オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当だ・・・

2018-05-31 | Weblog

5/31(木) 月末を迎えた、一日一日がはやくなった。こうして老いてゆくのであろうが、実感がないとはいえ、体力と頭髪の衰えだけは隠しようがない。全てに拘りのない生き方を願いながら、未だ恋々とすることばかり。

とてもじゃないが、仙人にはなれそうもないので、単位を落として百人ぐらいにはなりたいものだ。先日、佐賀街道を歩いたおりに面白い立て看板を見た。川柳を書き連ねてあったが、可笑しくて笑ってしまった。

「不出来な子故郷捨てず親を看る」「やせ我慢いつもしてるが痩せられず」、―18歳と81歳の違い―とある立て看には「道路を暴走するのが18歳 逆走するのが81歳」「心が脆いのが18歳 骨がもろいのが81歳」や、わろてんかでは「年賀状ださずにいたら死亡説」「ご無沙汰を故人がつなぐ葬儀場」なんて・・・、可笑しゅうてやがて身につまされる言葉が並んでいた。

                     

 

話が横道に入ったが、先ずは今朝の弁当だ。昨夜の帰りに東急ストアで牛小間と鮭の切り身を買った。四日ほど家の冷蔵庫を見ていない、食材が心配だったからだ。案の定と云うべきか、冷蔵庫の食材は私好みじゃなかった。

「牛小間のプルコギ」「鮭焼き」と昨夜買った食材の出番となった。ブロッコリとスナップエンドウに春雨を茹でたサラダ、ホウレン草を巻いた卵焼き、蒲鉾が今朝の弁当になった。

                           

郷里での短い滞在では、畑の野菜(フキ・蕪・小大根の間引き、胡瓜)に黑筍と、何時もと違って野菜ばかり。煮る、炒める、塩揉みと、採れったてを食べて済ませた。母親が不在なので、品数も増やす気にならない。母が居ても少ししか食べないが、いないとなると作る意欲が半減した。不思議なものである。

                          

間引いた小さな根菜だが、これが結構なお味であった。従姉などは大根葉の塩揉みをいたく気に入り「東京へ帰る前に作っておいてや」なんて言うしまつ。まぁ~秘伝の味付け効果かな?。こんな暮らしに馴れると健康的、且つ、お金が要らない・・・・かも?。

今日の弁当の紹介が遅れたが、次の如しである。

                          

 

 

 

 

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佐賀~高知、そして帰京。

2018-05-30 | Weblog

5/30(水) 先週の土曜日、正午前に麦秋の佐賀空港に降りた。13時からの「地球市民の会」第三十五回総会と、引き続いた記念講演会&パネルディスカッションは、人口減少と外国人移民についてであった。

                       

つつがなく終わった総会、そして外国人移民については、国際交流センターの毛受氏の講演。毛受(めんじょう)と読むのは不覚にも知らなかった。質疑応答の時に、移民問題の質問に加えて、その名前の由来を訊ねたところ、柴田勝家の家臣としてその名が出てくるとのことであった。余談だが・・・。

人口減少=経済問題であろうが、経済も大事だし国家としてのありようも忘れてはならない。この国の将来を数百年単位で考えないといけない問題であろう。その為の受け入れ方、共通の文化と価値観を持つて共生できる仕組みを如何に構築していくか。

その点では、諸外国に比べて如何に遅れているか認識できた。甚だ不遜極まりないかもしれないが、この問題解決においてビジネスチャンスが多々あるように思った次第。

会場の奥のテーブルに、前日に納品されたばかりの「地球を翔けた異風者 古賀武夫伝」(石風社)の書籍が並んでいた。本になったのを見るのは、この時が最初であった。売れてほしいねぇ~。

                        

この本の出版にあたっては、時間もお金もかかりましたよ!。それを惜しいとは思わない、好きでやったことだから。地球市民の会の理解者が増え、そして執筆の労をとってくれた「橋本和喜」氏の成功に繫がることがなによりである。東京の会にご協力を頂いた皆様には、後日の到着を持って、贈呈させて頂きます。

