オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

一週間が経ち・・・

2021-06-28 | 弁当

6/28(月)前回にblogをアップしてから一週間が経った。今朝の弁当は一つだけで、残りご飯で炒飯となった。家人を送り出して軽い朝飯を食し、洗い物を済ませてから自室にてCDを流して一服している次第。

この一週間、何をしていたかと問われてもさほどの出来事はないが、何人かに会い、何度か外出した。取り敢えずはそれを振り返ることにしたい。

6/22の午後遅い時間であったが、リハビリ病院に入っている義母をコロナワクチン接種のために東京共済病院まで連れていった。タクシーの中で入居予定の老人ホームのことなどを話した。接種はスムースに終えたので、送り届けてから人形町に行った。

「高松」にてNUMATA&HOYA兄と懇談した。お酒が解禁になったが二人までとかで、席は隣りあわせた別にされた。「高松」は都の指針に真面目に取り組んでいた。やがてお酒を提供するタイムリミットとなり移動。初見の小さな店で飲みなおして帰宅は22時頃であったか。

翌23日の午後、雨であったが地元学芸大学の友人宅での宅飲み。二十年も前に末娘が所属した小学校のバレーボールチームの父親四人での懇談。五時間以上お邪魔をしていた。買っていったラム酒にライムを絞って飲み、少々酔ったか・・・。

24日は朝から外出!。亀有駅に十時過ぎに着いた。待ち合わせ時間に早かった。駅前に建った漫画「こち亀」のリョウさんを初めて見た。

           

この日、一昨年に亡くなった田邊慶治さんの墓参に行けることになり集合。現場に勤務した時代のリーダー的存在であるJUNKO姉さんの采配で私のスケジュールに合わせてくれたのである。

MIKOSHIBAさんの車で、SATOU/EIJIが加わった四人で埼玉・本庄のお墓に向かった。墓地のある「長泉寺」(藤の花が有名とか)まで二時間以上かかった。

今年の五月は三回忌のはずであるが、供養をした気配がないねなどと云いながらEIJIはお墓を綺麗にし、JUNちゃんが花を供えた。車中でも慶チャンのことをあれこれ話しながら来たが・・・いい奴は早く逝くか!。気のいい、気の付く、楽しい奴だった。

               

平成八年三月から二年、職場を同じくして以来の交流である。一緒に飲み、旅してバカ話を重ね、時には真面目なことも言う。そんな仲間も殆どは退職した。

帰りに、小江戸・川越で有名なウナギ店を予約してくれた。そこで遅い昼食を摂った。なかなか美味しい鰻重であった。

                

あれは何年前になるか、北海道は松前城址で遅い桜を見ながら歩いていると携帯電話が鳴った。MIKOSHIBAさんからだったか?聞くと「SAKAIDAさんとお付き合いをさせて頂くことになりました」云う。

大笑いをしながら、バカヤローと言ったことを思い出す。その後からよかったなとは伝えたが・・・。MIKOさんは惚れてたからねぇ~、然し一言「皆に恨まれるぞ!」とは付け加えたが。

最後にJUNちゃん(SAKAIDA)に替わって話をした。北国の遅い桜と陽気のせいか、ほのぼのと明るい気分になった。

ウナギを食べながらそんな出来事を思いだしていた。長い付き合いと云うのは、いいものだ。

26日の土曜日、HANAOKA女史が参加している会(琴・三絃)の、お師匠さんの芸歴周年行事が国立劇場小劇場であった。そっちの方面にはとんと疎いが、案内を頂いたので一幕だけ聞かせてもらった。女史の相方であり、我が相棒のTUGAWAさんと、演奏が済んだあと食堂で小一時間ばかり歓談。相応に皆老いていく・・・。

そして、人形町「うまし」へと向かった。半蔵門線を一駅乗り過ごしてしまい約束の時間に遅れる。ナチュラル時代のスタッフ、YOSHIOにFUJIKURA、そしてYAMAUCHI君の四人で会うことにしていたのだ。

長いご無沙汰であったし、それぞれに抱えた問題もあろうから一杯やって元気になろう!なんてことは考えもしないが。YAMAUCHI君には私のITビジネスのアイディアを検討をしてもらうべくであった。

弱気、弱気に強気、ノー天気な吾輩と、四人四様で仕切り用のパネルも取っ払って制限時間が許すまで会話を楽しんだ次第。

昨日の日曜日、久しぶりにボートレースに行くとやる気満々の奈加野のOYAJIと多摩川の競艇場に遊んだ。が、結果はさんざんであった。早めに帰ろうと促し、途中で切り上げて帰宅した。

以上が、暇なOYAJIの一週間であった。今週は二回目のワクチン接種、その他何件かの予定があるはずだ・・・。

最後に、一週間の弁当写真を載せるが、いつも通りに代り映えなし!。

       

 

 

 

 

 

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酒場再開!

