オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

人のゆく裏に道あり・・・

2017-03-31 | Weblog

3/31(金) 年度末の最後の日、この日でこれまでの勤め人人生が一区切りつく人あり。開けて明日、大きく船出する者もいる。そう云う意味でも、今日と明日は格別な一日ではなかろうか・・・・・。

生憎、朝から曇り空。そんな天気もなんのその、爽やかな一日にしたいものだ。誰の言葉だったか「ひとのゆく 裏にみちあり、花の道」という名言がある。今朝、何故かその言葉を思い出した。せめて、今日・明日だけでもその言葉を噛みしめていようと思う。

余談ながら、この言葉を彫った碑が、熊本は阿蘇の外輪山のはずれに在る「幣立神宮」の境内にある。神武天皇が、この地から東征に向かったと云う云い伝えから、幣立神宮と云う。十八年前になるか、この地に根を降ろした「世界平和道場」の主である、佐藤昭二さんの案内で知った。

因みに、佐藤さんは、小生が大兄と呼称する少数の中のお一人である。関心がある方は、世界平和道場で検索されるとよい。

さて、今朝の起床は六時三分。随分と細かな時間を記したが、それだけ鮮明だった。と云うのも、昨晩の就寝前に目覚まし時計をセットした、珍しいことだが、起床時間に自信がなかった。そして今朝、目覚ましの音を聞かぬままに目覚めた。カーテンこしの光が妙に明るく感じた。

これやぁ寝過ごしたかと、目覚まし時計に目をやると、一時半であった。なんと、止まっていたのだ。慌ててスマホで時間を確認すると、6:03だったと云う次第。滅多にしない目覚ましのセットで時計の針が止まったようだ。なんのこっちゃ

そのまま蒲団から出て、台所へと・・・。今日のメニューは「トンカツ」をメインにすることにしていた。前夜、冷凍庫から冷蔵室へと移しておいたのだ。併せてタマネギも二切れフライにする。

                             

そして、春雨とキャベツを茹でて「サラダ」に。小松菜と胡麻の炒り卵。冷凍庫から挽肉を出し、ピーマンの肉詰め焼きを追加した。これで弁当箱は満杯だろうと、お魚はお休みにする。

                             

ご飯も炊きあがり、いとも簡単に二人分の弁当が出来あがった。

                      

 

今日の午後は横浜へ向かう。退職する知人への挨拶、夕刻からはKISHIMOTO大兄と横浜の桜(咲いてるかな?)を愛で、懇談。そして歌姫、HASHIMOTO/YOUKOとダーナの演奏や歌を聴く。そんな予定である。

明日は立会川、明後日は地元の面々と花見の会である。花見を餌に、久々のメンバーと顔を合わせる。皆さんつつがなきであろうし、花はさておきどんな話がでるか楽しみだ。

 

 

 

 

 

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桜は・・・

2017-03-30 | Weblog

3/30(木) 昨夕、目黒の某社にて後輩に面会する用があった。ついでに、目黒川沿いの桜の様子を伺うことにした。毎日の行き帰り、車中からちらりと覘く限りではの姿はない。されど、どんな様子か確かめようとしたのだ・・・・。

残念ながら、一分咲きにもなっていなかった。が、チョット気の早いのが、枝先にちらほら見えた。金曜・土湯日と花見の予定があるが、花より団子か。花が盛りを迎えるのは来週になるだろう。少し歩いてから、某社を訪ねた。

                           

今宵は、来月から東京オリンピックの仕事で出向すると云う後輩に、世話になったこともあり、慰労をしようと云う次第。要は、安酒を交わそうと云うことだが。目黒駅から近い居酒屋に、予定外の先輩や知人も寄って酒盛りとなった。結局、安酒場に4時間ほど居座ったことになる。

落ち着いた頃合いに、人形町安酒場巡りに来ると云う。「人形町は好きな町です」と言うので、嬉しくなちまったよ。『面白いオヤジ達に合わせるよ』と、約束した。

                                                 

ホッピーと薄いハイボールの飲み過ぎで、すっかり腹が冷えてしまった。

                           

今朝は4時の目覚め。どうしてこれほど早く目覚めるのか?早起きは三文の徳とか云うが、こちとらは昼間眠いだけのことだ。蒲団の中でじっとしていたら、6時頃になって眠気が・・・・。これやぁ拙いと、眠るのを堪えて台所に向かった。

今日の弁当は一つ、それも「今日は時間がないので、軽めにして」と言う、家人の弁当である。メニューは昨夜のうちに考えてあった。

メインは「ハンバーグ」だが、出来合の冷凍ハンバーグである。石垣牛ハンバーグと云うやつだが、味の方はどうかな。こいつを焼き、ジャガイモを茹でる。二品目は「ジャーマンポテト」である。3品目は小松菜と薄揚げを茹で、煮浸し風にする。最後は、2個卵で卵焼きをつくり、お仕舞にした。

                    