夜は佐賀市内のホテルにおいて、出版記念祝賀会が盛大に開かれた。百名余の関係者が集い、盛会を極めた。

                        

執筆の橋本氏の挨拶、日韓交流の釜山・前会長の朴さん、前佐賀県知事で衆議院議員の古川さんの挨拶と感動深いものがつづく。オープニングで古賀武夫を寿ぐ曲と咏を奉じた薩摩琵琶の北原さんの演奏に感銘を受けた。

                         

宴は二次会へと移り、朴さんや毛受氏も加わった古賀道場での酒盛りは遅くまでつづいた。翌日の、テラネット全国会は延期になり、来年釜山で開こうと云う案がでた。私はすべてお任せ、事務局が決めた場所に参りますと応えた。釜山での日韓交流会には、これまで二度参加している。

翌日の時間が空いた。丁度、維新150周年のイベントが開催されていると聞いたので、NAKAMIZOさんの案内で、イベント会場を見た。佐賀出身の維新の英雄、七人を取り上げて映像で紹介する内容であった。これに関してはさほどの感心も、面白さもなかった。

その後、市内の長崎街道沿いに在る家並と町おこしの企画などを見た。会の理事をされているNISHIMURAさんのステンドグラス工房「グラスパレット」が、歴史民族館・旧久富家にあるとのことで立ち寄った。

タイミングよくNISHIMURAさんが来られ、中を見せてもらった。十数年前にステンドグラスの教室に通い、そして自分で工房を持たれたのは四・五年前のことか?。私も窓ガラスにはめ込むのを注文したいが、未だ窓の寸法を計れていない。

                         

工房では教室をメインにし、作品創りと展示をされているとのことであった。作り方など聞き、暫し歓談した。

佐賀を楽しんだ後、バスにて福岡空港へ。朝夕二便だけの高知便に乗るためだが、17時過ぎの便であった。空港に着いてから、搭乗まで三時間もあった。時間潰しにひたすら酒を飲んだ。

                      

搭乗機では眠くなるかと思ったが、ゲロも吐かずひたすら機窓から下界の景色を眺めて過ごした。四国に入ると「KATUTA君が住まう、久万高原はあの辺りかと」四国山脈の山間に開けた盆地を眺めたが・・・。

空港に出迎えてくれた妹夫妻と、母が入院した安芸市民病院へt直行。個室の空がないとのことで、四人部屋の窓側のベッドに横たわっていた。

朦朧とした目を開いたが、言葉は弱々しくはっきりとしない。どうやら膀胱がんとの診察で、膀胱から出血していたそうだ。輸血を二度、止血薬を手から通したカテーテルで入れていた。

                           

医者が言うには、治療が済めば退院ですが、次に出血すると長くないでしょうとのこと。高齢なので手術も、放射線もしない方が宜しいと云う。要は、なにもしないで悪くなれば死になさい。と云うことか?と、腹立たしくなり、ついつい態度が横柄になっていた・・・。小人、救い難しの図である。

月・火と病院に通い、大先生からも話を聞くも、変わりなし。ケアマネに蓮絡し、施設情報や今後の対応について検討を依頼。家人が来れないので、代りに長女が日帰りで来てくれた。

俺たちじゃ、医者に訊くことも言われることも心もとない。そう思ったのだろう。母は長女の姿を見て喜んだようだが、直ぐに目を閉じて自分の世界へと行く。夢と現を行ったり来たりしているようだ・・・。

そんな日々で、ミカン畑の草刈をする余裕がなかった。が、畑の梅の実を採ったが、実が落ちると草を刈る時に大変な目に遇う。腐った実が飛び散って大変なのだ。15Kgほど採ったが、そのうちの3Kg程を焼酎漬けにし、後は従姉や妹に渡した。

                 

今年は珍しくソルダムが実を多くつけた。されど、色づくとハクビシンの襲撃にあいあっという間に喰われて消滅する。枇杷の実が見当たらないが、こっちの方はヒヨドリにやられたようだ。色づいた瞬間にだ!。      

漬けた梅酒は、従弟のKATUOが好きなので昨年につづきである。酒が飲めぬKATUOだが、梅酒の梅の実が好物だと云う。今回の帰省で出来なかった草刈りは彼に頼んだ。相身互い?というか、それなりに俺も気を使うのさ。

今日は病院に立ち寄る間もなく、高知空港に向かった。朝から本格的な雨になっていた。昼に羽田空港に着いた。午後からの出社、こんな気紛れな勤務ができるのも先見の明あり?か。独立、貧乏、気まぐれと云う。田舎では田舎でなりに、考えるのよ

                       

上の写真は「空港」、テレ・サテンじゃないが、雨の高知空港。搭乗前の一枚である。

 

 

 

 

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田舎の高校

2018-05-25 | Weblog

5/25(金) 昨日のコンサル実査を17時で切り上げて貰い、田舎の高校の同窓会に向かった。田舎県のさらに田舎にある高校の出身である私は、なり手がない在京同窓会の代表と云うことにされているのだ。

我が身の不幸を恨んでも仕方ない、ここ十年程その小役を担ってきた。だが今回、母校創立70年の節目を機に同窓会解散を宣言するつもりであった。と云うのも、若い人は全く来ない。先輩たちはご高齢化でご逝去・病気・入院・歩行困難と惨憺たる有様なのだから。

挙句に、案内状の返信は30%しかなく、そのうちの10%しか参加かがない。これ以上続ける意味があるのか?とここ数年思いつづけてきた。どこのOB会も、地域の会も高齢化などで行き詰っている。更に若年層との価値観の違いは埋めようのない溝でなかろうか。

そんな思いを抱いて渋谷「奈加野」に向かったのであった。参加してくれるOBは毎回同じ顔ぶれながら、そのうちの四人が歩行困難で欠席、もう一人はご逝去された。

今回は校長先生が変られたので、新旧の校長先生が参加してくれた。と云うのも、開催時期を全国校長会が開かれるこの時期に設定しているからだ。前任の校長は4年在校したので顔馴染だし、新任の校長には4月の帰省で会って来た。そんな訳で、皆さんと顔が繋がっている。

会の方は高知県人らしくワイワイガヤガヤと俺がオレがの会話になり、人の話を聞かないのは何時ものこと。そんな状態で三時間も飲んでいた。こっちは、今日もコンサルが入るので早目に切り上げて・・・だったが。

そんな俺の心中など知る由もない先輩が、新旧校長を二次会に引っ張るのだ。こっちゃ知らん顔の半兵衛とはいかず、付き合う。ついでに支払いもする念の入れようだ。毎度のこととは云え、草臥れた

学芸大学に着いたのは零時前だった。肝心の「休会あるいは解散」の件は、来年も頼むぞ!、の一声、二声で『来年を楽しみにしてますから、皆さんご健勝にてお過ごしください』と、応えざるを得なかったのであった。

そして今朝、目覚めたのは五時であった。なんとまぁ~お早いことだ。今日こそオムスビにする積りだったが・・・・、六時に台所に入るとそんな気は失せていつもどおりの弁当作りになっていた。

とはいっても食材は乏しい、新牛蒡があったので「豚小間の牛蒡巻」「キンピラ牛蒡」を作る。鶏肉は煮るか、揚げるか、ソテーかと迷ったがバター&オリーブ焼きにして野菜ソテーを添えた。

                    

胡瓜が沢山あったので「若布と胡瓜の甘酢和え」、しけた鮭を一切れ焼き、卵はオムレツ風と、残っていたニラを使って「ニラ玉」を作る。ニラ玉の方は弁当には入れない。

と云うようなことで、今朝の仕度が整ったのである。

                        

さて、今夜は「ローカーボ」でRYOKO姫がベリーダンスを披露することになっている。先週の料理界でJINパパにも話したので、姿を見せるに違いない。今夜の人形町は熱くなりそうだ・・・・。愈々、熱帯夜到来か・・・・。

