オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

雨の夜は・・・・。

2019-02-28 | Weblog

2/28(木) 今朝は寝坊したので、弁当作りに入ったのは7時20分になっていた。大急ぎでご飯を仕掛けて、菜の食材を漁るがこれといった物がない。あり合わせで何かを・・・となった。

残り少ないギンダラの粕漬(冷凍保存品)、冷凍イカのカットを解凍する。ファルファレ(マカロニ)とブロッコリを茹でる。最後にアスパラを斜切りにした。

以上を弁当のおかずにするをのだが、イカとアスパラはバターでソテーし、塩コショウ・パセリの微塵切りに白ワインとバターのソースをかける。ファルファレはブロッコリとのサラダ風に。他には、鮭昆布巻きとスクランブルエッグ、以上である。

            

鮭の在庫はなくなり、冷凍保存したギンダラの粕漬も僅かとなった。そろそろ豊洲市場に出掛けて仕入れてくる必要がある。市場の北田食品の場所がうろ覚えなので、「うまし」の大将に聞かなきゃ・・・。そんなことを考える朝であった。

               

昨日の午後、予定通りに人形町に出掛けたが、なんと出る時間を間違えて一時間も早くに着いてしまった。「ちょっぷく」まだランチ営業をしていた。ここで一服してから、「グッチ」でコーヒーを飲みYOSHIOを呼んだ。そうこうしている三時になり、今度はドトールへと移動。

三時過ぎにドトールで「高松」の夫妻と合流したのだ。。「高松」は三月下旬に長期のお休みする。と云うのも、店で一緒に働いている長男夫妻が新婚旅行でイタリアに出掛けるので、その間、店を休むことにしたのだ。

こんなに長期の休みは初めて、休み中にやることがないとに言う。ならば、丁度その時期、高知に帰省しているで遊びにおいでよと誘ったら、その気になった。然し、旅はほとんどしたことがない、どうすりゃいいのよ思案橋と云うことで、高知のことをコーチするためドトールでという次第。

事前に成田からの格安航空などをチェックしたが、この時期は満席。ならば、宿と飛行機のセットで取ったほうが、よかろうと提案した。その場で日程を決めさせて、持参したPCで予約から支払いまで済ませた。こういうことは、さっさと処理をする。そう云うことだ。

この話をUSUI老が耳にすれば「俺も行くよ!」と言うに決まっているが、煩くて面倒だから勘弁してよ!と俺は言いたい。

そして、四時半からの歯科の予約をこなしたら丁度五時に。KAMAOさんから連絡が入り、人形町に着いたとのこと。「ちょっぷく」で会うことにした。で、店の前まで行くと、KAMOさんは店に入らず外に立って待っていた。

『どうしたのよ?入ればいいのに』と促すと「今日はもう少しいいところに行きましょう。ARIさんの卒業祝いをしたいから。ご馳走させて」なんて、しおらしいことを言うのだ。冗談はやめてよ、ここでいいんだよと「ちょっぷく」に誘ったのである。

気遣いはありがたいが、ご馳走になるのは好まない性格さ。安酒場で申し訳ないが、オヤジにはお似合いの店だし、時間が早いのでゆっくり話もできる。おまけに、昼間にYAMAちゃん店長に後で来るよと言ったのだ。

二時間程いたであろうか、先日出掛けたという香港旅行では食事が毎回一万円も掛かる店だったとか、夜の裏話では141と云うのがあるが知ってるか?とか(行かなかったと言うが)、田舎(四国・今治)の病院に十年以上入ったままの老母のこと、東大出の医者になっている息子の結婚のことなどなど聴いているうちに時間経った。

そこから久々の中華・三浦へ移動して二人で辛胡麻ラーメンをシェア、小さな餃子を摘みにハイボールを飲んだ。店主から中華調味料を貰った。半分だけであったが、ここのラーメンは美味い!。

             

三浦を出ると、雨がポツリぽつりと降りだしたところであった。久我山まで帰るKAMOさんを、水天宮駅に送る途中のコンビニで傘を買った。それだけ振り出したのだ。

雨の夜は寂に酒を飲むに相応しいが、そうはさせんのが人形町だ。「ローカーボ」のドアを引くと賑やかな声が響ていた。王子MAEの若手からベテランまで揃い踏みになって大賑わい。

             

マスターのビル売却も纏まったようである。後、ひと月もすればこの店も店仕舞いになりそうだ。俺たちの停車場、溜り場が一つ消えるか・・・。

カウンターで飲みながら眠くなってきた・・・、そうなんだが最後は「セイジュ」に皆で流れてカラオケ大会になっていた。賑やかだねぇ~雨の夜だと云うに。

                 

学芸大学駅に着くと、時計は24:30を指していた。雨は降り続いている。心配をしていたPCは、忘れもせずに未だ手元にあった。

そんな雨の夜であった・・・・。

 

 

 

             

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オヤジも街へ・・・

2019-02-27 | Weblog

2/27(水)今夜から雨になるとの予報だ。こんな日だが、午後から人形町に出掛ける。久々に?YOSHIOとのコーヒータイムや歯科、夕方からイワシの頭ならぬカモ頭のおじさんを招聘して一杯やるのだ。更に馴染みの店店に顔を出していると、雨がやって来るだろうねいると・・・。

傘にPC持参じゃ邪魔くさくてしょうがないが・・・、両方とも出番があると見込んでいる。問題は酔っぱらって何処ぞにPCを忘れてしまう可能性が高いことだね。腰紐でも付けとくしかないか・・・!。

午後からの心配より、今朝の弁当に入ろう。今朝はお手軽に豚・豚・豚のオンパレードになった。  

先ずは、出来合いの豚ロースの味噌漬け焼きを一枚。次いでアスパラの豚肉巻きと、ベーコン&アスパラ・パプリカのソテー。

               

他には、脂が乗って旨そうだったので昨日買ったサバの塩焼きと、定番の卵焼きである。

              

かくして今日も、朝の遊びが終了した。が、朝飯にビールも飲まず「ベーコンエッグ」とヨーグルトを一杯だけ。後は夜の部の遊びが待っている。

 

昨夕、SORAを教室に見送ってから、終わるまでの一時間余の時間を潰そうと、渋谷から明治通りを表参道方向へと歩くことにした。

 ー背負た子に瀬を教わるの例え—

教室から明治通りまでの300ⅿほどの下り坂を下りていくと、前に白杖を突いて端を歩く人の姿が目に付いた。通行量の少ない道だが、下り坂で道路脇には自転車や店の看板が出ている。両肩にカバンを掛けて杖を頼りにソロソロと歩む姿が心配になって脇から声を掛けた。

「よろしければ、腕か肩を貸しましょうか?」と。ありがとうと応えがあり、その人は私の肩に手を掛けた。そして「私の歩みに合わせるのは大変ですよ、遅くて」と言う。結構ですよ、ゆっくり進んでくださいと応えて、ゆるゆると坂道を下りながら行先を尋ね「この辺りはよく来られますか?」と訊くと「半年に一度くらいきます」とのこと。

渋谷の駅前から新橋行のバスに乗るとのことで、信号を二つ渡るが距離的には精々300~400ḿである。人の行きかう明治通りに出てから信号を待ちをし、工事が続いている駅前のバスロータリー側に渡った。人通りの混雑と遅い歩みで信号は赤に変わっていた。

そして表示を見ながら目的のバス乗り場を探すが、多すぎて何処がどこやら私にサッパリ分からない。すると、「右に行ってすぐに左に横断して行けます」との指示があった。気付かなかったが、工事中の処に短い横断マークが印してあった。

新橋行の表示があり、バスが停車し乗客が数人ん並んでいた。その列に加わるところまでご一緒すると「ここで十分です、後はわかりますから」と、丁重に礼を言われた。

では、お気をつけてと別れたが・・・。この目が不自由な人は、私のような素人が介助しない方が自分のペースでスムーズに行けただろう。自分の進む方向が完全に頭に入っていたのだ。バス停の複雑なルートでさえも。

 そんなことを考えながら、あらためて渋谷駅前から表参道へと散歩に向かった。

明治通りの一本内側の通りを進んだが、新しく地下駅への入り口ができ大きな複合ビルが建ち、南青山側には高層マンションが聳えている。

かつては小さな住宅が並んでいたその裏通りは、両側に若者が好みそうな小ジャレタ店が軒を並べて様変わりであつた。

多分ここ数年のことに違いないが、夕闇の中を女高生や中・韓の若者が行く。そんな中を浦島太郎のような心境でキョロキョロと周りを見回しながら歩くのであった。

街の変貌とは凄いもんだと実感するばかり。若者ばかりでなく、オヤジもまた街に出でよ!と、実感する宵であった。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春巻き&ハンバーグ

2019-02-26 | Weblog

2/26(火)今日の弁当は「春巻き」と「ハンバーグ」をメインにて、ホウレン草を卵でとじ炒め。以上であったが、春巻きを作りながらひき肉を捏ねると、忙しい思いをした。

      

家人に、出勤の時間が迫ったと急かされて卵焼きとホウレン草胡麻和えを断念して、卵とホウレン草は合体となった次第。

          

