オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

保谷兄い、お疲れさまでした。

2024-03-25 | 弁当

3/25(月)月曜日の夜明け前の時刻。今週で三月も終わり、本格的な春を迎える頃となったが、菜種梅雨とかで雨の天気が続いている。

昨夜、保谷さんから電話をもらったが、日曜日の電話は稀有である。そこで思い出したのは・・・。

「そうか、今夜は酒場仲間が保谷兄いの送別会?、いや慰労会を開いている日だった」である。馴染の酒場「今宵 うまし」さんの店主夫妻とカウンターに陣取る常連さんが浅草のフグ屋で兄いを囲んでいるんだった。

夜毎、堀留町から人形町2・3丁目の酒場をパトロールして元気と現金を振りまく兄貴ならではである。かつては、我らで「人形町パトロール隊」と称していたが、孤高を死守しているのは兄貴だけとなった。

私もこの日の予定を二月末の帰京で夫妻から聞いていたが・・・、欠礼させて頂いた。と、云うのも我々(佐賀の中村氏)は、五月の連休明けに津軽地方へ「保谷さん卒業祝い&神さん夫妻を訪ねる旅」をすることにし、旅の計画は既に出来ているのだ。

保谷さんは、住友グループの会社に長く勤務し、別子銅山のある四国・新居浜市や、工事現場のインドネシアに駐在した経験がある。会社を定年退職後、友人数人で人形町に下請け会社を立ちあげて今に至る。

人形町の住人としては、私より遅いはずだ。何のゆかりない私たちが知り合ったのは、彼の300円酒場「ちょっぷく」である。

会社帰りのひと時、駅に近い賑やかな酒場、そこで保谷さんが三人組で飲んでいる姿を何度か見かけていた。ある時、すぐそばで飲んでいる三人から「高知」と云う言葉が聞こえ、それで関心を持ったのが始まりだ。

私たちも「ちょっぷく」から、レトロなスナック「セイジュ」へと廻ることが度々で、保谷さんたちも同じようなルートを辿っており、話をするようなり親交を深めて行った次第だ。

親友なんて言葉は嫌いだが、掛け替えのない友人のひとりである。人形町において文字通り、水魚の交わりを重ねてきたのだ。

兄いは、ものすごい常識人で人好き、話好き、ながら経験と知識、義理・人情、酸いも甘いも嚙分けた話、と敬服している。

4月末で仕事を辞めるが会社に出るのは三月いっぱいの予定と聞いている。いつか、この山里を訪れてくれることになっている。その日が楽しみである。

因みに、私と保谷さんとは同年齢だが、私の方が少し遅く生まれている。私は、兄いよりも五年も早くリタイアとなったが、兄いにはもっと現役でいてほしかった。が、工事現場に出向くこともある仕事故に退職を決めたのであろう。

兎も角、保谷兄さん永いあいだご苦労様でした。されど、付き合いはこれからも宜しく頼みます。

 

閑話休題

当初の予想よりソメイヨシノの桜開花が遅れている。昨日、高知市で漸く開花宣言があったようだ。

この山里においても、ソメイヨシノは未だ蕾のままだが、山桜の系統と思われる桜は咲いた。薄桃色とは違い、白っぽい花ながら桜は桜だ。それをお届けします。

         

これは、よく立ち寄る「豆電球」の駐車スペース&イベント広場の川岸にある桜で、一昨日の光景です。

 

では、また!。

 

 

 

 

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山里、三寒四温・・・

2024-03-18 | 弁当

3/18(月)昨日の昼前から夜中まで降り続いた雨も上がり、今朝はすっきりと晴れて風もなく穏やかです。

こんな天気なら畑遊びに最適なのだが、残念ながらぬかるんでいるので入らない。漸く最盛期のホウレン草、ノラボウ菜と収穫してやらないといけないのだが・・・。

大根に水菜、レタスとブロッコリ・小松菜はお仕舞いです。レタスとキャベツは次に播いた種が少しづつ成長しています。ジャガイモは昨年より一ヶ月も早く植えたのですが、昨年と変わらない時期の今、芽出しが始まりました。

実験と思って早く植えたり、育苗を始めたりしていますが、野菜の種は自分で発芽時期を決めているようで、こっちの思うようにはいきません。

育苗も三寒四温のこの時期ならではの難しさを実感しています。露地栽培ですので、季節を時期を見極めて育てていくしかないか。

余談ながら、先日町からの帰路、途中に数十本在る桜の一本が咲き始めていました。この桜だけは何時も早く咲き始めるのですが、山桜の系統のように思います。

         

