オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

風そよぐ朝・・

2021-07-31 | 弁当

7/31(土)七月も今日で終わり、明日からは八月となる。そんな今朝は、夜明け前からそよ風が吹き抜けて気持ちいがいい。尤も日向は暑そうだが・・・。

昨夜、一階の部屋をすべて網戸だけにして開け放して寝た。田舎ならではのことだが、深夜に涼しすぎて目覚めた。

ベランダに干したシャツが風に揺れ、床の間に差す朝日に暑さを感じない。

              

こんな日は何をして過ごすか?なんの予定もなし。とは言いながら、昨日済ませたはずの掃除で、台所とトイレの雑巾がけをしていなことを思い出した。今日の朝食は抜きにし、神仏のお供えをしてから先ずはそれを済ませることにした。

 

28日の丑の日、従姉がJAで予約販売(今日に焼いたもの)している蒲焼を一つ届けてくれた。昨年も貰ったが、いい習慣である?。

この日はそれで「うな丼」の夕食であった。翌日の昼、今度は斜向かいに住むもう一人の従姉が、同じウナギを「おそうになったけんど」と届けてくれた。

そんなことで二夜続けて「鰻蒲焼」を頂いたが、さらにHIROKATUがこの日に小さなウナギを捕った。それもお裾分けがきた。

           

皿に載った蒲焼で色白が天然ものである。小さいながらも天然物は一味違った。

自分が仕掛けている延縄にウナギの当たりはなし、面倒なので手間がかからない同じ場所に仕掛けたままである。おまけに仕掛けた餌はウナギが現れる前にカニに食われていることだろう。

 

さて、今日はいかに過ごそうか・・・・。

 

 

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川遊び・・・

2021-07-28 | 弁当

7/28(水)畑仕事も昨日でひと段落したので、今日はノンビリ。昼前に安芸市まで食材などの買い出しに。帰路、メリーガーデンに寄ってハイビスカスの植木を一鉢購入した。夏の花が寂しいのでね!。

帰宅後、姪の店「いなかじかん」までアイスコーヒーを飲みに行った。陽が傾き始めた五時前に川へ・・・。

仕掛けておいたエビ箱を上げて僅かに入っている手長エビをポリバケツに入れる。エビ箱は三箱使っているが未だ予備が二箱ある。

どんな風に仕掛けているか写真を撮ったので見てくださいネ!。橋からの近場に適当に仕掛け(浸けて)ていますよ。手長エビは遡上してくるので、漏斗状の入り口を川下に向けて重しを載せているだけのことです。

             

今日の獲物は、三箱で20匹ばかりだった。獲物は少ないが、多く捕れても面倒なだけ?これくらいがいいんじゃねえ~か?、と思っている。

               

ウナギ漁のハエナワも六本仕掛けたが、いつも同じ手軽な場所である。期待をしないでもないが、ワンパターンじゃねぇ~、手抜きもいいところだ。

仕掛ける人は100本もやるそうだ・・・、やりすぎじゃねえか!。

最後の写真がウナギ用のハエナワだが、一本針(多数針の仕掛けもある)で餌はエビ箱に入っていた小魚。重しに河原の小石を使っている。

 大人の川遊びと云うところだが、究極は鮎漁だろうが囮アユをダメにするばかりか、苔石で転ぶのが嫌で今年は未だやっていない。

エビ箱を上げているときにも一人、鮎漁(囮掛け)をやっていたが「サッパリ!」と言っていた。

八月に入るとシャクリ漁が解禁になる。さすれば従姉の旦那HIROMICHIさんが捕ってくれるのを期待しているが・・・。彼も歳だからなぁ~心配だ。当人は、川で死ねたら本望と公言しているが・・・。なりかねない。

 

 

 

 

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草刈り終える

2021-07-27 | 弁当

7/27(火)夜明けまじかまで目覚めていたが、六時過ぎから気づけば二時間近く寝ていた。陽が上がる前にミカン畑の草刈に出ようかと思っていたが、さにあらず眠った次第。

