オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

破竹・・・

2017-05-31 | Weblog

5/31(水) 破竹と書くと、破竹の勢い。今場所の高安のような、なんて云うことに直ぐ行きあたる。が、なんてぇことない「破竹の筍」だ。破竹の勢いの筍だから、しっかりした歯応と独特の味わいが好きだ。その「破竹筍」が昨晩、郷里の従姉から届いた。筍寿しに使える大きさに切ったのと、薄い輪切りでそのまま煮て食べるようにしたものの二種であった。

昨晩、帰宅してから早速に煮た。味付けはちょっと濃いめに、薄揚げと鶏肉を少しだけ入れた。薄く輪切りにしてあるが、歯応えと濃いめの味付けが微妙にハーモニーしている。実に美味いねぇ~。残りは今度の休みに筍ご飯にするか、或いは筍は別に煮て混ぜご飯がいいか?悩み処だ。大好きな筍寿しもいいが、先日作ったばかりなので・・・。冷凍にしたので、好日を選んで筍寿司も楽しもう。

 ― 余 談 ―

風薫る五月、オイラの赤いバラの季節も終わりに近づいた。明日から六月、月が変る。となると、明日から田舎の川は鮎漁が解禁になる。この日が近づくと、今年の鮎はどうだ?少ないんじゃないか、型はどうだ?とか、鮎師たちは気もそぞろだ。

こっちは漁はしないが、口を開けて待っ。鮎師と同様に気になってしょうがない。

用があって田舎の親戚に電話をした。つい先ほどのことだ。仕事をしているかと思いきや、竿や道具の手入れをしていた。明日の解禁、どんな漁になるか他人事ながら気掛かりだ。

私が新鮎を口にするのは、下旬の帰省の時になるだろうが愉しみである。オヤジの料理教室や、会社のランチ会で鮎飯をやろうと思っている。人頼みの鮎であるが、我が故郷の川の鮎を喰わせたいじゃないか・・・・。鰻の方は、絶品ながらまったくの希少品となった。入手が難しいが・・・、待てば海路の日和ありと云うじゃないか。

月が変わる、ボートレースのつきも破竹の勢い。ガーンと大きいつきが欲しいものだが、そうは問屋が卸さねぇか・・・な。馬鹿な話はこの程度にして、今朝の弁当に移ろう。

 

今日も家人一人分だが、その家人が「今日は軽めに・・・」との注文。昨晩の破竹煮、平豆&オクラ・揚げの煮物、ちょいと濃い味の「牛炒め」、オムレツ風卵焼き、板カマと云うことにした。

                

昨晩の「すき焼き」で、胃もたれしてるそうだ。それほど喰わなきゃいいのに・・・ねぇ~。

                        

 

話題を変えるが、今月の500円玉投入枚数が160枚を超えた。今投入しているBOXは、三月からで、これへの総枚数は470枚になった。と云うことは、目標の二千枚に、残り150枚ぐらいで達成するはずだ。オイラの500円玉預金も「破竹の勢い」か?

あくまでも、するはずだが。遅くとも、七月の末までには到達するであろう。この調子なら、新たな目標バーを設定してもいいかな?自慢じゃないが、貯金といえるものはこれしかないんだから・・・・。

                        

 

 

 

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ポテサラ

2017-05-30 | Weblog

5/30(火) 昨晩は19:30に会社を出、「ちょっぷく」へ。この朝、ちょっぷくの店長YAMAちゃんから「早く来いよ」なんて、注文を付けられていたのだ。早く来いは、彼が術後上りで体調が万全でない。ために、早めに仕事を切り上げて帰ることが多い所為だ。

口がさない俺たちは、「店長が居ない方が、客の入りがいいぜ」なんて憎まれ口を叩く。が、みんなから愛される、憎めないやつ。それがYAMAちゃん店長だ。そんなことで早く店に寄ったが、この夜は既に満席状況、大活況を呈していた。常連のフナッしーとマッチャンで、外にテーブルを設えて飲むことになった。YMAちゃんの故郷、岩手ワインの販促申し込みがきていたので、震災復興支援もあるので、大札一枚分をオーダーした。相変わらず、お人好しのオジサンを演じていると云う次第だ。

「ちょっぷく」から「ローカーボ」へと移動。カウンターにマッチャンと、T社のYAMAGUCHI社長が居た。ではではと、Y氏に「SEIJU」協賛システムの案内を渡した。特段の反応がないままに、氏は先に席を立った。その際に、後で連絡を乞う、と云うよなことを言ったか?分らんので、23時前までローカーボで過ごした。帰宅は零時前。

六時前に目覚めたが、安酒つづきで頭の中はボンヤリ、体は重たい。されど、弁当だ・・・・。

今日、明日と弁当は一つ。半端な数なんだよ。先日作り置いた「ハンバーグ」を二つ温めることに。作り物のメインは「ポテトサラダ」。ジャガイモ・人参・卵を茹で、タマネギ&胡瓜をスライスして塩揉み。

                             

他には、胡瓜の塩揉みサラダ、板カマ、オムレツ風の卵焼き、紅鮭を焼く。以上である。ちっとも面白くない弁当だが、ご飯の上に汐昆布を載せるとらしくなったか?

