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オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

揚げ物

2016-01-29 | Weblog

1/29(金) 週末を迎えたが、今日から雨になるとのこと。明日のK大兄との築地市場探検と、日曜日の平和島ボート遊びが雨に邪魔されて、楽しさも中ぐらいとなりにけるかも・・・。

昨夜は中華そばの「三浦」へ直行した。遊び相手は人形町巡回検非違使のマッチャン。顔利きのマッチャンが、三浦の込み具合を確認して、席をキープしてくれた。この夜は肝心のラーメンを自粛し、野菜系と肉を摘みに貧乏人の味方ホッピー&ハイボールで軽めに喉を湿した。

昨日の昼食に、立喰いの「もりそば」を食したが、この時から妙に寒かった。風邪気味になったようで、夕方から体調が思わしくなかった。当初、ランチは、天麩羅蕎麦でも食べようと思っていたのだが・・・。社内ミーティングの時間が迫ったことから、立ち喰いの290円の蕎麦に格落ちした。天麩羅蕎麦1300円の出費予定が290円で済んだが、その後から体の冷えがつづいた。290円じゃ、馬力もつかねえや・・・。

そんな状態だったので、三浦からHOYA兄いが待ってると云う「ローカーボ」に席を移したが、ハイボール一杯で切り上げた。十時になり、悪童連を置いて一足先に失礼した。帰宅は23時前と、謹厳実直なオヤジぶりであった。

で、今朝は六時の起床。曇り空がどんよりと広がり、空気も重く垂れ込めていた。暫し今日のサイドメニューを考えてから台所に向かった。

昨夜の帰宅後に、今朝のメインメニューは決めた。「鶏唐揚げ」と「ホタテフライ」である。サイドメニューで迷ったのが焼き魚。鯖文化干しか、鮭か秋刀魚かかと、迷っていたのだ。色目のいい鮭の切り身を焼くことにした。それと、パスタのサラダ風仕上げ、卵焼きで本日のメニューが決定した。

                       

ご飯が炊きあがる間に、菜をせっせと作る。とは云いながら、大した作業ではない。茹で・焼き・塩・胡椒を振り、醤油を垂らしたりと手慣れたことの連続だ。今朝は二人分の弁当であった。

                            

 

今日の午後、大手町の某社へ。ここに勤務する後輩のTUCHIDA君を久々に訊ねる。その後、新宿にて「八丈島会」の新年会に出席する。八丈島の会も、ここ数年活動が休眠状態になっている。情報誌のOB対談で、この会のメンバーに登場頂いたこともある。このまま、年に一・二度の飲み会だけになりそうな気配だ。

 

 

 

 

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自粛明けて・・・

2016-01-28 | Weblog

1/28(木) 昨日の15時前に羽田に着いた。土曜日から昨日の昼まで郷里過ごし、休養充分で馬体は更に増加。冬を乗り切るために脂身を蓄積しているのかも?

実家での夕食は従姉や親戚のKATUOが毎夕来てくれ、賑やかな食事であった。土曜日は「カツ丼」と「ネイリの刺身&アラ焼」、日曜日は「鶏&白菜鍋」に「手羽の唐揚げ」、月曜日は「フグの鍋&唐揚げ」と「タイ刺身」、月曜日が「すき焼き」と「掻揚げ」。これらに、野菜煮物・サラダと味噌汁、そして定番のビール。これじゃ馬体は増える一方さ。

帰京した昨夕は、七時前に焼き鳥の「駒吉」へ。ここで不動産業のマッチャンと待ち合わせた。ビルの競売のことで業界人の意見を聞こうと云う次第。「駒吉」には、マッチャンと佐賀から上京したばかりのNAKAMURA社長の姿があった。私は珍しく『ぬる燗で頼むよ』と、菊正宗の燗酒をオーダーした。一週間も断っていた酒場巡りの再開である。

NAKAMURAさんは、今月三度目の上京である。今回は腰を落ち着けて、新年度に向けた営業活動をするとのこと。実に関心な姿勢だ。私なんぞは爪の垢でも頂戴して飲むしかないな・・・。マッチャンに不動産会社から届いた書面をみてもらい意見を聞く。「どうも裏があるね」と、意見は一致したが・・・、さて、どうするかだ。

駒吉から、三軒先に在る「ローカーボ」へと移動。未だ先客はいない。我等三人にマスターが参入して、大人の会話で大盛り上がり・・・。其処へ独りのおとなしげな客が・・・、ちっと離れた椅子に腰を下ろした。それまでの大人の会話、AVの話題のトーンを落とした(上品な店の上品な客という、スタイルを装った)。が、マスターが一言・・・・「こちらはAVの監督さんですよ」と。

一瞬、湧いたね!それまでの話題に尤も相応しい人物の登場だ! 。それからは、AV業界の景気は?かつての人気女優のその後、婆さんAVの流行について。出演料のことから撮影時間や、役立たずの男優の代役に立つ話と・・・・大いに笑い、盛り上がっている最中に、MIYAKE君が登場。今度は彼が摘になって、さらに会話が弾んだのは云うまでもない。

                         

いい年をしたオヤジどもが揃いに揃ってバカ話で鋭気を養う。安い遊びではあるが、一向に進化の跡が見えぬ小生である。然し、人形町にAV制作をしている事務所が在ったとは、知らぬが仏だ。一言お断りをするが、小生はAV鑑賞の趣味は持ち合わせていない。好きな映像はネイチャーものなのだ。

大笑いをした後は「ちょっぷく」へ移動。なにしろ一週間ぶりの酒場巡りだからネ・・・・・。時刻は22時ごろになっていたか。

一週間ぶりの「ちょっぷく」は大盛況。奥の方に空いた席を見つけて、そちらへ向う。と、店長のYAMAちゃんが「なぎら さんが来てるよ」とオイラの手を引いた。入り口で壁を背にし、皮のハーフジャケットに洒落たグレイのハット姿の氏が、若者と二人でワインを飲んでいた。