朝食を終えて一休みしてから草刈りに出掛けた。既に十時を過ぎた時刻であった。取り敢えず正午まで草刈りをして刈り終えなかったら、後日にするつもりでいた。

処が、思いのほか捗って正午の時刻には、わずかに刈残しただけであった。こうなれば全部終えるしかない。ひと踏ん張りしたのである。

すっかり綺麗になったミカン畑で、命の水で喉を潤しながら一服する気分は爽やかであった。

           

これでお盆過ぎまで草刈りはしなくていいはずだ・・・。

家に戻って汗ビッショリの衣類を洗濯機に放り込み、シャワーを浴びて一息ついた。冷えたビールと行きたいのを耐えて野菜ジュースにした。

シャワー後のビールを我慢したので、代わりに夕刻から庭先でビールを飲むことにした。水撒きをして、蚊取り線香に火を点けてパラソルの下で冷えた缶ビールと、缶酎ハイを頂いた。摘みは、隣の畑から直送の野菜の天婦羅だった。

先ずは課題を済ますことができ、めでたしめでたしの一日になりました!。然し、暑うございました。

  

 

 

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逝きし人を偲ぶ

2021-07-27 | 弁当

7/27(火)火曜日の夜明けが近い時刻。深夜に目覚めたままTVとラジオを点け、夜明けを迎えようとしている。

数日前、企業研修を営むKAWASHIMA氏から暑中見舞いのハガキが届いた。氏はご丁寧にも年賀と暑中見舞いを欠かさない。届いたハガキの添え書きに、神宮寺さんが亡くなれたと記されていた。

驚いて氏に電話を入れると、神宮寺さんの奥様から六月に亡くなられたとの連絡を頂いたとのことである。神宮寺さんはKAWASHIMA氏の講師陣の一人でもあり、五人の仲間で八丈島に遊ぶ「八丈会」のメンバーであった。

神宮寺さんはお酒は全くダメながら、紙巻きのピースを吸い、釣りが大好きで島に行くときはメンバーで釣り好きのIWAMOTO氏と先乗りをして釣りを楽しんだ。

痩身で寡黙、説得力のある講師ぶりに、企業の研修生から絶大な信頼を得ていたと聞く。また、中南米の某国で冤罪で捕らわれた旧友の救出に奔走していたこともあった。筋の通ったかたであった。

 

一昨日、随分と久しぶりに或るホームページを検索した。料理店「きじの松田家」を営み、菊池市の山里でキジの飼育をしている松田彰三さんの近況を知るため、そのBLOG「松ちゃん日記」を読むべく。

処が、ホームページの冒頭にあったのは、閉店の知らせであった。なんと、松田彰三さんは昨年の12月に逝去されていた。驚いた。

自由闊達な人生、サラリーマンを退職後に熊本・菊池市の山里で第二のスタートをし、雉に出会ってその飼育と販路拡大に料理店を営む傍ら、過疎の地域住民としてその役割を全うされていた姿を「松ちゃん日記」を通じて知っていた。

キジの飼育、農業、地区代表としての責務、雉料理を食べに訪れる人々との交流、その殆どはBLOGを通じて知るが。お会いしたのは彼の地を訪れた三度だけであったが、旧友に会ったような気分にさせてくれる得難い人であった。

残されているBLOGは、昨年九月が最後であった。未だまだやりたいこと、やるべきことがあったであろう。残念である。

 

神宮寺さん、松田さんお二人とも私と同学年である。病気で先立たれたが、私も何時逝ってもいい歳になったと云うことだ。ちょっと早いか、遅いかだけであるが、未だ我が行く先は見えず迷えるままである。

夜が明けたようだ・・・。

昨日の午後遅く、日差しが柔らかになった頃にミカン畑の草刈を少しだけやった。未だ四分の三残っている。朝夕に少しづつ片付けよう。

         

 

 

 

 

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暑っ~い!