                      

 

そう云えば昨日の朝、YAMAちゃんに「筍すし」を味見させたが、滅茶喜んでいた。昨夜の酒の席でもその話がで、そんなに旨かったら、今度また作って来るよ。と安請負をしちまった。おだてれば木にも、天にも昇るとは俺のことか。田舎の食材を旨いと言われるのが、なにより嬉しいんだ。田舎者の典型だな・・・・。

 

 

 

                                    

 

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筍すし

2017-05-29 | Weblog

5/29(月) 昨日の日曜日、田舎から貰ってきた破竹筍を煮た。この筍は、茹でたものを冷凍保存しておいたものだ。一月も前から我が家の冷凍庫で凍えていた孟宗竹の筍も一緒に煮た。

破竹は今の時期に食す筍で、私はこれで「筍すし」を作るのが常。日曜日に煮たが、午後から会社へ。夕方はマッチャンと潮来の反省会Ⅱをやり、夕食時間に帰らなかった。そこで、今朝になって筍すしを作ることになった。弁当用になるだろうと!

筍の味付けは少し薄め、酢飯には「てまいら酢」を使うので簡単、かつ間違いなしの味になる。が、柚子酢と砂糖・塩を少し加えて濃いめの酢飯にした。刻み生姜と炒り胡麻を加えて、飯と混ぜればいいだけ。この酢飯を、煮た筍に詰めると「筍すし」の完成である。

                        

至って簡単ながら、筍の歯触りと酢飯の甘酸っぱさがハーモニーして、初夏の口福をもたらせてくれる。家人との弁当と、長女のランチ用に取置いた残りを弁当箱に詰めた。節の味わいをYOSHIOにもお裾分けしてやろうと・・・・。

出勤前、「ちょっぷく」によってYAMAちゃんに干し柿を渡した。糖尿病なのに饅頭や干柿が大の好物、困ったやつだが少しばかりならいいだろうと。ついでに、弁当箱の「筍すし」を味見させると・・・「旨いねぇ~、もう一つ頂戴」と、気に入ったようだ。『美味いだろう~』と、私は自慢する。

今朝、田舎の従姉から電話があり「破竹を茹でたので送る」と言ってきた。今度は細切にして、油揚げと一緒に煮てみよう。ちょっと味付けは濃いめにして。これを菜にして飯を喰うと、大食いになるわな。

田舎の味と云えば、土曜日に「イタドリ煮」を潮来への電車の中で披露した。少しだったが、IMAE君が大喜びし「この味、うちの嫁が滅茶喜ぶわ~。好きな味ですわ」と、近江言葉で連呼。『わしが、お前の巨乳の嫁のことまで気にするか、アホ』と関西風に返した。が、未だ冷凍庫に少しに残ってたな・・・・。  

                                                          

筍もイタドリも山菜だが、味付け次第で斯様な次第である。オイラの味付けを自慢してんじゃないよ・・・・?食材の良さ、天延物の美味さ、さ。

話が横道にそれたが、「筍すし」と、筍煮、小松菜の胡麻炒め、絹ザヤの卵とじ風、舞茸とピーマンのバターソテー、塩秋刀魚焼き、以上が今日の菜。弁当は一つで、長女は昼に家に食べに来るとのことだ。

                        

 

 

 

 

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水郷アヤメ祭り

2017-05-28 | Weblog

5/28(日) 昨日の土曜日、人形町パトロール隊の面々と水郷・潮来に遊んだ。第三回となる遠征で、当初は一泊の予定であった。帝釈天から矢切の渡しを経て潮来に向かう案など検討されたが、最終的に日帰りとなった。なんといっても、この日から「あやめ祭り号」と云う直通の特急列車が運行されることである。

今回の小旅行で残念なことが一つ。メンバーのNAKAMURAさんが、先週の水曜日の夜中、転倒し頸椎を傷めて入院。代打で弊社のAOKI君に参加を願った。と云うのも、既に電車のチケットを手配済みであった。

今回のメンバーは、HOYA兄い、マッチャン、AOKI、高松の店主ミッチャン、若手のIMAE、に私の六人である。特急列車の指定席に陣取って二時間の旅がスタートしたが、直ぐに酒盛りが始まる。声がでかい、態度も大きい面々だが、幸いなことに社内はガラガラの様相。直通列車の運行はこの日から、更にアヤメの開花は始まったばかりで見ごろには二週間も早いのだ。

花より団子、皆で出掛けて飲んで騒いでリラックスするのが一番さ! そんな旅である。夕方には人形町に戻り「うまし」で反省会?までセットされている。朝から晩まで飲もうと云う面々である。新宿駅8:29発~潮来駅に10:29分と丁度二時間、予定どおりに着いた。朝一番のトラブルは、AOKIが新宿駅で乗車ホームを間違え(駅員が間違って教えたとのことだが)て乗り遅れ、一時間後に着いたことだ。

                                                         

改札を出ると、臨時の特急列車が今日から運行と云う所為か、正装の駅長と「アヤメ娘」が出迎えてくれた。歓迎の看板をバックに、早速記念写真となった。

                       

駅から五分程歩くと前川アヤメ公園であったが、我等は違う方向へと散歩?十五分も掛けて船着き場があり、土産物売り場のテントが建つ場所に着いた。「潮来の伊太郎」の碑が立つ船着き場前にはアヤメ娘が勢揃い。面々は写真を撮るのに忙しい。肝心のアヤメはと、あやめ公園を見渡せる錦帯橋のような小橋から見渡したが・・・・。案の定である・・・。

            

11時から花嫁船が出ると、一般の入場は暫くストップになった。テントの茶店に陣取り、余所のテントから買ってきた地元の日本酒を飲る。そろそろ船に乗ろうかと、先ほどの船着き場に行くと、我らの乗る船は本流の処に在るとのこと。どこもかしこも船の乗り着き場なんだ・・・・。

                   

花の少ない公園をブラリブラリと・・・。花より団子、先ずは来てみることが大事である。花があろうがなかろうが、大人たちは気にもしない。十二橋巡りの船に乗るより腹ごしらえ、とセットになっている昼食を摂るために公園脇に建つ潮来ホテルへ。

                       

さあ~食事も済んだ。愈々十二橋を巡る遊覧である・・・。船着き場に行くと、櫓ならなぬエンジン付きの船が待っていた。二十名ほどが乗れる船を、我等六名で占有して出発。老人の船頭さんの案内で水路(ここは堀のようなものだと言う)を巡るが・・・、櫓を漕ぐ舟も行き交う中をゆっくりと進み、50分で往復した。特段の感想なし、「女船頭が少ねぇな~」と、誰かの声が。概ねご老体の船頭、昔の昔々のお姉さんが大方であった。

                   

曇り空となり、風が強くなってきた…肌寒い。またしてもテントに戻り、酒を飲み始める。こんなことぐらいしかねえんだよ・・・。

客寄せか?否、嫁入り船に乗って行き、式を挙げる結婚式が受けているようだ。応募で当選した組(一日三組)が、実際の結婚式を挙げているそうだ。目立ちたがり?レトロな風情に魅かれて?よう分からんが、この日二組目の嫁入り船が進む・・・・。

                          

 こんなことで初めての潮来旅は・・・。東京に戻る列車に乗ろうと駅に行くと、今度は見送りの駅長と「アヤメ娘」がホームまで来てくれた。何処かで見た顔、漫画家のやくみつる?、よくよく見ると「高松」のミッチャンだ。どうやら飲み過ぎて目が霞んできたようだ・・・。

              

17:30秋葉原駅着、そこから人形町に戻り「うまし」「こま吉」と、反省酒がつづいたのであった。

 

 

 

 

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イタドリ

2017-05-26 | Weblog

5/26(金) 昨夜からパラついていた雨が、今朝は本降りとなっていた。偶の雨もいいものだが、今日は外出の予定などがあり憂っとおしい気分が勝っている。

さて、今朝の弁当だが「イタドリ」を煮てみた。このイタドリは従姉妹が徳島辺りまで遠征して採ったものだ。高知県では、このイタドリを食用にするが、他県で食用にしている処は少ないようだ。徳島でも以前は採取しなかったそうで、わざわざ遠征までして取りに行く価値があったとか。それが、最近では徳島辺りでもイタドリを採るよになり、地元の人と諍いが起きることもあるようだ。

イタドリと書いたが、スカンポと呼ぶところもあるし、我が田舎ではイタドリではなくイタズリと濁った呼び名である。竹のような節があり、河原や山辺に自生し、四月頃の春先に伸びてくる。子供の頃は、これを採って皮を剥いて食べた。酸っぱいので、時には砂糖を掛けて食べたことも。

山菜だが、会社の人間は誰も知らなかった。何年か前に振舞ったことがあるが、その味を覚えているものはいない。春先に採って皮を剥き、茹でて塩漬けをして保管する。そう云う意味で、一年中食すことができる山菜である。

今朝煮たのは、帰省した折に家の冷凍庫で保存してあった従姉のものである。珍しいので、昨夜の同窓会に参加した従妹に持っていったが、喜んでいた。

塩抜きの為に一晩流水に晒した。味付けは至ってシンプルで、味醂・醤油・酒少々。油揚げがあれば一緒に煮るのだがなかった。代わりに、竹輪を少し入れた。素朴ながら、頃合いの味付けでイタドリの食感も良かった。

                             

今朝の弁当ご飯は、炒飯となった。要は残りご飯があったと云うことだ。ベーコン・ウインナーに、タマネギ・ピーマン・人参・シメジの刻み野菜たちを炒め、塩胡椒に、醤油ひと垂らしで味付け。今、思えば中華スープの素でも使えばよかったか?