『やあ、しばらくぶり。こっちの若者は?』と問うと、「息子だよ」と返ってきた。見ると、確かに似ている。その息子が「あの写真の人ですか?」と訊く。そうなんだよ、なぎらさんと一緒に撮った写真が、チケット販売機の中に鎮座したままなのだ。

なぎらさんと少し話をしたが、彼の住いがなんと我が目黒区だったとは。それも、目と鼻の先といえる住所だ。おまけに息子が学芸大駅の東口で「らくらく」と云う店名のお好み焼き屋をやっているとのこと。世の中狭いんだ・・・・。

そんな話をしながら、白ワインをがぶ飲み。自分たちの席に戻り、今度は赤ワインだ。すっかり出来上がって仕舞い「カラオケだ、演歌だ」と騒いだ。さしものの客もだんだんと去り、NAKAMURAさんが好きだったという「なぎらさんの歌、土俵上で若秩父のフンドシが落ちた・・・」を、マッチャンがスマホで検索してスピーカーから流した。この歌を聴きながら、またしても大笑い 。

                                            

こんな写真を撮られた記憶はないが、マッチャンが「写真いいですか、と問うと。『そっちに行くよ』」と、息子ともども我らのテーブルに来てくれたらしい。その記憶は消え失せていたが、翌日このシーンがマッチャンから届いたと云う次第。

とうとう店長YAMAちゃんがマイクを握る。「江連子のおんな」と「故郷のはなしをしよう」を、熱唱した。演歌酒場・居酒屋演歌のオープンだ。最後まで残っていた客(なぎらけんいち)も、とうとう帰ってしまった。

                        

 気が付けば、時刻は午前零時。シンデレラの電車が終わる時間になっていた。帰るぜ、と云うと「最終は零時17分だよ。まだ時間はあるよ」と、店長のYAMAちゃんが引きとめる。マッチャンとNAKAMURAさんは、もう一軒と「おたぬき」さんの方に向かった。元気なオッサンたちだ!

メトロの最終に乗り、帰宅したのは25時であった。脳内神経と細胞が混濁してしまったオイラは、飯を喰ってしまった・・・最低だ。それでも、五百円玉を預金BOXに入れるのは忘れなかった。土曜日からこの夜までに貯めた十一枚を落とす・・・・もう満杯まで一息だ。

 

日曜日、畑で柚子の剪定など・・・・。柚子の長く鋭い棘で、指や手の甲を傷だらけにしてしまった。この硬くとがった棘は、長靴の底も貫くほどなのだ。畑に行って先ずするのは、火熾しなのだ。焚火・焚火だ!風が少しあって寒いが、焚火をすれば暖かい。いつまでも火の傍じゃ仕事にならないが・・・・。

地面が熱くなり炭が出来た頃に、一旦焚火をどけて芋を埋める。焼芋なのだ。小さ目のサツマイモを六個ほど埋めた。その上に灰を掛けて、焚火をする。イモは銀紙で巻いてある。じっくりと、じっくりと焼ければいいのだ。その間、作業だ。この日は、親戚で大工のKATUOが助っ人、と云うよりは主役の仕事人だ。

三時前に芋も焼けたようだと、仕事を切り上げて火にあたりながら芋を喰う。ほぼ完ぺきな焼け具合に満足した。すっかり焼芋が上手になった。

                    

月曜日の午前、軽い脳梗塞になって入院中した叔父を、安芸病院に見舞う。見舞いがてら私も診察を受けることにした。前夜から右後頭部がずきずきとし始めたのだ。ここで倒れちゃ、廻りが大変だ。病院に行くついでに、時間が掛からないようなら診てもらうことにした。脳神経外科の受付をしてから、叔父の見舞いに病室へ。叔父は顔色もよく元気そうだが、車椅子になっていた。脳梗塞の後遺症か・・・・。

私の方の診察は簡単なものだった。小増のようなDrから問診を受け、CTを撮る。その結果も悪いところは見当たらないとのこと。血圧がこれまでの最高値に上がっていた。こ の所為かな?これじゃ、前夜に家人が電話で言ってたのと同じだ。

昼過ぎに診察を終え、一緒に病院に行った従姉夫妻と食事を摂ることにした。期間限定で店がでている「土佐次郎の親子丼」の店に案内した。この店は二月ほど前に妹夫妻と一緒に入った。土佐次郎の親子丼は珍しかろうと案内した。美味しい美味しいと食べていたが、私には出汁が甘すぎだ。

                         

残念なことに肉は、小指の爪先程が四切れしかない。もう少し欲しいようね!これで、味噌汁と沢庵二切れで千円。美味しくはあるが、肉がねぇ・・・。 

帰宅後の四時、社協の老人福祉担当とケアマネージャーが来宅。母の介護プランなどについて話を聴く。これが、今回帰省のメインだった。老人のことを書いてもしょうがないんで省略。

 火曜日、午前中に土佐文旦の収穫をする。今年は、実りが少ない。昨年の半分ぐらいだ。どうせ腐らしてしまうので、これぐらいが丁度いいかも。午後から柚子の剪定のつづきをする。畑にて焚火、焼き芋の第二ラウンドも始まった。イモが焼けた頃合いに従姉が来る。この日も焼き芋の出来栄えは上々。

                    

                             小夏        レモン

故郷の川の水は冬枯れで、めっきりと水量が減っている。この流れからは、夏の台風の時のあの荒れ狂うような流れは想像できない。

                          

 

最後に、今日の手抜き弁当を・・・・。

「秋刀魚塩焼き」と「キャベツ・モヤシの豚バラ炒め」、「オムレツ」と非常に簡単で手を抜いた弁当になった。その原因は?ご飯だけは鍋で炊いた。

                       

幸いなことに、今日は長女が休みで弁当要らず。家人は弁当要らないと言ったが、意地で作ったが・・・手抜きは手抜きだ。ご飯の上に、釜揚げチリメンジャコを散らして醤油を少々。

