オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当は三ッ!

2019-09-30 | 弁当

9/30(月) 九月が終わる今日の弁当は三っ作ることになった。家人と長女の弁当に加え、家人の事務所を今日で退社する若い子の弁当を作ることにしたのだ。

事務所の一番若いスタッフで三年弱の在職であったろう。若い人が入ると職場の雰囲気が明るくなっていい、と家人は喜んでいたのだが・・・。仕事柄か、転職、移動は多い職業であり、世の常と云うしかない。

その若いスタッフが、或る時に家人や長女の弁当をみて「お金出すので食べたい!」と言ったそうだ。そんな話を聞き、ある時弁当を一つ余分に作って持たしたことがある。そんな経緯から、退職するとを聞いたので最後の今日、弁当を食べてもらうことにした次第。

私も一応は家人の会社の役員であるし、一度だけだが顔を合わせたことがある。これまでのご苦労様とありがとうの意味を込めて弁当を作つたが、何時もより一品くらい多いだけ。

弁当箱は私が使っていた曲輪っぱの二段を使うことにした。菜も多く入るので!。

    

今日のメニューは「黒毛和牛ステーキに椎茸添え」「エビ・椎茸・タマネギのフライ」「ピーマン肉詰め&ハンバーグ」「ホウレン草の胡麻和え」、定番出汁巻き卵焼き」と云うレギューラーなメニューである。

          

弁当箱に新米、炊き立てのご飯を詰めてから梅干を入れて日の丸弁当にした。明日からの船出に相応しく日の丸を掲げたのである。幸大き未来を願うばかりである。

            

 

さて、日曜日の昨日のことだが札幌の知人から生の秋鮭とイクラ醤油漬けが届いた。過日上京した折に渋谷・奈加野にて懇談した御礼の意味合いであろうが・・・。気遣い無用なのに、義理堅いと云うしかない。

           

折角の心遣い、出刃を研いで切り分けた。早速に頭と粗で石狩鍋を作って頂いた。旨かったよ!。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラストイベント㏌メ グスタ

2019-09-29 | 弁当

9/29(日) 九月末日を控えた日曜日の朝を迎えた。曇り空、今日は陽の光を浴びることは叶いそうにない。

昨日、横浜・馬車道に在るライブハウス「ME gusta」において私的なパーティ、我がラストイベントが済んだ。先輩・友人・後輩に家族の四十名が顔を出してくれて、橋本葉子さんのピアノで幕を開けた次第。

遠くは広島から後輩の鉄平が、遥か昔の学性時代からの友HOSOKAWA、独身寮時代からの後輩達、人形町の酒場仲間、かつての仕事仲間、遊び仲間たちであった。休日に時間を割いてきてくれた皆々に感謝であった。 

         

持ち込んだニッカウヰスキー51°のバレル三本は瞬く間に空になった。このウヰスキーは中々入手できないのだが、自分が店を開いたときに備えて買い溜めておいたものだった。主成分が多い分、美味いのでお気に入りなのだ。

集まってくれた皆さんを紹介し、葉子さんのピアノと唄、ダーナとのデュェット、沼ちゃのジャズ演奏と時が過ぎ、三時間に及んだ宴を終えたのである。

       

 

ひと先ず、私的には区切りを付けたつもりであるが・・・。未だまだ、先輩や友人と個別に時間を頂戴して御礼を伝えたい人達がいるが、何人と会えるであろうか・・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はイベントが・・・

2019-09-28 | 弁当

9/28(土)東京を去るにあたり、最後の私的なイベントを横浜・馬車道のライブハウス「メグスタ」にて行う。この陳腐とも云えるイベントを思い立ったのは7月のこと。

メグスタに橋本葉子さんが出演すると案内を貰い出掛けた。午後三時開演とのことで行ってみると、何かの手違いか、客は他に一人しかいなかった。葉子さん、店のオーナーのダーナと雑談するうちに、十数年も前になる私が個人的に開いたパーティーのことに及んだ。

その頃、葉子さんはご主人の東郷好彦氏(故人)と赤坂・乃木坂通りでVIPルームと云うピアノラウンジを開いていた。余談だが、店が六本木に在ったころは「禅」、そして最後には一ツ木通りで「禅」の名に戻っで閉店したが・・・。

平成14年の春、サラリーマンを辞めた私は、それまで厚誼を頂いた友人・知人・同僚等を時代別に区切って御礼を云うためのパーティをVIPルームで六夜に渡って開いたのだ。