                             

自家粕漬けの紅鮭を焼き、ジャーマンポトを作る。茄子&ピーマンを炒め焼きにしたが、これは弁当に入る機会を失した。そして高知名物の、板蒲鉾と竹輪を少々切った。

                           

以上が今日のメニューである。目出度く、二人分の弁当がここに完成した次第。

                         

ミニトマトが入っているのが長女用。家人は、何故かトマト嫌いである。同じ弁当の写真を二枚載せたが、色目を変えるとどう見えるか?テストである。

 

 

 

 

 

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猿も木から・・・

2017-05-25 | Weblog

5/25(木) 20日、土曜日の正午、錦秋に輝く佐賀平野を眼下にしがら佐賀空港に降りた。この時期、黄金色の佐賀平野を目にする度、この土地の豊かさを実感する。空港にNAKAMIZOさんが迎えてくれた。

                             

午後一時、「地球市民の会 総会」が開かれる会場に入る。旧知の事務局や理事の面々と挨拶を交わし、会の始まりを待つ。佐藤会長の挨拶に始まり、28年度の決算報告、29年度の活動報告、29年度の計画と順調に進行した。

                             

                          何時になく、生真面目な顔!

活動に大きな変わりはないが、タイ東北部で27年に渡り、3451人の子供達に支援をしてきた奨学金事業は、役目を終えたとの判断で終了となった。新たに始まっているミャンマーでの奨学金支援、学校建設、農業開発などの活動が国際交流のメインか。東北大震災・熊本地震への支援活動の継続、四月に佐賀駅近くにオープンしたゲストハウスの運営、日・韓・中の交流事業と多彩であるが、海外事業予算の大宗を占めるのはODAの助成金である。

自主財源の拡大と支援者の輪を広げる、口で言うのは易いが・・・・。中村哲さんの、ペシャワール会のような大きな広がりと、支援者を得るにはどうすればなるか。所詮は叶わぬ夢? 創立者の古賀武夫氏の物語が、その一翼を担うことができれば。私的には、そんな思いはあるが・・・。

総会が終わり、引き続き記念講演と討論会「今、日韓の友好を改めて考える」が始まる。拓殖大学の下條先生の講演、つづいて釜山韓日交流協会顧問の朴先生の講演。最後にお二人の討論であった。お二人とも、地球市民の会とはご縁が深い方である。下條先生は歴史的な視点から、竹島や慰安婦の問題を語り。

                             

朴先生は、国と国の主権問題はあっても、民間レベルはどんどん交流をすべし。「以民促官」、政・経(文)分離と親日的な視点で現状を語り「とことん話しをするべき」と括った。

最後に、韓国のメデイアでは悪者扱いだと言う下條先生が「実は、私の家内は韓国人です」と打ち明け、家内の実家に行くと、政治の話には触れずとても大事にしてくれると内輪話を披露した。そう云えば、小生も日韓交流・親善に努めた時期があったが、努力不足であったか?そんな話は、夜の交流会の時に冗談交じりに披露した。

「じんぎすかん」なる店が交流会場で、てっきりジンギスカンの肉メインの店と思いきや・・・。なんと魚料理の店で、この日はタイの生け作り、小鯛の煮物と、鯛尽くしであった。二次会は、前理事長の奥様が趣味でやる実家(母上が亡くなり、予約制の店にしている)での懇談。一次会は三十数名、二次会も二十人以上が参加。下條、朴両先生を囲んで盛り上がった。

懇談会の席上、故、古賀武夫さんの物語の進捗と、今後の予定について報告をしたのは、云うまでもない。年明けには「本」になりますと。出版企画実行委員長の大之氏が「先生の十回忌に間に合いますね」と、喜んだ。

翌、日曜日。7:05分佐賀駅発の特急列車で博多に向かい、地下鉄で福岡空港へ。8:55発のJALで高知空港へと向かう。両日とも上々の天気で、汗ばむ。高知空港に妹夫妻の迎えをへ、実家へと一時間の車中。故郷の海は碧く、川は清んで穏やかであった。山の椎や樫の木は薄い黄緑から緑を濃くしつつあった。初夏の日差しは強く、夏を思わすような気配。

 日曜日から火曜日と、飯作りに勤しんだのは何時もどおりだが、月曜の晩飯作りで、思わぬアクシデントが。野菜好きの親戚のKATOの為に、山盛りのサラダを作っていた時のこと。新タマネギをスライサーを使って下ろしていた。その時、油断をして他所見をしてタマネギを擦ってしまった。

アッと、思うと親指の先を擦っていた・・・。それほど美味そうにも見えぬ指、これを擦ってどうすんだ。瞬く間に血が溢れてきた・・・・。左手で傷口をきつく抑え、大急ぎでチッシュを探して巻いたが・・・・真っ赤になってきた。 

猿も木から落ちる、上手の手から水が漏れるとも聞くが、まさかまさかの大失敗を演じてしまった。未だ傷口は癒えず、何かの拍子に傷口を当てると血がでる。スライサーを使う時は何時も注意をしていながら・・・このあり様。新タマは柔らい、それを知りつつ・・・。

 この日に、畑での大方の作業は終えていた。幸いと云えよう。ミカンの花はそろそろ終わりに近い。梅の実は1~2週間で収穫時期だ。枇杷は未だ青いが、色づきはじめると鳥の襲来か。今年は少し袋を掛けたが、効果はあるのか?

                 

蜜柑と云えば、十年前ぐらいか。タネから伸ばした実生の文旦が畑に二本、東京に鉢植えにしたのが二本ある。先日、東京の樹に花が咲いたのだ。そんなことを思い出しながら、畑の実生の樹を手入れした。枝が張りすぎたので剪定した。ふと気が付くと、なんと一本の樹に花が咲いていることに気付いた。

一枝だけ、控えめに花を付けていたのだ。東京の樹も同じで、一枝だけ花をつけ香りを漂わせていた。漸く花を付けたか!苦節十年、よくやった。と、誉めてやりたい気分になった。花は咲けども実はつけず、に終わるだろうが、地獄の道も一歩からだ?後、十年もすれば実を付けるかも?