 

 

 

 

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唐揚げ&焼肉

2016-01-22 | Weblog

1/22(金) 週末となった。時の経過は早いが、私の脳の動きは反比例で遅くおそくなっている。一昨日の夕方、携帯から発信した相手先に覚えがないことを昨日の朝に気付いた。一体何処に掛けたのか?どう考えても思いださないのだ。

気色が悪いので、会社に出てから書類などをめくったがそれらしき電話番号は見当たらなかった。昼になり、歯の治療に行った。一時間ほど口を開け、診療椅子に仰向けにされ、無防備であらわもない姿にされていた。三割負担の結構な治療費を支払い、その代価が半分痺れた歯茎と口であった。

口の痺れが治まりかけた頃、YOSHIOとベローチェでランチとなった。例の300円コース、内訳はコーヒーが190円、一枚パンのジャムサンド110円と云う淋しき懐のオヤジ御用達と云うやつだ。たっぷりの量に色だけは茶色のコーヒーを、半痺れの口からこぼさぬように注意しながら飲んだのは言うまでもない。その昔、痺れた口でランチを食べて、唇を噛みまくり血だらけにしながら気付かなかったと云う、苦くて笑えない体験をしているのだから。

病院の待合室のようなカフェの長椅子に背を待たせて、安サンドを食した後の一服をしながらYOSHIOと雑談をしながら、昨日の不明電話先のことを話した。『オレモ本格的にボケたな、時分で電話を掛けた先が分らなくなったよ」と。「じゃあもう一度掛けてみれば。そうすると分かるよ」という。

『その手は一度試したけど、出た相手がなんと言ったか聞き取れなかったのよ。二度も三度もやる分けにはいかんだろう。みっともなくて!』

すると「じゃあ俺が掛けてやるよ。いけねぇ、携帯は会社に置いたままだ」と、役に立たん奴だぜ。そう思っていたら「昨日の夕方に掛けた電話だろう・・・、なにがあったかと云うと・・・。それって歯医者じゃないの?」ときた。

一瞬にしてオレの記憶がよみがえったね。そうだよ、重い腰を上げて漸く歯の治療をしようと決断したのは昨日の午後だ。そして、100m先に在る、歯科に予約を入れたのだ。私用だと、会社の固定電話でなく携帯から発信したのだ・・・・。

『バカだね、オレハ。それに比べて君は偉いよ!素晴らしい推理力だ。これなら、探偵になれるよ。フリップ・マーローや、ハリー・ボッシュのような探偵に。会社辞めて、オヤジ探偵とかジジイ探偵を売り物にするといいぜ!!』と、誉め讃えたのであった。

YOSHIOとは、タバコを一服点けるとき、ランチと一緒である。一服しながら話を聴き、する。だから、前日の歯科に予約を入れたことも話したし、昼に歯医者に如何に酷い目にあったかも喋っているのだ。然し、聞いた人間が分かることを、当事者のオレが思い出せないとは。耄碌も極まったか・・・。

 

随分と長く、かつくだらない自己批判がつづいた。そろそろ弁当の話に入ろう。

                         

今朝の弁当は「焼き肉」がメイン。それに「鶏唐揚げ」がつづく。焼肉は一昨日も出たが、今日はその時の残りだ。タマネギとネギ・モヤシが少々加わり一緒に炒める。

                            

「鶏唐揚げ」は、前夜から刻みニンニク入りの出汁に漬けておいた。ニンニクの香りが強すぎないかと、気になった。一緒にサツマ芋とスナップエンドウを素揚げした。

                         

卵料理は「ニラ卵」にしたが、長ネギも少し加えてみた。如何なものかは、明日の朝にでも結果を聞けるだろう。そして、鯖の文化干しを焼いてお仕舞となった。

                                

6時45分から7時30分までの、OYAJIの遊び時間であった。明日の午後便で、月例の帰省となる。帰京は、水曜日の夕刻だ。それまで、お弁当はお休みを頂く。田舎の畑で、焼芋と蜜柑の剪定でもしております。

                         

お休みと云えば、火曜日から昨晩まで「酒場巡り」を控えていた。この際だから、来週の水曜日まで休暇を、酒場巡り休暇を申請する意向だが。問題は休暇申請が受理されるか、認められるかだ・・・・。神様から?

家人にそんなことを ―酒場休暇のことを― 云うと、「反動が怖いね」と云いやがった。例えリバンドがあったして、以前と同じじゃないかと思うのだが・・・。

 

 

 

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蛇とチンジャオロースー

2016-01-21 | Weblog

1/21(木) 夜中に目覚めたが、また眠ることができた。深夜に目覚め前の夢なのか、或いは朝の目覚め前なのか定かでないが、「蛇を打つ」夢だった。何処か判らぬ田舎の畑や石垣、きつい傾斜地に建つ屋敷と漆喰壁。壁沿いの斜面に数本聳える杉の木と細い谷の流れ・・・・・。そんな場所を辿っていた。

何故そんな処に居たのか、それに至る話柄の流れがあるはずだが覚えていない。覚えているのは、傾斜地や畑の石積の間にどくろを巻いた、石の色をした縞模様の蛇のこと。それを、重い金槌で打って歩いていたこと。蛇を潰したその感触が、指先なのか脳なのか判然としないながらも未だ残っている。

夢から目覚め、最初に考えたのは「なんでこんな夢を見ていたのか?」であった。最近の蛇が出るシーンを思いおこすと、週初めに立ち寄った「ローカーボ」でチラシラと見た映画の中だ。その映画はイタリアだかギリシャあたりの映画で、山羊飼いの一家の物語。その映画野中に、石垣にいる蛇を殺すシーンがあった。そう云えば、夢の蛇と映画で見た蛇の模様や姿がとても似ていた。

蛇を打つ夢から醒めた後の気分だが、どうってことはなかった。二日酔の朝のような悪い気分も、台風一過の青空を見上げた爽快な気分もなし。なんでこんな夢を見たのだろうか?だった。