小松菜は煮過ぎたり、茹で過ぎたりと失敗が多いのだが、今日はよかった。シャッキと茹でた小松菜に、出汁をまぶして仕上げたが、上々の味わいであった。これなら『飯や』が出来そうだ・・・・。

 

 

 

 

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ボケてるな~

2017-03-29 | Weblog

3/29(水) 今朝の目覚めは五時に五分前、蒲団を抜け出したの4:59分であった。そのまま台所に向かった。今日のメニューは昨晩のうちに決めてあった。先ず、米を磨いで飯を炊いた。

昨晩の帰宅は23時前のはずだ。19時40分に客の姿がない「ローカーボ」に入り、マスターを相手に雑談をして濃~いハイボールを二杯。来る予定の悪徳チャンが姿を見せないので、二杯で切り上げ「ちょっぷく」へ。白ワインを一杯飲んで帰るつもりでいた・・・・。

一杯目のワインを飲み干す頃に、店前をHOYA兄いが通りかかり、こっちの姿を見て入って来た。イタリアンの店で会社の人間と飲んだ帰りだと云う。折角なので、一緒にワインを飲みながら雑談となった。帰りそびれちまったと云う次第。

「ちょっぷく」を出てから、今度は「天や」で晩酌セットとなり、美味いとも云えぬ天賦を肴に冷酒を一本。セットで600円程度なので、文句の言いようもないが。

そんなことで、最寄駅に着いたのが23時前であったろう。改札口前の東急ストアに寄り、シラタキを買って帰った。今日の弁当の菜である。

そんなことで、今日のメインメニューは「肉じゃが」である。加えて、久々の「ポテトサラダ」だが、ポテサラついでに「コロッケ」を作ることにした。ジャガイモや人参・卵を茹でる。

                         

野菜系はキャベツを塩麹で揉んだサラダ、これに何を血迷ったかワカメと晒しタマネギを加えた。愈々コロッケと云う段になり、挽肉を炒めてポテサラ用に作ったジャガイモ&ゆで卵に入れる。当然ポテサラ用とは別の丼だが、これに晒したタマネギを入れた。間違いに気付いたのは、全てを混ぜ合わせ後のこと。後の祭りとはこのことだ・・・・、哀しい哉、ボケの方は順調に進行しているようだ。

                          

愕然としながらも、コロッケを揚げた。魚は「塩秋刀魚焼き」、最後に揚げ物用に使った溶き卵にもう一つ卵を割り入れて「オムレツ風の卵焼き」を。品数で云うと五品になるか、上手く弁当に収まるかな?

二人の弁当箱にご飯を入れ、そして菜を。案の定だ、秋刀魚の入るスペースがない。家人の弁当には卵焼きも入らなかった。

                     

肉じゃがも、ポテサラも、秋刀魚も、キャベツ揉みも、晩飯に喰ってもらうしかない。オイラは今夜も予定有り、晩飯を喰うことはない。後は宜しく・・・・・。

 

 

 

 

 

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陽気よし!

2017-03-28 | Weblog

3/28(火) 昨日、一昨日とはうってかわり、いい陽気の朝を迎えた。こんな日は気分が良くて、思わず夜の酒は何処でやろうかと不埒な思念が湧く。凡人とはそんなもの、凡人の凡人たる所以であろう・・・。

いい朝を迎えたが、最初に目覚めたのは午前四時だった。スタンドも、ラジオならぬTVまで点いたままであった。不覚にも、蒲団に潜り込んで直ぐに眠ったようだ。四時じゃ、起きるに早すぎる。点けっ放しのスタンドとTVを消してもう一眠り・・・できたのだ。次に目覚めたのは六時半であった。

今日の弁当は二つ、長女も日勤とかである。今日のメインは「牛小間」、昨夕「日山」まで散歩して贖った。これを、煮物にするか炒めるか、何れかであるが・・・。家人の希望を訊くことにしたら「炒める方に」との仰せ。御意!

根菜の煮物をしようと、小鍋で「大根・人参・蒟蒻の煮物」から始めた。次いで、カジキを解凍して片栗粉にまぶした照り焼き風に掛かった。厚焼き卵と牛炒めを作ればいいだけだが・・・・・。

カジキに下味をし、小フライパンに入れたところで、小鍋の煮物が気になった。蓋を取ると・・・Oh~myGoodすっかり焦げ付いていた。水を足すのを忘れていたのだ。根菜の黒煮、或いは、焦げ煮と云う新メニューの誕生であった。焦げ付いた鍋を懸命に洗ったよ!。

                    

こんな事件が勃発したので焼き玉子を諦め、小松菜の胡麻閉じ卵焼きにした。根菜煮の頃合いを計らって、小松菜を加えて彩を添えよう。そんな魂胆があったが、黒煮じゃあまりにも・・・・。

最後に牛小間を塩胡椒に醤油のひと垂らしで炒め、タマネギ&シメジ炒めを添えた。以上で、今日の弁当はお仕舞。

                     

似たような弁当だが、ご飯の量と弁当の大きさが微妙に違うのだ。小さい方が、減量作戦推進中の長女用になる。

長女が始めたと云う、減量方法とドリンクを用意して貰った。そして、その実施方法までメモにしてくれたのだが・・・・。なんと、それには実行中のアルコールはダメとある。「飯は喰わなくても酒やめれる訳ないだろう  」。酒は、コミニュケーションの唯一のツールなんだから・・・。と、云うこと。

 

 

 

 

 

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流行に・・・

2017-03-27 | Weblog

3/27(月) 昨日から冷たい雨がつづいている。漸くほころび始めた桜の蕾や、ひと足先にほころんだ花びらが、早まったかと寒い思いをしているに違いない。今週は、週末にかけて花見の予定が幾つかあるが、どう云うことになろうか。無論、決行するのだが・・・・。

今朝方の夢、サリーマン時代の夢をみていた。某支社の係長時代が、その夢のステージであった。部長が私の処へきて、書類らしきもの置いて「ある部分を示し、ここにこんな処があるんだけど、どんなとこか調べてみてよ」と、その書類とも地図ともつかぬものを置いていった。暫くそのままにしておいたら「どうだったった?」と訊いた。

リアルなのは、当時の職責・ポストは同じで、部長も実在の方である。急ぐ案件ではないと思っていたが、再度の問いに大急ぎで調べた。そこは、瀬戸内内海の小さな町であった。陸路から行くには不便な田舎町で、船を使うのが一番便利なルートになっている。なんで、こんな処を調べさせたのか・・・・。

資料を当っていると立派なホールがあり、そこで会社の労組の全国大会が開催されることが分ったが。かといって、労組の全国大会を部長が膨張そうるようなことは稀である。労組担当の管理職や、労働協議の対象となる新業務を担当する管理職もいる。必要となれば、その者達が大会の模様を傍聴すはずだから。

部長は何処かその近辺で立ち寄りたい場所があるのか?或いは大会を傍聴するつもりなのか。そこらの事情は把握できてない。とは云え、部長が動きやすいように整えるのが私の仕事のようなものである。取り敢えず、なにがあってもいいように、労組大会の傍聴券を二枚手配した。

傍聴券が無いと大会・会場に入れない。と云うのと、この傍聴券を用意することは、その近隣の別の処へと行先を代えてもアリバイになる。主目的をオブラードに包み、従を表にする。例えは別にしても、隠密な行動をするときの常套ともいえる。

この時点では部長の意図は不明である。が、如何様にも対応できるように手筈を整えようとしたことになる。

こんな夢を見ていた所為か、家人が階段を下りる音で漸く目覚めた次第。なんでこんな夢を、シーンを見ていたのか?。妙にリアルだったのが、おかしかった。

つらつら考えてみると、今話題で流行言葉になっている「忖度」にいきついた。そうか 上司のことを忖度して、手を打っていたわけだ。夢の中で、ちっぽけな忖度、気遣いをしていた次第。

流行には鈍感な方だが、今国会や巷をにぎわかしている問題についてもいい加減にしたらと思うような男なのだ。オイラは。然し、解せないのが、忖度された側があれほどにも開きに直っているいるのが不思議でしょうがない。忖度された、格別の計らいがあったと認識しているにも関わらずだ。

格別の計らいをされ、それが問題になったら「私が悪うございました」と身を低くし、一切を背負ってこそ生き様と云うもんじゃなかろうか。でなければ、お願いごとをしちゃやいけない。世の中、持ちつ持たれつ。だからこそ、色んな局面で様々に力になってくれる。何処の世界もそんなもんじゃないか?

小さな忖度、大きな忖度、さまざまあろうが、問題にならない範囲で協力し合う。それが世間って云うもんだろうと思うが。その則を越えないようにするのが大事だろうよ。今回の事件は、報道で見る限り、その則を越えちまったから抜き差しならなくなったんだろう。オイラの結論は、頼んだ方が下りる。それが筋じゃねえかと思う次第。

流石のアッキ―もこれで懲りたことだろう。権力者の妻と云うのは、余程しっかりしていないと・・・・、神輿に載せられようが自分じゃ責任が取れないんだから。ABEちゃんもしっかり守っているようだし、これで夫婦も地が固まると云うもんだ。お後もありますんで、そろそろ幕を引きませんか・・・・。

お蔭で妙な夢を見、殿のお目覚めが遅くなった。起床は、七時になっていたのだ・・・・。

 

幸いにも、今日の弁当は一つ。家人の分だけであった。ご飯は、昨夜の晩飯時に炊いてある。慌てることない。悠々と台所に入った。

さて何にすべきか?全くメニューを考えていなかったが、一品だけ昨夜の残り菜を取ってあった。これをメインに、脇を何で構えるか・・・・。弁当もわき役がしっかりしていないと、舞台が締まらないのは同様。

食味と色合いのバランス。これが大事だが、今日の難しいとこは、メインが滅茶個性的なことだ。なんと「櫃まぶし」なんだ。

土曜日の遅い時間に、浜松に就職する家人の甥を車で運んだ娘婿が「ウナギ」を土産に持ってきた。これを日曜日食べることにした。白焼きと蒲焼きだった。これはこれでよし。ながら、自分ちには持っていってなかった。長女から「白焼き食べたいから、取っといて」の電話が・・・・。蒲焼きだけじゃ小さいので量が足りない・・・。

実は、我が故郷・安田川の天然鰻を以前に貰い、食べないで冷凍庫に眠っていた。鰻ついでに、こいつを成仏させることにした。平和島のボートレースから意気揚々と帰宅し、蒲焼きに掛かった。この日、連戦連敗をつづけたレースで、土壇場にホームランを打って逆転の勝利を収めていたのだ。

鼻歌混じりにタレを作り、蒲焼きを焼いた。重さは600g弱ながら、天然ものらしく身が厚い。腹の辺りは黄金色をした上物のである。残念ながら撮影は控えた。鰻の個人情報保護の視点からさ!

タレは、酒・醤油・味醂・砂糖に地蜜を少々。焼いた鰻の骨を入れて味を調えてある。これに何度も浸しながら鰻を焼いた。香をばしい匂いが立ち込め、チョっくら焦げながらも「流石は天然、故郷の清流で美味い魚を喰って育っただけのことはあるわい」と、オイラは舌鼓を打った。

その鰻の残りを「櫃まぶし風」に弁当に入れようと云うことだ。わき役が難しいくなるのは必定だ。メインの鰻様の邪魔をせず、されどわき役としての味を主張しなければ存在を問われる。となると、難しいねぇ~。

と記しながら・・・、最後は適当になっちゃうのがオイラさ。時間もない、ここは適当にと「鶏肉と筍・インゲンの旨煮」、「豚バラと野菜の炒め物の中華味」(タマネギ・シメジ・エノキ・長ネギ)、「ブリの照り焼き」「スクランブル風卵焼き」。

                          

以上が脇役となった。が、脇役の面々も個性も味も濃いやつばかりだ。まるで、大阪の忖度夫妻みたいな菜ばかりになった・これも夢見の所為か?

と云うことで、おひとつ様の出来上がりである。

                       

 

 

 

 

 

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お見舞い

2017-03-24 | Weblog

3/24(金) 昨日は、目黒の某社での打ち合わせが夕方の六時からだった。その前にと、川崎市の太田総合病院に入院している「ちょっぷく」オーナー兼店長のYAMAKAGEさんを見舞うことにした。彼がここに入院しているのを見舞うのは二度目。最初の時は脳溢血だったが、三年も前のことか。

京急線川崎駅に降り立ったのは午後四時前だった。JR川崎駅は、大規模なバスターミナルを挟んで対極にあるが、この駅前都市の大きさには目を見張る。駅から直ぐに大規模な工場が並ぶ工場地帯だっと記憶するが、都市整備がすすみ、かつての面影はない。バスターミナルを繋ぐ信号を幾つも越えて、病院へと向かった。

十分ほどで太田総合病院に着いた。病院の看板がなければ、大きなオフイスビルと見まがうような建物である。ここの五階、脳神経科病室に入院をしている。病室のナースセンターで面会表に記入、ゲストカードを首に下げ、マスクを着用してから入室した。

六人部屋のベットは半分は空いている様子。奥のベット脇にYAMAちゃんは立っていた。『お~い、どうだい』と声を掛けると、直ぐに出てきた。病棟入り口にある待合室へと戻る。心持、足取りが頼りなく感じたが、言葉には違和感を感じない。椅子に腰を下ろして状況を訊く・・・・。

「頭の真ん中の血管をやられたんだ。その所為でラ行の発音がうまくないんだよ」と言う。じゃあこれかと『舌を丸めて、ラッラッラッラララ』と連続すると、彼も真似た。「ラアラアラ・・・、あれっ。らっらっらっららら・・・できたじゃ」と喜んだ。

『もう酒を飲む気が市内だろう?』と水を向けると、「もう飲めないな、飲んだらお仕舞だ」と観念したように応えた。『饅頭もだめだな、だから文旦をもって来たよ。俺の自家製だぜ』と見舞いと一緒に渡した。YAMAちゃんは、酒と甘いものの両刀だからな。糖尿病も嵩じると云うものだ。オイラにも責任の一端があるかも・・・・。饅頭や干し柿など随分食わせたし、挙句に酒も(控えろよと言いながらも)結構飲んだからな。

そんな処へ、奥さんと娘、孫娘らしき三人が現れた。頃合いと、辞去した。

JR川崎駅から京浜東北線で目黒駅へと向かう。目黒に着いたのは五時、打ち合わせまで一時間もある。旧知の役員が、タバコ吸いに喫煙ルームへと下りてきたのに出合い、一緒に一服。そして、後輩のTAKAHASHI君に連絡を入れ、コーヒーに付き合わす。

六時前にうちのスタッフも集合。既にスタートした某省庁の案件について、協力会社のメンバーとの顔合わせ、分担業務の確認などをする。これが一社づつで、二社との打ち合わせであった。終わったのは八時半を廻っていた。そこから、橋渡しをしてくれたO氏からのレクチャーを受けた後、うちのスタッフ二名とで、喉を潤しながらの意見交換&ヒヤリングとなった。

権之助坂を途中まで下った処に、美味い焼き鳥を喰わす店がある。そこへと誘って、生ビールとハイボールをやりながらの長談義。私とO氏の付き合いの始まりや、一緒にタイでゴルフやクワイ川の鉄橋歩いたこと、仕事の話とつづくうちに、二十三時になっていた。

久々に現場仕事の話に加わり長居をした。TAKAHASHI君と某監査役が飲んでいる品川の店「たあた」に顔を出すことが出来なかった。が、致し方あるまい。かくして、弥生三月、桜も準備を整えつつある一夜が更けた。

帰京して三夜、毎夜、何処にいようと帰宅は二十三時半。これが定着しつつあるか・・・・。

― お弁当は一つ ―

起床は六時半、今朝は妙に寝不足感が旺盛。旺盛って言葉、こんな時に使うんか?脳が酸欠のような感じだ・・・。

今日の弁当は、家人用の一つだけだ。些か物足りないが、こればっかは仕方がない。酸欠の脳味噌でメニューを考える、が名案は浮かばない・・・・・。

取り敢えず、鍋で飯を炊く。それから、大根・人参・蒟蒻の旨煮を。次いで、タマネギ・シメジと豚小間の炒め物、メカジキの塩焼き、シラスの卵とじ焼き、板蒲鉾となった。

                         

今日も手間をかけない弁当が一つ。これにて完成。

                        

 

 

 

 

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弁当二つ

2017-03-23 | Weblog

3/23(木) 今日は漸く二つ弁当を作れる。とは云いながら、菜をなににするか迷った。長女は相変わらずダイエットメニューをつづけているのか?暫く顔を合わせていないので分らんのだ・・・・。

迷っていては準備が進まない、儘よと適当に作ることにした。ご飯の方だけは、ちっちゃな俵型のオムスビにしよう・・・。

ご飯を炊き始めたのは六時半。菜の方はメインが「チンジャオロース」、「小松菜の煮浸し」に椎茸を加える。冷凍のメカジキがあったので、一切れを二ッにして、照り焼き風にしてフライパンで焼く。厚焼き卵を作り、板カマボコを数切れ。以上である。

                           

たったこれだけだが、弁当に詰めるのにひと苦労する。

                           

残った菜で、朝飯を食す。後は、風呂に入り、ヨタヨタと会社に向かうのみだ・・・。

 

昨晩は「うまし」にて、若いスタッフと食事&酒を飲みながら懇談。若い頃の俺をみているように、鼻っ柱が強い。そこを買っているが、それだけじゃものにならん。彼に伝えたのは「補佐道」と云う言葉、意味するところであった。そんなことが分るようになるは、二十年も三十年も先のことかもしれないが・・・。

上昇意欲が強いので、その為には『衆目が一致する成果だよな、成果・結果はプロセスがなければでない。しっかりしたプロセスを描き、結果を出す。その積み重ねでスキルアップをし、衆目の信頼を得る』そんなような念仏言を云いながら、二時間程「うまし」のカウンターで飲んだか。

                          

帰りに店長に『この前の松葉焼きカツオタタキはどうでしたか?』と訊ねた。高知・四万十川物産の松葉焼きタタキのサンプルが届いたはずなので。

「みんなで試食させて貰いました。カツオの味も、ポン酢の具合も申し分ないのですが、燻して黒いとこが好みじゃないんです」との応え。残念ながら、採用とならなかった。旨いカツオタタキだが、色・形・香りと、料理人にとっては拘りがあるだろう、致し方ない。

駅に向かって行く途中に「ちょっぷく」が在る。なんと、店から出てきたHOYA兄いと出くわしたのだ。若いスタッフにサヨナラを言い、HOYA兄いを店内へUターンさせた。店長のYAMAちゃんはいないが、店は繁盛して忙しい。先週まで「セイジュ」を切り盛りしていたマッチャンが、助っ人応援をしていた。

チーフのヨッチャンも、マッチャンもくたくたの体である。アルバイトが連絡なしで休んだとのことだ。何処の商売も楽じゃない・・・・。

白ワイン二杯で切り上げ、退院して店に出るようになった「セイジュ」ママの復帰祝いを兼ねて、カラオケやろうとなった。閑古鳥が鳴いていたセイジュにてカラオケ。帰宅は、前夜と同じく23時30分過ぎであったろう。酒飲みボランタリーと云うやつも、結構草臥れるものだ・・・・・。

 

今日の午後、川崎の病院に入院中のYAMAちゃんを見舞う予定。お見舞い品のリストをメールして希望を訊くと、一番ヤバそうなのを欲しがった。大丈夫かな? 

夕方六時から、目黒の某社において打ち合わせ。その後は、その某社に勤務の後輩がいれば目黒の焼き鳥屋あたりで一献となろうか・・・・。「布の中は尽きるとも、酒飲み仲間とお店のタネに尽きはなし」だぜ 。こんなこと言ってると、SHIMADAの兄さんに「スタバのコーヒーにしなさい」と、叱られそうだが。

 

 

 

 

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簡単サンド

2017-03-22 | Weblog

3/22(水) 昨日の雨も上がり、今朝はよく晴れて清々しい。弁当の方は、気合を入れて作るつもりだったが・・・・、今日は一人分であった。おまけに家人は「食パンを食べなきゃいけないんで、サンドイッチにしてくれる」との要望。

テーブルの上に、5枚切の食パンがラッピングのままで置いてあった。一枚が厚い五枚切だと、これを半裁にする必要がある。食パンを俎板に載せて、パン切ナイフをサイドから入れる。これが中々上手く行かずに、半裁ならず厚みがチグハグになるのが常。今朝も、一枚は上手くいったが、後の一枚はアンバランスになった。

それも致し方なし、こればかりは熟練するしかない。一人分、これが難しいのだ。サンドイッチの具を沢山作っても、種類を増やしても困るのだ。今日はお手軽に、卵を主体の二種とした。先ずはゆで卵を作る。野菜はレタスのみだが、刻んでゆで卵と和える。

ソーセージの薄切とタマネギをソテーし、卵とじ風にする。これを、レタスを敷いたパンに載せ、更にスライスしたゆで卵を載せた。こんな簡単お手軽なサンドイッチでお仕舞となった。

                             

ワンセットが家人の弁当となり、残ったワンセットをどうするか? 朝飯として食す気もおきない。結局、YOSHIOとのコーヒータイムに食すことにしたが・・・さて、どこで食べるか?それが、問題だ。

  余談・・・

昨日の退社後、「ちょっぷく」に顔を出し、HOYA兄いと軽く一献。店長のYAMAちゃんが入院して十日になる。YAMAちゃんには二度ほどショートメールをし、本人の「頑張る」は承知しているものの、その後の状況なども聞きたかった。 

店の方は、何時もの助っ人隊の面々が応援しているが、皆さん本業がある。チーフのヨッチャンは大変であろう。「ARIさん、刺身が作れるじゃない。手伝いに来てよ」と、言われたが・・・。五時前から毎日来るよ、との約束はできないのだ。夕方からがオイラの動きだす時間だからネ!

YAMAちゃんの入院は暫く続きそうだ。今週、合間をみて激励&見舞いに行くつもりだ。

入院中の者がいる一方、退院して今週から店に出始めた人もいる。お馴染み「セイジュ」のママさんである。四十日ほど前になるか、腰の骨を骨折とかで入院。その際に、電話で店の応援を頼んだのがマッチャン&フナッシーのちょっぷく応援隊。応援依頼は、二度目で前回は股関節手術だったはず。

ママさんは昼間の仕事先で骨折、入院。その日に店をお願いとの連絡があったそうだ。前回の手術時に、店の鍵をあずかっていたとのことで、その日から店を開けた。午後八時からの開店なので、それまでの時間やスナックに客がなくて「ちょっぷく」が忙しい時は応援に行くのご活躍ぶり。

ママが無事復帰となったので、昨晩は売上を渡してきたとの話。売上額を聞き『ママが居る時より多いじゃない』と、長期のボランティアを労った。この夜に「SEIJU]に顔を出し、お見舞いの一言も云えばいいのだが、帰京したばかりなので控えた。

それにしても、この界隈に出入りする面々の人情の篤さは大したもんだ。と、何時もながら感心するのであった。

 

 サクラは桜、おお桜よ!

今朝のTVニュースだったか、東京の桜が二輪咲いたとか。たった二輪だが、それをニュースで流すとは平和なものである。とかなんとか言いながら、遅いランチタイムをYOSHIOと取った。今日は趣向を変えて、浜町公園まで足を延ばし、公園のバーベキュー場で持参した、殿手作りのサンドイッチを食すことになった。

と云うのも、土・日にバーベキュー場の空があれば予約を入れようとの魂胆があった。平日ながらバーベキュー場には若者が十人程集っていた。オイラ達は離れたテーブルで、旨いコーヒー飲みながら、サンドイッチを頬張った。

『最近はここの場所も取れなくなったな~。この前は、去年の五月だったか』そんな会話し、帰りに公園内の体育館事務所で、一テーブルでも土・日の空きはないかと、状況を訊いた。案の定「6月22日までの土・日を調べましたが、空はありません」と、つれない応え。

社に戻る途中に明治座があり、公園に向かう遊歩道脇に小さいながらも枝垂れ桜があるが、これは未だ蕾も堅いようだった。大通りを渡り甘酒横丁に入る手前に、暗渠にした通りが桜並木になっている。ここの桜の枝先に二・三輪、ちょっと先走りました。ご無礼、お許しを。とばかりに控えめに、白ッポイ花が風にそよいでいた。

                    

明治座の昼の講演が終わったばかりか、着物姿のご婦人(ほぼ年配者)方がゾロゾロと歩いて行く。出し物は「細雪」かな?

桜はもうすぐだ、春よこい、桜よこい・・・・・。

 

 

 

 

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帰郷~帰京

2017-03-21 | Weblog

3/21(火) 先週、木曜日の午後一番のANAにて帰郷し、今日の午後一番のANAにて帰京。高知は昨晩から雨となったが、それほど強い降りではなかった。天気予報から、今朝は寒いかと思いきや、暖かいとさえ思えた。高知空港に着いた頃には、青空が垣間見えた。

羽田空港に着くと、予報どおりに雨、雨だった。雨の空港そのもので、思わずテレサテンの「空港」を口ずさむ  。今回は折りたたみ傘も持参しなかったが、人形町に着いた後はYOSHIOとランチコーヒーとなるので、駅まで傘を持ってきて頂いた次第。持つべきものは友、とはよく言ったものだ・・・・。

友と云えば、帰省前の水曜日。郷里の友人MATUMOTO大先生と、腐れ縁の御学友HSOKAWAと三人で一献交わした。Mのバンコク土産話や、TV番組制作屋のHOSOの話などで、「高松」「ローカーボ」「ちょっぷく」と、人形町御用達店を散歩した。

                              

最後の店「ちょっぷく」では、大先生が入り口で飲んでいたお姉さんが気になったようで「呼んでよ」と仰せられた。何度か顔を合せているご婦人だし、店に入った時点で挨拶らしきことはしている。内気な小生ながら、大先生の言ゆえ、勇を決しておでましを願った。それが写真の後ろ向きの方である。

                           

我等が出来上がった頃合いに、仕事を終えた働き者のHOYA兄いが登場。一緒の席へと、ご相伴を願った。と、云う夜を過ごした翌日、羽田を発ったのである。

天候に恵まれた郷里では、例の如く遊びの飯作りで遊び。ミカン畑の草刈、有機肥料を入れ、畑を耕し四月の野菜植え付けの準備をした。勿論、肥料や食材の買い出しと、町に出たのは云うまでもない。然し、チョット体を動かすだけで腰は痛くなるわ、疲れるわと、情けない限りであった。

                       

                         黄金色は「小夏」、来月収穫の予定

蜜柑でこれから収穫するのは、小夏と甘夏だけだ。来月下旬の帰省の折に収穫となろう。

日頃と変わったことと云えば、やぎとに来て貰ったことか。ヤギトって?山羊が十匹か?と、分からん都会人も多かろう?。漢字は「家祈祷」と書くが、読んで字の如く、家を祈る。悪霊を払い、家運を寿ぐために太夫(神主)さんに来て貰ってお祓いをするのだ。

毎年、出雲大社(安芸市)の太夫さんに来て貰っているそうだが、今年は帰省中のことで偶々私も同席することになった。出雲大社なので、一拝二礼四柏手一拝なのだ。神棚で祈祷の後、各部屋を廻ってお祓いをした。ハッキリ言って、神仏に願い事をするような、信心深さはない。が、終わってみれば、妙に清々しい気になったのは如何に!我が内なる悪霊退散?

 

斯様な次第で、五泊六日の帰省は幕を閉じた。明日からまた、弁当作りに励む所存だ。

 

 

 

 

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西表島Ⅱ

2017-03-15 | Weblog

 3/1日、8時に石垣島離島港を出発、45分の船旅で西表島・大原港に着いた後、「朝得コース」に参加した七人は、仲間川のマングローブ観光を終え、大原港に戻った。そこからバスに乗って、西表ヤマネコの住むジャングルの山裾を走り由布島へと渡る岸辺に向かった。

大型の観光バスを運転するのは、なんと観光船を操船していた人だった。『なんでもやるんですね』と云うと、「こっちの方が本業ですと」応えた。島に二か所しかないという信号を左折して由不島へと向かう。島に渡る岸辺まで三十分程であったろうか。ヤマネコや冠ワシのこと、周辺の集落について案内を貰いながらゆっくりとバスは走る。

岸辺の駐車場に入り、すぐ目の前に待つ「水牛車」へと向かった。海辺は少し汐が引き始めたようだが、砂の色の所為か海底は見えない。牛車が十台ほど客待ちをしていた。目の前に浮かぶ由布島の浜辺に、同じような牛車が数台見える。海を渡って行く牛車が彼方に一台。

                             

由布島は、西表島の東海岸から400m先に浮かぶ、周囲2.15kmの島だとか。戦後に入植者が住み、学校も出来ていたそうだが、昭和三十年代に台風被害で島は水浸しとなり、その後、島民は対岸へと村ごと移住。現在は観光の島で、常住するものはいないそうだ。

丁度こちらから島へ渡る観光客がバスから降りてきた。我等は小さな牛車に乗る。一番前に陣取った。十五歳とか云うメスの水牛とか、馭者は三十代とおぼしき若者(私達からすると)だった。水に入り十歩ほど歩むと、水牛が立ち止った。すると「水牛は水に入ると必ずオシッコをします」との説明があり、牛は長~い、そして大量の放尿をしたのである。一番前のオイラは堪ったもんじゃない。が、前の羽根板を揚げたので被害はなかった。

                                 

                             この後直ぐに、大放尿が

然し、大量の放尿は見事だった。加えて、少し歩んで今度は脱糞をしやがった。「これもあれも、豊穣の海の源となります」と・・・・・。

そして、載せていた三線を手にし「下手ですが、島唄を三曲だけ唄えます。ご希望があれば言ってください」と、沖縄民謡を上げた。誰も声を発しない、ではと小生は「十九の春」を所望した。

                             

馭者の若者は声を張り上げ、三線をつま弾いた。三番まで、きっちりと唄ってくれた。張りのある、よく通る声で、味わいがあった。目の前に浮かぶ小さな島、浅海を足下にゆったりと進み、南の国らしい雰囲気が漂う・・・・。凡そ、十分ほどで渡った。水牛はおとなしくて力持ち、水を恐れない。だから水牛か!

島内での滞在時間は40分、この短い時間内で島を巡るのだが・・・。亜熱帯植物が茂り、ブーゲンビリヤの植物園があるだけの島である。売店や土産物、水牛が休んでいる公園があるだけの島であった。植物園を覗き、小浜島を望む茶店でソフトクリームを口にして、砂浜にでて霞む小浜島を眺める。

              

そして、水牛車で戻るべく集合場所に戻った。また、水牛車で元の浜に戻る。今度の馭者は年配の爺さん風である。訊くと、島の観光に従事しているのは五十人ほどとか。水牛車は二十台とのこと。ハイシーズンにはアルバイトが来ると云う。ここで用済みになった水牛は、竹富島で牛車(これは集落を廻るだけ)を引くとか。水の中を歩むには、相応の力が要るようだ。

浜に待つ、観光バスに乗り込んで元の大原港に向かう。途中の電線に「冠ワシ」が羽根を休めていた。「皆さん運が良いですね」とは、ガイドの運転手の言葉。暫く、バスを止めてくれた。冠ワシは、ワシ類の中でも一番小形のワシだとか。どうりで、このワシをシンボルにする石垣島出身のプロボクサー具志堅も、軽量級だった。

西表ヤマネコを昼間に見ることはないそうだ。時々観光客が、路上のネコを見てヤマネコと騒ぎ、喜ぶことが間々あるそうだが「家ネコ」だと訂正してやると云う。山際の道路に、ところどころ滑り止めのような凹凸がある。これは、ヤマネコの横断に気を使わせるための仕掛けだとか。この島に住んで十五年なんると云う運転手でさえ、ヤマネコを見たのは数回しかないそうだ。

 そして、大原港に着いた。予定通り、12:40分発の船で石垣港に戻った。出発前には、遅い船にして港周辺の見どころを廻りたいと思ったりしていたのだが…、廻りには何の見所もなかったのだ。

 石垣に戻り、小浜島に渡りたかった。明日の朝は空港に向かうのだから。されど時間がない、船の連絡が上手くつかない。宿のある竹富島に戻ることにした。そして港のすぐ脇から出る、グラスボートにでも乗ってみることを思いたった。

竹富港に着くと、珊瑚礁や魚を見るボートの出航直前。連絡船と連携しているのだ。1200円を払って、グラスボートに乗った。船の真ん中が強化ガラスかプラスチック?両脇に客は並んで座り覘く仕組みだった。300m程先が珊瑚礁で、泳ぐ魚を亜熱帯の魚を上から覘く。天候の所為で海水は濁り気味、空は曇り空。この日の条件は良くない。

                             

 それでも、亜熱帯の彩をした小魚や、大きめの蒼黒い魚の泳ぐ姿が。珊瑚礁を見ることができた。一時、サンゴの絶滅が心配されたとのことだが、生えてきているとのことだ。帰り際、小さな海蛇が身をくねらせて泳ぎ去った。一瞬のことであったが。ここでも餌付けをしているとのことだが、ウミヘビの餌付けは無理だろう。

明けた三月二日、帰京の日である。九時発の連絡船に乗船するために、港へと送ってもらう。短い間であったが、世話になったホテルの前を、何もない風景撮る。

                          

来た時と同じように、石垣港前からバスで空港へ。昼に発つ便に搭乗前の食事を摂る。何を血迷ったか「握り寿司」にした。そして、オリオンビールの生を流し込んだ。ANAの最後部の機窓から、さよなら、サヨナラと八重山諸島の島々に別れを告げた。

                             

お仕舞!

明日から帰省します。お彼岸と第一回の草刈りがまってますので・・・。帰京は、21日の夕刻となります。それまで、さよならサヨナです。

 

 

 

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