                            

                        畑の文旦        江戸の文旦

と云う、短い日々を過ごし、昨夕に帰京。会社を出たのは20時になっていた。不正直不動産のマッチャンから、先週半ば、道路で倒れて入院したNAKAMURA大将のことを聞くため「高松」で待ち合わせていた。予定では、七時過ぎにであったが、八時になっちゃった。大急ぎで100m先の高松に駆け付けた次第。

高松から「ローカーボ」、ここでHOYA兄いと合流して「ちょっぷく」に寄ってから帰還。

そして今朝、久々の弁当作りだ。が、今日は家人用の一つだけ。ギンダラの西京漬け、タラコ、緑豆春雨とキャベツのゴマダレ和え、小松菜の胡麻和え、オムレツ風卵焼き、以上非常にシンプルかつヘルシーな?弁当にした。

                      

 

今夕は、渋谷村で郷里の高校の同窓の集い。皆さんご老体で、入院や治療中と淋しくなる一方だ。今回辺りで、解散宣言でもしたい気分であるが・・・・。ま~行ってまいります・・・・・。同級のMASAOが、肝臓で禁酒礼を貼られたとのこと。淋しいねぇ~。

 

 

 

 

 

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昭和レトロの灯を消すな・・・

2017-05-19 | Weblog

5/19(金) 昨夕は悪徳不動産改め、正直不動産と不正直な名称を騙るようになったマッチャンとのランデブーで「高松」へ。出掛ける前、ある募集書を急ぎ作成した。

その文章と云うのが「せい壽」賛助会員参加の案内である。先週の某夜、HOYA兄いとSEIJUを覗いたが客の姿はなかった。訊くと、前夜も空振りと言う。三十年もここで店をつづけてきたとのことだが、客足は途絶える一方だろう・・・。今の時代に、鄙に稀なるレトロ感漂う店なのだから。

ママさんも皴の数と齢の数、どっちが勝っているのか?ぐらい。おまけに椅子から転んで大腿骨折をするぐらいだ。これまで顔を見てきた客も齢を重ね、引退やらはたまた癌でご逝去などと聞く。その間、店は更にレトロになり果てゆく。そう云う店が私は好きなのだが・・・、早晩立ち行かなくなろう。

てなことで、少しでも店の灯りを点しつづけて貰う仕掛けができないかと。暇な頭を叩いてみると「足らん足らん、銭が足ら~ん」と音がした次第。

元々が安い店なのだ。なんといってもお一人様2000円/1時間なんだから。以前は3000円ポッキリ、飲み放題で摘みは煎餅程度。それを一時間制で2000円に変えさせたがHOYA兄いだ。だからといって、客足が増えたようには思えぬが、減少スピードを緩める効果はあったか?

もう一つ、日本橋人形町三丁目、堀留町一丁目の界隈500mに「SEIJU」のような、この手の店はない。希少価値もあるんだよ、だから無くしたくない。と俺たちは思っている。そこで、「賛助会員システム」なる珍奇な方法を思いついた次第だ。

仕組みはこうさ、先ず会員は月額1万円の会費、飲みものや摘みはすべて持ち込み。これで会員は代金不要、同伴したゲストは会員の飲み物を飲めば、1000円/一時間。カラオケは唄い放題。但し、他の客がくればその方を優先する。他にも幾つか決め事を記してみたが、大本はこんなことだ。

ママにすれば固定収入が入る、店の酒は減らない(安酒だろうが)、誰も来ないより来てくれた方がいい。客側からすれば、銘柄不明の安酒を飲むより、好みの酒を楽しめる。客を同伴しても、一時間千円じゃ安いものだ。回数が増えれば、割安になる。店は賑わう!。との狙いだが。どんなものであろうか?

飲み仲間に檄を飛ばし、せめて十人ぐらいは集めたいが・・・。オイラは、角の業務用4~5㍑瓶と炭酸数本、ロックアイスをキープするつもりだ。美味いハイボールを自分で作り、誰ぞの下手な唄(演歌縛りだぜ!)でも聞いて、小一時間程で切り上げる(他所もあるからね)。こんなことを考えてるんだがねェ・・・。

昨夜、手始めに数人に渡した。5~6人は間違いない。後は、如何にその気にさせるか?如何に強請(言葉が悪いネ、協力を願うか)るかだな・・・・。スタートは6月から、今の内に入会するなら、オイラのウイスキーを飲んでもいいんだぜ・・・・ 。

「高松」~「ローカーボ」~「ちょっぷく」と巡り、帰宅は23時前。早い帰宅?だった。

で、今朝のお目覚めは五時半頃か。夢見が悪く、Fの運転する車に乗ってたら赤信号を突っ走り、横断歩道を渡っている歩行者を跳ねそうになりながら歩道に乗り上げて前からの車を避けた。幸いにも人は撥ねなかった。そこで目が覚めた…。良かった!。

