オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ポツリポツリと・・・

2020-03-30 | 弁当

3/30(月)朝からポツリぽつりと雨が落ち、一日中そんな日であった。雨の予報であった昨日が薄日が差して暖かだったので、今日も回復することを願って洗濯物を干したが・・・残念!。

こんな天気だったので、昼前に庭先に降りただけで夕方まで部屋で過ごした。窓から外の景色を眺めると遠くの菜の花の黄色が鮮やかで、蛙の鳴き声は元気いっぱいでパートナーを求めているか。本格的な春の到来を実感する。

            

日暮れ前、USUI老を誘って橋の上まで出た。彼方の桜も色づいて霞んで見える。短い散歩から戻り、夕食の用意を始める。

今夜は簡単に済まそうとメニューを考える。 昨夜に塩を振った鯖を焼くことにした。同じく昨夕に茹でた筍をどうするか?結果、バターソテーにすべく下味をした。

定番、ホウレン草のお浸しと、大根おろしを作りサラダを用意して、味噌汁で準備完了した。

         

食後の洗い物を終え、コーヒーを淹れて一服する。パウンドケーキを頂きながら、TVのニュース番組で新型コロナウイルスの動向を見る。間もなく上京の予定があり、気がかりである。

                 

21時、部屋に戻り暫くしてHOYA兄いから電話が入った。「ちょっぷく」に居るとのこと。店長のYAMAちゃんに代わると、今夜は14人しか来なくてバイトも返して店を閉めたとのことだ。

そういえば、一時間前に奈加野のオヤジとの電話では、客は二人だとのことですっかり諦めていた。営業禁止にでもしてもらった方がスッキリしていいとか。

半端な状況で店を開けていても、諸経費を考えると立ち行かないのは明らかだ。国と行政は、セーフティネットをしっかりして決断すべき時期でなかろうか。半端が一番よくない!。

山里暮らしの素浪人の身は浮世離れだが、小商売に生きる方にとっては現状は死活問題であろうと心配する・・・。

 

 

 

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2020-03-29 | 弁当

3/29(日)雨かと思っていた今朝、薄日が差していた。雨後の筍と云う言葉があるので、老を誘って竹林に出掛けることにした。

暖かな昼前、七分咲と思しき桜を眺めながら何度か通った竹林に着くと、従姉の旦那のHIROMICHIさんが来ており、既にいくつか探していた。

            

一緒になって掘り、さらに探す。大小八本を採り、掘った後は埋め戻す。

            

採るのはいいが、後の処理が面倒なのは致し方ないか。妹と従姉のKATOKOにお裾分けし、残った筍は早速に茹でることにした。が、これが手間である。

筍姫の纏った十二単衣ならぬ、二十四単衣?を丁寧に脱衣し、糠湯を使わせて姫を垢ぬけさせてやらねばならぬのだからネ!。

これで今夜の夕食メニューが定まった。筍ご飯に筍煮である。昨日HIROMICHIさんの誕生日だったと聞き、お祝いに家で一杯やることにした。そんなこともあり、刺身でもと思ひ安芸市まで買い物に出た。

帰宅後、筍ご飯を仕掛けてから筍・蕗・絹ザヤを一緒に煮る。更に、筍・茄子・サツマイモの天婦羅、手羽元唐揚げを用意した。ホウレン草の白和え、ウルメイワシも焼き準備を整えた。

            

盛沢山すぎて、随分と残ってしまったのは何時もどおりか?。大根~ホウレン草につづき、暫くは筍とのご縁が続きそうだ。

 

斯様に長閑な田舎暮らし!、雪や新型コロナウイルス騒ぎで大変な東京のことを思うと申し訳ないが・・・。

コロナ騒ぎで東京が四月になるとロックダウン宣言するとの噂がまことしやかだ。来月6日から上京して欠かせない数件の用事を済ます予定だが、果たしてどうなるか?。更に孫のSORAが一人で遊びに来る予定だが・・・。

    

 

 

 

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逝し人たち・・・

2020-03-28 | 弁当

3/28(土) これまで生きてきて、親しかった方や敬愛した方と、数多の人との別れがあった。皆さん彼岸へと旅発たれたが、そのひとり一人の優しさに生かされてきたことになる。