時々と云うか、稀にと云うべきか「蛇」が出てくる夢は見る。古に、邪悪だとか、或いはお金ができるとか諸説あるようだが、夢は夢。されど、どこかに夢の物語に繫がる発端が、繫がるべき思念なりシーンがあるはずだと思うが、如何であろうか。

 

弁当とは何の関わりもない話が冒頭になったが、物事にはすべて関わりが、繋がっているものなのだ。今朝の場合は、夢のお告げではなく、夢の所為で起床が遅れたと云う事実だ。蒲団から出たのは、今朝も七時になっていた。

大慌てで弁当だ!ご飯を電気釜で炊いていては間に合わぬ。鍋で素早く弁当用のご飯を炊く。今日の菜は「チンジャオロースウー」と決めてあった。大急ぎでピーマンと筍を細切にし、出来合の肉とタレを解凍した。

                        

他には、「冷凍生鮭のソテー」それを中華風の味付けにする。そして、「ネギと若布のヌタ会え」と「スクランブルの卵焼き(刻みホタテ入り)」であった。最後の卵焼きは、時間が足りずスクランブル風にせざるを得なかった。写真の菜も弁当も、長女の分が去った後のものだ。

                          

 

 昨日の午後、来客の予定が急遽延期となった。午後の時間がぽっかりと空いたので、思い立って「神田明神」に参拝することにした。神田明神は、江戸百八町の守護神で、会社の在る日本橋界隈も氏子となある。が、三年前まで詣でていなかった。

三年前、酒場の席ながら某氏が神田明神のお守り「勝守り」を頼りにし、そのご利益に帰依していると言った。どんな神からも仏からも、ご利益に与かった覚えがない私だが、他人様の信ずるものを信じて帰依するのも一興かと、それ以来神田明神の「勝守り」を持つようになった。

神様から借用したままの古いお守りをお返しし、新しいお守りをお借りしますと「神田明神」の御本尊に願い奉ったのである。幸いにも銀座線で二駅、末広町駅で降りればいい。至近とも云える処に在る。然し、この日の午後から風が強くなり急に寒くなった。あたかも、日頃の信心の足りなさを責められているかのような冷たさである。

                            

そんな寒さであったが、明神様の狭い境内は参拝客で賑わっていた。平素の信心不足をお詫びしつつ、二礼二拍、一礼をし、国家安泰・社業繁栄とともに“お宝来来”を願ったのである。多くを願った割にはお賽銭が少なかったかな? そして社務所にて「勝守り」をしっかりと借用した。因みに、その借用料は500円である。

                                     

 

 先ほど、渡邊一雄さんから電話を頂いた。奥様の昌代さんが、深夜に亡くなったとの連絡であった。数年前、癌治療ために療養をしているとお聞きして以来、気になっていた。渡邊さんと顔をあわす機会があるたびに様子を尋ねてきたが。年末辺りから入院をされたと耳にはしていたが・・・。

そんな次第で、明日参加を予定していたOB会の七福神めぐりは欠席。「聖ルカ礼拝堂」での渡邊昌代さんの葬送に参列することになった。渡邊一雄さんにとっては、昨年夏のご子息の逝去につづき、辛い年明けになった。覚悟していたとは云え、その胸中を思うと・・・・・。

 

 

 

 

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焼肉弁当

2016-01-20 | Weblog

1/20(水) 今朝の目覚めは6時30分、サラリーマンをしている時代の夢から醒めて目覚めた。三つ子の魂百までの諺どおり、今だにあの時代の夢を見るとは・・・。いい思い出だけが、或いは夢の中で己の都合がいいように、こう有りたい思うシーンを、儚き夢を思い描いているのかも。

6時45分から弁当作りにはいった。先ずはご飯を炊く、炊き上がるまでの40分で菜を作ればいい。

今日のメインは「焼き肉」だ。いつものプルコギタレで味付けをする。ネギとタマネギ、モヤシを少々加えて炒め焼き。魚は「焼き鯖」だが、生鯖に塩を少々降って水分をだし、塩の馴染を待ってから焼く。

                         

野菜は、ター菜とキャベツ・モヤシの餡かけ煮。ホウレン草を茹で、オカカまぶしにする。定番の卵焼きが出来上がった時に、丁度ご飯が炊きあがった。

                          

今朝の弁当は二つ。今日も休みだと云う長女の分まで作り「取りにこいよ!」と、押し売りした。

                       

 ― 飛翔 ー

昼前、「P生命」のTAKASE氏が来社。お茶をしながら暫し歓談をした。氏は、近々に今の会社を退社し独立する意向を固めたとのこと。そのための事前挨拶だった。元は同じ会社に勤めてい氏を、紹介してくれたのはKIYOTA大兄であった。氏が、P社に転職後間もない頃に保険に加入した。それから十三年が経った。

T氏は、保険業の世界で着実に顧客を拡大してきたようだ。が、更なる飛躍をするためには、一社の枠の中に留まらず幅広い保険を取り扱えるプロフェッショナルを目指す。そのような決意の表れだと感じた。

新入社員から七年で保険会社に転職。赫々たる実績をあげて更なる飛躍を目指す。その思いやよし!

氏の瞳は、最初にあった頃の満月のような輝きと変わっていない。それはチャレンジする、道を拓いて行く人間が持つ輝きと云えよう。大いなる飛翔と、成功を願っている。

 

 

 

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手抜きのサンド

2016-01-19 | Weblog

1/19(火) 昨日の悪天候と大混乱の交通機関の出来事が、一夜明けただけで一転。今朝は、眩いばかりの青空が広がった。尤も、風は冷たく電車は混んでいたが。

今朝の目覚めは七時過ぎと遅かった。昨夜の帰宅は零時前、帰宅してから晩飯を軽く摂り、そして椅子に座したままで眠ってしまった。一時半に気付いて、蒲団に潜り込んだが。どうも、こう云う夜がつづいている。お疲れなのかもしれない、体とを財布が?

