オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

横須賀にて

2016-06-30 | Weblog

6/30(木) 昨日の夕刻、横須賀中央駅(京浜急行)に着いた。今回の横須賀は、佐賀から研修で来たMASUDA・RYOTA君(ユニカレ佐賀のスタッフ)と食事&懇談が目的であった。が、久々の横須賀である。かつて親交を頂いた故・横塚博充さんの墓に詣でることにした。

横塚さんは、トヨタ系列の関東自動車工業に勤務しておられた頃に、横須賀工業倶楽部に出向され事務局長をされていた。工業倶楽部のメンバーであったことから、横塚さんとの交流が始まった。温厚で人を逸らさない人柄であったことから、横須賀の夜を度々ご一緒するようになった。私が横須賀を離れ、横塚さんが関東自動車を退職された後も交流は頂いたが、平成16年7月の下旬、癌の為に逝去。享年65歳であった。

命日の頃に墓参をするように努めていたが、昨年は出来なかったはずだ。RYOTA君が横須賀に宿を取ったことは、奇しくもご縁であった。横須賀中央駅から坂を昇った高台に、そのお寺「龍本寺」があり、本堂の左手の石段を上がった処に墓がある。墓前に未だ古くはない花が飾られていた。それと一緒に、持参した仏花を活けた。

最初に墓参した折にご一緒頂いた、奥様とご長男の物静かな雰囲気が思ひ起こされた。今年の賀状では、奥様は体調が優れないようなことが記されていたが・・・・。「逸見の自宅に立ち寄って下さい」と、何時もお誘いの言葉が記されているが・・・・。

                          

横塚さんの父上は、海軍の軍人であったと聞いている。改めてその没年を確認すると、昭和19年とある。彼の大戦で戦死され、母上も早くに亡くされていた。幾多のご苦労があったであろう、それを乗り越えて道を拓いてきた優しさ、そんなことが偲ばれる横塚さんの笑顔を墓前に浮かべた。

墓所からの風景、猿島が見える。ただ墓所の裏には大きなマンションが建ち、変わり行く街の姿に過ぎ去った年月を感じた。墓参の後、急な階段をメイン通りの方に下りた。そこ彼処がマンションとなり、店が変わり、あらためてその変わり行く様に驚く。昔馴染んだ、塚さんと飲んだ路地裏の「かすみ」も無くなって数年。その跡もすっかり変わっていた。

                       

駅前の若松町から、RYOTA君の泊まるホテルが在る汐入駅前までブラブラと街を眺めながら歩いてみた。メインの大通りは変わらないが、かつて在ったデパート「さいかや」は、高層マンションとなってその威容を誇っていた。この地に暮らした短い年月、雑賀屋さんの親族とも交流があった。往時を偲ぶばかりである。

                           

かつて隆盛を誇った「どぶ板通り」もすかり綺麗に整備され、米軍関係者を相手にする飲食店もめっきりと少なくなった。静かなものである。そして、RYOTAが泊まるホテルに着くと、そこは以前の横須賀プリンスホテル。名前も変わり、ロビーも薄暗く、煌めいていたかつての面影を見ることはない。

『なにが食べたい、飲みたいんだ? 』と訊くと、「魚料理がいいです」と元気な返事。じゃあと向かったのは「魚藍亭」という、いた頃によく利用した料亭。だが昔の面影は・・・・。今じゃ隣で営む”海軍カレー”が有名だ。『海軍カレーで有名なんだよ』と話すと「カレーは大好きです」とのことだ。彼のリクエストにすべて応じる店があってよかった。

横須賀の歴史や、時間があれば寄るべき場所、海軍カレーの発祥など話ながら店に着いた。上の座敷を使う団体の姿もなく、静かな店内であった。彼のリクエストで、刺身盛り合わせ・野菜の天麩羅・アナゴ白焼きなどで、ビール・冷酒・ハイボールで暫し歓談した。とは言っても、相手は26歳の若者だ、こっちが賢しらなことを言うが、彼は素直に聞き、将来を語った。いい夜であった。

                         

 そして仕上げは、海軍カレー売りだしの草分けとも云える、この店のカレーをハーフサイズにしてもらい二人で食した。美味かった!ここでは、箱フグの味噌焼きを食したかったが、なかった(これは、実に美味いんだが・・・)。

RYOTA君と右左に別れ、快速特急に乗るために中央駅へとブラブラと歩んだ。店を出しなに聞いた、かつて平成会(元総理・小泉さんの地元応援団)の幹事として長くご苦労を頂いたHANYUDAさんが交通事故で半身不随になったことなど反芻し、運命について思案したのであった。

                           

                  メイン通りのベンチに、こんなブロンズ像が点々と置いてある)

 

一夜明けた今朝、弁当作りの時間が来た。今朝のメニューは、「チキンライス」だ。これに卵焼を載せるとオムライスとなる。菜は、冷凍の鶏の甘酢揚げ、シューマイ、手作りの「ポテトサラダ」にした。昨日からの飯が残っていた、ご飯を無駄にしないための窮余のチキンライスである。チキンハート・ヤローにはお似合いだ。

                            

 

 

 

 

 

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記憶障害

2016-06-29 | Weblog

6/29(水) 連夜のアルコール摂取で、とうとう頭に脳に障害がきたしたようだ。その辺りの具体的な事柄は後に報告することにして、先ずは今朝のお弁当から・・・。

今日はお弁当二つなので、少し真面目なお弁当を! と云うことで「スキ焼風の牛煮」を拵えた。もう一品は「豚肩薄肉とキャベツの胡麻和え」だが、これは野菜出汁で両方を茹で、然るべきのちに胡麻ドレシングで和えるというものだ。

                             

小松菜の胡麻和え、塩秋刀魚焼き、以上であった。定番卵焼きの出番を探ったが、容器の方が断りを入れてきた。これ以上無理をさせんで頂戴と  。朝の料理長としては残念この上ないが、何事も無理はイカンザキだ。

                             

 

残った菜で軽くご飯を頂き、課のに浸かる。それから「ちあき なおみ」のCDを聴きながら一休み。これが一番落ち着く時間だが・・・、ちあきが古い歌をリリメイクしたCDなのだが、この歌声を聴いていると酒場に座りたい気分にさせられるのだ。それも安酒場がピッタリする。

で、記憶障害・脳障害の件になるわけだ・・・・・。

昨夕、悪徳マッチャンからのメールが来た。「今日は蕎麦奢って下さい」と。当然『なに言ってマンネン、こっちのセリフだっせ』と帰した。つづけて「あの案件で、先ほどまで先方と話をしました」と返ってきたのだ。

あの案件とは、知人の不動産関連の窮地を救うため、悪徳不動やのマッチャンに出馬を願っている一件である。それを出されちゃ、こっちも弱いわなぁ。いいよ  となり、六時過ぎに「高松」で合流したのだ。高松で焼酎を飲みながら話したのは『処で、昨夜の最後は何処で別れたんだっけ?』だ。

どうも記憶が定かでない・・・・、「ちょっぷく」が最後の店だと思うが。マッチャンの意見も同じだが、どうもすっきりしない。帰ったのは終電で、挙句に美味くもないラーメンを喰っちまったという苦い記憶はある。然し酒場巡りの終着が曖昧模糊、魑魅魍魎なのだ。で、その場で一致したのは、証拠写真を撮ろうであった。

                                

一枚目は、高松の金魚ソーダ割り、次いで二軒目に行った「ローカーボ」のハイボールと云う次第だ。

記憶を、あらぬ疑いを掛けられても、言い逃れがきっちりできるように、写真で残して置こうと意見が一致した。でも、これって却って証拠を残すようなもんだゼ。ヤバッ!

「ローカーボ」のマスターと、話をしている中で新たな事実が判明したのだ。なんと!前夜は、ローカーボにマッチャンとミっちゃんの三人で舞い戻ったとのことだ。「終電の時間だと、出て行きましたよ」と、理屈は通っている。

正確にコースを辿ると、「うまし」「ローカーボ」「高松」「ちょっぷく」「ローカーボ」そして終電で学芸大学へ。そこで拙いラーメンを・・・・。そういうことだ。

これでスッキリ、はっきりした。と云うところで、最後は「ちょっぷく」で白ワインを飲み、早めの帰還だった。23時帰宅!

                           

 

今夕は横須賀にいるはずだ。久々の横須賀だが、佐賀から知り合いの若者RYOTA君が、月曜日から研修で来ている。彼と晩飯を喰い、一杯やるつもりだ。三笠公園(軍艦三笠が在る)や、どぶ板通りと案内してやりたいが・・・・。

 ちょっと早目に出て横塚さんの墓参りをしよう。横須賀中央駅から坂を上った処にある、日蓮宗の寺にお墓がある。来月下旬は横塚さんの命日のはずだ・・・・。

 

 

 

 

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日の丸弁当

2016-06-28 | Weblog

6/28(火) 今朝もまた反省の朝を、二日酔の朝を迎えてしまった。やっぱ馬鹿は死ななきゃ治らないようだ。昨夕六時過ぎに悪徳マッチャンから電話が入った。「”うまし”の大将が、天然アユを食べたいという客がいるんで、手にはいるだろうかと言ってんだけど」との連絡だった。じゃ、これから行くよと出たのが災いした?

小料理屋「うまし」に向かうすがら、郷里のKATUOに電話をいれた。『鰻と鮎の状況はどうだ ? 』と。「先日の大雨で鰻の箱(箱を漬けて鰻を取る漁法)は流された。鮎は、今日あたりから漸く賭けにいけるようになったが半日やって九匹だけ。さっぱりだ」との渋い返事。今年は鮎が少ないと、一様に嘆き節。

そんなことを「うまし」のカウンターに腰を下ろしてから話した。とはいいながら、沢山の鮎が要る分けじゃないだろうから、言ってくれれば手配はする旨伝えた。偶々先日の帰京で、従姉が持たしてくれた鮎が5~6匹、会社の冷蔵庫に在ったので持参した。

過日、三越デパートの鮮魚売り場で見かけた鮎、仁淀川産とあったが、小さいのが千円もしていた。仁淀川の鮎が美味いとも思えないが・・・千円とはね!

身贔屓と言われようが、我が安田川の鮎が一番、だと思っている。鬼怒川も狩野川も、九頭竜川も酒匂川も人吉川も、勿論仁淀川も喰った上での私的見解であるが。鮎と鰻に関しては、ちっくと煩いのだ。「ちっくと」と云うのは土佐弁で、少々と云う意である。念のために申し添えるが。

「うまし」から「ローカーボ」へ移動、更に「高松」へと行ったようだ。佐賀のNAKAMURA大将が、この日に鹿児島へ発ったとのことでマッチャンとHOYA兄いの三人のはずだ。最後は「ちょっぷく」で、高松のミっちゃんも一緒のようだったが、どうも記憶が定かでない。

                            

気が付けば、最終電車を乗り継いで、学芸大学着は25時前。そこから、止せばいいのにラーメンを喰いに寄った。この駅脇のラーメンが最悪。こんな夜中に喰う麺じゃねえ。太麺だった。これじゃ胃がもたれるぜ  ・・・・。

                            