天気が悪いこんな日は、そんな人たちとのことを思い出し反芻する機会になる。若かった頃は、己の至らなさも分らぬままに過ごしてきたが、数多の心優しき人との出会いで生かされてきたと、そろそろ幕を下ろす時期になって実感する次第だ。

出会いの中には、長い長い交流を重ねることができた方。たった一度や二・三度しかお会いしていない方もある。が、心に残る。

昨日、宮城まり子さんを送る会が「ねむの木学園」で催されたことを今朝の新聞で知った。宮城さんにお会いしたことは一度しかない。が、その一度のことを今も鮮明に覚えている。

それは未だサラリーマンをしている時代のことであるが。当時、社内向けの社会貢献活動の啓発誌の発行人をしており、ねむの木学園と宮城さんに取材のお願いに上がった時である。

世田谷区上野毛にあるお宅に伺った。多摩川沿いに広がる段丘に建つ閑静なお宅の門柱に、宮城さんと並んで吉行さんの名前が掛かっていたのが印象に残っている。

その日、前日にドイツから帰国したとのことで発熱し、臥せっていると秘書の女性が応対してくれた。が、申し訳ないのでお目にかかってお詫びしたいと申しております。とのことで、休んでいる部屋に案内されたのである。

数段の階段を下りて伺った部屋で、宮城さんは布団の中に臥せっていた。色白の面の宮城さんは布団の中から頭を上げられて「折角のお約束なのに、こんなことで申し訳ありません」と詫びられ「NTTの皆様には日ごろからご支援を頂き感謝しております」と言葉を次いだ。

折り正しい姿勢と、色白の面。畳に敷いた布団に臥せった姿に上品なピンクのパジャマの色が印象に残っている。

福祉活動にその生涯を費やした宮城まり子さんのご冥福を祈ります。合掌。

 

昨年十二月の中村 哲氏の突然の悲報、そして宮城 まり子さんの訃報。個人的な交流があったわけではないが、共感するお二人であった。

一方、二月に逝去した土田征雄君と、三月に逝去した山田正明さんとの交流は長い。

お二人がガンと云う病で闘病されたこと、二人ともゴルフが好きで病気に負けまいとプレーを続けていたことも共通している。

十年近くもゴルフから遠ざかったままの私は一緒にプレーする機会がなかった。身体的な事情があったとはいえ、それが残念である。

土田君とはNTTアドと云うグループ会社で一緒になった。元バトミントンの一流選手とのことで、スポーツイベントのディレクターになるべく出向してきた。

が、広告業界にあっては素人同然の彼は苦労が絶えなかったであろう。私が営業部長をしていたクライアントの、女子ゴルフトーナメントの運営が彼の初仕事であったから。

「土田を潰すな」と、我がスタッフに指示したことであった。その彼と組んで、トマス&ユーバ杯のバドミントン国際大会の運営をしたのは一年後か。彼の経験と人脈が大いに発揮されたのは云うまでもない。

ADと云う会社で出会ってから早や三十年近くなるが、彼との付き合いは専ら仕事とゴルフ、偶に酒場であった。私がサラリーマンを辞めてからも交流は絶えなかった。

数年前の我が誕生日、ケーキを提げて会社が在る人形町に来てくれたことがあった。「どうしたんだ?」と云うと、誕生日だと分かったのでとの応え。BLOGを見ていたんだ!。

真面目な男であった、我が後輩に似合わず生真面目であった。母校のバドミントン女子部の監督をしたが、大学のバトミントン部長が我が学友と云うよりは、下宿仲間という偶然まであった。

膵臓癌から肝臓への転移と、大変な思いをしたでろうが弱気な面を見せなかった。最後の電話は昨秋であったろうか「ゴルフ場からの帰りです。それなりに元気にしてます」であった。土田征雄君のご冥福を改めて祈る。合掌!。

 

山田正明氏との交流は、次の機会に記したい。

 

 

 

 

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雨の一日・・・

2020-03-27 | 弁当

3/27(金) 昨夜からの雨がつづく朝の起床は遅かった。朝五時のサイレンを聴いてから布団に入った報いである。

雨が降りつづくとの予報で、八時半になっても薄暗い天気なのだし予定もない一日だ。老は九時前になっても起きてこない。神仏に水とお茶を供えて灯明、「薄すみ桜「」のお線香を点灯す。 