悪い夢見を振り払って、台所に向かったのである・・・・・。

今日は弁当一つ、家人は都庁の説明会に参加とかで、弁当不要。長女の分だけである。昨日のご飯が少し残っている。これを「チキンライス」にし、オムライス風の弁当にすることにした。

菜は、ヘルシーに「春雨とキャベツ&もやし」を湯通し、胡麻ソース和えにした。もう一品は「小エビとネギ&シメジ・ネギのソテー。以上である。簡単だねェ~。

                         

 

明朝、佐賀に発つ。午後から「地球市民の会 総会」そして、記念シンポジュウムは日韓の今。釜山から日韓交流会の代表朴欽明氏を迎え、拓大の先生との討論。市民の会が進めてきた日韓親善・交流事業の成果と是非を検証するとか。面白くなりそうだが・・・・。朴さんには、故・古賀さんたちと一緒に釜山で二度お会いしているが、見識の高い方であった。

個人的には、かつて赤坂の韓流クラブを中心に日韓親善?に努めた時代もある。サラリーマン時代、サムソンと最初に仕事をしたのは私のはずだが・・・。そう云えば、マッチャンの事務所の一階でスナックをやっていたママが、韓国に帰ってから何年になるか?この店でもスタッフと一緒に飲んだものだ。斯様に、何かと因縁の深い隣国である。

日曜、福岡空港から高知へと飛ぶ予定だが、朝早いので起きることができるか?夜の懇親会で深酒をしないように・・・・。帰京は水曜日の夕刻となる。

木曜日まで、BLOGは休刊します。ではでは・・・・・・。

 

 

 

 

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ハンバーグ&カブ

2017-05-18 | Weblog

5/18(木) 昨夕は19:30に会社を出た。何処に寄ろうかと迷ったが・・・、暫く顔を出してない渋谷「奈加野」に立ち寄ることにした。今月の米代の回収もある。米代と云うのは、田舎の親戚が毎月、十日ごとに米を送っている。その代金を受け取り、帰省の折に渡しているのだ。これが結構面倒だが・・・致し方ない。

店に行きやぁ、店主があれこれと勧める。それも、米代を払ったんだから店で銭を使ってけ、そんな理屈さ。メッセンジャー如きのこちとらとしちゃ、溜まったもんじゃない。だから、敢えて最大の抵抗をするのが常。おまけに昨夜は、日曜日のボートレースで勝ったことを知ってるんで・・・・。やっかみ混じりか、と、鼻先で笑ってやったが・・・・。

そんなことで、帰宅は早かった。21:30には学大に着いた。改札前の東急ストアで弁当用の挽肉を買ってから帰宅した。この時点で、今日の弁当のメニューは概ね決まった。ハンバーグと蕪の塩揉み、ギンダラの粕漬けor塩鮭焼きと。

本を読みながら、23時には寝ていたようだ。目が覚めると、四時半であった。なんとか五時半まで起きだすのを我慢し蒲団の中にいた。五時半、蒲団から出て台所へ。先ずは、鍋で米を炊いた。

菜は、昨夜決めたとおりのメニューで作業を始める。挽肉を取り出し、卵を台に乗せ、タマネギを剥く。蕪の皮を剥いて、小口に切り塩で揉。葉も一緒に揉んで水にさらす。ホウレン草とベーコンのオリーブ油炒めを作る。ギンダラの粕漬けと、塩鮭をガスレンジの魚焼きに入れる。

                       

卵は、オムレツ風に・・・。卵の黄身一つとパン粉を加え、挽肉とタマネギを揉みこむ。一口大のハンバーグを八個、これをフライパンに置いて焼く。とまあぁ~こんなことさ。日々変わらぬ弁当の出来上がりとなった。

                         

例の如く、弁当に納めるのがひと苦労。焼き物を家人は鮭、長女はギンダラと、好みそうなもので仕分けしたが・・・・。蕪は甘酢味付けと考えていたが、家人曰く「レンジで温めたときに酢の匂いが鼻につく」と。山の神の思召し、酸味の弱いポン酢味に変更した。天の声は『レンジにかける時は、生ものは外しなさい!』と聞こえたが・・・・。

 

 

 

 

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松前城跡公園&港・横浜

2017-05-17 | Weblog

5/17(水) 月曜日のつづき、函館のことから先ずは入る・・・・・。

金曜日の午後、松前城公園に至る短い坂を上ったのは午後一時半過ぎのこと。函館駅を発つ時の、霧雨が篠付くような天候とうってかわり、陽光が注ぎ汗ばむような気温になっていた。葉桜の坂を過ぎると、左手に小さな天守閣が建っていた。道はその前を更に上ってつづき、牡丹桜のような桜樹の並木が今を盛りと誇っている。

                              

この天守は、昭和三十年代の半ばに再建したとある。素通りし、桜の並木をのぼった。少し歩むと「桜見本園」と云う処があった。何種か判らないが、白やピンクの樹が花を残していた。

                        