弁当を送り出してから自分の朝食をとサラダを作る。春巻きとハンバーグは残っているので、一つづつ頂くことにしたのはいいが・・・。こうなると飲み物が欲しくなる。ビールを飲みながらサラダを食べ、弁当おかずの試食となった。ハンバーグが旨味不足であった。

                 

一休みした後で、孫のSORAから頼まれた文旦ゼリーを作ることにした。文旦の皮を剥くならついでにママレードもとなり、大仕事となってしまった。

ゼリーは天草を煮て作るのだが、なんだか固まり具合がよくない。失敗か?、ママレードの方もどうかな?何れも時間経過を見ることにしよう・・・。

夕方からSORAを渋谷の教室まで連れて行くことになっている。その前に夕食用の買い物をして下拵えをしなくちゃ・・・。SORAのリクエストは「イカとモヤシの炒め物」なので、イカの下処理だ。他には刺身?或いは煮魚かも。やっていることは完全に主夫か、賄いのオヤジだぜ!。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

硬貨

2019-02-25 | Weblog

2/25(月) 週初めの今朝も日課の弁当作りからスタートであった。が、弁当事の前の深夜三時半過ぎに目覚めた。週初めの夢オドロオドロした夢で目が覚めたようだ。目覚めてもなお、その夢の気色悪さが残っていたのだから。夢でよかったねぇ~。

そのまま眠ることもならず、本を出したり、書類を探したりして夜明けを迎えたのであった。夢見が悪かったのは、頭の痛い確定申告の準備をしていた所為かもしれないな・・・・。これまですべて自分でやってきたが、昨夜、資料の整理が済んでから、今年はとてもじゃないが面倒だと、税理士の先生に相談することにした次第。

いきなり余談になってしまったが、この時期になると面倒があると云うことだ。面倒ついでにもう一つ、二十数年も健康診断や人間ドッグと縁をもってこなかったが、とうとう3月6日・7日と人間ドッグに入ることにした。昨日、金曜日に届いた手続き書類を見ながらオプション項目の中から検査すべきと思うものを検討したのだ。

すると7~8項目も検査項目を追加をすることになった。基本料金の倍にもなるが、これまでサボってきた年数を換算すれば、まあいいかとなるのだ。然し、これまでなんにもしないでそれなりに生きてきたのだ。何を今更の感は拭えない。それはそれとして、二十年前と同じ函南の伊豆病院である。地元の友人NAOちゃんを誘い、病院帰りに一杯やるのもいいか、なんて思っている。或いは三島の「櫻家」で二段重ねの鰻重でも・・・・。

確定申告も人間ドックもお足が出て行くのよ!。半端なく!。この前のボートレースや競馬の上がりじゃとても賄えない。これが引き鉄というわけでもないが、急に思い立って我が唯一のお宝、唯一無二の資産であるテーブル下に転がしてある金庫=BOX(百均で購入)を開けて中の光玉を〒に預ける気になったのだ。

小・中・大とが満員御礼で、別に昨年の10/6日付スタートの大は未だ三分一の入具合なのでこれは満席になるまで置いとくしかない。

小さいほうから順に御開帳始めたたのが午前十一時のこと。小が10万円、中が20万円、大が30万円ということになっているが、ぎちぎちに詰め込んであるから、果たしてどれだけの利息が、小芋があるか?であり。楽しいところである。この根性が、いかにも小市民的で可愛いじゃない?。

日々、飲む酒も、喰う物も抑えに抑え、耐えに耐え、忍びにしのび、爪に火を灯すようにしてきた成果なのだから。胸を打ち震わせながら厳重な蓋を開き、一つ二つと数えて並べていったさ・・・・。その結果が、紹介する写真でありんす。

        

その結果、小が268枚、中が418枚で、大の方は705枚の結果でありんすよ!。重さにして9,737㎏となります。一枚は7gなので。総額で695500円+百円硬貨5枚。今回のスタートはH29年8月5日なので、大よそ一年半。大いに貢献頂いたHOYA兄いには深謝平頭!。

これを〒局まで持って行くのがてえへんなんだ。バックにいれても重い重い・・・。着いてからも時間を要するのだが、第一回の百万コースに比べれば楽。あの時は自転車の荷台にのっけていったが、フラフラしたもの。

かくして大金庫の方に一時避難したが、避難先から行くも直ぐに逃げ出すのがお足さ。何時まで大人しくしていられるか、神のみぞ知るだ。

 

今朝の弁当に戻るが、今日は「焼肉」と「鯖味噌煮」「カザレッチャ(マカロニ)とマッシュルームのサラダ」「卵焼き」と、シンプル弁当です。ところでしょうか。

       

 

今日は暖かな一日だった。我が河津桜の色合いも一段と綺麗になっています。六分咲きと云うところでしょうか。

                