2021-06-22 | 弁当

6/21(月)と云っても、間もなく火曜日の夜明けまじかであるが。BLOGを記すのは一週間ぶりとなる・・・。

六月二十一日は亡父の誕生日であった。存命であれば九十七歳のはずだ。父は私と違って大酒を飲んだ。その父が生まれた日が、時間制限があるとはいえ酒場での飲酒解禁になるのは、これも縁と云えばこじつけすぎるか。

酒場で酒が飲める。当たり前のことが大っぴらにできるようになったので、これまで馴染んできた店に顔を出さなくては義理がたたない。

とは云え、飲酒提供の時間が制約されているし、コロナワクチン接種の二回目はこれからの身。先ずは一軒からスタートすることにした。

そんなことで、口切は郷里の先輩がやっている店に顔を出すことにした。なんといっても、残っている酒場では一番付き合いが古くて四十年近くなるのだから・・・。

と云うことで、店が開けた五時過ぎに入店した。先客は未だいなかった。馴染の板長に声をかけ、カウンターの隅に腰を下ろした。奥の席から見慣れた店内を見廻しながら生ビールを飲む。暫くしたら店主が顔を出した。

                

かつてはこの店も席待ちの客が長蛇をなしていた時代もある。サラリーマンが元気で、小銭しか持たない小僧っ子が渋谷の街をうろつかない時代のことだが。この街は様変わりしたが、店は昔のままである。店主も老いたし客も老いる。

もう昔の話はしないが「取り敢えずは酒が出せるようになってよかった!」なんて声を掛け、ヒラメのお作りを肴にビールを飲んできた次第。

「義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たい侠客(男)の世界」なんて唄があるが、義理も人情も忘れちゃならない、それを果たせるか否かは別にしても、生涯背負って生きるしかない。不義理ばかりの我が人生ながら、そうは思っている。

帰りにデパートの地下食品売り場で、弁当用の食材を少々仕込んだ。

この一週間、変わったこともまいが、先週の土曜日の夕、JINパパからのお招きで高輪台のお宅でご馳走になった。料理研究家の先生が手作りした綺麗で美味しい料理が並び、楽しい会話が続き長居してしまった。

今週から暫くは人に会ったり、家のことなどで予定がつづく。来週以降は、本格的に旧交を温める時間にしたい。二回目のワクチン接種は30日である。

 

最後に、この一週間の弁当写真を掲載します。何時もと同様、代り映えもしないが・・・。

      

 

 

 

 

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ご縁・・・

2021-06-14 | 弁当

6/14(月)今日は朝から小雨がパラツついてたが、雨はこれからどうなるのか?。夕方から夜にかけて外出する予定なのだ・・・。

それまでの間は暇である。暇人は、過日届いたレターパックの中に置いたままの小冊子や手紙を再度捲りながら、その「ご縁」について改めて振り返る。

レターパックの差出人は富士市南松野という里に在る「東光寺」と云う臨済宗のお寺におられる。時折、こうした小冊子や「南松院」にまつわる資料が届く。冊子などを読むたび、穏やかな気持ちにさせてくれる。

                 

送り主は、十年以上も前に故人となられた小澤常敏先生の夫人である。既に九十歳にはなられたのではなかろうか。以前にも記したが、出会いは半世紀近くも前のことである。

山梨県身延町下山に「南松院」という臨済宗のお寺があり、そこに剣道場が建っていた。サリーマン時代に剣道部の合宿場所を探していたら、地元出身の部員からの情報でそのことを知った。

下見をさせてもらい、二年続けて夏季合宿で使わせてもらった。小澤先生は中学校の先生をする傍ら南松院の住職をされていた。先生や地元の剣士たちと稽古をさせていただいた。