てなことをいっても、早目に切り上げたいのが本音。明日は朝の便で佐賀に発ち、午後から「地球市民の会 総会」夜の部は「古賀武夫 伝記本」の出版祝賀会である。明けた、日曜日の午前中はテラネット連絡会が開かれる。

私がこうした会に出るのも今年で最後にしたい。同窓会然り、あらゆるものから消えていく時期だとおもっている。何時までも老害をまき散らしている分けにもイカンザキ。潮時を心得なくては・・・と、そんな心境である。

日曜日の夕便で、福岡から高知に帰り、ミカン畑と云いたい処だが、今回は母の様子を症状を計ってくることになりそうだ。火曜日に入院し、来週の火曜日の検診で凡そのことが判るといいのだが・・・・。田舎の病院だからネッ。

帰京は水曜日の正午頃か・・・・、それまでごきげんよう

 

 

 

 

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オムスビの予定が・・・

2018-05-24 | Weblog

5/24(木) 早や木曜日、夜を迎えそして夜が明ければ金曜日になる。どうしようもなく日々を送りながら老いて行くのであろう・・・、誰だ! 十分に老いてるぜなんて本当のことを言うやつは

昨夜は、退社後に「ローカーボ」に寄ったが、一杯だけで引き上げた。HOYA兄いの隣で、本当に一杯だけにした。と云うのは、今日・明日と入るコンサル会社の対応があり、その資料もう一度おさらいしておきたかったのだ。

自分が作った資料なのでなんの疑問も問題もないはずだが、料理と同じで予習とおさらいは人生の基本、より快適に生きる原点だ?。

最寄駅に着いてから、今日の弁当は簡略にオムスビにすべく鮭だけ買って帰宅した。あまりにも早い帰宅に、家人が驚いた。『こんな日もあるさ、明日はオムスビだぜ』と云って部屋に籠った。未だ、22時前であった。

何時もは風呂なので、夜は入らないのだがここの日は入浴した。風呂は気持ちがいいねぇ~。お蔭でよく眠れた。勿論、おさらいはしたさ。テストだとか、面談とか云うと妙に生真面目になる。若い頃は全くなかったのに・・・・。

てなことで、朝を迎えた。台所に入り先ずは飯を炊いた。鮭焼き、卵焼でお仕舞にするつもりでいた。が、義母のご飯のことなど考えて、ちょっとした菜をと・・・・。

                         

たったこれだけの弁当だ。これまでに比べると目茶コストパフォーマンスがいい弁当になった。

                         

こんな日があっても許されるだろう・・・・・。さぁ~、生真面目OYAJIはコンサルの対応に出陣だぜ!。

 

 

 

 

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ステーキ

2018-05-23 | Weblog

5/23(水) 昨夕、打ち合わせをしている最中に友人で大学の講師をしているMATUMOTO氏からの電話が入った。「今夜、一献如何だろうか?」の誘いであった。

珍しく資料作りでもする気でいたのだが・・・、友の誘いは断るに忍びない。チョット遅れるがいいよ、との返事を返した。そんな訳で、六時半から「うまし」で合流した。ビールにホッピーなどを飲り、二次会は定番コースの「ローカーボ」となった。

「ローカーボ」には、HOYA兄いとNAKAMURA大将が鎮座していた。お二人と相席してオヤジ話となった。二杯程飲んだところで、どうにも気になったのが途中まで作った資料のことだった。

こういう時は、気になったものを片付けるに如かずだ。友人には申し訳なかったが、ひと足先に失礼をして会社に舞い戻ったと云う次第。差し迫った案件なので、翌日に持ち越したくなかったのだ。

PCを開くと、大事なメールでの問い合わせまで入っていた。最近、会社メールをスマホに飛ばしてないから社に戻って正解であった。返信をし、二時間近くかかって(お酒が脳に廻って、遅々としてすすまないのだ)、漸く目途がたった。

バイトのKAWAMOTOに戸締りを任せ、23時過ぎに会社を出た。真っ直ぐに帰宅すればいいものを、再度ローカーボを覗くと、彼の面々の姿は既になく、両刀使いとの噂がある?、YUUGOが一人、カウンターに居た。

マスターとYUGOを交えて四方山話をして、ハイボール一杯で前夜の疲れを癒したと云う次第だが・・・。もう一つ気掛かりが生じている。

郷里の母がこの日、地元の市民病院に入院をしたが、病名がはっきりしない。先日来、下血をしているとのことで、この日再度の診察で入院となったが、輸血の必要がありそうだとのこと。なのに病の原因がつかめていないとは・・・・。

田舎医者のこと故、判断が付かないのか?ガンかも知れないとか言っているそうだが、ならば検査で分かりそうなものだが対応が遅い。かといって、こっちは遠く離れている。愚図愚図してんじゃない、と言いたいところだが、そうも言えないもどかしさだ。

八月には九十五歳を迎える。なんとか百歳を迎えてほしいと思っているが、このままじゃ次第弱りだと、気に掛かっている。今度の日曜日にならないと動けない、そのもどかしさも相俟って疲れるばかりだ。

あれこれ考えながらも、終電前のメトロでは眠っていた。零時半過ぎに学芸大学に着いた。今日の弁当用の菜を贖うべく、東急ストアへと・・・。

どんな時でも、いつなんどきでも弁当大事のOYAJIである。

そんな訳で、今日の弁当は「ステーキ」がメイン。ステーキと云っても霜降りとかの高級品じゃないさ。千円チョットの大衆品である。毎日のように弁当食材を贖ってる身、そうそう高いものは・・・。

                   

これに鮭の切り身を焼く。郷里の後輩から届いた新ジャガを使って「ジャーマンポテト」を作ることにした。最後に卵焼きを作ってお仕舞とした。

                        

 

 

 

 

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チキンのトマト煮

2018-05-22 | Weblog

5/22(火) 昨晩は猪肉のローストをスタッに試食させたが概ねよかったようだ。残ったものを「ローカーボ」に持参して、HOYA兄いやマスターにも試食を願った次第。

当然ハイボールを飲み、何時ものメンバーと談笑する。この夜の話題は、RYOKO姫が金曜日に踊る『ベリーダンス』が専らである。数多のステージをこなしてきた姫が、週一のアルバイトをするローカーボで、得意のベリーダンスを披露するのだから、オヤジ達にとっては格好の話題であった。

とは云いながらも、姫のステージを見るのは初めてじゃないのだが・・・・。出演料は廻した防止に投げ込むチップ制なのだ。誰が帽子を廻して歩くか?それによっては実入りが大きく変わろうと云うものだ。HOYA兄いあたりがやると、かなり集まるのは間違いなしだが・・・・。

そんな話題で盛り上がった後は、兄いと二人で駅の入り口脇に在る中華店で軽く腹ごしらえをしてメトロの人となった。帰宅は23時頃であったろうか?。

 

そして素敵な朝を迎えた。前夜は買い物を控えたので、冷蔵庫の僅かな食材からメニューを考える。冷凍チキンがあったので、チキンソテーを考えた。野菜室を見るとトマトが熟しているのを発見!。チキンはトマト煮に変身することになった。

                   

流石に機を見るに敏な吾輩である。寝技立ち技、寝返りとなんっでも来いの忍者さまだ。

残り飯が茶碗に二杯程あったが、鍋飯を炊いた。小松菜の煮浸しを作る。パスタサラダと卵焼きを追加してお仕舞となったが・・・・。

残り飯の始末を如何にするか?悩んだ挙句、これは炒飯がよかろうとなった。チャーハンといっても、お手軽なやつだ。

タマネギとピーマン、ウインナーにパプリカを少々刻んで炒める。炒めた具は、そのまま中華鍋の端に追いやり、空いた鍋の真ん中に卵を割り込みかき混ぜる。残り飯を放り込んで炒める。味付けは塩胡椒、仕上に小醤油を少々。以上である。

                           

長女の弁当は、炒飯との二色弁当だが、家人は白飯だ。皆さまお好みが違う。おまけに義母も個のみと云うか苦手、嫌いなものがあるようだ・・・・。

生真面目な貧乏亭主は何かと気を使うのである・・・・・・・。

                       

 

 

 

 

 

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おさらい・・・

2018-05-21 | Weblog

5/21(月) 昨夕は四時過ぎに会社を出た。スタッフが一人残っていたが、帰ったら土曜日にならった「シューマイ」を晩飯用に作ると宣言をしている。買い物をする必要があったのだ。

五時に学芸大学に着き、東急ストアで豚ひき肉やネギ、朝どれというカツオ等を買った。この時点では重要な品を籠に入れてないことに気付いてない。

東急ストアを出て、高架下の魚屋でタコとエビを贖った。ここで勘定をすませ、帰えりかけてから大事なことに気付いたのだ。なんと、忘れちゃならない「シューマイの皮」と「餃子の皮」を買ってないことに・・・。

ホット一ひと安心して帰宅した。台所に買い物袋を置き、ジャージとTシャツに着替えて台所に立ったのは五時半を過ぎていた。

今夕の晩飯メニューは、破竹の「筍飯」、菜は「カツオ&タコの刺身」と「筍煮」、「エビ・ホタテ・豚ひき肉のシューマイ」に加えて「餃子」である。

更にエビとアメゴのフライを考えていたが・・・、飯作りの途中に帰宅した家人から「いくらなんでも多過ぎじゃない」と窘められて、中止になった。

シューマイの詰め方も、餃子の結び方も下手だったが、シューマイの下拵えでオイスターソースを加えるのを忘れていた。諸々、身に付いていないと云うことだ。

刺身に煮物、中華点心のシューマイ&餃子、ご飯は筍飯。貧乏一家としちゃ、十分か。長女と孫のsoraがご飯を食べに来たが、菜も飯もタップリ余った。お味の方は、そこそこ良かったんじゃないかな?。

燻製用の準備をしてあった「猪肉」は、家人にレンジでローストして貰った。これも酒の摘みとしちゃイケル味だが、家では末娘が摘むぐらいだ。会社に持参して誰かに食わせよう・・・・。

土曜、日曜と満腹の晩餐となった。朝昼こみの一食にしていても、晩飯が重たすぎるぜ・・・・・。

                  

重たい晩飯の余波で、今朝も腹が空いていない。それでも朝飯は作らなくちゃならねぇ~。弁当に加え、義母の朝昼のご飯が必要だからネ!。

今朝のメニューは、昨晩作りそびれた「エビフライ」が浮かんだ。そして「ピーマンの肉詰め焼き」、この二品が東・西の横綱とすると、春雨と野菜の胡麻和えは?、小松菜の卵炒めは?、タラコ焼きは?番付としては何処等が相応しかろうか・・・・。

                     

中々立派なお弁当になったような気がするが?さて、如何であろうか。

                    

 

 

 

 

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オヤジノ手習い・・・料理。

2018-05-20 | Weblog

5/20(土) 昨日の午後、高輪台に在る料理研究家の自宅で月例の料理教室が開かれた。参加メンバーは人形町に巣食うオヤジたちである。

オヤジ達のこと由、料理を習うと云うよりジョーク(オヤジギャグか)を飛ばし、無駄口を叩きながら幸せな時間を過ごす。と云う方が正しいかな・・・。

人形町メンバーではIMAEの兄さんと、マッチャンが欠席。紅一点、写真家のHANADA女史は婚活とかで欠席。AOKIとFUJIKURAの独身組に「チャンスかもよ?」の檄が飛ぶが、カエルの面にションベンと云うやつだ。

肝心の料理の方だが、この日のメニューは「シューマイ」と「和風の角煮」、おまけがヤリイカの捌き方と刺身作りであった。

先生から受け取るレシピを見て、説明を受ける。そして自分達が包丁を握って調理となる。鶏とエビのシューマイを作ったが、具が上手くく包めない。不揃いのリンゴならぬ、不様なシューマイとなった。

角煮の方は茹で、煮ながら味付けをしコトコトと煮詰める。こっちの方は完成まで二時間近くを要した。シューマイを蒸す談になって、オヤジ達は手が空いた。そろそろビールを、なんてことになる。

先生の旦那の音頭で、予習の乾杯をし喉を潤す。これからが本番、テーブルが広げられ、皿が並び、本格的に飲酒タイムとなる。

                 

実は、前日の椙の森神社の大祭に旦那(パパと呼んでる)にもメールを送ったところ来てくれた。みんなで遅くまで飲んでいた。連夜の酒仲間という処だ。

自分たちが手を加えた(料理とは云い難い)成果を肴に、ビールからワイン・日本酒と宴がつづいた。先生が作ってくださった破竹の筍ご飯が、これまた絶品であった。

                     

午後八時、料理の時間よりはるかに長い、お酒タイムを締めてお開きにした。

                         

日曜日の夕食、昨日教わったシューマイに、餃子を加えて作る予定だ。これから帰宅し、東急ストアにて材料を揃える。シューマイはホタテ・エビ・豚ひき肉を予定。

昨日の料理教室で燻製の予定があった。天候が心配だとのことで中止になったはいいが、燻製に備えて猪肉を塩漬けしたあった。これをどうするか・・・・・。従姉が送ってきた破竹の筍も残っているはずだ。こいつも・・・、タケノコご飯か?。

どうやら、台所から離れなれぬ宿命のようだ。

 

 

 

 

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大祭と弁当

2018-05-18 | Weblog

5/18(金) 昨日から「椙の森神社」の三年ごとの大祭が始まった。今日は大神輿もでるので、朝からピーヒャラドンドンと賑やかである。担ぎ手が少ない、なんていう話もあったが、さてどうなったか。

昨夜「ローカーボ」に顔を出すと、パトロール隊のオヤジ連も法被を注文して神輿を担ぐと意気が上がっていた。オイラは駕籠かき人足がやるような遊びには何の関心もない、冷めたというかヤナ奴なのだ。

せいぜい腰を傷めたり、しないように気をつけてほしいものだ。夕方からは、十分程度の担ぎ成果の話題で、肩が痛いの、どうしたのと盛り上がることだろう・・・・。

                  

                   大神輿           「ちょっぷく」グループ

神輿には縁がないが、朝は祭りの弁当の注文を230個受けていた「ちょっぷく」に直出し、弁当詰めのお手伝い。この弁当を包む表紙のデザインはYOSHIOである。残念なことに写真は撮ってない。

処が、外出から戻ると今日の弁当が「ちょっぷく」から届いていた

                      

 ここまで記し、コーヒータイムと国際展示場の教育イベントを覗くために外出した。何時ものカフェ「グッチ」で、一人前のサンドイッチをYOSHIOと分け合って食している処に「神輿」が通りかかったのだ。

窓越しに見えたのは、先棒を担いでいるローカーボのマスターの姿であった。こりゃ写真だと、店を後にして神輿を追った。

                         

神輿の後を付いて歩くHOYA兄いがおり、高松の女将と嫁の姿もあった。

界隈はお祭り一色の賑わいが夕方までつづく・・・・。その後は、夫々の行きつけの店で酒盛りが遅くまでつづくであろう。私にとっては、高松~ローカーボ~ちょっぷく、をひと回りしなければならぬか・・・・。

そして、肩が腰がの、武勇伝を聴きながら酒精を楽しむことになろうが、五時半過ぎまで会社を出る分けにいかぬ。先日から、五時始まりの会議に出席せよの指令を受けている由。

 

今朝の弁当にも触れておくことにしよう。前夜の予定では、今日はオムスビにするはずであった。「ちょっぷく」の弁当手伝いがあったので手早に済まそうとの魂胆で。

23時半の学大着後の買い物も、鮭・タラコに鶏肉と、今日の弁当を睨んだオムスビコースの買い物をした次第。

台所に入り、ご飯を炊く量も菜の方の準備も、スタート時点ではオムスビコース。ゆで卵に鮭とタラコ焼きとつづいた。処が、冷蔵室に残ったタコをみてから、方向を変へたのだ。

蛸=胡瓜=酢の物が浮かび、オムスビがいつの間にか消え、弁当箱になった。鶏絡げついでの茄子&カボチャの素揚げ。

                  

最後に蒲鉾とキャベツの千切が。そんな次第で今日も弁当が出来上がったのである。

                  

 

 

 

 

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お小遣いが・・・

2018-05-17 | Weblog

5/17(木) 昨夕、NAKAMURA大将からお誘いを受けた。待ち合わせた「高松」に行ったのは午後七時を廻った頃合いだった。この時間のお蕎麦「高松」にしては、珍しく三卓もテーブルが空いていた。

NAKAMURA大将は「高松」のビルに東京事務所を構えたが、夜は満席が多いし一人では入れないと日頃から嘆いていた。この夜は大手を振って席を取ることができたであろう。大将にマッチャンの三人で、大人の会話で盛り上がった。大人の会話って?どんなんだ?・・・・。そこは賢明なる諸君の想像に委ねたい。

二軒目は、夜のコースにがっちりと組み込まれている「ローカーボ」へ。常連のIMAEの兄さんが飛ばしまくっている中に、割り込んでHOYA兄いの隣に陣取った。常連ばかりが固まってカウンターの一角を占め、ワイワイガヤガヤと騒々しいこと騒々しいこと、これじゃ他の客は逃げ出すぜ!。

                  

幸いにも、独り来た客は顔見知りの女性でよかった。気の毒なことにその女性は、我々の間に挟まって窮屈そうにしていた。

高松で金魚割、ローカーボでハイボールと些か過ごし過ぎた感あり。でありながら、HOYA兄いと「セイジュ」へと向かったのであった。ここでもハイボール飲りながら、演歌に次ぐ演歌。他に客の姿がないを之幸いと、兄いが次から次へと曲を入れる。

                       

マイクを持つのが草臥れた頃、なんとNAKAMURA大将がぶらりと入って来た「唄いたくなって」と・・・。狭い界隈を根城にしている我等だ、何処かで行き会う運命。

そんなことで、学芸大学駅に着いた時は零時前になっていた。が、弁当命の吾輩は改札前の東急ストアに直行したのであった。

そして明日の食材を仕込む。野菜コーナーから魚、肉と入り口から順々に見て回る。翌日のメニューをあれこれ想定しながら・・・・。高級スーパーじゃないからいいようなものだが、こうも連日の買い物じゃ・・・オイラの懐は寒くなるばかりだ・・・・・。

締めて掛かろうと、アスパラ、牛肉はオージービーフに、魚はタコと浅利にした。それでもレジでは三千円ほどの支払いに。毎夜毎夜これじゃ・・・お小遣いが・・・。飲み代を思えば、へのようなものか・・・・。

蒲団に入ったのは25時ごろ、朝までぐっすり眠りたいと。処が処が、そうは問屋が卸さねぇ~ならぬ、ネコに妨害されてしまったのだ。

枕元でゴロゴロ、蒲団に載ってぴょこたんぴょこたん・・・、とうとう起きざるを得なくなった。時計の針は、午前四時前を指していた。これからが眠れない、眠れないのよ~。

邪魔なネコに早々と餌をやり、CDの演歌曲を聴きながら本を読む・・・、6時頃になって眠気が・・・。そうはイカンザキさ、もう弁当作りに入る時間じゃないか。と、台所へと向かったのでありんす。

飯を炊き、昨晩贖った食材を取り出す・・・・。

「牛ステーキ」「タコとアスパラのソテー」「小松菜と小厚揚げの煮浸し」「プレーンオムレツ」、以上でお仕舞いだが、アサリが残っていた。

                

浅利の味噌汁だけじゃ量が多い、ひと煮立てしたアサリの身を外して生姜・小ネギのみじん切で佃煮風にソテーして、弁当ご飯に乗っけることにしたが・・・・、アサリの身の薄さにビックら、大した量が出来なかったのだ。

                  

味噌汁の味の方はいい塩梅であった。

 

 

 

 

 

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