染井吉野は葉桜になって久しいか?それでも園内に250種、一万本の桜木があるとのことだ。今更、桜木の種類を覚えようともしないが、牡丹系?らしき形状の桜が咲き誇っている。気候の所為か、樹高はすべて低い。山桜や染井のよに大きく伸びて枝を広げた樹は見当たらない。北国だからねぇ~、海峡から吹く風にも耐えなくては・・・・。

                            

観光客の姿もまばら、ここの桜祭りも15日までである。人の姿が少ないのも頷ける。二月ほど前の日経新聞、この特集版に、東日本の桜の名所NO1と載っていたのが此処だ。人の好みや審美眼、選択肢は様々だからねぇ~。因みに、NO2は我が目黒川沿いの桜だったが。

公園の敷地は意外と狭い。もっと広いものと思っていたし、一万本の桜、と云えば、圧倒されるものがあろうと期待していたのだ。名物に美味いものなし、の例えもある。来てみなくちゃ分らん、観て触れることが大事だ。来てよかった

― 思い掛けない電話・・・ ―

桜道を歩んでいた時、携帯が鳴った。着信相手はJUNちゃんだ、でると「今年の秋には何時もの旅行会やらなきゃ、皆からどうしたんだって言われるんですよ」なんて、ことを言う。JUNちゃんは、二十年前の現場時代の業務主査だった。小うるさいオジサンや、お局から小姐までを纏めてきた。

その当時のメンバーでバス旅行をしているが、その仕切り役でもある。バスの運転をするチューさんも年老いたので止めよう、そんなことを話していたのだが・・・。余談ながら、この旅行は私が着任する前からの会で、私は新参の一メンバーにすぎない。

『今、松前公園で桜を観てるよ』そんなことを言った。そして電話相手が変わった。MIKOSHIBA君だった。彼は二十年前の課長で、JUNちゃんは部下だったはず。そのMIKOさんが-彼のことは何時もMIKOさんと呼ぶ―、「紹介する約束でしたから・・・」と言う。

と云うのは、数か月前のことだ。彼からの便りに「伴侶になるべき相手が現れました。相手の両親のリハビリをサポートしてる中で、この人とならと・・・」と、あった。返信に『それは良かった。何時か紹介しろよ』と書いた。

MIKOさんは早期退職をし、介護の道に進んだ。年上の奥さん(だったはず)を亡くし、独り暮らしをつづけてきた。そして今は、介護の出前ボランティアなどをしている。一緒に仕事をした時から、真面目でロジカルに取り組むタイプ。だからといって、それで古参の部下が結果をだし、明日への道を拓けるもんじゃない。管理職として、厳しい道だったことは難くない。

そのMIKOさんに、これからの伴侶とすべき相手が現れたと聞けば、嬉しいさ。そう思ってましたよ・・・・。

処が、ところが・・・その相手がJUNちゃん?思わず笑っちゃうしかなかったネ  。若しかして、という気がしないでもなかったが。と云うのは、JUNちゃんの両親が介護を要するようになっており、その相談やサポートをしていることを聞いていたから。だけどねぇ~、JUNちゃんは皆のアイドル、永遠のお姉さんなんだ。

携帯を耳にあてて、大笑いしながら『テメェ~、バカヤロー許さないからな』なんて言ってはみたが・・・・。JUNちゃんに電話が変わった。聞くと、何かと悩みもあるようだ。

『いいじゃないか、なるようになるさ。落ち着くとこへ、落ち着けばいいじゃない』と、そして余計なひと言も『もうお互いに齢なんだし。あわてることもないさ』と。

二人からの電話で、松前行が俄然楽しく、面白くなったことは間違いない。電話を終えて、思わずにニヤリとしていた。なるようになるさ、落ち着くとこに落ち着くさ。これまで同様に、自然体で成り行きに任せなよ・・・・。残された時間はしれたもんだし。

そして公園をひと回りし、バス停に下りた。家影でバスを待っ短い時間、通り過ぎる風は涼しくなっていた。函館駅に着くと、朝方と同じく肌寒むい風が吹いていた。松前公園で過ごした時間は一時間弱、次のバスにすると、更に二時間を過ごすことになる。とてもそんな気になれなかった。

土曜日、ホテルの朝食後、空港へ。ホテルの朝飯が良かった。イカ&鯛の刺身、と言っても二切ればかり小皿に載っているだけ。これにオリーブオイルと醤油をひと垂らしして頂いた。これが美味かった

 前夜、ホテル裏に在る店で、酷いイカ刺しとフライ盛り合わせを口にし、観光客相手の店の酷さを味わったからネ・・・。そう、ホテルの直ぐ裏が、彼の有名な函館朝市が在るとこなんだ。

そして日曜日、平和島のボートレースで久々の勝利。三連敗後の一戦で、逆転の一打を放ったのである。勝利の女神は、未だ近くに居るかな?

そしてそして、昨日の火曜日。所属するOB会の「横浜散策」のイベントに参加。これまで、この種のイベントに参加していなかったが、偶には行かないと申し訳ないと。

元町中華街駅集合・アメリカ山~港の見える丘公園~山下公園~海上保安庁資料館(引き揚げた北朝鮮船の展示)~日本丸~みなとみらい駅と酔お時間の散策。歩みが遅いので、却って草臥れる。グッタリコンコンになり、会社にも、人形町へも、渋谷へも行く気力を失せて帰宅。

                        

港の見える丘公園、山下公園のバラが綺麗でした。そして山下公園のバラ園越しに見た「ニューグランドホテル」。この老舗のホテルに来たくて、実現したのは四十年も前になるか。その時は、BARで一杯やり帰った。それから十年後か、宿泊したのは。俺も随分と長生きしたもんだ・・・・。

                      

 

 次いで、今週の弁当、一挙公開!

 月曜日・・・…・ 焼肉と炒飯弁当、オムレツ&ウインナ―添え。   

                 

 火曜日・・・・・・ チキンの照り焼き、ギンダラの西京漬け、小松菜の卵とじ

                      

 水曜日・・・・・・ ヒラメのムニエル、ホウレン草胡麻和え、豚小間と野菜の中華炒め、出汁巻卵

                  

 

 

 

 

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函館・・・

2017-05-15 | Weblog

5/15(月) 今日は沖縄が日本に復帰した記念日。その同じ日に結婚式を挙げたのが友人のOOISHI君で、復帰の翌年か翌々年だったか。その時に司会を頼まれたことから、今日の日が来ると思い出すのがOOISHI夫妻のことである。その奥さんは二年前に亡くなり、OOISHI君とは昨年のベッタラ市に来て貰って以来である。元気でいるか、後で電話をしてみよう・・・。

記念日と云うのは、斯様に、いろんなことを思い出させてくれる。それだけ長く生きてきたということか・・・・。

長く生きてきたついでと云おうか、しがらみと云おうか、弾みというべきか。当面の課題が「古賀武夫 伝」(仮称)の出版企画の進行である。執筆をしてくれているのは、函館から遥々と行ったセタナ町(奥尻島が向かいに在る)に在住のHASHIMOTO氏である。

今年の春に出版を予定していたが、構想の練り直しがあり書き直している。一度書きあがったものを壊して再構築すると云うよりは、全面的な稿かいであろう。多分。

「暗礁にぶっかっている」との便りがあってから暫く経った・・・・・。そんなことで、函館に向かうことにした。俺の面をみても励みにはならんかもしれないが、俺の方が彼の顔を見たかった。なにしろ、氏は胃の全摘につづく、大腸カタルやらで食も細くなっている。物書きも最後は体力勝負のなのだ。その体力を維持するうえでの激励にでもなればと。それに氏の気分転換にで・・・。

オイラの方は気分転換の連続、食欲は旺盛で困っていると云うに、兎角この世は公平にはできてないようだ。

HASHIMOTO氏に陸路を六時間も掛かると云うバスを乗り継いで、函館の街まで出て貰った。東京を飛行機で発ち、空港から函館駅前のホテルに入ったオイラの所要時間よりも、函館と同じ渡島半島の鄙びた町?に住まうH氏の方が倍以上も時間を要している。

 ホテルに近い居酒屋で、魚なんぞを摘まみに話をした。体力は順調に衰えている。大好物の酒も飲むのを止しているとの由、申し訳ない限りだ。佐賀行きを勧めた。気分転換と刺激にはもってこい、また閃くものがあるかもと。多分、原稿が仕上がりその最終確認が出来る頃に向かうのではないだろうか。その時期は、夏になろうか・・・・。

そんなことで、氏との話は終わった。H氏は、翌日の金曜日にセタナに戻ると云う。時間のある小生は、この機会に松前に行ってみようと思った。

翌朝、ホテルのフロントで松前に向かう時間などを訊いた。余談ながら、駅前に在るこのホテルには三年前だかにも滞在したが、昨年からシェラトンホテルの系列になっていた。フロントもホテルマンも小ジャレて洗練されていた。が、妙に慇懃なように思ったのは田舎者の僻みか?

                       

松前へのルートは、函館駅~木古内駅まで電車 ― 新幹線が通り、在来線は三セクの民営で本数が少ない― 、其処から路線バスであった。所要時間は三時間 北海道が広いのか、交通の便が良くないのか?分らんが、多分両方であろう。それでも、向かうことにした。何しろ時間はあるんだ。H氏がセタナ町に帰ることこを思えば、なんのそのだ・・・・。

                    

                        駅前と、いさりび線の電車

10:40函館駅発に乗車し、12:10木古内駅前発の路線バスにて松前に向かう。電車に居た観光客のグループは、観光なバスで何処ぞへと行ったのだろう。大型の路線バスには十人程が乗っただけだった。暫くは町と林、草原から町を通って漸く海岸線に出る。微かに断崖のように見える島影は、二年前に行った龍飛岬か?

龍飛の断崖の上にある[津軽海峡冬景色」の記念碑とメロディーが浮かんだ・・・・。バスが木古内駅前を出たころから陽が射してきた。朝方の涼しさ、というよりは寒さが嘘のようだ・・・・。13時39分、目的の松城のバス停に時間どおり寸分の違いもなく着いた。ここから松前城址、公園までは道路を二つ渡ってすぐの処であった。

                      

                    松城バス停、後ろに広がる群青の津軽海峡

公園への緩い坂道を上る。染井吉野らしき桜樹はすっかり葉桜で、青々とした葉が繁りつつあった。

 このつづきは、明後日に!

 

 

 

 

 

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