その後、時節の挨拶状だけのやり取りが続き、先生は学校を退職された後であろうが、実家の富士川町(旧)の「東光寺」住職として戻られた。

遊びに来るようにと、いつも添え書きがあったが、私が東光寺を訪れたのは先生が逝去されたとの連絡を頂いた、葬儀の時であった。合宿から既に三十余年が経っていた。檀家の若い人の弔辞が、先生の人柄を偲ばせた。

帰り際に奥様に積年のご無沙汰を詫び、ご挨拶をしたが、お互いに年月を経た顔相にかつての面影をみることがなかったであろう・・・。

それ以来、近況などとともに小冊子やお寺の様子などが届くようになった。合宿には家人も部員として参加していたので、奥様には印象深かったようである。

それにしても縁とは不思議なものである。ご縁とは言いえて妙なるもの、相手がその縁を大事にしてくれる結果ではあるが。

写真の文庫本「辻参謀と七人の僧」は、小澤先生を含めた七人の僧籍を持つ学徒出陣が終戦直後のタイの寺院に潜伏したノンフィクションだが、これも先生の没後に届いたものである。

生前の先生との交流を密にしておけばよかった思うのは、今更ながらであるが。

 

今夕の外出は半世紀もの長きではないが、人形町で出会った面々との交流、懇談である。コロナ下ではあるが、人と人の交流、ご縁は大事にせねばならない。人間の証である。

最後に今日の弁当を載せます・・・。角煮、ハラミ焼肉、春雨&キュウリ甘酢和え、卵焼きに、申し訳程度に焼タラコが乗っています。

             

 

 

 

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パイプの煙・・・

2021-06-13 | 弁当

6/13(土)日曜日の午後になり部屋のカーテンを開けて小さな空を眺める。いつの間にや雲が広がって天気予報どおりになっている。

愈々梅雨入りか?それにしても遅い梅雨入りであるが・・・。

今日のタイト「パイプの煙」としたのは、さっきまでパイプを煙らしていたからだが、作曲家の團伊玖磨さんのエッセーに同じタイトルがあるのを思い出した。八丈島にアトリエを構えていたと記憶するが・・・?。

私がかつてパイプを始めたのはこの随筆からか、開高健さんに影響を受けたのか、今となっては定かでない。職場以外では数年パイプをくわえていたが、今の家に転居してからパイプのセットは屋根裏部屋の段ボール箱の中であった。

金曜の午後、人形町の喫茶店「グッチ」で保谷兄いとコーヒー、その後「うまし」に寄った帰路、銀座のタバコ専門店「菊水」でパイプ用のタバコ葉を漸く買うことができた。その新しい葉をパイプに詰めてくゆらしていた。

くゆらしていた、などと云うと優雅そうだが、さにあらず。パイプを上手く吸うには年季がいるのだ。上手に葉を詰め、まんべんなく火を点け、吸ったり吐いたりがこれまた微妙なのだ。火を点けるにはマッチが一番いいが、最近はマッチをくれる店もない。

そんな次第で、優雅とはいかんが優雅そうに気分だけでも・・・。

              

 

昨日の午後、暑い最中であったが田園都市線の青葉台、藤が丘駅に降り立った。老人ホームの下見である。

私の入居に備えて?そんなことはないさ。入院中の義母の退院が近いのでそれに備えてである。家人は仕事を持っていることもあり、家で世話をしきれそうにないとの判断である。

病院からの紹介で二つの施設を見に行くことにしたのだ。一つ目の青葉台のホームはバス利用で、東名高速に近かった。それに施設は坂下に建っていた。

隣駅の藤が丘は急行が停車しない駅の所為か、駅前も落ち着いて静かであった。徒歩15分というホームは、駅から緩やかな坂道が続いた。汗をふきふき歩いた。池のある公園が途中にあった。

訪れたホームは三階建で周りも開けていて明るかった。話を聞くのは専ら家人である。私は只々、聞いているだけである。

訪れた両ホームとも室内の見学はせてくれない。コロナ対策とのことで、入所者の面会も玄関先のガラス越であった。既に全員のワクチン接種は済んでいるとのことながら。変な世の中になったものだ・・・。

帰りに、途中に在った公園に立ち寄った。葦が茂り、睡蓮の葉の上を小さな水鳥が駆けて少年が投げる餌を啄んでいた。水辺を一周して駅に向かった。

           

「陽当たりも環境も良さそうだし、いいんじゃないか」などと言いながら帰路についた。

我が家の近辺にも新旧の老人ホームは何軒かあるが、高級ホームか特養ホームである。ピンは入居は数千万~一億円で月々数十万円から百万円とか。安い方の特養には入れない。そんなことで、貧乏世帯でも入れそうなホームを探して見に行った次第である。我が乏しい小遣いも風前の灯であろう?。

 

義母にとって何が一番幸せか、それが気がかりながらも、我が一家と家人の妹たちにとってベストな選択をせざるを得ない。これが現実である。

私はホームにはいらないよ!その前に逝っちやうからね!。時期を見計らって。

 

 

 

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夏日の夢か・・・

2021-06-11 | 弁当

6/11(金)平年なら梅雨入りして、梅雨寒だとかいう時期なのだが…。夏日が続くとは!。毎年のように季節がおかしいとか聞くようになったので、驚きもしないが。

天気がよくても、巷にでて酒ものんびり飲めないんじゃしょうがないね。大人が夜遊びをしなくなっちゃ酒場は上がったりだ。

一昨日、渋谷の大人「奈加野」の店主と、ランチ営業を終えてからコーヒーをご一緒したが、すっかり覇気をなくしていた。

整理をしていたら、大人が元気な姿で写っている二十年も前の写真が出てきたので、それを渡して「こんな姿に戻らなきゃ!」と発破をかけた次第である。

思い起こせば、NAKANOさんとの付き合いも四十年になるか。宇田川町の今の店を二店目でオープンしたばかりの頃だ。郷里の先輩、それも同じ町の出身と云う気安さもあって、方々の酒場やゴルフ、遊びにとご一緒してきた。桜田門一家から八九三一家、実業家や芸人、相撲取りと幅広く紹介され一緒に飲みもしてきた。

齢を重ねたとは云え、あの頃の元気を少しでも取り戻してほしいものだ。少なくとも客商売をやっている限りにおいては・・・。元気のない大人の姿はさみしい。

かつて私に言った「ARISAWA、お前は課長だとかいって偉そうにしゆうが、俺は焼き鳥を焼いていても帰りはベンツだぞ!」なんて言う、勢いのある言葉を聞きたいものだ。

別れ際に、今は凌ぐしかないだろうけど、元気をなくしちゃだめだよ。まだまだ十年はやれるよ!。と、サヨナラした。

 

他人のことはかくも云えるが、わが身を振りかえれば飯つくりをするだけの能無し、暇人である。困ったものだ。宝くじの一億円、早く当たらにかな~。そうだ、思い出したが今日がサマージャンボの抽選日だった。意気だけは盛んだが、タナボタを期待するようじゃろくでなしか・・・。真夏日の夢、陽炎の如しか。

現実を生きるための方向を秋までには決めなくちゃならない。都会で生きるか、田舎で生きてゆくか。都会で生きていくためには仕事、これを定めなくてはならないのだ。帰郷するまでの一月でヒントが生まれるか?。

 

取り敢えず、今日はここ二日間の弁当を紹介してお仕舞いにする。

          

何時もながら、代り映えしない弁当だね!。 

 

 

 

 

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暇な日々・・・

2021-06-08 | 弁当

6/8(火)新型コロナのお陰で外出もままならず引き籠り状態!。外出と云えば食材の買い出しか、短い散歩程度である。

いい大人ながこんなことでいいのだろうか?と、我が国の行く末と経済が心配になる。が、余計なことを考えるなと言われるか・・・。

然し、朝晩の飯作りだけで隠忍自重する大人は辛いねぇ~。今日は、食材の買い出しでチャリンコに跨って三軒茶屋方面の肉屋さんまで行ってきた。牛豚肉を合わせて4㎏を購入。さて、どんな料理になるのか・・・。

週明けからの弁当は、次の写真どおりであるが代り映えしない。

        

暇なのでろくでもない事を考えるか、何度か手にしてきた本を捲るばかり。

昨夜は、サラリーマン時代の剣道部で一緒だった、後輩のSAITO君が令和二年に上梓した「水無月の雨 細川家騒動」を読み返した。

戦国から江戸幕府樹立に至る大名の、生き残りを賭した行動・心中の心理描写、情景描写ともに細緻で、かつストーリー展開も分かりやすい。売れていい本だが、その後の状況は田舎に引き込んだこともあり聞いていない。

読書の手を休めては、二十年ほどもほってあったパイプに、これも同じころにタバコポットに入れたままの古いパイプ用タバコ葉を詰めて吸ってみるのだ。近所のタバコ店を探したがパイプ用の葉を置いてない!。

               

いがらっぽい味がするが吸えないことはない。紙巻きタバコと違い、パイプや葉巻は肺まで吸い込まないので肺にはいいと云うが?。こんな古い葉を吸うようじゃどうかな?。どうでもいいが・・・。若しかして、コロナ予防に効くかも!。

 

ろくでもない事の方は、これからのビジネスについてだが。無い知恵を絞ってもカスしか出ないが、そのカスの中でこれは良いかもと思うアイディアが一つあった。

その実現性についてネットで諸々検索してみたら・・・、ニッチではあるがこれからの時代にマッチしていると思えた。

が、ビジネス化にあたっての費用の方がネック!。軌道に乗るには三年~五年、それまでのイニシャル&ランニングコストがスモールスタートとしても一億円は必要であろう。

人材については問題ないはずだが、資金がねぇ~。こうなれば、宝クジに頼るしかない!大当たりしたらスタートだ。それまで口を開けて寝て居よう・・・、タナボタ!を。棚から牡丹餅が落ちてくるのを!。乞う、ご期待を。

斯様にも暇な日々を過ごしている次第です・・・。

 

 

 

 

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季節巡りて・・・

2021-06-04 | 弁当

6/4(金)空も空気も重い夜明け、新聞を手にして暫くすると雨粒が落ちてきた。そして一日降り続いたはずだ?というのも、外に出たのは早い日暮れに買い物で十分ばかり。

六月最初の金曜日を一日を部屋に垂れ込めて過ごした。帰京してから少しは歩こうと、近場ながら歩くようにしているが、それは天気がいい日だけのことだ。

火曜日は裏手になる碑文谷公園から、雀のお宿公園~碑文谷八幡神社と周り「イオン」(旧ダイエー)で買い物をして帰った。ゆっくり、ノンビリと見廻しながらであったが汗を掻いた。

       

そして水曜日は電車に乗った。ランチ営業が終わった「奈加野」の店主と、椿屋の高いコーヒーを飲み(ご馳走様)ながら、商売のことなど聞きいて「やるしかないね、頑張ってよ」と別れ、ほんまもんの中野駅へ。

かつての上司、NAKAJIMAさんが顧問として週一~二回出ている某社を訪問した。旧知の方を含めて三人で一時間半ほど雑談をしてきた。ビジネスのヒントになるものでもあればと思ったが・・・。旧顧談で終わった。

 

季節は廻りて早や六月、この季節は鎌倉の仏閣をめぐってアジサイを見るのが若かりしころの習慣であったが、そんなことは忘却の彼方だ。それでも紫陽花は好きだ。旨いアジの開きも好きだが・・・。

部屋に垂れ込めてそんことの数々を反芻していると、いろんなことが、様々なことが甦ってきた。子供のころから学生時代、青年時代から壮年まで枚挙に尽きぬ出来事、出会いと別離。

先日、屋根裏部屋の手紙や写真などを整理しながら、読み返したり見返しりしたのが影響しているのか?。そのほとんどが、赤面するか冷や汗ものばかりながらも、懐かしく思うことも人も浮かんでくるのであった。重い空気が部屋の中まで浸透し、古い記憶を呼び覚ますのであろうか・・・。

暇なオヤジと云うやつは仕様がないね、やることといえば朝晩の飯つくりだけだ。そろそろ夕餉の準備はいる時間が近づいてきた。最後に今週の弁当など紹介して終わることにする。順不同。

       

         

      

昨日、妹から届いた梅(3kg)で「梅のブランデー漬け」と「梅シロップ」を仕込んだのだ。我が家の畑で採れた梅ですから、小ぶりですが小梅ではありません。      

 

 

 

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