そろそろ筍が出るなと思い、昨年の日記を見返すと「3月11日、小さな筍を掘った」とありました。二年前の日記では「3月18日、従姉から筍を貰った」とありました。

そんなことで、まだ早いだろうと思いつつも13日に竹林を探索しました。三十分ほど足裏の感触を頼りに探って、漸く小さな筍を取ることができました。

              

次いで16日、お彼岸前のお墓掃除を済ませてから、再度竹林を探索!。この時も乳児とも云うべき小さな筍をゲットしてきました。

          

三年前までは、今頃には猪が竹林を掘り返して土中の筍を食べていましたが、昨年からその傾向が表れていません。豚コレラのような病気の影響で猪が激減しているとのことで、今年も従弟が一頭捕っただけでした。

雨後の筍、というぐらいですから、猪も現れないのでこれからひと雨ごとに筍は出てくると思われます。が、旬に先駆けて食すのが楽しみです。筍ご飯と汁物で頂きました。

もう少し大きいのが採れるようになったら・・・、届けたいと思う誰それの顔が浮かぶが・・・、その頃には巷に筍があふれていることだろ。

この山里では、筍も山菜も時期が遅いのです。ボケるのだけは早いようですが?。

育苗を開始した「ズッキーニ」は順調に芽が伸びてきました。先日から、カボチャとスイカの育苗がスタートしました。今年こそ、良いスイカを育てたいものです。

以上、山里からのメッセージです。

 

 

 

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雨・・・

2024-03-12 | 弁当

3/12(火)昨夜から降り始めた雨は、朝を迎えても降り続いているが、深夜ほどの強い雨ではない。午後には上がるとの予報であるが、不安定のようだ。

帰郷してから丁度一週間となるが、帰郷した日と翌日も天気が悪かった。と、いうことは外遊びの畑に出れないと云うことだ。部屋で過ごせばタバコの消費が増えるのだが、なんとか一日一箱(ショートホープだから10本)で押さえている。

この1週間でやれたこと、やったことといえば、ミカン畑の草刈り、野菜畑の植え付け用の畝作りが二畝、育苗したトウモロコシ苗70本ばかりの植え付け。ホウレン草畝の草引きと、成長してきた豆(キヌサヤ・スナップ・ソラマメ・エンドウ)の手入れくらいである。心配は大きくなってきたタマネギの病気だが・・・。

ジャガイモは少しだけ芽を出していたのだが、数日続いた寒波で芽枯れしていた。

              

網代さんが種を送ってくれた「ノラボウ菜」が成長!、毎日のように摘んで食しているが、これが美味しいんです!。ここいらでは植えていないので珍しいが、食しかたが不慣れなので、お浸しやベーコンとソテーしている。今夜あたり、天婦羅にしてみようかな?。

    

日々、朝夕の食事はほぼ粗、野菜尽くしと云うところです。今、採れる野菜だけでも十種類以上あるので食べきれるはずもなし。小松菜・大根・ほうれん草にブロッコリなど、貰っていただけるところにお配りするばかりです。  

斯様にのんびりとした、時代離れした暮らしには、株価の急騰・急落、政治資金や内閣支持率などとは縁遠く、別世界の出来事。世に疎くなるのも良いものかな?と、思うのであります。

早く筍が出てこないかなぁ~。なんていうと、ノー天気な奴だ!バカヤローと云われそうだね・・・。それも、まっいいか!。

 

 

 

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そして、帰郷・・・

2024-03-05 | 弁当

3/5(火)二月の末、28日に帰京してから丁度一週間となる今日の午後便で帰郷します。

あっという間の時間であるが、最大のテーマであった五月の津軽地方への友人達との旅行スケジュールを固まめることができた。他、数年ぶりとなるオヤジ達との懇談、何時ものメンバーとの歓談と楽しいひと時を過ごした。

そんな一コマを振り返ると・・・。

帰京翌日の29日、正午から御徒町の「キリンシティ」で、年号が平成に変わったばかりの時代に職場を同じくした清田さん(上司)&高橋君(後輩)との懇談。何時もながらの与太話で盛り上がり、最後は上野駅前の蕎麦店でお開き。体調が十分でない清田さんだが、お口は元気。今月末には高橋君の運転で来高するとなったが?。昨年の夏にも来高の話があったが、体調不良で断念した経緯がある。こっちとしては、待つだけのことであるが・・・。待ってますよ!。

二人と別れ、私は人形町へ・・・。三越前駅から堀留町に向かう、コレド室町の裏通りを渡ろうとするとピンク色も鮮やかな「おかめ桜」が満開だった。懐かしい光景である。二月になると咲きはじめる花弁が小さな桜、これが並木になっているのだ。