それとも、昨夕に作った「汁粉」を食してから、ハイボールやワインを飲んだのがいけなかったか?口の中が甘くて、酒がちっとも美味くなかったからな。「汁粉」作りは、日曜日にAOKIが、何処やらの保育園の「餅つき会」に行くと云う話から始まった。『じゃあ餅を持っこいよ、それで善哉を作ろうぜ』と言ったのだ。

その餅と、善哉のパックを昨日持参した。こっちはすっかり忘れていたが、昼になって「持ってきましたよ」と餅と煮小豆パックを置いて、客先に出掛けた。雪で寒いし、温まるだろう。それじゃ作りましょうと、煮小豆とパック餅を買い足して、鍋の準備をしたのだ。

然し、酒を飲む前に喰うもんじゃないな。善哉の所為で、悪酔いしたのかな?

今朝は、何時もより早く出社することになっていた。プライバシーマークの外部監査があり、代表者ヒヤリングが冒頭にあるとのことで。それで早く来るようにと、責任者のNOBORUから御沙汰があった。いい加減なOYAJIは、『若し出社しなければ、風邪ひいて休んでいる。とでも、言っとけよ』なんて、言ったのだが・・・・、そうもイカンザキか。

と、言うことは八時半に家を出ると云うことだ。この時間から弁当を作り、風呂に入ったんじゃ間に合わないか?作るもの次第だが・・・。てなことを思いながら、ぼんやりとした頭で蒲団から出た。

台所に向かうと「今日はMIZUKIは休みだって」と言う。と云うことは、お弁当は要らないのだ。普段なら、必殺弁当人としてはガッカリする。腕の発揮処が無くて。然し、今朝はホッとした。家人の弁当だけなら、手抜きでいかようにもなろうと云うものだ。そんな気配を察知したのか「私のなら、弁当は要らないよ」と言った。

『簡単な弁当になるけど、作るよ』と応えると、「じゃあ、四つ切りのパンが在るので、これを半分にしたサンドイッチにして」と言う。厚めの食パン一枚を、パン切り包丁で半分にした。この丁度半分に切るというのは中々上手くいかないのだが、今朝は上手くいったようだ。

サンドイッチの具も手抜きだ。レタスも胡瓜もないので、キャベツの千きりとベーコン&卵焼きである。これなら簡単にできる、五分程て作ったか。そしてお風呂だ・・・。

                         

予定どおりに出社。出社前に会社の手前にあるドラッグストア「パパス」で、二日酔止めのソルマック(税込・500円)を飲んでから出勤した。効果有るのかないのか?気分の問題と、500円玉の釣銭が目当て。11月になって始めた500円玉貯金が、大分溜まったようだ。100,000円と書いてあるブリキの貯金BOXが、ずっしりと重くなってきた。

このペースで進めば、目標の100万円は三年で達成できようが、そのうち厭きてペースが落ちるだろうな。そんな予感だ。今使っている貯金BOXが一杯になれば、次はペットボトルのデカイのに穴を打って貯金入れにするつもりだ。これだと、溜まり具合が外から見える。見える化で目標達成意欲を鼓舞することもできよう。

溜まった金額の計り方は、重さで計れば凡そのことがつかめるだろう・・・・。写真で紹介できるのはいつの日になるかな・・・・。

 

 

 

 

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勝利の女神は何処に!

2016-01-18 | Weblog

1/18(月) 東京に雪が、雪らしい雪が降って風も強くなり、寒い一日が始まった。深夜の二時に目覚めて、過ぎ去りし日々のことを思い浮かべながら刻の過ぎるのを待った。漸く五時半となったので蒲団から出た。新聞を取りにドアを開けると、玄関口も道路も植木も白く覆われて、斜めから風に押し付けられるように霙混じりの白いものが積もっていく。遅れていた冬が、これで漸く冬らしくなった。でも寒いわ~。

雪、たった5cmほどの雪だが、束の間、夜明け前の通りを埋めて森々と街灯の下で輝いていた。

外の寒さも忘れて、早々に弁当作りに入った。今日は「すき焼き」がメインメニュー。そして「めぬけの西京漬け」と「ホウレン草とベーコンのバターソテー」、「卵焼き」に、キャベツ&タマネギをスライスしたサラダ。

                  

スキ焼用の和牛肉と云いながらも、小間に近い肉なので888円/100gとお手頃。これを200gに、白菜・ネギ・シメジにタマネギが入る。割り下の出汁を使わず、牛脂の後に肉を焼き、砂糖・醤油で味付けするのが私の流儀。あっという間に煮上がる。

他の菜の作り方は記すまでもないが、卵焼きは「ネギ入りの出汁巻風」にした。卵焼きだけは上手くなっているように思うが・・・。

                       

弁当作りの方は早々と仕上がる。雪なので早めに出勤しようと、風呂も早くに済ませる。で、雪交じりの向風の中を駅へと・・・。と、駅の手前から傘を差した人の列が、駅に入れぬ人が列をなしていた。電車の遅延で改札制限をしているのだ。

これ仕切りの雪で、たった5cmで電車が遅れたり本数削減とは・・・、情けない。一体何時まで待てばいいのか?幸いに午前中の予定はない。ならば、混雑が治まってからとUターンして家に戻った。毒蛇は悠々として急がず、である。結局、昼になって出社した。

 

 -勝利の女神は何処に・・・ー

土曜日の夕、「ちょっぷく」に顔をだした。ランチの片付けが終わり、土・日の競馬結果と予想などをして過ごす時間帯となる頃合いに。日曜日のメインレースをあれこれ検討し、食事と一杯が始まる土曜日の恒例。酔いが廻るとカラオケとなり、客の居ない演歌酒場に変身するのだ。

メンバーは、「ちょっぷく」が第二の職場のような不動の助っ人ミムラッチ、YAMAちゃんにチーフのヨっちゃんである。何故か、私は手伝いもせず、ただ一緒に酒を飲んでいるのだ。相当厚かましくないと出来ない芸だな!