2021-07-25 | 弁当

7/25(日)20日の梅雨明け以来、連日の猛暑到来!。野菜の手入れや庭木の剪定で外仕事をするとあまりの暑さでクラクラしてくる。

先日、真昼に草とりをしたら一時間半でノックアウト。体が火照ったままになり暫く体調が戻らなかった。それに懲りて、朝のうちにするようにした。

今朝は七時半から外仕事を三時間弱、それから川に仕掛けた海老箱とウナギの仕掛けをあげにいったが、ウナギは音沙汰なし。手長海老は少しながら捕れる。上半身裸で川を歩いていたら日焼けで真っ赤に・・・。未だ体が火照っている。

                

食事の方はそんな獲物に畑の野菜と至ってシンプルを心がけている。が、昨夕は姪夫妻に妹と夫妻、従姉夫妻もきてバーベキューになった。買い物に準備と大いに働いた。

           

今夕は、地元の味工房「じねん」で、アユ料理と地酒「南」を楽しむ会があり、会費五千円也ながら参加した。従兄の孫娘が働いていることもあり協力した次第。

            

醸造元の若社長から提供する酒、四種の説明と、料理の説明があり宴が始まった。然し、夏は生ビールが欲しいよね!。

 

さて、週明けからミカン畑の草刈りをしなくてならない。根を詰めないで、ゆるゆるとやることにします。

それにしても、軟弱な体になってしまったものだ。この程度の暑さに閉口するとは・・・。情けないねぇ~。

 

 

 

 

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夏が来た!

2021-07-20 | 弁当

7/20(火)漸く昨日、梅雨が明けた。真夏の日差しが戻ってきた昨日の午後、野菜を植えた畑の草とりをしたら、一時間半でギブアップだった。まだ暑さに慣れていないのか、体が弱くなったのか・・・。

                

そんなことで、今日は朝のうちにと思ったが、畑に出たのは八時半になった。昨日取り残した草を取るのに三時間近くも掛かってしまったが、なんとか初期の目論見は達成した。

             

一休みした午後遅くに、川の様子を見に橋まで行った。すぐ下で一人、鮎掛けをしていた。よく見ると、HIROKATU(同級生=義弟)に似ている。見ているうちに顔を上げたらそうであった。私が見てるうちに三匹釣り上げた。

                

今日は早めに夕食の用意を始めた。五時半から作り始めたのだ。

今年初めての「鮎飯」を炊いた。おかずは「牛焼肉の野菜炒め」「鯖塩焼き」に、塩もみキュウリ・オクラである。

鮎飯用のアユは、先日妹が持ってきた冷凍ものであるが、いずれにせよHIROKATUが捕ったものだ。夕餉の支度をしている最中、妹が今日捕れた鮎を届けに来た。

「鮎飯」をお裾分けすることにした。それと、牛焼肉を。おかげで、明日も食べる必要がなくなり助かった。

                 

そんな一日であったが、畑仕事も庭仕事も、池の掃除に部屋掃除と、やらなくてはならないことは目白押し。さりとて、時間だけはたっぷりとある。毎日が日曜日、ゆるゆると進めよう・・・。

       

 

 

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雨雨、また雨・・・

2021-07-18 | 弁当

7/18(日)帰郷してから五日目の夜を迎えているが、雨また雨に降り込められている。帰郷した翌日の木曜日に外仕事が少しできただけである。

特に激しく降ったのは金曜日であるが、激雨になる前に車で出かけて買い物、帰りが大変だった。傘を持っていても車の乗り降りで濡れてしまい、帰宅して肌寒くて風邪を引きそうであった。

この時期、風邪でも引こうものならコロナの嫌疑だからね、うっかり風邪もひけないのだ。特に江戸帰りの身だからねぇ~。

雨を眺め、カエルの声を聴きながらの日々だが、明日あたりから天気回復のようだ。愈々労働?となるが、都会で夜の巷をさすらう日々だったので体の方は鈍っている。徐々に慣らして行くしかない。百里の道も一歩から・・・だね。

 

朝晩の食事は畑で採れた野菜(ナス・じゃがいも・タマネギなど)を中心にしている。年金暮らしらしく慎ましく、清貧に生きるのだ!。

斯様な次第で、明日からが本格的な田舎暮らしとなります。

             

 

 

 

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帰郷初日

2021-07-15 | 弁当

7/15(木)昨夕の16時発のANA便にて予定どおりに帰郷した。出発の羽田空港は緊急事態発出の所為か旅人は少なく雨の朝のように落ち着いていた。

定刻通りに発ち、定刻通りにローカル空港に降り立った。土佐黒潮鉄道・ごめん奈半利線「のいち駅」から安田駅までの一両だけの車中は下校した中・高学生で混雑していたが、安芸駅を過ぎると閑散。乗車前に呼んでおいたハイヤーで帰宅した時刻は19時丁度。

自宅を出てから実家に着くまでの所要時間は五時間。羽田空港に余裕をもって行ったこともあるが、概ねこんなものであろう。高知空港に車で出迎えてもらったとしても30分しか違わない。

           

帰宅後、まずは夕暮れの庭を見た。庭木の枝が繁茂し花壇の草丈は伸びて川岸のブルーシートハウスの住人の頭のように、二か月に及ぶ手入れの悪さが顕著に表れていた。

             

庭がこうであれば野菜もミカン畑も押して知るべしだ・・・。

そんな夕餉は、羽田空港から贖ってきたサンドイッチと冷蔵シューマイ。缶ビール二本で切り上げた。

食事を終え、居室に入るとカエルの鳴き声が半端じゃない・・・。田舎に帰ったな~と、改めて実感した。

 

何時ものように深夜に目覚め、明け方と云うよりは明けてから少しまどろんだ。朝食は昨夜に食べ残したサンドイッチに玉ネギ&卵炒め。朝食を終えて暫くすると雷鳴が轟き始めた。今日は休養日か?ならば掃除をと・・・。

台所周りのカビが・・・、レンジも箸も黴でいる。掃除機に雑巾がけ、二時間程奮闘?した次第。

ところが、そんな天気も昼前には回復した。庭に出てみたら、延びた蔓草が気になり手入れを始めた。隣の野菜畑も草茫々、植えたスイカやカボチャなども気がかりで、庭の手入れは一時間で切り上げ畑の方に回った。

カボチャもスイカも全く見えない、伸びた草を大雑把に引く、スイカ・カボチャの蔓を切らぬようにと・・・。スイカ四個、カボチャ五個を発見したが未だ小さい。

従姉が掘り忘れていたであろう、ジャガイモが出てきたので掘ったらバケツ一杯あった。余談だが、私の玉ネギも掘ってくれたが、車庫に転がしてあったので雨水が浸みて全部腐っていた。気を入れて作ったのに残念!。

そんなことをしているところに、妹が来た。「店の取材にTVが来て、五時から生放送で五分ほど出るよ」と。姪の「いなかじかん」が取材されているとのことだった。放送時間まで30分ばかりあったので、食材にピーマン・ししとう・ナス・茗荷などを採ってから畑遊びを切り上げた。

放送は五時からと言ったが、五時前に始まった。レポーターが店前の道路から安田川の堰堤を見るシーンからスタートし、店に入りながら「レトロなものがありますね!」なんて。店の紹介、インタビューと続いて今日のメニューへと・・・。これがなんとオムスビ!。ゴーヤ煮付け・ジャコオムスビ二個に、白味噌の味噌汁で五百円だった。

当然、旨いとか美味しいとかを連発しながら店のPRをしてくれた。これで週末は混み合うな・・・。

 

今日の夕食は野菜中心。全て採りたての野菜、ナス&茗荷の味噌炒め、青菜の炒め煮、ナス&茗荷の甘酢和え、オクラに生野菜。ソーメンに妹が置いてあった鮎塩焼。ドリンクはハイボール!。

         

ピーマンにちっちゃなカタツムリが乗っていた。これじゃエスカルゴに出来ないな・・・。

                

 

 

 

     

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帰郷・・・

2021-07-14 | 弁当

7/14(水)二ケ月丁度滞在した東京での暮らしを一旦切り上げ、今日の夕方近くのANA便で帰郷する。その夜明けを迎えた。

東京暮らしにすっかり馴染、かつてのように夜の巷を歩く日々が続いていた。帰郷が近づいた七月に入るとその傾向が顕著となり、人形町の酒場の主や飲み仲間たちと連夜歓談できた。

それでも緊急事態宣言が再度発出され見込みとになり、会おうと思っていた入社同期や学生時代からの友人との再会は仕切り直しになった。尤も、時間的な余裕がなくなったこともあるが・・・。

昨日は有楽町で懐かしい友人と会って歓談。その後、人形町「高松」で店主とUSUI老に暇を告げてから原宿リハビリテーション病院へ。入院中の義母の二回目のワクチン接種のために東京共済病院までを往復した。梅雨明けまじかの蒸し暑い一日、慌ただしくも在京での最後の務めを終えた次第。

今日が弁当作りの最後の日となるので、帰りにスーパーに寄って食材を張り込んだ。これから準備する弁当は、サーロインステーキとホタテバターソテーにする!。

 

帰郷したら庭の手入れに畑の野菜、ミカン畑の草刈りと梅雨明けした猛暑での作業が待っている。慌てず騒がず、ゆるゆると取り込むことにしたい。

川魚に新鮮野菜、これらを楽しみながら二か月ばかり田舎で過ごし、九月下旬に再び上京の予定でいる。

最後に、ここ数日の弁当を掲載します。

         

 

 

 

 

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週末を迎え・・・

2021-07-09 | 弁当

7/9(金)  相変わらず雨が続いているが、この雨模様の日々もそう長くはないであろう。私が帰郷するころから夏の日差しが戻るかな・・・。

梅雨は明けてもコロナの土砂降りが明けるのはいつになるやら。来週からまた緊急事態宣言となるようでお店のお酒も自粛、いや禁止か。飲食店関係者も大変だが、酒場愛好者にとっても緊急事態だ!。

せめて週末の今日・明日は酒場を巡り、暫く巷を留守にすることもあり馴染の店で飲もうと思う次第。

一昨日、昨日と横浜に出掛けた。一昨日はKISHIMOTO大兄の時間を頂いて駅に隣接するビルのBARで歓談。昼間にしては珍しくジンとラム酒のロックにライムを一一片入れて飲んだ。

すっきりとした酒を楽しみながら、二時間近くもあれこれと会話をたのしみ、大兄が手洗いに立ったのでチェックをお願いした。届いた勘定書きは二千円ポッキリ、大兄が既に済ませていた。私が手洗いに立った間に済ませたのか、またしても馳走に与った。

そして昨日の午後、横浜・馬車道の「メグスタ」に葉子さんが出ると云うので顔を出した。長い付き合いで半ば義理のようなものだが、彼女とダーナの唄を聴けてよかった。

           

葉子さんの旦那、東郷好彦さんが亡くなってもう十三年経つとか。一緒にゴルフに興じ、店がはねた後にカラオケを歌ったのはこの前のようだが・・・。いつまで経っても昔のままの光景しか蘇らない。

そして五時半、みなとみらい駅からすぐの某社のロビーで、旧知のOOSHIMA氏と合流。ビル一階の居酒屋で暫し歓談。地球市民の会創設者の故・古賀武夫さんを介して出会った頃の氏は青年であったが、中間管理職が板につく年齢になった。

私のビジネスアイディアに関する情報収集が目的であったが、そんなことよりも、共通の知人との出会いや人柄で往時を振り返った。古賀さんはもとより、eスクエヤ時代の木内さんやピーターのことなど・・・。

東京での滞在期間が短くなったが、慶治の墓前、山田正明さんの仏前、NAKAJIMAさんや親しい友人たちとの再会。そして今日の昼はUDAさんと外国人記者クラブで歓談する。夕はどこぞの酒場で緊急事態前の一杯であろう。

まだまだ時間が欲しいが、帰郷の日が迫っている。野菜や花壇、ミカン畑の草刈りも気がかりだが、大事な方との再会も叶えたい。そんな切羽つまった日々である。

 

弁当作りも今日を入れても四回、これも大事な仕事?だ。決めたことはやり通す。例え、弁当作りであろうとも・・・。そんなことしかできないが。

              

 

 

 

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