老は九時を過ぎても部屋から出てこない!。急ぐこともなしと、朝食の用意を済ませてから老に声を掛けた。朝食が済み、洗い物を終えたら11時前になっていた。

こんな日の夕食は「ロールキャベツ」をメインにして「ターサイと豚バラ炒め」自家製も「蕗の葉の佃煮・高菜漬け」に「ヤキソバ」に頂きものの赤飯・鯖押しずし、定番のホウレン草お浸し、シラス掛けの大根おろし、大根煮に、昨夜の残り物の茄子煮、オカラにサラダである。

             

           

今夜も盛沢山に並んだが、全部を食べきれるはずなし!。明日の朝も並ぶであろう。

 

 

 

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蛙鳴く!

2020-03-27 | 弁当

3/26(木) 27日の夜明けまで二時間余となった時刻になってしまった。昨夜から降り始めた雨はまだ弱雨のままのようだ。窓を開けると、なんと蛙達の鳴き声が・・・。

庭の花壇を慣らしている時に土気色をした蛙を見かけたが、もう声も高らかに鳴き始める季節を迎えたようだ。が、山里の染井桜は遅く漸く咲き始めたばかり。私が畑と庭に植えた三春桜の子孫と云う枝垂れ桜は、未だ蕾も膨らんでいない。

昨日の午後、今年二回目となるミカン畑の草刈りを終えた。雨がつづくとの予報なので、小さな畑ながらも刈り終えてホットした。

                

畑となれば焚火、焚火となれば焼芋と連想ゲームのようなものだが、この日の焼芋も上々であった。一足遅れて畑に来た老はひたすら火の番人。

                

畑遊びを早めに切り上げて、町まで神棚に祀る「榊」を買いがてらに食材も少々贖った。老がよく食べていたという口癖の冷凍餃子があったのでこれもひと箱。

帰路、田園の中に在る良心市を覗くと黄色トマトがあったので百円玉を入れた。ミニトマトの黄色は見かけるが大きいのは初めて目にするか?。

今夜の夕食は「肉じゃが」をメインにして、これに自家製のアジ開きを付けた。昨夜使ったオカラが半分の残っているので、これも使わなければならなかった。

定番のホウレン草はお浸しに、大根おろしを作りシラス掛けにする。サラダには赤・黄のトマトを添えた。三日ほど前から漬けた高菜の漬物を切り、最後に老好物の冷凍餃子を焼いて準備が完了した。

            

今夜の夕食は老と二人、従姉は体調が優れないとのことなので「肉じゃが」を届けた。

 

 

 

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友人逝去の報ありて・・・

2020-03-25 | 弁当

3/25(水)今朝は九時過ぎに受診する従姉を安芸市民病院まで送り、受診が終わるまでの間んに買い物をしていた。そこに友人の山田正明氏からの着信があった。

応答すると、山田氏ではなく氏の奥様であった。なんと氏が17日に亡くなったとの連絡であった。故人の遺志で家族葬を営まれ、親しかった私に連絡を頂いたのである。

「遺骨になって戻っております」と、涙をこらえた奥様からの知らせである。

ここのところ山田さんのFBを見ていないが如何であろうかと、つい先日も気になったところであったが、ご逝去されていたとは・・・。肺ガンで五年以上療養されていたが。

氏と最後に顔を合わせたのは昨年の晩夏、隣駅の祐天寺に向かって歩いている途中であった。偶然であったが再会を喜び、ご一緒だった奥様と三人で、祐天寺駅前の喫茶でアイスコーヒーを飲みながら病気のことや、子供たちの、ことを聞いたのである。

あれは誰の葬儀であったろうか、罹患前のことで氏は元気だったが「葬儀の時はARISAWAさんに葬儀委員長を頼みますよ」などと云われたことがある。ピントこなかったが、それ以来いざという時は応えなければと漠然と思い、氏が罹患されてからはそんな日が来ないことを願っていた。

山里暮らしを始めた私のことを承知されており、敢えて連絡しないで、少しお落ち着かれてからの知らせである。在京の家人に連絡を入れ、取り急ぎ弔問してもらった。

地元、学芸大学で最も親しかった友人、山田正明さんのご冥福を祈る。合掌。

 

そんな日になったが、予定通りに午後からミカン畑の草刈りをした。老をともない焚火と焼芋は何時ものように。焚火番の老、草刈りをする私。一向に捗らないながらも上手く焼けた芋でカロリー補給したが、途中で切り上げた。

              

いつの間にか「ソルダム」の樹が花を咲かせていた。昨日は気付かなかったが、ここ二・三日での開花である。

               

畑から戻り、先ずは入浴。草刈りで埃まみれになった体を洗い、湯に浸かると疲れが取れた。

そして夕食の用意をする。今夜は、買ってきた中トロを刺身にし、オカラを乾煎りして「卯の花」にし、盛沢山のサラダ、焼肉用の牛バラを焼いた。味噌汁を作り準備完了。

昨夜に続き、従姉を呼び三人での夕食。今夜の飲み物は芋焼酎「熟柿」の湯割りにした。乾杯後、老と従姉に「一足す一は?」と子供のように声かけて撮影した!。平穏な一日はこうして幕を下ろす。

 

         

ご飯は毎日のようにSHIZUEお婆さんから届いている、赤飯と田舎寿司であった。

 

 

 

 

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つつがなく一日が・・・

2020-03-23 | 弁当

3/23(月) 今夕は旦那を亡くしたばかりの従姉が久々に食事に来た。元気がなかったので、午後の短い散歩で一緒になった折に誘っておいたのだ。

今日は昼前に一時間程、老と一緒に中庭の草取りをした。老は中庭に面した部屋に居るので、中庭の草取りを課してある。が、自主性の期待は薄いので声を掛けて草引きのイロハを伝授するのだ。クローバを引いてはいけないと思っているぐらいだから・・・。

休み休みの小さな草取りでさえ、腰が痛いと言い「お百姓さんの苦労が分るよ!」などと言う。こっちは「百姓仕事はこんな甘いもんじゃないぜ!」と、腹の中で罵声を浴びせる。とはいいながら、腰が痛くなるのはこっちも同様だ。

そんな午後、二人で短い散歩へ。カニの餌(カボチャ)を提げて、初夏を思わす陽ざしの 中を森林軌道跡に向かった。橋の向こう側にある桜の蕾が膨らみ、昨日は咲いていなかったのに数輪開いていた。

                

山桜はそこかしこで咲いているが、ソメイヨシノは蕾を膨らせてはいるがこれからである。

                 

今日は川下方向に向かう。途中に在るカニの生簀に餌を入れてから、思い立って今夜の味噌汁用に一匹生贄にすることにした!。散歩中の従姉からビニール袋を貰って持ち帰った次第。

帰宅後、夕食用にホウレン草を引き、花壇の手入れを少しだけしてから夕食の準備に入った。

夕食のメニューは「牛筋と大根&蒟蒻の煮物」「豚バラとターサイの炒め物」「キャベツ煮」に、ニロギ&ホタレの小魚焼き、昨夜と同じの菜花&ホウレン草のお浸しなどである。

             

カニの味噌汁はとっても美味かった!。今日も斯様な一日ながら、つつがなき一日と云うしかない。

 

 

 

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野菜尽くし

2020-03-23 | 弁当

3/22(日) 既に月曜日の朝を迎えて、五時のサイレンが鳴った。が、私の体内時計は日曜日の夜の延長にいる。

昨夜の夕食は「野菜尽くし」のメニューであった。カボチャ・茄子・里芋・胡瓜・ほうれん草・菜花・大根・茗荷・モヤシを煮たり、揉んで酢の物にしたり、味噌炒めにし、味噌汁に入れたりであった。

茄子は挽肉との味噌炒め、ホウレン草は胡麻和え、菜花はお浸し、大根は下ろしてシラス掛けに。胡瓜と茗荷は酢の物。野菜の他には、ニロギと呼ぶ平べったい小魚の干物に、ホタレと呼ぶイワシの柔らかい干物を焼いて肴にした。

             

盛り付けは基本、一盛にして食べる分だけを自分で取るスタイルにした。と云うのは、老が量が多いとか、品数が多いとかで食べすぎると贅沢なことを言うのだ?。一盛にしておけば必要なだけ取ればいい。加えて、皿数が減るので洗い物が少なくて済む!。

 

この日は昼前に安芸市まで食材やタバコ、ウイスキー&ソーダを買いに一人で行ってきた。帰宅してから、ミカン畑で焚火、森林軌道跡の散歩と日課の遊び事であった。

私は一体何をしているのか、と日々の暮らしと生き方について疑問を感じるのであるが・・・。

さておき、散歩は安田川沿いを上流へと歩くことになった。予定では行きに四十分歩き、往路は四十五分ということにした。焚火の中にアルミ箔で包んだ芋を埋めてから。

               

歩みの遅い老を引っ張るように先に進むのは何時も通り。歩き慣れた森林軌道跡を進みながら桜の開花をチェックするが山里のソメイヨシノのは遅い。向こう岸に在るニ十本ばかりも花の様子は伺えない。満開を迎えるのは四月に入るだろう。

             

2km程上流の川沿いに強風で倒れたバナナ?の樹が在るのだが、そこまで来て、崖下に降りる階段を見つけたので樹の場所まで下まで降りた。このまま倒れ、誰も気に掛ける人がいなかろうと、老がポーチに入れていたカッターを借りて房から上を切り取って持ち帰った。頭の部分が花で、ここから順次に房になるとか。小さく青い房は持ち帰って台所に吊るした!どう変化すのかな?。

            

バナナの在った先に、山桜の樹が在った。薄く色づいた桜が咲いて春を告げていた。

                

草臥れて歩みが更に遅くなった老を尻目に、畑に戻ると焚火は燃え尽きていた。焼芋は半分黒焦げになっていた・・・。

                 

焦げ芋になっていたが、旨い芋であった。これで今夜の夕食は遅い方がいいと、老が言う!。期待の応えますよと応じて、夕食が始まったのは八時前であった。何時ものハイボールを飲みながら!。

余談だが、一昨日の夕、花瓶の花を差し替えた。神仏には香りの有る花は供えないが、床の間は華やかにした。

             

              

 

 

            

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山里の暮らし

2020-03-22 | 弁当

3/21(土)今朝は八時半に隣町の病院に行く従姉を送り、帰宅してからの朝食。とは云え、老のリクエストによる朝食タイムであるが・・・。朝食後は採っておいた金柑を甘露煮にした。

前に甘露煮にした金柑は朝食後のデザートに付けたりしているが、本来の目的は風邪等で喉の調子が良くないとき等に使う為である。尤も、タバコの所為か喉の調子が好い時は稀であるが。

朝のNHK総合TV・四国軽四旅の再放送で地元の奈半利町が取材されており、或るケーキ店が出てきた。見ていると田圃の中に囲まれたその店は、地元の母校のOB会事務局長NAKAJIMA氏の家族が経営する店であった。

氏が町役場を退職して娘の店を手伝っていることは人伝に聞いていたので「父が町役場を辞めて手伝ってくれている」の話があり、家族の姿が映って確認できた。

在京同窓会に来てくれたこともあり、地元でも一緒に飲んでいることから、一度顔を出したいと思っていた。奈半利町は午後から買い物に行く予定の道の駅「キラメッセ」に向かう途中なので寄ってみることにした。

甘露煮を作り終えてから、USUI老と一緒に出掛けた。室戸方面に向かい奈半利川橋を渡ると奈半利町で、自宅からは十数分の距離である。

奈半利町に入り、山手の北川村方面に向かって進みながら何人かに店を訊きながら進む。「辺鄙なところよ」と教えられたとおりに狭い田圃道を行くと「甘音」と云う案内が出てきた。

曲がり角ごとに在った案内看板を頼りにハンドルを切りながら数百メートルも進み、漸く店に辿りつくことができた。確かにケーキ屋さんがあるような場所ではなかった。が、店の前には数台の車が駐車していた。店は白いペンキ塗りの外装にオープンスペースも同色のイス・テーブルが配置されて清潔感に溢れた佇まいである。

店に入ると二卓ばかりの席はお茶やケーキを摂る年配客で埋まっていた。ショーケースの奥に見える作業場でNAKJIMA氏らしき姿が見え、大きな寸胴を洗っていた。

TVでみた限りでは、パティシエをしていた娘さんが地元にもどってパウンドケーキのネット販売を始めたのが人気になったとか。人気NO1のドライフルーツのパウンドは売り切れて、追加で焼いているとのこと。

洗い物の終えるのを見計らってNAKAJIAM氏に声を掛けた。出てきた氏から商売の様子を聞き(テーブルの客は愛媛県からとのこと)、多忙な仕事の邪魔をせぬように再会を約した。 

パウンドケーキを二本買って「気ままsweets 甘音」を後にして、キラメッセへと向かった。

今日も暖かく、車の中は暑くて窓を開けて走行した。道の駅キラメッセで花に味噌、この味噌を買うため来たようなものだが・・・。それと夕食用に二枚入った「千鯛」(二枚で200円!)を買った。

穏やかな太平洋を左手に見ながら、煌めく陽光の中を帰路に就いた。帰宅すると車庫の横の畑で妹夫妻と姪が野菜を植える準備をしていた。「終わったらお茶を飲みに寄れよ」と声を掛けた。

コーヒーを淹れ、パウンドケーキを馳走した次第だが。姪のAYUMIは近くに勤務していたので「甘音」のことをよく知っていた。ケーキは人気が頷ける美味しさであった。

 

夕食はキラメッセで買った千鯛を煮付けにし、前夜に開いて干した鯵とお魚が中心のメニュー。大根&蒟蒻に手羽元の煮物等で、前夜の唐揚げなどとは趣向を変えた。

          

老と二人だけの静かな夕餉であったが、前夜は従兄の次男に孫の養子、従姉と三人が姿を見せた賑やかな宴?であった。田舎寿司に唐揚げ、刺身に鹿背身ルイベなどを用意して些か飲み過ぎた。

              

この日の午後は一時間ばかりの短い散歩。森林軌道跡を下り、カニに餌を与えて竹林で筍の様子を伺うが気配なし。ノンビリと歩き、帰りは焚火用に杉の枯れ枝を拾った老が重たそうに下げた!が?。

                

 

 

 

 

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今日も草取り!

2020-03-20 | 弁当

3/19(木)今夜も日付変更線を越す時刻になったが、眠気もなければ寝る気もしない。どうせ暇な日々だから、こうして深夜に自分だけの時間を愉しむ・・・。

今日も暖かな一日であったが、午後二時ころになって雨になった。丁度、庭の草取りを切り上げた時間であった。朝食後から中庭の草取りを始めたが、途中で彼岸の墓掃除などに来た隣家の従妹夫妻と茶話をする。

隣家には父の弟がいたのだが、叔父も亡くなり何年も空き家になっている。墓掃除に来た従妹はこの家の二女で東京に居たのだが、室戸出身の旦那のリタイアでUターンして室戸に住んでいる。お供え物を頂いたが、お返しがないので畑からホウレン草を持って行ってもらった。田舎ならではである。

明日の夕、従兄の息子と孫の養子が一杯やりに来るのでその土産等と肴を買いに安芸市のスーパーと魚屋まで出掛けた。併せてドクダミ草退治の除草剤を買う。

除草剤は昨夜のBLOGを見たKATUTA君が電話をくれて、彼の経験から除草剤とその使い方を教えてくれた。昨日の僅かなスペースでの悪戦ぶりを思うと助かる。

                

割石を敷いた脇の細長い場所のドクダミ草に手こずったのだ。二時間近くも・・・。

小雨の中を買い物を終え、安田町のパン屋で食パンをかってから帰宅すると五時を過ぎていた。一服しながら庭のプランターに撒いた花の種子が芽生えたか確認する。未だか!遅いな~と、目を皿のようにして近づけると、なんと1mmほどの緑が点々とあるのを発見した。漸く芽吹き始めたか!。

プランターは三箱あるが、芽吹き始めたのは一つだけだ。後の二つも時間の問題であればいいが・・・。池の縁に置いた鉢は、花をつけていたラン科の安い花(シンビジュム?)だが根が張り過ぎて鉢が割れていたので植え替えて三鉢にした次第。

こうして置くと、なかなかいいねぇ~。

こんなことをしているうちに食事の準備が遅くなった。今夜は、目先を変えてヤキソバをすることになっていた。それに魚で買った鯵のソテーなどである。

定番の「大根おろし「」に」「ホウレン草のお浸し」「イタドリと油揚げの煮物」、昨日から煮てある「大根&蒟蒻&厚揚げ」、ネギヌタ、出来合の餃子を焼く。なんだかんだと品数が増えるのだ。

          

遅くなった夕食は、焼酎の湯割りを飲みながらであった。

              

 

 

 

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