オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

大寒

2024-01-23 | 弁当

1/23(火)昨日、一昨日と春のような気温で暖か!。それが今朝から一転して大寒む(おおさむ)の気温である。おまけに風まであるのだから・・・。

そんな一日、無為に過ごしたが・・・、相続関係についてネット上を彷徨った。従妹のところから相談を受けてのことだが、出来れば関わりたくない案件ながら致し方ない。何しろ田舎のこと故、二代三代前の名義登記が残っているばかりか、直近の家族のことまで霧の中。

もつれた糸を解きほぐすのは容易なことでない。浅慮、無見識な私には荷が重いが、頼まれた以上はできるだけの努力をするに如かずか・・・。

その点、我が家は妹と二人だけだったこともあり、相続問題はシンプル&スムーズであった。

人の我欲と云うのは捨てられないものだと実感するばかり、山里暮らしの素浪人の小生ですら例に漏れない。無欲に生きられる人の詰めの垢でも飲むしかないか?腹壊すかな!。兎角この世は生きづらいものだ。

相続について一言云えるとすれば、面倒がらずになるべく早く整理することだね!。仕事も同様じゃないか、面倒なことほど早く手をつける!。言うは易しなれど行うは難し、かな・・・。

 

閑話休題、土曜日の午後「大心劇場」にて古る~い映画を観た。賠償千恵子さん主演の「下町の太陽」、モノクロ映画です。昭和三十年代後半の東京の下町の風景に懐かしさを覚えた。観客を数えると十人であった。

       

私が上京したのは四十年代になってからであったが、最初の勤務地は江東区東陽町で、未だ高度成長前で三十年代の名残の風景が随所にあった。ついこの前のようにその光景は脳裏にある。

 

畑は春野菜の植え付けに向けた土起こしと耕しが中心で、他には小さなタマネギ畝の草取り、夕食用に白菜やレタス・大根の収穫などである。

        

庭の方と云えば、冬草が伸びてきたがチューリップが芽を出してきた。片隅に水仙が咲き誇っている。植込みの山茶花の花は終わったが、木瓜が少し咲いている。

              

今夜から冷え込みが厳しくなるとの予報。-3℃ぐらいになりそうなので水道管の破裂予防に元栓を閉めた。

今夜は、やけに身も心も寒く感じる山里です。

 

 

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冬の雨なれど・・・

2024-01-20 | 弁当

1/20(土)一昨日の夕から雨、雨がつづいたがさほどの降りではない。曇り空や薄日が差す時間もありながら愚図ついた時が流れている。

そんな天候などで外に出ての畑遊びもせず愚図愚図とすごすばかり。畑用の肥料を買いに行った帰り、何時もの「豆電球」さんに寄って店主とコーヒーを飲みながらの歓談。

              

晩飯のメニューを考えても食したいものが浮かばない。義務的に飯を喰うだけの生活であるが、自作の白菜で漬け物を漬けたりして遊ぶ!。

蜜柑畑の方は、取り敢えず文旦の収穫が済み玉を拭いて熟成のために保管した。皮が厚くていい文旦ではないが、これでもいいと食してくれる人に差し上げる。少なくても三人はいるのが救いだ。

一昨日は前からある小夏の樹を切りまくり、陽当たりが良くない栗の木の下になる柚子を一本だけ丸坊主にした、焚火をして切った枝を燃やしながら焼芋をする。我が冬の風物詩?。

                

来週は天気が快復するようだが寒くなりそうだ。柚子の剪定と、ジャガイモ用の畝作りをする予定だがどうなるか?。

今日はこれから甥の法事に行く従姉を送っていくが、十分もかからない。帰りにまたしても「豆電球」でコーヒーかな?。

 

斯様に無為に時間を過ごす、無職、無頼の山里暮らし也。

 

 

 

 

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帰郷後・・・

2024-01-16 | 弁当

1/16(火)先週の火曜日に帰郷したので丁度一週間経ったことになるか・・・。真冬の田舎暮らし故、格別なことはないが、12日は旦那寺「真言宗豊山派 北寺」で初薬師があり行ってきた。

格別に信心深いわけでもないが、山里に居る時はお参りするようにしている。今年は両親の七回忌と十三回忌が重なるので法事の日程を早々に決めたいとの思いもあった。住職の手隙を見計らい相談した結果、八月二十四日に行うことになった。こちらの希望した日程でもある。

帰郷後の日々と云えば、畑に出て数時間だけ冬草引きや、次の植え付けに備えた畝作りで汗を掻く。二日ばかりミカン畑に行ったが、これは、土佐文旦の収穫時期なので七ケースばかり採った。が、これから一月半は熟成さす期間となる。消毒もしないので綺麗じゃない、玉に瑕とはこのことか?。

            

そんなことで、あっという間に一週間となった。野菜畑の方はやり残しているタマネギの草取りくらいで一段落するはずだ。ミカン畑の柚子樹の剪定が未だなのだが、週末の雨予報次第となろう。

帰郷以来BLOGを記してなかったこともあるのか、一昨日にYURIKA嬢(ナチュラル社時代のスタッフで大いに活躍してくれた)から新年のメールが届いた。前回のBLOGで黒田君の墓参のことを書いた所為か「私も黒田さんの年齢になりました」とあった。生きていれば齢を重ねる。亡くなった方の年齢を越していくは必定と云うしかない。

そのメールでは、昨年の夏の帰郷で母親からコロナ感染し、高熱で大変だったともあった。また「元気に酒場通いをしてください」との、励ましの?言葉もあった。数年顔を見ていないが、嬉しいメールでした。

今日は、ミカン畑で焚火の始末をしてから一服していると勝田君(久万高原町在住)から新年の電話があった。変わらず元気な声を聴かせてもらった。「雪は降ったかい?」と訊くと「先日少しだけ降った」とのこと。去年の冬、久万高原は大雪にみまわれて大変だったのだ。そういえば、高知も吹雪いている情景をTVで見た覚えがある。この時は帰京していたのだ。大事があるときの現場に居合わせないというのが私の運命なのか?。これまでの地震や台風の時もそうであったし、飛行機や列車に遅れそうな時も何とかなったが・・・。

実は、FBには書いたのだが今回の帰郷では空港で大失態をしでかした。搭乗機の席に着いてから、ショルダーバックがないことに気付いたのだ。なんとトイレのフックに掛けて忘れてきたのだ・・・。

離陸十分前に気付いて、慌ててCAさんに事情を話した。降りて取りに行きたかったがNOと言われ「地上職員が見に行きます」と。処が「男性職員が居なくてトイレに入れない状況です。利用者が居るので空くまで待ってください」とのこと。これまでの幸運な体験から、なんとかなると思っていたが・・・。

離陸時間が迫るも「未だ確認できていません。大事なものが入ってますか」「入ってますよ、カードに免許所など」と応えるも、出発時刻を伸ばしてもらえない。「じゃあ下ろしてください」と、恥ずかしながら下ろしてもらった次第。

飛行機は出る、私は地上スタッフを従えて?(付いてきたんだ)トイレまで速足(走れないのだ)。

有りましたよ、ちゃんと個室のフックにぶら下がっていた。男性トイレの入口に女性警備員と女性スタッフが二人で立っていたのはすごい!。トイレの中には男性が二人いた。

ホット一息ついたね、大きな失敗と小さな幸運と云うところか?。出発がメインのゲートでなく、バスで向った出島のような乗客が少ないところからであったのが幸いしたか。

三時間後の次の便に振り替えてもらい事なきを得ての帰郷となった。出迎えてくれる妹夫妻に電話入れ、遅れることを伝えた。

本館に戻るまで時間がある。出発間際で吸えなかったタバコで一息ついてから、本館に戻る係員に訊いた「先日の事故があったC滑走路て何処なの?」と、「すぐこの目の前です、今搭乗者並んでいる飛行機があるすぐ先です。この場所からは燃えている光景がはっきりと見えたでしょう」とのこと。因みに、私の搭乗する便はANAでした。

                  

この失態の最大の要因は、出発前に喫煙室を直ぐに探せなかったことと、トイレに入るか迷った挙句に入り、タバコを吸うことを断念してイラついたことだが、もう一つ云えるとしたら、ボケた~!に尽きるか。

 

 

 

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令和六年年明け

2024-01-05 | 弁当

1/5(金)令和六年、穏やかな朝を迎えてからの午後、津川&花岡さん宅を訪問して楽しく歓談。そんな最中、能登半島で地震発生のニュースが流れて騒然。花岡さんは富山出身で彼の地にお姉さまがおられるのだ。

メールでのやりとりで問題ないと判明し、ホットされた。私の友人もその隣町に在住しており気になったが、ならば大丈夫であろうと連絡するのを控えた。能登半島の七尾市出身の清田大兄、益田先輩とおられが、両氏とも関東在住ながら、縁者がお住まいであろうから心配されているだろう。お見舞いを申し上げます。

そして二日の夕暮れ時、家族や義妹一家を迎えた宴の最中、羽田空港でJALと海保機の衝突炎上の光景が流れた。年明け早々から暗いスタートとなった。JAL の乗客が無事だったことが救いです。

斯様な正月ながら、昨日はサラリーマン時代の仲間(11月の常磐ハワイアンの一行)八人と新年会。北千住の小さなライオンビヤホールで酒盛り?。二次会はカラオケ店で熱唱、小生も心ならずも下手ながら唄った次第。最後に、四人で人形町まで流れ「串長」なる居酒屋でお開きになった。

                

東京滞在も残りすくなくなたったし、ほとんどの店が今日から店明け(魚市場が今日から)なので、最後に年末に入院していた碓氷老と、喜夫で軽く?飲むことにした。勿論、馴染んだ人形町で!。

明日の土曜日は、OB会の支部主催の七福神巡りに参加して少々歩く。普段は東京に居ないので、支部のイベントに参加できない。在京の時くらいは顔出ししないと・・・。職場を同じくした池口さんが幹事でもあるし。そして土曜日、現役で亡くなった黒田君の命日なので大蔵不動の墓地に詣つもりだ。

連休明けの九日、朝の弁当作りを済ませ、昼前の便で野菜達が待っている山里へと帰郷する。次の上京は二月末、面倒だが確定申告の処理をするために。

最後に新年の弁当、昨日と今朝の分を載せます。

            

 

 

 

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