              

そして、「高松蕎麦店」で保谷兄いと中村さんと合流した。今回の上京の最大目的「津軽旅行」の旅の詳細を詰めるためである。中村さんも前日に佐賀から上京したばかり。金魚湯割りを飲みながら歓談し日程を調整し、大まかなコースを提案・・・。私にお任せとなる!。

その後は、「こま吉」から「セイジュ」と廻ってお開きとなり、日付が変わる前に帰宅したが、些か飲みすぎたきらいあり。

月が三月となった金曜日、16時半から「人形町きんザざ通り歯科」で受診して、お手入れ?。五時、開店したばかりの「うまし」さんのカウンターに腰を下ろし、暫しカウンター越しにマスターを相手に雑談してウイスキー&ソーダ。18:30「ちょっぷく」へ移動。ここで、ナチュラル時代のメンバーと懇談するのだが、ユリカ&理恵は仕事が終わらないと欠席、藤倉君はコロナの症状で不参加。

閑な?喜夫と碓氷老人、沼田君と我がご学友?細川が顔を出して五人での飲み会。ここでもバカ話ばかりが・・・。いつも賑やかな店長、山影さんは五度目の脳梗塞発症で入院していた。五度目とは驚くしかないが、その生命力はしぶといねぇ~。最後は、前夜に続く「セイジュ」でカラオケとなった。

               

 

土曜日も正午待ち合わせは東急線・大井町駅。待ち合わせたのは、末娘が通った中高のバレーボール部のオヤジさん達で、山ちゃん、紺ちゃんに、名所河津桜の河津から今村さんであった。コロナや私は田舎暮らしのこともあり、顔をお合わせたのは数年ぶりである。

バレーボールの大会があると、オヤジ達も顔を揃えて昼休みの飲み、終わってからの飲み会と応援もそこそこに、よく飲んだものである。私の帰京に合わせて久々の歓談、懇談であった。大井町の細小路の酒場でビール&焼酎湯割りで盛り上がる。二軒目に移動してから三十分ほどで先に失礼する。横浜駅で岸本大兄と会う予定があった次第。

            

横浜で大兄と合流し、前回も入った昼間から開いているショットBARへ。ここはタバコを吸えるので、私にはいいが、肺の具合がよくないと云う大兄には辛い店であろう。申し訳ない!。ここでウイスキーやウオッカを啜りながら二時間近く歓談して帰宅した。

お節句の日曜日、午後から郷里の先輩であr「奈加野」のオヤジと二人、平和島でボートレースで遊ぶ!。便利なのは往復、店主の車に同乗できるのだ。遊びの方は惨敗!。所詮、こんなものだろう。

この日の夕食は、SORA(13歳)にMITO(2歳)という二人の孫娘一家と、我が家で手巻き寿司の夕食。お節句だからねぇ~。ハマグリが高い、魚の種類が少ないと家人がぼやいていた!。

帰京前日の昨日は、午前中に旅の詳細を詰めて、宿の手配。初日は神先生宅でお世話になり、二泊目は黄金岬の「不老ふ死温泉」、三泊目は「ランプの宿青荷温泉」が予約できた。全行程、先生ご夫妻も同行され、神パパが車運転をしてくれるとのことである。弘前城~岩木山~白神山地&竜飛岬、八甲田と廻れるかな?。個人的には、東郷夫妻(橋本葉子さん)の墓参、森のイスキヤを訪ねたいが・・・。

午後、渋谷のタバコが吸える喫茶「トップ」で、T物産社長の岡崎氏と歓談。一時間以上話を聞き、していた。既存のビジネスでは先行きが見えない時代・・・どうあるべきか?などと。

夕刻五時、「高松蕎麦店」で保谷兄と合流して旅の旅程、JALのチケットを渡して歓談。旅の主目的は、保谷さんの退職慰労だから・・・。店主のミッチャンも加わり、二次会で「こま吉」へ。疲れているのか、ミッチャンが酩酊したので店まで送り、保谷兄いと「セイジュ」でカラオケ。ここでお仕舞いにした。明日は、帰郷だからと・・・。

 

と、まあ斯様な日々を過ごしたのである。一週間ははやいが、帰郷を野菜が待っている?。育苗中のトウモロコシがどうなっているか心配であるし、ソラマメやキヌサヤ類の手入れも欠かせない時期。加えて育っているタマネギの病気はどうか?など等。心配は尽きない。

 

 

 

 

 

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