そんな最悪の夜を過ごし、今朝の目覚めは最悪。目が覚めた時は7時20分になっていた。これじゃ長女のお弁当が間に合わぬ。なにもないよりはと、食パンを半断ちにして「サンドイッチ」を。食パンにバターとマヨを塗り、レタスを敷いてスクランブルのエッグを挟んだだけのシンプルさだ。これでよければと、長女に渡した。

それから鍋で米を炊き、家人の弁当だが・・・。こうなっちゃ意欲半減、やる気が起きない。手抜きだ~。

                          

冷凍シューマイ、鮭焼き、ジャガイモとソーセージを炒め、千切りポテトのオムレツ、ご飯の上に梅干し一つ。超シンプルな「日の丸弁当」となった。

 

今夜は『生ビール』一杯にします・・・・・。浄く、より聖く、正しく。清廉に生きるのだ

 

 

 

 

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ハワイアン&誕生祝い

2016-06-27 | Weblog

6/27(月) 先週は最後まで重い酒がつづくこととなった。週末の金曜日、ISHIKURA、YANAGIZAWAの先輩にNAKAJIMAさんが加わり「奈加野」にて懇談。その懇談が終わった後、店主の誘いで新しく出来た焼き鳥屋へ。ここで同郷ならではの話と、日曜日のボートレースのことなど。平和島は開催していない、ついては多摩川競艇はどうかと言う。『それやぁ駄目だ、行かない』と、断った。そこまでやる気はないのだ・・・・。

平和島なら、渋谷からの途中なので車に乗せてもらい、帰りもそれで済む。半日の遊びで済むし、毎週開催でないから時間の余裕ができる。これ以上、船遊びに時間を費やす気はないのだ。遊びは、ほどほどだからこそ遊びなのだ・・・。そんなことで、金曜日の帰宅も零時前となった。

明けた土曜日、午後から人形町へ。会社に顔出しの後「ちょうっぷく」へと。この日は、ランチ営業後の午後二時半からハワイアンサークルの発表会?練習会?懇親会? よう分からんが、二十数名のそんな集まりがあった。それに混ざって酒を飲むと云う算段だ。この会が終わると、店長YAMAちゃんの誕生祝とつづくが・・・・。店に着くと既に始まっていた。

揃いのアロハを着て、楽器を鳴らしていた。店の方の準備も粗方済んでおり、私の手は不要のようだ。YAMAちゃん店長から「まあ飲んでたら」と、生ビールと何時もの四倍は濃いハイボールを受け取り、端で飲み始めた。流れる曲は、夏の日には持って来いのハワイアンだ。サークルメンバーの歌や演奏がつづく・・・・。

                          

会がお開きになる頃、ハーツピーバースディの曲が流れ、何時ものマイクセットが用意された。店長の登場だ  参るネ! ハワイアンならぬ演歌を熱唱しする。店長につづき、助っ人隊長のミムラッチまでマイクの前に立った。唄ったのは新沼ケンジ「嫁にこないか」だった。ハワイの夕べから一挙に下町の安酒場、縄暖簾にへ飛んだのであった  。

この頃に「高松」のミっちゃんが姿を見せた。栃木・佐野まで厄除け払いに行ってきたとのこと。『そんなことしてりゃ、厄だけじゃなくて、運まで払っちまうぜ』と、神仏から見放されているオイラはのたまった。悪徳不動産のマッチャンは、体調不良とのことだが、体は体でも懐の具合が悪化してるに違いねぇ・・・。

                              

ハワイの夕べが終わり、愈々メインイベントのYAMAちゃん誕生会だ。この頃には、小生はすっかり出来上がっていたようだ。それでも写メだけは撮っている。お祝いにステーキ買って来るよと「日山」へフラリと出た。「ついでに、COCOで豚十辛を頼むぜ」とは、YAMAちゃん。

今宵のメンバーは、店長とチーフ、ミムラッチ・フナッシ―・マッチャンの助っ人隊、外人部隊の高松夫妻・ミっちゃんに女将さん。終わりごろに悪徳マッチャンがチラリと姿を見せたようだ。

 

乾杯とクラッカーが鳴った後は、演歌を唄いながら飲み食い酒盛りだ~  。

                  

 何時もと違ってやたら濃い、ハイボールが濃いいのだ・・・・。交互に唄っているが、誰がなにを唄ったかも定かじゃねぇ・・・・。

                            

 

 ああ~疲れた、酔ったと終電に乗るため、直ぐの地下鉄に向かったのは零時過ぎだ。最終電車に間に合った、ホッとしてホームのベンチに腰を下ろした。束の間眠ったようだ・・・・。「客さん、電車は終わりましたヨ!」と起こされた。    となった。バカヤロ~早く起こせよ  。

気を取りなおして、隣接の都営線に行くと最終の西馬込行きが入る寸前だった。取り敢えず、我が碑文谷公園に、あの話題の池がある処に少しは近づく・・・・。西馬込駅のシャッターが降りるのを後ろにし、タクシーを待ったのであった。

 

日曜日、話題の碑文谷公園弁天池のそばを通ると、園内への入り口は全て黄色のテープで閉ざされ、お廻でりが立っていた。警察車両と青テントが園内には在り、まだ暫くは解放されない様子。毎朝の散歩やラジヲ体操の面々は、隣の公園、旧勧銀グランドに移動しているのだろう・・・。

今朝の弁当は一人分で済む。長女が休みなので、シンプルな味を好む家人のお弁当だけだ。そんなこともあり、冷凍の「甘酢鶏唐揚げ」と温め、冷凍のブリ切り身を塩を焼きに。後は。小松菜&インゲンの煮物。卵焼きであった。

                  

 

今週はちょっと真面目な夜、健やかな日々を過ごそう・・・。そんなことを思ひながらも、出掛けに演歌のCDを聴いた。と、俄然酒場モードになってしまった。さて、どうなることやら・・・・。バカは死ななきゃ治らなぇか・・・・。

 

 

 

 

 

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パトロール疲れ?

2016-06-24 | Weblog

6/24(金) 週末ともなると、流石に連夜のパトロールの疲れがでるようだ。今朝は蒲団から出るのが辛かったぜ・・・。月曜日に帰京してから、四日間の不在を取り返すべくパトロールに精励したからね。見回りの時間を十五分づつ短縮しながら昨晩を迎えたが、昨晩は人形町駅発が零時07分と云う終電前で、帰宅は25時前となった。

これしきのことで疲れてちゃ、どうにもならん。三十代四十代は、深夜帰宅や明け方帰宅も珍しくなかったのに、これも寄る年波と云うやつかな? 運動不足もあるし、体力・気力の衰えもあるとは・・・・思いたくもないが。

昨日の昼過ぎ、YOSHIOと高松で遅いランチ「鴨ソバ」を食している時だった。後ろの上にあるテレビの音声が「碑文谷公園の池で人体の足が・・・云々」と流れた。振り向いてTVを見上げると、見覚えのある池の壁が映っていた。後でネットで流れたニュースを見ると、切断遺体が池に遺棄されていたことが分った。

大きな池ではないが、ボート遊びが出来るし、中之島には弁天様を祀る神社があり、正月などには参拝する。公園の隣には、昔から日大水泳部の合宿所が建ち、住宅地に在る公園だ。こんな場所に遺体を沈めるとは、些か不可解である。 推理するのは俺では門外漢、浅見光彦君の登場でも願うしかないな・・・。本になるとすれば「碑文谷公園殺人事件」と云う処か。近所ではちょいとしたニュースで、警察の聞き込みもあったそうだ。

それにしても今朝は眠い、眠かった。六時半に起床して、弁当作りに入った。途中で家人が、長女は今日は日勤&深夜勤務だと言った。『それじゃ夜の弁当も作っておこうか』と云うと、「SORAの分もね」と言う。日勤が終わって一旦帰宅し、23時頃に再び出勤のはず。酔っ払った俺が、電車を降りると、出勤する長女にバッタリ・・・そんなこともあった。

二食分となれば、菜の方も変えなくちゃならない。それにご飯も新しく炊かなくちゃ・・・・。眠い・怠い・朦朧の三重苦+二日酔を振り払うようにして、OYAJIは働いたのだ・・・・・そんな訳ねえか!

先ず昼の部だが、「凍シュウーマイ」「鮭焼き」「鶏と人参・蒟蒻の煮物」「豚肩薄切肉とピーマン炒め」となった。卵焼きは、スクランブル風の手抜きで。  

                        

夜の部は、「鶏唐揚げ」「小エビと牛蒡・人参・タマネギの掻揚げ」「イカ&エリンギのバターソテー」「ホウレンソウのお浸し」となった。

                            

 

然し、眠いな~。その原因ははっきりしている、睡眠不足だ。睡眠不足の原因と云えば、パトロール時間の長さにあろう。昨晩の出動は、六時頃だったかか。前監査役の倉上さんが、会社に来てくれたので、役員のNOBORUと三人で食事でもっしながらと「高松」へ。最近の会社の動向などを話ながらビール&ハイボールで一時間半ほどの歓談。

私は「高松」から、パトロール隊の詰所とも云える「ローカ-ボ」へ。ここで何時ものメンバーとグラスを合せた後、「ちょっぷく」へ移動。ちょっぷく助っ人隊のメンバーや店長から競馬話を聴きながらの懇談。

                       

HOYA兄貴は直ぐに帰ったので、カラオケでもと「SEIJU」のカウンターへと移動した。先客が四五人居りマイクを放さないのだ。「いつまでも唄ってないで、いい加減に帰れよ」と言いそうになったが、ここは堪えた。客を逃がしちゃママさんが困るかもしれんと言うのが一つ、もう一つは演歌ばかり唄ってたんでネ勘弁してやった。

言うセリフまで決めてたんだ『バカヤロー!愚図愚図うたいやがって。手前らいい加減にしろ。銭払ってとっとと帰れ  』って。そんなことで、仕舞の時間に近づいた。時間切れだと「ちょっぷく」に舞い戻ると、客の姿はなく助っ人隊のミムラッチとスーさんの二人。YAMAちゃん店長は店に泊まる体制だ。

「最近唄ってないな・・・。マイクを新しくしたんだ」と、久々に歌のセットだしてきた。すっかり唄う気十二分だ。しょうがねえや、YAMAちゃんの歌に付き合うかと・・・・客の居なくなった店内でカラオケとなった。

                             

気が付けば終電だぜ!と駅に急ぐ。こfれじゃ疲れるわな・・・・・。

明日の午後、ランチ営業後の「ちょっぷく」で、ハワイアンの同好会メンバーの飲み会&演奏会だそうな。会費2500円で、参会者募集中とある。それが終わった後は、YAMAちゃんの誕生会だと云う。そして日曜日の競馬「宝塚記念」の検討会か・・・・、明日も忙しそうだな。今夜は渋谷・奈加野なので、控えめに・・・・。

 

 

 

 

 

 

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相手変われど・・・

2016-06-23 | Weblog

6/23(木) 昨夕は後輩のYOSHINOが人形町に来た。何時に着くかと思いきや、五時には着くとのこと。大急ぎでパソコンの電源を落として待ち合わせの店「ちょっぷく」に入ったのは五時直前。未だ客の姿はなく、口開け客となった。この店には前夜も二度、出入りをしているはずだが?

                           

ほどなくYが着き、先ずは生ビールとハイボールで乾杯した。近頃の様子を訊くと、四月に兄が亡くなったとのことだ。『いろいろあるわな、なにがあってもおかしくねえ歳だものナ…』そんな話や、先般あった関東実業団剣道大会のこと、仕事のことなど訊きながらの四方山話。途中、家人から「人形町に居る」との連絡が入る。

何時もどおり、Yがコップ酒三杯を干したところで切り上げた。メトロの入り口に送った後、家人とその後輩KEIKOさんが居ると云う沖縄料理の「くわっち~や」に向かった。家人と”おKEIさん”は、看護学校時代の寮で同室、二人とも剣道部だったのでよく知っている。「おKEIさん」、KEIKOさんのことを昔からそう呼んでいた。そのおKEIさんは、看護婦の道を断念、結婚もしたがこれも途中で解消した。そんな経緯を承知しているので、余計なことながら心配をした時期がある。

処が、余計な心配、年寄りの冷や水だった。おKEIさんはその後、社会保険労務士の資格を取り、独立して事務所を開いて活躍している。二年前のベッタラ市で、数十年ぶりに顔を合せたら「歳とりましたネ」と、言われちまった。うちの事務所からも近いので、何かあれば相談できる相手である。

泡盛を一杯やり、おKEIさんの頑張りを聞いて、先に失礼した。未だ時間は早い、ゆるゆると歩きながら向かった先は「ローカーボ」。道すがら、二階のマッチャンの事務所を見上げると、窓が開き、灯りが点いてなかった。おかしいなと、電話を入れても出ない「中で死んでるんじゃねえか?飲み過ぎで」そんなことが過ったぜ  。

若干気掛かりだったが、美味いハイボールで乾いた心と喉を潤すのが先決と。店に入ると、なんとなんと前夜と同じメンバー、HOYA兄いとCIHIRO嬢が揃っていた。が、悪徳マッチャンの姿はなし。兄いに『マッチャンがどうもおかしいぜ? 』と耳打ちした。暫くしてから、兄いの携帯にマッチャンから着信が・・・。真相は、前夜の深酒(仕事?)が祟り、事務所で眠り込んでいたとのことだった・・・・。

                          

ここで切り上げれば、上々の酒のみだが。そうはイカンザキ! 気が付けば、ここから駅に向かう途中の関所「ちょっぷく」に舞い戻っていた。今度は白ワインとチェイサー代わりのハイボールを飲る。そうこうするうちに、HOYA兄いが来た。どんな話をしたのかも朧だが、隣のアベックが残していったナポリタンを喰ったことは覚えている・・・・。隣の客の食べ残しを頂戴する。この芸は度々やるのだ。ものを粗末にしない、もったいないの心、お財布の中が乏しい由

そんなことで、帰宅は23時20分。毎夜、少しづつ帰宅が早くなっている。いい傾向だ  。

で、今朝の起床は6:20分。眠かったね~実に眠かったよ。若い、若いという証拠かな。眠いのは?

今朝のお弁当は、肉は「豚ロースのカットステーキ」、茄子と挽肉の味噌炒め、胡瓜&茗荷の酢の物、ブリの塩焼き、ジャガイモ・人参・胡瓜・タマネギの温サラダ。これに、バナナピーマンとオクラ・ズッキーニのオリーブ炒め。 

                          

毎度おなじみの満艦飾弁当であります。こう云う弁当を作るのは、田舎者・貧乏人の典型だろうナ。地が出る、お里が知れるということか・・・・。

                             

バナナピーマンというのは、バナナのような形をしている処からの命名だろう?従姉がくれたのだが。 モンキーバナナぐらいの大きさで赤・黄・薄緑と入っていた。そして茄子が、箱にぎっしりと入って会社に届いた。この茄子は、田舎が園芸茄子の産地で丁度苗の植え替え時期、引き上げた茄子なのだ。スタッフに持たせようと送ってもらったが、未だこれだけ残った。さて、どうやって始末するか・・・・。

                            

 

 

 

 

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遠来の客ありて

2016-06-22 | Weblog

6/22(水) 昨夕、佐賀からの客人ありて「高松」にて一献を交わした。私が所属するNPO法人「地球市民の会」の前専務理事で現在は副会長のOONOさんである。彼は、一昨年から障がい者の自立・起業を支援する事業をたち揚げた。その折、支援を頼まれて僅かながら出資した。決算報告書と共に出資利息を持参していた。

彼の事業は、一般社団法人ユニバーサル人財開発研究所「障がい者ビジネススクール ユニカレさが」と云う名称で、佐賀駅前にスクールを開いている。アイディアマンでもあり、今年度は中高生が対象の放課後デイサービスや貧困家庭のための寺子屋事業を検討するとのこと。中学生から大人まで、トータルの障がい者サポートの仕組みを考えていた。

その志、大いに結構。頼もしい限りだとエールを贈った。一応の報告を受け、彼の思ひを聴いた。そして、現在進行中の「古賀武夫 伝記」のことなど話した。暫くして、彼の知人と云うYOKOTA氏が到着した。YOKOTA氏は、女性の起業を支援するカレッジをこれから立ち上げるとのことである。元は富士通やYHPに勤務したそうだが、起業精神が旺盛で独立したとのこと。

「高松」で金魚割を飲みながら、両氏の旺盛なる活動を拝聴していると、NAKAMURA大将が現れた。「そばを食べようと来たんだ」とのこと。同じテーブルに招き両氏を紹介した。NAKAさんも佐賀人であり、システム開発会社のオーナー経営者。起業精神も佐賀魂もOONO君には共通するのだ。

酒精の回りとともに談論風発、OONO君の声が大きくなり、喋りが長くなる。とうとう『お前煩いんだよ、人の話も聞けよ  」と、制した。お酒が体に沁みこむと、時折こんなぞんざいな口をきくことがある。かと言って、怒っている訳じゃないが、苛立ってくるのだ。延々と喋るのは、うちのスタッフAOKIに似たタイプで慣れてはいるが・・・・・。

最初の席を「高松」にしたのは、佐賀から着いたばかりで腹が減ってんじゃなかろうかと心配したことだ。カツ煮やカモ焼、煮込みまで美味い美味いと喰ってくれたので良かった。前夜散財したので、財布の中には万札一枚だけだった。足りなければ貰ったばかりの利息袋があるし、すぐ隣に信用金庫のCD機が鎮座している。これをこじ開けりゃ、札が詰まっているはずと・・・。

そうこうしている内に、悪徳マッチャンからの電話「HOYAの兄貴が、ローカーボのカウンターで一人淋しげにいますよ」と。じゃあ皆で、美味いハイボールを飲み行こうぜと、ローカーボへ移動となった。

「ローカーボ」には、HOYA兄いにマッチャン、CHIHIRO嬢が居り、淋しいどころかおおいに盛り上っていた。カウンターじゃ話が遠い、奥の丸テーブルに全員で移り、総勢七人となり大賑わいとなった。前夜の酒のこともあるので、今夜は抑えてのつもりだったが・・・・・。

                     

エンドレスになりそうで、客人の二人を誘ってローカーボを後にした。SEIJUの前を通過すると、ここも賑わっている様相。めでたしめでたしだ。

「ちょっぷく」の前も通過、しようとすると。目敏いYAMちゃん店長にみつかった。そのまま通り過ぎたら後ろから追っかけてきた「何処へ行くんだよ、寄れよ」と、店長とチーフに捉まった・・・。十時過ぎだったか、店内は空いていた。客人二人は話があるとのことで、二人きりにした。オイラは、常連客と店長・チーフでお喋りワイン。

昨晩のことになり、ここから拉致したネエチャン二人のことに及んだ。「どうだったのよ?」「心配して店を覗きに行ったけど、混んでたわね」と、チーフ。『どうこうないよ。歌は上手かったけど、声がでかくて煩くて途中で止めさせたよ』『適当に帰ったんじゃないの。よく覚えたないな』。

そん会話をしていると、「高松」のミっちゃんが覗いている。悪徳ちゃんを探していた。ローカーボに残留していた悪徳チャンを呼び、三人で話していると、HOYA兄いもやぅてきた。結局、白ワインを飲みながら店仕舞いまで居残った。私と客人はメトロへ、ミっちゃんとマッチャンは「こま吉」へでも向かったようだ。

今夜は早目の切り上げを目論んでいたが、人生そうはイカンザキ。帰宅は23:45分だった。

と、云うことで今朝は眠かった・・・・・。蒲団から出たのは7:10分と云うお粗末。

鍋で飯を炊き、冷凍の菜(塩秋刀魚・鮭、チキンカツ)を温めたり焼いたり。イカの円エンペラとゲソのバター焼き、茹でズッキーニ・オクラとパスタのサラダ、豚薄切肉のタレ炒め、最後に卵焼きで完成とした。

                         

長女が立ち寄ったのが7:30分、飯が未だ炊けてなかった。「じゃあ~夜のご飯にするから、SORAの分も作っておいて」だった。

                          

 

 今夕は、サラリーマン時代の後輩YOSHINOが久々に来るとのこと。早い時間帯で「ちょっぷく」からのスタートとなりそうだ。状況によっては、昨夜のOONO君から連絡があるかも・・・・。

 

 

 

 

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深夜パトロール

2016-06-21 | Weblog

6/21(火) 昨夜は久々の人形町パトロールを敢行。久々の所為か、パトロールにも気合が入っていたようだ。七時過ぎに会社を出て、先ずは悪徳チャンがいるという「こま吉」に顔を出してホッピーでスタート。ホッピーでハッピーな気分になっちまった。処で「ローカーボ」へと移動。

「ローカーボ」では何時ものハイボール、これをやっているとHOYA兄いが姿を現した。人形町三人男の揃い踏みとなったが、今一人、佐賀のNAKAMURA大将の姿がない。どうしてるのかな?なんて言っていると、ご友人と連れ立った姿を見せた。これで、パトロール隊が出揃ったことになった。この頃にはハッピーから酔ッピ―に・・・・。

ハイボールに「ヤマモモ」を入れた、奇麗だね~。ヤマモモは、妹の連合いで我が友人のHIROKATUが採ってきてくれたものだ。俺は、この甘酸っぱくて可憐とも感じる、小さくて赤い玉が好きなのだ。梅雨時の今頃が旬を迎えるが、傷みも早い。妹に唆されて冷凍便で会社に送ったのだ。スタッフも珍しかろうと、凍ったのを廻したが、余った。これを、酒場に持ち込んだ次第。 

                               

                           綺麗だね! 右はマッチャン

NAKAMURA大将から、佐賀の土産を何時も頂戴する。このヤマモモだけとはいかないので、土佐の名産「板カマボコ」をパトロール隊に渡したのだが…。無事に腹に入れてくれたか不安。この夜は、それほど徹底・丁重にパトロールをしたのだ(俺だけかも?)。

                            

三軒目の「ちょっぷく」に流れ着いた頃には一丁出来上がり、ほぼ仕上がった状態だった。アルバイトのベトナムからのオネエチャンが、オーダーを間違えて薄いハイボールを出した時も鷹揚に許した。「ちょっぷく」は、相変わらずの繁盛ぶり、大盛況。入り口の外に置いた特別席で四人が屯していた。

そうこうする内に、店内に居た姉ちゃん二人が帰り仕度でカラオケに行くとてYAMAちゃん店長に言っていた。この二人連れは、前回も同じことを言って帰ったのだ。居合せたその折にも『カラオケなら安くて客の居ねえ、SEIJUだろう』と、強要したが不発。今夜こそと、皆で”SEIJU”コールを連呼!

最後はおいら達も行くからよう、と半ば強制的に、半ば暴力的にSEIJUに拉致した。と云う次第で四軒目は「SEIJU]となったが・・・・、店は珍しく混み合っており、カウンター席は一杯。なんのことはない、「高松」の常連さんで顔見知り、というよりは酒場仲間。この前にバーベキューでもご一緒した面々だった。

                             

オイラ達は奥のテーブル席に陣取り歌合戦と云いたいが、酔っぱらいばかりでやかましい、騒音雑音の大合戦さ。無理連れ込んだ姉ちゃんは、これが歌が上手いのだが・・・。ただし、声がでかい、高い。挙句に演歌を唄わないのだ。とうとう『おめえ、煩いよ』とマイクを取り上げてしまった。カラオケBOXでたっぷり唄うつもりだった二人には、気の毒をしたか? 今度からは誘わないからね。こんな顔してるかも  。

そうこうするうちに、堀留小町の呼び名も高かった(もう小町って齢jはすぎたかな?)「高松」の女将が姿を見せたのだ。前から来ている客のご指名だったようだ。女将の出現が、後を引くことになろうとは、この時点では思ひもしない・・・・。

HOYA兄いも、NAKA大将の姿も消え、悪徳ちゃんから悪漢ヤローに昇格のMATUちゃんと二人組のネエチャン、女将の姿があった。ネエチャンたちと別れ、流れ着いた先は「ローカーボ」。女将と二人になっていたようだが・・・・悪漢が居たはずだが記憶なし。暫くするとマスターが閉店だと、つれない話。二軒目、一軒目と逆戻りで「こま吉」に流れ着いた。

                             

深夜、漂えど流されず、ただ転ぶのみ。思い返せば二度、転んでいた。不思議と痛くもかゆくもなく、コロリと静かに転がったようだ。多分、魔法使いの小人が路上の隅でカモが来るのを待っていたに違いない。オイラの長い脚に、曲がった杖の柄をチョイと引っ掻けたのだろう。どうもそんな気がしてならぬのだ。パトロール隊が、あれしきの酒で酔うと思われぬ? 。昨秋のベッタラ市で、飲み過ぎのHOYA兄いが転がった気持ちが理解できた。あの時の兄いも二度転がったのだ。

終電も遥かに去った後、それでも帰巣本能の塊のような私は家を目指す。帰り着くと26時だったか、奇跡的に玄関の鍵が掛かってなかった。鍵は、駅のロッカーに置いたままのボストンバッグの中だ。あ~助かった。

 

 以上のような次第で、丹念入念、肌理の細かなパトロールを決行した翌日は・・・、反動は今朝になって現れた。弁当を作るのもきつかった。それでも、弁当作りは我が宿命。残り飯で「チャーハン弁当」を用意した。

                           

菜は、茄子・オクラ・豚の天麩羅、鮭焼き、茄子の肉味噌炒めであった。

                      

今夕は佐賀から、「地球市民の会」前・専務理事OONO氏が上京とのこと。ホテルは上野界隈とのことで、人形町で懇談とした。六時過ぎには、こちらに着くであろう。昨夜のような、路上での受け身の稽古は控える所存。あくまでも紳士らしく、社会人としてのマナー、おもいやり、けじめをわきまえたお酒に徹しよう。ではないか、諸君

 今夜は、今朝届いた山形・東根の「桜桃」をグラスに入れてみようか。とてもきれいなサクランボなのだ。これで、埃にまみれ、汚れた我が心身が蘇る・・・そんなことはある分けないが・・・。

                            

                        サクランボ&ヤマモモ。どちらも今が旬

 

   

 

 

 

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山海・川の恵み・・・

2016-06-20 | Weblog

6/20(月) 午後一番のANAにて、高知から帰京。今朝の故郷は、昨日からの雨が未だつづいていた。木曜日に帰郷したが、その折も小雨だった。幸いにも翌日の金曜、土曜日と天気に恵まれた。

金曜日の午後に畑の草刈を終え、母の介護方針についてケアマネジャーと打ち合わせもできた。これで、帰省の大方の用件は済んだことになる。池の掃除は日曜日にすることにし(雨で断念)、土曜日は四月に取材で訪れた夜須町の カフェ&うつわ の「ごとごと」云う店を訪ねた。取材の御礼を兼ねた訪問であった。

                       

                           ソルダム

金・土の二日しか営業をしない店で、オーナーは 広報宣伝部時代の後輩になるIGARASHI君の奥様である。東京OB会の事務局に勤めるご主人の方とは、隔月に開催の理事会で顔を合せている。美味いコヒーと手作りのブルーベリーのチーズケーキセットを頂きながら、最近の田舎暮らしを聞いた。

蛇が出るので、周囲の草刈に気を使うこと、植えた野菜を鹿に食べられて全滅したこと。近所から野菜の差し入れや、鮎・猪肉を頂くなどと田舎暮らしらしい内容であった。

                     

百年一日の如くの母の話にうんざりしながら、夕食は従姉や親戚のKATUOを呼んでの食事会を連夜。その料理を一手に、とは云いながら毎回お馴染みのレパートリーだが。白身魚が好物の母には、安芸市の「寺尾鮮魚」で地魚の獲れたてと書いてあるのを贖う。タイ・ヒラメなどの刺身を中心に。大飯を喰うKATUOには肉類を、これに野菜が加わる。連夜、五・六種の菜を用意する。料理、これも遊びだから・・・・。

四月に苗を植えた胡瓜・茄子が成りはじて始末に困っている。トマトは未だ青い、プリンスメロンとカボチャは実を付けているが、スイカは未だ花だけのようだ。胡瓜のサラダ・酢のものを連日作り、茄子を煮る。揚げ物も必ず茄子やシシトウ・オクラを加えた。今年は気温が低くて、生育が悪いと云うが、茄子や胡瓜だけは別格か?

                          

そんな連夜の食事でKATUOに言う「鰻はどうなってんだ? ちゃんと仕掛けをしてるか」と。鮎は少ない、鰻も獲れないとしか聞かない、言わないが。土曜日の晩飯で「一種間程漬け放して置いた鰻箱を揚げたらはいっちょった」とポツリ、泥を吐いた。「二百匁ばあのがやったぜ」と。俺はニヤリと笑った・・・、よくやったとばかりに。

俺の前でゲロを吐いたと云うことは、持ってこざるを得ない。そう云うことだ・・・・・。そして翌晩、提げてきた。腹の辺りの白から背にかけて黄金色になった極上の鰻だ。大きさと言い、丁度の頃合いだ。冷蔵庫のチルドに入れておいたそうだが、未だ生きていた。昨年の夏に、KATUOから巻き上げた鰻と同じぐらいかな・・・・。

これを捌くに一苦労。何時も使っているステンレスの包丁じゃ役に立たん。数多ある母の包丁から、手頃のやつを取りだして砥石にかけた。然し、俎板が小さいのだ。悩んだが、金串で頭を俎板に打ちつけ、はみ出した胴から下は調理台の上で割いた。重さは740g、長さは76cmでありました。

                      

HIROKATUや従兄の獲った鮎を喰い、今が出盛りの「ヤマモモ」も食し、採れたての野菜と田舎暮らしを堪能した。こんなに楽しいことばかりじゃ、バチが当りそうだぜ!

                          

                           ヤマモモ

 

これから、五日ぶりの人形町パトロールとなる・・・・・。おとこは辛いのだ

  

 

 

 

 

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昔の仲間と・・・

2016-06-15 | Weblog

6/15(水) 昨晩は二十数年前に一緒に仕事をした仲間との懇談。考えてみれば、考えなくてもか。一緒だった頃の僕の年齢を、彼等はとうに過ぎている。昔の話がでるので、その当時の気分になってしまい、飲み過ぎてしまった。

KIMINORI君とはアドで、OKUDA君とは東京・広報の時代に一緒だった。勿論、それ以降も仕事上の付き合いはあったが。現在、OKUDA君はKIMINORIの配下にいるとのことで、昨晩の懇談となった。ご両人と仕事でかかわったことのある当社スタッフ、MACHAとAOKIが途中から加わった。

AD九州支店長で、先月下旬に亡くなった大塚君のことをKIMINORIから聞く。大塚君の故郷、大分・緒方町で執り行われた葬儀のこと、最後はホスピス病棟に移っていたそうだが、健在のご両親は望みを繋いでいたようだ。大塚君の冥福を祈る。

どうしても昔話がでる。OKUDA君が映像系の仕事で出向した会社から本体に戻ることになり、み抵抗していた頃のこと。相談されて伝えたのは『会社を辞めないこと、これに尽きる』そんなことを言った。私がクライアントで居た頃、OKUDAディレクターによるVPの冒頭シーンが、花畑で遊ぶ女の子だった。『お前、なにを考えてんだ』と、 ったことがあった。そんなことを思いだして、大笑いをした。

「高松」で金魚ソーダ割りを飲み、「ローカーボ」でハイボール。「ちょっぷく」ではワインを飲り、各人を帰した後で、AOKIと「セイジュ」に席を移して焼酎。と、些かはしゃぎ過ぎたようだ。学芸大学駅の改札を出たのは、零時に五分前なので、帰宅は丁度零時か。

                           

                    「高松」          「ローカーボにて」

懐かしき面々との酒は、楽しく面白い。なんの屈託も、陰りも、ひび割れもない。あるのは、苦くも甘くもあった過ぎ去りし日々と、目の前の酒。それだけだ。

 

今朝の目覚めは五時、目が覚めたが妙に頭が思い。若干二日酔気味である。そんな思い気分を押しのけるようにして、蒲団から起き上がった。今日のメニューは「トンカツ」なのだ。

例によって、揚げ物ついでに茄子とタマネギもフライにする。豚肉は「ヒレの一口カツ用」である。副菜の「マカロニサラダ」は、ジャガイモ・アスパラ・胡瓜・ゆで卵が入る。小松菜を茹で、胡麻和えにする。

                         

お好み焼き風チジミと卵焼き、冷凍塩秋刀魚焼きで今日のメニューが出来上がった。ハッキリ言って、美味いよ

                           

 

今日の夕刻前、大手町の某社を訪ねる。先ずは、勤務軽減のTUCHIDA君の仕事仕舞を待ってお茶の予定。定時が来ると、後輩のKEIJIROと一献、勿論安酒場でだ。KTIJIROは静岡からの通勤なので、早く終わるだろう。となれば、またしても人形町パトロールか? 明日から月曜日まで、帰省するし・・・。

 

 

 

 

 

 

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