そんな時代の懐かしい話とともに、メグスタの閑散ぶり、東京を去り郷里に生活の基盤を移す予定なども相まって、我が最後のイベントを開くことを思い立ったのだ。それを、今日の午後に開くことになった。

YOSHIOに案内のチラシを作ってもらい、サラリーマン卒業後の人形町を中心にした友人・知人に案内をした次第である。我が家族も含めて、四十人ほどが来てくれることになった。

どんなことになるか?蓋を開けてみなきゃ分らんが、葉子さんとダークの唄、お酒と会話を勝手に楽しんでもらえれば幸いである。

             

 

さて、昨日の弁当を紹介する。アメリカ産とカナダ産の松茸を買ってきたので「松茸ご飯」に「松茸のスキ焼」「サーモンとマイタケ・ホウレンソウのバターソテー」に前夜の残り物のカツオを生姜醤油で焼いた。

            

卵はスクランブルにし、タラコを焼いた。以上である。東急ストアで買ったアメリカ産松茸は香りが?だったが、九州屋で贖ったカナダ産の松茸は香り良し!。今秋二度目となる松茸ご飯は、上々の出来であった。

             

           

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かくして今日も・・・

2019-09-26 | 弁当

9/26(木) 昨夕の食事で濃いめのハイボール二杯とビールをグラスに一杯、十一時ごろには眠りについたと思う。そして、目覚めたのは深夜三時半。それからは眠れずに朝を迎えた。

どうやら三時間半眠ると目覚める習慣になったようだ。すっかり素浪人の暮らしが板についてきたか・・・。

今朝も弁当作りを終え、朝食とビールをお茶代わりにして一時を過ごした。サラリーマン時代から休日の朝はビールが定番であったが、毎日が休日の身となりビールの方も毎日と云う次第である。或る意味、幸せな日々とも云えるか?。

さて、今朝の弁当だが「牛カツ」をメインにした。一昨日に牛塊を買ってきたので、昨日の弁当ではステーキ弁当だった。安い肉は堅かったので、今朝は叩いて柔らかくしてから「牛カツ」にしたが、正解だった。

魚は「ブリの照り焼き」だが、昨日は「ブリの塩焼き」だった。冷蔵庫に一日置いたので照り焼きにしたが、ブリは昨日の塩焼きの方がよかった。

「牛カツ」「ブリ照り焼き」に、刻みネギを入れた「出汁巻き卵」と「春雨のサラダ」が今日の弁当。昨夜の鶏唐揚げも残っていたが、長女の弁当に一つ押し込んだだけである。

              

肉類に魚、野菜の三種に卵焼きを組み合わせものが我が弁当の基本である。

              

 

昨日の弁当も紹介しておくが、基本パターンどおりの「牛ステーキ」「ブリ塩焼き」「アスパラ豚巻き」「スクランブルエッグ」にソテーした野菜を少々添えただけである。スクランブルエッグにするのはスペース上の制約である。

          

 

今週の土曜日は横浜・馬車道の小さなライブハウス「ME gusuta」で友人たち招いた懇談だが、人数の把握ができていない。尤も、時間があればどうぞとの案内をしただけなので致し方ないか!。

昨夜、歌姫「橋本葉子」さんから電話があり段取りを聞かれたが・・・お任せですよ、といい加減に応えた。当日に早めに入って打ち合わせることになった。

35人~45人の間と見積もっているのだが、どうなることやら・・・。いい加減なOYAJIが開く、いい加減な会である。いい塩梅になってくれるといいのだが?。

葉子さんとダーナの唄を聞き、飲んで、訪れる機会が少ないであろう横浜・馬車道の雰囲気を味わって頂ければいいのだが。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連休明けて・・・

2019-09-24 | 弁当

9/24(火) 三連休とやらも明けたが、我が連休はづ~っと続く!。そんな優雅なる日々故に、夜が更けようが気にもしないつもりだが・・・。なんと、今日も明け方の五時過ぎまで眠れぬままに時はすぎて行ったのだ・・・。

それでも、今日からは弁当作りの遊びが待っている。今日の弁当は「トンカツ」「ホウレン草の胡麻和え」「牛小間炒め」などであった。これらに、昨夜の鯖竜田揚げも一切れ加えた。

             

相も変わらずに面白うもない弁当ながら、眠気眼で弁当が完成した次第であります。以上、報告を終わります。

 

              

 

 