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連夜の零時越え

2019-02-24 | Weblog

2/24(日) 風邪とか花粉症とか水洟が、とかいいながら日曜日を迎えた。今朝も軽い朝食とともに、ビールを一本頂き前夜の疲れを癒す?。

金曜日は神田の居酒屋で、昔に在職した会社のゴルフ会メンバーによる同窓会?という名称の飲み会に参加。16名の参加者は40代~80代までと幅が広かった。

このうちで、私が現役として一緒に仕事したメンバーはたったの三人である。が、独立後にゴルフ会や仕事で知り合ったメンバーが殆どである。

そんな会なので遠慮すべきだが、KIYOTA御大やUSUI老の勧めで参加することになった。OB(ゴルフでこの言葉は悪魔のささやき)の一員であるのは間違いないから。

               

TUCHIDA君やBUNさんのゴルフ大好きな面々の顔を見れなかったのは残念であった。

和気あいあいと懇談し、それぞれの近況を聞いて二時間の宴を終えた。そこから、USUI老と人形町に向かい「高松」「ローカーボ」で馴染みの面々と歓談し、仕上げはHOYA兄いと店仕舞い中の「ちょっぷく」で一杯やって切り上げた。  

                

そんな次第で、此の夜の帰還は零時を過ぎたのである。いつの間にや、水洟も咳も忘れていた。酒と友人はどんな薬にも勝ると実感!。

 

そして一夜明けた土曜日、爽やかな朝とはいえなかったが、体調は私は悪くない。この日は「日本橋粉の会」の100回を記念したお祝い会である。

前月の蕎麦打ち会のおりに、メンバーが猪を食べたことがないと云うので、猪汁を提供することにしたのだ。郷里から送った冷凍猪肉の塊(骨付き)を前日に解凍して、小口切りにして持参した。

三時からの祝賀会に間に合わすため、一時過ぎに浜町コミニュティセンターに着いて野菜などを切り、大鍋で骨も一緒に入れて、丁寧に灰汁を取って煮た。三十人以上の参加者があるので猪汁にしたが、これほどの量がはけるかと心配したが・・・。

これが結構な好評で旨い美味いと喜んでいただき、引き上げる頃には殆どなくなった。下拵えに苦労した甲斐があったと云うものだ。

会ではメンバーの津軽三味線と、民謡の師匠も来て賑やかであった。五時前、佐賀のONO氏が連絡をよこした。「明治大学の会が終わったので、向かいたいと」と。

         

氏から、今回の上京に合わせて話があるので時間をくれと言われていた。話の内容は訊かなったが、大よそのことは想定できる。氏が起業した福祉関係のビジネスに関することであろと。

粉の会の方は、お先にと失礼をし、人形町交差点でONO氏と待ち合わせた次第。その間に、マッチャンから連絡が入り「事務所で鍋を始めるので寄って」と。土曜日と云うに、忙しいことだ。

ONO氏と合流し、先ずは話を聞かなくてはならいので「うまし」へ。風が強くなり寒くなっていた。店に向いながら氏に『江戸は寒いだろう』と言うと「覚悟してました」の応え。

話の方は想定通り、事業が広げたいので出資金の扱いをどうするかであった。『貴方のやりたいようにすればいいよ』と応え、書類にサインをした。それでお終い。

マッチャンに連絡を入れ、これから二人で向かうと伝え、マイバスでウヰスキーを買ってから訪問した。NAKAMURA大将が上野の美術館の帰りにアメ横で牡蠣を買ったので、それで牡蠣鍋になったとのこと。HOYA兄いも姿を見せていた。

連日のパトロール隊揃い踏みであるが、マッチャンの事務所での飲みは久しぶり。ONO氏は前にも事務所飲みに同席しているし、三人とはローカーボで何度か顔を合わせている。 

よく煮えた鍋や乾きものを摘みにお湯割りを頂く。演歌がスマホから流れ、オヤジ達の部屋飲みは飲みつづき、話題は尽きなし。

十時を過ぎて部屋飲みを切り上げ、「ローカーボ」に寄ると常連の皆さんが・・・。

ハイボールを飲みながらNUMATAちゃんと喋り、右隣の酔っ払いERI嬢の話も聞くという聖徳太子ぶりを発揮したのである。

そんなことで、この夜の帰還も零時を過ぎてしまった。家を出る前に『今夜は遅くても十時だろう』なんて言ったのに!。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏・鶏・鶏・・・水洟