尤も、店主兼店長のYAMAちゃんはノンアルコール一本槍で、オールフリー缶ビールを何本も空ける。オールフリーとは云いながらも、あれだけ飲んで食べれたら、二年前に患った脳梗塞も一年前の脳出血も逃げて行くだろう。

この日はバーベキューだとか言って、鉄板の上で豚バラ・ホルモンやウインナーに野菜、ニンニクのスライスにキムチ、韓国海苔などの本格派。焼肉をサンチュ代わりのサニーレタスで包み、ニンニク&キムチを加える。最初は帰りの車中のことを慮ってニンニクをは控えた。が、YAMAちゃんが、「電車の中は俯いてろよ」なんて言うので、ついつい喰った。と、これがバカウマ!調子に乗ってバクバク食べた。

                       

捨てられるの待っている、ランチの残り小鉢も沢山あったが焼肉で手一杯だった。喰い過ぎ食べ過ぎ、かつ飲み過ぎとなった。

二時間ほど飲み食いがつづき、イントロ当てクイズも厭きた。そろそろカラオケの出番だ。ヨッチャんが、歌詞がついている歌のダウンロードし、ボリュームが上ってお歌が始まる。YAMAちゃんのテーマソング「ふるさとの話をしよう」「江連子のおんな」から「命かれても」・・・、と昭和演歌オンパレード。

                    

断っておくが、毎週こんなことをしている訳じゃないよ、私は。時々、偶に参加するだけです。助っ人隊は昼のランチの手伝い、一週間分の清掃・掃除、競馬の検討と毎週のことだ。が、これはお手伝いに対する御礼と云う意味もあって、夕方から身内での慰労会と云うことだろう。

生ビール、冷酒、ハイボール、赤ワインと何でも有、好きなだけ飲む。飲まされると言ったほうがいいか。それに食べなくては・・・。いい加減参ったネ!バカっ話をしているうち、YAMAちゃんが夏にオイラが酔ったスマホ写真姿を見せた。記念にそのボケ姿を写した。

                   

              ミムラッチも唄う気十分!             昨年の夏だ!

飲み食いに厭きた処で、明日の競馬予想だ。おいらの場合は適当!適当に買う。店長のネット口座で買ってもらう。子供の飴代ぐらいの金額で。メンバーに加わる為のほんのお遊びだから・・・・。

十一時近くなって、そろそろ片付けを・・・、携帯を見ると着信が。発信元を見ると渋谷の元缶詰BARからだ。今頃の時間になんだろうと電話をした。なんと、二十年前に現場の支店長をしていた時代のスタッフKOBAYASHI君が店に来ているとの連絡だった。

この店にはラクビー部の連中がよく来る。そこで、その昔に現場で一緒だったラクビー部のK君のことを話してあった。ラクビー試合の応援後、OBたちで来たとのこと。電話では話が遠い「これから渋谷に行くよ、三十分ぐらいで着くだろう」と伝え、タクシーを拾った。

渋谷・東急文化村の先に在る元缶詰BARAのなが~い階段を上ると、ガタイのいい連中が十人程で店を占めていた。その中に懐かしいKOBAYAHSI君の姿があった。当時、彼は販売担当をしていた。入社して3~4年経っていたろうか。大きな体のポーッマンだが、静かな青年だった・・・。

一度彼のラクビーの練習試合を見に行った。現在のように社会人チームとして華々しい存在になる前の時代だ。入社して三・四年経つと、次の行先を考えてやることになる。所謂人事と云うやつだ。そのことで、彼には何度か話しを訊き、した。スポーツ選手の人事では、一般の人事とは違った配慮と云うか気遣いが要る。と、私は思っている。今でも。

彼のキャリアパスをどう考え、何処に配置するかは将来に関ってくる。そんなことで、私なりに気遣った。二十年の年月を経て、彼は某社の課長ポストに就いているとのこと。私と一緒だった職場から、異動したラインの延長で仕事をしていた。満足できるサラリーマン人生を歩んでくれているようだった。よかった。

この夜の帰宅は、二十五時を過ぎてしまった。翌日のボートレースに差し支えそうだな・・・・・。そんな予感が。

翌、日曜日。目覚めるとリビングで寝ていた、時間は六時だ・・・・。参ったネ。改めて蒲団に入り、今度は九時に起床。朝飯を予ねて軍鶏煮た。朝から軍鶏を煮る男も珍しいだろう。理由があるのだ。昼には奈加野オヤジの迎えで平和島に向かう。帰るのは五時過ぎとなり、それから軍鶏を煮ると遅いのだ。軍鶏は長い時間煮る(肉が堅いの)。これが我が田舎では不文律なのだ。

体調不良、最悪なれど予定どおりに平和島へ。第五レースが始まったところ。オヤジが、千円出して二階の観覧席に行こうかと云うが『そんな贅沢はいかん、千円の舟券が何倍にもなるんだ』と拒否し、何時もの三階へ。体は重い、意気消沈の体だが舟券だけは買いつづけた。「勝利の女神の降臨」を信じて!

処が、買っても買っても駄目!駄目なんだよ、今度こんどこそ、これこそと思うのだが、するりするりと逃げていく。なけなしのお宝が・・・。

愈々最終前の11レースと最終の12レースを残すのみとなつた。これまでに当ったのは一枚だけ、それも650円だ。競馬があった、三時三十五分出走だ。ワンセグで競馬中継を見る・・・・、いい線を走っているぞ。ゴール前が団子になってきた、よっしや!と思ったら、猛烈に追い込んで来た馬が・・・。

お目当ての馬は、首差で二着となってしまった。万事休す・・・  。三連単は、4-3-1の馬番で配当は78050円也。

 挙句、ボートの方は勝負を賭けた11レース、狙い目にしていたボートの五番が沈して失格。散々な結果となった。が、残す12レースに望みを託す。諦めが悪いというかしぶといと云うか、12レース目の検討に入った。一緒に来ているNAKANOオヤジも思わしくないようだ。ボヤキ声が漏れてきた・・・・。

勝負と云うよりは運が有るかないのか、それが問題だ。私の狙い目としては、1-4-3 のボートが買い目であった。ウッ、この番号は京成杯の目と同じラインじゃないか・・・・。よっしこれに掛けるしかない、我が運命が定まった。其処で覚悟を決めて、1-4-3の番号を組み合わせて三通り買ったのであった。

結果、見事やってくれましたよ。読み通り、ピッタシカンカン !俺の舟券購入法は決して間違ってないことが判明した。但し、このレースでは、であったが。

トータルでは思わしくなかったが、終わりよければすべてよし。良しとしようではないか・・・。明日に繋げる希望が見えてきた。

来週もあるのだが、残念なことに来週の日曜日は帰省中だ。ボートの代わりにミカンの枝を弄っていることになる。

 

 

 

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連夜のお勤め・・・

2016-01-16 | Weblog

1/16(土) 昨夕は、前夜につづいてマッチャンを誘って「高松」へ。ここの名物ドリンク”金魚割”をやりながら、昨晩の礼を云う。マッチャンがHOYA兄いにも誘ったとのことだが、兄いは資料作りが終わり次第合流とのこと。二時間近く高松に居たが、兄いの到着は間に合わず。

其処で、「ローカーボ」に移動して、兄いと合流することにした。マッチャンは生真面目に六時まで仕事をしていたが、年金組の兄いはそれよりも机に向っている・・・。暇なのは俺だけのようだ。

「ローカーボ」のカウンターは女性群の声で賑わっていた。そこにオヤジ達が混ざって茶々を入れ、場の空気を壊した。何時ものことだが、オヤジ達は声が大きい上に、余所の話に直ぐ割り込む。厚顔無恥なオヤジだからする、やれる技?なのだ。

そうこうする内に、スタッフのAOKIが客人を二人連れて現れた。これでカウンターが満席となった。店がにぎわうのはいいことだ。飲んでいるこっちも安心する。客が少ない店だと、経営のことをついつい心配してしまう・・・。たとえば「SEIJU」のようなお店は。

ローカーボでほど良く飲み、時間を費やした後、次の店「ちょっぷく」に向かうことに。SEIJUの前を通ると、店の中から賑やかそうな声が漏れてきた。どうやら団体客が居るのか、或いは先にローカーボを出たAOKIたちが唄っているのか?何れにせよ、店が賑わうのはいいいことだ。

「ちょっぷく」も賑わっていた。赤ワインを飲み三人でワイワイと話をしたが、今日になると何を話したのかさっぱり覚えがない。相当耄碌したのか、どうでも善い会話だったかだ。両方か・・・・。

そんなことで、今夜は自宅のある柏に帰ると言っていたマッチャンが、また事務所に泊まることにしたようだ。マッチャンの事務所はマンションスタイルなので風呂が有るそうだが、連夜の寝袋は疲れるとか。もっと早く切り上げれば良かった、悪いことをしてしまったと反省だ。

「ちょっぷく」を出て、それぞれ別れたが、マッチャンのことだから、「それではもう一軒」と酒場放浪記の吉田類のように何処かに向かったに違いない。

生真面目な私は、メトロに乗って真っ直ぐに帰宅。学芸大学駅の改札の上にある時計の針が、丁度重なり合う処だった。カボチャの馬車の出発にギリギリで間に合った。然しこれじゃ、王子様に巡り合えぬな・・・・・。道理で新春のお年玉、競馬もボートも当らぬのか?明日もう一度チャレンジするか!

 

 

 

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長い夜・・・

2016-01-15 | Weblog

1/15(金) 夜が長いといっても、長いのは酒場で過ごす時間のこと。一日の時間も夜の長さも、同じ所にいれば平等だが、時間の使い方次第で長くも短くもなると云うことだ。それからいくと、昨夜の夜も長かった。長く感じた?その時にそう感じたわけじゃないが、過ぎ去った後から思うと、長~い夜だった。

午後六時、前夜につづき渋谷「奈加野」に着いた。T物産のOKAZAKI社長と「猪鍋」を囲んでの新年会であった。猪肉は店主が欲しいというので、郷里の従姉に頼んで調達して貰ったもので、この日に届いた。そんなことで味見がてらの一献となった次第。

処が、店主から「この猪はさばけなぜ」と、クレーム電話入ったのは店に着く前のこと。足の骨が丸ごと付いているので包丁の入れようがないとか。『分ったよ、店にいったら物を見るよ』と返答した。店に着くなり見ると、店主の言うとおりで大きな骨付きだった。『これじゃ仕方ないね、俺が引き取るよ。それまで冷凍庫に入れといてよ』となった。が、我等が鍋にする分だけは準備がされていた。

鍋は出汁と砂糖・醤油がベースで、薄切猪肉の他は一般的な鍋セット(店の鍋物セットと同じ)仕立て。味噌は使ってない。これが結構いける、旨いのだ。出汁がちょいと甘たっるいが、肉の臭みもなく上々の味であった。饂飩を最後に入れて食べた。

                       

猪肉の宴は上々だったが、問題は引き上げると言った骨付きの肉だ。4Kg以上あるので、家の冷凍庫にも会社にも置けない。何年か前の「鹿肉の骨事件」を思いだした。

― 社の連中と、区の施設でバーベキューをした。その時に、足骨付きの鹿肉を焼いた。残った骨をゴミ箱に捨てた。翌日、警察から問い合わせがあり、スタッフが呼ばれて出所などを訊かれたのだ。どうやら犬がゴミ箱を骨を漁って、骨がむき出しになったようだ。人骨事件などが紙上を賑わせていた当時のことだ ― 。

捨てる気はないし、かと言ってクレームをつけられた肉を無料で置いていくのは腹立しい。考えた末、「ちょっぷく」のYAMAちゃんなら冷凍庫に与かってくれると判断した。YAMAちゃんは、岩手の友達が送ってきた熊肉を二年も冷凍庫に眠らせた実績がある(この熊肉は、ベッタラ市で鍋にして供し、好評だった)。O氏と別れた後、重い肉を提げて人形町まで戻った。

「猪肉を預かってよ」と言うと、笑いながら受け取った。師走、猪鍋をこの店で煮たことがあるの思いだした。

店に入れば、飲まなきゃ・・・・。大繁盛していたが、一人じゃ面白くないと、会社に電話を入れた。YOSHIO・AOKI・FUJIKURAの三人がやってきた。YAMAちゃんが、超辛い柿の種やケチャップを出してきて「食べろ・食べれ」とけしかける。ワインはグラスの縁まで満杯にするわと大サービス。

                        

FUJIKURAがらみの仕事のことを思い出し、情報を貰えないかと、マッチャンに電話をした。すると、これが大当たりの返事。それじゃ詳しいことをと、マッチャンとNAKAMURAさんが羽根を休めている近くの居酒屋「おたぬき」さんへとFUJIKURAを誘って移動・・・。今夜も忙しい酒だネ!この二人も六時から飲んでいる(誘いを受けたが、先約が渋谷だった)

それにしても元気な人たちだ。その元気者を相手に一時間、明日のOB会新年会のことが頭を掠めた・・・・。結局、帰宅は零時45分だった。帰宅時間を意識していると云うことは・・・抑えたね。偉い!

 

で、今朝になった。寝たのは二時頃だったろうか。目覚めた時には七時になっていた。寝坊だ・・・。弁当だ!と思ったら、家人から「MIZUKIは休みだから」との声。ならば、ご飯は炊かなくて、昨夜の残りを。菜も簡単なものに・・・・。OB会新年会の集合時間を考えると急がねばならなかった。お出かけ前の入浴時間も必要だ・・・、その結果、手抜き弁当でいくこととなった。

それが、「鶏肉と大根の煮物」「ホーレンソウ胡麻和え」「パスタ」「焼き鮭」、炒り卵とウインナ―炒めである。

                          

大急ぎで風呂に入り、新年会がある「ホテルグランドパレス」にむかった。役員は十時集合、十時半からピアノコンサート、零時から交換会だ。二胡の演奏や、詩吟の朗詠と、今年から新趣向であった。こっちは、そこかしこのOBに頭を下げるのが仕事のようなものだ。

                         

 

 

 

 

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過ぎ去りし日の・・

2016-01-14 | Weblog

1/14(木) 昨夜は、渋谷にて後輩のMOTOKI君とISHI君の両名と久々の懇談。MOTOKIとは一年ぶり、ISHII君とは数年ぶりに会った。若い頃、大手町電電ビルの同フロアに在ったのが資材局・建築局だった。ISHI君は建築局の総務に、MOTOKIと私は資材局に在籍していた。そんなことから、後輩にあたる両君とはゴルフや飲み会を一緒にした間柄である。

ISHI君は数年前に大病を患ったが、今は元気になり私が最後に勤務した会社の子会社に未だ勤めている。一方のMOTOKIは、二年ほど前に退職し優雅にシニアライフを楽しいんでいる。その彼が、シニアの趣味と云うことで、某誌の取材を受け掲載されたとのこと。その本を見せたくてか、単に飲みたかったのか連絡を寄越したことから昨夜の席となった。

掲載誌を頂き見た。なんと、MOTOKIの趣味と云うのが「アメリカンダンス」だった。この他にも「吹き矢」サークルにも所属している。『足の短いお前が、よくダンスなぞやるきになったな?パートナーの足をさぞかし踏んだことだろうな…』そんな厭味なことを言ったが、そんな声に馬耳東風。「アメリカンダンスは、ソシアルダンスと違ってフリーなダンスだから・・・」と。MOTOKIのダンスする姿を想像うるだけで笑えるが・・・。厚顔度合いは、俺の十倍だからな・・・。

出る話は共通する若い頃の日々のこと。過ぎ去りし日々の笑話と、MOTOKIの事件とISHIの苦労話。然し、MOTOKIの長舌と独壇場ぶりは衰えていない。もう少し他人の話を聴けばいいのだが…、三つ子の魂百までとはこのことか。(MOTOKIはこのBLOGを知らないから・・・、知ってもカエルの面に小便だろうが・・・)

最後は二人とも、MOTOKIのおしゃべりに疲れ果て・・・と云う具合。この夜の肴は「マグロ&ブリの刺身盛り」「カキフライ二人前」、名物の「つみれ鍋二人前」と仕上げの「雑炊」だった。が、口にしたのは、刺身二切れと雑炊一杯。一切れづづだが口にした刺身は、旨かった。流石に奈加野さんだ

                           

MOTOKIの毒気と饒舌に疲れて、九時前にお開きにした。菜加野の店主の「飯喰いに付きあえよ」の声をサラリと流してサヨナラした。そんなことで、ご帰宅は九時半と超早だった。

その所為か、今朝の目覚めは五時と、これも早い。早寝早起きの典型だ。老人だからと云う分けじゃねぇよ!

 

五時半頃から弁当作りに着手。今日のメニューは、昨晩に概ね決めたおいた。万端である。

先ずは里芋の皮を剥く。そしてパスタを少しと、人参・ブロッコリ・カリフラも少々茹で、小松菜と薄揚げの胡麻炒めを作る。里芋は「煮っ転がし」、「パスタと野菜のサラダ風」。メインメニューは「豚肩ロースのスティック焼き」だが、これは冷凍の味付けを焼くだけ。

                      

そして定番の「卵焼き」が出来上がってお仕舞となった。弁当ご飯の上に、ふりかけを振って完成となった。

                            

 

 

 

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