 — 裏切り者メ・・・ -

昨夕の連休最後の夕食のことだが、孫のSORAからリクエストを貰ったのは前夜のことであった。「明日はソーメンが食べたいから、お願い」であった。致し方ない、頼まれたらノ—とは言わない主義だ。

そんな次第で、連休最後の夕食に向けて副食の掻揚や野菜天婦羅などの準備を進めていた頃合い。スマホの呼び出し音が・・・。出るとSORAからだった。

「兄さんゴメン!、ママの友達が仕事で子供の面倒を頼まれて今、家で一緒にご飯食べてるの」との連絡が・・・。

『この裏切り者!』とは言ったが、そんなことなら仕方ないじゃないか、許す!。と云うと、「今日のご飯残しといて、明日絶対に食べるから」と・・・・。

そんなやり取りがあったが、今夜は今夜で仕切りなおしての晩飯作りであった。学童保育から戻ったSORAを迎えたが、先ずはバイオリンの稽古があり先生宅へ行く。初めてそれに同伴することになった。

出掛けにグズグズするSORAを見ていると蹴っ飛ばしてやりたくなるが、我が子じゃないので堪える、耐えて出掛けたのであった。

SORAの下手なバイオリン姿を見ながら「音楽の才能もないな~」なんて実感するのであった。

                   

帰宅後は、事前に準備をしてあった夕食の準備に掛かった次第。今夜も「掻揚」に野菜天婦羅は「芋・茄子・レンコン&はさみ揚げ」に、モズクとタコ・胡瓜の酢の物、カツオの叩き、ブリのカマ焼き、などが並んだ。

         

   この写真、実は昨夜の夕食メニュー。今夜の方が盛り沢山ながら撮らなかったので。

長女にSORA、家人の四人で夕食となったが、相変わらずの過食になり候!。

 

 

 

 

 

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お彼岸

2019-09-23 | 弁当

9/23(月・祝)秋の彼岸、三連休も最後の夜明けも近い時刻ながら眠りもせずにPCに向かっている。暇な日々を過ごす身ゆえの自堕落な暮らしである。

ここ七~八年、春秋の彼岸は郷里で過ごしてきたが今年は東京に居ることにした。と云うのも、孫娘のSORAから「連スポしょうたいじょう」なんていう招待メモを貰った故、帰省を断念したのである。

連スポと云うのは、区内の学童保育クラブ(小1~3年までの課外保育)が合同で行う連合スポーツ大会(運動会)のことで、SOARAは今年で学童保育が最終年となるのだが、連スポで通っている学童クラブの応援団長をやるので見に来てほしいとのことであった。

泣く子と地頭には勝てぬ、との古いことわざを地で行くような次第である。

そんなことで21日の土曜日の午後、連スポが開かれる区内の小学校の校庭を訪れた。着くと、既に各学童クラブチームは勢揃いしており応援合戦が始まろうとするタイミングであった。

SORAが学生服に白タスキの応援団スタイルで、やや緊張した表情で台の上に立っていた。区内に学童クラブは6カ所であろう。そのチーム順にフレーフレー○○と応援エールを交わしてから競技に・・・。

心配しながら見ていたが・・・・無事に応援リーダーを務めたのでホットした。徒競走などを見てから、早々に引き上げた。

         

 

かくして、彼岸に東京に留まった義理を果たした。後は部屋に垂れこめて文庫本を友に過ごすのみである。

夜は秋刀魚や鮎を焼いて、沖縄のシークワーサー、徳島のスダチ、高知の仏手柑(ブッシュカン)にレモンと四種の柑橘酢を絞って試している。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪だ~

2019-09-20 | 弁当

9/20(金)昨日の明け方、寒くて目覚めた。それ以来、鼻水と咳がつづき止まらない。久々に風邪っぴきと云うことになった。今夜は人形町で一杯やらなくてはならぬと云うに・・・。

そんな状況ながら今朝も弁当を作り、残った菜で食事とビール。そして、郷里の妹の処から鮎が届いたので、包丁を研いで数匹を開きにして干した。塩加減と干す時間が大事であるが、結果は如何に?。

              

今朝の弁当は牛小間を使った「牛煮&牛炒め」をベースに、「小松菜の煮浸し」「粕漬&タラコ焼き」と出汁巻き卵であった。

           

同じようなものばかりが続くが、味付けや添える野菜などで少しづつ変化させてはいる。

                                   

 

昨日の弁当は前夜の段階では「炒飯」の予定だった。が、目覚めてから変更した。残りご飯を使うので炒飯にするつもりだったが、親子丼風にして汁掛けにすれば残り飯でも構わないかと思ったのだ。

そんな分けで、親子丼弁当になった次第。

           

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オムスビ

2019-09-18 | 弁当

9/18(水)雨が想定より早く降り出した。十時過ぎには雨になっていた。昨夜の酒の所為か、朝ごはんが過ぎて体重が増えてきた所為か、体が重く感じる。

昨夕は七時半過ぎに人形町に着いて「ちょっぷく」「こま吉」「セイジュ」、帰りしなに「ちょっぷく」に顔を出してからの帰宅は、零時をはるかに過ぎていた。

そんな今朝の弁当は「オムスビ」になった。具は初めてスパムを使った挟みオムスビに、鮭である。ゆで卵と鶏の唐揚げ、野菜の素揚げに稚鮎の甘露煮である。

         

スパムは長いこと棚に置いたままであったが、先日の沖縄旅行でスパムのオムスビをはじめて食べたところ、美味かった!。その味を思い出し、作ってみることにしたのだ。スパムオムスビのかたちは沖縄で口にしたものと同じである。結果は?好評であった。

明日はチャーハン弁当の予定である。ご飯が残っているのだ!。チャーハンに合う菜ってなんだろうか?。朝まで悩んでみるか!どうせ暇だ。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄二日目~&今朝の弁当

2019-09-17 | 弁当

9/17(火)昨日は一歩も家から出ずに過ごした。前夜からの雨がつづき、外出の気分にもならず、部屋で本を読み垂れこめていた。

一夜明けた今朝は弁当作りから始まった。これと云った食材もなく、あり合わせの冷凍食品と野菜を使った弁当になった。

「ピーマンの肉詰め」「生鮭のバターソテー」「アスパラの豚巻き」「白茄子と豚バラの味噌炒め」に、しし唐、卵焼きと板カマボコが菜となった。

          

代わり映えのしない何時もの弁当が出来上がった。残った菜で朝食となり、濃いめの味付けの菜でビールを飲んで朝の儀式が終わった。義母が金沢の義妹の処に行って以来、残った菜で朝のご飯が習慣になった。そのせいで、五キロほど体重が増えてしまった。義母に早く帰ってもらわないと・・・。

         

 

さて、沖縄旅行の二日目は名護市に泊まる。那覇のホテル出発は十時とゆっくりであった。今回の旅は、沖縄オタクのショウちゃんとMASATERUのぺアによる計画に便乗している。従ってスケジュールも行先も全てお任せである。

今日は先ず、名護に向かう途中の「おんなの駅」に向かった。ケッタイな名の道の駅だと思ったら、恩納村にある道の駅と云うことらしい。ここのカキ氷が超有名とかで、これを食べると云うのだ。

こっちはカキ氷になんの関心も興味もないが、ここは従うのみである。カキ氷店は長蛇の列となるらしいが、この日は十人ほどの列であった。ピーカンでカキ氷を食すには絶好の日和だったが、道の駅の野菜や果物を見、運転手役に気兼ねもせずに生ビールを飲む。

マンゴーやパイン・パッションフルーツが載ったカキ氷を一口味見させてもらった。これが美味しかった!。老はこれでパッションフルーツの虜になり、那覇を発つまでパッション・パッションと騒いだのである。いい年をした後期高齢者が、今更パッションもなかろうと思っていたらフルーツのことだった。

         

              

隣のテーブルで食べようとしていた他所様のカキ氷を撮った次第。

「おんなの駅」を後にして名護市を通って景勝と云う「万座毛」のビーチ、そして本部町の「瀬底島」へと向かった。瀬底島への長い橋が綺麗であった。橋の袂にある駐車場で景観を愛でてから橋を割り、小さな島内を一巡りした。

               

この日はここまでで、名護市内のホテルにチェックインした。ホテルは那覇と同じルートイン。小規模ながら九階の屋上に屋根なしの浴場あると云うので入浴。小体ながらも誰も居ない浴場は風が吹き抜けて気持ちがよかった。この風呂だけは合格点!。星空を眺めながら入ると気持がいいだろう・・・。

夕食はホテルで教えてもらった居酒屋「縁」なる店にった。ホテルから徒歩三分と云う立地。店は観光客や家族連れでにぎわっていた。店内が妙に暑い、なんと冷房が故障していたのだ!。後ろで回っていた扇風機をこっちに向けてひと息つけた次第。

翌、早朝にも入浴したが、小雨が降っていた。小雨に打たれながら明けゆく海と街並み暫し眺めた。

最終日となるこの日予定は「美ら海水族館」である。日曜日で悪天候、早めに出ようと云っても9時半だったが。水族館へと向かう。途中のコンビニで割引になる入場券を買ってのこと。

10:30に水族館に着いたが、雨は降りつづいている。が、駐車場から長い長いエントランスを通って入館すると、なんとまぁ~館内は大混雑だった。

               

この水族館を訪れるのは三度目になる。強化ガラス?の広い大きな面をアクアラングの従業員が拭いていた。その後ろを大きなマンタやジンベエザメがゆったりと泳ぐ様は何度見ても壮観である。

         

大混雑する館内を急ぎ足で回りながら、大きなロブスターやヤシカニを見ると、美味いだろうなと食欲がわくのであった。

             

 

昼過ぎに水族館を出た。駐車場に入る車の列が延々と続くのを見ながら「気の毒だね」などと喋りながらランチは何がいいかと検討に入る。それにしても沖縄はレンタカーが多い!。行きかう車の九割以上がレンタカーであった。

昼食は名護市でステーキに決まった。目指した最初の店は客の行列で二番候補の店に入る。客の姿なしで閑散としていた。ステーキランチ(200ℊ)と赤ワインを頂き。2600円の支払い。この値段じゃ美味い肉は出ないだろう!。

JA名護のショッピングセンターに寄り買い物。ここでは、発送は自分で梱包するようになっていた。観光客目白押しで繁盛していた。

雨は激しくなるばかり・・・、那覇に向かう高速道路ではスコールのような雨になってきた。こんな日もあるさ!。17:30那覇空港着。四階のレストランでご苦労様の打ち上げ。特に運転を続けたMASATERU君にご苦労様であった。

20:30発、羽田空港行のSKY便は往路と同様に満席であった。羽田には20分遅れて着陸し、短い旅が終わった。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄に遊ぶ!

2019-09-17 | 弁当

9/16(月) 予定通り、12日の深夜便で沖縄に向かった。総勢五名での短いながらも遠方になる沖縄に出掛けた。日付が変わった深夜二時四十分発のSKY便であったが、ほぼ満席の状態で定刻に離陸した。

定刻の五時十五分に那覇空港に到着。ホテルのチェックインもできず、レンタカー店も開いていない時刻である。時間潰しのために予定どおりに六時に開店すると云う千ベロ(千円でベロベロになれるという店)の店に向かった。

公設市場通りを入った路地に在る店であった。開けたばかりであろう店には、若い二入連れの先客があった。ここでレンタカーを受け取れる二時間半ばかりを過ごした。コの字型のカウンターに丸椅子を詰め込んだ狭い店で、泡盛や焼酎、安い摘みを肴で沖縄の初日が始まったのである。

           

千ベロだから、美味い酒も肴も期待はしていない。ただただ時間潰しであるが、それでも同行者は酔っている相客との会話を楽しんでいた。

那覇をスタートしたのは十時頃か、真夏の日差しが照り付けてきた。先ずはセーファウタキなるパワースポット、沖縄の聖地へ。そこからニライ・カナイ橋の景色を眺め、モズクゾバ(ソーキそば)が美味いと云う海辺の食堂へ向かった。

         

先ず断っておくが、七回目の沖縄訪問であったがこの地で美味い食い物に出会ったことはない。主観と払う額との関係が大きいであろうから、これからの食い物に関する良し悪しについてコメントしない。

この日のクライマックスは「首里城」であるが、睡眠不足と暑さ、アルコールで既にヘロヘロ・・・は、腹が出ている老と油屋の二人。油屋と呼んでいるのは、石油会社に勤めている故。

と云う次第で、首里城も入り口だけであった。老はその入り口にも行かず、待合所で涼んでいたが。駐車場に戻り車に乗ってから問題が勃発!。なんと、老が「俺のポーチがない!」と騒ぎだした。車内には落ちていない、何処で落としたか・・・「全財産が入っているんだ!」とボヤク。

               

しょうがねぇ爺だな!、と思いながらもさっきまでいた首里城の入り口まで戻った。半ば諦めていたが、案内所で訊くと奇跡的に届いていたのだ。従業員の方が、ベンチに忘れていたポーチを届けてくれたとのことだった。

早朝に着いた初日、四時前にチェックインしてひと休みして汗を流し、夜に備えた。が、居酒屋で二時間程飲んで散会した。ホテルに引き上げる道すがら、夜空を見上げると満月が・・・。那覇で満月に気付いた次第。

                  

 

 

 

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする