手早や弁当である。

                    

青物に、ほーれん草のお浸しを付けた。

 

取材場所の山梨では、前日の天気予報とは裏腹に曇天。山は雲に隠れ山裾は霞んでいた。誰だ、行いが悪いのは・・・。

処が。昼頃になって雲は切れ、青空が覗き始めた。そしてすっかり晴れわたったのだ。

                         

元気なOB御二人の話を訊き、撮影と時間が経つのを忘れるほど。とてもいい取材となった。この模様は改めて紹介したい。

                         

そして今日は、午後の便で山口県周防大島へと向かう。が、その前に岩国市に泊まり、明日の朝に島へと入る。土用日朝のイベント出店の撮影と午後はインタビューの予定。

島での取材の後は、三重県伊勢市での取材と続く。弁当作りも、来週水曜日までお預けとなる・・・。

 

 

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鶏肉と豚肉

2012-02-15 | Weblog

2/15(水) 今朝の弁当は鶏肉と豚肉となった。これに定番の卵焼きと、いたって平凡イージーなものである。

鶏肉は、昨日の予定だあったものが、今日の登板にシフト。豚肉は、昨日に続き生姜焼き用の肉の残りだが、セオリーどうりに「生姜焼き」となった。

                       

鶏肉は焼くか、炒めるかと考えた末に「大根と油揚げとの煮付け」になった。味付けは濃い目、仕上げに溶き片栗粉で餡かけ風とした。

                       

豚肉は、生姜を擂り酒・醤油に浸けた上で、タマネギ・シメジ・ネギと一緒に炒め焼き。キャベツを千きりにして添える。

                       

かくして、今朝も三人分の弁当が完成となった。仕上げに、昨夜「菜加野」の店主からせしめてきた「桜海老の甘煮」をご飯の上に散してみた。

                  

 

明日は、山梨県八ヶ岳山麓にて取材。山梨県在住の「登山」が趣味のOBお二人の対談である。不案内な土地で、出演の方におんぶに抱っこの感あり。お二人とも、古稀を過ぎておられるが、電話の声は張りがあり元気一杯。天気も良さそうだし、お会いするのが楽しみである。

そして、17日からは山口県へと出かける。目的地は「周防大島」。彼の宮本常一や星野哲郎の生地であり、私がサラリーマン時代にお世話になった先輩の生地、更にNYにて「松茸オムスビ」を差し入れてくれたKさんが住んでいる島。まだまだあるが、省略。

「失われた日本人」(宮本常一著)を読んで以来、或は先輩の生い立ちをOB誌で読んで以来、訪ねて見たい島となっていた。(尤もいまは橋が架かっている)

この島で”餅屋工房ふきのとう“を開いているOGの取材である。併せて、web版用に島の歴史・風土・人物の紹介をする予定。仕事ながら、訪問が実現できて嬉しいかぎりである。

続けて、伊勢市において旧電話局跡の取材を考えているが、取材許可が未だ下りていない。どうなるやら・・・。

また暫く弁当と離れる日が続く。帰京後に、新たな取材の旅を報告したい・・・。

 

 

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取材の旅 Ⅱ

2012-02-14 | Weblog

一昨日の日曜日、佐賀での取材は旧知のと云うか旧友と云うべきか、Joujima女史とそのグループ「ハンドベルクラブ」。OGのメンバーの中に現役はお一人の総勢15名の方々。

                    

平成7~8年にかけて結成されたクラブとのこと。きっかけは、女史がNTTの社長表彰「社会貢献活動賞」の受賞や、老人施設で音楽指導(療法というべきか)するビデオ、社内誌での紹介などから、その活動を知り自分達もお手伝いできないかとハンド・ベルクラブができた。

指導は勿論、女史である。女史は、音楽学校を卒業して電電公社に入った変りダネであるが、それに至った経緯にはドラマがある。(その辺りの事情は、ここでは云わない。LA6号の発行を待たれよ)

サークルの練習は、皆さん人生のベテラン揃い由、中々賑やかであった。私達の取材がもう少し先のことかと思っていたようで、それまでに皆でダイエットして美しくなろうと・・・言っていたそうな。一段と美しくなった皆さんにお会いしたいものだが・・・。

                         

賑やかな取材から、女史が予約を下さった「鰻屋」てランチ。セイロ蒸しを食した。カマラマンの杉田を空港に見送った後、久留米市の自宅へと向かった。

車椅子で動けるようにリホームしたという自宅マンションで個別のインタビュー。実は、17年も前になろうか、取材に訪れたことがる。彼女が、社長表彰を受けた後になるが、老人ホームでの音楽指導の模様をビデオ取材をしたのだ。その時の彼女は、右足が不自由であったが車椅子を使うほど悪くなかった。

幼い頃にポリオ(所謂小児麻痺)に感染した彼女は、運動ができなかった。外で飛び跳ねる遊びもできなかった。その分、内向的になると思われるが、彼女は精一杯に明るく元気に生きてきたと云う。病気なんかに負けないように・・・。

50歳頃から病気の進行が始まったそうだ。歩く事も困難になり、今では股間から両足の先までの装具着用とT型杖が手放せない暮らし。自宅では車椅子を使う。

久し振りに会った彼女は、そんな不自由を吹き飛ばすほど、元気一杯、前を向いて生きていた。

自分の古い服を直をしたいと、昨年から洋裁を習い始めたそうだし、ポリオの会にも入り、積極的に情報交換や提言をしていこうと思っているそうだ。

彼女の人生を訊きなながら、私も少し真面目な話をした。己のことについて、普段は奥底に眠っている子供の頃の日々のことについて。


「僕もね、小さいころにチンバ・ビッコと言われてたんだ。3歳ぐらいから小学校に上がる前までくらいかな。結核性の関節炎に罹ってね。もう少しで手術する破目になっていた。手術をすると、足が曲らんようになっていたんだが・・・。アメリカでいい薬できたと云うことで何とか間に合った」
「足が不自由な所為か、手におえんやんちゃ坊主になって、それが未だに尾を引いているようだ・・・」

私の話など、何の意味もないだろうが、彼女が動くに動けない、外で遊んではだめだと言われていた、子供時代の葛藤や苛立ちは共通するかもしれない。

そんな次第で、旧交を暖めながらの取材となった。年月の流れの中で色いろなことが起きるが、一つづつ乗り越えて今が在ると実感した。

 

 

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五日ぶりに・・・

2012-02-14 | Weblog

2/14(火) 今朝、弁当作りで台所に立つのは五日ぶりの登板である。金曜日から月曜日、中四日をおいての台所には、少しワクワク感があった。

家人が、土日休みの間に食材を仕入れてあった。その中から「豚肉生姜焼き肉」を使うこととした。生姜焼きのつもりでいたが、プルコギタレの炒め焼きとなった。

                        

そして、鶏肉と根菜の煮物をと考えていたが、シンプルに根菜煮へと転じた。何時もの、大根と人参・油揚げとで煮ていたが、途中からウィンナーが加わった。

                        

気分次第でコロコロ変わるのがオヤジ流というところ。後は、ペンネを茹でてマッシュルームとアスパラ・人参のオリーブオイル炒めとなった。本当は、トマトを加えてトマトソース味のイタリアン風と行きたかったが、トマトが見当たらなかったのだ。

                        

もう一品、南瓜が少しあったので、茹でてパンプキンサラダに。ゆで卵と晒しタマネギが入った。定番の卵焼きも予定していたが、弁当に入りきらんと断念した。

                        

今日からレギュラー弁当は三個となる。私は暫くの間、東日本大震災一周年前の鎮魂祈念と称した半断食に入る。弁当は震災日明けまでお預けとした。(と、ここまで書くと昼の地震が・・・)

K君の弁当は、焼肉丼風にご飯の上に豚肉焼きが乗った。中々、旨そうな感じである。

                        

そう云えば、今日はバレンタインか。会社に着くと既にどこぞやから「義理チョコ」が届き、デスクの上に乗っていた・・・。女性スタッフには「義理チョコなんぞは絶対に買ってくるな」と云うと『義理でなんか、買って着ませんから』だって。

チョコ業界も、最近は“お仲間チョコ”や友達チョコと称して売りまくっているようだ。義理返しをする方の、身にもなってほしいぜ

 

 

 

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