2019-02-22 | Weblog

2/22(金) 昨日の熱海帰りから水洟が垂れているが、一向に改善の見込みがない。

深夜に目覚めてからは眠れず・・・、息苦しさの所為か?。こんなことじゃ、今夜の飲み会も面白くなりそうにない。

今夜は、平成という時代が始まった頃に三年程在籍した某代理店のOB有志が一杯やると云うので顔をだすことになった。当時お世話になった上司のKIYOTAさんからの声掛かりじゃ行くしかない。

それまでに現在の症状がどれだけ改善するかだ。相当に改善するとは思うが、明日も日本橋粉の会で、猪汁を炊かなきゃならないし、夜は佐賀からONO副理事長(地球市民の会)が上京、会いたいと言われている。体調を整えるしかない。

 

さて、今朝も水洟を垂らしながらも弁当作り。今日は鶏です。先日買った鶏胸肉を使わずに冷凍してあった。これを使うことにしたのだ。

夜中に目覚めて、眠れぬままに朦朧の頭で今日のメニューを考えたのだ。あの邪魔な鶏肉を使おうと。

そこで、先ずは「親子煮」、そしてバターソテーに椎茸添え。最後に棒棒鶏風と・・・。自家製ギンダラの粕漬焼きで締める。斯様な想定であった。

            

そんな手はずで始めていると、家人が「今日は研修だからオムスビにして頂戴」という。内心『ばかやろ~』と思ったさ。こっちは既に段取りを終えていると云うに!。

然し、女子と小人には逆らってもしょうがない。人間の範疇に至ってないだろうからね。

先ずは当初のメニューを作る。最後に家人のオムスビを二個作ってお仕舞いにした親子丼風弁当とオムスビである。

養い難し女子の家人から、新しいこと始める前にドックにでも入って体のチェックをしたらと命令されていた。そこで、馴染みのあるN社の病院にあたってみた。

五反田にある病院は日帰りなら四月、一泊のドックは八月からの受付と言われた。伊豆の函南にある病院は、三月上旬から大丈夫とのことで、遥々函南まで一泊二日の入院ドックを受信する予約を入れた。昨日のことである。

実は函南の病院は、最初で最後のドックに入ったところである、かれこれ、二十年も前になるが、それ以来会社の健康診断すら受診していない。ドックが済んだら、三島にでて「桜家」で鰻でも食べるか?。

検査項目はオプションでいろんな項目を選べるようになっているが、こりゃあ銭を稼ぐためじゃないか?そう思うね。今のところ、基本料金の9万円にMRIや大腸エコーなんぞで6万円は追加になりそうだ。養い難い女子の要請なんだから、銭の方もお願いしたいよ!。

確定申告の準備も進めなくちゃなんねぇし、こっちの方でも法外な銭っこを盗られるんだから・・・・。男は辛いよ!。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱海梅園・梅祭り

2019-02-21 | Weblog

2/21(木) 横浜駅を11:02発の快速アクティにて熱海に向かった。昨日から喉の具合が悪くて咳がでるので心配しながらであったが、咳の方は大したこともなく済んだのだが・・・・。

先週金曜日、KISHIMOTO大兄と横浜は野毛の居酒屋で一杯やった。その折に、熱海の梅園行を打診した。梅園は初めてとのことだし、来宮神社の樟の大木も見たいとの仰せであった。善は急げと、今日の決行になった。勿論、天気予報などを調べたうえでベストと判断したのだが。

家を出た瞬間から『風があるし、妙に寒いじゃないか・・・』そんな思いで横浜駅のホームに上がると大兄は随分前から来ていたとのこと。寒いホームにご苦労様である。行はグリーン車で、と決めてあった。席に着くなり、アルコールの入ったビニール袋を広げ、先ずは乾杯である。横浜から熱海まで、一時間と十分ぐらいだからどんどん消化しないといけない。

天気予報では、晴れ&曇りのはずだが、車窓に見える景色はどんよりと重い。それでも熱海から伊豆急に乗り換えてひと駅「来宮」に降りても曇り空ながら雨は大丈夫だった。駅から十分ほど登りの道を歩き「熱海梅園」に到着。入場料は大人300円也。

             

入園料も、この後の軽い一杯も、年金暮らしながら生活にゆとりがある?大兄が支払に谷川沿いを歩き、梅や花木の名を確認するも、すぐに忘れているれ。

園内に居たのは精々30~40分程度であろう。最後に茶菓子つきの抹茶を飲み、店の老人に来宮神社へのルートや食事の店などを尋ねた。地図まで広げて、懇切丁寧に教えてくれた。梅園から神社まで7~8分とのことだったが、もう少し要したか。

お待ちどおさん!樹齢2000年と言われる天然記念物の楠の大木?老樹がこの神社の境内に立っている。その前に私が感激したのは、神社に入る鳥居から参道の左右が竹林になっていたことだ。

           

これで、熱海の松・竹・梅が揃ったことになる。先ずはめでたし。海岸のお宮の松、先ほどの梅園、そしてとりは来宮神社の竹林である。かくもめでたいことなはい。来る電車の中で考えていたんだよ、竹が何処ででてくるかと。それがこんな形で、最高の出方をするとは!。花札でもやりたい気分になりましたよ。

本殿の手前にある千三百年の樟も迫力があったが、流石に国の天然記念物に指定されているだけあって、本殿の裏に立つ樹齢二千年の樹は存在感がありましたよ。大兄もお喜びの様子であった。

参拝の後、さか道をぶらぶらと下って教えられた店を探した。何のことはない、未だ営業時間になってなかった。二時頃だもの、昼の営業を終えたばかりか。目を転じて向かいをみると、食堂か居酒屋か?ような店が開いていた。そこに入る。

店の婆さんは金目がどうのとか、講釈が達者であった。が、僕らは魚は「キンキ「」だよねで一致をみている。金目を食べている大兄は、婆さんから食べ方が綺麗、上手とほめられた。そこいらは、歳の功と云うべきか?。

空虚感が漂う店内でお銚子を二本づづ飲み、タコと金目煮だけで大した魚は食べなかったが、サービス(?)だというサザエだけは美味しかった。

その店を出て、ぶらぶらと駅に向かって今度は坂道を登っっていくのである。途中から雨がポツリぽつりと落ち始めた。天気予報とぜんぜんちやうねん!と言いたかったよ。途中に有った和菓子店に寄り道してアイスキャンディーなんぞを食べた。

 熱海駅に入ると、快速アクティの発車四分前、これに乗ろうと急いで乗車したのである。帰りはグリーン車のチケット買う暇もなくあたふたであった。熱海の滞在時間は、正味四時間足らずながらそれなりに旅の気分であった。

 横浜で東急線に乗り換えたが、ここから猛烈に水洟が・・・・。参ったねぇ~。今も鼻水が止まらない、おまけに咳とクシャミまでも・・・。明日の夜の飲み会、大丈夫かな?。

 

今朝も弁当は作った。ご飯が昨夜に炊いたものなので、鮭を焼いて混ぜた「鮭ご飯」にした。焼肉と野菜のソテー、肉ジャガ、ブロッコリーとスナップを茹でる。最後に卵焼きで締めた。

         

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日が日曜日か・・・

2019-02-20 | Weblog

2/20(水) こうしてBLOGを記していると月日と曜日を入れる。そこで改めて、今日の曜日を再認識するのである。

昨年の年末からほぼ粗二か月が経とうとしている。たった二ヶ月で、立派に日々日曜族になったようだ。こんなことばかりしてちゃならぬと云う思いはあるが、我がサードステージの舞台が整う気配なしである。

今日も貸し手の営業担当と会い、業務委託方式とやらについて説明を受けた。受けたとたんにバカバカしくて嫌になちまった。家主から一括借り上げしたから物件に、手数料や金利、さらなるリスクヘッジをかけた事業委託とた云う方式で貸すのだから、もともとの相場は関係なく高額になっている。

賃料が高いだけでなく、日々の売り上げもすべて管理され、日々入金し、翌月の十五日に家賃分をひかれて戻ってくるらしいが、私からみれば高利貸と悪代官の二枚看板商売に思えるが・・・。

尤もらしいのは、保証金が三分の一程度で済むので初期投資が少ないところが味噌と云う。余程短期に儲かるか、膨大な初期投資とそれに見合うリターンがない限り、貸し手の丸儲けビジネスがこれだと思ったネ。

そんなことで、我が店探しは粗ほぼ振り出しに戻ったようだ。毎日が日曜族への本格的な加入となりそうで・・・・。

 

明日はKISHIMOTO大兄と東海道は熱海まで足をのす。貫一お宮、の松じゃなくて、梅を愛でようと云うことIで。熱海梅園の梅祭りが、随分遅れて始まったと聞き暇人二人が出掛けることにした次第。

熱海梅園の梅祭りは、私の記憶では一月の中旬から始まっていたように思うが。梅園が縮小されたこともあり、ここ数年訪れていない。久しぶりでもあり楽しみにしている。

今日の弁当は、既にFBに載せたので省略しますが「ピーマン肉詰め焼き」「小松菜の煮びたし」「ヒレの一口カツ」「卵焼き」「ベーコン&シメジ・ピーマン炒め」でありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土佐文旦と銀座&人形町

2019-02-19 | Weblog

2/19(火) 今朝の弁当は、チンジャオロースだが冷凍の出来合いで、ピーマンとタケノコを細きりにして炒めるだけのことである。ホタテのバターソテーと、春雨の野菜サラダに冷凍の塩サンマを焼いてお仕舞いである。

                  

一応、品数だけは四品と一応は何時も通りである。昨日、今日と卵焼きが出てこないのは在庫切れのためだ。日曜のスキ焼で使い切ってしまい、補充出来てなかった。

そんなことで今朝の遊びが終わり、軽く朝飯を食べることにした。と云うのも、昨夕に鹿肉をソテーしたが、味見するとこれが美味かった。それが残っていたし、春雨サラダもあるので食事をとる気になった次第。摘みに最適な鹿肉ソテーとなれば、朝からでもビールを飲むに如かず!。素浪人の気楽さである。

                 

コーヒー代わりにビールを飲んで朝食タイム。その後に、昨夜煮た天草で作った「文旦ゼリー」を食した。

文旦と云えば、日曜日の朝のNHKで「土佐文旦」を特集していた。ママレードが上手くいかないというK大兄にすぐに電話を入れたが、ジャムづくりのおじさんがでたコーナーが終わった。参考にならずだが、何度かやってみるしかない。

余談だが、孫のSORAが文旦大好きで、おまけに「ニイサンの文旦が一番美味しい!」などと言う。で、昨夕に皮を剥いて実をタッパーに詰めた。残った皮を刻んで茹で、冷水に晒しておいた。これを昨夜の零時近くになって煮始めたのだ。このレシピについては後に・・・。

 

昨夜は19時から「モナリザ会」があり、銀座に着いたのは六時前と早かった。時間があるので、高知県のアンテナショップに立ち寄った。前日のNHKのこともあり、文旦が沢山でていると思い。それに地下の県産の日本酒を見たいと。

文旦は売り切れに近い状態で、おまけに一個500~600円と高い。後は、箱単位絵で注文になっているが、これも結構な値札が付いていた。売り場の姉さんに状況を聞き「文旦辞典」なる小冊子を貰ってから、地下に降りた。

地下のお酒コーナーでは、県の醸造元から200種ほどの日本酒を置いているとのことだ。この中から吉田類さん推奨の今月のの利き酒三種「文化人・桂月・南」と云うのを飲みながら、副店長に売れ筋などを聞いた。

我が町の「南」は、相変わらず人気があるようだが生産数が少ないので一種類しか置いてなかった。ましてや、私が酒蔵にキープした大吟醸など有るはずなし。

そんなことで時間を潰してからモナリザに向かった。ちょっと早かったので、未だ五六人しか来ていない。ので、幹事のNAKAJIMA氏の横に席を取り、今日の予定数を聞くと24人の予定だとか・・・。それから暫くして席が埋まった。

何時ものように自己紹介があり、歓談が始まりビールとワインを頂く。自己紹介の中で、今度の区議選に某野党から出るという若い女性がいた。ありがとうございました。或るメンバーのお嬢さんとのことで27歳、二歳の子供があるとのことだが・・・。

              

口がさない俺たちは、奥のタバココーナで「若きゃいいてもんじゃないだろう。社会も人生もどんだけ分かってのかね」とか「議員になって何をやりたいかだな。単に党勢拡大のために若い者をだせばいいってもんじゃないだろう。親父が付いて廻んないほうがいいんじゃないか。票が逃げるぜ!」なんどと小田原評定をするのであった。

予定通りに21時過ぎに散会となり、人形町に向かった。「ローカーボ」で不動産屋のマッチャンと待ち合わせ、店舗の件で見積内容を確認するためであった。

常連が二人、KATOチャンとNAKAMURA王子である。KATOチャンは既に出来上がり状態。二人に一杯づつ振る舞い(競馬で勝ってるからネ)、雑談する。

                

マッチャンが姿をみせたので、書類を見ながら腑に落ちないところを指摘し、確認をながらハイボールを啜る。明日の昼に、貸主となる営業と会って話を聞くこととなった。

 そこへ、顔見知りの某社の社長が連れを伴ってやってきた。会社を幾つか持っているとのことや、新規事業の立ち上げなどとやり手のようだが、詳しいことは不明。

話をしていると、新規事業で早めに会社を売却することを狙っている様子である。そんな話の中で、俺に監査役とか社外役員をやってくれないかと振ってきた。

『俺なんか数字は読めないし、役にゃあ立たんぜ』と応じたが、電話番号だけは交換した。人を見る目がない経営者もいるんだねぇ~、が感想である。

かくして人形町の夜は更け行く。帰宅は零時に近かったが、それから「文旦辞典」のレシピを参考にママレードを煮はじめたのである。が、上手く固まっていないのだ!。

                      

 

以下に「文旦辞典」によるママレードレシピを紹介する。

材料・・・大きめの土佐文旦一個

 皮(甘皮を含む)300g 果肉300g 水200㏄ 砂糖300g

作り方 

 皮を水洗いし、薄い千切りにしてから三度茹でこぼす。それから20~30分水に晒してから、堅く絞る。

 果肉をボールでほぐし、果汁が出るまで潰す

 深めの鍋に砂糖300gと水200㏄を沸かしてシロップを作り、皮を加えて5分ほど煮てから、果肉を加えて20~30分弱火で煮て仕上げる。

以上ですが、水の部分は?であるが、この作り方はしたことがないので。こんなに水が入ると、固まらないのではないか?と思うが・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も弁当を・・・

2019-02-18 | Weblog

2/18(月) 週明けの月曜日、今週が穏やかに始まるような天気である。週初めの弁当作りを終えてコーヒーと一服をしながら流れてくるCDからの曲は、石川さゆり「能登半島」から「吾亦紅」に変わった処である。

四時前に目覚めていながら台所に入ったのは七時になった。今日のメニューは「牛小間の炒め物」を中心に「アスパラなどの豚巻き焼き」。そして「マグロのソテー」に冷凍シュウマイを温めたものになった。

            

何れもお手軽なものばかりである。ご飯を仕掛けて炊き上がる頃におかずも出来上がる。

           

そんなことで、弁当の準備が整えば部屋に引き上げて自分の世界になる。CDを聴きながらコーヒーを飲み一服する。頃合いをみてストレッチや筋トレを軽くやるのが日課である。今日もそうだが・・・。

午後には文旦の皮でママレードでも作り、昨夜に下拵えした鹿肉を調理してみるつもりだが・・・果たして上手くいくか?である。

夕方には孫のSORAを渋谷に送り、その後は銀座へ向かう。月例の異業種交流会「モナリザ会」が、四丁目の鄙びた喫茶店モナリザで開かれるのでこれに顔をだす。最後に人形町でマッチャン不動産に会い、先日来の懸案である店舗の見積もりなどの意見交換して最終結論を出すつもりでいる。

店舗の件は、賃料が高すぎるのと一人で切り盛りするには使いずらい点がある。これをどう克服して、我がサードステージと云うよりは、最後の遊び場にできるかである。

わざわざ人形町でと言う説もある、地元の学芸大学駅周辺の手ごろな店をとも意見を言ってくれる先輩もあるが、私にとっては十数年通った人形町が地元になってしまったのだ。親しい友人もおり、馴染みの店もあるし、立ち寄ってくれるであろう友人にとっても便利だと思う次第。

会社人生活を切り上げるにあたって、最初に考えていたのは母が居る田舎で見送るまで小さな飯屋のオヤジをやり、見送れば東京に引き上げるであった。それが、母の思わぬ旅たちで予定変更となったが、これまで数多の人に係わり支えられてきたことを思えば、人との関わりがない生き方は考えられない。

そんなことで、独り舞台の小さな酒場のオヤジでもやりながら、人それぞれの人生をながめながら暫しの時間を過ごすことにしたのであるが・・・・。どうなるかは、我が運命の定めるままである。

 

昨日の日曜日、午後から出動して平和島に前回のテラセンを返す?つもり半分で出掛けた。その前に、渋谷JRAにて東京競馬場のメインレースを買った。今日の新聞やTVのニュースになっているナナコちゃんがている騎乗したレースである。

賭け事は性分に合わないのでやらない主義だが、ボートレースや競馬G1レースはお祭りのようなものだからお賽銭を投げるつもりで、少しだけだが遊ぶようになって数年になる。収支を問われれば、お賽銭は投げ入れるものでしょう?と言うしかないが。

されど、そのお賽銭がご利益か?偶に戻ってくることがある。それも金利付きでだ。昨日のボートレースではお賽銭を投げ入れたままにしたが、競馬の方はご利益がついてきたのだ。僅かばかりであったが。

そのご利益が判明する前に愚息から電話があった。平和島で11レースが始まる前で黙考中であった。「夕食に行くからスキ焼が食べたいけど」なんて寝ぼけたことを言う。それでも、このレースでご利益があれば、それもいいかと思ったのは、親心であるか?。

ところが外れ、最終レース前に競馬の結果をと、スマホをいじるとなんと、こっちの方でご利益があったと判明した。気の弱いオヤジは、帰りに渋谷を廻ってご利益を引き出し、ヒカリエの肉売り場でスキ焼用に牛肉1Kgを購入したのである。

処が、世の中それほど甘くないさ、この肉がちっとも美味しくなかったという次第。まさか!馬肉じゃなかったろうな?。競馬の神様のいたずらか・・・・。




 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする