オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ラ・フランスのコンポート

2018-12-17 | Weblog

12/17(月) ここ数日さむ~い、寒いのだ。本格的な冬の到来前と云うに寒さが身に沁みる。これも無職になるという身であればこそ、寒さも骨身に堪えるのかもしれないなどと、納得すべしか・・・・。

一時でも寒さを和らげるべく、昨夜の夕食は「スキ焼」にした。「土佐あかうし」の肩ロース肉を1,5 Kg用意したが・・・・。1Kgしか食べなかった。もっとも、息子夫妻がきただけなのでそんなもんか?。私は些か過食に・・・この十日ばかり食が進み過ぎている。

で、残った500gの牛肉の半分ほどは、今朝の弁当や義母のおかずにした。弁当もスキ焼き風である。弁当の紹介を先にすると、他には魚久で作治買った粕漬け、卵焼きと蒲鉾、それだけである。

              

何時ものように弁当が二つ、それに義母の朝食である。私の方は味見だけにし、グレープフルーツを半分だけ食した。胃腸をあらためて整えるために

                          

 ―ラ・フランスのコンポート―

では、本日のタイトル「ラ・フランスのコンポート」について紹介する。このフルーツ煮は、家人が時折作り私が好きなデザートである。ひと月ほど前にも家人が作ったのを食べたが、ラ・フランスはそろそろ時期外れになりつつある。今月の初めに、山形の物産を商っている知人から届いたが、この知人に赤ワイン煮のことを話すと知らなかったばかりか、レシピをと言われた。

そこまで言われちゃ致し方ない、届いたラ・フランスで赤ワイン煮を自分で作ることにしたのだ。実が柔らかにならない、もっと早くに作りたかったが帰省や夜の部が多忙で、昨夜になってしまった。

              

友人達から頂いたリンゴが沢山あったので、これも一つだけだがコンポートにすることにした。ラ・フランスは実が柔らかになっていた。煮るので、固めの方が美味しく仕上がるのだが・・・・。

家人から伝授された分量のワイン・水・砂糖を、鍋に敷いた果物がひたひたになるまで加えて、レモンを一切れ二切れ入れた。落し蓋をして中火くらいで煮立たないように気を付けながら、30分近く煮た。

                  

煮上がったものをそのまま鍋の熱が冷めるまで置いた。その間は、スキ焼の夕食タイムであった。食後、息子が暇にあかせて作った「リンゴのパイ」とコーヒーでデザートタイム。それから、やおら「ラ・フランスとリンゴのコンポート」を皿にいれて供したのであった。

一応の合格点はいただけたようだが、甘さ加減やリンゴにシナモンを加える時期などを工夫した方がよさそうだ。アイスクリームやヨーグルトを加えるとデザートとしてはベスト。息子夫妻は、引き揚げる際にラ・フランスの方を持っていった。

                        

 優雅なるオヤジの休日?と、云いたいが、この日は午後から会社に出て夕方に帰宅。夕食準備中の家人の隙きを縫ってデザートを作った。勤勉なるオヤジであった。その所為か、今朝は雨になっていた。

 

今夜は忘年会のダブルヘッタ―になった。モナリザ会と取引先との懇談である。今週も、酒場が俺を呼んでいる

 

 

 

 

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忘年会

2018-12-15 | Weblog

12/15(土) 昨日から更に寒くなった。朝の出社では寒風が吹き、本格的な冬の到来を肌身に感じた。そんな寒さの中、料理教室メンバーの忘年会を「高松」蕎麦店にて開催した。綺麗な盛り付けの料理に鴨鍋と、堪能して満腹になった。

神先生ご夫妻に、生徒のオヤジ達と女流カメラマンの花田女史も参加。番外の碓氷老も来たので十名になった。二次会は「セイジュ」に移動し、カラオケ大会に。セイジュではママさんが休んだので、自分たちで全てをセットした。

       

二次会で解散したが、流れて「ちょっぷく」へ。帰宅は零時をはるかに過ぎていた。

そして、今日の午後は秋葉原で開かれたシンポジュウムに動員されて参加。帰りは、スタッフと駅前の回転すし店にてビールと安い寿司まで食べてしまった。過食つづきである。おまけに、明日の夜はスキ焼を予定している・・・。

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ホタテご飯

2018-12-14 | Weblog

12/14(金) 週末を迎えた金曜日、今夜は「料理教室メンバーの忘年会」を高松蕎麦店でやり、引き続き「セイジュ会」に突入することになった。JIN先生夫妻と写真家のハナちゃんも参加予定。となると、心配は「高松」の席がどれだけ確保できるかである・・・、団体予約があるところに割り込みだからネ。

セイジュ会はレトロなスナック「セイジュ」で行う会だが、本日はママさんが病院に行くとかで、お休みなのだ。自分たち(私)で店を開け、灯りを点け、飲み物を作ることになる。他の客が来ても入れないことにしよう

夜の心配を昼間からしても仕様がないが、コーヒータイムで先ほど高松に顔を出して何とか八席分を確保した。多分足りなくなりそうだが・・・・。その時は、ふたご座流星群でも眺めてもらうか?。

さて、今朝の弁当だが「ホタテご飯」を炊き、ホタテのフライとサツマイモを揚げた。冷凍焼売に土佐竹輪。ネギヌタを作ってみたが、ヌタの方が美味くない。甘味不足で大人(?)のネギヌタとなった。されど、ホタテご飯は上々であった。朝は炭水化物抜きながら、つい一膳、食してしまった。

                         

 

 -33年前ー

さて、昨夜の話をするとだ。33年前に同じ係りにいたM君とS嬢が人形町まで来てくれた。退任の挨拶状を出してから直ぐに、「お会いしたい」との連絡を貰っていた。諸般の事情でそのままにしておいたが、年内の空スケジュールをメールするとすぐさま返事が届き、昨夜、会うことになった。

33年前、M君は野球部所属の新入社員として配属された。S嬢は入社三年目だったか、番号案内職から総務のスタッフとして迎えた。右も左もわからぬと言う表現が的を得ている。そんな状況の二人だったが、久しぶりに顔をあわした二人は貫録十分のベテランに成長していた。

あの当時のことや、今の仕事のことなど笑い話をしながら、経てきた年月を振り返った次第。若くして通信局に呼ばれたS嬢はその時の経緯を「ARISAWAさんが職場を見に来たとき、会釈をした私の印象が良かったから採ったと、聞きました」と云うが。そんな記憶は全然ない、私の上司が決めたと思っていた。然し、そう言われれば、何人かの候補者を見たような気もするが・・・。

M君は、野球のスラッガーとして鳴らした。引退後は総務畑の仕事をメインにし、今の職場の前は、私も在籍した横須賀の研究所に勤務していた。その当時に訪ねたことがあるし、共通の話題が沢山ある。

何の屈託もなく、年月を経ながらもこうして話が出来ることは楽しく、また嬉しいものだ。「うまし」の料理を腹一杯食べて貰った。

                             

二人を見送り、独り夜の散歩に出掛けた。行先は勿論「ローカーボ」、そして「セイジュ」、最後の店は駅に近い「ちょっぷく」である。セイジュは稀に見る大盛況であった。今夜の為に、店のカギを預かって退散した。「ちょっぷく」では、酩酊寸前のヤマちゃんに「飲み過ぎてると死ぬぞ」と愛ある忠告を!、しても馬の耳に念仏か。

この夜の最寄駅着は23:45分と、前夜より15分早かった。

 

 

 

 

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牛煮&郷里にて

2018-12-13 | Weblog

12/13(木) 昨日につづき、返礼品の牛小間にお出まし願い「牛煮」を作ることにした。昨日の「牛炒め」の評判は、あんに相違して好評「美味しかった」とのことであった。小間や焼肉用、ステーキなど6、6Kgの肉に、宮崎からの牛ブロック800gまで来たので消費しなければ・・・・。先ずは、米を磨いで炊飯器にかけた。

                            

「牛煮」と「鯛のポアレ」に、ホタテ&シメジのオムレツ、蒲鉾が二切れと云うことになった。鯛は、昨夜の帰宅時に改札前の東急ストアに残っていたものを買って帰った。零時と云う遅い時間なので、生ものの鯛二切れが半値になっていたのだ。

            

そして味噌汁を作るが、具はタマネギ・シメジ・トーフにネギであった。多めに作り、私も啜ることにした。と云うことで、今朝も弁当は無事に完成した。卵の写真、中の二つの小さな卵は土佐ジローと云う小形の鶏の卵である。空港に向かう途中にある芸西村の道の駅で買ったが、10個で540円也。卵かけご飯に丁度だが、今朝は目玉焼きにして食した。

                        

 

 ー 郷里にて ―

先週末の金曜日、東京から友人二人が来高した。F氏とT氏である。F氏は取引先の友人、Tは会社の役員をしており、私の片腕であった。その二人を歓迎するために、金曜日は猪鍋、土曜日は軍鶏鍋を用意した。

彼等が到着する前の昼間、オーダをしてあった愛宕柿が届いたので、この皮を剥いて吊るし柿にした。今年、我が畑の渋柿も散々で、滅茶少なかった。畑で取れた分は、11月の帰省で干し柿にしたが、これに物足りなくネットで愛媛県から取り寄せた次第。渋柿の皮を剥くと、爪先が黒ずんでしまった。

                   

昔は渋柿を川で潰して痺れ薬の代用にして魚を取ったこともあるそうな・・・・。

金曜日の夕、空港に彼等を迎え、た。猪鍋は、出掛ける前に煮込んでおいた。土曜日、天気晴朗なれど波髙しの西風が強い中を室戸岬に案内した。灯台と24番札所の最御崎寺、空海が修行した岬の洞窟に隆起した海岸は観光の定番コース。

               

岬の見物後は、廃校を利用した「廃校水族館」として人気を集めている、岬から4~5km先に在る椎名町の水族館に遊んだ。この水族館にいる魚は近海で取れたものばかりとか。地元で長年ウミガメの調査をしてきたNPO法人が運営を担っている。

魚は大敷と呼ばれる網に入ったものを漁師さんが届けてくれるとのこと。屋外のプールにはアカウミガメやシュモクザメなどがゆったりと泳いでいた。旧校舎内には円筒の大きな水槽にはエイやウミガメ、ブリなどが展示されていた。

面白く思ったのは、子どもたちの手洗い場を水槽に見立て、エビ・カニや貝、ナマコが身近に見れたこと。クジラや亀の標本も展示され、調査研究団体の運営らしく好事家には興味が尽きないであろう。

           

夕方、我が家から上流10kmほどの馬路村へ。村営の宿泊施設と温泉があるので、川沿いの小さいながらも温泉に浸かってもらった。帰宅後は「軍鶏鍋」を振舞った。この軍鶏は闘鶏用の軍鶏で、身が引き締まりかたいのだが、これをじっくりと煮込んで骨に付いた身を噛みはがすように食べるのが通である。が、都会人の口にはどうか・・・・。

                

我が町の東島地区では毎年闘鶏場所が開催される。昨年は親戚のMASAYASUがチャンピョンになり、新聞でも紹介された。MASAYASUに軍鶏肉と自然薯を頼んであった。良い肉と、いい自然薯を届けてくれたので、自然薯汁も作った次第。

日曜日、午前便で帰京するF氏を安田駅に見送ってから、Tを誘って地域おこしのイベント「なかやま山芋まつり」に出掛けた。我が家から15分程歩いた、学校跡で毎年この時期に開催される。県内各所から二千人程の人が来るそうだが、体育館にひいたご座の上に長テーブル、山芋汁や田舎寿司、酒・ビールをやりながらの抽選会、舞台上の素人くさい出し物と、田舎の祭りらしくていい。

「なかやま」と云うのは、町村合併の昔、我が地域は中山村であった。そのことから、廃校前は中山小・中学校であり、支所は中山支所であり、地域の総称として中山地区と呼んでいる。故に、祭は「なかやま山芋まつり」という。自然薯栽培は、中山の老人クラブが始めた経緯である。

                      

屋外のテントでは、山芋や鮎焼き等々の販売。小さな集落の一日だけの賑わいである。座り込んで飲むうち、酔った同級生や知り合いが現れて酌み交わし、すっかり酔ってしまった。それでも蜜柑畑にも案内し、夕方には、最終便で帰京するTを安田駅まで見送った。運転は妹に頼んだが・・・・。

                        

 

 

 

 

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久しぶりに・・・

2018-12-12 | Weblog

12/12(水) 昨日の夕に帰京した。久しぶりにブログをアップする。先ずは、今朝の弁当から・・・・・。

今日は「牛小間炒め」がメインだが、この牛小間は故郷納税の返礼品と云うやつなんだ。ふるさと納税の返礼品と云うのは、日本の寄付文化をゆがめる諸悪の根源と思っている小生が、それを利用するとは我が精神も地に落ちたと云うしかないが、背に腹を変えられぬ事情とお許しあれ。

この肉は、我が母校のある隣町、田野町からのものである。四国で一番小さな町というのをキャッフレーズにしており、以前は百万円の寄付で土佐赤牛を半頭分なんてあったように記憶する。赤牛と云えば、阿蘇の赤牛が浮かぶが、土佐の赤牛は赤身が美味いとのことだ。それに土佐赤牛は我が町が発祥との記念碑が、安田川の河口の国道脇に建っている。

その赤牛が小間やステーキ・焼肉用織り交ぜて6kgも届いたのは私が帰省中のことである。冷凍庫の中を軽くしようと早速弁当に使うことにしたのだ。肉を取り出してみる・・・・、あまり美味そうな気配がない。二年前の夏、高知に来たUSUI老は、TVで赤牛のことを知り、赤牛赤牛と騒ぐので、ひろめ市場で赤牛を食べた。老は喜んだが、さして美味いとも感じなかった。

さておき、食べるしかないと炒め、味付けをしないで一切れ食したが・・・・、肉の旨味が足りない。所詮は返礼品の肉かと思った次第。そこで、根コブ出汁と塩胡椒に醤油をひと垂らししたのであった。味の結果は、弁当を食す家人と長女の評価を待つことにしよう・・・。

他の菜は、ホタテのバターソテー、塩秋刀魚焼き、出汁巻卵であった。

                       

ついでに、高知に発った6日の朝も焼き肉であったか。ブリ塩焼きに塩揉み胡瓜、卵焼きであったが、それも写真を載せることにする。こっちの方が豪華じゃないか?。

                      

 

今日はここまでにし、高知のことは明日にでも紹介したい。

 

 

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雨の朝

2018-12-06 | Weblog

12月6日(木)目覚めると雨の音が・・・。幸いにも昨夜の帰宅時は雨に合わなかった。昨夜は、横須賀にある研究所に勤務した当時の単身者用の寮で一緒だったメンバー5人に、隣にあった店、埼玉家のご夫妻を交えた7人だった。

年に一度この時期に集い、旧交を温めており、今回は私が幹事役であった。人形町での勤めも残り少ないことから、この町で馴染みにしている店で開くことにした次第。今夜も「うまし」さんで一次会、二次会は「セイジュ」でカラオケと云う趣向である。

集合時間の午後六時に皆さん集まり、「うまし」まで三分で着いた。早速、ビールやハイボールで乾杯。酔いがまわらぬうちに近況を話してもらう。埼玉家の夫妻は、息子に完全に店を任せたとのこと。私が会社を辞めること、現役の二人はさしたる変化はなく、OB二人はボランティア活動と子供の結婚 が話題であった。  

「うまし」は変わらずに店は繁盛していた。「セイジュ」には客の姿なく、我らが口切であった。

       

楽しいひと時を過ごし、メトロの駅に見送り、三橋君とローカーボにてハイボールを飲んで仕上げにした。  

これから雨の空港に向かい、郷里への便に搭乗する。

 

 

 

  

 

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うかい竹亭

2018-12-05 | Weblog

12/5(水) 昨日、前々から誘いを頂いていた昼食を友人のWAKABAYASHI氏と一緒にすることとなった。場所は氏の自宅からさほどの距離でもない高尾山麓にある「うかい竹亭」になるだろうと想定し、待ち合わせの豊田駅に向かった。中央線の遅延などもあり若干遅れたが、十一時過ぎに到着。

氏の車に同乗して高尾へと向かった。「うかい竹亭」に行くのは十数年ぶりか、山懐に抱かれるように点在する食事処は、野趣と風雅のある料亭で好みである。楽しみにして、途中の景色を楽しむ。甲州街道は八王子・千人町につづく銀杏並木は見事に紅葉していた。千人町、遡ると江戸時代の甲州勤番、中仙道の守りを担った千人同心が住んだことに、その名を由来するに違いない。

                        

斯様なことを思念しながら、八王子市に住まう誰彼の名を互いに出して現役時代の往時を辿る。それも、同じ時代を生きてきた中なればこその話である。

京王線高尾山口駅を過ぎると、道路は山中に入る。周りに迫る木々は紅葉の名残りはあるものの燃えたつようなあの紅葉ではない。少し、くすみ掛かったような紅葉であった。『一週間か十日早ければよかったね』などど言ううちに「うかい亭」への道にはいる。迫る山間の中に合掌造り風の店が見え、駐車場には車が・・・・。

処が、店前には看板が立っている。なんと、本日は休みの。残念なことになった。少し周りを歩き、余所の店へと向かったのである・・・。

             

「ごん助」なる店で食事をし、豊田駅近くのカフェでコーヒーを飲み、暫しの歓談。すっかりお世話になり、夕方前に人形町に戻った。

この夕、「うまし」にて、これまで協力頂いたライター&カメラマンの四人を招き、懇談することにしていた。これに段取りをお願いしたスタッフのFUJIKURA君を交えた六人での会だが、皆さんへの御礼の場であった。酒がすすむほどにカメラマンのクマちゃんは舌好調!。俺に「選挙に出たら、皆で応援するから当選間違いなし」と、持ち上げる。『それじゃ、次の国政選挙だねぇ~』と応じた。

二次会は「ローカーボへ。この夜もローカーボは満席状態になった。ローカーボの後は、「セイジュ」に向かったが、HOYA兄いと二人である。先にセイジュに着くと「今夜も誰も来ないの。昨夜はHOYAちゃんだけだったのよ」と老いたママは嘆く。『明日は七人だから頼むよ』と応じて、暇な店店のママを慰めた。

そう、今夜は横須賀研究所に勤務した時代のメンバーで人形町で飲む。年に一度の会、今年の幹事が私になり、人形町で開くことにした。一次会は「うまし」で、歌好きなメンバーなので二次会は「セイジュ」をお願いした。こと有るごとに地元の店を使わせてもらうのが、パトロール隊の流儀。

話が逸れたが、昨夜の帰宅は零時前であった。

閑話休題、先週末からBLOGを書いていないので、日曜日の暴走オヤジたちの房総日帰りバス旅について触れておく。

日曜日の九時、人形町に集合したのは16人であった。二十八人定員だとかのマイクロサロンバスに乗り込むや否や、酒が廻されて車内宴会に突入。一時間も経たないうちにマイクが廻ってカラオケがスタートした。生憎の寒空であったが、そんなことはお構いなし。休憩タイム以外は、飲む唄うの連続であった。

大人しい私は目だたぬように気遣いながら、沈思黙考をつづけるのみ・・・・。日蓮上人ゆかりの誕生寺に詣で(見ただけか)、鯛の浦へと。ボートに乗って餌付けの鯛場へと向かう・・・・。処が鯛らしき赤や桜色の姿は見えず、青魚ばかりが餌に群がってくる。大いに帰隊が外れ、鯛の掴み取りを断念せざるを得なかった。

                

ランチは「ホテル三日月」のバイキングだったが、食べる気もおきない私。皆さん風呂へと向かったが、飲酒後の風呂を慎む習慣の私は、独りでロビーの椅子に腰を落ち着け、海を眺めながら・・・行く末について黙考するのであった。

                       

帰路に立ち寄る予定の「養老渓谷」は、道路が渋滞とのことで断念。そのまま帰路についた。大いに渋滞していたが、そんなことは全く気にならないぐらいに酒&カラオケで車内は盛り上がりつづけたのであった。夜の帳が降りたのさえきずかなかったかもねェ~、私以外は。

                       

予定より小一時間遅れて帰着し、反省会と称する飲み会が「ローカーボ」でスタートしたのは言うまでもない。

 

月曜日から今日までの弁当だけはテーマなので写真紹介したい。

                 

    

明日の午後便にて帰郷します。週末、東京から友人のFUKANO氏と会社のTANAKA取締役が来高する。彼等を案内し、お定まりのコース室戸岬や中岡慎太郎記念館・馬路村などの予定。日曜日は田舎のイベント「なかやま山芋祭り」で、体育館に座しての田舎ならではの酒盛り体験と云うことになろう・・・。帰京は11日の火曜日、夕刻です。

              

 

 

 

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鮭まぶしご飯

2018-11-30 | Weblog

11/30(金) 愈々、11月も今日でお仕舞。私の勤め人生活も余すところ師走の一ヶ月を残すだけになった。そんな次第で、昼間は暇だが夜の部だけは忙しい。今夜は池袋で、KISHIMOTO大兄との二人忘年会である。池袋に行くと何時もご馳走になるので申し訳ないのだ。かといって、飲むのを手控えるわけでもないが。

大兄には我が貧乏・零細の事業では、常に激励を頂いてきた。どれほど有難く、心強かったことか・・・・。一席を設けるのは私の方であるが、依然甘えてばかりだ。

昨夜は同郷の友人であるMATUMOTO氏が人形町に立ち寄ってくれた。といっても、彼は東陽町にある学校で講師をしているので、回り道と云うほどでないが。何度か一杯の誘いを貰っていたが、葬儀や法事での帰省、他の約束などで断ってばかりだった。昨夜は珍しく予定がなかったので、連絡を入れた次第。

「うまし」で二人の旧交を温め、正月に郷里であると言う小・中学校の同窓会のことを聞き、在郷・在京の同級生に連絡、タイにいるNOGUCHIも帰国するかも?と聞く。彼等とは小中学校が違うが、高校が一緒の友達がいる。会いたいものだねぇ~となり、二次会に乱入することにした。正月は、3日~9日まで帰省予定である。

二軒目は「ローカーボ」でハイボールを!。HOYA兄いが居り、三人で「セイジュ」に移動した。俺たち二人のカラオケに降参したMATUMOTOが先に逃げ出したが、HOYA兄いとカラオケをつづけてから、「ちょっぷく」に辿り着いた。白ワインを飲んでから帰ることにしたが、兄いは性懲りもなくローカーボに引き返した。元気である

そんなことで、帰宅は23時半過ぎであったろうか。料理教室メンバーでの忘年会と、十二月のセイジュ会を十四日にやることにした。JINパパからの返信メールは「親が危篤でも参上します」とあった。

斯様な日々が夜毎つづいているが、年内に懇談或いは歓談をしたい、すべき人が十数人いる。上手くスケジュールを組めるといいのだが?。既に十一日までの予定は埋まっている。私的な大事なスケジュールが決まれば、調整にはいるつもりだ。

月曜日はサラリーマン時代の会社のOB懇談会後、津川さん宅へ。火曜日の昼はWAKABAYASHI君と高尾あたりで食事し、夜は「うましで」世話になったライター&カメラマンに来て貰い懇談。水曜日は横須賀時代のメンバーで埼玉家会なる飲み会を「うまし~セイジュ」でやることになっている。そして、6日~11日まで帰省するが、東京からNOBORU&FUKANOの両氏が遊びに来る。

と云うことで、今朝を迎えた。今日の弁当は「鮭まぶしご飯」であるが、これは以前にJIN先生宅で馳走になったのを思いだしてのメニュー。菜の方は、掻揚げだが、先日のアンテナショップ巡りで冷凍白エビを買ってきたつもりのメニュー。なんと、冷凍庫掻き回しても白エビの姿は見当たらず。致し方なしで、小エビとタマネギ・人参・牛蒡の掻揚げになった。

茄子天にホウレン草のお浸し、キュウリ&紫蘇の塩揉み、出汁巻卵が菜である。

                    

鮭まぶしご飯を作ったっからではないが、先日上京して宇治には碌な魚がないと嘆いていたOKAYASUさんに「なら今度、鮭を送ってやるよ」と言ったのを実行すべく、築地場外市場に寄ることにした。場内市場が豊洲に移ったので、場外の鮭屋「昭和食品」で買うことにした。

「昭和食品」は、その昔によく鮭を贖った店である。先代のオヤジが目利きで、いい鮭があった。今は、何代目かしらないが、女性が取り仕切っている。未だ先代が生きている頃だったか、この女性が新聞で「目利きの跡継ぎに」だったかで、紹介されたのを覚えている。小さな店先で『先代が亡くなって何年になるかな?』と訊くと「三十年になります」との応え。『そんなになるんだ。貴方が新聞で紹介された人だよネ! 』と確認すると、そうであった。

場外市場は相変わらずに外国人客を中心に賑わっていた。それに寿司屋と買い食いができる店が大幅に増えた。

                        

然し、場外市場で魚を買う気にはならない。年末にお節用の豆類とか出汁用の昆布を買うことがあっても・・・・・。

 

  - 日曜日 -

今度の日曜日、パトロール隊の日帰り旅である。永世幹事のマッチャンの計らいで、小型バスで鯛の浦から養老渓谷を巡るらしい。人数も17~18人と多くなった。バスなので単価を抑えるために大募集をかけていた。天気の方もなんとかよさそうだし、千葉か?と難色を示したが養老渓谷の紅葉も見ごろな気配。皆さんが楽しんでくれればいい。

 

 

 

 

 

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炊きこみご飯&トンカツ

2018-11-29 | Weblog

11/29(木) 今日の弁当ご飯は「松茸ご飯の素」で炊いた。グリコの製品だが、他の炊き込みご飯の素に比べると値段は倍近かった。そんな高価?なものを使い、おかずのメインは「トンカツ」とチグハグな組み合わせのように思うが・・・・。

トンカツと一緒に椎茸カツも揚げる。椎茸カツ、これが美味いんだ。チンゲン菜と豚バラ肉のソテー、アスパラ&椎茸のソテー、揚げ物で使った溶き卵にパン粉の入ったチジミ風焼。以上が、今朝の弁当である。

                        

松茸ご飯を一口だけ味見したが、これが結構なお味であった。トンカツ、椎茸カツも一切れだけ味見、これも上々です。

 

午前中の南青山のサイネージ会社をスタッフと訪問。昼ごろに半蔵門線で人形町に戻る。半蔵門線の駅なら水天宮駅になるが、出口を間違えて水天宮口に出てしまった。ついでだと、改装後の水天宮を初めて見てきた。ちょっと遅い七五三参りの家族連れが二組程・・・・。

                            

建物は建て替え前と変らぬように思えたが?、以前の建物も記憶が定かじゃないからねぇ~。

 

 

 

 

 

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牛小間炒め

2018-11-28 | Weblog

11/28(水) 昨夜は親会社の役員と後任社長の三人での懇談。「うまし」で19時過ぎから始まり三時間も飲みながらの話がつづいた。会社の今後についての生真面目な話から料理の話と尽きなかった。そんな次第で「ローカーボ」で佐賀から戻ったジムコのNAKAMURA社長と落ち合う予定が大幅に遅れてしまった。

「うまし」を切り上げてから、三人で「ローカーボ」に移動したら、NAKAMURAさんやマッチャンと何時ものメンバーが揃っていた。この夜もローカーボは盛況であった。23時を過ぎたので、盛り上がっているメンバーを残して失礼した。「セイジュ」の前を通ったので顔出すと、帰り仕度を始めていたが一杯と一曲だけお邪魔をして切り上げた。「ちょっぷく」も店仕舞いをしていた。

学芸大学駅に着いたら、改札前の時計の針は24:05分になっていた。帰宅してからも一時間以上CDを聞きながら起きていた。そんな所為か、会社のデスクに居ても眠い・・・・。

今朝の台所入りは7:30と遅かった。されど、作るメニューが限定されていたので弁当送りだしには影響なし。今日は牛小間炒めと、卵焼きに鮭焼き、ブロッコリを茹でただけである。

                       

 

昨夜の三人での懇談の折に、予定どおり12月末で会社を去ることをお願いした。何時までも古い人間が居座ると、スタッフの意識も変わらない

私も新年から、新たな航路に進みたい。せめて年内は、これまでお世話になった皆さんと大いに飲み、かつ語りたい・・・・・。

今夜は渋谷「奈加野」にてN社グループの県人会がある。日本酒の飲み過ぎに気を付けよう。

 

 

 

 

 

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